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2007/10/16

「兆し」を定着するための

この世はすべて無常であるならば、
あるものたちが限られた
時間とはいえ取りあえず
安定して存在してくれている
ことは奇跡的なことだ。

 授業のために、東京芸術大学
に向かう道すがら、
 「上野公園は、やっぱり、
あの時と同じように、上野公園だなあ」
と思った。

 大学院生の時、研究室から
出てよく上野公園の中を走った。
 不忍池の畔を通り、
階段を一気に駆け上がって
 それから桜並木の下を
疾走し、
 噴水広場をぐるりと
一周して戻った。

 上野公園は、あの時と
同じように、「その場所」にある。
 
 宇宙の時間を早回しして
みれば、
 やがて太陽は赤色巨星
となって地球を飲み込んじまう。

 それよりも前に、地球の上の
わが大地だって地殻変動。
 いつ小惑星が衝突するか
わかったもんじゃない。

 生きているということは、
辛うじて成立している安定に
帰することであって、
 それがつかの間に過ぎないことは、
ふわふわと
やわらかい有機体たる
私だって、上野公園だって
変わりはない。

 私たちが生命の本質
だと考えていることの
多くは無生物にも
当てはまる。

 限りある命も、
 移ろいも、
 偶有性も。

 世界をフラットに見る大いなる平原
を切り開けば、
 見よ、いかなる大星座たちが
その空との際から昇り始めることか。

 授業の時、布施英利さんが
いらしていた。
 そのコメントはやっぱり
パンチが利いていて面白かった。

 現代美術は、その表現に
おいてこの上なく自由であるが、
「一つ抜けている」
作品とそうではないものの間には
歴然とした差がある。

 口語表現もまた同じであり、
どのような言葉を配列しても自由
であるが、その内容が
「一つ抜けている」
ためには、何らかの配剤が必要だ。

授業の後、上野公園のいつもの
場所で学生たちやモグリの人たちと
飲んだ。

私はすぐに行かなければ
ならなかった。

桑原茂一さんが、車で
送ってくださるという。

吉村栄一さんと一緒に、
渋谷のNHKまでの道を
お話ししながら
夜景を見ながら
想いを交わしながら。

タルコフスキーが
『惑星ソラリス』の中で
描いた首都高速のこの光景も、
やはりつかの間の安定の
中にあり。

もし全てが移ろい行くものだと
すれば、ほんの瞬間の中にも
永遠への兆しは見つかるはずだ。

脳の一瞬のひらめきは、そのような
「星の時間」における
「兆し」を定着するための自然の工夫
なのだろう。

10月 16, 2007 at 07:26 午前 |

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コメント

すみません、二度目の送信です。

『生きて死ぬ私』が近所になかったので
何駅か離れた大きな本屋までサイクリング、
家まで待ちきれず
公園で読みふけっていたら、あっ!とびっくり。
全知感について書かれていたからです。(汗)
なるほど、そうだなと思いました。
死ぬまでいろんなことに興味を持ち続け学び続けたいです。
第4章が特に印象に残りました。


投稿: たかはしまきこ | 2007/10/17 18:22:58

自転車に乗って
よく川に行きました。
学校に行く途中
突然行きたくなるのです。
そこはいつも風が強くって
自分は砂のような
つぶつぶのかたまりで、
さらさら消えていくイメージを
たのしんでいたような記憶があります。

もう20年以上も前の話です。

残念ながら今そこは
きれいに整備された公園ができ
いつもざわついています。が、
風は今もびゅーびゅー吹いてます。

ときどき、ほんの一瞬、
なんだかよくわからないけれど
『すべてがわかっちゃった!』
なんて気分になります。
頭の上が
スコンと遠く宇宙まで突き抜けるような。
こころが満タンに満たされるような。

これでいいのだぁ、
とささやかれたような。

投稿: たかはしまきこ | 2007/10/17 10:13:17

私達が両足をつけて立っているこの大地も、無機的存在にして無生物たる路地の石ころも、そして私達呼吸している有機生命体も、全ては束の間の安定のなかに佇んでいる。

時が過ぎれば、石ころも、大地も、私達も、そして太陽系でさえも、大いなる宇宙の激動の中にのまれて、無常なる万物流転の中で循環するようになる。

その流転の中で、何時かは過ぎ去ってしまう、限りある束の間を、一つの生命体として生きる、ということは、極めて切実なる営為である同時に、全ては、そして宇宙全体は永遠に巡っていくものなのだ、ということを時折感じさせる瞬間を与えてくれることのような気がしている。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/10/17 0:02:04

「一つ抜きでていない」芸術には、

どこか血の通わない、植物的作品が多い。

そこに 「暗黒」 「闇」 が在るならば、

必ずその芸術の明るさに値打ちが出る、

「鋭さ」が光るようになる・・・人も同じですね。

投稿: harvey | 2007/10/16 22:54:35

みんな「わかりやすい」人を選んだ結果小泉首相さんやヒトラーさんにだまされたんじゃ…。

まそれはいいとして、いいものがすぐわかる人なら、「この人はもうすぐ羽化する」とか「この人はまだ上にいける」とかわかりますよね。手をかければ行ける!とか。

そうしてポテンシャルを読むのが楽しいんですよね。

投稿: 斉藤 | 2007/10/16 19:32:00

こんにちわ

地球温暖化などは、地球の安定性を欠いて来ているのではないでしょうか?

通路に、太陽電池の人が下に来ると点くセンサーランプや、トイレにも、センサーで、人が下に来たら蛍光ランプが点くようにしています。

もっとも、トイレをなぜ、蛍光ランプに、センサー器具を取り付けたと言うと、消し忘れていると、親が非常に怒るからです。怒りが収まるまで時間がかかります。精神衛生上、センサー器具を付けました。ただこのセンサー器具、トイレ中にランプが消えることがあります。妹が帰ってきたとき、トイレ中ランプが消えたらしく、「停電があった?」と、聞かれたので、センサー器具の事を説明しました。

茂木さんの言うように、「脳の一瞬のひらめき」で、画期的な節電方法があれば良いですね(^^)。

投稿: tain&片上泰助 | 2007/10/16 14:20:22

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