自由意志というもの
朝起きて、仕事をしていて、
家を出る頃になると、
どうにも身体がだるく、喉が
ひりひりして、
今日は休んだら楽だな
と思った。
休むといっても、うとうと
するかもしれないが、仕事はするのである。
しかし、
葛藤はあったが、どう考えても、
休んでしまうと影響が大きすぎる。
先方に御迷惑をかけるし、
後々のスケジューリングが
苦しくなる。
まあ、仕方がないか、
とだるい身体を引きずった。
駅のホームで、どうもヘンだぞ
と思った。
ある意味では、調子が悪くて
身体が悲鳴を上げている時の
方が、生きている実感が
ありそうだ。
それで思いだした。
何日か前、
地下鉄に
乗っている時、
突如として、
そうだ、何かを考えたり、
感じたりするのではなく、
この時間の流れ、
瞬間瞬間決してとどまる
ことなく、一度過ぎ去れば
二度と戻ってこない、
この時間の流れにこそ
注意を向けてみよう。
そう思って、
ガラスに写る人の顔を
じっと眺めていた。
ああ、この瞬間も、私たちの
身体の中では、無数の素粒子が
動き回って、ファインマン・ダイアグラム
を描いているんだなと思った。
それから、
果たして「自由意志」なんて
あるのかしら、と思った。
私たちは、事態の精密を本当の
意味ではつかむことなく、
ただ薄ぼんやりと生きることの
印象批評をしているだけなのでは
ないかしら。
そう考えていたら、
この世界の背後に、とてつもない
悲劇が隠されているように感じられて、
私は戦慄した。
研究所に着く。
文部科学省の生涯学習総括官を
されている清木孝悦さん、
生涯学習政策局の加藤正嗣さん、
三井康弘さん、
それにぎょうせいの
檜垣健さんにお目にかかる。
フランクリン・アヴェニューにて、
文藝春秋の大川繁樹さん、
山下奈緒子さんと昼食。
ぼかあ大川さんの宿題を
まだしていないので、
できるだけ下を向いて目を
合わせないようにしていたのだけれども、
文学の話などをしているうちに
そんなこたあ忘れてしまって、
大川さんのぎょろりと
しかし何時もやさしい目を
思い切り見つめてしまった。
山下さんには、「文學界」での
連載でお世話になったが、今は
クレアの編集部に
いらっしゃる。
ワレワレハ、女性心理について、
三四郎の美禰子などを引き合いに
出して大いに語ってしまったことであるヨ。
東京工業大学茂木研究室の面々と、
ソニーコンピュータサイエンス研究所の
田谷文彦、張キさんからなる
脳研究グループのゼミ。
田谷文彦は、もともとは
慶応大学のコンピュータ・サイエンスの
学生であったが、
私のところで研究を始め、
大阪大学の柳田敏雄先生のところに
お世話になり、博士号の学位を取り、
そして今はソニーコンピュータサイエンス研究所
の研究員となっている。
ゼミの最中に
こっそり撮ろうとしたら、田谷に気づかれた。
田谷文彦「何をしているんですか、茂木さん!」
田辺史子が、エピソード記憶が
眠りによってinterferenceから
守られるという研究のレビュー。
関根崇泰が、前頭葉における
limb positionのmultisensoryな
representationについて紹介。
それから、須藤珠水が、
社会的認知に関するレビュー論文を
紹介した。
論文紹介をする須藤珠水。
須藤は、以前から、「私には心の
理論がない」などと言っている。
須藤が紹介した論文には、
釣りをしている絵が二つある。
左と右では、左のジョークを
理解するためには心の理論が
必要であるが、右には必要ない。
だから、二つの絵を見せて、
何がジョークのポイントなのか
説明させると、心の理論
に関連する脳の部位が活動の差が出る。
左の理解には心の理論が必要とされ、
右の理解には必要ではない。
ところが、須藤は、左が
何を意味しているのか
わからないという。
関根や加藤未希を始め、皆が須藤に
「こういうことなんだよ」
と説明するが、須藤は首をひねっている。
「つまり、釣りをしていないのに
釣り竿を下ろしているところが
面白いんですか?」
などと不思議がる。
ボクは、須藤に言った。
「大丈夫だよ。あの、北大の
津田一郎先生だって、
「ボクは誤信念課題ができないんだよ」
と言っていたくらいだから!」
須藤珠水の魂の叫びは続く。
いろいろと議論ができて、良い
ゼミだった。
それにしても諸君、
風邪気味でも、身体を動かして
いれば何とかなるものだねえ。
まあ、あまり無理をするものでは
ありません。
そもそも、自由意志というものは
あるのだろうか。
ぼくには、安静にしているという
選択肢もあったんだろうか。
人間は、自分の未来を
選ぶことができるのだろうか。
素朴信念論ではなく、
自然法則の本性に照らして、
どうなんだろうねえ、君!
(この日記は、大場葉子さんに
いただいたシューベルトの
ピアノ・ソナタ第21番
変ロ長調「遺作」を聞きながら
書きました。)
9月 22, 2007 at 09:05 午前 | Permalink
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気にかかっていた、
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[parts:eNoztDJkhAMmY3OmFBMDE0tDSzODRDNDcwtzS0tDQ5NE01QLoFhqiqW5hYlBinGKSaqRXlYxAB16DAw=]
[parts:eNoztDJkhAMmYzOm5OTERNOkVAsAINMD0A==]
天童荒太は、『包帯クラブ』を書くにあたって、主人公のワラやディノなどが住
む架空の街”久遠市”に関して、その街の地図だけでなく、歴史・背景などをも
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今週は,私はメルマガ編集をお休みさせていただいています.連日横浜日帰り出
張で,移動時間だけで毎日往復で最低4時間,途中必ず会社に立ち寄っていたの
でそれ以上の時間がつぶされました.毎日終日時間をつぶされたからといって,
自分の思うとおりの時間が使えたかというとそうではなく,セミナーの中途半端
なタイムスケジュールに振り回されて,時間がないのにもかかわらず3日も時間
をとられたというのが実感.稼働日が4日しかないのに,3日もまるまるとられ
るのは,正直つらいですよね.
達成感に乏しく,家にいる... [続きを読む]
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トランスフォーメーション志願者は、コンピュータ上で約1000の質問に答えることになっていた。それぞれの質問への答えの集合が、あるアルゴリズムで処理され、その結果が、遺伝子をどのように変換すれば、その個人の理想像を生成することができるかのデータとして使用....... [続きを読む]
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コメント
人間には本当に意志が有るのだろうかという議論を聞くこともあるが、意志という概念は物理学の対象である電子にも当てはまるようです。
是非、「量子力学が明らかにする存在、意志、生命の意味」をご覧下さい。Amazonで購入できます。
投稿: DrHironariYamada | 2012/03/22 14:40:27
私はカントにかぶれていたので自由意志の実在いうものを
無邪気に信じていました。
しかしあるときそれは少し傲慢なのではないかと思い始めました。
私の根本原因を私自身に置くというのは。
私が何もかも決めていいるなどと考えてしまうのは。
私は、私という意識が生まれる以前に、他者との関係性において
私というぜんまいをぐるぐると回してもらっていて、
その勢いで今も私を維持している、と考えたほうが
自然に思えてきました。
それは結局無我ということだから。
この文も先生の文に触発されて出てきた思いを言語化した感じです。
投稿: pteron | 2007/09/25 9:45:44
久しぶりにコメントさせていただきます。
自由意志、未来を選べるのか。
私もときどき不思議だなぁと思います。
とくに、いろんな職業の人がいるという点で
そのようなことを考えます。
星の数ほどある職業の中で、なぜその職業に就いているのか。
医師不足の問題など過不足はありますが、
なんとなく、まんべんなく必要な仕事を必要な数の人が
担っている気がします。
政治家、レジ係り、デザインする人、研究する人、工事をする人等。
役割を負って生かされているのかな?と思います。
一人ひとりは、自分で考えたり成り行きだったりで
仕事に就く。
それはその人には自分で決めたことであるが、
世界を成立させるためのおおきな適材適所の力が働いているのかも?
と考えたりします。
人は自由意志で未来を決められる。
ただ、自分で決めたと思うことも、全て含めて
おおきな流れの中でシナリオ通りの動きをしているだけ
なのかもしれない。と考えることがあります。
偶然ではなく、必然。
投稿: つか | 2007/09/25 1:22:56
お体はもう大丈夫ですか?
ワンテンポ遅れている自分に間抜けを感じますw
文章がなかなか間に合いません。
知床のカヌーで水に触れたからでしょうか。
呼吸で内蔵が冷えてしまったのかしらん。
暖かいものを飲んで体を大切にしてください。
今日の日記は先生にしては珍しく
韻が長く、抑揚が所々にと思いましたら
なるほど、と、一粒で二度楽しめますw
先週東京国際フォーラムで
色々なムードのジャズを堪能してきました。
こんなあらゆるスロームードに合わせて
文章や絵を作れたら素晴らしいなと思っていました。
そんな折り、丁度やられちゃったなあと思って
日記を堪能する前に悔しい思いです。
まあやりますよ。
今日じゃないけどw
先生は自由意志という選択を考えていますが
選択じゃなくて、決めてみてはいかがでしょうか。
どちらが賢いとか、どちらが全人格だとか
どちらが量を得、質を得、人生を得るかではなく。
自然の法則から外れちゃうんです。
よっし、今日は空飛んでみっか、みたいな。
なまける方向に全努力と工夫を凝らせば
いくらでも動く歩道が見えてきますよ、と
なまけもの星人の私から悪魔の声。
でも最初に日記を休まれたら嫌だから
強く主張はやめておきますw
投稿: chupa-chapps | 2007/09/24 6:11:14
私はこの日のクオリア日記を、
職場の昼休み、晩夏の風がとおる戸外に立ち、
携帯サイトの画面で見ました。
「この世界の背後に、とてつもない
悲劇が隠されているように感じられて、
私は戦慄した。」
という辺りを読んで、
茂木先生でも時には不安になることがおありなのだ
と思うと、なぜか ほっとしてしまいました。
そして、自由意志について話されると、
心は非日常の世界へ、一瞬にしていざなわれます。
2枚の釣りの絵を、
もっと鮮明な画面で見ていたら、
私の気分や日記の流れも、これとは違っていたら、
私の解釈も違っていたでしょう。が、
そのときの私にはどう見えたかというと・・・
右の絵は、
魚がなかなか釣れなくてクモの巣が張ってしまった、
というだけの絵。
左の絵は、
二人の釣り人が、並んで釣りをしているが、
低い岩の釣り人は 普通に釣りが出来ていて、
崖の上の釣り人は 糸が海まで届いていない、
という絵。
そして私は、左の絵に惹かれました。
私は、心の理論には疑いを持っているので、
誤信念課題だと言われると、緊張したのですが、
崖の上の彼が、空中に釣り糸を垂れている様子に、
素朴な可笑しさを感じました。
次々といろんな考えが浮かびました。
釣り糸が海に入っていない時、
手ごたえで分からないんだろうか?
いや、彼がそうしているところをみると、
分からないものなんだろう。
釣り針が、もし下の釣り人に当たったら危ないなあ。
下の人は、釣り糸が海に入っていないことを、
彼に教えてあげればいいのに。
いや、もしかしたら、何か釣れるのかも!
鳥とか、昆虫とか、幻の魚とか?
空で釣りをしているとしたら、楽しいなあ!
ここまでくると妄想なのですが、
前述したとおり戸外でリラックスしていたので、
一瞬ですが本当にそんなことも考えました。
初めに戻って、私は何が可笑しかったかというと、
彼は釣り糸が海に入っていないことに気付いたとき、
これじゃー釣れるわけ無いじゃん、と思って、
くすっと笑うか、「わー、ハハハーッ」と笑うか
すると思ったからです。
私だったらそうすると思うし、
須藤珠水さんも、他の方も、そうではないですか?
ただし、不機嫌だった場合は、悪態をつきますが。
振り返って、私は、
見た絵が小さく鮮明でなかったとはいえ、
崖の上の彼に感情移入しただけ、なのでしょうか?
どこが、心の理論の出番だったのか?
須藤さんに皆さんがどのような解釈を説明されたのか?
不明のままです。
できることなら、私の脳も調べて頂きたいです。本当に。
長文お読み下さり、まことに有難うございました。
P.S.
極論すれば、自由意志とは、
初期状態から、現在の状態を導き出したときに
あらわれる、誤差(?)の集まりなのでは?
だから私たち人間は、ものごとを
大いに感じ、考え、迷うのでは?
自由意志を存在させることができるように。
投稿: u-cat | 2007/09/24 2:55:18
自由意志…ということについて、茂木さんの掲示板に書きながら考えたりして…いろいろ思いを廻らせていたが、如何しても、自分で自由自在に何かを創造したり、或いはからだを動かしたり、これは、というものを選んだり、いまこうして考えながらものを書いていたり…というときに、頭の中から自然な形で自動的に、ちょうど空から降って来るような感覚で涌いてくる、むしろ意思というよりは感情に近いものなのかもしれない…という見解と、あるいは掲示板にも書いたように、自発的に自己を内面からコントロールする意志のことなのかもしれない…という見解の二つしか、私の拙い脳からは浮かんでこないのです。
投稿: 銀鏡反応 | 2007/09/23 17:59:33
ジョークのポイントを理解するためには、心の理論もさることながら、いわゆる教養も必要な気がするのですが・・・。
理解できた点
①マリオは帽子をかぶっているために視界がさえぎられてルイージが魚を獲ろうとしていることに気付くことができない。
②魚はやがて腐るものである。
③マリオは崖の上に自力で登ることが可能である。
謎な点
①右の絵で浮きが着いているのは何を釣ろうとしているのか。
②左の絵でルイージは座っているのに、左の絵でルイージが立っているのは何故か。
③マリオの傍らにある擂鉢のようなものは何か。
私が気付かなかった点もまだまだあるのでしょうね。
投稿: naritoku | 2007/09/23 16:09:44
左の絵は、人の釣った魚を釣ろうとしている絵ですよね~。
つまり、横取りしている絵。
絵が小さくて見えにくいですが・・・。
右の蜘蛛の巣で、よけいに考えすぎてしまうのだろうな~。
蜘蛛は、魚を食べないのにね。
お体、お大事してくださいね~。
投稿: tachimoto | 2007/09/23 9:32:46
この日記『自由意志』を見て、斉藤環さんへの茂木さんからの返信がまだなのに気付いた。早く読みたいです。
「自分の欲望は他者の欲望。自由意志があると考えるほうが神秘的なこと。」
私には関連があると思われるのだが、昨日の朝日の夕刊に「主人の病気を身代わりするペット」のことを、獣医さんが連載コラムに書いていたが、感動的だった。
この考えにビックリし、深く納得してから少なからぬ時間が経ったが、インパクトの深さは薄れない。
投稿: fructose | 2007/09/23 3:28:09
小学生の頃通っていた宣教師さん宅の英語教室でやった
ゲームで忘れられないものがあります。
その日は夏休みでアメリカから日本にいる両親の家に
遊びに来ていた高校生のお兄さんが先生代わり。
部屋の床におもちゃだの文具だの本だの
ありとあらゆるものをメチャクチャにぶちまけて
おいてしまう。
そんな床を目隠しをした状態で何も踏まずにあるけたらOK!と
いうもの。
私に白羽の矢があたり、いったん部屋の外に出され
目隠しをされ、ご丁寧に右に左にくるくるまわされて
手をひかれてまたメチャクチャなはずの部屋にもどされました。
結果は…何も踏まずに部屋の端までたどり着けたのです!
目隠しをはずされ、よろこんで振り返ってみたら…
床の上には何もありませんでした(笑)!
私が部屋の外に出されている間にお兄さんの指示で
きれいに片付けられていたのです。
皆は、私が「部屋を片付けてしまったことは知らないはず」
だと分かっていて、おそるおそる足を踏み出す私に
声援を送ってくれていたのです。
だましたほうも、だまされたほうも大笑い!
こんな、なにげない子供の遊びも「心の理論」の実験みたいですね。
いつか宴会場の床にビール瓶やグラスやとり皿を並べて
誰かをだましてみたくて仕方がありません(笑)。
去年の8月19日の日記でダーウィンや、フロイトやユングのしたことを
「自分自身を救うために構想された」
「学問とは、もともとそういうもの」だと仰っていましたね。
須藤さんの魂が叫んだ分だけ、素敵な研究者に成長されていく
のでしょうね。。。
たのもしーい「親方」もついていらっしゃることだし(笑)!!!
投稿: まり | 2007/09/22 23:21:24
自由意志は無いかもしれない
というより概念としてあるといった方が正しいのかもしれない
選択可能性がある中で選ぶしかなくその決定のプロセスも
物理法則に支配されているとしたら悲劇かな(と思うのもマタニンゲンダモノ)
素朴な印象からくる感動も精緻を究める探求も同じニンゲンが同じ世界を見てるだけの事なのさ
素朴から精緻に至り精緻から素朴に立ち還る
お土産は身体一杯の感動だ
「絵」をどうみるか 離れて見るか近づいてタッチを一つ一つ眺めるか
うんうん感動したらもうそろそろ帰らなければいけない時間だ
時間は「絵」と俺を完全に引き離してしまうが感動は俺と一緒に還る
それは全く違う人間だろうと思うな
ニンゲンは毎日が誕生日なんだと思うな
今ここを生きるのが生き物の姿なのかな
過去も来年も明日も永遠もハナからアタマにないのがイキモノなのかな
まぁそれはそれで困るな
時間よ世界よ何とか言ってくれ
おお世界あなたはなんで世界なの?
俺には植物がたまに「ニンゲンって馬鹿だなぁ」と囁いてるのが聞こえる
お星様が「あ~ニンゲンかわいそ」と呟いてるのが聞こえる
あ~だから俺はすねてしまって「ニンゲン万歳」といってやりたいのです
あ~感動したいな~いやドキドキワクワクしていたいんだ
永遠に
時間ともずっと友達でいよう 君がいなけりゃ僕らいないんだもの
投稿: 宏 | 2007/09/22 22:47:15
それがそもそもの出発点であるのか、それすら定かでない、私がこの世に生まれたという事実は、はたして自由意志によるものであったか。それははなはだ疑わしく、とすれば、意思という物は自由なのか、これはもうとてつもなく心もとなく感じられてしまい、さらに突き詰めれば、私って何、この言葉は誰の言葉、という疑問がふつふつと湧いて来る。
だって、どう考えても、言葉は私が出そうと思って出てくるのではなく、いわば勝手に出て来る、摩訶不思議なものなのですから。
投稿: 大栗 勝(ミーさー) | 2007/09/22 21:40:00
その後、お体の調子はいかがですか。
安静にしていられない状態というのは
どんな病気でもつらいものですね。
ところで、よくいわれるように、風邪は引き始めと治りかけが肝心です。
何卒、ご自愛なさってください・・・。
2年前の暮れに風邪を引き、翌年の正月にこじらせて、三が日はさすがに40度の高熱で寝込んだことがあります。
咳き込むたびに血痰が出るほどのひどいもので、一日中だるくてぼんやりとして、まともに物事を考えられなかった。
殆ど完治しない状態のまま、仕事始めの日に出勤して、ふらふらしながら仕事をした記憶がある。そのときは生きている実感というよりも、何だか自分が体ごと宙を浮いているような、苦しいけれど、どこか不思議に気持ちよい気分になっていた。
人間は自分の未来を選ぶことができるのか・・・非常に難しい命題です。
投稿: 銀鏡反応 | 2007/09/22 16:14:10
こんにちわ。
右側の絵に「つっ込み」を入れれば「えさが盗られたかぐらい見ろ!!」と、なると思います。
もし、ニュートンの法則でこの宇宙が動いているのなら、意識は必要なく、意識(クオリア)無い世界でしょう。
風邪薬と栄養ドリンク飲んだ方が良いのでは?それでも、だめなら、早めに病院に行った方が良いのではないかとお思います。
投稿: tain&片上泰助 | 2007/09/22 13:05:30
僕は自由意志を
天上から引っ張り上げられている振り子のようなものだと
最近は考えています
我々は何がしかの決定的な力に引っ張られていて
自由意志はその力と個体の力がぶつかり合う時の揺らぎのようなものと言う考えです
では、人間に選択肢があるのかですって?
そんなもの、分かるわけないじゃないですか!
投稿: 後藤ゆたか | 2007/09/22 9:28:52