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2007/09/24

高西淳夫 × 茂木健一郎

高西淳夫 × 茂木健一郎
ロボット技術に学ぶモノづくりの成果と展望

2007年9月25日(水)10:00〜12:15
大手町サンケイプラザ

http://e-marketing.jp/swj/swwj2007/keynote.html 

9月 24, 2007 at 07:54 午前 |

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明日9月25日は、旧暦八月十五日、 中秋の名月を楽しめる日。 [続きを読む]

受信: 2007/09/24 18:13:59

コメント

 今晩は、中秋の満月が美しいです・・・。

ご覧になりましたでしょうか?

暫く前に、買ってあった「地下室の手記」本日読みました。
引き込まれて読んでしまいました。

その中の一説、

”ボクは自分の内部に、まるで正反対の要素がどえらく潜んでいるのを
絶えず意識していた。その正反対の要素が僕の身内ですざまじくうごめきまわるのさえ感じられた。
いや、生涯ぼくの内部でうごめきまわり、外へ出たいともがいていたのを知りながら、
ぼくはやつらを出してやろうとしなかったのだ。”

 この正反対のうごめく苦悩、葛藤、諦め、自虐的嘲笑・・。
こんな二つの要素はどんな人間にもあるような気がしました。
ドストエフスキーの人間への深い洞察と哲学が感じられ、
私などにも大変優れた作品だと感銘することが出来ました。

 ここ数日のクオリア日記からの文脈で、先日の釣り人が垂らした釣り糸の絵に付いてですが、
あれがジョーク図であっても、深い人間の心理を表した絵であると、後から気が付くことが出来ました。

 左の絵は、世の中の大半の人々は、人の釣った魚を横取りして生きている人々であるという絵。
 右の蜘蛛の巣を作った釣り糸は、美意識の糸で、他人の釣った魚など拒否し、あくまでも自意識と美意識が一番この世の目的で、たとへ食を取ることが出来なくても飢え死にする方がましだ、と言う絵。

 しかし、この絵は、たえず一人の人間の脳内で葛藤し、ジョークであっても、現実の世の中を象徴し、苦悩しているのではないか、と思えました。

 また、先日のテレビ、「ペントハウス123」のバンジージャンプは、正に横取りの究極の恐ろしく下品なイベントで、私はむかついて
チャンネルを変えてしまいました。あのような品性のない企画を考えた
方は、視聴者が喜ぶと思って作ったのだろうか?
正にナショナリズム的であると不快そのものでした。

 けれど、そのような番組が象徴するように、不快な事件が後を絶ちません。人間の内部でうごめいて最後に勝利するものが、美しい愛や品格や正義であって欲しい気がしますが、日本の美しい熱い自然エネルギーは、他国に流れ、現在は冷却しつつある感がします。

 宇宙から見れば、そのような人間のうごめきも小さな星くずには違いないのでしょうが・・・。

 ちょっぴり長く書いてしまいました。読んでいただければ幸いです。

投稿: | 2007/09/25 23:59:46

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