このところ、妙にだるいなあ、
と思いながら、
朝近くの公園を走ったり、
発作的に腕立て、腹筋をしたりして
「抵抗」していた。
公園のビオトープで、アメンボが
ぱしゃぱしゃすいすい泳いでいる
のを見て、はっと気づいた。
ひょっとしたら、これは
「夏バテ」というものではないか。
冷房はきらいだ。
窓を開けっ放しにして寝ていると、
午前2時とか4時にはっと
目が覚める。
うーんと水を飲んで、また
眠る。
そういえば、ああいう時には、
汗をびっしょりかいている。
寝苦しくて目が覚めるのであろう。
あなおそろしや。
目が覚めても、私の場合ほとんど
瞬時にまた眠るので
睡眠不足にはならないのであるが、
夏バテの原因はこのあたりに
あるかもしれない。
サルガッソー
の鈴木健が「会議術」
の本を書いて、帯の言葉が
欲しいというので読んだ。
「議事録ドリブン」という
アプローチが面白かった。
全員が、議事録を共有しながら
会議を進めていく。
そして、決定事項や合意点を
めぐってきちんとした議事録を
残すことを、会議の目的とする。
会議が生産の現場になる。
さっそく、柳川透の研究の
方向性についての議論を、
議事録ドリブンでやってみた。
研究所のミーティング・スペースで
ボクが要点をまとめながら
書いていく。
この論文の長所は何か?
欠点は何か?
Target Journalはどこにするか?
必要な修正はなにか?
それは、どれくらいの期間で
できるものか?
etc. etc.
一緒にいた加藤未希や星野英一も、何を
議論しているのか一目でわかるので、
周辺視野にいても
参加できる。
これはいい。
お昼を食べながら、柳川が
ぼそりと言った。
「問題は、これをゼミ本体で
やるかどうですね。」
確かに一度やるとaddictするものが
ある。
アイデアを交換したり、共有したり、
共創したりするノウハウは、
まだまだイノベーションの余地が
あるのだろう。
NHKへ。
マジックの番組の収録。
『だまされたい脳・マジックの快楽』
前田知洋さん、ナポレオンズのお二人、
江川達也さん、山瀬まみさん、堀越のりさん。
制作側には、「科学大好き土よう塾」
のお馴染みの、植木豊さんや、兼子将敏さんが
いらっしゃる。
前田さんのマジックを間近で見るのは、
「花野P」こと、花野剛一さんが制作指揮した
『ニューロンの回廊』以来。
あの時、前田さんが、「マジックをやっている
人間が、騙しているということを意識すると、
それが身体の動作に出てばれてしまうのです。」
と言っていたのが印象的だった。
VTRの中で、
前田さんが英国にある伝統あるマジシャンの
クラブ、「マジック・サークル」を訪れる。
前田さんご自身が、マジックの古典書、
Discoverie of the Witchcraft
の中からマジックを一つ復活して披露する。
その映像を見ながら、前田さんが、
「そうか、あんな風に見えるんだなあ」と
感心していたその様子が不思議だったので、
「どういうことですか?」
と聞くと、
「いや、自分がこういう動作を
やるとそれが見ている人にはマジックに見える
んだということを意識していないのですよ」
というようなことを言うのでびっくりした。
マジックの究極は、「心を無にする」
ことにある。
朝日カルチャーセンター。
劇作家の平田オリザさんとの対談。
平田さんにお目にかかるのは
3年ぶりくらいであった。
平田さんの演劇に対する姿勢、
文化や言葉の壁を超えた「対話」
に対する真摯な態度を、私は
以前からとても素敵だと思っている。
原点は学生の時に一年間
ソウルに留学したことにあると
言う。
1980年代半ばの韓国。
平田オリザという一人の人間
である前に、「日本人」として
扱われ、謝罪するにしてもしないにしても、
態度を決めることを迫られる。
そのような経験を通して、
伝わらないこと(discommunication)を
前提として対話への努力を続ける
姿勢ができたと平田さん。
ボクは、敬愛するRichard Wagnerの、
Poetry is the reason for music.
And drama is the reason for both.
という言葉を引いて、「劇的感動」
というものの本質はどこにあると思うかと
平田さんに問うた。
平田さんは、「2500年前に古代ギリシャ
で演劇というものが「発明」された時、
皆その効果にびっくりした」と言う。
「いつそれが発明されたのか、記録に
ちゃんと残っている」と言う。
あまりにその効果が顕著だったので、
市民にコロス(合唱)として劇に
参加することが義務づけられた
ほどだと平田さんは言った。
演劇の良いところは、どんな人に
でも役が与えられることである。
たとえひと言、ふた言だけでも、
りっぱに居場所をつくることができる。
口べたな子には無口な役を割り当てれば
いいし、
他の国の言葉を話す人には、それなりの
役割がある。
演劇は、情報の密度が、観る者に
創造の余地を残すという
意味でちょうど良いのだと
平田さんは言われた。
音楽や絵画はダイレクトに感性を
刺激する。
一方、演劇は、「補助線」や「包絡線」
のような形でドラマトゥルギーが
成立する。
感性が開かれ、能動性が刺激される。
平田さんと、また対話したい。

平田オリザさんと。朝日カルチャーセンターにて。
(Photo by Atsushi Sasaki)
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