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2007/11/29

無数の月は生まれ

全日本私立幼稚園連合会の
全国大会で講演。

会長の森善朗元首相にお目にかかる。

高速回転でずっと疾走しなければ
終わらなかった一日。

夜、ほっとして、
街を歩きながら枯葉が路上に
落ちているのをぼんやりと
見る。

一つの有機的組織体がこうして
朽ちて行くのである。

素粒子の運動としては、
連続しており、何の断層も
ない。

私とあなた、
生と死、
喜びと哀しみの間には
無限の距離があるかのように
見える。

だが実は、全てはフラット
であり、等価なのだ。

シェーンベルクの『浄夜』に
おけるディアローグが共鳴するように。

スケールを変えれば、すべては
同じだ。

月は、地球が火星くらいの大きさを持つ
他の天体「テータ」と衝突して
分裂し、形成されたという
giant impact説が有力である。

その超弩級の現象と、
私が朝顔を洗う時、洗面台に
水滴がしたたり落ちる事象は
同じ法則にて等しい軌道を描くわけで
あり。

毎朝、無数の月は生まれ、
そして消えていく。

美醜は差異なく、賢愚は同一である。

それでもなお、おおそうだ、
私たちはこだわり、すがりつくのだ。

常にニヒリズムの通奏低音を聴きながらも、
なおも生命を称揚し続ける
ことだろう。

無意味の大海の上に
この身をかろうじて捧げ上げる。

11月 29, 2007 at 08:39 午前 |

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コメント

月はもともとテータだったのですね。

そんな運命的な出会いを
していたなんて。

月が無くても生命は生まれたのでしょうが
今の様な生命の営みは無いのでしょうね。

我々は地球と月の子供達。
だから男と女で一対なのかしらん。

投稿: akifukasi | 2007/12/03 0:38:25

ニヒリズムは聞こえない。

自分とは異なる考え方ですからね。何いったって何があったってどうせそっちへ考える。いってらっさい、てなもんです。

茂木先生はそっちへいっても必ず返ってきますよね。波乱に満ちた劇的思考が面白く。起き上がりコブシみたいです。強いなあ(笑)。ニーチェの影響なのかなあ。

先へ続く喜びが見いだせない人には何か不幸を感じてしまいます。非現実的な理想論を掲げて実現どころか批判のみに没頭する人の自尊心の昇華遊びは見ていて気の毒。というよりメンドクサ。

ニヒリズムもシニシズムももしかすると成仏できない幽霊なのかな。

投稿: imomusikozo | 2007/12/02 21:48:30

こんにちは。 全日本私立幼稚園PTA連合会 全国大会で茂木さんの
講演を聞いていた一人です。
先日はとても楽しく興味深い講演を聞く事ができて良かったです。
ありがとうございました。

子どもに対しての接し方で『目を見てあげると子どもは安心する』と言う、簡単な事なのに私は出来ていなかったと反省致しました。
またコンピューターゲームの事で思った事は、《工夫して遊ぶ事が出来ない》まさにその通りなんです。応用が出来ないんですね。

実はこの大会に行くのは正直面倒だなぁ(スミマセン)と思っていたのですが、テレビでしか見た事のなかった政治家の方々、茂木さんのお話を聞けて良かったと思いました。ありがとうございました。

投稿: かんちゃん | 2007/12/01 17:09:43

夕方、仕事先近くの公園を歩くと、無数の赤や黄色やベージュに色づいた落ち葉が落ちており、積み重なって、無機質な公園の地面を美しく染め上げていた。

公園の地面を赤や黄色に染めている落ち葉たち。春に生まれ、夏に青々と茂っていた木の葉は、命尽きて、地面に落ち、朽ち果てるのを待っている。

死んだものたちが積み重なり、地面を美しく装飾し、やがてボロボロと朽ちて風化し、素粒子の一つ一つと化していくのだ。

まだ中学生だった頃「賢愚の差は髪の毛一本の太さしかない」というある人の言葉を聞いて、長い間「馬鹿、ガマ」などといじめられて劣等感に苛まれていた心に、幾許かの光が差したことを覚えている。

茂木さんの言われるように、生きる生命と死せる生命、美醜と賢愚、豊かさと貧しさ…この世界のもろもろは、全てフラットな線上に並ぶものなのかもしれない。

今のこの世は何処へいっても虚無的な空気が広がっていて、それが人の心の隅々にまで染みこんでいるように見える。町のあちこちを歩いていると、そこいらから聞こえるノイズの中に、ニヒリズム、シニシズムが顔を覗かせている。小さな差異にこだわって生きている人が多くなっている。

そんな虚無と冷笑の漂う中で、生命のかけがえのなさを叫び続ける茂木さんのような人こそが、人々が詰まらぬ差異にこだわり、心が砂漠化しゆくこの世の中で、強い光を放っていくのに違いない。


投稿: 銀鏡反応 | 2007/11/29 23:17:25

かもめが帰ってきた。
鉛色の空の下、風が吹く強さとかもめが向かっていく強さが同じで、
かもめがホバリングしてるように見えた。

でもすぐに、かもめは風と遊びはじめた。風にわざと流されてみたり、全身で風をすいすいきってみたり。あいさつしてるようにも
おちょくってるようにも、見えた。

そんな様子を、とても楽しい思いで見続けた。
けれど、かもめも風も、私のことなどまったくどうでもよいようだった。どうでもよいとほっとかれることが自由に感じた。

地上から眺める私はかもめと風の眼中にない。それが心地いい。

~フラットな時間だった。~

投稿: おおはたみやお | 2007/11/29 14:49:49

>素粒子の運動としては、連続しており、何の断層もない。
>私とあなた、生と死、喜びと哀しみの間には
>無限の距離があるかのように見える。
>だが実は、全てはフラットであり、等価なのだ。

とても知的な捉え方ですね。
仏教的に考えれば、縁起であり無我であり。
私はこんな抹香くさい言い方しかできません。
大我的な視点でマクロもミクロも観自在に見渡せる
パースペクティブを持ちたい。
無我なればこそ観自在。
私という小我に囚われている間は見えない。気づかない。
(世界を客観視できない)

ふと藤村操の
「大いなる悲觀は大いなる樂觀に一致するを。」
という言葉を思い出しました。

「悲しみはどちらかと言えば快楽に属するんだよ。」
と、昔ある青年にも言われたのですが、私にはまだわからない。
まだ宿題です。
わかりそうでわからない。もどかしい。
けれどこの中間状態(inter-est)が面白いです。


・・・こういう表現は科学者の先生はお嫌でしょうか?
すいません。こういう言い方しか出来ないもので。。

投稿: pteron | 2007/11/29 10:36:26

こんにちわ

>一つの有機的組織体がこうして
朽ちて行くのである。

>素粒子の運動としては、
連続しており、何の断層も
ない。

高専の時、意地悪好きの物理の教官が、机を指さしながら、「この机は何で出来ている? 分かる者。」と、クラスのみんなが答えられなかった。数日後、「陽子、中性子、電子で出来ている。」と、気づいた。

その時、答えられなかった自分に、くやしいぃ~!!!!(^^)

投稿: tain&片上泰助 | 2007/11/29 9:55:30

無意味の大海の上に在る私達は、人生の意味を問う。
しかしその大海に人生の意味を問うても、無情にも
【人生】
(1)人間がこの世に生きている期間。人の一生。
(2)人間がこの世に生きていくこと。
大辞林より
以上の意味はない。
ヴィクトール・フランクルが、
「人生とは何かと問うのではなく、人生から私たちが問われている」
と言っているが、
「無意味の大海の上にこの身をかろうじて捧げ上げる。」ことに何の意味があろうかと問う者にはその言葉の意味以上の答えは与えられない。
「無意味の大海の上にこの身をかろうじて捧げ上げる。」ことこそが人生の意味そのものであるから。

投稿: K.K. | 2007/11/29 9:55:05

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