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2007/11/10

心の中に転がっているどんぐりのようなもの

このところ
私の原稿をとろうと
目をらんらんと輝かせている
NHK出版の「怪奇オオバタン」
こと大場旦の机に、先日
「ハッスル・ドリンク」
を見つけた。

「サプリ付き」
「疲れにビターン」
とある。

その勢いもあってか、オオバタンは
話し込みながらNHKのスタジオまで
私を追いかけてきた。

「あっ、茂木さん」

私たちの姿を見つけ、
いろんなものを食べる時に
「前傾姿勢でやる気を見せる」
ことで有名な山本隆之デスク(タカさん)
が手を挙げた。

「オオバタンに、今まですごまれていたの
です。」
タカさんに助けを求める。

オオバタンとタカさんの、
レアなツーショットが実現した。
二人はあっという間にうち解けて、
Vサインまでしている。

何だか、タッグを組んでいるようだ。

「じゃあ、ここで」
オオバタンが手を挙げて、ふり返らずに
去っていった。

オオバタンから、タカさんに、
私は「引き継がれた」のである。

私は、仕事から仕事へと引き継がれていく。

茅野で目が覚めて、
ロビーに降りていったら、
エクスナレッジの木戸さんが
待っていてくださった。

建築家の藤森照信さんの
生まれ育ったのは、茅野
郊外の里山。

藤森さんの最初の作品である
「神長官守矢史料館」
の横を抜けていくと、
小さな社があり、
4本の「御柱」が立っていた。

諏訪地方では、どこに行っても
このような信仰のかたちが
残っているのだという。

すすきが揺れる。柿が色付く。
水が流れる。風が吹く。

「ぼくはね、自分が育った環境が、
当たり前のものだと思っていた。
それが、どうやら、特別なことらしい
と気付いたのは、大人になってからです。」

木の上のとても高い所に作られた
藤森さんの代表作の一つ
「高過庵」が見えてきた。

確かに高すぎる。しかし美しい。

「全部一人でやれるようにしたのです。」

藤森さんは、そう言いながら、
コロのついたハシゴを繰り、
一人で荷物を持ち上下する。

3畳の茶室は、座ると思いの外大きく
感じられ、
炉の横に座る藤森さんはまるで
森の精霊のようだ。

藤森さんが点てた
お茶をいただき、創造の秘密について
お話する。

藤森さんの生まれ育った里山を
間近に見て、
言語化できない、自らの内なる
体験の大切さを思う。

建築の歴史家だった藤森さんが
最初の作品を作られたのは
四十代半ば。

「思えば、普通の意味での作家としての
活動をしていなかったことが、
私の中にある何ものかを温存して
くれていたと思うのです」
と藤森さん。

スタンダードと普遍の学としての
アカデミズムをきちんと押さえた上で、
幼少期からの言葉にならない
体験の蓄積に寄り添うことに
成功した時、
人は創造の現場における「創業者」
になることができるのであろう。

しかし、全ての表現者が「創業者」になる
わけではない。
他人の真似をしたり、編集したり、
アレンジしたり。
そのような活動があっても良いのだと
思う。

表現型としての藤森建築を模倣する
ことは大いに良いことだが、
それは創業者への道ではない。

藤森さんが幼少期に過ごした里山での
体験に相当する何かを自らの言語化
されない芯において見いだすことこそが、
オリジナルへの道筋であるはずだ。

高過庵の横には藤森さんが制作した
藁の社がある。
「こういうものも少なくなりました。
学者として、きちんとモデルを提示
しておかなければ」
と藤森さん。

八ヶ岳を見晴らせる
緩やかな斜面の空気に身体を
浸していたら、その時間だけ
心の中にどんぐりが転がった。

藤森さん、ありがとうございました。


東京へ。

早稲田大学大隈講堂。

早稲田大学創立125年のシンポジウム。
控え室には大隈重信公の肖像写真あり。


私は「科学は生命の複雑さにどう挑むのか」
というテーマでお話しする。

久しぶりに中村桂子先生と
議論し、楽しかった。

思えば、生命の本質とは、心の中に
転がっているどんぐりのようなもの
なのであろう。

誰にも見えない。触ることもできない。

今日もまた、どんぐりを一つ二つ
揺らし、拾ってみる。

11月 10, 2007 at 05:15 午前 |

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今日の茂木健一郎「クオリア日記」に、 建築家の藤森照信さんと、 茂木さんのお話に大変興味を抱き、 短い文面に込められた奥深い、 内容に感じるものがあった。 [続きを読む]

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♪彼はもう二度とかぐことのない風 深く吸った 何をゴールに決めて 何を犠牲にした [続きを読む]

受信: 2007/11/10 23:23:44

コメント

偉大な芸術、
とまで言われていなくても、
人のささやかな作品の
ああ、なんだかわかるなあ
と思うものにふれると
ちょっとウキウキしてきます。

アートの全てを受け止めるには
ちょっと無理だなあ
疲れちゃうなあというときが
私には結構あります。

そんなときに、新しい画家を見いだそうと
さらりと描いた落書きのようなデッサンの
ポストカード数百枚の中から
気に入ったものを十数枚選んだのですが

結局後で調べたら全部
ジャン・コクトーかピカソだったので
笑ってしまいました。

こんなもんなんだなあと思いました。
ピカソはアンチだったのですが
なんだか降参って感じでした。

模倣できないって、
きっとこういう次元からしても
異なるのでしょうね。

今、カシノキの下はドングリだらけで
ポトンポトンと音をたてて落ちてくるのですが
今音をたてたのはどれだったのだろうかと
見失ってしまいます。

焦ることはないのかな
ためておけばいいのかな

ピカソみたいに、
結局またオマエなのか!ってことも
あるのかもしれませんが

それはそれで楽しい再会なのかも
しれませんね。

投稿: | 2007/11/12 6:43:28

こんにちわ

「高過庵」良いですね、外見は秘密基地、内部は茶室。

「たかすぎあん」「こうかあん」どっちなんだろう?(^^)

投稿: | 2007/11/10 20:24:05

にゃにゃにゃ(楽しみにして、ブログみてますよ)
にゃー!(少しは茂木先生を見習わないと)
にゃ。(では、また)

投稿: | 2007/11/10 14:59:34

藤森照信さんは、たしかあの養老孟司さんの別邸「バカの壁ハウス」を建てられた方だったかと記憶しています(違っていたらごめんなさい)。

「高過庵」、なんとかわいらしい。本当に森の精霊が住んでいそうです。藤森さんのほかの作品も、里山の自然とすっかり馴染んでいるようです。

オオバタンさんと山本タカさんとのツーショットも秀逸です。
お顔の輪郭もお互い、似ていらっしゃいますし、服装もダークな色調になっていますね。
まさにタッグを組んでいるような(笑)

目には見えない、触れない、生命の本質。

その生命の本質に向き合いながら、何かを自分の中で見いだすこと・・・難しいが、大切なことのように思う。

今日は、なんだか滅裂な文になってしまった気がします。お許しくださいませ。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/11/10 14:53:55

木の上の茶室、「ゲゲゲの鬼太郎」の小屋みたい(笑い)

投稿: 青柳洋介 | 2007/11/10 11:20:47

早稲田のシンポジウム「先端医療が導く生命の未来」、私も聴講させていただきました。こんなに楽しくかつ知的刺激に満ちた時間を過ごしたのは、いつの日だったろうかと思いました。
ところで、茂木さんがケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジで研究員をなさっていたときの話で、ケンブリッジは変人だらけで目つきのおかしい人がゴロゴロしていたとおっしゃっていましたが、大学では念のため、優秀な精神科医は何人か揃えているのでしょうか。

投稿: | 2007/11/10 8:42:00

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