かけがえのない鑑
世田谷区下馬。
東京学芸大学附属高校の
校門の前に立ち、
正面玄関から入っていくと、
脳の中が温かくなって
さまざまな想念の泡が
浮かび上がってきた。
在校時、
校長室には一度も入った
ことはなかったのではないかと
思う。
吉野正巳校長、五十嵐一郎副校長、
それに中村和子先生と話しながら、
記憶の糸が次第にほぐれて
いった。
当時「ホワイトハウス」と呼ばれて
講堂。
中に入った瞬間、「ああ、そうだ、
まさにここで、私たちはウェーバーの
『魔弾の射手』を上演したのだ」
と思い出した。
あの頃の、濃密で色とりどりの
日々がよみがえってきて、
胸がいっぱいになった。
感謝こそが生きる糧に
なることがある。
母校の研究集会でお話させて
いただく。
それは不思議な体験だった。
何人かの在校生も「もぐりこんで」
いて、
変わらない制服に、昔の自分を
重ね合わせた。
室田敏夫先生と、一年ぶりに
お目にかかる。
「講演の中で、たくさん引き合いに出して
スミマセンでした。」
なつかしい道を通って、
東横線の学芸大学駅に歩く。
鎌倉へ。
新潮社の池田雅延さんが気づいて
手を挙げた。
鶴ヶ岡八幡宮の奥を登ったところに
ある小林秀雄旧邸(「山の上」の家)
を訪問する。
「やっぱり雨になりましたね」
と池田さん。
「いやあね、昨日、明子さんから、
池田さんが行くんならば、きっと
雨になるわね、と言われていたん
ですよ。先生の家に行く時は、
7、8割方は雨だったんじゃないかな」
「山の上」の家は、
今は吉井画廊が管理している。
胸突き八丁の坂を登っていくと、
吉井篤志さんご本人がいらした。
大いに恐縮する。
小林秀雄さんが、30年間住み、
『本居宣長』などの代表作を
書かれたその家。
小林さんは、はるか大島が見える
庭の景色を見て、
即決したという。
「文士」という言葉を自然に
思い出した。
夏目漱石が、鈴木三重吉宛の書簡の中で
「死ぬか生きるか、命のやりとりをする様な
維新の志士の如き烈しい精神で文學をやって見たい。」
と書いたように、自分の生命の主体性を
世の偶有性にぶつけ、
キラリと精神の刃を交わして、
ギリギリと詰めて表現する。
そんな生き方が「士」という文字に
ふさわしい。
生活者は、戦場に出るわけではない。
しかし、その生き方の烈しさは、
必ず表現に結実するものと思う。
表現とは、行動の果実なのである。
池田雅延さんのお話を
うかがいながら、
雑誌Living Designの
岡崎エミさんの家についての
インタビューを受ける。
私が池田さんと向き合って座った
椅子は、いつも小林秀雄さんが
来客に接していた、その場所だとのこと。
吉井さんが当時のままに保存して
くださっている御陰で、
歴史の陰影の中に分け入り、
現代を生きる己を映し出す
かけがえのない鑑を得た。
池田雅延さんと。小林秀雄さんがいつも
晩酌をしていた部屋で。
小林秀雄さんの寝室だった部屋で。
応接室の大島が見える庭を背景に。
池田雅延さんと。
吉井篤志さんと。
(撮影 和田京子)
10月 27, 2007 at 08:38 午前 | Permalink
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@鷲(白頭わし)やカラス(ワタリガラス)などをシンボライズして彫りこんだ自然の「神々」への感謝のしるし。
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受信: 2007/10/28 9:32:41
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コメント
高校生の頃までは学校にびっちり通っているから
ホントに「濃密」な時間が流れているものですね。
懐かしいです。
私の学校は「お嬢様学校」なんて言われていても
本当は外面がいいだけでした(笑)!
入学後「お嬢様ばっかりだったらどうしようと思っていたの!
みんな、お嬢様でなくて良かった~!!」と
クラスメートと「お嬢様」ではないことを確認しあって
喜んでいました。。。
そんな暴れ馬みたいな(?)私たちを優しく指導してくれた
先生方がいたその一方で
「あなたたちには、覇気が足りない!」と
けしかけてくる元気なシスターもいて。
最近、せっかく
日常日常日常日常日常日常日常日常日常日常
日常日常日常日常日常「異界!」日常日常日常
日常日常日常日常日常日常日常日常日常
日常日常日常「異界?」日常日常日常
というペースにして
大切な現実を見つめなおすんだ!と意気込んでいた矢先に
出鼻をくじかれました(笑)。
まったくの偶然からアニリール・セルカンさんの
講演会のお手伝いをちょこっとさせていただく用事が入り
驚いています。
日常にどっぷり腰をおろそうと構えた、その横に
異界のほうから「やあ!元気?」と寄ってこられた
ようで面食らっています。
茂木さんのお話にしてもセルカンさんのお話にしても
私が相手では「猫に小判」で申し訳ないです。
どんどん小金持ちな猫になってしまいそうです(笑)。
この偶有性のいたずらをめいっぱい楽しんできます♪
投稿: まり | 2007/10/28 10:47:09
>表現とは、行動の果実なのである。
真実の言葉に心が癒されます。
生きることに必死になって自分を
つき抜けていこうと思います。
投稿: 新屋敷 恒 | 2007/10/27 18:30:23
茂木博士が実り多き高校時代を過ごされた、思い出深く懐かしい母校での講演と、小林秀雄さんが30年も住まわれたという「山の上」の家への訪問。
茂木さんにとっては、きっとこの日の二つの出来事は、何物にも代え難き「宝の時間」だったのではないでしょうか。
文士=文学のサムライ=文学維新の志士。
「死ぬか生きるか、命のやりとりをする様な、維新の志士の如き烈しい精神で文學をやってみたい」夏目漱石はこの言葉のままに苛烈に、己の生命を賭けて、ペンを「精神の刃」に変え、それをきらりと振りかざして、世に立ち向かっていったのだろう。
でなければ、49歳までの短い生涯で、あれだけの鋭利的な、深い精神性を秘めた名作を生み出すことはなかっただろう。
漱石も小林秀雄も、それこそサムライの如き、生死を賭けた命がけの戦いをするべく、世に立ち向かっていったのだ・・・。
そういう中途半端性のない生き方こそが、文士として、また表現者としても、もっとも苛烈にしてまっとうなものに思えてくる。
私は、さすがにそこまではたどり着けないかもしれないが、できることなら、近づけるだけ近づいてみたい、彼らのような境地に。
ところで・・・その小林秀雄さんの「山の上」の家の、中の様子がお写真にありますが、すごく落ち着いているというか、たいへん静かな雰囲気ですね。
大島が見えるという庭も、緑が深くてすばらしい眺めのように見受けられます。
小林さんが晩酌をされていた部屋に大きなちゃぶ台。このちゃぶ台の上で小林さんはきっと毎夜晩酌を楽しまれていたのでしょう・・・。
きょう一日はあいにくの雨模様ですね。
周囲がしっとりと雨にぬれています。なにとぞお風邪を引かれませんように・・・!
投稿: 銀鏡反応 | 2007/10/27 14:38:02