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2007/10/21

入れ替わったとしたら

九州大学
仏教青年会というのは、
帰依した宗教人たちの
集まりかと思っていた。

しかし、そうではなく、実際には
医療や法律などの奉仕活動を
しつつ、寮生活をするのである。

100周年という歳月の
積み重ね。

イベントの運営もすべて学生たちが
やっていて、
その熱意がまっすぐ伝わってきた。

パネルディスカッションの時、
私は、壇上から会場の一人ひとりの
顔を見ていた。

もし、この人の人生と
入れ替わったとしたら。

その人の両親を父、母と
思い、仕事をし、
交友関係を持ち、
もって生まれた姿かたちで
生きていくとしたら。

もしそうだとしたら、
今の私のこの人生とは
異なるものになるとしても、
それはきっと引き受けるに
値する生となるだろう。

そのことが確信された。

「偶有性」には、
規則性と不規則生が入り交じっている
という意味の他に、
「それ以外の状態にもなり得たのに、
現実には今、ここにこうしている」
という含意がある。

どのような状況に置かれても、
偶有性を味い寄り添って
生きていけば、それは
生きるに値する命となる。

そう考えたら、何だか
ワクワクしてきて、
ボクは楽しくなった。

胸の底から、わけのわからないうちに生まれ、
いつかは死んじまう
この地上の生を肯定する気になった。

九州まで来て良かったと思う。

10月 21, 2007 at 09:59 午前 |

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コメント

「それはきっと引き受けるに
値する生となるだろう」

この言葉は面白い。
貴方が相手の生に対して手ごたえを感じた
その実感がこもっているから。
そして、こう言う言葉が生まれる為には
天から与えられた自らの人生もまた肯定している、
貴方がそういう人物であることも意味しているから。

不躾な手紙の様なものです。失礼。

投稿: 雅羊々 | 2007/10/22 5:35:34

生きてる「今」って、すごく大切な時間なのですね☆
それ以外の時間も、もしかしたらそうなのかもしれませんが。

投稿: つか | 2007/10/22 1:13:12

何の罰があたったのか
(イロイロ思い当たることはあるけれど)
今日も偏頭痛でした(笑)。
「明日は絶対、休めない!」と
夕暮れ時にやっとベッドから這い出し
薬をもらいに診療所まで。
一生、偏頭痛とは縁のない状態だって
あり得たかもしれないのに
現実には今、ここにこうしている!

体調が悪いと奇妙な考えも次々に浮かんできます。

私の偏頭痛は、地軸が傾いているようなもの。
この傾きがあるお陰で、夏だの冬だの季節を
堪能できるんだ。
いいんだ!ちょっと斜めだって!!
とか。。。

ついでに「自称」多動症の茂木さんは
地球みたいだ、とか。
ブンブン自転しているのに、
太陽の周りまでまわっちゃうほど元気。

今の時間になって元気になっても
もう寝るだけです。
くやしい。。。。
「ブロマイド」写真、拝見いたしました。
目に☆が入って輝いています!
「苦みばしり度」は…?
おやすみなさい(笑)。

投稿: まり | 2007/10/22 0:44:32

茂木さんの日記を読んでいると、月並みな言葉ではありますが、「生きているのって、それだけで素晴らしいことなんだ」と思います。65億人65通りの人生が今営まれていて、過去には想像もつかないほどの膨大な数の人生がある・・。「それ以外の状態にもなり得たのに、現実には今、ここにこうしている」ことを大切に、そしてそのことが最善なのだと思えば、毎日機嫌よく過ごせますね。

投稿: | 2007/10/21 12:28:13

もし他人の人生と自分の人生が入れ替わったとしたら、ということは私はあまり考えない性質だけれども、今あるこの人生を充実して生きていきたい、という思いはいつもある。

何が起こるか分からない我が人生。思いも寄らぬどん底に行く時もあるだろうし、輝かんばかりの光輝に包まれる幸せなときもある。

そんな山あり谷ありが人生には当たり前だということを肯んじて、生きて生きて行き抜くのはとても大事なことだと思っている。

さらにそんな人生を「何に使っていくか」ということも…。

私個人としては、どうせ今ある人生を受け入れ、生ききっていくなら、どんな分野でもよいから、世のため人のため(古いかもしれないけれど…)に我が人生を使っていきたい、と思う。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/10/21 11:57:31

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