不味いものをくらい
おいしい弁当を食べている
時に、ふと、なぜ野生動物は
みんなスリムなんだろうと
考えた。
一つの考えが浮かんだ。
それがあまりにも滑稽だったので、
吹き出しそうになった。
進化の過程で、
人間は、料理をすることを
学んだ。
自分たちにとって美味しいものを
加熱し、発酵し、混ぜ合わせ、
寝かせることで作る術を生み出した。
それは「おふくろの味」から始まり、
シェフの超絶技巧にまで至っている。
馬や熊などは、甘いものが
大好きで、与えるとどんどん
食べるという。
野生の動物たちが食べているものは、
実はとてつもなく不味いんじゃないか。
彼らは、「ああ、不味い!」と思いながら、
生きるために仕方がなく
食っているんじゃないか。
焼くこともできねえ、
煮ることもできねえ、
食うこともできねえ。
そう考えると、野生の動物たちが
可哀想で、でも可愛くて、
ぼかあ大いなる連帯の感情を
抱いたなあ。
オレたちは、うまいものを
食べ過ぎているんだよ。
人間は、食べものを残すと
もったいないと罪悪感を抱く。
しかし、野生では、誰かが
残せば他の誰かがいただく
だけだ。
ライオンがシマウマを食べ残せば、
ハイエナがいただく。
ハイエナが残せば、
他のもっと小さなやつらが
いただく。
人間が残飯をモッタイナイと
思うのは、つまりは自らを
自然界の食物連鎖から
切り離して管理しているから
である。
いろいろ反省すべし。
人類。
けいはんなのATRへ。
モニターで柳川透の脳を見る。
丸くて左右のバランスがとれていて、
ほれぼれするような綺麗な脳だ。
柳川透クンの脳
柳川がfMRIの装置に入る。
fMRIの装置に入っていく柳川透クン。
約1時間弱のタスク、ご苦労様。
帰還した柳川は、宇宙飛行士の
ようだった。
「帰還」した柳川透クン。
続いて、
須藤珠水と高川華瑠奈も被験者と
なった。
東京駅に着いたら、ホームに
文藝春秋の大川繁樹さんが
待っていた。
遅れに遅れたゲラ。
本当にすみません。
大川さんと新宿まで行きながら、
いろいろ話した。
私が真っ赤にしたゲラを、
「もう放すまい」とばかり
がしっと手で持つ大川さんが逞しく
見えた。
思えば、
野生の動物たちは、腹を空かせ、
不味いものをくらい、うろうろと
歩いている。
こっちは新幹線の席だって
指定されてテリトリー争いがない
くらいなんだから、
そんな楽をしている分、せいぜい
魂の荒野を行かなくちゃ。
つまりはさ、精神的に、たまには不味い
もんを食って、くちゃくちゃ口の中で
一生懸命噛んで、ほんのりと甘い味が
出てこないか、全身で待ちかまえる。
そうしちゃどうだ?
秋の訪れとともに、何かが
すっと吹き込んでくる。
10月 6, 2007 at 08:34 午前 | Permalink
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コメント
茂木さん。おはようございます。
ふと思い出して、今日またここの部分を、読み返しました。
当時、茂木さんの言っていることに、全く関わりないことを、
コメントしている自分が、滑稽です。
ヒトは、「うまいもの、まずいもの」ではなく、
舌の感覚を、野生の頃のように「食っても平気か、危ないか」に
重点を置くようにしていくほうがよいかもしれない。
最近の、怖ろしいニュースを見るにつけ。
あと、味に関係なく、個人的思い出なんかも、
強烈に「食べたいもの」につながっていくとおもいます。
それが、いわゆる「おふくろの味」とかなんでしょうね。
とても、不思議ですね。
私も、主婦として、我が家から出る食糧の廃棄について率直に調べた結果を、仲間とともに、今度発表することになりました。
茂木さんの、人間の食物連鎖から離れた食べかたというところ、
それで、もったいないという罪悪感につながっていくというところは、
とてもおもしろいですね。
ここにつなげても考えてみたいです。
そして、精神的まずいものについて、
「咀嚼しているうちに、ほんのりと甘い味が、出てくるので、
待ち構える」のは、すてきだとおもう。
うまいものばかりだと、
つまらないでしょうね。きっと。
自然の連鎖から見たら、
人間なんて、仕様のないことばかりが好きな生き物なんでしょうね。
どうしてなんでしょう?
わたしも、もれなくヒトですけど、わからなくて不思議です。
投稿: manngetu | 2008/10/30 9:37:34
初めまして。
たぶん。デイタイムがご近所の、Uriと申します。
ヒトにストレッチをかけるという整体の様な太極導引術
という事をしています。
他人のカラダを触っていると、どうしても自分の計りの
範囲内でその人の内面を探ってしまうので、いつもここ
では、計り知れないスケールに感心し、ほっ!とさせて
貰っております。ありがとうございます。
何日か前に書いた自分の日記と、たまたまテーマが似て
いましたので思わずコメントいたします。
--
季節はあっさり秋っていうか冬かの如く。緑の葉っぱが、
急いで落ち葉にならなきゃいけない事態。
寒いと摂れる水分もうっかり・めっきり減ってしまうし。
「自分に着いてる脂肪は少なくなればなるほど醜いモノ」
と書いてたのは「体脂肪率」という言葉がまだ言われて
いなかった頃読んだ作家・村上春樹氏の言葉だったかと
記憶していますが。
それプラス
自然界にいる動物に「メタボリック」は存在しない・・
自然界には「医者」も存在しない・・
と自分を戒めつつ。
どうか皆様も上手にこの時期を乗り越えますように!と
切に願う自分です。
ふくらはぎの下部と、背中・首の下部分から「冷え」が
入りやすい頃。
お風呂にはのんびり浸かるなど心がけ、去り行く季節を
できるだけ心おだやかに、粛々とお過ごしくださいませ。
--
確かに。ヒトはもっと反省すべしっ!
ではでは。
投稿: Uri | 2007/10/09 23:56:21
阪神大震災の数週間後だったか
駅のホームの窪みの泥水を飲んでいるハトをボンヤリ眺めていた
汚れた水を飲んでもお腹こわさないや、と思った。
以来、息子達には
将来の食糧危機に備え
草が消化できる腸にするべく
しっかり野菜を食べようと訴え、
何を食べればよいか素材が判るように
複雑な調理過程を省いた(手抜き)料理を提供してきた。
バイキング、食べ放題で
でその成果を見ると・・・?
ま、食べきれない量を取ることはないが。
半世紀前までは、貴重品だった砂糖。
代替にチクロまで使っていたのに。
今は、砂糖を含有していないことが
セールスポイントになっていたり。
『本日、大特価』のお菓子を目の前にして
生活習慣病執行猶予中の身で
分別盛りの年齢の私が
必死に我慢する以上に、
子供達、若い人達が
満ち溢れるものを
入手しない選択をするのは
難しいことだとつくづく思う。
投稿: kohana | 2007/10/09 20:55:20
一日一度の遠くの甘みは劇薬で
一日中、心に鳴り響き、
他の甘みを見失わせます。
これはもはや自堕落の領域なのでしょう。
昨日は秋晴れの自然の中、
友人主催、70人という大人数で
スポーツを楽しんできました。
野外でカレーを食べたり、
いろいろな人と知り合ったり、
犬と戯れたり
そんな楽しい時に、ふと劇薬が舞い降りて
一瞬にして心が空へと拡散します。
空はすっかり高くなり、
六時には夕闇が訪れて、
サンダルではもう寒くて
この味わい、この空、この冷えと風の香りは
私の中で一体となってずっと残ってゆくのだなと
感動とはまた異なる、
全ての感覚が一体となる深い印象。
我が利己が欲して止まないものは
感動や印象や
それを明確に捕らえ
次の一歩を模索する
思えば、豊かな人生なのかな。
投稿: puttyo | 2007/10/08 4:14:49
あることを思い出し、ファイルを本棚から取り出したら、
ありました。
「美食が人類を進化させた」・・と言う、日経サイエンスのコピーした記事。論文みたいに見えるのですが、、、論文かな?
偶然のことなのですが、そのファイルと一緒に元NHKアナウンサーの児玉幸太郎さんのエッセーの修了証書が一緒にでてきて、クスって笑ってしまいました。修了した後に感謝の気持ちで一席を設けたらみんなが集まってくれた
り、先生が入院なさってお見舞いに行ったり。と楽しい時をすごさせて
頂きました。先生の奥様が育ててみんなにくださった、ペパーミントで作ったお茶の味は今も鮮明に残っています。あたたかい思い出が
何故か沢山残っています。
・・・おふくろの味を思い出すとき、こころって、ふわ~って
あたたかくなりますね。
インスタント調味料が多く出回り、コンビニ弁当や外食業の繁栄。
でも、、、インスタントでも「おふくろの味」として思い出したときは
やはり「ふわ~」って感じのあたたかさが生まれてくるのでしょうか?
投稿: あすか | 2007/10/07 7:11:50
砂糖を加えないで料理することで甘味が増すことってあるのでしょうか?ちょっと疑問に思いました。
また、たとえば、ハンバーガーを買って一口齧っただけでゴミ箱に捨てたとしますよね。
「市場の論理」でいえば「もったいな~い」ということになるのでしょうが、
「科学の論理」でいえば、最終的に微生物によって分解されて無に帰る(?)ということになるので「もったいなくはない」ということになりますよね。
他にも「健康の論理」「お百姓さんの論理」など色々な視点が考えられる難しい問題だと思います。
投稿: naritoku | 2007/10/06 16:54:38
こんにちわ。
昔すんでいた家で、裏が小さな神社で、ドングリや落ち葉がよく落ちて焚き火をよくやった。そのとき、ドングリを焼いて食べた事があったが、食べられたモノではなかった。栗の渋皮を食べている感じで渋かった。
縄文時代、縄文人はドングリを食べていたと聞いた事があるが、縄文人は大変だったんだなと、思う。一方で、イノシシ、キノコ、貝、魚があったわけだから、ごちそうもあったのである。
ドングリとマツタケ、不思議な組み合わせである。
投稿: tain&片上泰助 | 2007/10/06 14:21:27
以前「風の旅人」という雑誌でゴミ処理場の写真をみた。まだ食べられそうなフランスパンがゴミの中に無造作に捨てられていた。
確かに人間(特に高度に発達した文明世界に住まう、いわゆる文明人なる我々のこと)はうまいものを食えるだけ食い、そのくせけっこう食べ残している。食べ残している癖にもったいないなどといっている。
文明世界では食べ残しはもったいないだろうけれど、自然界には食べ残しなんてないんだものね。
アフリカのサバンナじゃ、ライオンの食い残した獲物は禿鷹やハイエナといった”掃除屋”といわれる動物たちがきれいに食べてくれるし、残ったくずも地中の微生物が見事に分解してサバンナの草たちの滋養になる。象が死んだときもまず最初に掃除屋(といっても、彼らは人間が思い込んでいるように「掃除する」ために巨獣たちの死骸や食い残しを食べている訳ではなく、ひたすら生きているために、仮令こりゃまずいなぁと思いつつも食べているのだ・・・当然ですね)
海では鮫とか歯鯨など、大きな生き物やタコなどの食べ残しや死骸も、海中の小生物やバクテリアがきれいさっぱり始末してくれる。そして最終的には海の生き物のすべてを生かす滋養になる。森も、川も、里山に至るまでも、生物の食べ残しや死骸はみんな最終的にはすべてを活かすための滋養になっていくものだ・・・。
自然界には”食いもんはもったいない”、とか”残飯”というものはなく、すべてがこの食物連鎖というサイクルの中で生き物たちを活かす養分になってめぐってゆくのだ。
しかるに文明世界、特に最近の日本の大都会では、私たちはうまいものを世界中からごまんと集めて、いろいろに工夫を凝らして調理し、おいしそうに食べて、そのくせ残飯をたくさん残している。
普段から肉体的にも”おいしい”思いをしているので、精神的にもついつい”うまいもの”を求めたくなる。「癒し」とか、「やすらぎ」とか「リッチ」とか・・・。
そんなうまいものばかり求めていると、人間、特に現代文明人はますます食物連鎖をはじめとする自然のさまざまなサイクルから外れていってしまうのではないか。
心身ともに「美味いもの」ばかり求めすぎる私たちは、あまりにも”栄養過多”になりすぎている。スリムになるためにも、たまには「途轍もなく不味いもの」を口に含んで咀嚼してみたほうがいいのかもしれない。
投稿: 銀鏡反応 | 2007/10/06 14:04:47
こんにちは。
美味しいもの、いっぱい。いっぱい。
秋ですね。
出されたとおもうと・・・
すぐに。
そんな友のなにげない一コマを、
いとおしいという以外の言葉、
わたしには、みつからない。
じつは、
大切な「宝物」のお友達が、
亡くなったのです。
遠すぎて、遠すぎて、遠すぎて、
とても、実感できない。
茂木さん、
精神という心のパレットに
信じるものという絵の具が
沢山のっているほど、
人生は豊かになる
勝手に。使っていますよ。
茂木さんの言葉の中で、とても、気に入った
大好きな言葉だから。
透明の絵の具って、
あるのでしょうか。
不思議と、
寂しくはありません。
わたしもいつか、
風の一部になれるのだから。
彼のように。
愛するものたち全てを、
胸に抱いて。
透明の風。。。。。。。。。。。。。。。。
元気。元気。
投稿: manngetu | 2007/10/06 10:55:54
味覚も相対的なものということですよね。
コアラがユーカリの献立にうるさいというのは聞いたことがありますが、
ライオンは一番うまい内臓を、ハイエナは赤肉を食べるといわれるように、一応好みのようなものはあるのでしょう。
彼らの視覚情報が人間のそれとは違うように、味覚も違うのかもしれません。
サザエさんのエピソードに
居酒屋で、マスオさんの上司が
「懐かしいなあ昔はこれがごちそうだったんだ」
といってメザシ定食かなにか食べるんですが、いざ口にしてみると「あれ、こんな味だったっけ?」となる。
それを聞いた大将は
「お客さん、舌が肥えちまったんですよ」というのがありました。
つまり人間でも環境によって旨い不味いの基準が変わるわけで。
野生動物の場合は旨いか不味いかどうかよりも「食えた!」という満足感が強いかもしれませんね。
投稿: 斉藤 | 2007/10/06 10:46:56
おもしろいですね。馬や熊やライオンも味覚を感じるんですか?
投稿: 鷲鵜緒 | 2007/10/06 9:54:20