尾崎豊がいた夏
プレミアム10 尾崎豊がいた夏〜知られざる19歳の素顔
〜伝説の大阪球場ライブ▽茂木健一郎が尾崎の魅力に迫る
NHK総合2007年8月10日(金)
22:00〜23:00
http://www3.nhk.or.jp/hensei/program/p/20070810/001/21-2200.html
この番組は、尾崎豊さんを
デビュー以来ずっと追ってきた
佐藤輝さんが制作された。
取材中、佐藤さんにそそのかされて
思わず「十五の夜」を歌ってしまった経緯
などは、
にある通り。
果たしてどんな仕上がり
になっているのか。
ソニー広報の滝沢富美夫さんから
次のように教えていただいた。
ドキドキしながらも楽しみである。
ーーーーーーー
尾崎番組一足先に拝見しました。
上田早苗アナのナレと茂木さんのコメント、
尾崎の歌と映像で構成さていて、
カッコいいですよ!
ところどころ茂木さんのコメントが尾崎の映像をかぶすのですが、
これがまた内容と映像の合わせが良いです。
特にしびれるのは、茂木さんが彼の弱さと人間の弱さ
をオーバーラップさせて語りながら、尾崎の楽曲・卒業に
持っていく部分でした。
(茂木インタビュー&尾崎コンサートでもがいているような映像)
だれにでも弱さはあるんですよ。
その弱さとどう向き合っていくかとうことが
人間にとっての課題なんですね。
尾崎さんは、その答えをを模索しているうちに
人生終わってしまったわけですけどね、
本当はもっと長生きして、尾崎さんが自分の弱さというものと
向き合ってそれをどう克服していくか、見たかったきもしますけど、
でもそれは我々一人ひとりが自分の中で
自分の弱さを見つめて、それを克服するなかで
見つけるものかもしれまないですね。
(尾崎ピアノに座り卒業を歌う)
校舎の影 芝生の上 すいこまれる空♪
幻とリアルな気持ち 感じていた♪
ーーーーーー
収録の日、佐藤輝さんと。
8月 10, 2007 at 07:28 午前 | Permalink
トラックバック
この記事へのトラックバック一覧です: 尾崎豊がいた夏:
» 今朝思った事。 トラックバック へなChoこ
七十のじいさんになっても、 車の中で"Freeze Moon"を聞きたい。 乗っている車は、そうだ、軽トラがいい。 軽トラに乗って 紅葉マークを付けて 真夏のギラギラの日差しの下 田圃の中の一本道を "Freeze Moon"を聞きながら 走るような、 そんなじいさんになりたい。 茂木..... [続きを読む]
受信: 2007/08/12 1:09:04
» 尾崎豊がいた夏 トラックバック 韓国日和
昨夜「尾崎豊がいた夏~知られざる19歳の素顔~」を観ました。
録画予約していたのに、結局最後までリアルタイムで観てしまいました。
19歳の時の伝説の大阪球場ライブ映像。
さいきんは、10代のライブ映像が主に流れるようになりました。
意外だったのは、脳科学者の茂木健一郎が尾崎ファンだったってこと。
尾崎のライブの映像を観るのは、私的にはシンドク、セツナク、痛々しくさえあります。
なんであそこまで・・・って、いつも思ってしまう。
そして、これじゃー長生きできないだろうなって、つい思... [続きを読む]
受信: 2007/08/18 19:04:16
» 尾崎豊を避けていた理由。 トラックバック へなChoこ
私が尾崎に距離を置いたのは、 おそらくその完成度の高さ故で、 ほとばしる情熱を語りながら、 付入る隙を許さぬ、 その詩と旋律は、 これならば、 聞く者の心に響くであろう、 響く筈だと言う、 計算の上に、 作り上げられた物の様に感じ、 そこに、 尾崎に、 あったかどう..... [続きを読む]
受信: 2007/08/26 21:24:15
» 【 尾崎 豊 19歳の夏 ライブ映像で魂が熱くなる 】 トラックバック デジタル カメラマン 応援ブログ ・・・ Purefeel
尾崎 豊 もう15年もたったとは。
4万人のファンが、雨に打たれてお別れをしてから。
尾崎 豊のライブ映像の迫力に圧倒されている。
心の底から湧き出る不安や、怒りに声を震わせ、叩き付けるように吐き出す言葉... [続きを読む]
受信: 2007/09/01 23:52:05
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
今日のテレビ朝日
尾崎豊さん 昭和の聴きたい曲1位でした。
もう嬉しくて 嬉しくて だんだん広がってきますね。
お陰様です。
投稿: 宗由 | 2009/01/30 23:30:26
こんにちは!
去年の尾崎 豊さんの番組「NHKプレミアム10での尾崎豊の特集」
私も茂木さんの姿勢に感銘を受けました。大人の見方として。
私は60代の尾崎ファンの主婦です。
私の長男は尾崎さんと同年齢で、文化祭にはバンドで「フリーズムーン」などやっていましたが、そのときには良さが分からなかったです。
なくなってから、彼の歌と詩とライブの姿にショックを受けたのです。彼の歌に刺激されて50歳でオーディションを受けてシャンソン歌手になり、ライブでは「ダンスホール」と「黄昏れゆく街で」を歌っています。中高年のファンもたくさん増えました。これからも増え続けるで
しょう。
彼の素晴らしさをブログで書きましたので、読んでくださると
大変うれしいです。
投稿: 奥井 茉莉 | 2008/05/08 20:13:48
NHKプレミアム10での尾崎豊の特集、とてもいい番組でした。
私も生前からのファンで、茂木さんの好意的で、かつ、熱く語る姿勢に共感いたしました。
それと、「尾崎の15の夜」を自分の年齢に変えて歌われているそうですが
・・・それもそれで聴いてみたいです(^^)♪。
投稿: しゅう | 2007/09/09 12:08:22
いい番組でした。茂木さんがそんな尾崎さんのこと思ってたなんて知らなかった。編集のちょっと違和があったけれど楽しみました。ぼくの友人Aは尾崎の死の前夜、尾崎とワンカップ飲んだらしく、かれは誰かわからなかったらしく、でも公園での出会いは、いろんな影響をかれに与えています。
遺留品があったからお決まりの事情聴取。
ただそれだけ。あとはなーんも無くて
ただ死んじゃってしまった、らしい。
念仏。
投稿: かめさんの再送 | 2007/09/06 0:22:32
尾崎豊さんの事 評価が凄かったのでびっくりしました。
私の思いと同じですので とても共感が持てました。
尾崎さんの良さを多くの方に知って頂きたい気持でいます。
大好きになって3年目ですが もう夢中になってしまいました。
尾崎さんのどの曲もそれぞれ良くて 声が大好きですね。
どんな声も魅力的ですし 感情も思いいれも曲によって違い
天才的に歌える素晴らしい方でしたね。
いつも聴いていたい尾崎さんの曲 元気が出ますし 時には涙も
こんなにも大勢のファンを夢中にさせる尾崎豊さん 凄すぎます。
投稿: 宗由 | 2007/08/31 20:03:37
すばらしい番組でした。いろいろ拝見していますが、茂木さんが一気に近くに感じました。
尾崎さんにわけもわからず共感していた10代の頃の自分、懐かしさだけでなく今だからこそ尾崎豊を再評価している自分がゆるやかに熱く溶け合うよな、そんな感動を覚えました。
大人になってから、浜田省吾さんの曲も好きになったのですが、番組で尾崎さんが学生時代に浜田省吾さんを聴いていたことを知り、うれしくなりました。私が尾崎さんの詩や浜田さんの詩が好きなのは、情景がリアルに見えてくるからなんです。久々に熱くなって、今日は何度も曲をかけています。
投稿: pirohn | 2007/08/19 14:01:33
いい番組でした。茂木さんがそんな尾崎さんのこと思ってたなんて知らなかった。編集のちょっと違和があったけれど楽しみました。ぼくの友人Aは前夜尾崎とワンカップ飲んだらしく、かれは誰かわからなかったらしく、でも公園での出会いは、いろんな影響をかれに与えています。
投稿: かめさん | 2007/08/16 23:21:57
尾崎さんはこれからも語り継がれていくアーティストだと思います。あの心に残る詩はいつ聞いても高校時代を思い出し胸が熱くなります。
投稿: kakan | 2007/08/16 13:40:22
NHKプレミアム10を見て高2だった当時の自分の事を思い出しました。放送された大阪球場のライブの二ヶ月前、キャパ2000人の小さな地方のホール、広島県・福山市民会館に彼のライブを同級生で同じバンド仲間と見に行きました。15列目ステージに向かってやや左手の席から見る彼はとても大きく見え、背の高い人だなーという第一印象でした。アップテンポ、バラードに限らず、気分が高揚してくると、のどが破れるんじゃないかと思うような彼の声はマイクを通さなくてもここまで届いてくるようでした。当時レコードだけではシリアスで常に何かを追い求めて探し続ける彼の姿勢だけしか知ることができなかったけど、彼の意外な場面といえるステージ上でのおちゃめな彼のパフォーマンスは、プレミアム10でも「俺は、負けなかったんだあああーーーー!!」の場面で見て取れたと思いますが、同じパフォーマンスをあのとき俺も見ました。彼もまた同世代の普通の兄ちゃんだなと共感が沸きました。彼だけでなく誰もが抱えていた悩み、悩みなのか何なのかわからない漠然とした不安感を同じ空間の中で、叫び、歌い、飛び跳ねることでみんな同じなんだ、まだ探してる最中なんだとへんな共有感を客席とステージとでキャッチボールしていたような気がしました。とにかく後にも先にもない特別な夜でした。田舎の中の都会、広島という地にあって、今でこそ普通かもしれませんが、15年前、夜のコンサート会場という場所にいる高2の俺たちは異質な存在でした。ほとんどの観客が20代のお兄さんお姉さん、高校生らしい姿はどうも見つかりませんでした。俺たちのとっても大人の中に踏み出した夜であり、開演まで期待と不安に包まれていましたが、ステージ上の尾崎が出てきたとたん、彼がもっとも年齢も近く身近な存在に思えて安心したのを覚えています。それから数ヶ月、高校の文化祭で自身のバンドはBoowyのコピー、俺はドラムでした。メンバーに無理を言って一曲だけボーカルとパートを交代して、バイトでためた金で買った尾崎と同じテレキャスターを抱えて、「Driving All Night」を歌った俺は彼になりきっていました。曲の最後、ストラップが外れて新品のギターは床にたたきつけられました。そんなこともまったく気にならず、ジャンプして着地したと同時に演奏は終了。俺たちだけを見に来たわけではない、約300人近い先輩後輩たちは約1秒間静まり返りました。そして「オオオオーーー!!!!」という歓声に包まれ、不思議な気持ちになりました。達成感のような、話したこともない先輩後輩たちが自分だけを見ていたと感じるような。そこまでの演奏を作り上げることができたこと、まだまだ何かを探し続け、求め続けるみんながいること、性格や顔が違っていてもみんな同じなんだと感じさせてくれた、尾崎に感謝しています。また40間近となった今でも答えが見つからない人生の中にいることに変わりはなく、プレミアム10を見て思い出した気持ちは年齢・時代を超えて前を向いて行けと彼に背中を押されているようでした。
投稿: kuroto | 2007/08/13 12:06:46
私が尾崎のことを『尾崎さん』と呼べないのは、
とても親しい友達に突然さんなんて付けて呼べ
ないよぉ、というテレくささからです。
それだけ尾崎の音楽は、当時高校生だった私の
いつも傍らにいました。
20歳を過ぎ、尾崎の歳を超えて、いつしかそ
の青臭い場所から『卒業』したものだと思い込
んでいたのですが・・・
でも、違いました。
この番組を見て、あら、まだ卒業してなかった
んだ、と、また尾崎の傍らに座る自分がいました。
翌日、当時姉からもらって擦りきれるまで聴き
倒したカセットテープを探したけれどどうして
も見つからず、なけなしのヘソクリで、当時は
どうしてもなし得なかったCDの獲得を35歳
にして達成しました。
この年齢になってから聴く尾崎は、言葉が情景
を生むようになっていました。
茂木さんが言われるように、尾崎の音楽は、
まさに小説でした。
青臭いと思っていた場所は、聴き手である私が
そうであっただけで、尾崎は当時からとても
研ぎ澄まされ、洗練されていたのを、私がそこ
まで気が付けなかったのでした。
投稿: クニコ・S | 2007/08/12 23:36:06
尾崎さんの方向を茂木さんの語りは的確に表現されていると感じました。
彼の作品は言葉だけではなく音とメロディーの構成と歌詞の構成すべてがバランスよい。
無駄を削ぎ落とした尾崎さんの表現方法はほんと素晴らしい。
彼の歌詞は、茂木さんのおっしゃるとおり年代関係なく
どの歌詞も「人」の心に届きますよね。
私の姑さん(70代)ですが、彼女も尾崎さんの言葉にしみじみ
心に感じているようで、よく彼の曲を聴いています。
私の娘は(10代)幼い頃から尾崎さんのビデオなどを一緒に
見てきているので10代の娘の心にも響いているようで
今回の「尾崎豊がいた夏〜知られざる19歳の素顔」も真剣に見ていましたよ。
なんだか茂木さんの語りを聞いていて共鳴し合え嬉しかったです。
投稿: 由美 | 2007/08/12 1:07:52
最近無性に尾崎豊を聞きたい心境になり、「壊れた扉から」を引っぱりだして、車に乗る度に聞いています。
沸き立つ様な得体の知れないエネルギーを、今の私は必要としている様です。
10日の朝、"Freeze Moon"を聞きながら、ああ、70のじいさんになっても、この曲を聞きながらドライブしたい。その時は軽自動車が良いかな、などと思った次第。
私にとっても、尾崎の詩を再評価する時期が来たのかも知れません。
投稿: 大栗 勝(ミーさー) | 2007/08/12 1:03:01
プレミアム10拝見しました。
自分の16歳の頃からの人生を思いだしながら、最後の卒業を聞いていました。
私も、尾崎豊と同じ青学の高等部の出身です。
彼より、10年以上先輩です。
小・中学校で、彼のように登校拒否や荒れた学級を経験したわけではありませんでしたが、
ずっと女子ばかりだったので、息苦しく、自由を求めて、青学の高等部に進学しました。
もう、拍子抜けするくらいの自由な環境、自由を求めたはずなのに、戦うべき不自由さをなくし、
半年間ぐらい戸惑いと孤独の中にいました。そして、そのとき出会ってしまった孤独を抱えながら、
車窓の風景を眺めるように「青春時代」を送りました。車窓の風景は、恋愛もあり、進路の挫折もあり、
人並みに激しく、人並みに悲しく、人並みに切ないものでした。思いがけず出逢ったコンピュータの設計、
プログラミングという仕事が、私の心を守ってくれました。白雪姫を小人たちが守ったように、自分の世界に
閉じこもることを許してくれました。でも、三十代半ばに、とうとう抱えつづけた孤独と真剣に向合う時が来ました。
そのとき、たどり着いたところが、秋山さと子さんの開かれていたユング・クリニックでした。そして、秋山さん、
河合隼雄さんの著作を読みながら、クリニックで話を聞いてもらいながら、心を開いてゆきました。
箱庭をつくったりもしました。このとき初めて、16歳の時、自分が求めていた「自由」の意味を知り、「孤独」の
意味を知り、苦しい「青春時代」が終わったような気がします。そして、40歳で出逢った人と50歳で夫婦となり、今、
「人生の秋」を歩いています。
今度、青学高等部の古い校舎が、新しく建替えられます。そんな、こんなで思い出が引き出しにしまわれました。
ありがとうございました。
投稿: うさぎこ | 2007/08/11 13:43:27
帰る道々、ほんのちょっとですが、画面にうつった尾崎を見ました。コンサートのラストシーンでした。「おー」と思いながら帰って妻に話したら、妻の方はずっと見ていたようで、茂木さんの尾崎に対する思い入れを話してくれました。面白かったのは、私が話す尾崎論が、茂木さんのお話と似ていたということでした。再放送でもあれば、最初から見てみたいと思っています。
投稿: 五井隆浩 | 2007/08/11 9:36:50
視ました。感動的でした。
茂木さんが「尾崎さん」と彼のことを呼んでいらっしゃたことで茂木さんの人間性を感じました。また、彼の歌は「文学」です、とおっしゃっていました。「腑に落ち」ました。
投稿: 田嶋 | 2007/08/11 9:25:35
尾崎豊さんが、この世に生きていたら、41歳。
41歳の彼だったら、どんな歌をきかせてくれていたのでしょうか?
茂木さんは、穏やかな、温かな語り口で、彼の輝き・弱さを上手く分析されていました。
不可解な死を遂げた彼ですが、茂木さんの語りで、何だか救われたような気持ちになりました。
投稿: coo168 | 2007/08/11 4:31:42
見ました!
あまり尾崎豊に共感できなかったのですが…
後半に流れた「シェリー」の歌詞には、やられました!!
「よくぞ、私の気持ちを代弁してくれた!」
という感動がありました。
「あなたたちぐらいの歳の頃には、自分の考えを
うまく言葉に表現できる子が少ない。
いいたいことを表現できるようになるのは
だいたい、いい歳になってからのほうが多い。残念だ。」
と高校生の頃、現代国語の先生が仰っていたのを思い出します。
言葉にならなくて、うまく伝えられない自分の思いを
代弁してくれる人に共感して夢中になってしまう気持ち。
そのうち自分の成長とともに壁にぶつかって
「共感」から一歩ひいた状態で考え始めるようになって…
また、新たな共感があって、また一歩ひいて…。
でも本当に心を動かされたもののことは、忘れられずに
何度も何度も反芻。。。いい歳になっても、
なんだか言葉がぐだぐだです(笑)。
私はこの先、何年も茂木さんの言葉を反芻しながら
生きていくのでしょうね。。。
常行堂のお話、生き物の数だけ本当の「仏の姿」
があるような気がします。
今日はホントに暑くて、外に出て息をすると
溶かした金属の熱気を吸い込んでいるようで
とほほでした。
「七十の夜」も「百の夜」も光速で動きながら熱唱できるよう
ご自愛ください(笑)。
投稿: まり | 2007/08/11 0:19:11
だれでもが持っている、心の弱さ…。
そんな弱さに打ち勝てない人生は辛い。
尾崎豊は、あの情熱的な音楽活動を通して
おのれの心に潜む弱さを、真摯に見つめ、乗り越え、克服する前に
病にとりつかれ、
亡くなってしまった。
死ぬまで尾崎が真正面から取り組んできた、
心の弱さを克服する、という課題。
それはそのまま、私達独りひとりの
人生にとって避けては通れない、重い課題である。
しかし、そのようなものに向かって、
真正面から向き合い、何度も何度もぶつかり、
乗り越え、克服するところにこそ、
人生の眩き「光」は訪れるに違いない。
実は尾崎が一生賭けてでも見たかったのは、
きっとその「光」に
他ならなかったのではないかと
私は思うのであります。
投稿: 銀鏡反応 | 2007/08/10 21:07:34
こんにちは。
はじめて投稿させていただきます。
とても共感しました。
「だれにでも弱さはある。その弱さとどう向き合っていくかとうことが
人間にとっての課題である。」
私は、大学のシーズ(特許など)を活用して起業を目指している方をサポートする仕事をしています。東京工業大学すずかけ台キャンパス内にあります東工大横浜ベンチャープラザというところです。
起業を実現させるためには、経営知識・マーケティングといった「知識面」より、前向きさ・積極性といった「精神面」の方がキーだと感じています。
共感した理由の一つに、起業を目指している方は、起業活動を通じて、自分の弱さを克服しようとしているように感じているからです。
お話は変わりますが、日経エレクトロニクスの元編集長であります西村吉雄様(現在、東工大の監事)に先日お会いして、どのような起業サポート方法があるかご意見を伺いにいきました。
そのお話の中で「フューチャリスト宣言」の対談ででてくる「オープンソース」の話題がでました。
大学教育がバーチャルで可能であれば、起業サポートもバーチャルで可能ではないかといったことです。
個人的には、起業サポートで必要な「心・技・体」のうち「技=知識」「体=経営資源」へのサポートはバーチャルでも可能と思いますが、「心=起業家精神」へのサポートはリアルでないと難しいのではないかと思っています。
かなり長くなってしまいました。
毎日楽しく拝見させていただきます。
投稿: 藤間IM | 2007/08/10 15:40:28