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2007/08/28

そこが闇に包まれていたから

 仕事! 仕事! 仕事!

 変な時間に目が覚めてしまって、
また眠ろうと思ったが、
 考えてみると仕事がまだまだ
分厚い地層をなしているので
 そのまま起きていることにする。

 コーヒーを淹れ、
課題を読む。
 冷蔵庫から、もものゼリーを
取り出す。
 
 何となく辛いものが
食べたくなって、
 カラムーチョの小袋を
開けた。

 カラスもまだ鳴いていない。
 虫の声だけが聞こえて、
 以前初めて「光の館」
を訪れた時の「完璧な秋の宵」
のことを心地よく思い出した。

 小さな時間に目が覚めていると、
妙なことを考える。

 「王様は裸だ」
ということが気になって仕方が
ない子どもだった。

 どんな人間の行為でも、前提になる
枠組みがあるものだが、
 その枠組み自体を疑う。
 そんな心性を持っていた。

 だからこそ、「物理学」
というところまで視線を引いて
しまったのだと思う。

 心脳問題に至ったのも同じことで、
引くだけ引いて、これ以上
「裸だ」と言えないところまで
後ずさりしたかったのだろう。

 自分がやっていることの多くだって、
見方を変えれば裸だが、
 そんなことは人に言われる前に
自分でわかっている。
 
 そもそも、裸じゃないことなんて、
この世の中にはない。

 裸であることを見つめ、引き受けなければ、
悲惨も栄光もない、単なるフラットな地平だ。

 裸になって、ざぶんと偶有性の
海に飛び込んでしまえば良い。
 裸だからこそ、人へのやさしい気持ちも
生まれる。

 何重にも着ぶくれしている魂は
不幸である。

 夜は、しっとりとした表情をしている。
 裸は、きっと暗闇に似ている。
 その無明の境地に、安らぎを見いだす。
 
 光の館の広々とした外廊下で眠るのが
気持ち良かったのは、
そこが闇に包まれていたからであろう。

8月 28, 2007 at 04:15 午前 |

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コメント

今度、大学祭の出店で「Nobody」というロゴがプリントされたTシャツでも売ろうかと思っているのですが、茂木先生投資しませんか?
でも、「Nobody」じゃ売れないと思うんですよね。
「Nobody、I wannna to be Nobody ,but I cannnot be Nobody,
By the way 、am I Nobbdy?...」


投稿: naritoku | 2007/09/04 23:37:25

日記の後半部分から、私の頭は、
同じものを違う位置から見てしまう状態に陥りました。

『自分がやっていることの多くだって、
見方を変えれば服を着ているが、・・・

そもそも、服を着ていないことなんて、
この世の中にはない。・・・

服を着ていることを見つめ、引き受けなければ、
・・・

服を着ていることを承知した上で、
飛び込んでしまえば良い。・・・』

なぜ、私には、このように言い換えたほうが自然なのか、
考えたとき、
言葉を話すときの例を思い出しました。
言葉を話すとき、茂木先生は、
これだけは言ってはまずい、という制約をもうけ、
それ以外の制約を外せば自然に言葉が出てくる、
と、著書にお書きになっていたと思います。
でも私の場合は、これを言おう、
という制約をかけ、そこに近づく言葉を
探したり付け足したりする感覚があります。
言葉さえ、私にとっては服のようなもの?と思います。

そのあとの部分は同じ視点に戻ります。

『でも服を捨てたら裸だと思えるから、
人へのやさしい気持ちも生まれる。・・・

服を着ているだけで実際は裸であることを
知らない魂は 不幸である。・・・』

物質としての
赤いリンゴ は 存在しない。
赤い服を着ていることになっているだけ。
赤を感じる神経細胞を持っている場合に
赤いリンゴが見えるだけのこと。

投稿: u-cat | 2007/08/31 3:02:46

世俗の光の中にいながらにして、一人闇で、
裸になるのもならないのも本人次第かもしれない。

シンプルな裸の闇住人でいたいこのごろです。
闇の中には本質的な豊饒が横たわっているように
感じます。
茂木さんそこを目指しましょう!

投稿: 山下 | 2007/08/29 3:56:14

>何重にも着ぶくれしている魂は
不幸である。

着ぶくれして大きなぬいぐるみみたいに
なった魂では不自由で身動きがとれないし
魂的にはそのほうがかえって危なそうなので
いっそのこと丸裸になって、
ざぶんと具有性の海に飛び込むことにします!

投稿: 新屋敷 恒 | 2007/08/29 1:14:00

えぇ~い!って闇の中に飛び込んで、自分の醜さを掴んだ瞬間、

闇は、「私の闇」になって、ほっとした記憶があります。

自分の醜さや弱さ、ずるさが、刃物になってささってきました。

ささっても、なぜかかゆいだけでした。

かゆくてかゆくて、体中かきむしりました。

そうこうしているうちに、なんだかほっとするようになったんですね。

その後は、概ね良好。闇の向こう側は、何もない原っぱみたいです。


子どもの頃遊んだ空き地には、大きな土管が積み上げられていました。

その中にすっぽり入って、遊んだ後に見上げた丸い空と陽の光は、

夢の中で、何度も私に眩暈と安心とをプレゼントしてくれます。

ほっとしたり安心したり、、、、私の闇です。

投稿: 野坂 美紀 | 2007/08/29 1:07:35

光の館の闇に包まれた廊下。
ぜひ添い寝したかったです♪
かなり安らげそうです♪
…などという何も隠蔽されていない、こんな
あからさまな表現では興醒めでしょうか!
手探りでそっと真実を確かめるような
繊細な感触からは程遠くて。。。(笑)

今日もお忙しそうですね。
私は毎日まるで花占いでもする人のように
ここで花びらのかわりに言葉を探し、一喜一憂しています。
なんだかいろいろと考えていたら
言葉が出なくなってしまいました。
仕方なく昨日の小さな時間に、ぐちゃぐちゃと落書き。
落書きの中にいろんな感情を隠蔽してみたはずなのに、
なぜこんな幼稚な表現にしかならないのかと
ちょっと自分にあきれました(笑)。

投稿: まり | 2007/08/28 23:55:55

野生的でいいんじゃないですか、ヌーディスト。

裸の王様のいいところは、恥と誇りを知っていることです。
でなきゃ子供の一家は火あぶりになってますよね(笑)

投稿: 斉藤 | 2007/08/28 23:47:56

何重にも着膨れしている魂…そりゃあ、確かに不幸だなァ。

学歴、ステータス、豊かな財産…そういう「衣」を何重にも着こんでいる粋がっている魂が、世の中を大きな顔をして、闊歩している。

…しかし!そんな魂達の全ての末路は、大抵哀れなものだと思う。

何故なら、着膨れした魂の人間は、やさしい気持ちを忘れて、利己主義という病にとりつかれているからだ。

そんな人達の晩年は、みんな、不幸になると思うのだ。

“そもそも、裸じゃないことなんて、この世の中にはない。
(…そうだ、この世は剥き出しの裸だ!)

 裸である事を見つめ、引き受けなければ、悲惨も栄光もない、単なるフラットな地平だ。
(…そうしないと、人生は良く生きられないものね!)

 裸になって、ざぶんと偶有性の海に飛びこんでしまえば良い。裸だからこそ、人へのやさしい気持ちも生まれる。”
(捨て身で偶有的なこの世に飛びこんで生きていれば、人への思いやりや愛を自分の中に育めるのさ…!)

暗闇にも似た「裸」になり、この世というフラットな地平を大いに引き受けて、ある時は悲惨に苦しみ、またあるときは栄光に打ち震えながら、有限の生を生きるしかないと、つくづく思う皆既月食の夜。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/08/28 21:53:40

三度目の投稿失礼します。茂木さんの「裸」という言葉が気になって、心脳問題で私自身気になっていることがあります。

聖書に出てくる「666」と言う数字があります。これは、映画オーメンで有名ですが、聖書には、「666は人間の数字であり興味のあるものはこの数字のなぞを解くと良い。」と、言う感じで書いてあったと思います。

この数字に私が興味を持ったのは、クオークで、1世代(アップ、ダウン)、2世代(チャーム、ストレンジ)、3世代(トップ、ボトム)が三色で、赤6種、緑6種、青6種、1世代6種、2世代6種、3世代6種になります。偶然なのか?と、思った事です。

また、仏教で、十八界で、「眼・耳・鼻・舌・身・意」の六根、「色・声・香・味・触・法」の六境、六根の和合意よる「眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識」の六識。六根、六境、六識と666となります。

仏教の発祥が聖書の新約聖書の前なので、十八界の考え方が西洋に伝わった可能性があります。また、ソクラテスらも、知っていた可能性があります。ただ、十八界と、クオークのグループの組み合わせは、偶然なのか、必然なのか。必然なら、クオークの数学的意味と、十六界の意味に、気になっている所です。

投稿: tain&片上泰助 | 2007/08/28 19:49:19

心脳問題を扱う上で、一部裸になるのは、やもえないのではないでしょうか?

昔、私がある掲示板(2chでは無い)で、叩かれまくっていて、「この意識の問題は、黒の紙に鉛筆で絵を描くようなものだ。」と、発言したら、「おもしろい」と、言って、比較的みんなが好意的に見てくれるようになった覚えがあります。

子供の心は裸ですが、時に凶器にもなります。心脳問題を扱う上で、安全性は必要ではないでしょうか?

投稿: tain&片上泰助 | 2007/08/28 16:27:47

今の心像問題は、未来から見ると、現在人が、人類が裸でいた時期を考える、みたいなものかもしれない、と、思う事があります。


A:「美味そうなリンゴだ。」
B:「美味そうなリンゴだとわかるのが、わからない。」
A:「お前も食え、ほれ、食ったか美味いだろ?」
B:「どうして、美味いのかが、わからない。」


こんな文章も、未来の人か見ると、「当時の科学ではわからなかっただろう。」と、言われそうである(笑)。


投稿: tain&片上泰助 | 2007/08/28 12:24:12

朝4時台に目覚めると、今日はラッキー!と言うか、ちょっと得した気分になります。
あの静けさ、闇から光へ。朝焼けの、何ともいえない薔薇色の雲。

何重にも着ぶくれしている魂は不幸である。

今日もいっぱい脱ぎ捨てて、前進あるのみです!

投稿: | 2007/08/28 11:34:00

この世で、生きていくためには、
身を守ってくれる、よろいがないと、つらい。
失えば、どうしたらいいか、こまってしまう。
ときどき、傍らにおいて、
ゆったりと、風通しできるといい。


投稿: F | 2007/08/28 10:55:15

いつでも自分もまた裸であると言いうるメタの眼を持ち続ける人が「王様は裸だ」と言いうるのでしょうね。しかしその共同体内が全員裸だと、互いに裸であるという感覚が無くなってしまうことってあちらこちらにありそうですね。そこでは裸の限界を競い合ったりしていて(笑い)。会社共同体、学者共同体、永田町共同体…。

投稿: 五十嵐茂 | 2007/08/28 10:50:56

茂木さんの日記は、絶対真剣に読みたいと思う。

浮ついて読みたくない。

真剣に読めば読むほど、響いてくるから。


投稿: おおはたみやお | 2007/08/28 9:07:17

オヨヨ!?早っ、はやすぎるぞなもし先生!
>>
もうカラスも鳴き、つくつく法師も啼き出した。
桃のゼリーとカラムーチョと訊いてお腹も泣き出した^。
もういい加減寝ないと・・でも張り合ったりなんかして
>>
占い師の報酬、あるいは六大元素。

先日の日曜日、京都市美術館。
フィラデルフィア美術館展 印象派と20世紀の美術 を観に行く。

また呼ばれたんだな、きっと。
クレーやカンディンスキー、マチス、ルオーたちの部屋から
次の部屋に入った瞬間、息をのむ・・
眠れるアリアドネがひと気のない広場で横たわっている。広場の高い塀ノムコウで蒸気機関車が走っているのが見える。広場の時計は動いているのか、止まっているのか判然としない。秋の澄んだ光が広場のアーチに濃い影を落としている。時間が永遠に止まっているような あの幾度も視てきた光景が眼の前に在った。
フィラデルフィアに居たんだね。

高階秀爾さんの「七人の芸術家」で観て(読んで?)以来、幾度となくデ・キリコの画集を眺めた。
しばらく釘付けになっていた。そして左に視線を移す。
「あっ!」思わず声が出た。

ルネ・マグリット。これもその本でとりあげられていた。
six elements
やあ、きみも一緒だったのかい?

素晴らしき哉、フィラデルフィア美術館。

投稿: 風のモバイラー&野村和生 from nomgroove.com | 2007/08/28 6:30:37

私も・・・変な時間に目が覚めてしまいました。
朝3時って中途半端ですよね。眠るのももったいなくて、PCつけて・・ブログみたらこの日記・・・茂木博士も早起き?でいらっしゃいますね。

超早朝(お日様が昇るよりちょっと前)って、大好き!!
誰もおきていなくて、世の中がシーンと静まり返っています。
おまけに、地方ではテレビもオフになっています。

「本」を読むか、「PC」見るかしかありませんね。調子がよければ「仕事」ですが・・・すごく、進みますね。


「偶有性」という言葉が何を意味しているのか???最近、よく考えています。
インターネットの中での出会いという意味なんでしょうか??
ひっかかってる「言葉」があると、解決したくて、じ~っと考えます。
寝てもさめても・・・キライじゃないな~この感覚!!!

たまたま、別のブログで「なぜ、エベレストに登るのは西洋人だけなのか?」麓にいるシェルパたちは、山に登る西洋人の気持ちがわからないらしい・・・ということが話題になっていました。
「山頂」になぜ登るのか?なぜ登らないのか?
でも、日本人は登るよね。西洋人に近いの?なんて・・・・
こんなことを真剣に考えていたら、結構疲れてしまいました。

ネットの中に踏み込んだからこそ、こんなことを考えることにもなったんだろうな~と思ったりしました。現実、リアルな私には全く関係のないことを、わがことのように真剣に・・・・
「本」を読んで感想を持つ・・という世界とは、明らかに違う感覚です。

それにしても、寝起きの冷たい「桃ゼリー」・・・美味しそう!!です

投稿: ふわく | 2007/08/28 4:41:59

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