子どもと青年
やってもやっても仕事が終わらない
んだから、サテお立ち会い、
開き直ってデンと座る。
特に、終わった、と思って
気を抜いている時に
「この仕事を忘れている」
と連絡がくるのがダメージが
大きい。
朝からアタマが走り回った。
こうなりゃヤケである。
午前中、早稲田大学国際教養学部
での授業。
脳について。
内田亮子先生にご挨拶。
英語で喋るのは好きである。
なんというかこの、気分がぱーっと
広がっていくねえ。
このままズーンと行きたいねえ。
イスラエルと韓国からの留学生との
対話が面白かった。
英語と言っても、イギリス人や
アメリカ人だけのものではありませんゾ。
英語を通して、世界のよくわからない
場所にいるよくわからない人たちと
通じ合うのがネットワーク的ヨロコビという
ものである。
東京工業大学へ。
知能システム科学専攻の大学院入試。
口頭試問の試験官をつとめる。
仕事をしながら戻る。
途中で、送信して、
「今、田園都市線の中で仕事をして
います。電車が混んできたら、
一時中断しなければならないかもしれません。
あしからず。
それでも、夜までには送れると思います」
とメッセージ。
涙のメッセージ。
三越本店入り口の水槽の前で
座って必死になって仕上げる。
メールを送る。
ハイ、仕事よ、「とりあえずは」
サヨウナラ。
室町砂場へ。
新潮社の池田雅延さんが、
小林秀雄さんのCD
『ゴッホについて,正宗白鳥の精神』
の発売を記念して、そして先に
亡くなった江村哲二さんのコンサートにいらした
方の縁をつないで、ということで
会を主催してくださった。
白洲明子、白洲信哉、白洲千代子の
白洲家の方々。
電通の佐々木厚さん、筑摩書房の伊藤笑子さん、
福音館書店の高松夕佳さん、宝島社の田畑博文さん、
高島屋の榊原淑子さん。
色男そろい踏み。左から新潮社の池田雅延さん、
電通の佐々木厚さん、白洲信哉さん。
池田さんが、小林秀雄さんの
講演について想い出を語ってくださる。
小林先生は、それほど数百回、千回と
数え切れないくらいの講演をされた
けれども、今回収められた
『正宗白鳥の精神』は、
まさに最後の講演である。
小林先生は、気に入らない
テーマなどの時には、「この本は
良くないです」などと言って
帰ってきてしまうこともあるくらい
の率直な方で、たいてい30分くらい
しか喋らない。
それで、正宗さんの時も、主催者側は
30分だろうとそのように
予定していたら、40分、50分と
延びて白熱した名演となった。
池田さんの言葉で甦る古のこと。
そうして、そうだ、皆で江村哲二さんのことを
想い出したのだった。
二次会のマンダリンオリエンタルの
バーで、白洲明子さんから池田
さんが大ぶりの勾玉を受け取って、
私たちに披露した。
これは「お天気勾玉」といって、
ゴルフに行くなど、
今日は晴れてほしいというような
時に、小林先生がいつも
背広のポケットなどに
入れておいたものなのです。
自分の手にとって、佐々木厚さんに
撮影していただく。
勾玉に惹かれるように、
reverieに入る。
子どもというものは、天真爛漫な
ものだ。知らなくてもかまわず
動き回る。
一方、青年は焦燥に駆られている。
「今、ここ」では満足できぬ。
不定形な魂に駆り立てられて、
ぶにょんぶにょんと動き、
目は血走り、
嵐の中に何かを求めている。
子どもと青年と。
そのどちらもないと、生きることは
甲斐がないな。
夢見る青年に欠けていることは
とにかく身体を動かしてみる
ことであり、
子どもに欠けているのは可能無限への
感性であろう。
子どもと青年を掛け合わせてしまえば良い。
池田雅延さんに、小林秀雄さんの
貴重なお話をうかがいながら還る。
8月 2, 2007 at 09:18 午前 | Permalink
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» 気になる台風5号の行方 トラックバック 須磨寺ものがたり
ピンポーンと、インターホンの音。
朝から店が開いているにも関わらず、
鳴らすやつは、一人しかいない。 [続きを読む]
受信: 2007/08/02 13:47:29
» 台風の朝に トラックバック 鈴木正和 (すずきまさかず) ブログ日記 文学の痛みと感動
既に朝の5時から、
蝉がシュワシュワと鳴き叫び、
部屋の室温が29℃ある。
最近、睡眠が上手く取れなくて、
やや睡眠不足になっているが、
2日ばかり、
ブログを書けずに、へたばってしまったので、
とりあえず起きて書いてみる。
水木の、昨日一昨日と、
オープンキャンパスがあり、
高校生を連れて、
ガイド役を兼ねつつ、学内を案内した。
まだ雨も大して降らなかったので、
暑さは増していたが、良かったなあと思う。
オープンキャンバスでは、
割りと母親同伴や、父母を伴って、
見学に来る高校生も多い。
... [続きを読む]
受信: 2007/08/03 5:55:48
» 今日も光へ・・・という気持ち トラックバック なんでもあり! です 私の日記!!
文字がくずれるメールが時おり届くことがあったのだけれど
このところ少なくなってきていた。
と思ったら、今日、
専攻内のMLが文字崩れで届く。
その話をすると、一人の友人が
「それってプロポーズなんじゃないの」という。
え?
プロポーズ?
いくつになってもドキドキする言葉に思わず
「それじゃ受けなくちゃね!」と
訳もわからず、反射的に張り切って返事をする(笑)
*
灯篭や提灯のお盆用品が届き始める。
そして毎年この時期、
走馬灯という言葉の持つイメージが広がるのは
提... [続きを読む]
受信: 2007/08/03 8:31:58
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コメント
はたちの頃
>>
「ドーモー暑いですねそれにしても」
「暑いね」
「大阪ではバルタン星人が大量発生して・・大騒ぎやがな」
「あのな・・クマゼミやろそれをゆうなら」
「掴みやんか、ちなみにわたくし・・はたちの頃は」
「ほう!君にも二十歳の頃がありましたか!へえええ!」
「あらいでか!山路ゼミ&張ゼミでした。君は何ゼミやった?」
「ぼく?こんなんゆうてええの?真剣ゼミ&・・」
「聞かんほうがよかったみたいですね。でもさあ・・二十歳ってどうよ」
「どうって?」
「戻りたい?はたちに」
「そのこはたち、くしにながるる黒髪の・・あきこちゃーん!」
「恋をしてたんだね♪・・柔肌の熱き血潮に触れもみで・・」
「そうやな・・」
「どうしたの?遠くを見て・・まあ遠いけど」
「戻りたくないな・・だってさなんかその頃の写真見たくないもんね。恥ずかしいな、なんか。・・当時は身体性が希薄で、まあいわば、内なる[観念的モンスター]に振り回されていた感じで、いやだった僕は」
「あんまり心地よい語りなんで、前のお客さんが寝ちゃったじゃねえか!」
「いいよ寝たけりゃ寝るがいい!なんで突然江戸っ子になるわけ?」
「おっ、いつになく強気・・ 浅草帰りなもんでつい・・堪忍えお侍さん♪」
「ときにそなたはどうじゃ・・今のようにちゃらんぽらんであったのか?」
「みどもは・・」
「どうしたの?遠くを見るようにさ」
「M78星雲は・・」
「・・ ^。^」
「いささか遠かったぜ、ベイビイ∂。-」
「お侍さま・・ もしや貴方様は・・」
「そうゆうソナタは・・ ?もしや・・ アンヌなのか」
「ダン!!」
>>
(おしまい)
投稿: 風のモバイラー&野村和生 from nomgroove.com | 2007/08/06 2:11:02
どうも私は「夢見る青年」タイプのようです。
自称「多動症」の茂木さんを拝見していると
余計にそう感じてしまいます。
パタパタ度が、足りない(笑)!
茂木さんが100ノーベルならぬ100パタパタとすると
私は30パタパタ。。。
先日、中島敦の『悟浄出世』、『悟浄嘆異』を読み返していたら
自分が悟浄に思えてきて、たそがれてしまいました。
「究極の・正真正銘の・神様だけが御存じの『何故?』を
考えようとする」病気に罹った悟浄。
電柱の下に転がっていた蝉。
真昼の強烈な光の下で、仰向けになった小さな胸に
緑色の小さなガラスのかけらを抱えて死んでいました。
友人と話しながら通り過ぎた一瞬に偶然、目にした光景。
シュールで、ちょっと偽悪的な趣味の芸術作品のようにも
見える蝉の最期の姿。
動き回って直接、対峙していたら文字だけでは伝わらない
いろいろなものが目にも心にも不意打ちのように
飛び込んできます。
私の脳は、そんな不意打ちの連続を
ちゃんと処理していける脳なのかしらと今更ながら心配に。。。(笑)
茂木さんの魅力のひとつは、ひとりの人間のなかに
中島敦の悟空と三蔵法師が渾然一体となっているところ!と
思ってしまうのは、私だけでしょうか??
投稿: まり | 2007/08/05 10:28:45
私はいつのころからか
あらゆる感情・感動を経験したいと
思うようになってしまいまして
まあ精神欲の欲深いこと、
この上ないったら。
自分が何か、まだ届かないなにかが
あるのだと気づくと、
驚いて、嫉妬して、模索して
そんな毎日です。
ここ数年は、私が怒ったり動揺することを
平然と見つめたり、流す事が出来る人の、
胆力・諦観・包容力・無関心・経験の
どれをどうしてどのように処理しているかに
もの凄く興味を持っています。
ただ、めんどくさがりなのが
どうしても難点ですねw
先生は子供と青年とだと
子供要素の方が遙かに多い人だなあと
実はずっと思っていました。
お友達のことが大好きであることを
表現したくてたまらないところとか
気づいたことを伝えたくてたまらないところとか
あまりに純真なので
とても微笑ましい気分になれます。
可能無限の感性について言えば
先生は可能性へのレールを
自身の力で引くのですが
無限の可能性を先生に依存して
他力昇華願望の人も結構いるものなん
だなあと思っています。
一歩踏み出した瞬間から
どんどん選択肢が狭まってゆく感の
モラトリアムよりも
経験と学習が選択肢と俯瞰を
加速させてゆく感を
先生から見いだせばいいのになあ
と、めんどくさがりの私が言うのは
棚上げ主義なのでしょうかw
ところで今日のお題は
ちとばかしヘビーですねw
時間制限内クリアできるかしらん。
投稿: pokupoku | 2007/08/03 18:38:22
焦燥に駆られつつも夢見る青年と、かまわずに動き回る天真爛漫な子供と。
すでに茂木さんの中には、その両方がかけ合わさっているのだと思う。
「子どもと青年と。
そのどちらもないと、生きることは
甲斐がないな。
夢見る青年に欠けていることは、
とにかく身体を動かしてみることであり、
子どもに欠けているのは
可能無限への感性であろう。」
常に身体を動かし、可能無限への感性を研ぎ澄ませつつある茂木博士。
その博士が言わば「心の師」と思慕してやまない人、小林秀雄さん。
小林さんが、晴れて欲しいという願いを込め、ポケットの中に入れていたという「お天気勾玉」。
博士の手の中で、深い艶をみせるそれは、人の横顔のように見える。
小林さんゆかりの勾玉は、小林さんを深く思慕する青年の手の中で、やさしく何かを語りかけているようにも見える。
勾玉は茂木さんに、何を語りかけてくれているのだろう…。
ダイナミックに日々動き回る青年脳科学者を惹きつける、小林さんのお天気勾玉。そして、貴重なお話。
茂木さんにとって、またひとつ、宝の思い出が出来たのではなかろうか。
投稿: 銀鏡反応 | 2007/08/02 22:13:47
茂木さん、釈迦に説法かもしれませんが、くれぐれも健康にはご留意なさってください。今の日本にとって、茂木さんは重要な人ですから。
と、話が横道にそれますが...
今の日本では、「しぶとく」、あり続けようとすると、過大な負荷をかけられて、つぶされます。
「しぶとく」、って、よく使われますが、負荷に耐えるというか、何か、受身的な語感があると思います。
私は、これからは、「したたか」、でないと、この社会を生き抜けないと思います。
「したたか」、は、こちらへの相手からの働きかけに対して、やり返す、という、アグレッシブな語感があります。
ただ、少なくとも現在の中年以降の日本人は、「したたか」というと、「私はそういうズルイのイヤだな」とか、あまり良いイメージを持っていない人が多いと思います。
ですから、これまでの日本的な良さを含めた、「日本的したたかさ」を身につければよいと考えます。
国家としても(外交とか)、個人レベルでも、です。
今後の社会科学で決定的に重要な数学理論と目される、ゲーム理論は、まさに、「したたかさ」の研究ではないでしょうか。
投稿: かまくら | 2007/08/02 17:33:44
小林秀雄さんの講演CD、発売ですね!
(茂木さんの解説付き、ですね)
新潮社・カセット文庫、朗読が聴けて、
楽しいので、以前から買ってました。
皆様のお写真を拝見していたら、
江村哲二さんも、輪の中に
おられるような気がしました。
勾玉から無限に広がる力信じます。
投稿: F | 2007/08/02 17:28:32
小林秀雄を文芸評論で負かした、宮本顕治元共産党議長も亡くなられた。
昭和はますます遠くなりつつある。
でも、白州さんの写真は小林秀雄にそっくりやなあ。
不死身の卵母細胞のつながりは面白い。
投稿: fructose | 2007/08/02 12:49:59
やはり、安全基地と言うのは、重要だと思います。
安全基地になるように、努力したいな、と、思います。
投稿: tain&片上泰助 | 2007/08/02 10:04:42
茂木さんに質問!!
こんなに色んな仕事をして、いろんな人と会って、執筆もして、其の上ブログも書く。
何時どのくらいの時間寝てるんでしょう?
一番不思議に思うのはこんなに忙しいのに専門の論文は何時書いているのか?それよりも勉強というか資料の調査やそれに目を通す時間はどうやって持つのか?全てが????
天才とは書くなるものか?つめの垢でも貰いたい。
何時も驚いていますよ。
投稿: いもりんの城のブログのいもりんです | 2007/08/02 9:56:05