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2007/10/17

ニル・アドミラリ

私は、
漱石の『それから』
でnil admirariという
言葉を覚えた。

そう簡単には驚いたり、
感心したり、動かされたり
しないというのは
人生に慣れ、擦れ、
一種の堕落した魂の
態度のようにも
思えるが、「ニル・アドミラリ」の
処方の仕方に
よっては賞賛に至るしきい値を
上げ、より高きを求める原動力
にもなりうる。

そもそも、
人生を豊かなものにするための
必須の条件は、世の中にいかに
高き嶺があるかということを
知ることではないか。

簡単にはその高みには
行けないからこそ、
そのような上目使いを続ける
からこそ、
育まれる精神性がある。

私は、結局、そういう人しか
信用しないようだ。

 彼は通俗なある外国雑誌の購読者であつた。其中のある号で、Mountain Accidentsと題する一篇に遭つて、かつて心を駭かした。夫には高山を攀ぢ上る冒険者の、怪我過が沢山に並べてあつた。登山の途中雪崩れに圧されて、行き方知れずになつたものゝ骨が、四十年後に氷河の先へ引懸つて出た話や、四人の冒険者が懸崖の半腹にある、真直に立つた大きな平岩を越すとき、肩から肩の上へ猿の様に重なり合つて、最上の一人の手が岩の鼻へ掛かるや否や、岩が崩れて、腰の縄が切れて、上の三人が折り重なつて、真逆様に四番目の男の傍を遥かの下に落ちて行つた話などが、幾何となく載せてあつた間に、錬瓦の壁程急な山腹に、蝙蝠の様に吸ひ付いた人間を二三ヶ所点綴した挿画があつた。其時代助は其絶壁の横にある白い空間のあなたに、広い空や、遥かの谷を想像して、怖ろしさから来る眩暈を、頭の中に再現せずには居られなかつた。
 代助は今道徳界に於て、是等の登攀者と同一な地位に立つてゐると云ふ事を知つた。

 『それから』で、代助がマウンテン・
アクシデンツに関する外国雑誌の記事を
読むこの箇所は、
高みを目指す者の栄光と危険を
大助の一身上の魂の危機とともに
描き出す。

麹町の日本テレビで撮影。

住吉美紀さんと
同期だという森富美アナウンサー
にお目にかかる。

NHKと日本テレビと局は違うが、
アナウンサーというのはいろいろな
局を受けるので、お互いに顔を
知っているのだという。

NHKで『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録。
自閉症支援にたずさわる服巻智子さん
にお話をうかがう。

お昼を食べる暇がなかったので、
自動販売機でサンドウィッチを買った。
いろいろ値段を比べて、
一番高い240円の
「目玉焼きサンド」にした。

スタジオ前のソファに座って
食べていたら、
有吉伸人さんが前に座った。

なんとなく、ひもじそうな
気配がしたので、
「有吉さん、一個どうですか?」
と聞くと、
「いや、いいです」
という。

遠慮しているのかな、と思ったら、
体調を整えるために
食を断っているんだという。

もののあはれを感じる。

サンドウィッチをもぐもぐ
食べて、それから、人間の脳の多様な
あり方について服巻さんとお話する。

築地市場に近い
時事通信社ホールにて、
理化学研究所脳科学総合センター(BSI)
10周年の講演会。

http://www.noukagaku10.jp/program/session5.html

脳と芸術の関係について考えた。

芸術家は自らの体験を特権化、
ブラックボックス化しがちであり、
一方科学者の言説は時に
あまりにも単純に割り切るように
見える。

しかし、科学者の言説の背後には
膨大な量の実験と思索があり、
また芸術家のメソッドには科学に通じる
方法論が隠れている。

両者の汽水域に棲まう不思議な
生きものたちの姿を見きわめる
ことは、まずは違和感を味わい、
衝突し、融合し、古い自己を喪失
することから始まるしかない。

座右の銘とすべきは、
中途半端な異分野交流では満足
しない
ニル・アドミラリの精神である。

たとえ危険にさらされるとしても、
高い山に登らなければならない。

10月 17, 2007 at 08:44 午前 |

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コメント

空が高くなりましたね。
こんなに空間が広くなったら冷えてくるのが
当たり前な気がします。

ワインは45年目の熟成を迎え、
味わいはより深くなったところでしょうか。

私は味音痴なので、
最初はどんな高級なお酒も、
「はて、これは評判ほどなのだろうか?」
と思ってしまいます。

ですがその後にいつものものを飲むと、
差に驚くという次第です。

困ったことに、よくわからないままに、
舌が肥えてしまうのです。

ちょっとした贅沢ですね。

色々なことも
暗黙の内に引き上げてしまえば
いいのだと思います。

上を見つめるは心構えがおいつかず、
自意識と克己とで、まとめて
わやくちゃになってしまいますが

その中には本来なら見つめているだけで
自然と吸収できることも多々あるのだと
思います。

それが「恵まれる」ということと
「恵む」ということ
なのかなあと思います。

美術館に行った後や
先生の日記を読んだ後などに
よく、そんな気持ちになります。

多分、私は色々と
贅沢なのだろうと思います。

投稿: moko | 2007/10/21 21:57:43

人も動物も、より高い次元のことを覚えてしまったら
容易なことでは逆戻りできない、
可逆的ではない発達の仕方しかできないのでしょうか?
常に高みを目指して流れていくことしか
できないようになっている。。。
知ってしまったことを、
知らなかったことにはできないような。

今、こうしてキーボードを叩く一瞬一瞬さえ
後戻りすることなく、これからの私の一部に
なっていくのかと思うと
日常で底光りしているモノのカワイイ尻尾がチラッと
見えた感じがします。
茂木さんならもっと的確で繊細に言語化される
のでしょうね。
今の私には、こんな没っぽいコメントで精一杯(笑)!

小さな布の袋いっぱいに拾い集められた
どんぐりを見ました。
みんみんの大合唱がかすかに聞こえてきました。
私の耳にだけ(笑)!

投稿: まり | 2007/10/20 0:26:40

 うまく説明できないのですが、ブログを読み終え、仕事をしながらつらつらとブログの内容のことを考えていたら、確かに問題もあったのですが、父が自分に伝えようとしていたことのエッセンス(もう一つの教育のような)に急に合点がいき、ふと涙がこみあげてきました。

 すごく良い原稿を読ませて頂き有難うございます。。

投稿: Taira Ando | 2007/10/18 23:40:57

二度目の投稿失礼します。

「文化開墾」と言う言葉、思いついた時、科学者は何を開墾しているのだろうと思った。「人類の確信」を開墾しているのではないかと思った。

アイディアは、自己肯定と自己否定で生まれる?(^^)

投稿: tain&片上泰助 | 2007/10/18 3:51:05

ある人が登山家に問うた。
「何故、山に登るのか?」
登山家はこう答えた。
「そこに、山があるからだ」

危険を顧みず、死の覚悟を胸に秘めて山を上りつづける登山家のこの言葉を、きょうの日記を読んで思い出した。

その登山家と、科学や芸術などの世界で高みを目指す人の心意気は、魂の危機を怖れないと言う意味では、まさに同じものなのに違いない。

ニル・アドミラルの精神が少しでもあれば、死をも恐れず高みを目指していける。私のような素人は、それがなかなか、難しいのだけれど…。

ところで、きょうの日記とは直接関係ないかもしれませんが

“浅きを去って深きにつくは丈夫の心なり”という言葉を親から教えてもらった記憶がある。

容易に高い山には辿り着けないかもしれないが、楽な道は歩きたくない。
高みを目指すには困難な道は、避けては通れない。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/10/17 22:20:23

オリンピックで、金メダルをとったものしか見えない世界があるのだろう・・・。


新しい自分を追いかけ、新しい自分を見つけたとき、新しい世界が見えてくるのではないでしょうか?

投稿: tain&片上泰助 | 2007/10/17 13:43:09

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