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2007/10/04

とぐろを巻いていた頃

ぼくは、最初に理学部物理学科を
卒業して、その後、法学部に学士入学した。
 そして、物理学科の大学院に進学しなおして、
博士号を取得した。

 だから、ぼくは、東京大学という
場所に、4+2+5=11年間
いたことになる。

 そのうち9年間を本郷キャンパス
で過ごした。 

 普段、東大のことをいろいろ
批判してはいるが、
 母校のこと。
 愛着がないはずがない。

 第28代の東京大学総長の
小宮山宏先生にお目にかかった。
 
 工学部2号館の吹き抜け。
 Subwayの店舗の前のテーブル席。

 小宮山先生が、しきりに
持続可能性(sustainability)
ということを強強されてたの
が印象的だった。

 池之端門に降りて、不忍池の
横を歩く。
 一体、どれくらいの時間を
このあたりを逍遥して過ごした
ことだろう。

 ちょっと風邪を引いていて
熱っぽかった時、
 塩谷賢と、私の友人と
3人で不忍池のほとりを歩いていた。

 その時、「もし究極の哲学が
出来たとして、それがA4一枚の
紙に書けたとすると、それは高校生
の日記とどこが違うのか?
 言葉の意味は、どこに局在している
のか?」
と早口で喋っていたあの日。

 「クオリア」の問題意識に
つながる着想があそこにあった
ように思う。 

 品川駅の海側は随分変わった。
 コンビニで明太子おにぎりと
野菜ジュースを買い、
 人の流れに逆らって歩きながら
食べる。

 ソニー本社で、
『脳とイノベーション』について
講演する。
 
 品川駅前で
 Big Issueを買い、
ユニセフでTシャツを買い、
 そのままテクテクと
 ソニーコンピュータサイエンス
研究所まで歩く。
 
 関根崇泰の研究について、
いろいろと議論する。

 視覚においては、whereとwhatの
pathwayがある程度分離できるが、
 身体についてはどうか。

 自分自身の身体の部分の認知
(親指とか、人差し指とか)
は、whereでもwhatでもない、
 独自の領域に属しているのではないか。

 研究所のGeneral Meetingで、
最近考えているuniversalityとdiversityの
関係について話す。

 所長の所眞理雄さんや、暦本純一さんと議論。

 六本木星条旗通りの
MaxiVin
で、日本歯科医師会の先生方にお目にかかる。

会長の大久保満男さん、江里口彰さん、佐貫直通さん、梅村長生さん、石黒慶一さん。それに、
生涯研修課の梅村哲哉さん。

 MaxiVinオーナーの
 佐藤陽一さんとは
『プロフェッショナル 仕事の流儀』の
スタジオ以来。

 おいしいワインに、梅村先生を
始めみなさんとても満足されたようであった。

 塩谷賢と本郷キャンパスで
とぐろを巻いていた頃には、
 この世にそんなにおいしいワインが
あるなどということは知らなかった。
 
 ただ、いろいろと生意気な思いを
抱いていた。

 青春時代のニキビのようなものは
精神にもあるんじゃないか。

 ミラーニューロンをのぞき込みながら、
自分の心の中のニキビを数える。


MaxiVinにて、佐藤陽一さんと。

10月 4, 2007 at 08:28 午前 |

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» グルメ誕生 北大路魯山人 トラックバック 須磨寺ものがたり
昨日NHKスペッシャルで、 北大路魯山人が、 どのようにして、グルメの道を歩む事になったのか、 その背景に何が見えるのかを、興味を持って見ることにした。 [続きを読む]

受信: 2007/10/04 15:21:21

» 命とクオリア(17)-雲と蜘蛛。 トラックバック 銀鏡反応 パンドラの函
@仕事先から帰宅してすぐ、自宅のベランダに出て、ふっと、空を見上げた。全体が銀鼠色の曇り空のなかに、オレンジ色を帯びたピンクに、美しく染まった部分があった。沈みゆく夕日を浴びて、茜雲があらわれたのだ。まさに何とも言えず、綺麗な夕空であった。そして、僅かのあいだに空の色はオレンジから柔らかいピンクに変わっていった。 @そのとき、あたり一面はやわらかな茜色に、すっぽりと包まれていた。 @夕方の街の風景は、やはり美しい。どんなに饐えた街でも、夕焼け雲から放たれる淡くやわらかな光が、そこを優しい茜色に染め上... [続きを読む]

受信: 2007/10/05 5:47:39

コメント

茂木先生、今日は、芋虫小僧です。

親指や人差し指は独自の領域って、オモシロイですね。指先は確かに目並の力を持っていますよね。平衡感覚や、内蔵感覚や、時間感覚も独自領域になるのかなあ。時間感覚認知となると、やはり塩谷さんが専門になりますか?

茂木先生は学生時代に塩谷さんと話すのが本当に楽しかったんですね。こんなに気持ちよく言葉が踊ることはなかったのでは。そして互いの心を鏡に映しあっていたんだろうなあ。学生時代にしか夢みれない、壮大なことをいつまでも語り合いながら、二人で鏡を磨きあう。
魚が二匹、水を得て、一気に海を目指しはじめた不忍池。
ってな感じで(笑)

自分も水をもらって、すっかりこの日記を安全基地にしています。しかし海は遠いぞ。ぷーかぷか。

つくしのように、まっすぐに、
それが今の自分の願いです。

投稿: | 2007/10/05 4:06:05

生きている実感 を、今、言葉にしてみて下さい、と言われたら、
茂木先生やこちらにコメントを寄せておられる皆さまは、
5分か10分でいろいろと言葉を綴られるのではないかと
推測します。でも、私は一行書くのがやっとだろう、と思います。
それは、私に 生きている実感がうすい ということなのか、
言葉にするのが難しいだけなのか、私自身よく分かりません。

言葉を持たない赤ん坊にも、生きている実感 は
ふつふつと、あると思います。認知が及ばないだけで。
心は持たないけど意識は持っているであろう トンボや、
無意識しか持っていないように見える ススキにも、
生きている実感に相当するものは、あるに違いない、
と私は思います。

時と場合により実感がうすい かも知れない「私」でも、
昆虫や植物に比べれば、かなりありそうです。
でも、もしかしたら、「私」より、
私の身体の、細胞や臓器のほうが、
私の意識に上らないところで、実感しているのかも知れない、
と思ったりもします。

パソコンには、生きている実感はないと思います。
お月様には、どうかな。

投稿: | 2007/10/05 3:53:59

ニキビ跡やしみやそばかす、しわ…
そんなものが結果的に“良い顔”“素敵な顔”を
浮き彫りにしていくように、ニキビの宿った精神は
ただつるんとしているより、グッと魅力的なはず。

日本心理臨床学会で、茂木さんの講演を聞かせて
いただきました。
自販機のジュースも、将来のパートナーも2秒で
選んでしまうなんて、脳って何てオモシロイ!
ただ、質疑応答の時間には出なくてはならなくて、
メルアドを写しそびれました。
“マニフェスト”にご相談を書いて送りました。
ご笑覧下さい。
どうぞ宜しくお願いいたします。

投稿: | 2007/10/05 3:44:37

 昨日、久しぶりに先生の本を少しだけ読みました。

茂木先生は、11年間も東大で・・・では東大の良いところも、
悪いところも知り尽くしているのでしょうね・・。
私は、正直、東大だからどうなの? って気持ちです。

茂木先生の本が素晴らしかったので、ファンになったのですが。
それと威張っていないところかな? 

私はお刺身になって、蜘蛛の巣に自ら引っかかってもいいくらいに
想ったりもしましたが・・・・。
どうしましょう・・。

投稿: | 2007/10/05 1:44:58

茂木さん、Tシャツがとてもかわいいです。

投稿: | 2007/10/05 1:42:22

whereとwhatの問題、音について考えました。
最近お箏を弾く機会にめぐまれたのですが、先生が、「ここ」と思って弾かないといい音は出ない、としきりに仰っていました。
「ここ」をしっかりと弾くと「この」音がでる。
「この音」は「ここ」の場所。
体の部位とお箏の絃の位置。
このふたつは、whereとwhatの問題において似ていますか?

投稿: | 2007/10/05 1:11:32

「もし究極の哲学が出来たとして、それがA4一枚の
紙に書けたとすると、それは高校生の日記とどこが違うのか?
 言葉の意味は、どこに局在しているのか?」

以前先生がNHKのスタジオパークにご主演されていたとき、
同じようなことを語っておられましたね。
ウィトゲンシュタインの名前を挙げて。そして
「だったら脳でもやろうか。」と思い立ったのだとも。

つい最近「爆笑問題の日本の教養」という番組に
野矢茂樹さんが出演されていました。
野矢先生というと論理学のイメージがあったので、
理詰めのカタいイメージを勝手に持っていたのですが、
目がきらきらしているのが一番印象に残りました。
野矢先生は

「語りえぬものは語りつくさなければならない」

とおっしゃっていましたが、
この言葉もちょっとかっこいいですよね。

投稿: | 2007/10/05 0:30:05

 本日は二度目の投稿になります。朝は仕事前で慌ただしく、先生のブログをきちんと読みもせず写真についてのコメントのみで失礼いたしました。
 学生時代のお話ですね。茂木先生は確か東大の理1でしたね。わたくしが初めてお付き合いした方も理1の学生でした。彼に一目惚れされたのがきっかけです。わたくしは母に厳しく育てられたせいか奥手だったものですから。もしかしたら、彼は茂木先生と東大のキャンパス内のどこかですれ違っていたかもしれません。もちろん茂木先生の方が先輩として・・・。
 東大には「進振」があるせいか、東大生の皆さんは入学後も実によく勉強されますよね。彼も本当まじめな学生でしかも理系の場合は実験とかあるので結構夜遅くまで拘束されていました。逢えないときには、彼から実験がうまくいかない愚痴や私への想いを綴った手紙がよく届きました。当時はもちろん携帯もありませんでしたし、電話を頻繁にかけられるような環境でもなかったのです。お互い同じ都内に住むのですから普通郵便でも良さそうなのに、何故か彼からの手紙は速達で送られてきました。きっと自分の想いを少しでも早く彼女に伝えたかったのでしょうね。
 結局その方とはプラトニックな関係のままお別れしましたが、美しい青春の思い出として残っています。そのときのことは1ページ、1ページ鮮明に紐解くことができます。彼の表情や手の温もり・・・彼もわたくしもは19歳そして20歳、21歳のときのままの姿で登場するのです。なんと素晴らしいことでしょう。こんな素敵な思い出を持てて本当良かったと彼と出逢えたことに感謝しています。
 茂木先生、恋愛体験もクオリアという概念で語ることができるのでしょうか?

投稿: | 2007/10/05 0:23:54

先週の土曜、仕事が退けた後にぶらりと散策しているうちに何故か東大のキャンパスにたどりついた。

安田講堂や化学教室など、いろいろな施設を見てあるいてまわった。

安田講堂のすぐ近くに、樹齢百年はゆうにありそうな幹の太い大きな楠を見つけた。その太い幹から太い枝が別れ、その枝が末端まで細かく四方に広がって、何処までも先まで枝分かれし続けるように見えた。

今思えば、あの大楠は持続可能性のメタファーのように思える。

私はまだ20代だった頃、太宰治を読み、音楽はニューウェーヴというジャンルばかり聴いていた、世間でいうところの「不思議ちゃん」だった。
(今でも家族からはそう思われている)

“青春のニキビのようなものは、精神にもあるんじゃないか。”

私自身の心もよく覗いて見れば、あのときできた「ニキビ」のあとが、きっとたくさんあるかもしれない。あるいはきれいに、跡形もなくなっているかもしれない。

『プロフェッショナル』にも御出演なされた、ソムリエ・佐藤陽一さんとのツーショット、ネクタイ姿の佐藤さんは相変わらず素敵な方。茂木さんのりんごTシャツ姿、久しぶりですね。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/10/04 22:50:15

こんにちわ

特殊性と普遍性は、小乗、大乗のようなものではないでしょうか?
サッカーでも、Jリーグに行くような、「プロ」への練習をする人と、サッカー観戦や草サッカーを「楽しみたいため」、練習する人がいると思います。専門的に成り立つ論理と、一般的に成り立つ論理は少し違うのではないかと思います。

若者は、アイデンティティの確立の上で、世の中の色々なものを否定しなければならない感じがします。
もう少し年をとり、それが内化すれば、世の中の色々なものと違う方向性を見つけられるようになると思います。
私はもう若者ではない!?(^^;)

投稿: | 2007/10/04 14:56:14

持続可能性(sustainability)を茂木先生の言葉でいうなら水成論的感情、他の脳科学者の方の言葉を借りれば「じわじわ汁」となるのでしょうか。
この持続可能性(sustainability)はかつて子育てをするために必要な感情であったから進化の過程で人間が獲得してきたはずなんですよね。
食べられなくなる→働く→食べていけるようになる→***したくなる
子供が生まれる→子供が自分に似ている→父親の自覚に目覚める→ますます働く
現代ではこの循環がどこか崩れているのでしょうね。

投稿: | 2007/10/04 11:00:40

 茂木先生、おはようございます。本日は晴れましたがご機嫌はいかがですか?
 お写真のTシャツのリンゴは、梅田さんとの対話のときに着られていたものと同じですか?あの4つ目のアップルでしょうか?結構個人的にウケました。あと学生時代に「タテ(盾)の会」に対抗して「ヨコの会」を創られた話もすごくウケました。三島由紀夫に対抗してお創りになられたのだから、当然先生は「左」?と思うではないですか・・・。でもただ何もせず横になるだけの会だなんて!
 ではそろそろ仕事を始めないと・・・。

投稿: | 2007/10/04 8:57:56

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