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2007/08/12

おおきな愛は

上田紀行さんとは、
今までどこかで出会っていても
良さそうなのに、
実は初めてであった。

長野駅でお会いした時、
「おおきな人だなあ」
と思った。
それから、「強い人だなあ」
と思った。

そのおおきさや強さが、
ご自身の苦しい体験を
乗り越えられたことから
来ていることが、お話
していうちに伝わってきた。

上田さんの著書『生きる意味』では、
現代人が「自分のかけがえのなさ」
を感じられなくなってきていることが
痛みをもって論じられている。

全てが代替可能となり、
人間がシステムを支える部品と
なってしまう。

そんな現代の趨勢を怒りを
もって描く上田さんの姿勢に
共感する。

「怒り」は、上田さんとダライ・ラマとの
対談を収めた『目覚めよ仏教!ーダライ・ラマ
との対話』でも重要なモティーフになっている。

「愛」に支えられて、現状に対する
違和感を抱き、あるべき姿に向かって
力を尽くすならば、怒りはこの世に
対する福音となる。

須坂市メセナホールでの対談は、
あっという間に過ぎていった。

暗闇の中で、確かなものを
探り当てようとする。

精神の奥底を「深掘り」
する時間が、現代からはいかに
失われてしまっていること
だろう。

井戸の底に降りていかないと
見えないものもあるというのに。


須坂市メセナホールの控え室にて。

佐々木厚さんは、そのままセーラ・マリ・
カミングスさんに会いに小布施へ。

帰りの新幹線は、上田さん、
岩波書店の高村幸治さんと三人で
ビールを飲んで大いに語り合った。

楽しかった。
また上田さんにお目にかかりたい。

養老孟司さんによる河合隼雄さんの
追悼文(『新潮』2007年9月号)
についての、梅田望夫さんのブログを
読む。

http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070811 

おおきな愛は時に「世間」という器から
こぼれ出す。

その哀しみと喜びを知る人に幸いあれ。

8月 12, 2007 at 06:14 午前 |

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コメント

茂木さんが人の中の植物性を言っていましたが。(間違っていたらすみません。)

すると、「実」とは、何でしょう?

投稿: tain&片上泰助 | 2007/08/12 14:00:10

「自分のかけがえのなさ」が感じられなくなっている人は「他人のかけがえのなさ」に対しても当然、感じられなくなっているものだ。

そんな人間が増えている世間は、当然「すべてが代替可能」とされ、人間が単なる「モノ」とみなされ、この社会システムを支える「歯車=部品」となってしまっている。そうして、役に立たない「部品」は捨てられ、新しい優秀な「部品」と交換される。

また、本当に創造的で人間的に豊かなひと、人格からして高潔な人でも、いな、そういう人であればあるほど、いったん社会・世間が「気に入らない奴!」とみなすと、それこそ、あらゆる手を尽くして、その人の存在を社会から「なかったことに」しようとする。

あるいは、そういう人に本来の仕事をさせず、その人にとってあまり益のない仕事ばかりをさせ、生涯の最後に至るまで、システムの「部品」として使おうとする。

しかし、そんな人ほど実は、「世間の器」からあふれマクルほどの、おおきな愛に支えられて、世間の(さらには世界の)現状に対して違和感を抱き、あるべき姿に向かって懸命の努力を尽くしている(あるいは、つくしていこうと日々努力する)のだ。

彼等の抱く「怒り」こそが、この現代への大きな「福音」となり、世間を、ひいては世界の潮流を変える源となる。

そしてそれは、彼等だけでなく、世間一般の現代人独り独りが抱かなくてはならない「怒り」のはずである。

現代人が、そういう怒りをいだくようになるには、やはり、精神の奥の奥まで「深く掘り下げる」時間をやはり、独り独りが持つことが必要なのではないか。(出来る事なら、それも徹底的に!)

そうしていけば、自分と他人が「かけがえのないもの」だということを、他者とコミュニケーションしているときよりも、生命レヴェルで深く知覚できるに違いない。

これは私の意見ですが、仏教に限らず、宗教なるものは、信ずることによって、この精神の深掘り作業を促し、その「鉱脈」のなかで「確かなもの」を探り当て、そこから、個人の人生の上に起こりうる、如何なる状況をも乗り越え、かつ、あらゆる悩みを克服して強く生きる精神の力を、個人の内面から引き出すものでなくてはならない、と思っている。

それが、宗教本来の「あるべき姿」だと思っている。

何があっても強く生きることは幸せを確かに掴むことにつながる。
宗教、特に仏教は、それを、心の深いところから個人に促すものでなくてはならないと、つらつら思う。


投稿: 銀鏡反応 | 2007/08/12 10:17:26

自分以外の人の「かけがえのなさ」は分かるのに、
自分のこととなると「いても、いなくても同じ」なんて
思ってしまうことも。
この世に引き止めさせてくれる強力な足枷が欲しい。

義理人情に訴えくる人のなかに「人の優しさにつけこんでくる
確信犯」の姿を見てしまい、「お願いだから、放っておいて~」と
と心の中で叫んだりしています(主に仕事中)。。。(笑)
私も同じことをして人に疎んじられることも
あるのだろうから「お互いさま」。
「真実は劇薬」だと河合隼雄さんの著書にもありましたね。
滅多なことでは「真実」は口にしてはいけないのですね。

最近、河合さんと白洲正子さんの明恵上人についての対談を読み返し、
白洲さんが明恵が見た夢の話をなさっている個所に感動しました。
「中国から贈られたものの中に白い陶器の人形があって、
涙を流して『いとおしくしてくれ』というから、
かわいがって上げるというと、」の個所。

ふんふんと話を聞いていただけなのに
「僕のこと、バカだと思っているでしょ?」と言われ(笑)、
お花をくれた人からは手渡されるときに
「捨てないでね!」と言われ(笑)、
そんなにヒドイ態度をとっていたのかな?と軽く自己嫌悪に
陥るような過去のある私にとって夢の中の陶器の人形の素直さ、
愛らしさが心にしみました。

私は、ついつい「なにくそ!」の時ばかり饒舌になってしまいがち。
「幸せだ!」「楽しい!」の時にも思いっきり、のびのびと屈託なく、
表現できるようになることも大切ですね。
私はなぜ「嬉しい!」感情を鎧の中に押し込めてしまうことが
多いのでしょう???
私のこれからの課題のひとつです。
「幸せ」な「真実」なら、どんどん口にしても危険な副作用が
でたりしませんよね!

投稿: まり | 2007/08/12 9:58:42

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