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2007/09/28

業務山積

につき、簡単なご挨拶で失礼。

work life バランスならぬ、
散文と詩のバランスが大切だと見上げた
満月に思う。

世間で流通しやすいのはproseである。
しかし、poetryを忘れる時、
魂は乾く。

胸の中にある詩は、
ひとそれぞれに不思議な音を奏でる。

9月 28, 2007 at 07:44 午前 |

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コメント

詩も散文も、心の響きの現われ。魂のうた。


魂はどんなときでも歌を奏でている。


それは詩のようなかたちをとって、


胸の中に何時も響いている。


魂が乾くとき、歌も乾く。


歌も乾けば、詩もすさむ。


…どんなに忙しくても、

詩心だけは忘れずにいたいものですね。


投稿: 銀鏡反応 | 2007/09/29 19:37:55

以前、テレビで、リサ・ランドールさんが、
なんとなく思い付くのと、突き詰めて考えるのとは、全く違う、
というようなことを言われたのを聞いて、
まさにそうだと思いました。
その対比は、
この日の日記における対比と、
通じるものがあるような気がしました。

ここでいう詩とは、文学形式としての詩ではなく、
まさに、言葉における「魂」を意味していると思います。
文学についてほとんど分からないのですが、
詩であろうと散文であろうと、良いものには、
魂を潤おす、「胸の中の詩」があるはず。

思い付きがなければ、突き詰めて考えることもできないけれど、
なんとなく思い付くのと、突き詰めて考えるのとは、
全く別の能力だと思います。
思い付きは、突き詰めて考えられて初めて、検証できるのに、
突き詰めて考えるには、それなりの能力が必要で、
それは必ずしも、求めて得られるものでは
ないと思います。
知識の吸収力や、考えるスピードなどは、
天性の素質だと思うのです。

「胸の中の詩」や、思い付きという魂が、
ほんとうに、文学(詩・散文)、あるいは、科学の真理に
繋がるかどうかは、
作品にしてみなければ、論文に書かれてみなければ、
わからない。

自分の魂を潤おすだけの、小さな「詩」や思い付きも、
自分にとっての存在価値
はあるのだろうけど・・・、
プロフェッショナルな科学者の人々は、自分にとどまらず、
”それ自体”の存在価値を
確かめることができるからいいな。

投稿: u-cat | 2007/09/29 3:55:02

きょう 私のなかで響いた短い詩を 
ホームページに載せました。

http://www1.nisiq.net/~kz-maki/memo/2memo.html

投稿: MAKI | 2007/09/28 23:49:51

二度目の投稿失礼します。

ちょっと思ったのですが、茂木さんのプロフィールの写真、絵になっているなと、思いました。「キリストとマリア」だと思いますが。このタイプの絵は、大勢で見るとき、それも、絵に入っているような感じがします。「まるで、キリストとマリアを見守るように、見る人達も絵にしてしまう。」、そんな感じがします。


このブログの茂木さんの文章は詩の要素が含んでいるのがわかりました。詩のように表現するのは私にとって難しい、茂木さんを尊敬します(^^)。

投稿: tain&片上泰助 | 2007/09/28 23:27:50

今の私には月明かりさえ、眩しくてクラクラします。
大切なものに本当に近づこうとするときは、いつも
近づかずにすむ理由を
いくつも数えて、たくさんの
理不尽な言い訳を捏造します。
そんなことをしているうちに
どんどん魂が逃げ場のないほど
ひとりぼっちになってしまったように思われてきて
攻撃的な姿勢をとって
自分を守ろうとしてしまうのです。

ホントにメイワクなお馬鹿さんだピョーン、です。。。

投稿: まり | 2007/09/28 20:21:15

茂木さんとは何桁もレベルが下ですが、私のナリワイでも何をやっているのかわからなくなるほど立て込むことがある。

でも、そいう状況の中でこそ、自分の本当にやりたい仕事が見えてくることが多い。

趣味と仕事、興味と無味乾燥、などという仕分けは思い込みであって、どちらも混沌として人生の詩と真実を形成していると思います。

投稿: fructose | 2007/09/28 16:20:24

こんにちわ。

散文も詩も、否定的に見られると成り立たない、肯定的に見てもらわないと成り立たない文章があると思うのです。

散文で失礼します(笑)。

投稿: tain&片上泰助 | 2007/09/28 12:46:32

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