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2007/09/11

暗がりを見分けるためには

人生というものは暗闇と
明るさが絡み合って出来ている
ものであって、
全面的に暗いとか、徹頭徹尾
明るいということはあり得ない。

かのモーツァルトの人生も、その
描く音楽の性質はともかく、
暗いモティーフに満ちていた
ことは知っての通り。

ニーチェの天才は、古代ギリシャに
おけるアポロン的な明るさが、
ディオニソス的な暗さと
不可分なものであることを
見抜いた点にあった。

明るいか暗いかの二項対立だと
勘違いしてしまいがちだが、
そんなことはない。

明るい陽の下ですべてが
くっきりと見えることも必要だが、
暗闇を凝視する力も、また
大切である。
 
暗がりを見分けるためには、
想像力がいる。構築力が
必要とされる。

時には暗がりの中に身を浸して
こそ、アポロン的光輝の
超新星爆発も可能となろう。

丸山健二さんが、安曇野の自宅で、
「禅僧に聞いたんだけど、
集中して何かをやる時間を持っている
人は、座禅を組んで瞑想をする人と
同じ効果があるのだそうだ」
と言われていた。

丸山さんは、一日二時間を執筆に当てる。
朝食をとった後の、まだ日が早い
時間。

「本当に難しいことに、これ以上ないという
くらいに集中したら、せいぜい二時間が
限度なんだよ」
と丸山さんは言われた。

明るくても、暗くても、その時は
思い切り集中すれば良い。
そうして行き来することで、
やがて、精神の汽水域の中に、
不可思議な生きものがたくさん棲息
するようになるのだ。

9月 11, 2007 at 06:53 午前 |

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コメント

ちっとも言葉がまとまらないのでさっぱり投稿できませんw

ここ数週間ぼんやりと暗闇の中にいました。

久しぶりの場所で、そういえば色々なことが自然と浮かび上がってくる不思議な場所だったなあ、と。

ああ、そういうことか、とか
ああ、それでもいいんだ、とか。
ああ、こんな簡単なことに気づいていなかったんだ、とか。

どんなに心の耳を澄ましてもなかなか得られないものなのに、暗闇に入ると、あまりに静かで、ただ道を歩くだけで色々なことがスルスルっとやってきます。たまにはいても良い場所なのだとも思いました。

でも何かを得るために暗闇にわが身を置くのは望みではなく。明かりの中の方が歩く距離が稼げます。

わかる瞬間というのは不思議なもので、私の場合には何かに集中しているときに、信じられないほど静かにやってきます。
理解できないときに無理に纏めてみせたり、カッカしているときに作り上げた理は、同時に、色を歪ませ、魑魅魍魎を生んでしまいます。
だから禅的な集中力や作法は、自らを見つめる方法論として確率してきたのだろう、と思っていました。

でも最近、魑魅魍魎も悪くない、と感じるようになっています。それどころか相当オモシロイと感じるようになっています。
真理に触れた後の、更なる先の一歩も、複雑怪奇な異形のモノを見いだす領域からはじまるのだということにも気づいてきました。

真理の答え合わせは心を落ち着かせます。だかだこそ私は、静寂の時が育む心を真理として絶対視しているのかもしません。

それでも、毒、クセ、異相、作為などの産む何かは、ある質量レベルを超えた瞬間に、凄まじく心踊らせます。かといって、刺激中毒によってむしろ表情の固まってしまった心は受け入れがたいものがあります。

ここ数週間考えていたことは、先生は人と同じ道を通らずに、しかし共通する真理を通過し、また他の道へゆくのだなあと。人は道が異なっても、同じ場所に集まれるものなのかと、不思議に感じ、そこに集中していました。

結局掴み切れなかったので悔しい限りです。しかもここ数日で、あっさりと暗闇から抜け出てしまいまして、すっかりご機嫌で、色々なことがあっという間に霧散してしまいました。

わかることばかり考えていましたが、わからなくなることは更に大変ですね。捕らえようがありません。
想像以上に、人生において、わからなくなるものは多いのかしらん。

投稿: | 2007/09/16 23:48:50

暗がりを見分ける・・・

新しい視点です。

集中できないのは、心がぶれているから・・・


昨日は、頭が痛くて、のどまではれてしまいました。
真っ暗でも、集中してみます。そこから、新しい光が
見えてくるかもしれないという可能性にかけながら・・

投稿: | 2007/09/13 5:31:04

禍福はあざなえる縄の如しというが、
その禍福とは、人生の中でかわりばんこに現われる不幸と幸福であり、
それは即、闇と光なのだろう。


投稿: 銀鏡反応 | 2007/09/12 4:09:11

二度目の投稿失礼します。

確か、禅は、半眼で、光を取り込むと、聞いた事があります。

「暁闇(あかつきやみ)」が、良いのではと、考えたりしました。

投稿: | 2007/09/12 2:31:22

そうですよね。
暗闇の中でいる時でも生き続けるためには、
自分の持っているものを燃やすしかないですよね。
だって絶望と言う暗闇では燃やすものさえ見えないから。

・・・でも私は何も持っていない。
それなのに、私は何かを燃やしてこうして生きているのだけども、、
何を燃やしているのかしら?

・・・人はきっと自分では知ることがないものを持っているのかもしれないですね。


投稿: | 2007/09/11 18:26:38

ニューロン細胞のシナプスのつながりには、抑制と興奮があると聞きました。

興奮しすぎると、ニューロン細胞が壊れてしまい。抑制しすぎると、意識がなくなってしまう。

真っ白な紙も価値は無く、真っ黒な紙も価値が無い、水墨画やテレビの画面のように、そこに、何が描かれているかではないでしょうか?

投稿: | 2007/09/11 13:28:26

おはようございます。昨日の回、出掛ける前、
pcを見てみたら、まだ入ってなくて、今朝、
二つ分の新しい文章が読めて得した気分です。

内向的とか、外交的な人、と人の性格を、
すぐに分けようとすることがあるけど、
どっちかだけ、ってことはないのにな。。
文章を書いたりしたら暗くなるでしょう、
とか、言われることもあるけど、
むしろ、明るくなりますよ、と答えたら、
相手の人に、とても、おどろかれたりする。

なにか集中して、
疾走する感じ、
野山をかけまわる動物のよう、
なかなか手におえない。。。

お料理、みましたよ!ブログの写真で、
パプリカか、カラーピーマンだと思ってたら、
果物でしたね。。私は、桃がかたいときは、
お肉の炒め物に入れたりします。
これからの柿も、春巻きに包んで、チーズとかと
いっしょに、さっと油で揚げると、ソースみたいに、
とろけて意外においしいですよ。。
いっぱい、しゃべってしまいました。では。

投稿: | 2007/09/11 9:48:30

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