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Lecture Records
池上高志、茂木健一郎
『熊楠の頭の中』
和多利恵津子さんによるイントロダクション 池上高志のtalk 30分 茂木健一郎のtalk 30分 池上高志、茂木健一郎の討論 30分 会場との討論 30分
2007年10月28日(日) ワタリウム美術館
音声ファイル(MP3, 121.9MB, 136分)
10月 29, 2007 at 09:19 午前 | Permalink
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今日も偏頭痛を薬で騙しだまし、仕事してきました。 実は、今年は偏頭痛のあたり年です(笑)。 うーん、うーんと床にころがっているうちに 眠ってしまい、今、目が覚めました。。。 くだらないコメントでも、書き残してしまうと 頭のどこかに、結構しっかり保管されてしまうようですね。
昨日の自分のコメントのことをグルグルと無意識で 考えていたらしく、目覚める時の夢うつつの状態で 源氏の「なくてぞ人の恋しかりける」をパッと 思い出してしまいました。 せっかくひらめきのように思い出したのに 夜中で、なんだかクヤシイので、 しつこいのを承知で、またコメント書いてます(笑)。
今の自分にとって価値の見出せないものであっても きっとそこには茂木さんが仰っていらしたように 何か意味があるのだろうから、 失ってから気付いては遅いんじゃないかと 小人が囁いてくれたようです。
ある時はありのすさびに語らはで恋しきものと別れてぞ知る
また源氏を読みたくなってきました。 あれは現代語で読んでも副作用が出てしまうので やっかいなんですが。。。 いつもの頭の中の独り言にさえ、意味もなく 二重敬語を使ってしまったりする!! まどろっこしくて考えがなかなか先へ 進まない。。。(笑)
調子出てきました♪夜中なのに。。。!
投稿: まり | 2007/11/06 2:06:19
皆さんのコメントの「楽しい」「スゲー!!」「面白い」「すごい」に ひかれ、これから聞いてしまいました(笑)。
「芸術の本質はうまく『サヨナラ』すること」が 高校生の頃に読んだ『いきの構造』につながりました。 「執着を離れると自由に感じる」と以前書いてしまったのですが、 今でも、そう思っています。
運命に対する知見に基づいて執着を離脱した無関心
「無関心」は、世知辛い、つれない浮世の洗練を経て すっきりと垢抜けした心、現実に対する独断的な執着を 離れた瀟洒として未練のない恬淡無碍の心
茂木さんは「無関心」はお嫌いかもしれませんが 苦しーいところを乗り越えた先にある 「粋」のメルクマールとしての「無関心」に 私はちょっと憧れてしまいます。 こんな無関心なら、俯瞰の視点を含んでいるような気がするのてす。 地上をパッションに任せて這いずり回った、その後で 自分が関わってきたものの正体を見わたそうとする冷静な視点。
多様性を引き受ける、頭で理解したフリを しておくこともできる、でも現実に目の前に 現れてくる多様なものたち、それぞれの存在を 本当に価値のあるものと自分の心に信じさせるのは 大変なことですね。自分の存在さえままならないのに。 無理して「多様性多様性…」とお題目のように 唱えることなく、七十歳を超えた孔子のように なれるのはいつのことでしょう? 明日かもしれないし、百年後かもしれないし 偶有性にも任せつつ、現実と「安易な妥協」ではない折り合いを つけて生きていけるよう努力していきます(笑)。 最近の私は言うことが二転三転して 飛鳥川なヤツだ、と実は、ちょっとしょげていますが。 隠蔽もコンシーラーも「粋」ですね! 「野暮と化物とは箱根より東に住まぬ」って 住んでいて、ごめんなさーいです。
8歳児、池上さんのエボデボも三葉虫も場慣れした5歳児、茂木さんの 凶器攻撃に押し切られて(?)尻切れトンボっぽいのが残念です。 また対談などの予定がありましたら ぜひ、早めに教えてくださいね! いつもギリギリなんですもん。。。(笑) よくよく考えたら私の百鬼夜行なミミズ・コメントを いちいち承認して下さっている茂木さんも実に不思議な方です(笑)。
投稿: まり | 2007/11/04 18:00:58
ながら、で聴き通しました。
音声だけだとやはり伝わるものが少ないとう印象でした。面白いことに、録音されているバイクの吹かし音などから、会場について、想像をたくましくできました。
茂木さん、TVなどよりハイな状態であられたように思えました。
熊楠の再評価というか紹介は、朝日新聞が初めて行なったように記憶します。お二人が議論しておられたようなこの天才の本質よりも、面白い天才が和歌山にいたというような表面的なものだったようです。今でも「Natureに出た」、などとやっているが、「欧米か?」。
『十二支考』は一応持っていますが、展開する主題の一々が驚異的な教養を要求するもので、専門家にしか理解できない代物と思いました。
伝記で印象的なことは、彼が本を読ませた相手に「なぜ全部記憶できないの? もっと真剣に読んでくれ」と、泣いて諭したとうくだりでした。トンガリを失わないお二人が共感される原点ではないかと思う。
投稿: fructose | 2007/11/02 0:22:16
はずかしながら…
昨日やっと、 音声ファイルの開き方を奇跡的に発見?し、 (めちゃくちゃスローにパソコン操作学習中) talk&討論、聴かせていただきました。 たのしかった! いつかは会場に(遊び)に行きたいです。 いい休日になりました。 さあ、家事&仕事、がんばるぞ。 そしてその合間をぬって、 夢、かなえるために、がんばるぞ。
投稿: たかはしまきこ | 2007/10/31 13:28:51
キターーーー!!カッコイイ!スゲー!!エンジンの凄まじさにゾッとしました。これは惚れる!惚れ直すw!こういうのが好きなんです。竹内さんとの対談を思い出します。先生がお友達と話すときのリミッターを外した思考質量に久々呆然としました。なるほど、先生が「お友達」と呼ぶ人の水準になると、先生のモードが全然変わるんですね。カッコ良すぎですw。これは無理、無理とは思ってましたが水準の格が違った。お二人の会話の、この問いの間に、私は答えを返せない。暗示的アウェアネスすら間に合わないなんて、今の私にはとても無理です(←未来というささやかな希望にはしがみついく)。
先生が世間にどれほど合わせているかもわかりました。普段は相当あわせているんですね。これはもったいない。幼い頃から感じているピアプレッシャーのストレス、今更ですが実感として確かにわかりました。お疲れ様です。
文章や、講演会だけでは、なんだかもったいない。お友達との飲み会の議論、このモードをもっともっとmp3にあげて欲しいです。そんなもの凄い欲に襲われました。私もこの水準に慣れたい!もっと触れたい!この質が存在することを世間はもっと知って欲しい。ただの言葉の談合を脳内自動操縦的に早口に話して、自らの知性を信じている輩に見せてみたい。
先生の芸術性と呼べる要素は、長い数式を何ページにも渡って解くかのような、論理を次々と、展開することによってものすごい前進感を与える心地よさにもあると思います。その怒濤のごとくの勢いの言葉が、先生の思考にはとても追いついていない感も与えるのだからまた凄い。怪物みたいw
声で聞くとホントいいですね。その分岐を肯定してしたら、更にどう展開していたのだろうかとか、棋譜を幾つも考えるのに似て楽しい。一番気に入ったのは、「猿が飛べるようになると思うか?」「どうすればいいと思う?」で、それが諦める理由にならないことですね。本当に、どうすればいいのかなあ。先生はどうすればいいと思いますか?人間の限界をどうにかする、かあ。霊長類のヒトは100年前に空を飛びました。恐竜は始祖鳥が飛びましたね。この違いは何なのでしょうか。
飲み会では議論はどう続いたのですか?直言もいいですが、たまには優しくもしてあげてください。今回は時間が短くて残念でした。またどうぞよろしくお願いします。
投稿: manbo | 2007/10/31 4:38:38
私は、南方熊楠のことは粘菌学者位の知識しかありませんでしたが、今先生方の音声ファイルを途中まで聞いて彼は変人ではなく天才だと確信しました。われわれの生命の源を考えるとき、あの時代,菌が有機生命体の最小だったとおもいます。 (ウィルスはまだ発見されていなかったのではないでしょうか。) 遺伝情報が解明され、われわれ人間も体内(子宮内)において進化の過程を繰り返しています。 突然変異によって人類が誕生したことを考えると、彼の推論は正しかった。 すごい南方熊楠!! さらに先生のファウストのお話から魂とは、ギリシャ神話が言いえているのかと、ふと思いました。
投稿: s.matsui | 2007/10/30 18:09:29
こんにちわ
茂木さん、池上さん、討論ご苦労様です。
二人の討論がまるで小気味好い漫才ライブのようで、面白かったです。
これは、科学漫才ライブを興行出来るな!!と、思ったけど、もう興行状態ですね。(^^)
投稿: tain&片上泰助 | 2007/10/30 0:51:14
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
今日も偏頭痛を薬で騙しだまし、仕事してきました。
実は、今年は偏頭痛のあたり年です(笑)。
うーん、うーんと床にころがっているうちに
眠ってしまい、今、目が覚めました。。。
くだらないコメントでも、書き残してしまうと
頭のどこかに、結構しっかり保管されてしまうようですね。
昨日の自分のコメントのことをグルグルと無意識で
考えていたらしく、目覚める時の夢うつつの状態で
源氏の「なくてぞ人の恋しかりける」をパッと
思い出してしまいました。
せっかくひらめきのように思い出したのに
夜中で、なんだかクヤシイので、
しつこいのを承知で、またコメント書いてます(笑)。
今の自分にとって価値の見出せないものであっても
きっとそこには茂木さんが仰っていらしたように
何か意味があるのだろうから、
失ってから気付いては遅いんじゃないかと
小人が囁いてくれたようです。
ある時はありのすさびに語らはで恋しきものと別れてぞ知る
また源氏を読みたくなってきました。
あれは現代語で読んでも副作用が出てしまうので
やっかいなんですが。。。
いつもの頭の中の独り言にさえ、意味もなく
二重敬語を使ってしまったりする!!
まどろっこしくて考えがなかなか先へ
進まない。。。(笑)
調子出てきました♪夜中なのに。。。!
投稿: まり | 2007/11/06 2:06:19
皆さんのコメントの「楽しい」「スゲー!!」「面白い」「すごい」に
ひかれ、これから聞いてしまいました(笑)。
「芸術の本質はうまく『サヨナラ』すること」が
高校生の頃に読んだ『いきの構造』につながりました。
「執着を離れると自由に感じる」と以前書いてしまったのですが、
今でも、そう思っています。
運命に対する知見に基づいて執着を離脱した無関心
「無関心」は、世知辛い、つれない浮世の洗練を経て
すっきりと垢抜けした心、現実に対する独断的な執着を
離れた瀟洒として未練のない恬淡無碍の心
茂木さんは「無関心」はお嫌いかもしれませんが
苦しーいところを乗り越えた先にある
「粋」のメルクマールとしての「無関心」に
私はちょっと憧れてしまいます。
こんな無関心なら、俯瞰の視点を含んでいるような気がするのてす。
地上をパッションに任せて這いずり回った、その後で
自分が関わってきたものの正体を見わたそうとする冷静な視点。
多様性を引き受ける、頭で理解したフリを
しておくこともできる、でも現実に目の前に
現れてくる多様なものたち、それぞれの存在を
本当に価値のあるものと自分の心に信じさせるのは
大変なことですね。自分の存在さえままならないのに。
無理して「多様性多様性…」とお題目のように
唱えることなく、七十歳を超えた孔子のように
なれるのはいつのことでしょう?
明日かもしれないし、百年後かもしれないし
偶有性にも任せつつ、現実と「安易な妥協」ではない折り合いを
つけて生きていけるよう努力していきます(笑)。
最近の私は言うことが二転三転して
飛鳥川なヤツだ、と実は、ちょっとしょげていますが。
隠蔽もコンシーラーも「粋」ですね!
「野暮と化物とは箱根より東に住まぬ」って
住んでいて、ごめんなさーいです。
8歳児、池上さんのエボデボも三葉虫も場慣れした5歳児、茂木さんの
凶器攻撃に押し切られて(?)尻切れトンボっぽいのが残念です。
また対談などの予定がありましたら
ぜひ、早めに教えてくださいね!
いつもギリギリなんですもん。。。(笑)
よくよく考えたら私の百鬼夜行なミミズ・コメントを
いちいち承認して下さっている茂木さんも実に不思議な方です(笑)。
投稿: まり | 2007/11/04 18:00:58
ながら、で聴き通しました。
音声だけだとやはり伝わるものが少ないとう印象でした。面白いことに、録音されているバイクの吹かし音などから、会場について、想像をたくましくできました。
茂木さん、TVなどよりハイな状態であられたように思えました。
熊楠の再評価というか紹介は、朝日新聞が初めて行なったように記憶します。お二人が議論しておられたようなこの天才の本質よりも、面白い天才が和歌山にいたというような表面的なものだったようです。今でも「Natureに出た」、などとやっているが、「欧米か?」。
『十二支考』は一応持っていますが、展開する主題の一々が驚異的な教養を要求するもので、専門家にしか理解できない代物と思いました。
伝記で印象的なことは、彼が本を読ませた相手に「なぜ全部記憶できないの? もっと真剣に読んでくれ」と、泣いて諭したとうくだりでした。トンガリを失わないお二人が共感される原点ではないかと思う。
投稿: fructose | 2007/11/02 0:22:16
はずかしながら…
昨日やっと、
音声ファイルの開き方を奇跡的に発見?し、
(めちゃくちゃスローにパソコン操作学習中)
talk&討論、聴かせていただきました。
たのしかった!
いつかは会場に(遊び)に行きたいです。
いい休日になりました。
さあ、家事&仕事、がんばるぞ。
そしてその合間をぬって、
夢、かなえるために、がんばるぞ。
投稿: たかはしまきこ | 2007/10/31 13:28:51
キターーーー!!カッコイイ!スゲー!!エンジンの凄まじさにゾッとしました。これは惚れる!惚れ直すw!こういうのが好きなんです。竹内さんとの対談を思い出します。先生がお友達と話すときのリミッターを外した思考質量に久々呆然としました。なるほど、先生が「お友達」と呼ぶ人の水準になると、先生のモードが全然変わるんですね。カッコ良すぎですw。これは無理、無理とは思ってましたが水準の格が違った。お二人の会話の、この問いの間に、私は答えを返せない。暗示的アウェアネスすら間に合わないなんて、今の私にはとても無理です(←未来というささやかな希望にはしがみついく)。
先生が世間にどれほど合わせているかもわかりました。普段は相当あわせているんですね。これはもったいない。幼い頃から感じているピアプレッシャーのストレス、今更ですが実感として確かにわかりました。お疲れ様です。
文章や、講演会だけでは、なんだかもったいない。お友達との飲み会の議論、このモードをもっともっとmp3にあげて欲しいです。そんなもの凄い欲に襲われました。私もこの水準に慣れたい!もっと触れたい!この質が存在することを世間はもっと知って欲しい。ただの言葉の談合を脳内自動操縦的に早口に話して、自らの知性を信じている輩に見せてみたい。
先生の芸術性と呼べる要素は、長い数式を何ページにも渡って解くかのような、論理を次々と、展開することによってものすごい前進感を与える心地よさにもあると思います。その怒濤のごとくの勢いの言葉が、先生の思考にはとても追いついていない感も与えるのだからまた凄い。怪物みたいw
声で聞くとホントいいですね。その分岐を肯定してしたら、更にどう展開していたのだろうかとか、棋譜を幾つも考えるのに似て楽しい。一番気に入ったのは、「猿が飛べるようになると思うか?」「どうすればいいと思う?」で、それが諦める理由にならないことですね。本当に、どうすればいいのかなあ。先生はどうすればいいと思いますか?人間の限界をどうにかする、かあ。霊長類のヒトは100年前に空を飛びました。恐竜は始祖鳥が飛びましたね。この違いは何なのでしょうか。
飲み会では議論はどう続いたのですか?直言もいいですが、たまには優しくもしてあげてください。今回は時間が短くて残念でした。またどうぞよろしくお願いします。
投稿: manbo | 2007/10/31 4:38:38
私は、南方熊楠のことは粘菌学者位の知識しかありませんでしたが、今先生方の音声ファイルを途中まで聞いて彼は変人ではなく天才だと確信しました。われわれの生命の源を考えるとき、あの時代,菌が有機生命体の最小だったとおもいます。 (ウィルスはまだ発見されていなかったのではないでしょうか。) 遺伝情報が解明され、われわれ人間も体内(子宮内)において進化の過程を繰り返しています。 突然変異によって人類が誕生したことを考えると、彼の推論は正しかった。 すごい南方熊楠!! さらに先生のファウストのお話から魂とは、ギリシャ神話が言いえているのかと、ふと思いました。
投稿: s.matsui | 2007/10/30 18:09:29
こんにちわ
茂木さん、池上さん、討論ご苦労様です。
二人の討論がまるで小気味好い漫才ライブのようで、面白かったです。
これは、科学漫才ライブを興行出来るな!!と、思ったけど、もう興行状態ですね。(^^)
投稿: tain&片上泰助 | 2007/10/30 0:51:14