自らの修養という「小乗」が
築地の朝日新聞社で、
「男の夢ファッション」の
撮影。
どんなのがいいですか、と言われて、
いろいろと考えたのだけれども、
「21世紀における正しい
マッド・サイエンティストの服装を提案
いただいたらうれしい!」
とお答えした。
それだったら、一回限りではなく毎日
着ることができると思ったのである。
撮影は、阿部稔哉さん。
スタジオは、「アエラ」の表紙を
撮ったのと同じ場所だった。
撮影後、朝日新聞記者の
帯金真弓さんに、「今なぜマッド・
サイエンティストなのか」
をお話しする。
ナイキの白くてきれいな
スニーカーをいただく。
ソニー広報の滝沢富美夫さんに、
宿題を渡してやれやれと
思っていたら、新しい宿題を
もらった。
あれやこれやと考えながら東京芸術大学へ。
大浦食堂でてんぷら月見そばを
食べ、仕事をする。
わたる風を楽しんでいると、
小柳敦子さんがいらした。
授業はあっという間に過ぎる。
「才能にほれよう。才能はうらぎらない。」
「作家や作品を選ぶポイントは、『驚き』
である。」
「グロテスクなものでも、美しく作り込めば
作品として成立する。」
クリエーターの卵たちに、
ガツーンと響く講義だったのではないかと
思う。
上野公園で、皆で歓談する。
小柳敦子さんを学生たちが取り囲み、
熱い談義を交わしている様子を、
ボクは少し離れたブランコから
眺めていた。
大乗ではない。小乗である。
一見広げよう、紹介しようと思われる文脈でも、
こうして場を作っている時にも、
私は自分の魂の成長をこそ志向している。
自らの修養という「小乗」が、
皆と分かち合うという「大乗」
と一致する時にこそ、
うるわしいものが立ち現れる
のだろう。
ずっと立ったまま、
熱心に説く小柳敦子さんの姿を見て、
それから空の月を眺めれば、
天上も土も同じ普遍の原理に包まれて
いることがしみわたる。
つまりは、「今、ここ」にはない
理想を目指すべきではあるが、
「今、ここ」が、そのままにして、
すなわち桃源郷を体現してもいるのだ。
大浦食堂にて。(左から)大場葉子さん、PHP研究所の丹所千佳さん、横田紀彦さん。
PHP研究所の木南勇二さんと
大浦食堂に小柳敦子さんがいらっしゃる。
白熱した授業。
懇談の公園で。小柳敦子さん、茂木健一郎、粟田大輔
10月 30, 2007 at 08:18 午前 | Permalink
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» 商店街が好き トラックバック 須磨寺ものがたり
作家・角田光代さんが、
昨日の産経新聞の記事の、
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それを見た私は、
嬉しくなった次第です。 [続きを読む]
受信: 2007/10/30 11:04:19
» 教育は待つこと トラックバック Progress
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受信: 2007/10/31 5:36:08
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コメント
「21世紀における正しいマッド・サイエンティストの服装」…何だか、凄く面白そうだ!
正しく“マッド”なサイエンティストは服装も何処か“お茶目”だったりして…(失礼)
小柳敦子さんの講義、行くツモリだったけれど、家の都合で行けず、エントリーを読んで
「こんなにいい講演だったら、行けば好かったなァ。はぁ~」。
「グロテスクなものでも、美しく作りこめば、作品として成立する」
小柳さんの、この言葉が特に私には読むだけで胸にガンガン響きます、ハラにドスンドスン轟きます。
茂木さんの次の言葉も胸に沁みる。
「自らの修養という『小乗』が、皆と分かち合うという『大乗』と一致するときにこそ、うるわしいものが立ち現われるのだろう」
桃源郷は、はるか遠くにはなくて、「今、ここ」の現実世界の上にこそ現われるのに違いない。
投稿: 銀鏡反応 | 2007/10/30 18:34:59
こんにちわ
>「21世紀における正しい
マッド・サイエンティストの服装を提案
いただいたらうれしい!」
正しく狂った科学者?
う・・・ん、奥が深い・・・。(^^)
投稿: tain&片上泰助 | 2007/10/30 15:31:18