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2007/10/31

布施英利 × 茂木健一郎 (本日)

フリーペーパー『dictionary』(クラブキング)主催
布施英利 × 茂木健一郎
“Talk dictionary”

日時/2007年10月31日(水)19:00〜20:30
場所/アップルストア銀座 シアター(3F) 
入場無料・先着順
問合せ/クラブキング 03-3418-3399 
info@clubking.com

詳細は
http://www.clubking.com/topics/archives/01dictionary/1031.php 

10月 31, 2007 at 05:56 午前 | | コメント (2) | トラックバック (1)

へんな生きもの

危機である。

やることがあり過ぎて、首が回らぬ。

完全にスケジュールが崩壊している。

朝起きてから眠るまで、
ずっと全速力で(ライフゲームに
おける「グライダー」の速度で)
やったとしても、
終わらない。

電車に乗りながら、野澤真一の
実験について考えた。

タクシーの中から「こうしたら」と電話する。

高川華瑠奈の実験についても
考えて、電話しようと思ったが、
うまく通じなかった。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録のゲストは、漫画編集者・原作者の
長崎尚志さん。

浦沢直樹さんとのコンビがあまりにも
有名。創造するということに向き合う
その姿勢は、ずしんと心に響く
ものがあった。

スタジオに入ると、チーフプロデューサーの
有吉伸人さんがニコニコしながら
「コメント直しが2時30分からだった
んですよ」
と言う。

「午後」ではなくて、「午前」という
意味である。

「ひえー。家に帰れたんですか?」
「帰って、お風呂に入りましたよ。」
「眠れたんですか?」
「少し眠って、それから来たという
感じですね。」

午前10時30分の会話である。

「最近は、あまりにも多くのことが
あり過ぎて、ボクの脳みそのキャパを
超えているんで、わかりませんと
ニコニコ笑っていると、ああ、この人は
大変なんだと思って話がとまる、
そうしているんです。」

有吉さん、おもしろかわいそうである。

いつもより早いお昼休み。
NHK出版の大場旦がずしんずしんと
歩いてきた。

「茂木さん、どうなっているんですか」
「ですから、どうしょうもないんですよ」
「最近、胃が痛いんですよ。」
「ボクのせいですか」
「いや、茂木さんだけでなくて、他にも
原稿が来ない人がいるんですけどね。」

NHKの中の食堂は、11時30分から
しか開かない。

二人で、第一食堂のテーブルに座って、
食券販売機が作動するのを待った。

「いやあ、ご飯を食べるのに、こんなに
熱心に待ったのは久しぶりだなあ。」

にぎり寿司とサラダを食べたら、
身体の中にビタミンがたくさん入って
いくような、そんな気がした。
オオバタンさんも、ビタミンを
とったから、元気になったでしょ。

慶応大学の日吉キャンパスへ。

研究室博士課程の
柳川透のお父様である
柳川弘志教授とお話する。

「RNAの研究というのは、
タンパク質合成だとか、リボザイムだとか、
RNA干渉とか、何かがブレイクすると
ぱーっと進むんですよ。
デジタルだから、わかってしまうと
進むのが早い。」

60分講演、質疑応答。
たくさんの学生と握手したり、
話したりした。

大学が用意してくださった車で
仕事をしながら西麻布へ。

長崎尚志さんを囲んでの打ち上げ。

長崎さんと住吉美紀さんへの
光の当たり方が良かったので
写真をとると、ゲージツみたいに
なった。


長崎尚志さんと住吉美紀さん

勘のいいすみきちが顔を
照明の下に突き出すと、
ふわっと浮かび上がった。


すみきちの顔が浮かび上がる。

そう言えば、こんな雰囲気の写真が
あったなあと、プロフェッショナル班の
合宿のことを思い出した。

「住吉さんが、合宿の時、へんな生きもの
になったんですよ。」
と言うと、長崎さんが顔を輝かせて
「飲み会の時、生きものになる人と
人間になる人がいますよね。ぼくは、
生きものになる人は好きです!」
と言われる。

その「生きもの写真」を見せた。

すみきちが、「ああ、これ、茂木さんが
ブログで目だけ公開したやつでしょ」
という。

「ええ、この生きものの全体を公開するのが
はばかられたので。」
「公開していいですよ。公開してください!」
「えっ、いいんですか、住吉さん」
「いいですよ!」

というわけで、すみきちが変身した
へんな生きものを公開する。


へんな生きもの

これは、すみきちがカメラを自分に
向けて撮影したのである。
おそるべし、すみきち。

担当のディレクターは、石田涼太郎さん。
芸名のようだが本名なのである。

何でも、「涼しい日」に生まれたから
だという。
しかも長男ではなく、最初は「涼次郎」
にしようと思ったが、「やっぱり太郎がいい」
となったそうである。

あまり眠っていなくても元気な有吉さん。

でも、たまにはゆっくり眠ってくださいね。

打ち上げ、行くの無理かな、
と思っていたのだが、
そんなことを言うと
有吉さんがスタジオの中で
「茂木さん、来ないんですかあ」
とへんな生きものになった。
その雰囲気に感染して、ぼくは
参上したのである。


住吉美紀、有吉伸人、石田涼太郎の各氏。


石田涼太郎さんと。

それでも限界が来て、
ぼくは先に失礼する。

仕事をしながら帰っていたら、
いつの間にか眠っていた。

帰宅して一つ仕事を終わらせ、
それから眠る。

Society for Neuroscienceに
出発する前に、果たして全部終わるのだろうか。
仕事に集中すると、時間の流れは消える。
その時私の中にへんな生きものは現れる。

そいつが、軟体動物のようにクネクネして
仕事を終わらせてくれる。

へんな生きもの、万歳。

10月 31, 2007 at 05:35 午前 | | コメント (10) | トラックバック (4)

2007/10/30

プロフェッショナル 仕事の流儀 服巻智子

プロフェッショナル 仕事の流儀 第66回

見えない心に、よりそって
〜 自閉症支援・服巻(はらまき) 智子 〜

服巻さんのお話から、他者に向き合う時に
辛抱強くそして愛をもって続けることの
大切さを学んだ。
自閉症は身近な脳の状態である。
誰にでも、家族や友人、学校や職場で
会う人の中にスペクトラムの中に入った
人がいるはずだ。
認知科学では、自閉症は「心の理論」
と絡んで研究されている。
さまざまな脳のあり方(neurodiversity)の
一部分である。
違いばかりが強調されがちだが、
他人とかかわりたいという欲求は
かわらない。
異質に見える他者と向き合う時には、
違いだけでなく、共通していること、
つながっていることこそを見つめる
必要があるのだ。

NHK総合
2007年10月30日(火)22:00〜22:44

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ

Nikkei BP online 記事
多様なものと向き合う時、その人の器量が問われる

10月 30, 2007 at 08:25 午前 | | コメント (10) | トラックバック (7)

自らの修養という「小乗」が

築地の朝日新聞社で、
「男の夢ファッション」の
撮影。

どんなのがいいですか、と言われて、
いろいろと考えたのだけれども、
「21世紀における正しい
マッド・サイエンティストの服装を提案
いただいたらうれしい!」
とお答えした。

それだったら、一回限りではなく毎日
着ることができると思ったのである。

撮影は、阿部稔哉さん。
スタジオは、「アエラ」の表紙を
撮ったのと同じ場所だった。

撮影後、朝日新聞記者の
帯金真弓さんに、「今なぜマッド・
サイエンティストなのか」
をお話しする。

ナイキの白くてきれいな
スニーカーをいただく。

ソニー広報の滝沢富美夫さんに、
宿題を渡してやれやれと
思っていたら、新しい宿題を
もらった。

あれやこれやと考えながら東京芸術大学へ。

大浦食堂でてんぷら月見そばを
食べ、仕事をする。

わたる風を楽しんでいると、
小柳敦子さんがいらした。

授業はあっという間に過ぎる。

「才能にほれよう。才能はうらぎらない。」

「作家や作品を選ぶポイントは、『驚き』
である。」

「グロテスクなものでも、美しく作り込めば
作品として成立する。」

クリエーターの卵たちに、
ガツーンと響く講義だったのではないかと
思う。

上野公園で、皆で歓談する。

小柳敦子さんを学生たちが取り囲み、
熱い談義を交わしている様子を、
ボクは少し離れたブランコから
眺めていた。

大乗ではない。小乗である。

一見広げよう、紹介しようと思われる文脈でも、
こうして場を作っている時にも、
私は自分の魂の成長をこそ志向している。

自らの修養という「小乗」が、
皆と分かち合うという「大乗」
と一致する時にこそ、
うるわしいものが立ち現れる
のだろう。

ずっと立ったまま、
熱心に説く小柳敦子さんの姿を見て、
それから空の月を眺めれば、
天上も土も同じ普遍の原理に包まれて
いることがしみわたる。

つまりは、「今、ここ」にはない
理想を目指すべきではあるが、
「今、ここ」が、そのままにして、
すなわち桃源郷を体現してもいるのだ。


大浦食堂にて。(左から)大場葉子さん、PHP研究所の丹所千佳さん、横田紀彦さん。


PHP研究所の木南勇二さんと



大浦食堂に小柳敦子さんがいらっしゃる。


白熱した授業。


懇談の公園で。小柳敦子さん、茂木健一郎、粟田大輔

10月 30, 2007 at 08:18 午前 | | コメント (2) | トラックバック (3)

2007/10/29

『熊楠の頭の中』

Lecture Records

池上高志、茂木健一郎

『熊楠の頭の中』

和多利恵津子さんによるイントロダクション
池上高志のtalk 30分
茂木健一郎のtalk 30分
池上高志、茂木健一郎の討論 30分
会場との討論 30分

2007年10月28日(日)
ワタリウム美術館

音声ファイル(MP3, 121.9MB, 136分)

10月 29, 2007 at 09:19 午前 | | コメント (7) | トラックバック (0)

パッションを貫くと、そこに「非人情」の世界が

谷淳さんが泣いた。

「もう十年も一緒にやってきたのに」
と涙をこぼした。
熱い議論の末に、
目にじわっとにじませた。

ぼくは、こんな熱いハートを
持った人がとにかく好きなんだなあ。

池上高志と二人で、
「何言っているんだよ、谷さん。友だち
じゃあないか。そのことを前提に
話しているんじゃないか。」と
しきりに言った。

そうしたら、みんな胸がいっぱいに
なって、まず、ボクと、谷淳さんと、
池上高志と、入来篤志さん
で肩を組んだ。

そうしたら、藤井直敬さんと
柳川透も肩をいっしょに組むこと
になった。

まずは4人で、それから6人で
みんなでうわーっと肩を組んで、
胸がいっぱいになった。

それを、佐々木厚さんが撮った。

なんでそうなったかというと、
つまり、ワタリウム美術館で
池上高志と南方熊楠の話を
していたわけだな。

そして、その打ち上げを、
和多利浩一さん、和多利恵津子さん
としていたわけである。

そうしたら、理研脳科学総合研究センター
(BSI)の10周年のイベントを
終えた谷さんたちが、
わーっと合流してきたのである。

ボクたちは、熱い議論をした。

それで、谷さんが感極まって泣いた。
オトコだって泣くんだゾ。

そうそう、肝心な。
ワタリウムにおける池上高志とオレの
「闘論」も熱かった。
和多利浩一さんがびっくりしていた。
深い信頼関係があるから、
はげしく直言するのである。

昼過ぎには
TBSラジオに行った。
伊集院光さんは実に生きものとして
イキオイのある人だった。

ぼかあ、また伊集院さんと会って
笑いの話をしたいヨ。

ラジオの後、
実は中央公論の原稿が落ちそうで、
ぼかあカツ丼を
食べてから必死になって書いたよ。

コーヒーを飲みながら、人の目も
気にせずに、一生懸命
「新・森の生活」を書いた。

ネットの向こうでは、井之上達矢さんが
あの「にこにこ赤ちゃん」のような童顔で、
しかし校了間近のまなじりを決して
待っていたらしい。

井之上さんは、メールで返事をくれた。

****

茂木さんの
原稿の
もっとも面白いと思うところであり、
「個性的」なところである、
「論理」と「実感」のカクテルが
素晴らしく知的に刺激的な世界を
つむぎだしていたと思います。

「ハリウッドのスタアだけが
生きるに愉しいのではない」
と書かれて、
いわゆる
「普通の人」を
元気づけているようにも読めますが、
その裏には
「現在の社会的客観性において見た場合、
どれほどひどい状態になろうとも、
生きるに愉しいと思えるようにならないと、
人間の生は危機に陥るのですよ」
という
非人情的な厳しさが読み取れました。

「非人情」と言えば、
夏目漱石ですが、
「非人情と言えば茂木健一郎」
と言われるきっかけとなる
連載になれば素晴らしいと思います。

***

原稿はもちろん読者のために
書くのであるが、
このような、筆者自身でも気づいて
いない視点を与えてくれる
編集のヒトによって、
原稿は生命を吹き込まれ、
著者というものは精一杯
心を込めて踊るのである。

パッションを貫くと、
そこに「非人情」の世界が
顕れる。

それこそが、ボクと池上高志が
セッション中に一生懸命追い求めて
いたことではなかったか。



セッション前の打ち合わせにて。
和多利浩一さん、和多利恵津子さん、
和多利志津子さん。


枝の上のジュウシマツのように一緒になって。
(左から)茂木健一郎、谷淳、池上高志、入来篤史


ジュウシマツが6羽になった!
(左から)
藤井直敬、柳川透、茂木健一郎、谷淳、池上高志、入来篤史

10月 29, 2007 at 09:08 午前 | | コメント (9) | トラックバック (3)

2007/10/28

東京芸術大学 美術解剖学 小柳敦子

東京芸術大学 美術解剖学

2007年度 後期第3回

小柳敦子

東京芸術大学 美術解剖学の
2007年度後期第3回の授業は、
ギャラリー小柳の
小柳敦子さんをお迎えします。

杉本博司、内藤礼、野口理佳、束芋など、
数々のすぐれたアーティストの企画展を
世に送り出してきた小柳敦子さんのお仕事は、
日本を代表するギャラリーの一つに結実し、
またアーティスト志望の若者たちに
インスピレーションと勇気を与えてきました。

小柳さんに、ギャラリーの仕事の面白さと
醍醐味を語っていただきます。

http://www.gallerykoyanagi.com

2007年10月29日(月) 
午後3時35分〜午後5時
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)

http://www.geidai.ac.jp/access/ueno.html

10月 28, 2007 at 10:15 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

脳と個性

ヨミウリ・ウィークリー
2007年11月11日号

(2007年10月29日発売)

茂木健一郎 脳から始まる 第78回

脳と個性

抜粋

 日本人には個性がない、などと決まり文句のように言われる。本当にそうなのか、私は以前から疑っている。
 「十人十色」「蓼食う虫も好きずき」といったことわざにもあるように、実際には日本人だって個性的な人が多いのではないか。それを、「みんな同じ」というのは、色眼鏡をかけた思いこみに過ぎないのではないかと考える。
 少なくとも、私の研究者仲間は個性があふれる人ばかりである。研究者だから、どうせ変人の集まりだろう、一般の人たちとは違うんだと思われるかもしれないが、そんなことはないだろうと思う。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/


10月 28, 2007 at 10:07 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

『熊楠の頭の中』

シリーズ講演会 『熊楠の森を知る』Part2
第2回

『熊楠の頭の中』
茂木健一郎 × 池上高志

ワタリウム美術館
2007年10月28日(日)
19時〜21時

http://www.watarium.co.jp/exhibition/under.html

10月 28, 2007 at 10:01 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

伊集院光 日曜日の秘密基地

伊集院光 日曜日の秘密基地

秘密基地VIPルーム

茂木健一郎

TBSラジオ

2007年10月28日(日)
13時〜17時のうち、
14時頃〜14時45分頃

http://www.tbs.co.jp/radio/1101/index-j.html 

http://tv.yahoo.co.jp/radio/tokyo/2007102812.html?c=0 

10月 28, 2007 at 09:02 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

戦友のような気持ちで

お茶の水女子大学で、
女子高生にサイエンスの道に
進むことを薦めるイベントに
参加しお話をする。

ナビゲーターは、
青山聖子さん。

思えば、日経サイエンス誌上で
養老孟司さんと最初に対談した
時にお世話になったのが
青山さんだった。

世界は、みんなつながっている。
今回のイベントの企画を
されたのは、かつてBS日本テレビで
『ニューロン回廊』をプロデュースして
くださった「炎のラグビー男」
こと、花野剛一のパートナーの
佐藤泰子さん。

ニューロンの回廊で、「ドクター茂木」こと
私の「茂木脳科学研究所」のアシスタント
役をしてくださっていたのが
岡村麻純さんである。

http://www.bs-n.co.jp/shokai/newron.html 

佐藤さんに、「岡村さんどうしているかなあ」
というと、「茂木さん、サプライズだよお」
とつぶやきながら消えていった。

しばらくして、岡村さん本人が
入ってきた。
びっくりしたなあ。

今は、レポーターとしての芸域を
広げようといろいろ習練しているのだという。
「ニューロンの回廊」の当時は、
岡村さんはお茶の水女子大学の学生だった。

司会をしてくださったのは、
お茶の水女子大学に在学中の
小林はるかさん。

雨の中、花野剛一さんの黄色いプジョーで
青山スパイラルに向かう。

理化学研究所 脳科学総合研究センター(BSI)
の10周年を記念して募集された
小中高校生の作文、絵画コンテストの表彰式
と、子どもたちによるトークショウ。

私が司会となって、進行する。
入賞した子どもたちとのやりとりや、
理化学研究所理事長の野依良治さん、
脳科学総合研究センター・センター長の
甘利俊一さん、
絵本作家のいわむらかずおさん、
BSIチームリーダーの馬塚れい子さん
などとのやりとりで大いに盛り上がった。

会場内にいらした
田中啓治さんや、池谷裕二さん、岡ノ谷一夫さん
にもお話をうかがう。

「今度は行こう」とねらっていた
池上高志と入来篤史さんは気配を察知したのか、
いつの間にかどこかに隠れてしまった。

残念!

台風接近で風雨の強まる青山の街を
傘を斜めにさしながら歩く。

竹内薫と久しぶりに落ち合う予定
だったが、
ここのところのハードスケジュールで
ダウンしてしまったとの連絡。

薫よ、とりあえずはゆっくり休んでください。
今度楽しく飲もうね。

電通の佐々木厚さん、花野剛一さん、
それに後からいらした佐藤泰子さんと
静かに飲んだ。

花野さんとゆっくり話したのは
本当に久しぶり。

『ニューロンの回廊』の時は、
スケジュール的に苦しいこともあった
けれども、本当に面白い本
(『芸術の神様が降りてくる瞬間』)
になったし、
ふり返ると、素敵な時間だったなと思う。

苦楽を友にしたヒトと、戦友のような
気持ちで飲む。

10月 28, 2007 at 08:53 午前 | | コメント (4) | トラックバック (2)

2007/10/27

科学大好き土よう塾 クイズ! 体の謎に迫れ

科学大好き土よう塾 
特集クイズ! 体の謎に迫れ
第二弾!

室山哲也、中山エミリ、ナポレオンズ
茂木健一郎

2007年10月27日(土)
9時15分〜10時
NHK教育

10月 27, 2007 at 08:43 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

高校生活と学問

Lecture Records

茂木健一郎
『高校生活と学問』

講演と質疑応答

東京学芸大学附属高校 講堂
2007年10月26日

音声ファイル(MP3, 75.8MB, 82分)

10月 27, 2007 at 08:43 午前 | | コメント (6) | トラックバック (0)

かけがえのない鑑

世田谷区下馬。
東京学芸大学附属高校の
校門の前に立ち、
正面玄関から入っていくと、
脳の中が温かくなって
さまざまな想念の泡が
浮かび上がってきた。

 在校時、
 校長室には一度も入った
ことはなかったのではないかと
思う。

 吉野正巳校長、五十嵐一郎副校長、
それに中村和子先生と話しながら、
記憶の糸が次第にほぐれて
いった。

 当時「ホワイトハウス」と呼ばれて
講堂。
 中に入った瞬間、「ああ、そうだ、
まさにここで、私たちはウェーバーの
『魔弾の射手』を上演したのだ」
と思い出した。

あの頃の、濃密で色とりどりの
日々がよみがえってきて、
胸がいっぱいになった。

感謝こそが生きる糧に
なることがある。

母校の研究集会でお話させて
いただく。
それは不思議な体験だった。

何人かの在校生も「もぐりこんで」
いて、
変わらない制服に、昔の自分を
重ね合わせた。

室田敏夫先生と、一年ぶりに
お目にかかる。
「講演の中で、たくさん引き合いに出して
スミマセンでした。」

なつかしい道を通って、
東横線の学芸大学駅に歩く。
 
鎌倉へ。

新潮社の池田雅延さんが気づいて
手を挙げた。

鶴ヶ岡八幡宮の奥を登ったところに
ある小林秀雄旧邸(「山の上」の家)
を訪問する。

「やっぱり雨になりましたね」
と池田さん。

「いやあね、昨日、明子さんから、
池田さんが行くんならば、きっと
雨になるわね、と言われていたん
ですよ。先生の家に行く時は、
7、8割方は雨だったんじゃないかな」

「山の上」の家は、
今は吉井画廊が管理している。

胸突き八丁の坂を登っていくと、
吉井篤志さんご本人がいらした。

大いに恐縮する。

小林秀雄さんが、30年間住み、
『本居宣長』などの代表作を
書かれたその家。

小林さんは、はるか大島が見える
庭の景色を見て、
即決したという。

「文士」という言葉を自然に
思い出した。

夏目漱石が、鈴木三重吉宛の書簡の中で
「死ぬか生きるか、命のやりとりをする様な
維新の志士の如き烈しい精神で文學をやって見たい。」
と書いたように、自分の生命の主体性を
世の偶有性にぶつけ、
キラリと精神の刃を交わして、
ギリギリと詰めて表現する。
そんな生き方が「士」という文字に
ふさわしい。

生活者は、戦場に出るわけではない。
しかし、その生き方の烈しさは、
必ず表現に結実するものと思う。
表現とは、行動の果実なのである。

池田雅延さんのお話を
うかがいながら、
雑誌Living Designの
岡崎エミさんの家についての
インタビューを受ける。

私が池田さんと向き合って座った
椅子は、いつも小林秀雄さんが
来客に接していた、その場所だとのこと。

吉井さんが当時のままに保存して
くださっている御陰で、
歴史の陰影の中に分け入り、
現代を生きる己を映し出す
かけがえのない鑑を得た。


池田雅延さんと。小林秀雄さんがいつも
晩酌をしていた部屋で。


小林秀雄さんの寝室だった部屋で。


応接室の大島が見える庭を背景に。
池田雅延さんと。


吉井篤志さんと。

(撮影 和田京子)

10月 27, 2007 at 08:38 午前 | | コメント (3) | トラックバック (3)

2007/10/26

光速の寄せと乙女の優雅の交錯

インターネットが発達し、
様々な情報を簡単に手に
いれることが出来て、
組織の垣根がこわれていく。

そして、私たちは偶有性の
海に投げ出される。

この歴史的機会を生かす
ためには、遠くへと
結びついていくだけでなく、
自分の内なる形が
見えない容易には把握できない
「幽霊のようなもの」
を大切に育まなければ
ならない。

立川志の輔さんに
お目にかかる。

志の輔さんは、来年一月の
パルコにおける一ヶ月の講演に
向けて、現在準備を
されている。

13年間続けている
NHK総合『ためしてガッテン』
の収録との調整があり、
また昨年は最終日に
声が出なくなるなど、
「もう二度とやるか」
というくらい苦しい公演だが、
やり遂げた時には何とも言えない
達成感があるのだという。

通過儀礼とは、苦しいことを
なし終えた時に訪れる
深くからの「人格変容」
のことであろう。

志の輔さんが、山田五十鈴さんから
聞いたという話が素敵だった。

自分が楽な姿勢は、人から
見るとだらしない。
自分がキツイ姿勢が美しい。
だから、山田さんは、舞台の上で
苦しい姿勢を凛と保っていたのだという。

進化心理学に「ハンディキャップ理論」
がある。
クジャクのオスの羽根のように、
生きる上での機能を持たず、
外敵に襲われた時などは
邪魔になる特徴が進化して
きたのは、
性淘汰においてメスがそれを
好むからである。

他の個体よりも多くのハンディキャップを
負っても生きていくことが
できるという事実が、活性と良き資質の
証拠となる。

「やせ我慢」がダンディズムにつながる
所以であろう。
江戸落語では、「見栄」や「やせ我慢」
が重要なモティーフとなっている。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせ。

漫画編集者・原作者の長崎尚志さんは、
「愛と覚悟のヒットメーカー」。

石田ディレクターが、
浦沢直樹さんと長崎さんの激論を
「迫真の映像!」で記録した。

チョコレートをテーブルの上に置くと、
いつものように、有吉伸人さんが
「光速の寄せ」で手をのばした。

早い! できるチーフプロデューサーは
段取りが早い!
びゅんびゅんびゅん!

住吉美紀さんや、山口佐知子さんは、
乙女らしく「おほほほほ」と後から
ゆったりとカカオ豆のお菓子を味わう。

光速の寄せと乙女の優雅の交錯。

ソニーコンピュータサイエンス研究所へ。

東京工業大学知能システム茂木研究室の
学生たちと、11月上旬の
Society for Neuroscienceに
向けて議論をする。

野澤真一と、自発性についての
モデルを検討する。

純粋な自発性であれば、eventと
同じくらいnon eventがあるはずである。

ある一定の時間内にeventがあることが
保証されているのならば、そこには、
Poisson的な自発的プロセス以外の
constraintが加わっているはずである。

石川哲朗のone shot learning
の実験について議論する。

「何となくわかる」という
想起におけるfeeling of knowingの
ようなpartial perceptionが成立
している時、その性質をいかに
characterizeできるか。
探索における被験者のbehaviorを
probeとして、partial perception
の状態について幾つかの
興味深い事実を導き出すことが
できる。

須藤珠水が、模倣に関する
実験をしている。
ビデオで記録し、コーディングする。

おもちゃ箱をひっくり返したような、
同時進行のその光景。

一日をふり返って考える。
私の内なる、
もっとも芯にあるほの暗い
幽霊のようなものは、
どのような反応をしてきたか。
イキイキとびゅんびゅんと
動き回っていたか。

インターネットとモバイルに
絡み取られていても、
気持ちとしては水の中で
驚く魚でいたい。

大切なのはagencyの内実である。

10月 26, 2007 at 07:40 午前 | | コメント (7) | トラックバック (5)

2007/10/25

脳のふしぎを探る

Lecture Records

茂木健一郎

『脳のふしぎを探る』

劣等感をこそ大切にせよ。
これからの時代は文系、理系は意味がない。
受験を乗り越える勉強法。
ほか。
質疑応答。

栃木県立宇都宮高校
2007年10月24日

音声ファイル(MP3, 84.1MB, 91分)

10月 25, 2007 at 08:41 午前 | | コメント (11) | トラックバック (9)

漂流してきてしまったのだなあ

日立製作所の武田英次さんに
お目にかかる。

武田さんは、半導体がご専門で、
中央研究所所長などを
歴任され、現在は執行役常務を
されている。

イギリスのケンブリッジには
日立の研究所がある。

武田さんが最近訪問した時、
現地の研究者がPhysics of medicine
に取り組むと宣言していた
ことが
とても印象的だったという。

20世紀には「モノ」から「情報」
へのパラダイムシフトが起こったと
多くの論者が語る。

そんな中、Physicsというのは
古いアプローチのようにも
思えるが、そんな趨勢に揺るがず、
プリンシプルを貫く。
「我々がやるのは、あくまでも
Physicsである」
その姿勢を大いに見習うべきだと
武田さんは言われる。

ケンブリッジ大学の創設は
1209年であり、もうすぐ
800年を迎える。

明治維新以来、せいぜい百数十年
の日本は、伝統においてなかなか
適わない。

同じ揺るがなさを求めようと
すれば、
日本は、維新以前の伝統との
継続性を掘り起こさねばならない
だろう。

中央研究所には、
「変人橋」があるのだと
武田さんは言われる。

武田さんもそうだが、
研究者は、正しいヘンジン道を
志向するべきだろう。

素晴らしきかな、ヘンジン!
嗚呼。

宇都宮高校で
お話する。

質疑応答の一発目で、
伝統校の底力を
思い知らされる。

国井久校長先生と、
敷地内の
文化庁の有形文化財に登録されている
旧本館(記念館)を
見学する。

夕暮れの校庭で、
弓道部の生徒何人かと話した。

何時までもついつい
ガキのような気分でいるが、
ボクが高校生でふらふら
していた時と同じ場所に
君たちはいて、
ボクはそこからずっと
漂流してきてしまった
のだなあ。

「同じだ」という気分と、
「隔たっている」という気分が
共存して、不思議な汽水域が
できる。

東京工業大学の私の研究室の
OBで、今はホンダに
いる長島久幸と会う。

宇都宮駅からテクテク歩いて、
餃子屋にでも連れて行かれるのかと
思ったら、落ち着いた料理屋だ。

長島クンもあれから人生を
漂流して来たのだなあという
感慨を抱いて、頼もしいとともに
不思議な気分だった。

10月 25, 2007 at 08:29 午前 | | コメント (4) | トラックバック (3)

2007/10/24

脳科学の現在とテクノロジーの未来

Lecture Records

茂木健一郎
『脳科学の現在とテクノロジーの未来』

講演
中島秀之学長との対論
質疑応答

2007年10月22日(月)
はこだて未来大学

音声ファイル(MP3, 86.5MB, 94分)

10月 24, 2007 at 08:03 午前 | | コメント (2) | トラックバック (2)

月の存在

函館から、プロペラ機で
函館の丘珠空港へと飛ぶ。
あれは五稜郭だ!
と最初は熱心に眺めていたが、
雲の上に出たあたりから
うつらうつらを始め、
はっと気づいた時にはもう
地上が近づいていた。

北海道CSKの矢渡英樹さん、宇加江茂
さんと市内に向かう。

矢渡さんが、大通り公園の
イサム・ノグチのすべり台のところに
連れて行ってくださった。

ひゅるん!
階段を上って、一気に降りた。

IT関係の人々を前に、
「脳と創造性」についてお話する。
「創造性の文化」を育むことが
大切である。

飛行機の中ではひたすら眠る。

讀賣新聞本社に向かって
歩く。

通用口のところで、光文社の
古谷さんと永吉さんと
お目にかかる。

花野剛一さんがプロデューサー
(花野P)として
作った、あの伝説の番組
『ニューロンの回廊』のうち、
表現者たちとの対談の部分が光文社から
『芸術の神様が降りてくる瞬間』となって
出版されたのだ。

本人がこんなことを言うのも
ヘンだが、
ゲラを読んでいて、大変面白かった。

対論を引き出すメディアとしての
テレビの可能性に
目を啓かれた次第である。

あの充実した時間をプロデュース
してくださった花野剛一さんに
感謝。

大手町から、神田の
「人魚の嘆き」へ移動。

読書委員会の後の懇談はいつも
面白い。
古今東西、様々な話題が飛び出す。

川村二郎さん、鵜飼哲夫さんと
文学談義をしたのが楽しかった。

最近求めていることはきっと
「苦しみ」なのかもしれない。
いろいろと悩み、惑うことこそが
人を成長させてくれる。

二階の座敷の開け放たれた窓。

空は曇っていたが、月の存在を
ずっと感じていた。

10月 24, 2007 at 07:40 午前 | | コメント (5) | トラックバック (5)

2007/10/23

プロフェッショナル 仕事術スペシャル Part 4

プロフェッショナル 仕事の流儀
明日から使える“仕事術”スペシャル Part4

〜 商品企画部長・佐藤章、玩具企画開発・横井昭裕、
ホテル総料理長・田中健一郎、
  
ソムリエ・佐藤陽一、庭師・北山安夫 〜

住吉美紀さんは、佐藤さん、北山さん、横井
さんの仕事場を訪ね、いつものように
素晴らしいお話をゲット! してまいりました。

そして今回は何と、不肖私が初レポーターに
チャレンジです。
帝国ホテルのキッチンで、田中総料理長
から伝授された料理の秘法とは・・・!

NHK総合
2007年10月23日(火)22:00〜22:44

http://www.nhk.or.jp/professional/schedule/index.html

すみきち&スタッフブログ

10月 23, 2007 at 11:01 午前 | | コメント (6) | トラックバック (0)

どこかでなじみのある顔

羽田から函館が満席だったので、
関西空港に降りた。

人工島から見る和歌山の街並みが
日本で最初に見る光景。
そんな外国人も多いことだろう。

関空から函館空港まで、
ひたすら眠る。

朝からコーヒーしか飲んで
いなかったので、お腹が
空いた。

函館ハーバービューホテルの横の
ラーメン屋に入る。
何気なく選んだが、
かつて青函連絡船で営業していた
地元の人にとっては大切な想い出の店らしい。

私は小学校5年の時に、
一度だけ青函連絡船で往復したことがある。
青森の魚市場で、エイのヒレを
売っていたことを鮮明に思い出す。

あの時、私は海峡ラーメンの
前を小さな足で通ったのだろうか。

目の前に置かれた
「海峡ラーメン」にはホタテや
海老が入り、
濃厚な味わいのスープを
飲み干した。

会計の時に、おかみさんが
声をかけてきて下さった。

「気に入ってもらえたんですか?」
「はあ。」
「最近、よくいらしていただいて
いますよね。」

どこかでなじみのある顔だと
思われたのかしらん。

認知科学の探究のきっかけは
至るところに転がっている。

松原仁さんと一緒に
はこだて未来大学へ。

中島秀之学長や、大沢英一さん、
小野哲雄さん、光藤雄一クンなど、
なつかしい顔、お馴染みのひとたちと
お話するのは本当に楽しかった。

講演開始まで、たっぷりと
時間をとったスケジュールだったの
が結果として良かったと思う。

はこだて未来大学を満喫できた。

はこだて未来大学は、受験生や父母の
間の認知度はまだまだ上昇するだろうが、
われわれ研究者の間ではすでに大変存在感の
ある大学である。

何よりも、上に挙げたティーチング・スタッフが
多士済々で豪華である。

未来大のキャンパスは、「吹き抜けが凄い」
と噂には聞いていたが、
実見して作り込みの美しさに感心した。

松原さんと渡り廊下を歩いていると、
さまざまなところで行われている
学習、授業、実習、談笑、事務作業等の
様子が俯瞰できる。

さまざまであること、それが俯瞰できること。
この空間性は貴重である。

函館の地に誕生して7年目のアカデミズムの
殿堂。
大きく実を結ぶ日も近いだろう。

講演時間になり、
「脳科学の現在とテクノロジーの未来」
というタイトルで60分話し、
続いて中島秀之さんと対論した。

とっぷりと暮れた道を
「裏夜景」を眺めながら
梅乃寿司へ。目下、函館随一の
お店だという。

http://www.umenozushi.co.jp/ 

魚介類をいただきながら、
中島さん、松原さんと愉しく懇談した。

香りの良さで、ネタの新鮮さがわかる。
柔和な表情をした御主人との
お話で、感覚がひらいていく。

興味深い会話ほどの魂にとっての
滋養はなく、
美味しい食事と響き会ったときには
まさに陶然とする。

函館山には星のように光が
輝いていた。

10月 23, 2007 at 10:55 午前 | | コメント (4) | トラックバック (4)

2007/10/22

脳の活動とクオリア

財団法人南北海道学術振興財団
第10回 情報科学セミナー

茂木健一郎
脳の活動とクオリア
ー脳はいかにしてクオリアを生み出すのか?−

2007年10月22日(月)
18:30〜20:00
はこだて未来大学4階講堂

http://www.fun.ac.jp/ 

http://www.fun.ac.jp/information/2007seminar_mogi/ 

10月 22, 2007 at 08:23 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

脳と人間

Lecture Records

茂木健一郎
『脳と人間』

2007年10月21日
山口県下関市菊川町アブニール(菊川ふれあい会館)

音声ファイル(MP3, 91.2MB, 100分)

10月 22, 2007 at 08:22 午前 | | コメント (1) | トラックバック (2)

わかったこととわからないことの比率

人間の脳は、長く生きるほどさまざまな
体験が蓄積していき、
 組み合わせを通しての
創造性の基礎となる
要素もふえていく。

 しかし、世の中には、何でも
わかったような気になって
ツマラナクなる人も多い。
 話していてつらいのは、
体験や知識が増えたことで、
自分はわかっていると思っている
人である。

 人間の脳の特性である
「オープン・エンド性」
を維持するにはどうすれば良いのか。

 研究の現場で感じていることが役に立つように
思われる。

 よく、「脳の神秘は何%くらいわかっている
のか」と聞かれるが、
 100あってそれを隅からつぶして
いくということではない。
 「一つわかると十わからないことが
できる」
というのが実感である。

 「わかっている率」は
研究の進行とともに逓減していくのでは
なく、つねに「わからないこと」
が切り開かれるので、
 わかったこととわからないことの
比率は、いつもかわらない。

 「わかる」という「ハンドル」
がつかなければ、そもそも
何がわからないかもわからない。
 わかることは、わからないことの
水先案内人なのである。

 人生について知れば知るほど、
わからないことも増えてくる。
 ある人について見聞きするほど、
その人のことがわからないと
わかる。

 一つ「わかる」の枝が伸びると、
そこから十の「わからない」の
枝が伸びる。
  
 そのようなイメージで生きていれば、
脳のオープンエンド性を
いきいきと保つことができる。

 新下関駅から菊川に向かう
のは美しい里山の中の道だった。

 すすきが見える。
 色付いた木々が通り過ぎる。
 その中に家々が息づいている。

 アブニールというホールで
「脳と人生」について話す。

 たくさんの方がいらしてくださった。

 終了後、地元の田中書店
さんが本を売ってくださったので、
 サインをした。

 一生懸命描いている
うちに、次第に日は西に傾いて
いく。

 気が付いてみると、2時間が
経過していた。
 百数十冊売れたという。
 
 長い間お待たせして、すみません。
ありがとうございました。

 販売してくださった
 田中書店は、下関市豊田町にあるという。

 以前、山口大学時間学研究所で
入不二基義さんたちと
研究会を開いた時、
 ちょうどその季節だったので
豊田町を流れる木屋川を船で下って
ホタルを見た。
 
 川を包む暗闇の中を
ほのかにやがてくっきりと
光が飛び交うあの時の体験は、
もはや動かし難い過去にあるようで
いて、
 私の中でずっと
育ってきてくれている。

下関の港近い料理屋「味覚」。

 今回のイベントを運営
してくださった下関市の
瞬報社の方々、ご紹介くださった
博多在住のデザイナー平松暁さんと
平松真由美さん、それに、
ライフセービングや航海カヌーのホクレア号
での活動で知られる荒木汰久治さん、
Jenaと宴を囲む。

 解禁されたばかりという
トラフグを始め、料理に舌鼓を打っている
うちに、サプライズ。
 バースデーケーキが運ばれてきた。

 大きなろうそく4本と、
小さなろうそく5本が立てられている。
 ゆらゆらと光るその
景色の中にすでに無限の変異がある。

 今回の誕生日は、本当に多くの
方に祝っていただきました。
 ありがとうございます。

 人生を重ねて多くのことを
知るほどに、
 わからないこと、謎のことも
また増える。

 ホタルの光の向こうに
あるものに心が惑う。

10月 22, 2007 at 08:00 午前 | | コメント (12) | トラックバック (11)

2007/10/21

脳と人間

下関市市民文化セミナーアブニール学級

茂木健一郎
「脳と人間」

2007年10月21日(日)14時〜
アブニール(菊川ふれあい会館)
山口県下関市菊川町大字下岡枝
入場無料。定員700人(中学生以上先着順)

http://www.city.shimonoseki.yamaguchi.jp/shihou/20071015/text.html 

10月 21, 2007 at 10:13 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

脳と生命

Lecture Records

茂木健一郎
『脳と生命』

九州大学仏教青年会 百周年記念行事
九州大学医学部百年講堂
2007年10月20日

音声ファイル(MP3, 49.7MB, 54分)

10月 21, 2007 at 10:08 午前 | | コメント (4) | トラックバック (1)

入れ替わったとしたら

九州大学
仏教青年会というのは、
帰依した宗教人たちの
集まりかと思っていた。

しかし、そうではなく、実際には
医療や法律などの奉仕活動を
しつつ、寮生活をするのである。

100周年という歳月の
積み重ね。

イベントの運営もすべて学生たちが
やっていて、
その熱意がまっすぐ伝わってきた。

パネルディスカッションの時、
私は、壇上から会場の一人ひとりの
顔を見ていた。

もし、この人の人生と
入れ替わったとしたら。

その人の両親を父、母と
思い、仕事をし、
交友関係を持ち、
もって生まれた姿かたちで
生きていくとしたら。

もしそうだとしたら、
今の私のこの人生とは
異なるものになるとしても、
それはきっと引き受けるに
値する生となるだろう。

そのことが確信された。

「偶有性」には、
規則性と不規則生が入り交じっている
という意味の他に、
「それ以外の状態にもなり得たのに、
現実には今、ここにこうしている」
という含意がある。

どのような状況に置かれても、
偶有性を味い寄り添って
生きていけば、それは
生きるに値する命となる。

そう考えたら、何だか
ワクワクしてきて、
ボクは楽しくなった。

胸の底から、わけのわからないうちに生まれ、
いつかは死んじまう
この地上の生を肯定する気になった。

九州まで来て良かったと思う。

10月 21, 2007 at 09:59 午前 | | コメント (5) | トラックバック (3)

2007/10/20

九州大学仏教青年会 百周年記念行事

九州大学仏教青年会 百周年記念行事

九州大学医学部百年講堂

2007年10月20日(土)13:30〜
 
茂木健一郎 「脳と生命」
オーケストラ演奏
パネルトーク

http://www.bussei.net/100years/index.html

10月 20, 2007 at 09:18 午前 | | コメント (5) | トラックバック (0)

科学大好き土よう塾 クイズ! 体の謎に迫れ

科学大好き土よう塾 

特集クイズ! 体の謎に迫れ

室山哲也、中山エミリ、ナポレオンズ
茂木健一郎

2007年10月20日(土)
9時15分〜10時
NHK教育

10月 20, 2007 at 07:39 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

脳とメディア

茂木健一郎
『脳とメディア』
第60回新聞週間記念講演

レクチャーと質疑応答

2007年10月19日
プレスセンターホール

音声ファイル(MP3, 65.6MB, 71分)

10月 20, 2007 at 07:37 午前 | | コメント (3) | トラックバック (5)

チュンチュンや、恒星と惑星や

45歳になりました。

もういい加減成熟して良い年
なんだろう。

ワインだったら、うまく保存して
いないと酢になっちまう。

ニル・アドミラリは、
感じる心を失うということではない。

若い時には大きな差異に見えた
さまざまなことが
本質ではないと悟ることである。

社会的地位や、権威や、
富貴や、学歴や、美男美女や、
特権や、賞や、栄誉やそういったものの
前で容易にヘヘエと頭を下げないこと。

本当に感激すべきこと、賞賛すべきこと、
愛すべきこと。
それは、
メディアや、大小や、老弱や、
美醜や、国籍や、言語や、
わんわんにゃあにゃあや、
チュンチュンや、恒星と惑星や、
そんな違いを超えたところにある。

PHP研究所で
シューベルトの話をする。

大場葉子さんがすばらしい
仕事をする。

丹所千佳さんと横田紀彦さんが、
おたんじょうのケーキと
パンプキンプリンを下さった。

ソニーコンピュータサイエンス研究所へ。

11月のSociety for Neuroscience meeting
の準備として、東京工業大学
茂木研究室の学生たちと、田谷文彦、
張キさんでどんどんドドンと議論する。

その議論が始まるまえに、
テーブルに皆座っていると、
突然星野英一とかがクラッカーを
パン! と鳴らしやがった。

なんだなんだ、と目をむくと、
茂木さん田谷さんおたんじょう
おめでとうという。

田谷文彦は10月19日
オレは10月20日なのである。

スクリーンが上がり、ホワイトボードを
見ると、
オレの顔と田谷の顔がかものはし関根崇泰の
手で描いてあり、
ついでに
小俣さん論文おめでとうと小俣の
似顔絵も描いてある。

ケーキが運ばれてきた。

みんな、ありがとう。
ステキじゃないか。

ケーキを腹一杯食べた。

それから、大いに数多に議論した。

一発学習。記憶のメカニズム。
自発性とinducerの関係。身体図象の問題。
understandingの認知過程。人の
presenceを感じること。
タスクの細部を詰めること。

ま、諸君、ここは一つ、
大いにサン・ディエゴで暴れるとしよう。

日比谷のプレスセンターへ。

今年は第60回新聞週間であり、
還暦を迎えたその記念すべき講演会で、
私と環境ジャーナリストの枝廣淳子さんが
喋った。

枝廣さんは、東京学芸大学附属高校の
時の「おとなりさん」。

2年3年は、私がB組で、枝廣さんは
C組だった。

「茂木さんIPAが好きでしょう」
と枝廣さん。

IPAとは、India Pale Aleの
略で、イギリスで殊の外愛されている
ビールである。

枝廣さんは、スペシャルなIPAを
下さった。

まだ自分の講演前なので、
その場でゴクリ、とはいかないが、
本当にうれしい。ありがとう。

ソニー広報の滝沢富美夫さんが、写真学科
の腕を発揮して
ぱちりと一枚撮ってくださった。

苦みばしった成熟男であるはずの
この私も、ニル・アドミラリの
座右を抱きつつ、皆さんのご厚情に
接し大いに感激、心を動かされた
一日でありました。

アリガトウ!

プレスセンターホールにて。枝廣淳子さんと。

10月 20, 2007 at 07:34 午前 | | コメント (18) | トラックバック (3)

2007/10/19

生命というものの根源的な力

プロフェッショナル日記

2007年10月19日

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/professional/ 

10月 19, 2007 at 01:14 午後 | | コメント (2) | トラックバック (1)

モーツァルトのオーボエ協奏曲のように

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録。

ゲストは、沖縄で義肢装具士を
する佐喜眞保さん。

佐喜眞さんは、ご自身が小さな時から
障害に悩まれていて、
また、北海道で仕事をしている
時に出会った奥さんも
障害があり、
そんな中、義肢をつくり、
装具をつくって障害のある
方の生活を支える仕事に取り組んだ。

簡単には言い尽くせない
身体の障害と、コンプレックスに
悩んだ人生。

「その人生と、ごく普通の人生と、
もう一度やり直せたとしたら
どちらを選びますか?」
とうかがったら、
佐喜眞さんは、「自分の人生を
もう一度生きたい」と答えた。

本当に素晴らしい人だった。

担当ディレクターは須藤祐理さんと、
寺岡環さん。
撮影は中村與志久さん。
音声は伊奈勇人さん。
そして、デスクは柴田周平さん。

佐喜眞さんのあまりにも
波瀾万丈な人生は、
青森で無農薬でリンゴを
作っている木村秋則さんを
思い出させる。

その木村さんの回を担当したのは、
当時ディレクターだった
柴田周平さんであった。

柴田さんがらみで、
木村秋則さん、そして佐喜眞保さんと、
「生きる」ということに
関する人間の底力をガツーンと思い知らされた
よ。

柴田さんは、先の
箱根で行われたプロフェッショナル班
の合宿において、見事なギターさばきを
見せ、「ム?」と思わせた。

収録前のスタジオで、柴田さんが
有吉伸人チーフ・プロデューサーと
何やら話している。
「茂木さん、柴田の目下の悩みは、
いかに、恋愛関係なしで女性と接する
ことができるか、という方法論にあるん
ですよ。」
と有吉さん。

「えっ。どういうことですか?」

「つまりですねえ。柴田は、これまで、
女性と向き合った時は、常に恋愛がらみ
だったということですよ。」

なんじゃ〜、そりゃ〜!

佐喜眞保ご夫妻を
囲んで打ち上げをしている時、
寺岡さん(「てらさん」)や須藤さん(「すどちん」、あるいは「ユーリさん」)
が「うらやましい〜」とか、
「ふざけるな〜」と柴田さんを
突き上げ、一方の柴田さんは「ははは」
と余裕の表情で笑っていた。

思えば、有吉伸人さんが
柴田さんのことを
「しばきち」と呼んだ時に、
「タダモノではない」
と悟るべきだったのだった。

「・・・きちというのはね、
由緒ある名前なんですよ」
と有吉さん。

「うちの班では、ありきち、すみきち、
しばきちと三人しかいないんです。」

ちなみに、「ありきち」は有吉伸人、
「すみきち」は住吉美紀のことである。

しばきち、恐るべし。


プロフェッショナル合宿で、余裕の表情を見せる
柴田周平デスク。

収録前に雑誌「GQ」の取材があり、
お昼には日刊スポーツの取材があった。
そして、収録終了後は、
NHKのイベント用のDVDの収録
があった。

DVDの収録前、スタジオに佇んで
いると、突然ファンファーレが
鳴った。

あの、ロスアンジェルス・オリンピックの
テーマソングである。

なんじゃ、と思っていたら、
すどちんがしずしずとケーキを
運んできた。

「?」
と思っていると、「茂木さん、
おめでとうゴザイマス!」
と言う。

ケーキには、Happy Birthdayとある。

私の誕生日は10月20日であるが、
その前の最後の収録なので、
お祝いをして下さったのである。

ありがとう。みなさん!!!

ケーキは、『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の第三回に出演された杉野英実さんが
考えてくださったのだという。

http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/060124/index.html

チョコレートと洋酒とチェリーと。
杉野さんのケーキは、天国に昇るか
と思うほど、美味しかった。

佐喜眞保さんという素晴らしい方に
出会い、杉野さんのケーキで
祝ってもらえた。

そして、柴田デスクの本質が
アラワになった。

夜には、研究室の小俣圭の論文が、
英国学士院紀要
(Proceedings of the Royal Society)
に通ったとメールが入った。
苦労した甲斐があったね、小俣くん!

忙しかったが、モーツァルトの
オーボエ協奏曲のように
魂が踊り出す、
うれしい一日だった。

10月 19, 2007 at 07:39 午前 | | コメント (9) | トラックバック (4)

2007/10/18

ごく当たり前のことが奇跡である

私の母校である
春日部市立八木崎小学校の
教育研究集会にて
お話させていただいた。

八木崎小学校は、
当時の人口増加のために
新設された学校。

私が小学校5年生の時に
校歌が制定され、
その記念の会で「蝶の研究」について
OHPを使って話した
ことがある。

だから、この学校の
体育館で話をするのは
二回目ということになる。

冬だったが、半ズボン。
私は小学校の6年間をずっと
半ズボンで通した。

思えば、数百人を前にまとまった話を
するという体験は、生涯あの時が初めて
であった。

講演前、齋藤範雄校長先生と
いっしょに、校舎の
あちらこちらで行われている
授業を見学した。

自分もまた、この教室の中で
授業を受けていたのかと
思うと、不思議な気持ちになってくる。

何よりも、子どもたちが、
ちゃんと机に座って、
先生の言うことを聴き、
それに応えているという
当たり前の事実が、
とてつもない奇跡のように
思えてくるのだ。

「ごく当たり前のことが奇跡である」
という感覚は、私の講演の前に
子どもたちが谷川俊太郎さんの詩を
「群読」した時により強まった。

身体でリズムをとって合わせたり、
呼吸がぴったりと一致したり、
「なぜこんなことができるのだろう」
と驚異の念に打たれる。

もし、カプセルに閉じこめられて
宇宙を漂流していたとしても、
子どもたちの振る舞いを一分間
記録した映像があったら、
その驚異から汲み出すことの
できる神秘を味わって
決して飽きることはないだろう。

認知科学、脳科学は、ふだん
私たちが何気なくやっている
ごく当たり前の
ことがいかに難しいかということを
明らかにする学問である。

研究集会には私が小学校5年生、
6年生の時に担任していただいた
小林忠盛先生もいらしていた。

昨年、NHKの「スタジオパーク」
に出演した時、
サプライズで小林先生が
スタジオにいらして、
演出でも何でもなく、本当に心の
底から驚愕したことがある。
あれから一年。小林先生はお元気そうで、
私はうれしかった。

自分が小さくて、まだちぃちいぱあぱあ
と言っていた頃の記憶が
さまざまに甦る。

昔を訪ねることが、久しぶりに
温泉に入ったようなぽかぽかとした
気持ちへと運んでいくのは
何故なのだろうか。

10月 18, 2007 at 08:28 午前 | | コメント (10) | トラックバック (4)

2007/10/17

ニル・アドミラリ

私は、
漱石の『それから』
でnil admirariという
言葉を覚えた。

そう簡単には驚いたり、
感心したり、動かされたり
しないというのは
人生に慣れ、擦れ、
一種の堕落した魂の
態度のようにも
思えるが、「ニル・アドミラリ」の
処方の仕方に
よっては賞賛に至るしきい値を
上げ、より高きを求める原動力
にもなりうる。

そもそも、
人生を豊かなものにするための
必須の条件は、世の中にいかに
高き嶺があるかということを
知ることではないか。

簡単にはその高みには
行けないからこそ、
そのような上目使いを続ける
からこそ、
育まれる精神性がある。

私は、結局、そういう人しか
信用しないようだ。

 彼は通俗なある外国雑誌の購読者であつた。其中のある号で、Mountain Accidentsと題する一篇に遭つて、かつて心を駭かした。夫には高山を攀ぢ上る冒険者の、怪我過が沢山に並べてあつた。登山の途中雪崩れに圧されて、行き方知れずになつたものゝ骨が、四十年後に氷河の先へ引懸つて出た話や、四人の冒険者が懸崖の半腹にある、真直に立つた大きな平岩を越すとき、肩から肩の上へ猿の様に重なり合つて、最上の一人の手が岩の鼻へ掛かるや否や、岩が崩れて、腰の縄が切れて、上の三人が折り重なつて、真逆様に四番目の男の傍を遥かの下に落ちて行つた話などが、幾何となく載せてあつた間に、錬瓦の壁程急な山腹に、蝙蝠の様に吸ひ付いた人間を二三ヶ所点綴した挿画があつた。其時代助は其絶壁の横にある白い空間のあなたに、広い空や、遥かの谷を想像して、怖ろしさから来る眩暈を、頭の中に再現せずには居られなかつた。
 代助は今道徳界に於て、是等の登攀者と同一な地位に立つてゐると云ふ事を知つた。

 『それから』で、代助がマウンテン・
アクシデンツに関する外国雑誌の記事を
読むこの箇所は、
高みを目指す者の栄光と危険を
大助の一身上の魂の危機とともに
描き出す。

麹町の日本テレビで撮影。

住吉美紀さんと
同期だという森富美アナウンサー
にお目にかかる。

NHKと日本テレビと局は違うが、
アナウンサーというのはいろいろな
局を受けるので、お互いに顔を
知っているのだという。

NHKで『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録。
自閉症支援にたずさわる服巻智子さん
にお話をうかがう。

お昼を食べる暇がなかったので、
自動販売機でサンドウィッチを買った。
いろいろ値段を比べて、
一番高い240円の
「目玉焼きサンド」にした。

スタジオ前のソファに座って
食べていたら、
有吉伸人さんが前に座った。

なんとなく、ひもじそうな
気配がしたので、
「有吉さん、一個どうですか?」
と聞くと、
「いや、いいです」
という。

遠慮しているのかな、と思ったら、
体調を整えるために
食を断っているんだという。

もののあはれを感じる。

サンドウィッチをもぐもぐ
食べて、それから、人間の脳の多様な
あり方について服巻さんとお話する。

築地市場に近い
時事通信社ホールにて、
理化学研究所脳科学総合センター(BSI)
10周年の講演会。

http://www.noukagaku10.jp/program/session5.html

脳と芸術の関係について考えた。

芸術家は自らの体験を特権化、
ブラックボックス化しがちであり、
一方科学者の言説は時に
あまりにも単純に割り切るように
見える。

しかし、科学者の言説の背後には
膨大な量の実験と思索があり、
また芸術家のメソッドには科学に通じる
方法論が隠れている。

両者の汽水域に棲まう不思議な
生きものたちの姿を見きわめる
ことは、まずは違和感を味わい、
衝突し、融合し、古い自己を喪失
することから始まるしかない。

座右の銘とすべきは、
中途半端な異分野交流では満足
しない
ニル・アドミラリの精神である。

たとえ危険にさらされるとしても、
高い山に登らなければならない。

10月 17, 2007 at 08:44 午前 | | コメント (6) | トラックバック (6)

2007/10/16

プロフェッショナル 仕事の流儀 荒瀬克己

プロフェッショナル 仕事の流儀 第65回

背伸びが、人を育てる
 〜校長・荒瀬克己 〜

「堀川の奇跡」と呼ばれる学校改革を
成し遂げ、進学実績を
飛躍的に上げた荒瀬さん。

全国の公立学校関係者から
注目されるその人の中にあったのは、
深い教育哲学だった。

そもそも教育とは何か。
人間形成とは何か。

「数字」の向こうに見える
人間の姿に心が震える。

NHK総合
2007年10月16日(火)22:00〜22:44

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ

Nikkei BP online 記事
改革の裏にある「石橋を叩く」姿勢
〜校長・荒瀬克己〜

10月 16, 2007 at 07:32 午前 | | コメント (3) | トラックバック (4)

「兆し」を定着するための

この世はすべて無常であるならば、
あるものたちが限られた
時間とはいえ取りあえず
安定して存在してくれている
ことは奇跡的なことだ。

 授業のために、東京芸術大学
に向かう道すがら、
 「上野公園は、やっぱり、
あの時と同じように、上野公園だなあ」
と思った。

 大学院生の時、研究室から
出てよく上野公園の中を走った。
 不忍池の畔を通り、
階段を一気に駆け上がって
 それから桜並木の下を
疾走し、
 噴水広場をぐるりと
一周して戻った。

 上野公園は、あの時と
同じように、「その場所」にある。
 
 宇宙の時間を早回しして
みれば、
 やがて太陽は赤色巨星
となって地球を飲み込んじまう。

 それよりも前に、地球の上の
わが大地だって地殻変動。
 いつ小惑星が衝突するか
わかったもんじゃない。

 生きているということは、
辛うじて成立している安定に
帰することであって、
 それがつかの間に過ぎないことは、
ふわふわと
やわらかい有機体たる
私だって、上野公園だって
変わりはない。

 私たちが生命の本質
だと考えていることの
多くは無生物にも
当てはまる。

 限りある命も、
 移ろいも、
 偶有性も。

 世界をフラットに見る大いなる平原
を切り開けば、
 見よ、いかなる大星座たちが
その空との際から昇り始めることか。

 授業の時、布施英利さんが
いらしていた。
 そのコメントはやっぱり
パンチが利いていて面白かった。

 現代美術は、その表現に
おいてこの上なく自由であるが、
「一つ抜けている」
作品とそうではないものの間には
歴然とした差がある。

 口語表現もまた同じであり、
どのような言葉を配列しても自由
であるが、その内容が
「一つ抜けている」
ためには、何らかの配剤が必要だ。

授業の後、上野公園のいつもの
場所で学生たちやモグリの人たちと
飲んだ。

私はすぐに行かなければ
ならなかった。

桑原茂一さんが、車で
送ってくださるという。

吉村栄一さんと一緒に、
渋谷のNHKまでの道を
お話ししながら
夜景を見ながら
想いを交わしながら。

タルコフスキーが
『惑星ソラリス』の中で
描いた首都高速のこの光景も、
やはりつかの間の安定の
中にあり。

もし全てが移ろい行くものだと
すれば、ほんの瞬間の中にも
永遠への兆しは見つかるはずだ。

脳の一瞬のひらめきは、そのような
「星の時間」における
「兆し」を定着するための自然の工夫
なのだろう。

10月 16, 2007 at 07:26 午前 | | コメント (6) | トラックバック (5)

2007/10/15

視点・論点 脳と個性

視点・論点

茂木健一郎 『脳と個性』

NHK教育 
2007年10月15日(月)
22時50分〜23時

10月 15, 2007 at 09:57 午後 | | コメント (1) | トラックバック (1)

勝負服の夢

湯河原の「石葉」
に来た。

 小学館の「和樂」編集部の渡辺倫明
さんが、平松洋子さんに教えて
もらった宿だという。

 「とにかく、ご飯がおいしいんですよ」
と渡辺さん。

 東京駅に、渡辺さんと、橋本麻里さん、
それに私で集合した。

 「こういう時はまずはビールでしょ」
と橋本さんがいい、渡辺さんが買ってくる。

 日曜の午後のあいまいな気分を
泡の中に溶かし込んだ。

 熱海から一駅戻り、車で
「石葉」へ。
 「観月庵」という離れに
通される。
 時計を見ると、まだ午後3時である。

 とりあえず、とお風呂に
行き、戻ってきてもまだ午後3時30分。

 畳の上に寝転がって、形態形成に
ついての洋書を読み始めた。

 渡辺さんが風呂から帰ってくる。

 「おやまあ」などと交わしている
うちに、いつの間にか畳の上に
大の字で寝ていた。

 途中で起きて、お風呂にもう一度
入った。

 帰ってくると、渡辺さんが
「競馬中継」を見ている。
 
「何ですか、これは?」
「ナントカ賞ですよ」
「なるほど。賭けているんですか?」
「いや、今回は買っていません。」

耳を澄ませていると、
「タケユタカ・・・」
「マダコウホウニイマス」
「ダイサンコーナーヲマワッタ」
などと聞こえてくる。

その中に、
「ショウブフク・・・」
とあったので、ピンと来た。

「そうか、勝負服というのは、競馬から
来ているんですか。渡辺さん、そうですか?」
「そうですよ。茂木さん。」

一つ賢くなったので、畳の上で
ふとんを被ってまた眠る。

6時になって、お膳が運ばれて
きた。

さすが平松洋子さん御推挙とあって、
素敵なお食事でアル。

ワインを飲んでワルグチや
カルクチをばあばあ喋っている
うちに、陶然となる。

とっとと眠る。
朝風呂に入る。
湯上がりでぶらぶらとしながら歩いた
談話室で、備えられてあった
白洲正子を読む。

部屋に戻る。それでも、渡辺氏は
起きていなかった。
勝負服の夢でも見ているのかしら。

以前、もう二十年近く前のことになるが、
インドネシアのバリ島の「地中海クラブ」
で何もしないでぶらぶらしていたら、
ずっと忘れていた巨きな夢が
胸の中に甦ってきて、熱い気持ちに
なったことがある。

ぶらぶらと何もしないでいることには、
そのような作用があるようだ。

虫と鳥の声が響き合って聞こえる。
山から猿が降りてくることがあると
いうが、
猿もまた、勝負服の夢を見ている
らしく、一向に姿が見えない。
 
胸には、猛然と突進していく
馬たちの残像があって、
身体のリズムが変わって行く。



石葉の離れ「観月庵」にて競馬中継に見入る渡辺倫明氏。


ぐっと寄ってくる。


さらにぐっと寄ってくる。

10月 15, 2007 at 07:38 午前 | | コメント (3) | トラックバック (2)

2007/10/14

東京芸術大学 美術解剖学 多様性と普遍性

東京芸術大学 美術解剖学
2007年度 後期第2回

茂木健一郎
The Multitude of things so beautiful.
〜多様性と普遍性について〜

2007年10月15日(月) 
午後3時35分〜午後5時
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)

http://www.geidai.ac.jp/access/ueno.html

10月 14, 2007 at 10:01 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

アメンボに学ぶ人生

ヨミウリ・ウィークリー
2007年10月28日号

(2007年10月15日発売)

茂木健一郎  脳から始まる 
アメンボに学ぶ人生

抜粋

 一緒に旅行する友人と席が離れてしまって、空いている指定席に一時的に座っているような時。停車駅が近づくと気が気ではない。誰かが歩いてきて、チケットを眺め、怪訝な顔をすると、心臓がドキンと高鳴る。
 「あっ、すいません。こちらの席ですか」と言ってあわてて立つ。チケットを持った人は、当然という表情で座る。再び近くの空いている指定席に座ったとしても、また同じ内心の葛藤が繰り返される。
 自分たちのことならもちろん切ないが、そうやって次から次へと指定席を移っている人たちを見ていると、何だかこちらまで苦しくなってくる。それが家族連れだったりすると、何とかしてあげたくなってしまう。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/


10月 14, 2007 at 09:44 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

人間について

Lecture Records

茂木健一郎『人間について』

新潟大学医学部 医学祭

2007年10月14日

講演と質疑応答

音声ファイル(MP3, 93MB, 101分)

10月 14, 2007 at 09:38 午前 | | コメント (3) | トラックバック (1)

キャンパスを闊歩して

トンネルを抜けて、新潟平野に
出ると、ぱっと開けて明るく
なるのでいつも印象付けられる。

 「新潟大学医学部へお願いします」
というと走り出した。

 くるっと回って、
ぐっと入って、停まったら、
そこに、呼んでくれた
岩村憲クンがいた。

 「あれ、なんでここにいるんだ?」
というと、
 「茂木さんを待っていたんですよ〜」
と岩村が言う。
 
 「なんで、ここにタクシーが
停まるってわかったんだ?」
 「だいたいここだろうと思って、
張っていたんですよ」

 そうかそうか。

 ボクは、新幹線の中で忙しく
働いていた。
 まずは原稿を仕上げ、それから、
一つ今日はたっぷり「クオリア」
の本格的な話をしてやろうと
思ってパワーポイントを用意していた。

 「それでさあ、岩村さあ、
今日はどんな話をすればいいんだろうか」
 「一つ、医学生に、ばーんと医学の
現状についてですねえ」

 ありゃりゃ。

 会場と、その周囲の雰囲気を見て
観念した。
 パワーポイントは使えない。

 それでは、人間について
話そうと思った。

 質疑応答が面白かった。
 何だか、まっすぐだったなあ。 

 中田力先生のいらっしゃる脳研の建物も、
 7テスラのfMRIが入っている
という棟も見学できた。

 風が少し冷たかった。

 キャンパスを闊歩して、
 大いに面白かった。

 岩村くん、渡辺さん、風間くん、
ありがとう!
 何よりも、岩村が元気に
やっているようで、それがエカッタなあ。

 クオリアの問題を話そうと
思ったのには理由がある。
 今年は『脳とクオリア』を
書いてから10周年。
 ちくま学芸文庫から
改訂版を出す予定でいるが、
 なかなか作業が進んでいない。
 
 10年経っても、クオリアの
問題の大切さも、難しさも
変わっていない。
 何回も辿っている思考の跡がある。
 そこを最初は薄い鉛筆で、
やがて濃いクレヨンでなぞっていく
ことによって、
 徐々に絵が見えてきている。
 
 帰りの新幹線は、仕事を
しようとして、はっと
気づいたらMacBookを
開いたまま眠っていた。
 
 考えてみると、新幹線は
時速300キロで走り、
 地球は毎秒30キロで
公転する。 
 そして、太陽系のあるあたりの
銀河系の渦の手も、
 ぐるりぐるりと
回っている。

 私が秒速何メートルで
走っていようが、
 まどろむこと、考えることの
内容は影響を受けない。
 これは実にすごいことだなあ。
 
 宇宙の驚異は、
seven wonders of the worldなどを
持ち出さなくても、
 たとえば目の前の芥子粒の中に
ある。

10月 14, 2007 at 09:33 午前 | | コメント (6) | トラックバック (5)

2007/10/13

『生きて死ぬ私』(ちくま文庫版)7刷

『生きて死ぬ私』 (ちくま文庫) 
は増刷(7刷、累計27000部)
となりました。
ご愛読に感謝いたします。

たけちゃんまんセブン(=増田健史氏)、ありがとう!


10月 13, 2007 at 10:04 午前 | | コメント (5) | トラックバック (1)

ベルトマン博士の靴下

朝日カルチャーセンター
のあと、
飲み会でいつもの
ように「兆一」に行き、
帰ろうと靴を履こうと思った
時に事案は発覚した。

?????

ボクの靴と確認できるブツが
確かに並んでいるのだが、
何かが歴然とおかしい。

右の靴には、かかとのところに
色リボンがついている。
左の靴には、ついていない。

右はほっそりしているが、
左は少しふっくらしている。

内側の模様も違う。
しかし、どちらも間違いなく
私の靴である。

朝家を出る時に、違う靴を
左右一つずつ履いて出たらしい。

その事実に夕刻まで気づかなかったのは
仕方がないとして、
テープを巻き戻して朝に戻すと、
ボクは、ブルーバックで
テレビの収録をしていたのだった。

現場に立ち会っていた
電通の佐々木厚さんに、「あれ、
足まで入っていましたっけ?」
と聞くと、佐々木さんは、
「全身だから、もちろん
入っていましたヨ」
と言う。

シュートの時、プロデューサー
もカメラマンも音声の人も
ディレクターも
目を皿にして見ていたのでは
なかったか。

それでも、誰も気づかなかった。

量子力学の基礎の研究で著名な
JSベルが1981年の論文で書いた
「ベルトマン博士の靴下」という話がある。

「ベルトマン博士は、左右違う色の靴下を
履くのが好きである。毎日、どのような
色の靴下を履くかということは予想できない。
しかし、もし片方の靴下がピンクであると
いうことがわかったら、もう一方の
靴下はピンクではないということが
直ちにわかる。最初の靴下に関する観察が、
瞬時に二番目の靴下にかかわる情報を
もたらすのである。」

博士のこの奇妙な習慣が
量子力学の基礎にどのようにかかわるのか
という点について興味のある人は、
ひとつ少し勉強してみてはいかが
でせう。

時間をさかのぼって、
脳研究グループの会合。

柳川透が、脳の中の自発発火
と行動の変位の関係についての
論文を紹介。

戸嶋まゆみさんは、視床を電気
刺激し続けることで重度の脳損傷患者の
機能が劇的に改善したという
論文を紹介。

戸嶋さんは、ゼミのJournal Clubでの
論文初紹介であった。

研究所を出たら、田谷文彦が
追いかけてきて、
話しながら歩いた。

ああ、その間も、
ゼミをやっている時も、
五反田の街を歩いている時にも、
ボクの足はずっと左右が違って
いたんだなあ。

思えば朝、
ソニー広報の滝沢富美夫さんに
急ぎの仕事を送った。

「これで、私も戦車に追いかけられずに
済みます」
という滝沢さんの安堵に始まった
一日は、人間の脳がいかに大きな差異を
見逃し続けるかという事実に関する
一つの認知実験として終わったのである。

しかし、いくら茂木の仕事が
遅いからといって、戦車に追いかけられる
ことはないんじゃないですか、
ねえ、滝沢さん!

10月 13, 2007 at 08:00 午前 | | コメント (5) | トラックバック (7)

2007/10/12

新潟大学医学祭

新潟大学医学祭

茂木健一郎講演会『脳科学の未来』

期日:2007年10月13日(土)

開場13:00、開演13:30、終演15:00

会場:新潟大学旭町キャンパス医学科第一講義室

以下、呼んでくださった岩村クンからの情報です。

チケット:700円

新潟WITHチケットぴあ(TEL(025)222-9651)
新潟伊勢丹チケットぴあ(TEL(025)242-1111)
新潟大和案内承り所(TEL(025)228-1111)

http://niigata41medfes.quu.cc/

http://www.gaku-sai.com/show/112/新潟大学医学祭/新潟大学

10月 12, 2007 at 03:26 午後 | | コメント (1) | トラックバック (1)

朝日カルチャーセンター 脳と心を考える

朝日カルチャーセンター講座
「脳と心を考える」 ー脳と行動ー

2007年10月12日、12月1日、
12月7日、12月21日

12月1日は、動物行動学の権威
日高敏隆先生をお迎えして
対談します。

http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0710koza/A0301_html/A030101.html

10月 12, 2007 at 07:29 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

觔斗雲に乗って

 イランで大学生が誘拐された。
 心配である。
 無事解放されることを祈る。

 こういう時に、また「自己責任」
などとしたり顔でいうやつが
いたら、オレが觔斗雲に乗ってかけつけ、
「人間は本来そんなに心が
狭くないはずだ!」
とどやしつけてやる。
 
 新潮社にはタイヘンお世話になって
いるし、知り合い、
 ビール友、
 ホッピー師匠、 
 人生の師匠などがいて、
 大好きな出版社ではあるが、
 週刊新潮の見出しには時々
違和感を覚える。

 今週号、沖縄基地問題と
教科書検定を結びつけた
いじわるな見出しが出ているが、
 ああいうひねくれた
視点をオモシロイと思う
人間の心性も、
 オレは觔斗雲でどやしつけて
やりたい。

 そもそも沖縄の人の気持ちを、
何だと思っているんだろう。

 そう思って空を見上げると、
雲がたくさん浮かんでいる。
 
 孫悟空が何人も行き交って、
どやしつけている声が
うわんうわんとこだまする!
 
 それはきっと
ボクの幻想に過ぎないんだろう。

 先日、BBCのニュースを
見ていたら、
 ロンドンでアムネスティ・
インターナショナルの人が
演説をしていて、
 「ビルマの軍事政権を
支えているのは、インドや中国などに
よるオイシイ(lucrative)武器取引
でアル!」
ときちんと真実を語っていた。

 こういうマッスグな声こそ、
もっと世界に響くべきであろう。

 スイスの山の
長いながーいホルンのように
マッスグな声を響かせようよ。

 世界というのは不思議な場所で、
 口笛で話している人たちがいて、
それは、山の間に住んでいる人たちで、
お互いに遠くから呼びかけ合うんだ
そうだよ。
 そういう言葉を、口笛言語
(whistle language)というんだ
そうだよ。

 口笛だったら、もっと
声が届くかな。

 白洲信哉との飲み会で
外に寝ていたためか、
 午後、突然クシャミが
とまらなくなってびっくりした。

 『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせの時も、
 くしゅんくしゅんといっていた。

 スケジュール確認で、予定表に
「クオリア再構築」と書いてあったら、
住吉美紀さんが
 ボクが精神のエステのごとく
自分の内側のクオリアを再構築
するオフの日だと思ったらしく、
 面白かった。

http://www.nhk.or.jp/professional-blog/100/5036.html 

 そうではないゾ。
 「クオリア再構築」は、
 集英社の「すばる」の連載企画で、
島田雅彦といろんなところに
出かけているのでアル。

 忙しい。
 とりわけ、昨日から今日にかけては
時間の余裕がマッタクない。
 
 確かに、スミヨシミキが
勘違いしたように、
 ぼくは「クオリア再構築」が必要かも
しれない。

 觔斗雲に乗って、
ちょッと行ってきます〜
 といけばいいんだけど、
結局仕事に飛び回る。

10月 12, 2007 at 07:24 午前 | | コメント (13) | トラックバック (1)

2007/10/11

新・森の生活 普遍性

「中央公論」 2007年11月号

茂木健一郎 連載 
新・森の生活 多様性を科学する

第11回 普遍性

一部抜粋

 「普遍性」を動的プロセスにおいてとらえるということは、別言すれば、平凡な事象と傑出した出来事がどちらも同じ原理によって導かれているということを認識することである。画期的な事蹟を残す天才も、ありきたりの日常を送る凡人も、社会の中でその人格や才能がどのように形成されたかという動的な視点から見れば、同じ普遍的原理に基づいている。

http://www.chuko.co.jp/koron/ 

10月 11, 2007 at 09:15 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

日本のクオリアを旅する 斎場御獄と久高島

小学館 和樂

2007年11月号

茂木健一郎 連載 日本のクオリアを旅する

第17回 斎場御獄と久高島

http://www.waraku.shogakukan.co.jp/latest3.html  

10月 11, 2007 at 09:03 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

dictionary 118

クラブ・キングからの封筒を開けたら、
dictionary 118が入っていた。

桑原茂一さんや、吉村栄一さんから、
「茂木さんについていろいろな人に
聞きます」とは言われていた。

佐々木厚さんには行くだろうと
思っていたが、
まさか植田工とか、池上高志まで
行くとは思わなかった。

しかも、頁をめくると、
田森佳秀までいるじゃないか。

衝撃だ(笑)。

こういう編集をしてくるとは。

桑原茂一。
吉村栄一。
恐るべし。

入手方法がサイトにあるので、
興味がある人は(恥ずかしいですが)
dictionaryを探してみてください。

http://dictionary.clubking.com/dictionary_118 

10月 11, 2007 at 08:52 午前 | | コメント (2) | トラックバック (1)

星間の人

星間の人

一生懸命その人の話を
聞いていると、
その人が、いつの間にか自分の
中に入ってくる。

須藤珠水と、関根崇泰がしみじみ、
くっきりとした姿をして、私の
中に入ってきた。

東京工業大学すずかけ台キャンパスにて、
二人の博士の予備審査。

本当にご苦労さま。

終了後、すずかけ台駅前の
「てんてん」でみんなで
食べた。
ぼくはいつも天丼だが、
柳川透は必ずてんぷら定食である。

いつもは「最初からご飯の上に
のっている方がいい」とハネて
いるが、
もしゃもしゃしているところを
見ると何だかうらやましかった。

乗り換えて藤沢へ。

湘南高校の建物は十余年前に建て替えた
そうで、近代的で立派な
校舎である。

二時間にわたって、一生懸命に
喋った。

タラの芽のような味わいの
想い出がわが胸に残りて、
学舎を後にする。

鉄の塊に乗って、
せっせ、せっせと移動する。

悪友、白洲信哉が
『白洲正子の宿題』 を
上梓したということで、有志で
お祝いの会をする。

とは言っても、信哉氏自らが
「シェフ」となって、人々にご馳走を
振る舞うのである。

それじゃあモウシワケないというので、
志ばかりの酒を持参する。

目を覚ますと、信哉氏、
「茂木さんは寝過ぎだヨ!」
と絡んでくる。

これは失敬。床の上でいつの間にか
星間の人になっていたらしい。

何しろ、関根の論文を直していて、
あまり眠っていなかったからナ。

新潮社の池田雅延さんもまた、
同じ星の空間を漂っていたらしかった。

池田さんと本居宣長の『紫文要領』
の話をする。

「いやあ、宣長さんの文章は、決して
難解じゃないですネ。」
「そうなんですヨ。小林先生は、おそらく、
文章家として、本居宣長を一つの規範
としていらっしゃったんじゃないかと
思います。」

伝説という布を織る現実という糸。

本年度の小林秀雄賞のパーティーで、
受賞者の内田樹先生は、
池田さんに紹介された時、
「担当の方が、まだ
ご存命だったんですね!」
と驚いていたと聞く。

それを聞いて白洲明子さんが
大いにウケたと聞く。

そういえば、信哉氏、来てすぐに
池田さんに「ご存命で!」
とやらかしていたっケ。

なるほど、そういうことである。

ハモ鍋で終わる信哉氏の料理はすこぶる
美味。
かたじけない。

その上、鏡リュウジさんもいらした。

いやあ、これも、「命」のおかげです。
暗闇と、全てをはぐくむ偉大なる
水の賜物です。

のびのびしっとりと躍動した魂
をふところあたりで押さえてみて、
その感触に、いい一日だったとふり返る。


白洲信哉の本と著者。まえがきを寄せたのは不肖私。


佐々木厚さんはシャブリのマグナムを。


池田雅延さん、星間の人となる。


覚めていても星間に漂う。池田雅延、白洲信哉、茂木健一郎。

10月 11, 2007 at 08:30 午前 | | コメント (5) | トラックバック (2)

2007/10/10

たくさんの水を蓄えて

集英社の「青春と読書」に連載していた
『欲望する脳』が、この程同名の
タイトルで集英社新書になる。

 その関連で、長谷川眞理子
先生にお目にかかって対談した。

 韓国から帰ってきたばかりの
長谷川さん。
 進化論や、ダーウィン、
生命哲学の話であっという
間に楽しく時間が過ぎた。

 生態系というものは、基本的に
環境を整えて後は放置して
おけば勝手に育っていく。

 ある面積の溜まり水を用意して
おけば、いつの間にかメダカが
来て、アメンボが這い、
水草が茂る。

 土地を放置しておけば、
草が生え、そのうちどこからか
木の種が飛んできてすくすくと
成長する。

 生態系を育むということは、
基本的に「管理する」とか
「コントロールする」という
ことになじまない。
 せいぜい、「手入れをする」
ことができるだけである。

 「教育」というのも
同じことであって、基本的に
環境を整えて放っておくしかない。

 最近の大学教育では「シラバス」なる 
ものがあるが、もし、それを、
 「これだけの情報は確実に
受講者の脳に植え付ける」という
意味でとらえるとすると
間違える。

 環境を整えたら、あとは
学ぶ者の自主性に任せるのが、
 最も自然の摂理に適った方法
である。

 終了後、集英社の鯉沼広行さん、
野呂くるみさんを交えてご飯を
食べた。

 人生も、目的論的にばかり
運用していると、せっかく天から
授かった生命を全うすることが
できなくなる。

 自分の中に、広大な土地を
放置し、たくさんの水を蓄えて、
やがて不思議な生きものたちが
はびこるような、そんな風な
人生でありたい。

10月 10, 2007 at 04:33 午前 | | コメント (8) | トラックバック (4)

2007/10/09

プロフェッショナル 仕事の流儀 吉高まり

プロフェッショナル 仕事の流儀 第64回

あえて、困難な道を行け

〜環境金融コンサルタント・吉高まり〜

「環境ビジネス」との出会いが、
吉高さんの人生を変えた。

経済活動内部での合理性を追求することが、
全体としての合理性をないがしろ
にしてしまう「外部性」。

排出権ビジネスのような新しい
うねりは、ものいわぬものたちの
静かな声に耳を傾けることに支えられている。

吉高さんはゲンキ! だ。

今日も世界の隅々を駆け回る!

NHK総合
2007年10月9日(火)22:00〜22:44

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ

Nikkei BP online 記事
生きている「実感」は挑戦から生まれる
〜 環境金融コンサルタント 吉高 まり 〜

10月 9, 2007 at 06:22 午前 | | コメント (5) | トラックバック (7)

カオスの娘

書評

茂木健一郎/島田雅彦『カオスの娘』

小説トリッパー
2007年秋季号

http://opendoors.asahi.com/data/detail/8378.shtml

10月 9, 2007 at 06:15 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

縞模様が描き出す地球と生命の歴史


茂木健一郎と愉しむ科学のクオリア
縞模様が描き出す地球と生命の歴史
ゲスト:川上紳一(岐阜大学)

日経サイエンス 2007年11月号

http://www.nikkei-
bookdirect.com/science/item.php?did=55711

10月 9, 2007 at 06:09 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

それでもぼくは

そうすることは
楽だから、人間はついつい他者を
決めつけてしまうものである。

 しかし、
 何かがその人から
出てきたからといって、
決してイコールではない。

 歩いていてたまたま
ひろった果物が、それを生み出した
背後の生態系と等置されるものではない
ように、
 ひとりの人間という大密林を、
そこから飛び出した産物で
判断することなどできない。
 
 夜、森の前に立つと、暗闇から
様々なものの気配が聞こえてくる。
 人に向き合うということは
つまりはそのような深い傾聴を
伴うことであろう。

 やってもやっても目の前の
仕事が終わらず、何だか切なく
なってしまう。
 
 だがしかし、生きものという
ものはそもそもずっと忙しく
立ち働いているものではないか。

 水面のアメンボたちは、
自分たちのテリトリーを守り、
エサが落ちたらそこに駆けつけ、
 異性を探し、
危険から逃れ、
 いつもスイスイぴょんぴょん
やっている。

 鳥は何時までもエサを探しているし、
メダカも身を翻してキラキラ
きゅるりと忙しい。

 実にぼくも、全く一緒であるなあ。

  秋が深まり、生きものたちの
影が徐々に薄くなってきた。

 ただ、ほんの少しの時間だけでも、
ゆったりと道を歩ける。
 それだけでかけがえのない幸せだと
思える。

 道ばたにセミの死骸が一つ落ちている
ということは、本当は世界を揺るがす
大事件であるはずだ。

 日本の街並みは確かに醜悪だが、
自分を包む世界の分子構造を量子力学的
隠喩まで降りて眺めて見れば、
 美醜はきっと一時の勘違いなのだと
思う。

 自分とセミが分離しているというのも、
この世に美しいものと醜いものがある
というのも、どちらも究極的には勘違いだが、
 その勘違いこそがアメンボを
スイスイぴょんぴょんさせ、
人を走らせる。

 仕事をしなければならぬというのも
きっと神様の視点から見たら
勘違いであるが、
 それでもぼくはスイスイぴょんぴょん
しなければならないのだよ。

 全ては無意味だという通奏低音に
支えられてさえいれば、
 懸命に意味を追いかける行為は
生きることを硬直化させる
ことなく、私たちの芯を輝かせて
くれるのだと思う。

10月 9, 2007 at 06:04 午前 | | コメント (10) | トラックバック (4)

2007/10/08

京都は

雨。

新しくできる学部を立ち上げる仕事を
されている先生方、社会企業家、
オープンソースの専門家と
面白い話をした。

どんな仕事をしていても、どんな文脈にあっても、
生きることを活性化させる方法は、いつも似ている。

10月 8, 2007 at 10:38 午前 | | コメント (7) | トラックバック (3)

2007/10/07

劣等感こそが人を育てる

ヨミウリ・ウィークリー
2007年10月21日号

(2007年10月6日発売)

茂木健一郎  脳から始まる 

劣等感こそが人を育てる。

抜粋

 優位に立つものは、自らの存在根拠を問い直す必要がない。それに対して、劣等感を抱く者は、自分が何ものなのか、魂の探究をしなければならない。支配者の考えることは、案外散文的でつまらない。人生の挫折を知らない学歴エリートは往々にして退屈である。劣等感こそが、この世で生きるということの実感を与えてくれる。劣等感が、人間の魂を育てるのである。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/


10月 7, 2007 at 06:54 午前 | | コメント (3) | トラックバック (3)

胡桃の殻が擦れ合うように

養老孟司さんは、
「仕事というものは、世間に空いている
穴を埋めるものだ」
という。

とりわけ、
自我が肥大しがちな青年時代において、
養老先生の言葉は大切な
メッセージを含んでいる。

一方、何でも世間に合わせて
がんばっていると消耗する。

 自分が好きなこと、惹かれること、
大切なことをできるならば、
 より良質のものを生み出し、
世間に差し出せる可能性がある。

 半ば自分のために、半ば
他者のために。
 つまりは、自分と社会が、
ラブ・アフェアーの状態に
あることが望ましい。

 別の言い方をすれば
スケールの問題なのであって、
 自分にとって本当にエッセンシャルな
ことは、世間に大手を振って
流通していることではなく、 
 心の中に、まるで胡桃の殻が
擦れ合うようにかすかな音を
響かせているものにこそ
耳を傾けるべきなのだ。

 そして、自分自身という
楽器が、世に向けての胡桃の
拡声装置となれば良い。

 埴谷雄高さんの『不合理ゆえに吾信ず』
のあとがき「遠くからの返事」の
中に、

この主題は自己の姿の危険な全体を露呈
しているより、僅かな先端部のみを覗かせた
まま地中に潜って、その潜伏期の数百年
のあいだに自己の起爆装置の精密度を
なんとか鋭くとぎすましたいとひたすら
心かげているかのごとくです

とあるように、胡桃の音は時に
数百年かけて拡声される。
 自分自身の生というかけがえの
ないはずのものさえ超えて。

 「科学大好き土よう塾」の
収録。

 土よう塾クイズスペシャル
 からだのふしぎ1、2。

 前回放送したクイズスペシャルは
好評で、今年度の最高視聴率を
得たとのことだった。

 中山エミリさんが私やナポレオンズさんと
ともにプレゼンター側に回り、
 塾長の室山哲也さんが司会をする
という新しい試み。

 室山さんが、「いやあ、仕切るのは
タイヘンだねえ。エミリちゃんの偉大さが
わかったよ」としきりにぼやく。
 それでも、見事にこなすところは
さすが室山さん。
 
 水本凜ちゃん、神田舞帆さん、
松田尚樹くんの三人はいつもながら
に元気で、控えの時間もいつも
何かやっている。

カメラリハーサルの時には、
クイズのネタがばれないように、
三人の役はディレクターの人たちが
代演した。


室山哲也塾長を交えてリハーサル。

 ナポレオンズの二人の掛け合いは
音楽的で、いつどのようなリズムで
言葉を発するかということが
畢竟一つの「演奏」であることを
思い起こさせる。


ナポレオンズさんのリハーサル風景

 中山エミリさんの軽やかな舞いとともに、
ジャム・セッションをやっているような
気分になった。

 きっとその時、私たちの
中で無数の胡桃は
ふれあい、舞い動き、かすかな音を
立てていたに違いない。

 科学大好き土よう塾
 クイズスペシャル からだのふしぎ1、2は、
2007年10月20日(土)、
2007年10月27日(日)
に放送予定。

10月 7, 2007 at 06:47 午前 | | コメント (8) | トラックバック (5)

2007/10/06

世界一受けたい授業 スペシャル

世界一受けたい授業 スペシャル

日テレ系人気番組集合世界一受けたい授業
国語算数理科社会SP

2007年10月6日(土)
18時30分〜21時48分

http://tv.yahoo.co.jp/bin/search?id=93361153&area=tokyo

http://www.ntv.co.jp/sekaju/

10月 6, 2007 at 08:44 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

科学大好き土よう塾

科学大好き土よう塾

『驚異・ムシのスーパー能力!』
2007年10月6日(土)
9時15分〜9時59分
NHK教育

http://tv.yahoo.co.jp/bin/search?id=93361097&area=tokyo

http://www.nhk.or.jp/daisuki/

10月 6, 2007 at 08:39 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

不味いものをくらい

おいしい弁当を食べている
時に、ふと、なぜ野生動物は
みんなスリムなんだろうと
考えた。

一つの考えが浮かんだ。
それがあまりにも滑稽だったので、
吹き出しそうになった。

進化の過程で、
人間は、料理をすることを
学んだ。
自分たちにとって美味しいものを
加熱し、発酵し、混ぜ合わせ、
寝かせることで作る術を生み出した。

それは「おふくろの味」から始まり、
シェフの超絶技巧にまで至っている。

馬や熊などは、甘いものが
大好きで、与えるとどんどん
食べるという。

野生の動物たちが食べているものは、
実はとてつもなく不味いんじゃないか。
彼らは、「ああ、不味い!」と思いながら、
生きるために仕方がなく
食っているんじゃないか。

焼くこともできねえ、
煮ることもできねえ、
食うこともできねえ。

そう考えると、野生の動物たちが
可哀想で、でも可愛くて、
ぼかあ大いなる連帯の感情を
抱いたなあ。

オレたちは、うまいものを
食べ過ぎているんだよ。

人間は、食べものを残すと
もったいないと罪悪感を抱く。
しかし、野生では、誰かが
残せば他の誰かがいただく
だけだ。

ライオンがシマウマを食べ残せば、
ハイエナがいただく。
ハイエナが残せば、
他のもっと小さなやつらが
いただく。

人間が残飯をモッタイナイと
思うのは、つまりは自らを
自然界の食物連鎖から
切り離して管理しているから
である。

いろいろ反省すべし。
人類。

けいはんなのATRへ。

モニターで柳川透の脳を見る。
丸くて左右のバランスがとれていて、
ほれぼれするような綺麗な脳だ。


柳川透クンの脳

柳川がfMRIの装置に入る。


fMRIの装置に入っていく柳川透クン。

約1時間弱のタスク、ご苦労様。
帰還した柳川は、宇宙飛行士の
ようだった。


「帰還」した柳川透クン。

続いて、
須藤珠水と高川華瑠奈も被験者と
なった。

東京駅に着いたら、ホームに
文藝春秋の大川繁樹さんが
待っていた。

遅れに遅れたゲラ。
本当にすみません。

大川さんと新宿まで行きながら、
いろいろ話した。

私が真っ赤にしたゲラを、
「もう放すまい」とばかり
がしっと手で持つ大川さんが逞しく
見えた。

思えば、
野生の動物たちは、腹を空かせ、
不味いものをくらい、うろうろと
歩いている。

こっちは新幹線の席だって
指定されてテリトリー争いがない
くらいなんだから、
そんな楽をしている分、せいぜい
魂の荒野を行かなくちゃ。

つまりはさ、精神的に、たまには不味い
もんを食って、くちゃくちゃ口の中で
一生懸命噛んで、ほんのりと甘い味が
出てこないか、全身で待ちかまえる。
そうしちゃどうだ?

秋の訪れとともに、何かが
すっと吹き込んでくる。

10月 6, 2007 at 08:34 午前 | | コメント (11) | トラックバック (4)

2007/10/05

利己性と利他性

近年の認知科学が示したように、
人間の行為の基盤に利他性があることは
事実である。
 
 社会的動物である人間は、
「他人のため」に何かをすること自体を
喜びとするように脳の報酬系が
できあがっている。

 自分のことばかり考えている
人は端から見ていてみにくいものだ。
 そのような心の状態を
思い浮かべると、耐えられないものを
感じる。

 そのような機微に通じていた
一人が、夏目漱石であろう。

 しかし、全面的に「利他的」
ということにはもちろんならないの
であって、利己と利他のバランス
が大切である。
 
 とりわけ、何かを生み出す
という精神運動においては、
自分の内側の倫理規則、快楽原則に
寄り添うことをしなければ
良いものはできない。

 他人に対する奉仕で
しているのではない。
 自らの内なる宇宙における
喜びの回路に沈潜し、
 そこでは思い切り利己的に
振る舞うことによって、
 初めて結果として他人に喜びを
与えることのできる作品ができあがる。

 そのようにして、利己性と利他性が
甘美に結びつくところは、
恋愛に似ている。

 NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録。

 「仕事術スペシャル」ということで、
ゲストはいらっしゃらなくて、
 住吉美紀さんがプロフェッショナル
の仕事の現場を訪ねたVTRを
見ながら話を進める。

 今回、私自身も帝国ホテルの
総料理長田中健一郎さんを訪ねて、
 料理の仕方を伝授された。

 VTRを見ていて、
 エプロン姿が自分では
恥ずかしくて仕方がないのだが、
 有吉伸人さんは「いやあ、
あれがいいんですよ!」
と言う。

 収録後、
 荒川格ディレクター、住吉美紀さんと、
ある方のもとを訪れた。
 すばらしい体験であった。

 ごく小さな営みの中に、
無限の宇宙がある。
 
 自らの美意識、倫理規則に
厳しく従うことの結果が、
他人に喜びを与える。
 
 そんな世界の成り立ちを美しい
と思う。

 かのエマニュエル・カントの
は「そのことを考える度に私の
心を畏敬の念で満たすのは、天上の
星々と私の心の内なる倫理規則である」
と言った。

 それが善きものである限り、時には
目を閉じて自分の内なる声にこそ
従うべきなのだろう。

10月 5, 2007 at 06:43 午前 | | コメント (8) | トラックバック (9)

2007/10/04

とぐろを巻いていた頃

ぼくは、最初に理学部物理学科を
卒業して、その後、法学部に学士入学した。
 そして、物理学科の大学院に進学しなおして、
博士号を取得した。

 だから、ぼくは、東京大学という
場所に、4+2+5=11年間
いたことになる。

 そのうち9年間を本郷キャンパス
で過ごした。 

 普段、東大のことをいろいろ
批判してはいるが、
 母校のこと。
 愛着がないはずがない。

 第28代の東京大学総長の
小宮山宏先生にお目にかかった。
 
 工学部2号館の吹き抜け。
 Subwayの店舗の前のテーブル席。

 小宮山先生が、しきりに
持続可能性(sustainability)
ということを強強されてたの
が印象的だった。

 池之端門に降りて、不忍池の
横を歩く。
 一体、どれくらいの時間を
このあたりを逍遥して過ごした
ことだろう。

 ちょっと風邪を引いていて
熱っぽかった時、
 塩谷賢と、私の友人と
3人で不忍池のほとりを歩いていた。

 その時、「もし究極の哲学が
出来たとして、それがA4一枚の
紙に書けたとすると、それは高校生
の日記とどこが違うのか?
 言葉の意味は、どこに局在している
のか?」
と早口で喋っていたあの日。

 「クオリア」の問題意識に
つながる着想があそこにあった
ように思う。 

 品川駅の海側は随分変わった。
 コンビニで明太子おにぎりと
野菜ジュースを買い、
 人の流れに逆らって歩きながら
食べる。

 ソニー本社で、
『脳とイノベーション』について
講演する。
 
 品川駅前で
 Big Issueを買い、
ユニセフでTシャツを買い、
 そのままテクテクと
 ソニーコンピュータサイエンス
研究所まで歩く。
 
 関根崇泰の研究について、
いろいろと議論する。

 視覚においては、whereとwhatの
pathwayがある程度分離できるが、
 身体についてはどうか。

 自分自身の身体の部分の認知
(親指とか、人差し指とか)
は、whereでもwhatでもない、
 独自の領域に属しているのではないか。

 研究所のGeneral Meetingで、
最近考えているuniversalityとdiversityの
関係について話す。

 所長の所眞理雄さんや、暦本純一さんと議論。

 六本木星条旗通りの
MaxiVin
で、日本歯科医師会の先生方にお目にかかる。

会長の大久保満男さん、江里口彰さん、佐貫直通さん、梅村長生さん、石黒慶一さん。それに、
生涯研修課の梅村哲哉さん。

 MaxiVinオーナーの
 佐藤陽一さんとは
『プロフェッショナル 仕事の流儀』の
スタジオ以来。

 おいしいワインに、梅村先生を
始めみなさんとても満足されたようであった。

 塩谷賢と本郷キャンパスで
とぐろを巻いていた頃には、
 この世にそんなにおいしいワインが
あるなどということは知らなかった。
 
 ただ、いろいろと生意気な思いを
抱いていた。

 青春時代のニキビのようなものは
精神にもあるんじゃないか。

 ミラーニューロンをのぞき込みながら、
自分の心の中のニキビを数える。


MaxiVinにて、佐藤陽一さんと。

10月 4, 2007 at 08:28 午前 | | コメント (12) | トラックバック (2)

2007/10/03

出されたと思うと

夢を見た。

何人かで連れ立って、道を
どんどん歩き、
歩道橋を渡って、
商店街の中に入った。

店があった。大きな玄関で、
その向こうに活気のある座敷がある。

「ここですよ、ここ!」

私は一目で気に入ってしまって、
大声を出した。

刺身もある。さまざまな
つまみもある。

ビールを飲むならば、ここだ!

不思議だな、と思った。
夢の中の出来事は、
時に現実よりもむしろ
リアリティがある。

亡くなった河合隼雄さんは、
クライアントの無意識や
夢と向き合って、
そのために、自分は人の
何倍もの人生を経験している
のです。
常々そう言われていた。

ソニーコンピュータサイエンス
研究所。
関根崇泰の博士論文予備審査
の予行。

認知は、はたしてかけ算で
成立するのだろうか?
交差する時にそのかけ算が崩壊
するとしたら、その意味は如何?

ソニー本社近くの公園で、
南野陽子さんとお話する。

内容は、
雑誌「Circus」の南野
さんの連載対談に掲載予定。

広報の滝沢富美夫さんが、南野さんとの
ツーショットを撮影してくださる。

有機ELディスプレイのポスターの
前で撮ったのだけれども、
できあがりを見てびっくり!

南野さんが、ポスターの一部と化している。

アイドルというのは、凄いものである。

唖然。


南野陽子さんとソニー本社で。

PHP研究所にて、トヨタの
生産方式に見られる創造性の
文化について議論。

NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせ。

住吉美紀さんがみんなにお弁当を持って
きてくれた。

やさしい人だ。

有吉伸人さんは、目の前に食べものが
出た時の、「食い出し」までの
着火時間が短い。

出されたと思うと、もう食べ始めている。

その様子を見て、ぼくは
春の野に咲くつくしを連想する。

生命というものは、実に、つくしの
ように真っ直ぐにすくすく伸びて
いくものなのではないか。

余計なことなどいらない。時が
くれば、すぐに取りかかれば良い。

10月 3, 2007 at 07:48 午前 | | コメント (8) | トラックバック (6)

2007/10/02

プロフェッショナル 仕事の流儀 命あるものと、向き合う

プロフェッショナル 仕事の流儀 
トーク・スペシャル 命あるものと、向き合う

毎回放送されるトークの部分は、およそ
15分。
しかし、収録時は、毎回4時間にわたる
熱い会話が繰り広げられています。
まるで「源泉かけ流し」の温泉の
ような贅沢な『プロフェッショナル』
の作りですが、
その中で放送できずにこぼれ落ちて
いってしまうものの中にも
「宝石」がたくさんあります。
ゲストの人間性が表れ、人生観が
かいま見え、聞く者の心を奮い立たせる
「トーク・スペシャル」。
今回は、可愛い「動物」たちに
関わるプロたちのトークを集めました。
アイガモ農法の古野隆雄さん、盲導犬訓練士の
多和田悟さん、海獣医師の勝俣悦子さん、
調教師の藤澤和雄さん。
もの言わぬ動物たちに真剣に向き合ってこそ
初めてつかむことのできる
コミュニケーションの奥深い楽しさが
画面からあふれ出ます。

(先週放送される予定が、組閣のため
今週に延期されました)

NHK総合
2007年10月2日(火)22:00〜22:44

http://www.nhk.or.jp/professional/

すみきち&スタッフブログ 命あるものと、向き合う(by 山口佐知子)

10月 2, 2007 at 07:44 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

いいか、芸術というものは・・・

日経サイエンス編集部で、
最相葉月さんにお目にかかる。

 最相さんは、1997年に
出版された私の『脳とクオリア』
をお読みいただいた時、
「ああ、ここにも私と同じことを
考えている人がいる!」
と思ってくださったのだという。
 
 最相さんが『絶対音感』
で華々しいデビューを飾った後、
第二弾として出されてきたのが、
『青いバラ』だった時、
私は、「うーん、こう来たか」
「このシークエンスは完璧だ!」
と思った。
 
 今から考えると、『絶対音感』にも、
『青いバラ』にも、すっきりと
整った、あるクオリアが随伴していた
ように感じられてならない。

 講談社ノンフィクション賞を受けられた
最相さんの最新作『星新一 一00一話を
つくった人』もまた、
一つのくっきりとしたクオリアが
伴っているように感じられる。
 
 最相さんは、ベンヤミンの言う
「オーラ」の作家なのだ。

 NHKへ。解説委員の舘野茂樹さんと
お目にかかる。
 『視点・論点』の収録。
 放送は、現在のところ10月15日の
予定とのこと。

 東京芸術大学へ。

 ベネッセコーポレーションの
代表取締役会長兼CEOの福武總一郎さんが
いらして、講義してくださった。

 「全ての学問の究極の目的は、
コミュニティ作りである。」
 「人生の目的は、思いをかたちに
することである。」

 「すぐれたアーティストは、
体制に対する反逆精神を持っている」

 実践に裏付けられた力のある言葉に
熱気が学生たちに感染していくのが
わかった。

 上野公園に場所を移して
懇談を続けた。

 福武さんが、丸い石椅子の上に
立ち上がった。

 「静聴せよ!」

 ウォオオ。

 「いいか、芸術というものは・・・」
 
 秋の気配がしんしんとする
公園に降臨した奇跡。

 そうだ、カクメイだ!

 授業を聴きに来られた桑原茂一さんと、
「いやあ、人生というのはよいものですね」
と見えない月の気配を一緒に探った。

昨日の模様は、鈴木芳雄さんの
ブログ「フクヘン」にも写真付きで
紹介されています。

http://fukuhen.lammfromm.jp/2007/10/post_169.html

10月 2, 2007 at 07:40 午前 | | コメント (6) | トラックバック (1)

2007/10/01

(本日)東京芸術大学 美術解剖学 福武總一郎

東京芸術大学 美術解剖学
2007年度 後期第一回

福武總一郎

東京芸術大学 美術解剖学の
2007年度後期第一回の授業は、
ベネッセコーポレーションの
代表取締役会長兼CEOの福武總一郎さんを
お迎えします。

福武さんは、ベネッセの経営を担う
香川県直島の「ベネッセアートサイト直島」
の構想、構築、運営にかかわり、現代美術に
おいて大きな足跡を残されています。
地中美術館や「家プロジェクト」が
加わった直島のアートプロジェクトは、
全国の美術関係者にとって
一つの「聖地」となり、直島は
世界的に著名なアートの島となりました。
 
福武總一郎さんに、美術に関する思い、
ヴィジョンをお話いただきます。

2007年10月1日(月) 
午後3時35分〜午後5時
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)

http://www.geidai.ac.jp/access/ueno.html

10月 1, 2007 at 07:54 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

白熱電灯のように光を放つ

オペラ・シティで
行われているMelting Point展を見る。

この展覧会については、
パンフレットにテクストも書かせて
いただいていた。

現代美術は、手法としては「何でもあり」
で、一切縛りがない。
しかも、実験的な作品が商業的には
必ずしも成り立たない文学や音楽と
異なり、
ちゃんとコマーシャルにも
成立している。

ただし、自由なようでいて、
一つ抜きんでた
作品であるためには、
厳しい水準をクリアしなければ
ならないのだ。

どのような結びつきでも
行き交いでも許容されるが、最後に
ある特定の「しきい値」(これは
必ずしも一次元のパラメータではなく、
ベクトル、ないしはグラフ的な
ものでもあるかもしれない)
を超えなければ「存在」へと
羽ばたくことが
できないという点は、
意識の中のクオリアそのものと似ている。

1時間ほど講演し、30分質疑応答
する。

大変に温かい、
白熱電灯のように光を放つオーディエンス
であった。

展覧会を企画したNANJO and ASSOCIATES
の北澤ひろみさんの
野心は、相撲に関する企画展である
と知ってしまった。

ブルータスの鈴木芳雄さんの
博識にはいつも参る。

そして、出品作家の渋谷清道さんの、
「分からないということが、一つの答え
であるということがあり得るのだ」
という発見に痺れた。

それにしても雨が降る。よくよくのことに
雨が降る。

気分にも天気というものがあるとすれば、
降っているのは神経伝達物質であろう。

自分の天気を測ってみれば、
今はできるだけ遠くに、
一人でありたいということなのかもしれない。

もっとも、
ちゃんちゃらおかしいんだ。
毎日、たくさんの人に会って。
思い切り、世間というものと
交わって。

それでも、頭の中には、
朝起きて聴く雨のような、
孤独の音がしているように
感じるから不思議だ。

人間は、何でも補うことができる。

昨日の模様は、鈴木芳雄さんの
ブログ「ふくへん」にも写真付きで
紹介されています。

http://fukuhen.lammfromm.jp/2007/10/post_168.html

10月 1, 2007 at 07:42 午前 | | コメント (9) | トラックバック (3)