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2007/10/24

脳科学の現在とテクノロジーの未来

Lecture Records

茂木健一郎
『脳科学の現在とテクノロジーの未来』

講演
中島秀之学長との対論
質疑応答

2007年10月22日(月)
はこだて未来大学

音声ファイル(MP3, 86.5MB, 94分)

10月 24, 2007 at 08:03 午前 |

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» ドーパミン(3) トラックバック 大きな国で
脳の中におけるドーパミンの挙動が ニンゲンの行動を決定づけるようだ。 ドーパミンは サプライズに放出される。 新しいこと、珍しいもの、うれしいものに反応する。 それと併せて、フォーマットされた定番にも反応するといわれる。 いつもあることと未知なことに反....... [続きを読む]

受信: 2007/10/25 10:03:27

» 茂木健一郎 『脳科学の現在とテクノロジーの未来』を聴いた トラックバック 森蔵ブログ
(ちょっと雑な文章になってしまっています。ちゃんと書こうとすると時間が掛かっちゃいそうだってので><) はこだて未来大学で行われた講演。茂木氏と中島 秀之学長の対談の中で自由意志に関して少し触れた。また、質疑応答でも自主性を同説明するかという質問があった。...... [続きを読む]

受信: 2007/11/15 23:46:08

コメント

mp3聞きながら読書三昧しております。

サバンの子の機械的に描く写実的な絵が上手いかどうかについ触れていらっしゃいましたね。

ちょうど今読んでいる本「センガイの○△□」(弦書房・中山喜一郎)に、センガイさんの画力について述べている箇所があります。センガイさんは禅僧で、落書きの様な水墨画を描くのですが、それについて筆者の中山喜一郎氏は、

「技術とは目的を達成する為の最良の方法を知っていること、それを使いこなす意志のことである。絵画で具体的に言えば、明晰な脳につながった眼と手が無駄無く働くことである。本物そっくりに描いている画がすべてうまい画であるとは限らない。はっきりした自覚と意図をもって、その意図を伝えるための最良の方法と手段とが駆使されている「曲芸図」とは、写実ではないし密画でもないが、うまい絵なのである。」

みんな同じことを思うのだなあ、うまいこと言うなあ。そう思いました。そして、茂木先生の言う、脳をいかにうまく編集して描くかについて語っていることと丁度同じだなあ思いました。

更に以下の様にも続きます。

「このようにくどくど説明しなくても、「曲芸図」は確かに上手であると感じてもらえるだろう。」

この一文は、筆者の、センガイさんがとにかく大好きだという気持ちに溢れていて、ラブリーだなあと微笑ましく思えました。

長谷川敏彦氏は(誰だろう?)「仏教の中には、今日の極端な客観主義と相対的主観主義の間の劇的な哲学的対立を解決する鍵が存在する」(「理想」1985年12月号)と述べています。これは最近の私のお気に入りの一文なのですが、

中山喜一郎氏はセンガイさんに対する、徹底した客観的事実を述べているというのに、「そんなことじゃなく、とにかくいいんだ!」と同時に相対的主観主義にどっぷりと浸るアンビバレンス(先生のmp3を聞いて今日覚えたのですが、使い方あっていますか?)があって、とてもいいなと思いました。せっかくの客観的事実を一気に打ち消してしまうほどの、「とにかくいいんだ!」論は、なんだかハッピーな気分になれます。

同時に、ああ、そうそう、茂木先生もそうだよなあと思いました。徹底した客観的事実をあらゆる知から提起しながら、同時に「それもあるけど、とにかく好きなんだ!」がにじみ出る相対的主観主義の主張もする、そんなアンビバレンスの熱さがあると思っています。

先生は常に変化していて、たとえば以前は「過去を振り返るのは脳にとって意味が無い」と言いながら、苦しそうで、喉につかえているようで、でも最近は、「過去は育むことができる」へと変化していて、なんだかノビノビとした表現に変わったような気がしました。

ここ数日にも、講演中に、同じこれらのテーマを話しながら、回を重ねる毎に、変化していて、最後(?)の芸大付属での講演では「聖なるものは育まれるからできる。」になったときには、凄いなあ、先生が一種美しいものに到達したなあと感心しました。最近、一番の名講演だったんじゃあないかしらん(と未来大学の講演会のコメントで書くという私の無茶苦茶は許してください)

職業として語るということに、こういった効能があるのか、母校への感謝と思い出がそれをさせたのか、それにしてもこういった変化をするものなのかあ。いいなあ。客観主義と相対的主観主義とが、互いが互いを引きよせ成長させる姿が見れたような気がして、ちょっとラッキーと思っています。これを手法として今度自分に応用してみようと思います。

まあ、今回はこだわって一気に聞いたからこそ、私にとって面白くてしかたなかったのかもしれません。そして客観主義<相対的主観主義の方が私は安心するようです。もちろん、面白さは、客観主義が究極的に知に長けていてこそですが。

サバンの子の絵が上手いかどうかから、アンビバレンスの熱さまで、関係ないようで、関係がある、たぶん、そんなことから、そんなことまで、色々と、そんな、なんですよ。たぶん。きっと。なんとなくw

投稿: toro | 2007/10/28 3:08:56

こんにちわ

ご講義ご苦労様です。

記憶と時間の事が出てきましたが、たとえば、ピアニストが一曲弾いて、「今回の演奏はどうでしたか?」「今日は良い演奏が出来た。」と、言うとき、ピアニストの一曲の記憶はどうなっているのか、面白いのではないでしょうか?


小説や、将棋囲碁などは、テンポを速められます、曲の場合、テンポつまり、時間的間合いも必要です。ピアニストの場合、記憶の再生が実時間より速く再生でき、なおかつ、実時間と同じ感覚を持っている事になり、加速時間軸のようなものが考えられます。

スポック博士は、エンタープライズ号がワープするとき、星にぶつからないように、頭の中で計算する、実時間とイメージ時間軸を持っているのかも?(^^)

投稿: tain&片上泰助 | 2007/10/24 16:51:32

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