Rain Reaction
9月 30, 2007 at 12:01 午後 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
ヨミウリ・ウィークリー
2007年10月14日号
(2007年10月1日発売)
茂木健一郎 脳から始まる
堀川の「奇跡」
抜粋
それぞれユニークな校風を誇る私立高校には大切な役割がある。その一方で、経済的な理由などで公立の学校に通うしかない生徒もいる。だからこそ、進学実績において公立の学校が頑張るのは素晴らしいことである。
世間で「公立はダメだ」「公立は荒れている」などというもの言いを聞くために、私は腹を立てていた。私立が繁栄することは結構だが、それも、質の高い公立の教育があってこそである。京都市における公立学校のイメージを飛躍的に高めた堀川高校の実績は、その意味で特筆に値する。
何よりも素晴らしいのは、詰め込み教育ではなく、学生たちの探求心を引き出す「総合学習」を実行した結果、学力も向上したということである。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

9月 30, 2007 at 09:15 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (1)
このところ、
ドイツのアマゾンで買った
Monty Python's Flying Circus
を見ている。
ドイツ語版ということではない。
音声はオリジナルだし、
英語字幕もつけられる。
子どもの頃、タモリさんが
デビューするきっかけとなった
東京12ちゃんねるの吹き替え放送で
親しんでいたが、1st seriesを
見終えて、やはり「別格」だと思う。
以前、英国をドライヴした時、
『ラバー・ソウル』を買って聞いて
いた。
ビートルズはやはり
アルバムで聞かなければダメだと
感じた。
一つひとつの楽曲も素晴らしいが、
そのつなぎ方に非凡さがある。
モンティ・パイソンも同様で、
有名なスケッチは繰り返し見ているが、
それを放送時のコンティニュイティーで
見ると、なるほど、こうつなぐのかと、
その詩的な包絡線にゾクゾクとした。
ところで、ジョン・クリーズの役柄で、
訪問客を冷たくあしらい追い払うという
ものが時々ある。
そんな時、最後に
Good day! とか、Good morning!
とか、そんな挨拶をする。
こんな小さなところにも、すでに、
異なる言語の間には一対一対応が
生じないという問題が存在している。
Good mornig! を「おはよう」
と訳すのは、極言すれば「誤訳」
である。
日本語圏では、別れる時に「おはよう」とは
言わないからである。
そのような微妙なニュアンスの差異に
気づいていくということが、
異文化に触れることの喜びだろう。
「教科書」(textbook)という
言葉にかかわるイメージも、本当は
国によって違うのではないかと思う。
そもそも、国が「検定」という
ように関与したかたちで
教科書をつくっている国が、
世界にどれくらいあるのだろうか。
日本の教科書は薄く、
私は、新学期になって
学校から帰ってくると、夕飯前に
まず国語の教科書を全部読んで
しまって、他のやつも
一週間くらいで目を通して
しまうのが通例だった。
アメリカの高校で学会があった時のこと。
Scienceの教科書は辞書のように分厚く、
家になど持って帰れないから、
教室の後ろに起きっぱなしだった。
あの教科書だったら、さすがの
私でも、一ヶ月くらいは
楽しめるだろう。
そもそも日本の「教科書」
という文化がどれほど普遍的な
意味を持つのか、特に今日のような
情報があふれる時代においては
はなはだ疑問である。
諸外国の人は、日本人が
「教科書」という言葉に持つ
唯一絶対的なイメージに驚きを
感じるかもしれない。
イギリス留学中、ヨンという
仲のよい友人がいた。
いつもダベっていたが、
ある時、「韓国ではハングルしか
使わないようになってきている
ということだけれども、じゃあ、
カンジは本当に使わないのか?」
と聞くと、ヨンが怪訝な顔をしている。
「カンジ? カンジというのは
どういう意味だ?」
ヨンの表情を見て、ボクは、
しまったと思った。
「ゴメン、間違えた。
チャイニーズ・キャラクターは
使わないのか?」
と言い直した。
沖縄の居酒屋で楽しく飲んでいて、
座が盛り上がった頃、
「沖縄の人たちは
昔はどんな服装をしていたのですか?」
と聞いたら、相手が怒り出した
ことがある。
「何を言っているんだ。オレたちが、
そんなへんな格好をしていたと思って
いるのか?」
ボクは、何気なく聞いただけだったのだが、
隣りの人が「まあまあ」と取り直して
くれて、また楽しい飲み会になったが、
何かに触れた思いがあった。
異なる文化に触れる時、
なにかがざらつくことがあり、
その時にむしろ魂は大いに深く学ぶ。
政府が検定する唯一無二の
「公正な」教科書があるという
フィクション自体が、
最初から他者を排除するような
構造になっている気がしてならない。
もっとも、関係する人に悪意が
あるわけではないだろう。
ゴーゴリの名作『外套』の
主人公のように、
ただ誠心誠意職務を執行している
だけのことなのだろう。
だからこそ、問題の根は深い。
何しろ、Good morning!
からすでにすれ違うのだ。
雨の音を聴いていると、
不思議に心が安らいで、
自分が大海に一つながりになっている
ような、そんな思いがする。
雨が、海を運んできてくれた。
9月 30, 2007 at 09:09 午前 | Permalink | コメント (9) | トラックバック (3)
風の旅人 第28号
【表紙・裏表紙】
大竹伸朗
【 photographs 】
大橋弘、大山行男、神谷俊美、中藤毅彦、水越武
【 texts 】 小栗康平、川田順造、甲野善紀、酒井健、管啓次郎、
田口ランディ、日高敏隆、古谷利裕、保坂和志、
前田英樹、茂木健一郎、森達也、養老孟司
茂木健一郎 「今、ここから全ての場所へ」
第13回 聖なるものについて
(抜粋)
肝心なのは、思い出すということである。過去に繰り返し立ち返るということである。過去を見る射程が長いほど、遠い未来を見晴るかすことができる。「今、ここ」にのみ生きる刹那主義は、聖なるものの喪失と、未来へのヴィジョンの貧困へと通じる。自分の中に既にある体験を数限りなくふり返ってこそ、聖なるものを育むことができる。
巨きな物語などいらない。世界の全てを説明し尽くす原理主義もいらない。地上に命が長く継続してきたことの結果として自然が育む多様性こそが恵みである。
ただ、遠い昔の小さな出来事をふり返ってみるだけで良い。やがて、さまざまなものが住まう魂の森の奥が、かすかな光を放ち始める。

9月 29, 2007 at 12:50 午後 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (3)
『プロフェッショナル 仕事の流儀』 拡大番外編
医療スペシャル
命の現場に立つものたち
〜脳神経外科医・上山博康、専門看護師・北村愛子、小児心臓外科医・佐野俊二〜
ぎりぎりに淵に立つ時、それに寄り添う
ものにも、生命の持つ本来の力が
輝きが宿り始める。
2007年9月29日(土)23時10分〜0時25分

9月 29, 2007 at 10:52 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (2)
波頭亮、茂木健一郎
幻冬舎新書
『日本人の精神と資本主義の倫理』
経営コンサルタントの波頭亮さんとの
対談です。
幻冬舎の増田加奈子さん
(当時は大島加奈子さん)が作って
くださいました。
9月 29, 2007 at 10:46 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (5)
あまりにもいろいろな
ことがありすぎて、
仕事がたくさん行きすぎ、
ふり返ると呆然とする。
朝日カルチャーセンターの後の
飲み会に、筑摩書房の伊藤笑子さんが
来た。
伊藤さんは、「作りたい本と
売れる本は必ずしも一致しないから」
というようなことを言った。
ぼくは、自分が感じていることがうまく
言葉にできるかわからなくて、
しばらく黙っていた。
ぼくの人生は、世間と
交渉したり、付き合ったりする時間帯が
多い。
それはそれで意味があり、誠心誠意
するけれども、
一方で、自分の心の中で大切な倫理とか、
方向性とか、感覚のようなものを
見失ってしまってはダメだと思う。
自分の中の計測器という視点から見れば、
何が流行っているとか、受け入れられやすい
とか、そういうことはきっと
考慮すべき最初のことではないんじゃないか。
ぼくがそんな気持ちになったのは、
一つには、午前中に、丸の内の東京フォーラム
にて開催されていた
日本心理臨床学会の全国大会で
お話させていただいたことも
あるかもしれない。
二十歳の頃、人間の
心理に興味を持って、エンカウンター
グループとか、箱庭などに
触れた。
あの頃の感覚を思い出した。
人には、容易に掘り起こすことの
できない無意識の深層がある。
海の表面の風は、深層水の流れとは
無関係に波を立てる。
人生の表層も、深層とは
とりあえず無関係に流れて
いくように見えるが、
deep undercurrent が存在
しないわけではもちろんない。
ラ・フォル・ジュルネの
創始者、ルネ・マルタン氏に
お目にかかる。
ティーンエージャーの頃から、
自宅でレコードをかけて、
友人たちに披露するのが
好きだったのだという
友愛(fraternite)を重視する
フランスの文化的遺伝子は
かけがえのないものと感じた。
東京工業大学茂木研究室と
ソニーコンピュータサイエンス研究所
脳研究グループの合同ゼミ
(The Brain Club)は、
野澤真一がセロトニン・トランスポーター
(5-HTT)の遺伝子のプロモーター領域の
多型性と、感情刺激に対する
扁桃体活動の相関の論文を紹介。
扁桃体活動のレベルでは、
有意な差が出るが、
個体レベルの性格類型では、
相関がないという。


扁桃体活動の差を、脳の他の領域が
吸収して差を消しているとするならば、
そもそもpolymorphismの
意義とは何か?
意識の深層を流れるdeep undercurrentの
ごとく、
私たちの細胞の中の遺伝子多型は、
密かに「その時」を待っている。

「講義」中の野澤真一クン。
9月 29, 2007 at 10:34 午前 | Permalink | コメント (8) | トラックバック (3)
につき、簡単なご挨拶で失礼。
work life バランスならぬ、
散文と詩のバランスが大切だと見上げた
満月に思う。
世間で流通しやすいのはproseである。
しかし、poetryを忘れる時、
魂は乾く。
胸の中にある詩は、
ひとそれぞれに不思議な音を奏でる。
9月 28, 2007 at 07:44 午前 | Permalink | コメント (7) | トラックバック (4)
東京芸術大学 美術解剖学
2007年度 後期第一回
福武總一郎
東京芸術大学 美術解剖学の
2007年度後期第一回の授業は、
ベネッセコーポレーションの
代表取締役会長兼CEOの福武總一郎さんを
お迎えします。
福武さんは、ベネッセの経営を担う
香川県直島の「ベネッセアートサイト直島」
の構想、構築、運営にかかわり、現代美術に
おいて大きな足跡を残されています。
地中美術館や「家プロジェクト」が
加わった直島のアートプロジェクトは、
全国の美術関係者にとって
一つの「聖地」となり、直島は
世界的に著名なアートの島となりました。
福武總一郎さんに、美術に関する思い、
ヴィジョンをお話いただきます。
2007年10月1日(月)
午後3時35分〜午後5時
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)
9月 27, 2007 at 07:47 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
池上高志著 『動きが生命をつくる』
(青土社)

書評 茂木健一郎
讀賣新聞 2007年9月25日掲載
9月 27, 2007 at 07:42 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (1)
筑摩書房の増田健史さんと
作った
『意識とはなにか』
の中でも論じたように、
意識の本質は、「あるシステムの中で、
「あるものがあるものであること」
が保証されるメカニズムである。
しばしば、言語と意識の関係が
議論される。
極端な論者は、人間のように言語を
持つ存在でなければ「意識は
ないとする。
しかし、進化的視点から見れば、
自己同一性を保証する意識の
一般的メカニズムが先にあり、
それを利用して言語が発達
してきたと考えるべきだろう。
朝一番で代々木公園へ。
ロシアの文豪のマネをしていたら、
椅子が壊れて崩れ落ちた。
撮影の場所にはソメイヨシノの大木
がたくさんあって、
花見の季節には格好の場所に
なることだろう。
新潟に日帰りした。
新潟にくると、いろいろな
ところに美しい鳥「朱鷺」
がフィーチャーされている。
財団法人 にいがた産業創造機構
(NICO)の
高橋豊さんにうかがった
ところによると、
朱鷺は新潟平野にもごく普通に
見られたのだという。
とーき、とーき、飛んでゆけ
というような具合の歌が、子どもたちの
間で歌われていたのだという。
それが今は、佐渡で細々と
命をつないでいるだけである。
現在、佐渡島では
朱鷺を人工的に繁殖し、野生に返す
試みが行われている。
NICOの木川義裕
さんによれば、難題が積み重なっている。
朱鷺は、つまりはある複雑な
生態系の象徴であり、
それが存在し得るということは、
背景に豊かな自然があるということを
意味する。
ちょうど、私が心の中で
感じる一つのクオリアが複雑な
脳の神経ネットワークの精華である
ように。
和田京子さんを相手に、
ロシアの文学について
話す。
ITとハイテクで世界が
覆われた今、
地球のどこに行っても
利便性は追いかけてきて、
本当の意味での「旅をしている」
という実感を持ちにくくなった。
悲惨や貧困の中にこそ
栄光を見ようとするロシア文学に
おける感性は、私たちが魂のどこかに
置いておくべき大切な宝石である。
平穏な市民生活を送るための
秩序は大切だが、
その一方で、人間の「振れ幅」
の全スペクトラムを使い切る。
そんな生き方はかけがえのない
ものとなる。
いろいろな所で、すすきの穂が
目を惹くようになった。
9月 27, 2007 at 07:30 午前 | Permalink | コメント (9) | トラックバック (4)
高西淳夫先生に
お目にかかるのは、久しぶり
だった。
早稲田大学は、日本の
ヒューマノイド研究のパイオニア、
加藤一郎先生の流れを
引き継ぐ、日本における
ロボット研究所の一大拠点
である。
人間が歩行する時には、
床への圧力のグラフに、
一歩あたり二つのピークがある。
高西さんの研究グループは、
そのような特性を再現する
二足歩行ロボットの開発に
成功した。
今までのヒューマノイドが、
膝を曲げて歩いている印象
であるのに対して、きちんと
膝を伸ばして歩いているように
見える。
「膝を伸ばした状態は、
力学的には特異点になるのです」
と高西さん。
その難所をうまくクリアする
ことで、膝伸ばし歩行が
実現したのだという。
会場には、森山和道さんの
姿も見えた。
相変わらず元気そうな森山さん。
質問は鋭く、そのまま議論したら
どんどん深い方にはまって
行きそうであった。
「人間であること」
自体には、究極の根拠はない。
「人間」とは、畢竟、一つの
イリュージョンである。
そのイリュージョンが、人間の
脳には強烈なインパクトを与える。
二足歩行をすることや、
顔の表情が豊かであるといった
特性が、進化の過程でお互いに
「同種」であると見分け、
コミュニケーションを図る
ための重要なシグナルとなって
きたからだろう。
人間にとって、機械であるのに
二足歩行し、顔の表情も
獲得しつつあるヒューマノイド
ロボットは、脳の中で分類不能な
エニグマとして
感知されている。
ヒューマノイド・ロボットを
研究するということは、すなわち、
容易には解くことのできない
心理的迷宮に踏み込むことを
意味する。
街を歩く。
空の月がひときわ美しい。
I love youの日本語訳を
「月がキレイですね」
としたのは夏目漱石である。
月は、大抵のものを浄化して
くれる。
地球に衛星があったおかげで、
私たちの心の中に育まれて
きたもの。
9月 26, 2007 at 06:17 午前 | Permalink | コメント (6) | トラックバック (5)
プロフェッショナル 仕事の流儀
トーク・スペシャル 命あるものと、向き合う
毎回放送されるトークの部分は、およそ
15分。
しかし、収録時は、毎回4時間にわたる
熱い会話が繰り広げられています。
まるで「源泉かけ流し」の温泉の
ような贅沢な『プロフェッショナル』
の作りですが、
その中で放送できずにこぼれ落ちて
いってしまうものの中にも
「宝石」がたくさんあります。
ゲストの人間性が表れ、人生観が
かいま見え、聞く者の心を奮い立たせる
「トーク・スペシャル」。
今回は、可愛い「動物」たちに
関わるプロたちのトークを集めました。
アイガモ農法の古野隆雄さん、盲導犬訓練士の
多和田悟さん、海獣医師の勝俣悦子さん、
調教師の藤澤和雄さん。
もの言わぬ動物たちに真剣に向き合ってこそ
初めてつかむことのできる
コミュニケーションの奥深い楽しさが
画面からあふれ出ます。

NHK総合
2007年9月25日(火)22:00〜22:44
9月 25, 2007 at 07:58 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (0)
思うに、人間は「普遍」のみでは
満足することができないのではないか。
そのような一般的志向性の
一つの表れが、たとえば
「ナショナリズム」という「特殊」
への拘泥に現象的に結実している。
満天の空の星を見れば、地上の些事
にかかわずらっていることは
いかにも「小さな」
ことではあるが、
しかし、その「小さな」ことが、
私たちの胸を打ち震えさせるのだ。
この世はまさに多様で、
地上にはめくるめくさまざまな
「主観性」がある。
池の上を飛ぶトンボにも、
自らの生命をそのか細い身体に
託して微睡み、迷っている、
固有の主観性があると考えざるを
得ぬ。
蟻にも、ミミズにも、
アメンボにも、カエルにも、
それぞれの自律的能動性を支える
限りにおいての主観性が
宿っている。
俯瞰的に見れば、
この「私」の主観性もまた、
星くずのごとく地上にばらまかれた
数多のものたちの一つに
過ぎないのだ。
亀山郁夫さんの
光文社文庫 古典新訳
『カラマーゾフの兄弟』5
エピローグ別巻の中にあった
以下の解説が、どういった間合いか、
精神の奥深くまで入り込んできた。
だが、あいつぐ不幸の中で、
ドストエフスキー文学の方向を決する
一編の小説が生まれた。それが、『地下室の手記』
である。ドストエフスキー文学の
「コペルニクス的転回」とされる哲学的な
霊感に満ちた小説であり、二度にわたる外遊と
アポリナーリアとの愛を通して、「苦痛が
快楽である」というテーゼを、文学的な肉付け
によって体現した作品である。合理主義、
理性の上に打ち立てられた社会主義は、
人間の本性と相容れない。「二二が四は死の
はじまり」である。さらに、サディズム・
マゾヒズムの発見は、それまでの彼の思想的
な基盤を根底からくつがえすほど強烈な
破壊力を帯びるものとなった。
日本とロシアの、ヨーロッパに
対する立ち位置は似ている。
私たちは、自分たちがあたかも、「普遍」
に対する「特殊」であるかのように
思いこまされているのだ。
美には絶対的な根拠はないが、
それでもある力を持つように、
「普遍」と「特殊」の概念は
精神運動における強制場となる。
知識人たちが熱病にかられる。
ロシアの小説家たちが、「大地」
に再生への鍵を求めたように、
日本も古層を掘り起こす必要がある。
しかし、それは、すでに判りきった
ものとして分類され、わかりやすい
名前がつけられ、「博物館の
棚」に収められたものであっては
いけない。
結局、それは、数多の星くずの一つである
「私」の主観性の内側から
こみ上げてくるものでなければ
いけないのだ。
主観性の奥底を掘り下げていけば、
そこに普遍に至る道がある。
そのことを信じることができなければ、
価値のある人生を送ることなどできない。
個別から普遍に至るためには、
徹して遠くを見なければならない。
「ナショナリズム」は、いかにも中途半端
である。
ドストエフスキーは西欧に
滞在して幻滅したが、
かといってロシア・ナショナリズムには
とどまらなかった。
9月 25, 2007 at 07:48 午前 | Permalink | コメント (8) | トラックバック (4)
高西淳夫 × 茂木健一郎
ロボット技術に学ぶモノづくりの成果と展望
2007年9月25日(水)10:00〜12:15
大手町サンケイプラザ
9月 24, 2007 at 07:54 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (1)
子どもの頃、
夏、神社の境内で昆虫採集を
していて、カラカラに喉が
かわくと、
「おみず のませて ください!」
と大声で呼びかけて、
それから、
事務所の玄関の横にあった水道
の栓をひねった。
顔を蛇口の下に置いて、
思い切りごくごく飲む。
ちょっと鉄サビの味がする、
ちょっと情けなくて、
それでいて少し味わいがあって。
身体が全体で反応していた。
タデを摘んでは口に
含むのがなぜか流行っていて、
その酸っぱい味が、遊んでいる
時間の中でのアクセントとなった。
あの頃の強烈な味と、
大人になって口にする
「洗練された」味は
単純に比較できない。
粗っぽい、それでいて
ずしんと来る。
そんなものは精神運動に
おいてもあるように思う。
洗練とか、精密な文脈付けとか、
そんなものとは別に、
ズドンと一発、思い切り
虚空を目指すそんな衝動は、
子どもの頃、水道の蛇口から
直接飲んだ、
あの鉄サビの水の味にきっと
似ている。
9月 24, 2007 at 07:43 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (6)
Melting Point展開催記念トーク
茂木健一郎
「溶け合ってクオリアとなるための」
モデレーター:北澤ひろみ
(ナンジョウ アンド アソシエイツ/本展ゲストキュレーター)
2007年9月30日(日)18:00〜
(開場17:30)
近江楽堂(東京オペラシティ)
9月 23, 2007 at 11:06 午前 | Permalink | コメント (0) | トラックバック (1)
ヨミウリ・ウィークリー
2007年9月30日号
(2007年9月15日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第73回
正しい変人の作り方
抜粋
ケンブリッジの街では、ぱりっとしたスーツを着て歩いているような人は、かえって「普通の人だ」と思われてしまうのである。
十年も二十年も着ているような穴の開いたセーターをまとい、今にも壊れそうな自転車に乗ってギーコーギーコーと進んでいる白髪の老人などがいると、「あの人は偉い学者に違いない!」と考える。みすぼらしい服を着た「自転車おじさん」こそが、偉大なる学者にふさわしい姿である。そのように、変人を尊重する風土があった。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

9月 23, 2007 at 09:55 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (2)
『科学大好き土よう塾』の
収録。
打ち合わせ室でオフォス・トゥー・ワンの
内海邦一さんと話していると、
黒板に絵が描いてあった。

内海邦一さんと、凜ちゃんの作品。
出演している三人の子どもたちの
一人、水本凜ちゃんの「作品」。
子どもたちにとって、
大人たちが何やら会議している
部屋は興味がわいて仕方が
ないらしく、
時折「侵入」してくるとは
聞いていた。
まだ大人たちが来ていない
待ち合わせ室で、
黒板にあこがれの中山エミリさんと
自分の絵を思い切り
描きたくなったんだろう。
番組の
テーマは、「虫たちのスーパー能力」。
室山哲也塾長が、あるモノの強度を
確かめるためにズシンと乗った。
科学の精髄をわかりやすい形で
瞬時に伝えることはとても難しい。
しかし、だからこそやりがいがある。
深いテーマは、生物多様性の
素晴らしさである。
私たちの身近にいる虫たちが、
いかに驚くべき力を持っているか。
『すごいぞ! 虫たちのスーパー能力』
は2007年10月6日(土)に
放送予定。

収録後、スタジオで。松田尚樹くん、
水木凜ちゃん、神田舞帆さん、中山エミリさん。
夜、ヘリポートに向かった。
浦安から飛び立ったヘリコプターは
すぐにディズニーランドの横を
通り、思ったよりもずっと早く
レインボウ・ブリッジを
抜けて東京に入った。
今まで、ヘリコプターには、
グランド・キャニオンでしか
乗ったことがなかった。
ビル群が、まるですぐそこに
あるかのように輝いている。
深海の光のまたたきを、
透明な層を経てのぞき込んでいる
ような、そんな気分。
夜の地球で、なにものかが
光っているということは、「生きている」
ことの証しである。
普段、自分たちが地上で這いずり回っている
六本木、青山、東京駅、
芝、新宿、池袋といったエリアを
上空から見るという体験は、
距離がもたらす浄化の気配に
満ちていた。
自分たちが普段悩んでいる小さな
ことは相対化される。
意識は、少しだけ宇宙の方に近づいて
いく。
同時に、自分たちの生命が、
大空から見ればごく小さなスケールの
中にこじんまりとそして温かく
成立しているつかの間の夢であることにも
気づかされるのだ。
ヘリコプターを降りた時、
何かが自分の中から抜けていった
ような気がした。
操縦してくださったのは、民間では
日本で唯一の女性ヘリコプターパイロット
だという鈴木綾子さん。
http://www.asahi-mullion.com/column/wakuwork/61220index.html
毎日、あの光景を見ながら仕事をしていたら、
確実に精神は変貌していくことだろう。
その感触を、ほんの少し、私も受け取った。

ヘリコプターから降り立つ。撮影:佐々木厚さん

ヘリコプターパイロット 鈴木綾子さんと。
撮影:佐々木厚さん
9月 23, 2007 at 09:44 午前 | Permalink | コメント (4) | トラックバック (3)
朝起きて、仕事をしていて、
家を出る頃になると、
どうにも身体がだるく、喉が
ひりひりして、
今日は休んだら楽だな
と思った。
休むといっても、うとうと
するかもしれないが、仕事はするのである。
しかし、
葛藤はあったが、どう考えても、
休んでしまうと影響が大きすぎる。
先方に御迷惑をかけるし、
後々のスケジューリングが
苦しくなる。
まあ、仕方がないか、
とだるい身体を引きずった。
駅のホームで、どうもヘンだぞ
と思った。
ある意味では、調子が悪くて
身体が悲鳴を上げている時の
方が、生きている実感が
ありそうだ。
それで思いだした。
何日か前、
地下鉄に
乗っている時、
突如として、
そうだ、何かを考えたり、
感じたりするのではなく、
この時間の流れ、
瞬間瞬間決してとどまる
ことなく、一度過ぎ去れば
二度と戻ってこない、
この時間の流れにこそ
注意を向けてみよう。
そう思って、
ガラスに写る人の顔を
じっと眺めていた。
ああ、この瞬間も、私たちの
身体の中では、無数の素粒子が
動き回って、ファインマン・ダイアグラム
を描いているんだなと思った。
それから、
果たして「自由意志」なんて
あるのかしら、と思った。
私たちは、事態の精密を本当の
意味ではつかむことなく、
ただ薄ぼんやりと生きることの
印象批評をしているだけなのでは
ないかしら。
そう考えていたら、
この世界の背後に、とてつもない
悲劇が隠されているように感じられて、
私は戦慄した。
研究所に着く。
文部科学省の生涯学習総括官を
されている清木孝悦さん、
生涯学習政策局の加藤正嗣さん、
三井康弘さん、
それにぎょうせいの
檜垣健さんにお目にかかる。
フランクリン・アヴェニューにて、
文藝春秋の大川繁樹さん、
山下奈緒子さんと昼食。
ぼかあ大川さんの宿題を
まだしていないので、
できるだけ下を向いて目を
合わせないようにしていたのだけれども、
文学の話などをしているうちに
そんなこたあ忘れてしまって、
大川さんのぎょろりと
しかし何時もやさしい目を
思い切り見つめてしまった。
山下さんには、「文學界」での
連載でお世話になったが、今は
クレアの編集部に
いらっしゃる。
ワレワレハ、女性心理について、
三四郎の美禰子などを引き合いに
出して大いに語ってしまったことであるヨ。
東京工業大学茂木研究室の面々と、
ソニーコンピュータサイエンス研究所の
田谷文彦、張キさんからなる
脳研究グループのゼミ。
田谷文彦は、もともとは
慶応大学のコンピュータ・サイエンスの
学生であったが、
私のところで研究を始め、
大阪大学の柳田敏雄先生のところに
お世話になり、博士号の学位を取り、
そして今はソニーコンピュータサイエンス研究所
の研究員となっている。
ゼミの最中に
こっそり撮ろうとしたら、田谷に気づかれた。

田谷文彦「何をしているんですか、茂木さん!」
田辺史子が、エピソード記憶が
眠りによってinterferenceから
守られるという研究のレビュー。
関根崇泰が、前頭葉における
limb positionのmultisensoryな
representationについて紹介。
それから、須藤珠水が、
社会的認知に関するレビュー論文を
紹介した。

論文紹介をする須藤珠水。
須藤は、以前から、「私には心の
理論がない」などと言っている。
須藤が紹介した論文には、
釣りをしている絵が二つある。
左と右では、左のジョークを
理解するためには心の理論が
必要であるが、右には必要ない。
だから、二つの絵を見せて、
何がジョークのポイントなのか
説明させると、心の理論
に関連する脳の部位が活動の差が出る。

左の理解には心の理論が必要とされ、
右の理解には必要ではない。
ところが、須藤は、左が
何を意味しているのか
わからないという。
関根や加藤未希を始め、皆が須藤に
「こういうことなんだよ」
と説明するが、須藤は首をひねっている。
「つまり、釣りをしていないのに
釣り竿を下ろしているところが
面白いんですか?」
などと不思議がる。
ボクは、須藤に言った。
「大丈夫だよ。あの、北大の
津田一郎先生だって、
「ボクは誤信念課題ができないんだよ」
と言っていたくらいだから!」
須藤珠水の魂の叫びは続く。
いろいろと議論ができて、良い
ゼミだった。
それにしても諸君、
風邪気味でも、身体を動かして
いれば何とかなるものだねえ。
まあ、あまり無理をするものでは
ありません。
そもそも、自由意志というものは
あるのだろうか。
ぼくには、安静にしているという
選択肢もあったんだろうか。
人間は、自分の未来を
選ぶことができるのだろうか。
素朴信念論ではなく、
自然法則の本性に照らして、
どうなんだろうねえ、君!
(この日記は、大場葉子さんに
いただいたシューベルトの
ピアノ・ソナタ第21番
変ロ長調「遺作」を聞きながら
書きました。)
9月 22, 2007 at 09:05 午前 | Permalink | コメント (14) | トラックバック (6)
朝青龍の問題は、結局、
「規格外」の人をどう扱うかという哲学
だと思う。
日本の「国技」としての相撲が、
守るべき美学があるのはわかる。
品格をうんぬんする人の気持ちもわかる。
伝統を守ることは尊い。
その一方で、すでにある枠組みから
はみ出している人の個性を認めてこそ、
生命力は維持されるのではないか。
ボクの理解する「横綱の品格」とは、
まさに、枠をはみ出そうとする
とてつもないエネルギーを御した
ところにこそ生まれるのだと思う。
最初から「いい子」だったら、品格うんぬんを
そもそも問題にする必要がない。
容易に御すことのできない荒々しさを
みがいてこそ、ほれぼれするような
風合いが生まれるのではないか。
残暑で気温が高いのだろうが、
どうも風邪気味で、
時折寒く感じていた。
だからこそ、身体を動かしたかった。
NHKの収録の昼休み、
正面玄関から出て代々木公園を
歩いた。
わずかな時間でも、ぐんぐん歩いて
いけば、随分遠くに行くことが
できる。
フェアウェーやよく踏み固められた
道から垂直に進んでいくと、
荒れ地に出る。風が吹いている。
だけど、それが心地よい。
代々木公園の木立の中で、
再び出会えたムラサキシジミ。
ボクは、「規格外」のことについて
考えていた時に出会った君のことを
きっと忘れない。
君もまた、都会という文明の趨勢から
すれば、一つの美しい「規格外」
だね。
9月 21, 2007 at 06:39 午前 | Permalink | コメント (8) | トラックバック (4)
女満別空港で、「和樂」の渡辺倫明
さんと食事をしている時に、
ふとテーブルの上のミネラル・ウォーターの
メニューに目がとまった。

シャテルドンのメニュー
シャテルドン Chateldon
ミネラルウォターの第一級品
とある。
フランス王ルイ14世に愛された
水のドンペリ
ミネラルウォーターのロマネコンティ
とある。
価格を見ると、500mlで1000円!
である。
「うーむ」と顔を見合わせた。
「行きますか」と渡辺さん。
「ここは一つ、取材という意味でも、
行くしかないでしょう」と私。
二人の男が「行く」と決意した
以上、もう後には引けない。
うやうやしく運ばれてきた水を、
渡辺さんが検分した。

シャテルドンを検分する渡辺倫明
違いのわかる男が、肯く。
違いのわからない私も、口に
含む。
まろやかな微炭酸。
泡の粒子が細かい。
いやあ、
世の中にはいろいろな
ものがあるんだねえ。
また一つ、世界の多様性に出会った。
ザ・ベストハウス123の
控え室で、
昆虫写真家の海野和男さんと
話し込む。
「ホタルの木が見たいんだったら、
日本から一番早くて一泊二日で
行ける場所がありますよ。クアラルンプールに
飛ぶんです。そこから車で一時間。
ホタルを見たら、空港に戻って、
23時過ぎの飛行機でそのまま日本に帰って
くればいいんです。」
「それ、やろう!」
と一瞬マジで思ってしまった私は、
真性のバカというものであろう。
海野さんは若い時から東南アジアの
いろいろな土地を歩いてきた方なので、
さまざまな事情に通じている。
四方山話をしながら、
海野さんの手が動く。
持っているカメラで
お茶の缶をテキトーに取ると、
あら不思議。
とても鮮明に写っている。
「いいですね! そのカメラ」
「ああ、これは、ぼくたちが
いろいろ要望を出して出来たカメラ
なんですよ」
「そうなんですか!」
「焦点深度がナントカカントカで、
こうやって手をかざしてとれば
ナントカカントカでナントカカントカ
なんです。」
「ナントカカントカ」のところは、
実際には海野さんはスルドイ
写真用語を駆使しているのであるが、
私は写真の理論関係は一向に
詳しくないので、私にとっては
「ナントカカントカ」
なのである。
よくわからないが、とにかく、
海野さんの持っているカメラが、
昆虫を撮影するのに大変適した
ブツであることだけはわかる。
「そうですか、いやあ、実に、
ナントカカントカですね!」
私は感激して、もう
そのナントカカントカを入手
することに決めていた。

スグレモノのカメラを手にした海野和男さん
控え室には、水中撮影の大家
中村宏治さんや、発光生物学の権威
近江谷克裕さんもいらして、
本番前から
大いに話がふくらんでいった。
生放送はスタッフの超絶技巧で
進められていく。
隣りに座った荒俣宏さんも、
「いやあ、面白いなあ」
と連発する。
NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』
のチーフプロデューサーの有吉伸人さんの
京都大学時代からの盟友で、
『ザ・ベストハウス123』の
プロデューサー、
フジテレビ編成制作局編成部副部長の
小松純也さんと話す。
「小松さん、ああいう時は、副編集室は
どうなっているんですか」
「すごいですよ。怒号が飛び交って、走り回って
いますから」
「オモシロイでしょうね」
「そうですね。客観的に見たら、きっと
オモシロイでしょうねえ」
「それにしても、編集して作る番組と、
ああいう生放送は、必要とされるノウハウが
全然違うんじゃないですか」
「そうなんですよ。だから、テレビ屋は、
両方の技量を身につけていなければならない
んですよ。」
そうですか、小松さん。
いやあ、実にナントカカントカだなあ!
帰りの車の中で、静かな仕事の方に
戻っていく。
手元に目を落とし、暗闇の中、
部品を組み立て、湿らせ、
しっとりと発光し始めるのを待つ。
いつの間にか、私は、
まだ見ぬホタルの木のことを
思っていた。
9月 20, 2007 at 08:53 午前 | Permalink | コメント (8) | トラックバック (1)
9月 19, 2007 at 10:37 午前 | Permalink | コメント (3) | トラックバック (0)
ブノワの聖母
私がレオナルド・ダ・ヴィンチ作
「ブノワの聖母」を見つめている
プロフィール写真は、マガジンハウスの
雑誌「ブルータス」副編集長の鈴木芳雄さん
http://fukuhen.lammfromm.jp/
が撮影してくださったものです。
鈴木さんは、ご親切に、色を調整した
ファイルをお送りくださり、
現在はそちらを採用しています。

鈴木さんには、私めの「ブルータス」
特集号(黄色い表紙のやつ)の時に、
ひとかたならぬお世話になりました。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000MDH5J4/mugichocogaik-22/ref=nosim
9月 19, 2007 at 10:29 午前 | Permalink | コメント (1) | トラックバック (1)
シーカヤックで海の上に乗り出した
時、新しい経験の時は
しばしばそうだが、
「あっ、これはダメだ」
と思った。
「沈」するのが一番こわかった。
ひっくりかえったら、スプレー
スカートに付いている紐を引っ張って
脱出しろという。
「天地逆さまになったら、パニックになって、
手前に引いてもなかなか外れない
ものだから、上に引っ張らないとダメです」
と知床山海塾の佐々木泰幹さんが言う。
沈することはまずないとは言うが、
想像力という余計なものがある。
一生懸命、
スプレースカートを外す
シミュレーションをした。
後で聞いたところ、
海に出た時に、私の一人乗りカヤックが
ゆらりゆらりしたのは、
実は当然で、本当は荷物をある程度載せないと
安定しないのだという。
波が少しある。
時々、左右に揺れる。
それでも、不思議なもので、
漕いでいるうちに慣れていった。
左右の足を用いての
ラダーの操作も、快感となる。
次第に、夢中になっていく。
自分の周囲の水の塊が、
大海原に続いているかどうか。
それは無意識に影響を与える
ものだろうか。
果たして、私は合理の内にいるのか。
それとも、踏み出しているのか。
パドルが自らの呼吸のように
感じられる。
感性が開いていく。
生命の躍動に、身を任せる。

知床の海をシーカヤックで行く。
撮影 佐々木泰幹さん(知床山海塾)
思えば、開かれ、浮上する旅だった。
釧路川をカヌーで
下った時に見た
カワセミ、エゾジカ。
そして、釣りをする人。

カワセミ。釧路川にて。

驚き、見つめるエゾジカ。釧路川にて。

釣りをする人。釧路川にて。
感性を開き、まわりのものと
行き交う。
そしてそれを
持ち帰らなければ、
日々の生活の中で、
知床の海をカヤックで行くときの
ような、あのような敏捷な
心の動きを持ち続けなければ
甲斐がない。
知床半島の西岸にある
ウトロで、アイヌ・アート・プロジェクトの
早坂雅賀さん、NPO知床ナチュラリスト協会
(SHINRA)
の西原重雄さんと、
アイヌの聖地を巡った。
森に入る前に、早坂さんが
「こうやって祈るのだ」
と教えてくれる。

森への入る前の祈りをする早坂雅賀さん
原生林のけもの道を
登り切ったその場所は、見晴台であり、
聖地(「チャシ」)であり。
オジロワシがとまる枯れた白木がある。
往時には
時折クジラが打ち上げられた
という海岸を見下ろすその高台は、
空気と光が澄んでいて、魂が
浄化されてふわっと浮かび上がる
のが手に取るようにわかった。

知床ウトロのアイヌの聖地、チャシにて。
早坂雅賀さん(中央)、西原重雄さん(右)と。
撮影 渡辺倫明さん(小学館「和樂」編集部)
脳内現象は、さまざまな表情を見せる。
チャシから見晴らしていた
海岸に降りると、背後の崖のそばの空で
茶色と白が交差した。
ハヤブサが、驚くべき早業で
カモメを捕獲したのだ。
反射的にシャッターを押す。
望遠レンズではなかったので、
小さくしか写らなかった。
白と茶色の点を
拡大すると、そこには
生死のドラマがあった。

ハヤブサによるカモメの捕獲(全体図)。
崖の中央に小さく見える。

ハヤブサによるカモメの捕獲(拡大図)。
瞬間の出来事だった。
女満別に向かう。
文明の中での生活が
どれほど大変だとしても、
大自然の中で格闘する野生動物
ほどに過酷であることは希である。
偶有性が本来抱く白い刃の前に
身をさらしてから、
人類が築き上げた文明の中に還って
くれば、
エッセンシャルな問題に向き合い続ける
ことなどは、生きる上で当然のことだと
思えて、
目の上にともすれば張り始める皮膜
などにに負ける
ものかと思う。
肝心なことは、フクロウのようにクリアに
見続けることなのだ。
この度の旅では、和樂編集部の渡辺倫明
さんにお世話になり、また、橋本麻里
さんには素晴らしいスケジュールをアレンジ
いただきました。
橋本さんが、比叡山の取材のために、
アイヌの聖地巡りを前にして京都に
帰られたのは、残念なことでした。
良い原稿を書いて恩返しします。
9月 19, 2007 at 10:13 午前 | Permalink | コメント (8) | トラックバック (3)
プロフェッショナル 仕事の流儀 第63回
地の果てにこそ、真実がある
〜生物学者 長沼毅〜
長沼さんは、
科学という営みが本来もっていた
大らかさ、楽しさを身をもって
伝えてくれる。
そして、我が親友、
池上高志に挙動がそっくりなのだ!
いやあ、ぼくは、長沼さんが
大好きだなあ。

NHK総合
2007年9月18日(火)22:00〜22:44
http://www.nhk.or.jp/professional/
すみきち&スタッフブログ タイトル:生物学者 長沼毅さん (by 住吉美紀)
すみきち&スタッフブログ 「楽しい」ということ (by 山口佐知子)
Nikkei BP online 記事
原点を忘れなければ仕事は楽しめる
〜 生物学者 長沼 毅 〜
9月 18, 2007 at 09:41 午後 | Permalink | コメント (8) | トラックバック (12)
エッジが(細く)通じるところに来ました。
今日のプロフェッショナル、オモシロイです!
ぜひ見てください!
これから東京に帰ります。
茂木健一郎
9月 18, 2007 at 02:17 午後 | Permalink | コメント (2) | トラックバック (0)
エッジは入らず。
宿で、かろうじて細くつながった。
「和楽」
http://www.waraku.shogakukan.co.jp/
に連載中の
「日本のクオリア」。
第18回の取材で、北海道に来た。
釧路湿原は、すっかり秋の気配。
トウロ湖からアレキナイ川を経て、
釧路川に出る。
エゾシカ、オジロワシ、カワセミ
を見て、タンチョウの声を聞いた。
湿原はトンボたちの楽園で、
たくさんの種類が飛び交う。
ルリボシヤンマが、展望台の
下の木にとまった。
関係性を読み取り、多様性を
受け止めようとすると、
下る一瞬一瞬が思考と感性の集積
回路となる。
忙しい。
マガモが飛んでいく空の色に、
未だ見ぬ人生を想う。
9月 17, 2007 at 05:24 午前 | Permalink | コメント (5) | トラックバック (4)
朝早く起きて仕事をしたり
準備をしていて、ふと
何となく格闘家のことを思った。
ショウビズとして華やかな裏には、
身体を張ることの哀しみも
あるに違いない。
格闘家の恋人は、そのような裏を
知り、感染して愛するように
なるのかもしれない。
ロシアの映像作家タルコフスキーの
名作『ストーカー』で、
そこに行くと希望が叶うという
「ゾーン」に案内する男の
妻は、男の哀しみ、聖なる仕事で
あるがゆえに差別されることの苦しさを
知っている。
だからこそ、愛が深まる。
チョコレートを一つ食べる。
秋はほろ苦く、甘い。
格闘家や案内人の哀しみをわかる
人間であり続けたい。
大手町の
日経サイエンス編集部
http://www.nikkei-bookdirect.com/science/index.php
で、
連載「茂木健一郎と愉しむ科学のクオリア」
の対談。
今回のゲストは、国立健康・栄養研究所の
吉池信男さん。
肥満は健康における明らかな
リスクファクターであり、
個々人における健康状態の変遷は
確率的にしか予測できないにせよ、
国全体としては明確に
医療費の増大が生じるのだという。
つまり、やや太っているからと
言って必ずしもその人が
病気になるとは限らないが、
ポピュレーション全体としては、
確実に医療費負担が増大する。
従って、国の施策としては、
BMIなどの太りすぎ/痩せすぎ
の指標をマクロにある領域に
導くことが有効である。
そんな話をしながら、私は、
自分のBMIを計算してみた。
うーむ。
「27、28くらいから明らかな
病気の上昇トレンドが見られます」
と吉池さん。
さすがにそこまでは行かないものの、
やはカロリーバランスを
きちんと図らないと
いけない。
実は私は朝、時間があれば
近所の公園の森の中を走っていて、
運動することは好きなのであるが、
何しろ本格的なエキササイズを
する時間がないし、外食も多い。
個人における確率的振る舞いは、
希望的観測をも許容するが、
吉池さんのようにマクロな
トレンドを相手にすると、
そこにあるのは冷徹な相関だけである。
マクロな相関を下に、
自分の生という個を照射するという
思考回路を、受け取り、
私は少し考えを改めた。
汐留の日本テレビ。
『世界一受けたい授業』の
収録。
スペシャル番組で、
放送は2007年10月6日(土)
の予定。
放送作家の富樫香織さんは
何時会っても元気。
「茂木さん、疲れていますか?」
と富樫さん。
じゃないんだよ。
ぼかあ、格闘家の哀愁について
考えたいただけなんだよ。
身体を張って生きる。
言い訳しないで生きる。
ちょっとうら寂しい方が
人生はいいやね。
富樫さんは、『芸術脳』
http://www.amazon.co.jp/芸術脳-茂木-健一郎/dp/4104702021
の中で、
おじさんがモルフォ蝶をの標本を欲しがる
話を読んで、号泣したのだそうである。
ありがとう、富樫さん。
元気だけど、やさしいね。
9月 16, 2007 at 04:40 午前 | Permalink | コメント (9) | トラックバック (3)
丸山健二さんが
言っていたことが
気になって、
「日月山水図屏風」を検索してみたら、
六本木のサントリー美術館で
開催されている「BIOMBO/屏風
日本の美」展で
9月17日まで公開
されていることがわかった。
移動の合間に、短い時間だったが
赴いて向き合った。
二年前に愛知で見て以来である。
本当にすぐれた芸術作品を前にした
時の、刻一刻がどうすることも
できない、無力な感じは、
宇宙全体を前にした時の
焦燥感に似ている。
つかもうと思っても、つかみきれない。
吸い込み、一体化し、抱きしめようと
しても、それはあくまでも遠い。
展覧会には、他にも室町や
安土桃山時代の屏風が
展示されている。
西欧の人間が行き交い、
「南蛮」の文化が一つの趣を
なしていた時代。
世界地図がある。ヨーロッパの合戦の
絵がある。
日月山水図は別格だが、
この時代のどの絵にも、人格の奥深くまで
入り込んでくる、しかも能動的な
偶有性がある。
剛胆さがある。潔い、骨太の美がある。
それが、徳川時代になると、
線が細くなる。鳥や小動物を描いても、
こじんまりと優美にまとまる。
現代日本に続く、「大人しい文化」
の始まりである。
「日月山水図屏風」を心から
愛して止まない丸山健二さんは、
しかし、
実際にはまだ見たことがないのだと
言う。
この掛け値なしの名作をモティーフに、
一篇の長編小説まで執筆中だというのに、
なぜ見ないのか?
「いや、本物を見ると、いろいろあるでしょう」
と丸山さんは笑った。
文藝春秋から出版されるという小説を
拝読するのが今から楽しみである。
丸の内の東京フォーラムの
「イノベーション・ジャパン」で
お話する。
私の後に、秋山咲恵さんが
御登壇された。
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
で秋山さんがいらした時に
たっぷりとお話しし、
それから、NHKのイベントで
もご一緒したが、それ以来。
秋山さんが、パートナーである
技術者の秋山吉宏さんとSAKIを立ち上げて、
海外に多くの拠点を持つ現在まで、
その発展の歴史を踏まえた
日本のイノベーションへの提言は
迫力があった。
秋山咲恵さんのお話をうかがって
いた時、私の横には秋山吉宏さんが
いらした。
SAKI coorporationのCTOをつとめる
秋山吉宏さんは、ロボット制御工学が
ご専門。
咲恵さんの話を聞きながら、
時折くすっと笑ったりする。
チャーミングな方なのである。
電通本社での、セカンド・ライフに
関するブレスト。
電通の佐々木厚さんは、
タクシーで移動中も、
二つの携帯電話を駆使して仕事仕事仕事!

「二丁携帯」。佐々木厚
見ていると、なんだか、おもしろいのである。
ソニーコンピュータサイエンス研究所。
東京工業大学の私の研究室の
学生たちとのゼミ。
修士1年の加藤未希、高川華瑠奈が、
初めての論文紹介をする。
加藤は、認知判断に与える、無意識の
プライミング効果に関わる脳機構の
論文。
随分りっぱにやっているので、
「どれくらい準備したの?」
と聞いたら、合宿の後やった
だけだという。
そうか、加藤よ、君はえらい!
博士論文執筆中の「かものはし関根」
こと、関根崇泰くんも、ぜひ
見習いましょう。
高川華瑠奈は、プラシーボ効果
に関わる脳機構についての
論文。
Pain Matrixの活動が低下すると同時に、
前頭葉の痛みのpredictionに関わる
活動が上昇する。
ラテン語で、"I shall please"という意味を
持つplacebo効果は、おそらく
人間にしかない。
そこで、高川さんは、意識と身体性の
結びつきを解明する一つの材料として、
placeboに目をつけた。
着眼点はよい。
考えるべきことはきっと
たくさんある。
placeboが効くそのメカニズムを
predictionとpain reductionを
含むロジックの脈絡できちんと
説明しようとすると、
難しい。
そのあたりの整理から始めたら
どうでしょう、高川さん。
「学問の秋」だ!
諸君、大いに学び、考え、
日月山水図屏風のあの浪の中で
もまれて、魂を成長させようでは
ないか。
加藤と高川は、自分たちの発表を
終えて、ほっとしたように、
ゲスト・スピーカーである
カネボウの猿渡敬志さんの
話に耳を傾ける。

猿渡敬志さんのトークを聞く。
左から高川華瑠奈、関根崇泰、加藤未希。
後ろに隠れて野澤真一。
内面に沈潜し、思索の糸をたどるほどに、
大きな浪が、私たちの頭上を越えて、
そして渡っていった。
9月 15, 2007 at 08:13 午前 | Permalink | コメント (9) | トラックバック (3)
筑摩書房の「タケちゃんマンセブン」
こと、増田健史からのメール。
*****
昨夜は、素晴らしい会をアレンジしていただき、
ほんとうにありがとうございました。
あれだけ嬉しいことは、もうそんなにないだろうな
と思います。
今日は、驚くほどいろんな人間が茂木さんの「日記」を
見ているのだなと痛感させられ、うんざりしています。
でも、とにかく茂木さんには大感謝です。
最後に、無粋なことを言わねばなりません。
「思考の補助線」の序論、ぜひともよろしくお願いします。
欲張りで恐縮ですが、そこで最高のプレゼントをいただけると
確信しています。
*****
タケちゃんマンに
「確信」されてしまっては仕方がない。
昨日会ったばかりだと言うのに、
「怪奇オオバタン」こと、
大場旦に呼び出され、
NHKブックスでなにがしかの
原稿を書く。
オオバタンは、しかし、
やさしい人でもある。
いつも、スターバックスの
カフェ・ラテを用意していて
くれる。

大場旦のくれたカフェ・ラテ
オオバタンのほろ苦い甘みの
親切に、「ありがとう」と言いながら、
心の限りを尽くす。
オオバタンは、私の近くに座って、
原稿を読む。
佐藤優さんの書き下ろしらしい。
原稿を読みながら、時折、こちらを
ぎろりと見て、ちゃんと仕事をしているか
どうか、監視する。
ゲンコウ、時々ギロリのオオバタン。

原稿に目を落とすオオバタン。

ギロリのオオバタン
解放されて、爽やかな風が
吹く街に出る。
NHKへ。
「五食」でネギトロ丼を食べた後、
缶コーヒーを買いに正面玄関を
出る。
ほんの少しの時間でも、
それに接することで心が安らぐもの。