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2007/08/31

気づかないうちに筋肉が鍛えられる

鈴木健との因縁は深い。

最初に会ったのは、鈴木健が
東京大学の池上高志研究室の
院生になった頃だったかなあ。

とにかく理論派で、生意気で、
鼻っ柱の強いやつだった。

それでいて、しっとりとした
感性もあった。

ソニーコンピュータサイエンス研究所で、
私の「バイト学生」として
研究していた時期もあった。

そのうち、鈴木健は未踏ソフトウェアに
受かって、独自の「マルコフ貨幣」
の理論を応用したPICSYを
開発したりして、徐々に
ネット界における実践思想家
としての風貌を濃くしていった。

今ではベンチャー企業
Sargasso 
のCEO。

六本木ヒルズ近くにある
サルガッソーのオフィスを訪ねた。

鈴木健、見かけだけはかの
スティーヴ・ジョブズに似て
きたなあ。


親指を立てる鈴木健。となりは、天才プログラマー、
洛西一周クン。

事務所は活気があって、
カジュアル。

「カニカニ星人」も現れた。


サルガッソーの海に棲息するカニカニ星人。

近くの料理屋で懇談。

鈴木健の企てに関わっている
人たちと知り合いになった。
 
iPhoneのこと、facebookのこと、
シリコンバレーにおけるアップル、
グーグル、マイクロソフトの
プレゼンス。
10月からシリコンバレーに
行ってしまう洛西クン。

未来はまだ見えないが、
明るく感じられる。

何よりも爽やかなのは、
「偶有性の海」(sea of contingency)
の中で思い切り泳いでいる
からであろう。
 
何が起こるかわからない場所。
常に枠組みが問題になる文脈。
自分自身を客観的に見る「メタ認知」
が自然の傾向として求められる時。

そのような偶有性の海の中で
泳いでいると、
ちょうど、夏休みにたっぷりと
遊んだ子どものように、
気づかないうちに筋肉が鍛えられる。
神経が敏捷になる。

あの場所にいた人たちは、
現代人の誰よりも、
夏休みの空気と太陽を
たっぷりと吸い取って
からから笑う子どもたちに
似ていた。

鈴木健が書いた
『究極の会議』 
(ソフトバンク・クリエィティヴ)
をもらう。
今日から発売される模様。

みなさん、夏休み明けの元気な
子どもが書いた会議術の本を
手に取ってみてください。

今年度の小林秀雄賞は、
内田樹さんの
『私家版・ユダヤ文化論』
(文春新書)に決まったとのこと。

内田先生、おめでとうございます!

8月 31, 2007 at 07:36 午前 | | コメント (7) | トラックバック (4)

2007/08/30

芸術脳

茂木健一郎 『芸術脳』
新潮社

桑原茂一さんが発行するフリーペーパー
dictionaryに連載されてきたアーティスト
たちとの対談がまとまりました。
表紙のグラフィックなどの装丁は、
エンライトメントのヒロ杉山
さんによる力作です。

皆様、ぜひお読みください。

(登場するクリエイターのみなさん:掲載順)
●佐藤雅彦

●内藤礼

●小野塚秋良

●いとうせいこう

●松任谷由実

●ヒロ杉山

●リトル・ブリテン

●菊地成孔

●天野祐吉

●リリー・フランキー

プロデュース:桑原茂一

装幀・装画:エンライトメント

執筆・構成:吉村栄一

新潮社のページ

Club Kingのページ

amazon

8月 30, 2007 at 08:45 午前 | | コメント (4) | トラックバック (3)

擬態

仕事の必要上で調べものをしていて、
シロオビアゲハのことを
いろいろと思い出した。

 沖縄の斎場御獄に行った時に、
シロオビアゲハが飛んでいて、
 まるで死者の霊のようだなと
思った。

 シロオビアゲハのメスには、
ベニモンアゲハに擬態するものがある。

 ベニモンアゲハは、幼虫がウマノスズクサを
食べ、その有毒成分であるアルカロイドが
蓄積するため、成虫は鳥などの
天敵に補食されにくい。

 ベニモンアゲハは赤が目立つ、毒々しい
派手な模様をしていて、
 その警告色で鳥たちにシグナルを
送る。

 無毒の虫が有毒の虫に似る現象は、
報告者であるイギリスの博物学者、
Henry Walter Batesの名を
とって、「ベイツ型擬態」
と呼ばれ、ダーウィンの進化論に
おける「自然選択」(natural selection)
を支える有力な根拠の一つとなった。

 ベイツの報告した事例として、
「ドクチョウ」への擬態がある。
 


ドクチョウと、ドクチョウに擬態した蝶たち。
Bates H.W. 1862.
Contributions to an insect fauna of the Amazon Valley. Lepidoptera: Heliconidae.
Transactions of the Entomological Society 23, 3, 495-566.

 ドクチョウどうしも大変
似ているが、これは、毒などの理由で
補食されにくい種どうしが
 似たような姿になることで
シグナルを強め合うミュラー型
擬態の事例である。
 
 もう10年以上前、アマゾンの
マナウスに二泊だけしたことがある。

 ドクチョウがジャングルの中を
飛んでいて、そのゆったりとした
独特の飛翔パターンに魅せられた。

 もっとも、彼らが、本当に
ドクチョウ亜科(Heliconiinae)
の種だったのか、
 擬態した種だったのかは
はっきりとはわからない。

 シロオビアゲハの話に戻る。
 琉球大学の上杉兼司さんの
研究によると、ベニモンアゲハが
いる地域では、
ベニモンアゲハに擬態したメス
の生存率は確かに上がる
ようである。

 一方、ベンモンアゲハが
いない地域では、
 擬態型の生存率はむしろ
低い。
 目立ちすぎてしまうからであろう。

 地球温暖化の影響か、
沖縄諸島におけるベニモンアゲハの
個体数は年々増加し、分布域が
広がっていて、
 シロオビアゲハの擬態型の
割合も増えつつあるという。

 上杉さんの観察によると、
擬態型のメスは、シロオビアゲハの
オスにアプローチされにくいという。

 せっかく擬態して、鳥に食べられなく
なるのはいいが、
 異性に人気がなくなるというのは
うれしいようでかなしいようで、
 シロオビアゲハのメスとしても
複雑な気持ちであろう。

8月 30, 2007 at 08:28 午前 | | コメント (7) | トラックバック (2)

2007/08/29

Miscellaneous Weeds Gardening

Miscellaneous Weeds Gardening

The Qualia Journal

29th August 2007

http://qualiajournal.blogspot.com/ 

8月 29, 2007 at 09:24 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

自然発光

中野のスタジオで、
小池博史さんにお目にかかる。

小池さんは、表現集団「パパ・タラフマラ」を
1982年に設立。

以来、日本だけでなく世界各地で、
踊りと歌と台詞と舞台芸術と、
さまざまな要素を総合したその
パフォーマンスを作・演出・振り付け
している。

日本で見ると「無国籍」の自由空間
に遊んでいるかに見えるPapa Tarahumara
の舞台だが、
外国に持ってくと、やはり、
日本的なものとして受け取られるのだという。

「身のこなしなどに自然に生活の中で
染みついた仕草が表れるのでしょう」
と小池さん。

小池さんは、現在、10月に東京の
アサヒアートスクエアで上演される
「トウキョウ ブエノスアイレス書簡」
の準備をされている。

生バンド付きの楽しい舞台。
皆さん、ぜひご覧ください。

小池さんとお話したスタジオには、
大きな鏡があった。

「日本の踊りとバレエの違いは・・・」
小池さんが言う
「バレエは鏡を使って、人から
どのように見えるかに顧慮して
身体を動かすのに対して、
日本の踊りは内面の表出だという
ことです」

なるほどと思った。

以前、金森穣さんとお話した時、
金森さんは、「どんなにうまい人でも、
鏡の前で練習してこなかった人は
すぐにわかる」
と言っていた。

他者からの視線をどのように取り入れるか。
あるいは、没我か。
歌舞伎や日本舞踊でも、他者の目を
意識しないわけではない。

一方、バレエは、鏡なしでは成立
し得ないほどに、他者の視線を内面化する。

小池さんのように、「アウトリーチ」
しなければ見えない自分自身の姿が
あるのだなと思う。

諸君、小池博史さんのように
地球の隅々まで足を伸ばす
「タコ」になろうではないか。

有楽町にて、林望さんにお目にかかる。

林さんと言えば
『イギリスはおいしい』に始まる
一連のイギリスに取材したエッセイで
あまりにも著名。

ご専門は書誌学であり、日本の古典に
造詣が深く、古典に関する著作が
数多ある。

ケンブリッジ大学への留学も、
大学図書館にある一万冊の
日本の古書の目録をつくることが
目的であった。

夏目漱石が漢籍の素養をもとに
イギリスに向かい合ったように、
林望さん(リンボウ先生)は、
古典の教養が血肉と化していたから、
丸谷才一さんも絶賛するあの文体に
結実したのである。

何しろ、私もケンブリッジやイギリスを
心から愛しているので、これは
仕事ではないのではないか、
こんなに楽しくて良いのだろうかと
対談中微笑みがこぼれて
しまうような素敵な時間。

「茂木さん、ケンブリッジ大学の
入試が、どのように行われているか
知っていますか」
「知りません。」
「2時間の面接が3回あるのです」
「ええっ」
「試験の成績は、Aレベルを幾つとったか
ということしか見ません。たとえば、物理と数学と
化学と生物学でAレベルをとっていれば、
それで良し、あとは中身は見ないのです。」
「ふむふむ」
「それで、面接の時は、6人の面接官が
徹底的に質問します。たとえば、
氷が浮かぶ湖で泳ぐカモの足は、なぜ
凍えないのか、というような質問を
するわけです。」
「なるほど」
「しかる後に、受験生が答えると、
その考え方はちょっと違うとか、
もう少し深く考えてみようとか、
こんな視点もあるんじゃないかなどと
助け船を出して、徐々に正解へと
導いていきます。そのプロセスにおける
受験生の受け答えを見るわけです。」

異文化を受け入れる時に、
もともと自分たちの文化の中にあった
受け皿に合ったものしか入らない
とリンボウ先生。

日本の大学の入試は、
「科挙」という東アジア固有の文化に
すぽりとはまり、
その限りにおいて移入されたのであろう。

リンボウ先生とは、
再びお目にかかると思う。

さらにイギリスの話、
異文化との向き合いの話をさせて
いただくのが
本当に愉しみである。

対談の模様は、9月10日の週に
朝日新聞に掲載される予定です。


有楽町にて、林望先生と。

ソニーコンピュータサイエンス研究所の
ブレスト。

所長の所眞理雄さんが、
ローマクラブの事蹟について言及。

丁々発止。

帰宅する道すがら。

午前1時30分に起きて
ずっと仕事をしていると、
さすがに疲労が蓄積する。

暗闇の中に思う。
充実した一日だった。

知の集積と創造の
「自然発光」にこそわが人生を賭ける。

8月 29, 2007 at 08:35 午前 | | コメント (9) | トラックバック (1)

2007/08/28

プロフェッショナル 仕事の流儀 神谷整子

プロフェッショナル 仕事の流儀 第60回

命の神秘によりそって
〜助産師・神谷整子〜〜

忘れられないのは、
「子どもはお母さんが自分自身をあるがままに
受け入れた時に生まれてくる」
という神谷さんのお話です。
子どもが生まれる時だけではなく、
なにかが創造される時は、常に、
「自分自身を受け入れる」という
ステップが必要なのではないかと
思い至りました。

NHK総合
2007年8月28日(火)22:00〜22:44

8月 28, 2007 at 04:22 午前 | | コメント (5) | トラックバック (5)

そこが闇に包まれていたから

 仕事! 仕事! 仕事!

 変な時間に目が覚めてしまって、
また眠ろうと思ったが、
 考えてみると仕事がまだまだ
分厚い地層をなしているので
 そのまま起きていることにする。

 コーヒーを淹れ、
課題を読む。
 冷蔵庫から、もものゼリーを
取り出す。
 
 何となく辛いものが
食べたくなって、
 カラムーチョの小袋を
開けた。

 カラスもまだ鳴いていない。
 虫の声だけが聞こえて、
 以前初めて「光の館」
を訪れた時の「完璧な秋の宵」
のことを心地よく思い出した。

 小さな時間に目が覚めていると、
妙なことを考える。

 「王様は裸だ」
ということが気になって仕方が
ない子どもだった。

 どんな人間の行為でも、前提になる
枠組みがあるものだが、
 その枠組み自体を疑う。
 そんな心性を持っていた。

 だからこそ、「物理学」
というところまで視線を引いて
しまったのだと思う。

 心脳問題に至ったのも同じことで、
引くだけ引いて、これ以上
「裸だ」と言えないところまで
後ずさりしたかったのだろう。

 自分がやっていることの多くだって、
見方を変えれば裸だが、
 そんなことは人に言われる前に
自分でわかっている。
 
 そもそも、裸じゃないことなんて、
この世の中にはない。

 裸であることを見つめ、引き受けなければ、
悲惨も栄光もない、単なるフラットな地平だ。

 裸になって、ざぶんと偶有性の
海に飛び込んでしまえば良い。
 裸だからこそ、人へのやさしい気持ちも
生まれる。

 何重にも着ぶくれしている魂は
不幸である。

 夜は、しっとりとした表情をしている。
 裸は、きっと暗闇に似ている。
 その無明の境地に、安らぎを見いだす。
 
 光の館の広々とした外廊下で眠るのが
気持ち良かったのは、
そこが闇に包まれていたからであろう。

8月 28, 2007 at 04:15 午前 | | コメント (17) | トラックバック (2)

2007/08/27

野田文化講演会

野田文化講演会

茂木健一郎
「脳を考える│ひらめきって何?」

2007年9月2日(日)14時〜

千葉県野田市興風会館

http://www.resuka.co.jp/rsk03/rsk03.html

8月 27, 2007 at 07:48 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

ボルネオのジャングルで目にした生物多様性

ヨミウリ・ウィークリー
2007年9月9日号

(2007年8月27日発売)

茂木健一郎  脳から始まる 第68回

ボルネオのジャングルで目にした生物多様性

抜粋

 人間の脳は贅沢なもので、いつでもその時々にはない希少なものを求める。周囲に自然が溢れている間は、文明生活に憧れる。都市化が進み、モノがあふれてみると、今度は手つかずの自然に触れたくなる。希少なものに触れることが、脳が全体性を回復し、「癒し」を経験するきっかけになる。自然が、現代人の心を癒すゆえんである。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/


8月 27, 2007 at 07:40 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

反応

人生が化学反応であるならば、
誰でも新生児の頃は
激しい反応をしている。

金属ナトリウムを水に
落とした時のように
動き回り、
時には炎も出る。

それが、次第に皮膜ができてしまう
ことで、安定化してしまい、
水平移動となる。

動きが生じ、反応が生まれるためには、
それなりの設いが
必要である。

身を焦がすような激しい
反応が起きる。
起き続ける。
そのような人生にこそ
幸いあれ。

高校生の時の写真が
必要だったので、探しに
車で実家に戻った。

ビートルズのサージェント・ペッパーズ・
ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドを
聴きながらいった。

やはり見事なアルバムである。

文学性がある。シーズ・リービング・ホームの
中の、
Something inside that was always denied for so many years
という歌詞。

なんと心に響く言葉。
もののあはれがあるね。ねえ、君。

ビートルズの活動というものを、
すでに終わってしまった歴史的固定点として
とらえるのではなく、
リアルタイムの
「金属ナトリウムの反応」として
思い浮かべると、
そこには何とも言えない感動がある。

皮膜があるんだったら、とってしまおう。
新生児の時には、世界の全てと
ひりひりするような感触的行き交いが
あったはず。

創造的であるとは、
皮膜をとり続け、
激しく反応し続ける
ことである。

そうではないかね、諸君!

8月 27, 2007 at 07:25 午前 | | コメント (15) | トラックバック (2)

2007/08/26

美と「私」−制約を恵みに変えるために−

Lecture Records

美と「私」−制約を恵みに変えるために−

茂木健一郎
『美と「私」−制約を恵みに変えるために−』
(「森村泰昌ー美の教室、静聴せよ」展
に寄せて)

レクチャーと質疑応答

2007年8月25日
横浜美術館 レクチャーホール

音声ファイル(MP3, 102.9MB, 112分)

8月 26, 2007 at 09:23 午前 | | コメント (12) | トラックバック (5)

横浜美術館

横浜美術館のバックステージは、
廊下がとても広かった。

 キュレーターの木村絵理子さん
に案内されて、控え室に向かう。

 学芸教育グループ長の天野太郎さん
は豪快に笑う。

 「茂木さん、堀尾貞治さんには
会ったことがありますか?」
 「いや、まだないです。」
 「おもしろい人ですよ。
具体美術協会に所属していたんですよ」
 「そうですか!」
 「横浜トリエンナーレで、毎日
パフォーマンスをやっていたんですよ。
タイトルはずっと同じで、あたりまえのこと」
 「ほうほう」
 「毎日、警備の人に怒られて、
二度とやりません、と言うのだけれども、
次の日もまたやるんですよ。」
 「はははは」
 「でも、毎日違うことをやるから、
確かに、同じことは「二度とやって」はいな
いんですけどね。」
 「むむ」
 「自動販売機のパフォーマンス、見た
ことありますか?」
 「いや、まだないです。」
 「100円玉を入れると、中に
堀尾さんが入っていて、その場で
絵を描いて、出てくるんですよ。」
 「ぎゃはは」
 「いろいろなコースがあって、
ピカソ風とか、ミロ風とか、
マネをした絵を描いてくれる
コースもあるんです。」
 「ぎゃふん」

 天野さんの話を聞いているうちに、
どこまでも突き抜けた夏の青空が
広がった。
 同席した
 インディペンデント・キュレーターの
帆足亜紀さんも笑っている。

 森村泰昌さんの展覧会
「美の教室、静聴せよ」
を天野さんと見る。

 昨年、東京芸術大学で森村さんに授業を
していただいた時にも見せていただいた
《なにものかへのレクイエム(烈火の季節)》。

 1970年11月25日の
 三島由紀夫による自衛隊の市ヶ谷駐屯地に
おける籠城、演説、割腹自殺事件。

 森村さんは、「生きのびる三島」
として日本の美術の現状を糾弾し、
乗り越えることをうながすアジ演説を
行う。

 大きなスクリーンに投影され、
それを見上げるうちに心の
中にざわざわと立ち上がる
感慨があった。
 
 『美と「私」−制約を恵みに変えるために−』 
というテーマでお話させていただく。

 講演60分、
 質疑応答は30分の予定が大いに盛り上がって
52分。
  
 最後に、「美とは何か」ということに
ついての根源的な問いかけが
出る。
 自由闊達な時間。

 横浜美術館のレクチャー・ホールに
来てくださった皆さん、本当にアリガトウ!

 束芋さんがいらしていて、
久しぶりにお話した。

 いつもながらにステキなご様子。

 私は、講演中に「作品に向かいあう
時には、自分という楽器を鳴らすように
心がけてほしい」と言った。

 束芋さんは、
 「私も、みなさんが半分こちらに
歩み寄ってください、といつもお願い
しているのです」
と言われた。

 あらゆる表現ジャンルで、
現代美術ほど「何をしてもよい」
自由な活動分野はない。

 しかし、だからこそ、
苦しい。

 その苦しさを恵みに
変える方法は、「自らの制約を
受け入れる」ということに
あるんだよ、諸君。

 もっと詳しく知りたければ、
講演の音声ファイルを聴いてくれたまえ!

 講演会の前日、森村泰昌さんから
メールをいただいた。
 
 今回の展覧会は、「見る」とともに
「聴く」が大きなテーマになっていると
森村さん。

 そうなんだよ、心がざわざわしてくるぞ。

 こんなスゴイ展覧会を、見に行かなくて
良いのか、諸君。

 「森村泰昌ー美の教室、静聴せよ」
は2007年9月17日まで、
横浜美術館でやっている。

 ぜひ駆けつけてくれたまえ、諸君!

8月 26, 2007 at 09:05 午前 | | コメント (6) | トラックバック (4)

2007/08/25

革装版

九州創発塾が無事終わる。

いろいろ学んだことがあった。
ずっしりと残る。

会場となったAPUに通う道にも
すっかり慣れた頃であった。

今度は、いつ、この山へと
登ることであろう。

東京に戻ると、大文明の中に
包まれた気がした。

渋谷の天厨菜館で、『芸術脳』(新潮社)の
発刊記念打ち上げ。

桑原茂一さんが発行している
dictionaryに連載された私と様々な
人たちの対話が一冊になった。

いつも完璧な文章にまとめて
くださるのが、吉村栄一さん。

新潮社の大久保信久さんとともども、
本を持ってにっこり笑う。


祝『芸術脳』刊行。
左から吉村栄一さん、茂木健一郎、桑原茂一さん、大久保信久さん。

打ち上げには、新潮社から、
北本壮さん、金寿煥さんも参加。

それに、『芸術脳』の金沢でのイベントにも
参加された、電通の佐々木厚さんも。

宴もたけなわの頃、
金さんが「ではそろそろ」
と動いた。

新潮新書『ひらめき脳』は
先ほど10万部を突破した。

新潮社では、10万部を超えた
本は革装されて、特別な部屋の
中に陳列される。

同時に、著者にも革装版が贈られる。

思えば、北本さんと金さんに
向かって『ひらめき脳』の内容を
お話していた部屋が、まさにその
「殿堂」の部屋であった。

養老孟司さんの『バカの壁』を
はじめとして、そうそうたる
本が並ぶその部屋で、
私は、「この本も革装されて
ここに入らないかなあ」と願って
いたのだった。

金さんと硬い握手。
「いやあ、本当によかったよかった」
と満面の笑みの金さんであった。


『ひらめき脳』10万部突破記念革装版贈呈式。
新潮社の金寿煥さんと。


『ひらめき脳』革装版カバー

「茂木さん、それだけではありません」と金さん。
何やら入った箱を取り出す。

『ひらめき脳』が韓国語に翻訳され、
その本もまた送られてきた。

金さんは二世なのでハングルが読める。

「これがモギケンイチロウです。」
「これが「ヒラメキ」」
「あとがきに私たちの名前を書いてくださったので、
ここにキタモトタケシ、キムスハンとあります」
と説明されても良くわからない。

confusionをたっぷり味わうためにも、
諸君、ここはハングルの海に一度は
飛び込んでみるべきなのではないかと
私は思う。


『ひらめき脳』韓国語版を手に。
左から北本壮さん、茂木健一郎、金寿煥さん。

「それだけでもありません。」
と金さん。

先日、編集長である鈴木正文さんのとんでも
なくイケてるファッションに驚かされた
新潮社 ENGINE 2007年10月号が
刷り上がって来たのである。

アウディと並ぶと、なんだか不思議に浮遊する。


新潮社 ENGINE 2007年10月号

荷物がたくさんになった。
ウェイトトレーニングに良い。

二次会を東急本店横の「松濤倶楽部」で。

桑原茂一さんと、日本における表現状況に
ついていろいろとお話する。

何かを議論するときに、「言葉の
談合」になってしまっていることが
多い。
すでにある概念セット、世界観を
前提にした上で、その中でうろうろ
ウダウダしている。

『怒りを込めてふり返れ』(Look back in anger)を久しぶりに一幕だけ見る。

ジョン・オズボーンによる
この古典的な劇の主人公、
ジミー・ポーターは怒っている。
ずっと怒っている。

「怒れる若者たち」(Angry young men)は
どの社会にも、どの時代にもいる。
課題は、怒りをいかに
愛や表現に変えていくかである。

「茂木さんは昔良く
怒っていましたね」とある程度長い間
私を知っている人には言われる。

怒らなくなったわけではない。
表現の仕方が変わっただけのことである。

日本の現状に対する違和感は、むしろ
強まり、どこにアルキメデスのテコの支点を
見いだすか、模索し続ける。

そんな中、心が通う人たちとの
会話以上の「安全基地」があるだろうか。

「なまけもののスーザン」
(Lazy Susan)
をぐるぐる回しながら、
「今、ここ」から先に向けて
打つべき手を考える。

8月 25, 2007 at 11:25 午前 | | コメント (12) | トラックバック (5)

2007/08/24

星の時間

九州創発塾二日目。

午前中は、スリランカ、
韓国、中国、ベトナム、モンゴルからの
留学生たちとたっぷり
ディスカッションした。

それぞれの故郷を離れて、
日本で学び、職を得て
定着したいと願っている
彼ら。

元気で、夢があって、
まっすぐである。

ランチも一緒にとって
さらに話した。

国籍などという
座標軸がはっきりしない
丁々発止の空間が私には
向いている。

分科会。

三つの分科会をハシゴして、
少しずつ聴く。

フォーマットが変わると、
人々の熱意の別の側面が
引き出される。

高崎山へ。

一目見た時から、
紡錘形のその緑塊を
好もしく思った。

餌をやる時間帯はあるが、
基本的には「自然」である。

猿たちのかわいらしさはもちろん、
その背景の照葉樹林の
盛り上がりに目を惹き付けられる。

猿を見て森を見ずでは
いけない。

モーツァルトも、また、その
背景に当時の文化的エコロジーの豊饒
があったはずだ。

シュテファン・ツヴァイクに
『人類の星の時間』という
作品がある。

きらめく瞬間が得られる
ためには、それを支える
広大なエコロジーが必要である。

そう思えば、人生の澱みや
暗がりも愛することが
できるだろう。

朝温泉につかりながら、
空を見上げた。

私が留学生たちになんともなしに
親しみを感じるのは、
文化の中に投げ込まれる
その感触が
近いからであろう。

クオリアなどと言っていると、
否応でも異文化の中に自分を
見いだす。

ここにも一人の留学生。

お湯をぐるぐるかきまわす。

8月 24, 2007 at 07:35 午前 | | コメント (14) | トラックバック (5)

2007/08/23

星を見上げて

朝、温泉の脱衣場に
ある牛乳の自動販売機を
見ていて思い出した。

幼稚園の頃、毎日牛乳代を
持っていった。
小さな袋に入れて持っていった。

普通の牛乳の時は白い袋。
コーヒー牛乳の時は赤い袋。

友だちは、赤い袋を持って
きている人も多かったのに、
うちの母親は、普通の牛乳の方が
健康に良いと何時も白い袋を
渡された。

あこがれた。コーヒー牛乳が
飲みたいなあと思った。

大人になったから、自分で買う
ことができる。

瓶の口にくちびるをつけながら、
「過去は育てることができる」
と念じた。

大分合同新聞、
西日本新聞、佐賀新聞、長崎新聞、
熊本日日新聞、宮崎日日新聞、南日本新聞
の九州各県の新聞社が共催する
「九州創発塾」。

姜尚中さんの話は、ロジックの底に
熱いパトスがある。

とりわけ、ご自身の体験に基づく
発言に、ちろちろと燃えるような
情念があって、クールな声との
対照が心地よかった。

パネル・ディスカッションは、
ノンフィクション作家の長田渚左さん、
国際協力政策、コミュニティ開発がご専門の
三好皓一さん、
別府でアルゲリッチ音楽祭を立ち上げた
伊藤京子さんが加わる。

多様性を持つことは良いことである。
同時に、いかにそれらの力を
まとめ上げていくか。

多様性と統一は、まさに脳が
進化の過程で直面した問題でもある。


九州創発塾 2007 パネル・ディスカッション
Photo by Atsushi Sasaki

会場となった立命館アジア太平洋大学(APU)
は留学生が半分を占めるのだという。

大分湾の眺望がすばらしい。
高崎山の姿が一目で焼き付いた。

あそこに、猿たちが住んでいる。
そう思うと、いろいろと想像をしてしまって、
もうだめである。

九州に残る自然は素晴らしい。

多様性の中に自分を投げ込まなければ
元気になどならない。

雑多なる生活空間を突き進んでいく。
その中で、グランド・ヴィジョンを
失わない。

最近見たイギリスのコメディにあった台詞。

「ボクらは、皆、ゴミための中にいる。
しかし、そのうちの何人かは、星を見上げている」

海にまで緑が迫る。
哀しくなるほどの美しい光景。

雨で星は見えなかった。

8月 23, 2007 at 07:38 午前 | | コメント (12) | トラックバック (9)

2007/08/22

confusion

帝国ホテル。

総料理長の田中健一郎さんに、
ハッシュド・ビーフの
作り方を伝授していただく。

キッチンは広く、
道具はどれもずしりと
重かった。

田中さんは何でもないように
ナイフでにんにくを押しつぶすが、
それができない。

ポイントは赤ワインを煮詰める
ところ。

同じ材料を使って同じように
やったはずなのに、
田中さんの方がおいしかった。

赤ワインの煮詰め方が
足りなかったらしい。
まさに、「ツメが甘い」。

田中総料理長にズッコケ
料理人が学ぶ様子は、
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の仕事術スペシャルと
して10月に放送される予定です。

お楽しみに。

住吉美紀アナウンサー(すみきち)
によるレポートはこちら。
http://www.nhk.or.jp/professional-blog/100/4374.html#more

新横浜プリンスホテル。

来年の「東京のオペラの森」
はチャイコフスキーの
『エフゲニー・オネーギン』。
指揮は小澤征爾さん。

オペラの魅力、東京でオペラの文化を
育てることの意味についてお話した。

同ホテル内での
日私小連外国語部会。

外国語習得についてお話しし、
続いて先生方と議論する。

呼んでくださったのは、
カリタス小学校の
麻田美晴先生。

トムさんが、
「大切なのは子どもたちに
confusionを与えて、そこから
立ち上がる機会を与えることでは
ないか」と発言。

そうだろうと思う。

言葉が変わるということは、
世界に向き合うパラダイムが
変わるということ。
当然confusionはあるし、
その期間人はサナギになる。

九州創発塾2007のために、
大分に移動。

朝、ホテルの露天風呂で
クモが巣を張っているのを
見ながら、
confusionについて考える。

外国語部会に参加された
先生の一人は、ご家族で
イギリスに行かれた。

お子さんは、最初は慣れない言葉に
混乱していたが、8ヶ月経った
時に突然猛然と話し始めたそうである。

その8ヶ月に当たることが、
人生でいかに大切なことか。

confusionの一つや二つない
人生など、つまらないと思う。

理路整然とした明確な行為主義は、
時にconfusion欠乏症候群の現れに
過ぎない。

諸君、大いに迷い、悩み、躓き給え。
ぼくもそうするから。

8月 22, 2007 at 09:20 午前 | | コメント (10) | トラックバック (1)

2007/08/21

美と「私」

茂木健一郎
美と「私」 —制約を恵みに変えるために—
2007年8月25日(土)
15:00〜16:30(開場14時)

横浜美術館レクチャー・ホール
(定員240名、先着順)

http://www.bijutsukann.com/ex/mu/yokohama.html 

8月 21, 2007 at 09:24 午前 | | コメント (2) | トラックバック (1)

ルオー

夏の間はぼんやりとしていて、
9月の声を聞くと
急にしゃきっとする。

そんなことを、ティーンエージャーの時は
繰り返してきた。

身が引き締まり、やがて真面目な気持ちに
なる。
今年も何となくそんな時が来た。

朝、そう言えばトーマス・マンを
久しぶりに読みたいなと思った。
少し早く秋の風が吹いてきたらしい。

理化学研究所にて
BSI(脳科学総合研究センター)
の10周年を記念した
絵画・作文コンクールの審査。

小学生、中学生の絵画と、
高校生の作文を読む。

谷淳さんに久しぶりに会った。
岡ノ谷一夫さんにも。

東京大学本郷キャンパスへ。

正門前の「ルオー」でセイロンカレー。

大学院の時、何回ルオーに通った
ことだろう。

大きな肉が一つ、ころんと入った
独特の味。
食後にデミタス・カップで
コーヒーがついてくる。

場所にまつわる記憶というのは、
確かにある。
ミズスマシのようにくるくる
いろいろなところを回り回ってから
久しぶりに
ルオーの中に座っていると
昔の自分がいた。

ソニーコンピュータサイエンス
研究所(ソニーCSL)
から東京大学情報学環の教授
になった暦本純一さんが呼びかけた
memory+の研究会。

http://rkmt.net/memoryplus/ 

ソニーCSLからスピンオフした
Koozyt

http://www.koozyt.com/ 

の末吉隆彦さんや、塩野崎敦さんの
姿も。

未来が明るいと思うのは、
梅田望夫さんも常々言われるように
予測ではなく一つの意志である。

思い切りアクセルを踏めばいいんダ!

私の研究室の学生たちと、
弥生門から根津交差点に降りる。

「車屋」。
東京芸術大学の学生たちとよく来るこの
店には、
平山郁夫さんの色紙とともに
私の色紙もある。

白い猫が床の上を這っているのを
見ていたら、いつの間にか
植田工が抱いていた。

この春に芸大を出て、就職した植田。

元気そうだった。猫がのどを鳴らした。

根津界隈にも、かつての私の
分身が漂っていた。

猫はいぶかしげだった。

8月 21, 2007 at 07:43 午前 | | コメント (5) | トラックバック (4)

2007/08/20

人生の神様

白洲信哉さんと、
日枝神社の本殿前で会った。

「子どもの頃赤坂に住んでいたのでね。
ここは、ボクの鎮守の森なんですよ」
と白洲さん。

撮影してくださったのは、
長年白洲正子さんとともに
紀行して写真を撮り続けて
きた野中昭夫さん。

「白洲さんと付き合ううちに野中さんは
すっかり酒呑みになってしまった」
と家庭画報の押鐘裕子さん。
ここでの「白洲さん」というのは
信哉のことである。

押鐘さんから、注文が飛ぶ。
「もっと背筋をのばしてください」
と白洲氏に。
そのあと野中さんから
「かたまらないでください」
と注文。

「背筋をのばすとかたまるのは
仕方がないことである」
と異議を唱える信哉氏。

押鐘さんがすかさず
「自称、白洲次郎よりもカッコいい
男なんですから、お願いしますよ」
と突っ込む。

これは聞き捨てならぬ。
あの「日本一カッコいい男」
白洲次郎よりもさらに
カッコいいというのか。


日枝神社で白洲信哉氏と。野中昭夫氏撮影
(This photo by Atsushi Sasaki)

Wakiyaに場所を移して
真相をただす。

「いやあね、あなたのおじいちゃんは
カッコいいですねと会う人が
みんな言うもんだから、イヤになって」
と信哉氏。

「そうだ、真実であるかどうかは
重要ではない。言い切ることが
大切なのだ。」
と援軍を出すと、野中氏が、
「やっぱりおじいちゃんの方がカッコいい」
とばっさり。

「しかし、両方を知る者にとっては、
やはり、時々似ていることが
ありますよ」
野中氏の感慨。

事実においてどうか
ということよりも、これからの
精進であろう。

白洲信哉よ、日本一カッコいい男に
なってバサラを貫徹しておくれ。

本題は「日本の神様」のことであった。
信哉氏が「家庭画報」に連載して
いたシリーズが本になるのである。

10月刊とのこと。
私も一文を寄せさせていただく予定でいる。

出会うか出会わないか。
言葉にできるものできないもの。
生命原理。
歴史の横糸と縦糸。

話し始めるともう
止まらない。


帰り際に、なぜかHeinrich Böll
のMein Onkel Fredという話を
思い出す。

第二次大戦が終わり、復員してきた
フレッドおじさんに家族は皆
期待するが、おじさんは
ソファに寝転がって何もしない。

ところが、ある日おじさんは花を
買ってきて家の気分が変わる。

それから、おじさんはおもむろに
事業を始めて、大成功するのである。

ソファに寝転がって何も
せずにごろごろしている時間。

その時のフレッドおじさんがゆかしく
思えたのは何故だろう。

誰だって、胸の中にはフレッドおじさんが
一人住んでいる。

信哉さんは、子どもの頃夏祭りにいって
ひよこを買い、家にもって帰ったら
飼えないから返して来いと言われた
そうである。

ソファに寝転がったり、
花を買ったり。
ひよこを求めたり。

そんなことの中に、人生の神様は
ひょっこりと顔を出す。

8月 20, 2007 at 07:44 午前 | | コメント (10) | トラックバック (2)

2007/08/19

Janice Tay's article in the Straights Times

Janice Tay's article in the Straights Times

The Qualia Journal
19th August 2007

http://qualiajournal.blogspot.com/ 

8月 19, 2007 at 11:17 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

Power of logic

Power of logic

The Qualia Journal
19th August 2007

http://qualiajournal.blogspot.com/ 

8月 19, 2007 at 10:51 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

お腹ツンツン

Comedy

田森佳秀 
「フランクフルト空港 お腹ツンツン事件」
を語る。
(2007年7月17日 ザルツブルクの
Zipfer Bierhausにて)

音声ファイル(MP4, 3.4MB, 22分)

以下、
クオリア日記 2007年7月18日 
「ひとさし指でツンツン」より。

________

田森は、なぜか普通の人ならば巻き込まれない
ようなトラブルに遭遇するという
類い希なる才能を持っている。

「最近はなかったのか?」
と聞いていると、案の定、
面白い話が飛び出した。

乗り換えをした
フランクフルト空港でのこと。

以下は田森クンによる、何が起こったかの
証言。

「オレ、身体検査の時は、ベルトも
全部外すんだよ」
「ベルトで鳴ることもあるから、念のために
外すんだ」
「そうしたら、係官が、『それも外せ』
とか言うんだ」
「何もない、と言ったんだけれども、『そこに
何かあるだろう』とか言うんだ」
「それから、係官は、オレのお腹を、棒の
ようなものでつついたんだ。」
「こいつ何するんだ、と思っていたら、
手を持ち替えて、今度はひとさし指で
つつくんだ」
「おなかをひとさし指でつついてから、
そいつは、『これは違う』っていった。」
「『これは違う』って言って、やっと
納得した」

「不意打ちだったから、腹筋に力を
入れる余裕がなかった」
「いやあ、まさに気にしていたんだよ。
機内食、今回は食べないつもりでいたん
だけれども、眠っていて、ふと目が
覚めたら目の前にボン! と置かれていたんで、
ついつい食べてしまったんだよ。」
「普通さ、メタル・ディテクターに
引っかかってから調べるじゃん。そうじゃ
なくて、ゲートを通る前に、オレの
腹を見て、『ものを
ここに置いていけ』という感じで、
言いやがったんだ。」
「オレはちゃんと主張したよ。
ゼア・イズ・ナッシングって。」
「それでも、あいつは納得しなかったんだ。」
「ゼア・イズ・ナッシングが悪かったのかな。
何か隠していると思ったのかな。」
「ぴたりとした、緑のTシャツだったから
いけなかったのかな。」
「機内食を腹に入れて、座っているうちに
段差ができたんだ。」
「いやだなあ、と飛行機の中で思っていたんだ。」
「すごく気にはしていたんだけどね。
これはいかんなあ、と思って。」
「背の高い、マジメそうなドイツ人の係官
だった。」
「なんか、あのマジメさがイヤだな」

ボクは田森の話を聞きながら
大笑いしてしまって、
あまりの爆笑の発作に
もう死ぬかと思った。
________

8月 19, 2007 at 09:48 午前 | | コメント (3) | トラックバック (2)

慣れ親しんだものだけではなく

先日、NHK出版の
オオバタンと
渋谷の街を歩きながら話したこと。

夏は歴史をふり返りたくなる
季節である。

日本の国のあり方について、
いろいろな意見がある。

食料自給率40%、
エネルギー自給率5%の国は、
どんなに威勢の良いことを言っても
所詮は空論である。

世界の国々と仲良く暮らしていく
以外に、日本の生きる道はない。

自給率だけを見ても
わかること。

それをカモン・センスと呼ぶ。

フジテレビで
『ベストハウス1、2、3』
の収録。

アンタッチャブルの山崎弘成さんが
笑いのツボにはまって、
YOUさんがずっと笑いっぱなしだった。

YOUさんが、「本を読んでいます」と
いうので、「どれですか?」
と聞いたら、
「サンタクロースのやつ」
とのこと。

梅宮辰夫さんがいらした。
『仁義なき戦い』での若いヤクザ役や
『前略おふくろ様』
の板前役の演技が鮮明に甦る。

涼しくなったので、
夜、40分くらいの道を
歩いてみた。

できるだけ遠くのものと、
つながっていきたいと
思う。

自分が慣れ親しんだもの
だけではなく、
思わぬ異文化や異領域と
結びついていたい。

夜歩くのは自我に入り込んでくる
様々なものを整理し、
スノウドームの雪が降り積むように、
落ち着かせるのに適した
エキササイズである。

たくさんの雪が降った。
白いのや、赤いのや、暗緑色のや。

ジャングルにいたと思ったら、
もう都会の中で屈折光線になっている。

偶有性の海を泳ぎながら、
まだ見ぬ何かの前触れを抱いている。

8月 19, 2007 at 09:17 午前 | | コメント (7) | トラックバック (3)

2007/08/18

北風と太陽

NHK出版のビルに入っていったら、
オオバタンこと大場旦が、
「どうぞどうぞこちらへ」
と導いた。
 
編集部の一角の机。
なにがしかの原稿を書けというのである。
一向に進まないので
しびれを切らして
オオバタンが編みだした最凶の
手段。

座ると、オオバタンは机の上のライトを
灯してこちらに向け、にやりと
笑った。
 
「ここは取り調べ室だ!」

私の脳の中で、ジグソーパズルが
かちりとはまった。


NHK出版内の「取調室」でニヤリと笑う大場旦

「カツ丼」のかわりに、
オオバタンはスターバックスのラテを
くれた。
「故郷のお母さんが泣いているぞ」
とは言わずに、
「刊行スケジュールはこうなっているんですから、
この頃までに入稿しないと大変なことに
なるのです」
とドスの利いた言葉で脅された。

私は、こうなったら仕方が
ないと、文化性や歴史性についての
思考に沈潜した。

オオバタンの追及を何とか振り切ると、
そこには小林玉樹さんのやさしい笑顔が
あった。

小林さんは、NHK出版で、
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の本を担当されている。

オオバタンの最凶の気配
と打って変わった、小春日和の
人なのである。
オオバタンと小林さんが並んで
座るのを見ると、
かの「北風と太陽」という寓話を
思い出すのは、私だけだろうか。


北風と太陽。大場旦(左)と小林玉樹さん(右)

日経サイエンス編集部で、
地球科学がご専門の
川上紳一さんと対談。

川上先生は、名古屋大学で地震や
火山、惑星形成、衝突などの研究をされた後、
現在、岐阜大学に研究室を
持ち、「縞々学」などユニークなアプローチ
で地球の歴史を解明する研究を続けられている。

お話をうかがっていて、地球科学は
detective workのような
ものだと思った。

岩石という確固とした証拠はある。
ただ、それをどのように解釈し、
地球の歴史という物語を
組み立てるかという点においては、
多くの自由度がある。
想像の余地がある。

トーマス・クーンの言う科学
革命における「パラダイム」の変化
というモデルにぴったりと当てはまるのが
地球科学であるというのが一つの
発見であった。

ヴェゲナーによる大陸移動説、
プレート・テクトニクス理論、
小惑星の衝突による気候の激変と恐竜の絶滅。
スノウボール・アース(全球凍結)。

新しい「見方」が提示される度に、
それまで積み上げられてきた知見が
覆され、
岩石という同じhard evidenceが
全く異なる枠組みの下に再解釈される。

川上さんに、地球温暖化について
どのように思うかうかがった。

過去に現在と全く同じ温度上昇が
起こったことがあるのだと、川上さん。
ヨーロッパとグリーンランドが
分離した時、海底からメタンハイドレートが
噴出して、気温が上昇した。

現在の森林限界よりもはるか北まで
森林が広がった。

全球凍結の後の温度上昇は、100℃という
大幅なものだった。

どんな変化が起こっても、生物界
全体としては適応するだろう、
と川上さん。

問題は、人間がその文明のスケールに
おいて適応が可能かどうかという
ことである。

地球科学は実に面白い。
川上さんの話をもっと聞いてみたい。

対談の様子は、「日経サイエンス」

http://www.nikkei-bookdirect.com/science/index.php 

に掲載されます。

電通で、セカンド・ライフの事業展開
に詳しい粟飯原健さんと
ブレスト。
もちろん佐々木厚部長も同席。

粟飯原健さんは大変シャープな方。
UCSFに留学して、MBAをとられ、
今は電通のベンチャーキャピタルの
運営に当たられている。

いろいろと実質的な議論をする。
充実した時間であった。

銀座の中にある「竹富島」。

佐々木厚さんの大学ゼミの後輩で、
放送作家の富樫香織さんが乱入。

「一本の番組の台本を書くのに本を
50冊読む」という富樫さん。

気の置けない仲間との楽しい会話。

久しぶりに寛いだ。

8月 18, 2007 at 11:14 午前 | | コメント (6) | トラックバック (2)

2007/08/17

ひらめき脳 22刷

新潮新書 『ひらめき脳』は増刷(22刷、累計105000部)
となりました。

ご愛読に感謝いたします。

新潮社の金寿煥さん、北本壮さん、アリガトウ!


8月 17, 2007 at 07:00 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

グランド・サイクル

熱帯への興味は、子どもの頃からである。

 中学生の時には、タイム・ライフ社が
出していた世界の自然シリーズのうち、
第一巻の「アマゾン」だけが欲しくて
たまらず、講読の申込みをして
「アマゾン」の巻が来たら「ごめんなさい」
と継続断りの手紙を書いた。

 大学の頃、熱病につかれたように
なって、アマゾンのキボウシインコを
手に入れた。
 ランを育てた。
 そのうち、近所のペットショップで
寒さに震えているのが可哀想で
分けてもらってキボウシインコが
二羽に増えた。
 
 部屋の天井に、ツタの葉をからませて
ジャングルのようにした。
 母親は呆れていた。

 一匹目のキボウシインコは、「ボーボー」
と呼んでとてもかわいがっていたのだが、
ボーボーは英国留学中に死んだ。
 私の誕生日だった。
 「パーポー」はそれから
数年生きた。
 
 ボーボーを眺めているうちに
何だかむずむずしてきて、
 熱帯を舞台にした幻想観念小説を
書いたこともある。

 隙あらばジャングルに行こうと
画策していたが、
 実現したことは少ない。

 熱帯地域には数度赴いたが、
 本格的な熱帯雨林を見たのは、
1994年にアマゾンのマナウスに
行った時で、それ以来13年が経った。

 その間、どうも、
いわゆる「先進国」ばかりに
行きすぎた気がする。

 ボルネオの熱帯雨林を見て、
自分の直観は巡り巡って
グランド・サイクルを描きつつあるのかも
しれないと思い始めた。

 私は子どもの頃昆虫少年だった。
そのあと、アインシュタインにかぶれて
物理少年になり、青年になり、
 それから脳を始めた。

 クオリアについて最初に構想した
ことは、どちらかと言えば「結晶化の
原理」であったが、
 ここ数年「偶有性」(contingency)
が私の心の大きな場所を占めるように
なってきた。

 あれはいつのことだったのだろう。
 「偶有性の自然誌」
(Natural history of contingency)
という言葉が街を歩いていてふと
浮かんだ時、自然の中の多様性と、
進化と、学習と、心脳問題を
結びつける道筋が幽かに見えたように
思う。

 ボルネオのジャングルで、
サイチョウや、オランウータンや、
テングザルや、出会うたびに斑紋が異なる
蝶を見ながら、
 私はおそらく進化と意識を
結びつける方法を懸命に
探していた。 

 努力すべき方向が、日本の
日常を離れることで見えた。

 具体的な事実で押さえた
ことは沢山あるが、
 まずは、自分の観念的なスタンスが
固まったことを、とても
うれしく思う。

 熱帯雨林は、一つの「文化」
である。

 誕生してから一億年近く。
世界でも最も古い熱帯雨林に蓄積されて
きた文化は、複雑で、奥深く、
そして何よりも成熟している。

 いつもの簡易型デジカメではなくて、
α100を初めて使ってみた。

 距離に応じてレンズを替えて
写真を撮るなどということは、
生まれて初めてだった。

 幾つかのうるわしいイメージが
残った。
 つたないが、私の心が確かに
動いた瞬間の記録である。


トンボ。タビン野生生物保護区にて。


蝶。タビン野生生物保護区にて。


水辺のトンボ。タビン野生生物保護区にて。


ジャングルのはるか上空を飛ぶサイチョウ。
タビン野生生物保護区にて。


茂みの中の鳥。タビン野生生物保護区にて。


カニクイザル。Menaggol Riverにて。


カワセミが着水した瞬間。Menanggol Riverにて。


夕暮れにたたずむサイチョウ。Menanggol Riverにて。


木の上で休むトカゲ。Menanggol Riverにて。



たたずむテングザル。Menanggol Riverにて。


テングザルのジャンプ。Menanggol Riverにて。

8月 17, 2007 at 06:37 午前 | | コメント (19) | トラックバック (3)

2007/08/13

ボルネオ

8月16日(木)19時頃
まで、ボルネオへの取材旅行の
ため日本を留守にいたします。

この間、インターネットも使えない
可能性があります。

よろしくお願いいたします。

茂木健一郎

8月 13, 2007 at 10:00 午前 | | コメント (8) | トラックバック (4)

2007/08/12

おおきな愛は

上田紀行さんとは、
今までどこかで出会っていても
良さそうなのに、
実は初めてであった。

長野駅でお会いした時、
「おおきな人だなあ」
と思った。
それから、「強い人だなあ」
と思った。

そのおおきさや強さが、
ご自身の苦しい体験を
乗り越えられたことから
来ていることが、お話
していうちに伝わってきた。

上田さんの著書『生きる意味』では、
現代人が「自分のかけがえのなさ」
を感じられなくなってきていることが
痛みをもって論じられている。

全てが代替可能となり、
人間がシステムを支える部品と
なってしまう。

そんな現代の趨勢を怒りを
もって描く上田さんの姿勢に
共感する。

「怒り」は、上田さんとダライ・ラマとの
対談を収めた『目覚めよ仏教!ーダライ・ラマ
との対話』でも重要なモティーフになっている。

「愛」に支えられて、現状に対する
違和感を抱き、あるべき姿に向かって
力を尽くすならば、怒りはこの世に
対する福音となる。

須坂市メセナホールでの対談は、
あっという間に過ぎていった。

暗闇の中で、確かなものを
探り当てようとする。

精神の奥底を「深掘り」
する時間が、現代からはいかに
失われてしまっていること
だろう。

井戸の底に降りていかないと
見えないものもあるというのに。


須坂市メセナホールの控え室にて。

佐々木厚さんは、そのままセーラ・マリ・
カミングスさんに会いに小布施へ。

帰りの新幹線は、上田さん、
岩波書店の高村幸治さんと三人で
ビールを飲んで大いに語り合った。

楽しかった。
また上田さんにお目にかかりたい。

養老孟司さんによる河合隼雄さんの
追悼文(『新潮』2007年9月号)
についての、梅田望夫さんのブログを
読む。

http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070811 

おおきな愛は時に「世間」という器から
こぼれ出す。

その哀しみと喜びを知る人に幸いあれ。

8月 12, 2007 at 06:14 午前 | | コメント (3) | トラックバック (8)

2007/08/11

信州岩波講座

信州岩波講座

2007年8月11日
14:00〜17:00
須坂市メセナホール

科学と宗教の対話
上田紀行 × 茂木健一郎


http://www.info-g.co.jp/iwanami/ 

8月 11, 2007 at 08:57 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

風に吹かれたら

午前中、財務省の研修会で
「判断」についてお話しする。

財務総合政策研究所所長の石井道遠さん
財務総合政策研究所次長の金森俊樹さん、
大臣官房地方課長の山崎康史さん
に目にかかる。

最近事務次官に就任された
津田広喜さんも会場内に
いらしたとのこと。

事務次官にあたるのはイギリスでは
permanent secretaryという。
これはイギリスのコメディ 
Yes Ministerからの知識である。

講演中、羽生善治さんの話を
したら、笑い声が上がる。

後でうかがったら、私の後に
羽生さんが講演される予定なのだという。

羽生さんとは、なぜかニヤミス
することが多い。

早稲田大学国際教養学部へ。

授業前、
遺伝子と認知プロセスの関係を
研究されている東玲奈さんに
短い時間だがお目にかかり、ご挨拶する。

今年度の集中講義として
最後の授業。
現代社会における人々の
共同作業についてエッセイを書いて
もらう。

いやあ、英語で授業をするのは、
本当に面白かったよ!
学生諸君といろいろ話すのも、
実に楽しかった。

また会おう。

研究所へ。
ゼミ。
石川哲朗、私、小俣圭が
論文紹介担当。

石川の紹介したのは、認知的課題解決が
容易には一般化しないし、記憶としても
定着しないことを論じたもので、視覚的
一発学習とは明らかに異なる。

私は前頭葉による感情記憶抑圧が
二段階あるということを論じた論文。

小俣は脳の中の回路の
スモール・ワールド・ネットワーク性
についてのレビューをした。
立派なレビューでした。


ゼミ風景。左から箆伊智充、柳川透、関根崇泰

社会経済生産性本部の磯祐二さんが
ゼミに見学に来られて、
その後の「あさり」での飲み会にも
参加した。

あさりの店内は夏の気配に満ちていた。
盛りがきたようである。

テレビで見たけれども、
朝青龍がモンゴルで
サッカーをしている様子は、
心から楽しそうだった。

モンゴル相撲(ブフ)は、
土俵がなく、身体が
地面に着いたら負けである。

組み合っている間に、
どんどん移動して行って、
地平線の向こうに消えてしまう。
そんなこともあるんじゃないか!

どこまでも続く、モンゴルの草原。
境界や制限などない。
そういうところで育った
人の感性はきっと違う。

大草原の中に立って風に吹かれたら、
いろいろなことが飛んでいって
しまいそうだ。

8月 11, 2007 at 08:37 午前 | | コメント (4) | トラックバック (2)

2007/08/10

尾崎豊がいた夏

プレミアム10 尾崎豊がいた夏〜知られざる19歳の素顔
〜伝説の大阪球場ライブ▽茂木健一郎が尾崎の魅力に迫る

NHK総合2007年8月10日(金)
22:00〜23:00

番組表 

http://www3.nhk.or.jp/hensei/program/p/20070810/001/21-2200.html 

この番組は、尾崎豊さんを
デビュー以来ずっと追ってきた
佐藤輝さんが制作された。

取材中、佐藤さんにそそのかされて
思わず「十五の夜」を歌ってしまった経緯
などは、

2007年7月10日のクオリア日記 

にある通り。

果たしてどんな仕上がり
になっているのか。

ソニー広報の滝沢富美夫さんから
次のように教えていただいた。

ドキドキしながらも楽しみである。

ーーーーーーー

尾崎番組一足先に拝見しました。
上田早苗アナのナレと茂木さんのコメント、
尾崎の歌と映像で構成さていて、
カッコいいですよ!

ところどころ茂木さんのコメントが尾崎の映像をかぶすのですが、
これがまた内容と映像の合わせが良いです。
特にしびれるのは、茂木さんが彼の弱さと人間の弱さ
をオーバーラップさせて語りながら、尾崎の楽曲・卒業に
持っていく部分でした。

(茂木インタビュー&尾崎コンサートでもがいているような映像)
だれにでも弱さはあるんですよ。
その弱さとどう向き合っていくかとうことが
人間にとっての課題なんですね。
尾崎さんは、その答えをを模索しているうちに
人生終わってしまったわけですけどね、
本当はもっと長生きして、尾崎さんが自分の弱さというものと
向き合ってそれをどう克服していくか、見たかったきもしますけど、
でもそれは我々一人ひとりが自分の中で
自分の弱さを見つめて、それを克服するなかで
見つけるものかもしれまないですね。

(尾崎ピアノに座り卒業を歌う)
校舎の影 芝生の上 すいこまれる空♪
幻とリアルな気持ち 感じていた♪

ーーーーーー


収録の日、佐藤輝さんと。

8月 10, 2007 at 07:28 午前 | | コメント (19) | トラックバック (4)

夢は現実を照らし出し

世界遺産にも指定されている
比叡山延暦寺で
滋賀県の嘉田由紀子知事に
お目にかかった。

嘉田さんは、琵琶湖の水問題の
専門家で、京都大学から博士号を
受けておられる。

琵琶湖博物館の立ち上げや運営にかかわり、
京都精華大学で教鞭をとられた後、
前回の選挙に出馬して当選された。

琵琶湖水系が育んできた
生き方の美しさ、幸福のかたちは、
以前黛まどかさんがされている
「ええじゃないか」で高島市を
訪れた時に私の中に
初めて深く浸透してきた。

家の中に伏流水が引かれ、そこを
鯉が泳いで残飯を食べてくれる
川端(かばた)のことも、
その時知った。

嘉田さんは、水辺で生きものに触れる
喜びについて科学的、及び文化的視点から
考察され、その中で「自然水系と同じくらい
人工水系が大事である」という
大切な指摘をされる。

経験に照らしても、納得できる。

最近、東京の私の自宅の近くの
公園にビオトープができた。

幅5メートル、長さ15メートル
くらいの小さな溜め水であるが、
あっという間にメダカが泳ぎ、
アメンボが波紋を描き、
トンボが飛び交うやすらぎの場に
なっている。

「バケツ一杯の水があれば、トンボは
そこにやってきます」と嘉田さん。

県域の約6分の1を琵琶湖が占め、
水路や水田などの人工水系が張り巡らされた
滋賀県は、水と人が親しむ、
新しい幸せのあり方を提案する
条件が整っているのではないか。

滋賀県の琵琶湖水系は、
里山の景観とも相まって、
日本の国土の豊かさを象徴するような
場所だと思う。

嘉田知事とお話したのは、
国の重要文化財に指定されている
常行堂。


比叡山 延暦寺 常行堂にて。嘉田由紀子滋賀県知事と。

となりの法華堂と廊下でつながれ、
弁慶が肩で担いだという
伝説に因んで「にない堂」とも
呼ばれる。

延暦寺の小鴨覚俊さんにお話をうかがう。

常行堂では、修業として、本尊である
阿弥陀如来の周囲を90日間巡り続ける
修業が行われる。

「昼も夜もありません。24時間巡り続けます。
食事の時は、座ります。倒れてしまえば、それまで
です」
と小鴨さん。

侍真僧について伺った。
十二年間、法華堂から出ずに、
伝教大師(最澄)に仕える。

侍真僧になるには、特別な
修業をして、仏の姿を
見なければならないのだという。

果たして仏の姿を見たかどうかは、
現侍真僧が面接して判定する。

話を聞いて、「それは幻覚だ」
とされてしまうのではなく、
本当に仏の姿を見たと認定
されると、初めて侍真僧に
なることができるのだという。

「おいしいものを食べて、
いくらこうだったと言っても
伝わらないでしょう。それと同じで、
仏の姿を見ると言っても、それが
どんなものか、実際に経験した
者でないとわかりませんわ」
と小鴨さん。

私の心の中に
なにものかが響いてくる。


常行堂の中の小鴨覚俊さん。


茂木健一郎、小鴨覚俊さん、嘉田由紀子さん

今回、嘉田知事との対談を
アレンジくださったのは、
滋賀県広報課の佐竹吉雄さんと
小林由季さん。

広報誌へのとりまとめは、
高速オフセット社の大橋祥司さん。

高速オフセット社は毎日新聞社屋
内にあり、大量の印刷物を高速に
印刷するノウハウを生かして
広報誌など、大量印刷物の制作を
行うのだという。

大橋さんは、かつては映画青年で、
黒澤明監督と脚本を書いた
小国英雄さんに師事していた。

毎日新聞では、学芸部で
映画評などを担当されていたという。

小林秀雄の講演を聞くのも大変
好きなのだという。

京都駅への車の中で、
大橋さんに依頼され、
映画に対する愛やもろもろのことをを
うかがいながら
描いていたら、こんな色紙になった。


大橋祥司さん

「夢は現実を照らし出し
その影に我は住まう」

帰りの新幹線はうとうとした。
現代の技術の粋の中に、夢が
現れた。

嘉田知事は毎日ブログを書かれている。
その文章からもお人柄が伝わってくる。

http://www.pref.shiga.jp/chiji/nikki/index.html

アフリカの水系調査にも長年行かれている
嘉田さんに、「最初に行くならば
マラウィ湖がいいですよ」とお勧めいただいた。

人々は丸木船をくりぬいて、湖と向き合い
暮らしているのだという。

私の夢の材料がまた一つ増えた。

8月 10, 2007 at 07:13 午前 | | コメント (6) | トラックバック (3)

2007/08/09

My fondest memories of Japan America Student Conference

My fondest memories of Japan America Student Conference

Lecture Records

茂木健一郎
My fondest memories of Japan America Student Conference.

日米学生会議秋田フォーラム
2007年8月8日 秋田ビューホテル

音声ファイル(MP3, 41.8MB, 45分)

8月 9, 2007 at 06:29 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

映し合う

日米学生会議
(Japan America Student Conference)
というのは、1934年に始まり、
戦争による中断を挟んで今日まで
続いている学生主体の会議。

今年で59回目。毎年、交互に
アメリカないしは日本で開催され、
日米の学生が約1ヶ月間、
各所を回りながら経験し、討論を
重ね、相互理解を深め合っていく。

宮澤喜一さんや、ヘンリー・キッシンジャーも
かつて参加した。

私は第38回に参加した。
アメリカに行く回で、シカゴや
ミシガン、ボストン、ニューヨークを
回った。

本当に強度の高い経験で、
さざざまな忘れられない想い出がある。

最初の夜に、アメリカ側の
参加者たちが、「I am a typical American」
という劇をやった。

それぞれの祖先がどこからやってきたかを
喋ってから、最後にI am a typical American
(私は典型的なアメリカ人です)
と付け加えるのである。

私の祖母はイタリアから、祖父はイギリスから
来ました。ニューヨークで会って恋に落ちました。
私は典型的なアメリカ人です。

私の両親はロシアから移民してきて、
カリフォルニアに住んでいます。
私は典型的なアメリカ人です。

私の祖先はアフリカから来ました。私は
典型的なアメリカ人です。

様々なバックグランドの人たちが
いて、それぞれが「典型的なアメリカ人」
である。

 素晴らしい演し物だった。
 アメリカ側の学生たちは、
各地に散らばっていて、
 出会ってから一日くらいしか
経っていない。

 それで即興で劇を作り上げる。
瞬発力に感銘を受けた。

 ミシガンでファーム・ステイした時は、
毎日食事はポークとポテトとコーンだった。
 夏の盛りで、フェアーが来て、
メリーゴーラウンドとかそういう
ものがどこまでも広がる麦畑の中に
ぱっと現れ、夢のように消えた。

 とても宗教的な人々。
 海辺に二組の足跡がある。
 「もう一人は誰ですか」と聞くと、
神が、「私がお前と一緒に歩いたんだよ」
と答える。
 「なぜここは一組しかないのですか」
と聞くと、神が、「私がお前を運んで
歩いたんだよ」と答える。

 そんなカレンダーをくれた。
 心の優しいひとたち。

 シカゴで突然大雨に降られて、
アレックスたちとびしょ濡れになって
大笑いしたこと。

 ニューヨークのアムネスティ・
インターナショナル本部を訪問して、
「手紙を書くこと」が良心の囚人の
待遇を劇的に変えることができる
ことを学んだこと。

素敵な想い出がある。
私は22歳だった。

第59回の会議は日本各所を回りながら
開催中だが、その実行委員長の
川口耕一朗くんから、
秋田フォーラムに来てくれないかと
お誘いを受けた。

日米学生会議からの依頼ならば、
ぜひとも受けなければならない。

秋田駅前の秋田ビューホテル。

会場にいる日米の参加者に声を
かけて、談笑した。

どれだけ準備が大変か、経験者
としてよく知っている。
自分たちで全部やる。
企業を回って、寄付をお願いすることとか、
各所のイベントの準備、関係者との
折衝とか。

だから、ボクは、参加者たちに、
偉い、がんばれ、楽しめよ、
身体には気をつけろよ、と言いたい。


第59回日米学生会議の参加者たち

明石康元国連事務次長のお話を
うかがう。

英語で、国際情勢などを
大所高所から見た素晴らしい講演。


講演する明石康元国連事務次長

川口クンからは、秋田の高校生など
地元の人も多いし、同時通訳も入っているから
日本語でと言われていたが、
ボクもどうせだったら英語漫談を
やりたいと思った。

それで、日米学生会議の
思い出と、日米関係についての
思いを40分くらい喋った。

いやあ諸君、楽しかったであるゾ。

秋田で日本とアメリカの学生が
出会い、高校生がたくさんきて、
出会って、共鳴して。

こういうことは掛け替えがない。
他者とは出会うべきだ。
映し合うべきだ。

8月 9, 2007 at 06:24 午前 | | コメント (7) | トラックバック (4)

2007/08/08

二つの世界の間で

早稲田大学国際教養学部での
授業。

終わった後、内田亮子教授が
来て、立ち話。

「茂木さん、英語で授業ですよ、
と言えば受けると思った」
と内田さんが言っていたように、
確かに、英語で授業をするのが
面白いから国際教養学部で
授業をするという話に乗った。

三年前、立ち上げの年は毎週水曜日に
やっていたけれども、
去年からは集中でやっている。

ボクは自分の英語を商品のレベル
まで高めたいという
気持ちをもっている。
それはなかなかに難しいことである。

英検1級とか、国連英検特A級とか、
TOEFL何点とか、TOEIC何点とか、
そういったレベルの話じゃなくて、
英語を書いたり喋ったりするのが
商品のレベルになるのは
ネイティヴにとっても困難な
道だろう。

考えてみれば当たり前で、
日本語ネイティヴの人だって、
落語家になれば
尽きることのない精進の道がある。

ボクには
英語で表現したいことがあるのだ。

その時の対象は、別にイギリスや
アメリカの人たちとは限らない。
知らない国にいる知らない人たちと
結びつきたい。

でも、国際教養の学生と授業の
後話していたら、
留学生はのぞいて、学生たちは
日本育ちで、
日本語で授業をしてもらった
方がラクなのだそうだ。
あらら。

unsupervised learningというのの説明を、
日本語でやってもらった方が
ラクでした、と言われた。
ここは瘦せ我慢が大事であろう。

昼食に入った寿司屋で、
隣りの二人が熱く国際政治哲学を
論じていた。

学生たちよ、
ああいう濃い日本語の世界の
「早稲田魂」のようなものも
同時に楽しんで、
英語の世界も大いに堪能すると良い。

あの、なんとも言えないグルーヴ感は、
逆に英語圏にはないからねえ。
演歌の世界だよ、演歌。

二つの世界の間で引き裂かれなければ
だめだ。

クオリアと物質のように。

「サラリーマンNEO」
で住吉美紀さん(すみきち)が
「女子アナコント」に挑戦していて、
『プロフェッショナル』の
宣伝をしつつ見事に演じていた。

偉いぞ、すみきち!

暑いが朝は暇があれば走っている。

途中にあるビオトープでトンボが
びゅんびゅん飛んでいるのを
見るのが好きになった。

生命が横溢する。そんな盛夏。

8月 8, 2007 at 06:59 午前 | | コメント (9) | トラックバック (5)

2007/08/07

金沢アートトーク

Lecture Records

金沢アートトーク

2007年8月5日
puddle/social(金沢市片町2-10-42 RENN bldg.B1F)

秋元雄史、茂木健一郎 × 
山本 基、辻 和美、伊能 一三、上出 惠悟

Part I

山本 基
辻 和美 

音声ファイル(MP3, 48.1MB, 52分)

Part II

伊能 一三
上出 惠悟
+桑原茂一
質疑応答

音声ファイル(MP3, 77.7MB, 84分)


8月 7, 2007 at 06:58 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

アインシュタインLOVE

金沢から、電通の佐々木厚さんと
大阪へ。

 自動車関係の会で
お話して、
 それから東京に戻った。

 東京に戻る新幹線の中で、佐々木さんと
いろいろ話した。
 「茂木さんは、会社のロジックがわかる。
それが不思議なのです」
と佐々木さん。

 ボクは、佐々木さんのことを
「ブチョー」「ブチョー」
と呼ぶ。

世の「部長」という一般名詞に対して、
『佐々木部長』は、もはや固有名詞である。
キャラクターとして売り出す、
あるいは、商標登録したらどうかしら。

 大阪の大丸で白シャツを買ったら、
アインシュタインのポスターがあった。

 「アインシュタインLOVE」という
展覧会。
 
 こんな展覧会をやっている
なんて、知らなかった。

http://www.einsteinlove.jp/index.html 

アインシュタインに関する数々の貴重な
資料を所蔵しているヘブライ大学
公認のイベント。

アインシュタインの高校の時の成績表や、
フロイトなどの著名人への手紙、
特殊相対性理論の手書き草稿、
ノーベル賞のメダルと賞状など、
貴重な資料ばかりが並んでいる。

こんなに素晴らしい内容ならば、
当然東京でもやるのだろうと
思ったが、ホームページを
見ても、他にどこでやるのか
よくわからない。

もったいないと思う。

ボクは小学生の時にアインシュタインの
伝記を読んで、将来は物理学者になると
決めた。

「同時である」ということは
どういうことか。
この基本的な疑問から出発して
ローレンツ変換を自然な帰結として
導き出したそのセンスは、
今でも思えば感動を抱かずには
いられない。

私たちの世界観の中で、
暗黙の前提となっていることを
問い直すことで革命を起こす。

そのような知的営みが
人類最高のものだと思うし、
心脳問題も似たような道筋で
解かれるのだと思う。
そもそも解かれるものであれば。

セミが懸命に鳴いている。
みんみんみんというその声が
刻む時間は、
雪がしんしんと降って
積もる時間と
同じ時間なのだろうか。
主観の謎は、ミンミンと鳴くセミの
声にもまた宿る。 

8月 7, 2007 at 06:42 午前 | | コメント (7) | トラックバック (6)

2007/08/06

『感動する脳』7刷

『感動する脳』7刷

茂木健一郎
『感動する脳』
(PHP研究所)
は増刷(7刷、累計26000部)
となりました。
ご愛読に感謝いたします。

amazon 


8月 6, 2007 at 02:04 午後 | | コメント (0) | トラックバック (1)

魂の周辺視野

富山から金沢への列車の旅は
短いがそれゆえに
車窓の風景が心地よくまた
ゆかしく。

現代アートはあらゆる表現
行為の中でもっとも自由で、しかし
だからこそ難しく、苦しく
やりがいがある。

気づいてみると、ここの
ところしばらくアートの中に浸る
ことがなかった。

その日が来た。

金沢駅で、21世紀美術館の
秋元雄史館長、新潮社の大久保信久さん、
桑原茂一さん、吉村栄一さんと
合流。

ずっと行きたい場所であった。
車で行くと、思いもかけぬ
市の中心部に21世紀美術館は
あった。

入り口で、作品を制作中の
日比野克彦さんに遭遇する!

日比野さんが段ボールを
マテリアルとして選んだのには、
運命的符合があるんじゃないかなあ。

いつ会っても、段ボールのように芯が
強く、軽やかで、そして温かいのだ。


日比野克彦さんと秋元雄史館長。


日比野克彦さんと。
(photo by Atsushi Sasaki)

アサガオで包まれた建物に入る。

中央に、レアンドロのプールが
あり、上からのぞくと、プールの
中を人が歩いているように
見える。

芸術的高みを目指すことと、
子どもでも楽しめるような空間作り。
この難しい命題の両立に、
21世紀美術館はとりくんでいる。

アニッシュ・カプーアは
ボクが大好きな作家。

斜面に大きく一つ黒いだ円を
描いたカプーアの作品のある部屋で
ながめていると、
様々な視覚、心理現象が生じた。

やっぱりこの人は大した人だと
感心していると、子どもが
数人、部屋に入ってきて、
中の様子をのぞくと、うひゃあ
という感じであっという間に去って
いった。

この感覚は覚えがある。
小学生低学年の頃、
近くの高校の文化祭に行った。

お化け屋敷があり、好奇心に
かられてのぞき込むと、
暗いなかでなんかアッサリとした
ものが動いている。

なんだ、と一瞬で逃げ出す。
あの時の、いかにも子どもらしい
相手の苦労とかそういうものを
一切顧慮しない爽やかな見切り。

それと同じものをカプーアの
部屋の入り口で引き返した
子どもたちに感じた。

それで良いのだと思う。
アートのすそ野が広く、
同時に高みを目指して。

ジェームズ・タレルの部屋で見上げ、
手をかざす。

向かい側から、電通の佐々木厚さんが
写真を撮っている気配がした。

佐々木さんはいい人で、後で
写真をくれた!


ジェームズ・タレルの部屋で
(photo by Atsushi Sasaki)


タレルの空とボクの手

楽しみにしていた金沢在住
アーティストの方々とのセッション。

塩を使って迷路をつくる、山本基さん。

ガラスで自らの脆弱さを表現する辻和美さん。

漆で「乗り物」としての動物を表現する伊能一三さん。

久谷焼でバナナ、牛乳などのオブジェを作る上出惠悟さん。

楽しかった。友情が芽生えた。

桑原茂一さんもステージに参加。
芸術における創造性の源泉について、
自らの体験を交えて熱く語った!


金沢アートセッション!

インターネットの時代になっても、
移動する、そこにいる、出会う。
このことの価値は変わらない。

アートは「魂の周辺視野」を高める。
かすかに見えるものに心を向けなければ、
美を生み出すことはできないのだ。

8月 6, 2007 at 09:04 午前 | | コメント (8) | トラックバック (5)

2007/08/05

脳を活かして生きる

Lecture Records

茂木健一郎
脳を活かして生きる

Lecture 1 音声ファイル(MP3, 63.4MB, 69分)

Lecture 2 音声ファイル(MP3, 62.2MB, 67分)

質疑応答 音声ファイル(MP3, 58.3MB, 63分)

とやま夏期大学
立山国際ホテル 2007年8月4日

http://www.kitanippon.co.jp/pub/ad/2007/kakidaigaku/

8月 5, 2007 at 03:55 午後 | | コメント (4) | トラックバック (7)

まだ山は

富山は曇っていて、
山はよく見えない。

タクシーの運転手さんも、
ホテルの方も、
「晴れていればここから
山が見えるのです」と言う。

想像するしかない。

とやま夏期大学は今年が
二回目で、富山県と北日本新聞の
共催。

講義開始の合図がちりんちりんと
鳴る。

それだけで、爽やかな気分となる。


講義風景。Photo by Atsushi Sasaki

70分講義し、休み時間
に色紙を描き、70分講義し、
本にサインし、
60分質疑応答し、
本にサインし、
「交流会」で皆さんとお話しし、
その後、本を売ってくださった
ブックスなかだの方々と
お話する。

本は、書店があればこそ売れる。
会場で、本を売ってくださっている
ことは大変ありがたいことで、
だからこそ、休憩時間とか、
ボクはとにかくゲリラ的に
サインを始めてしまって、
少しでも売り上げを多くしようと
努める。

「何冊売れましたか?」
「200冊くらいです。」

大変だったけど、良かったなあと
安堵する。
「はけるくらいの数にサインしましょうか?」
と申し出る。

『やわらか脳』(徳間書店刊)10冊に
サインいたしました。


『やわらか脳』サイン本。ブックスなかだにて発売。

サインの絵は一冊一冊全て違います。

ブックスなかだ 掛尾本店
http://books-nakada.co.jp/ 

の店頭で販売されるということですので、
御用の方はお急ぎ下さい。


ずっと本を売ってくださった。


ブックスなかだの皆さん。


交流会などでは、当然私自身は
ご飯をあまり食べられない。

全てが終わった後、
立山国際ホテルの方が親切にレストランを
遅くまで開けてくださって、
ワインとビールとビーフストロガノフ
でほっと一息。

缶ビールを飲みながら、
ロビーで参加者の方々と
お話した。

人の心の温かさに接すると
ほぐれていく。

富山に来て、まだ山は見ていないが、
人のやさしさに触れた。

8月 5, 2007 at 07:52 午前 | | コメント (7) | トラックバック (1)

2007/08/04

アーティストとのセッション 金沢

2007年8月5日(日)
16:00 開場 16:30 開演(18:00終了予定)

主催:v.i.v.a.
会場:puddle/socail(金沢市片町2-10-42 RENN bldg.B1F)
料金:2,500円(1ドリンク付き)
定員:60名限定(定員に足し次第終了)

茂木健一郎、山本 基、辻 和美、伊能 一三、上出 恵悟

http://www.viva-kanazawa.org/diary/diary.cgi?mode=view&y=2007&m=08&d=5 

8月 4, 2007 at 10:49 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

とやま夏期大学

茂木健一郎
脳を活かして生きる
2007年8月4日(土)
立山国際ホテル

http://www.kitanippon.co.jp/pub/ad/2007/kakidaigaku/ 

8月 4, 2007 at 10:44 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

世界一受けたい授業 

世界一受けたい授業
茂木健一郎 アハ体験

2007年8月4日(土)19時57分〜20時54分
日本テレビ系列

http://tv.yahoo.co.jp/bin/search?id=87030745&area=tokyo 

8月 4, 2007 at 10:44 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

劇的感動

このところ、妙にだるいなあ、
と思いながら、
朝近くの公園を走ったり、
発作的に腕立て、腹筋をしたりして
「抵抗」していた。

公園のビオトープで、アメンボが
ぱしゃぱしゃすいすい泳いでいる
のを見て、はっと気づいた。

ひょっとしたら、これは
「夏バテ」というものではないか。

冷房はきらいだ。

窓を開けっ放しにして寝ていると、
午前2時とか4時にはっと
目が覚める。

うーんと水を飲んで、また
眠る。

そういえば、ああいう時には、
汗をびっしょりかいている。
寝苦しくて目が覚めるのであろう。
あなおそろしや。

目が覚めても、私の場合ほとんど
瞬時にまた眠るので
睡眠不足にはならないのであるが、
夏バテの原因はこのあたりに
あるかもしれない。

サルガッソー 
の鈴木健が「会議術」
の本を書いて、帯の言葉が
欲しいというので読んだ。


「議事録ドリブン」という
アプローチが面白かった。

全員が、議事録を共有しながら
会議を進めていく。
そして、決定事項や合意点を
めぐってきちんとした議事録を
残すことを、会議の目的とする。

会議が生産の現場になる。

さっそく、柳川透の研究の
方向性についての議論を、
議事録ドリブンでやってみた。

研究所のミーティング・スペースで
ボクが要点をまとめながら
書いていく。

この論文の長所は何か?
欠点は何か?
Target Journalはどこにするか?
必要な修正はなにか?
それは、どれくらいの期間で
できるものか?
etc. etc.

一緒にいた加藤未希や星野英一も、何を
議論しているのか一目でわかるので、
周辺視野にいても
参加できる。

これはいい。

お昼を食べながら、柳川が
ぼそりと言った。
 「問題は、これをゼミ本体で
やるかどうですね。」
  
 確かに一度やるとaddictするものが
ある。

 アイデアを交換したり、共有したり、
共創したりするノウハウは、
まだまだイノベーションの余地が
あるのだろう。

 NHKへ。
 マジックの番組の収録。
 『だまされたい脳・マジックの快楽』
 前田知洋さん、ナポレオンズのお二人、
江川達也さん、山瀬まみさん、堀越のりさん。

 制作側には、「科学大好き土よう塾」
のお馴染みの、植木豊さんや、兼子将敏さんが
いらっしゃる。

 前田さんのマジックを間近で見るのは、
「花野P」こと、花野剛一さんが制作指揮した
『ニューロンの回廊』以来。

 あの時、前田さんが、「マジックをやっている
人間が、騙しているということを意識すると、
それが身体の動作に出てばれてしまうのです。」
と言っていたのが印象的だった。

 VTRの中で、
 前田さんが英国にある伝統あるマジシャンの
クラブ、「マジック・サークル」を訪れる。

 前田さんご自身が、マジックの古典書、
Discoverie of the Witchcraft
の中からマジックを一つ復活して披露する。

 その映像を見ながら、前田さんが、
「そうか、あんな風に見えるんだなあ」と
感心していたその様子が不思議だったので、
「どういうことですか?」
と聞くと、
「いや、自分がこういう動作を
やるとそれが見ている人にはマジックに見える
んだということを意識していないのですよ」
というようなことを言うのでびっくりした。

 マジックの究極は、「心を無にする」
ことにある。

 朝日カルチャーセンター。
 劇作家の平田オリザさんとの対談。
 平田さんにお目にかかるのは
3年ぶりくらいであった。

 平田さんの演劇に対する姿勢、
文化や言葉の壁を超えた「対話」
に対する真摯な態度を、私は
以前からとても素敵だと思っている。

 原点は学生の時に一年間
ソウルに留学したことにあると
言う。
 1980年代半ばの韓国。
 平田オリザという一人の人間
である前に、「日本人」として
扱われ、謝罪するにしてもしないにしても、
態度を決めることを迫られる。

 そのような経験を通して、
伝わらないこと(discommunication)を
前提として対話への努力を続ける
姿勢ができたと平田さん。

 ボクは、敬愛するRichard Wagnerの、

Poetry is the reason for music.
And drama is the reason for both.

という言葉を引いて、「劇的感動」
というものの本質はどこにあると思うかと
平田さんに問うた。

平田さんは、「2500年前に古代ギリシャ
で演劇というものが「発明」された時、
皆その効果にびっくりした」と言う。
「いつそれが発明されたのか、記録に
ちゃんと残っている」と言う。

あまりにその効果が顕著だったので、
市民にコロス(合唱)として劇に
参加することが義務づけられた
ほどだと平田さんは言った。

演劇の良いところは、どんな人に
でも役が与えられることである。
たとえひと言、ふた言だけでも、
りっぱに居場所をつくることができる。

口べたな子には無口な役を割り当てれば
いいし、
他の国の言葉を話す人には、それなりの
役割がある。

演劇は、情報の密度が、観る者に
創造の余地を残すという
意味でちょうど良いのだと
平田さんは言われた。

音楽や絵画はダイレクトに感性を
刺激する。
一方、演劇は、「補助線」や「包絡線」
のような形でドラマトゥルギーが
成立する。

感性が開かれ、能動性が刺激される。

平田さんと、また対話したい。


平田オリザさんと。朝日カルチャーセンターにて。
(Photo by Atsushi Sasaki)

8月 4, 2007 at 10:04 午前 | | コメント (13) | トラックバック (3)

2007/08/03

(本日)対談 平田オリザ × 茂木健一郎

朝日カルチャーセンター講座

「脳と演劇」
対談 平田オリザ × 茂木健一郎
『リアルは脳の中でつくられる』

2007年8月3日(金)18:30〜
朝日カルチャーセンター新宿

http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0707koza/A0102_html/A010201.html

(担当の神宮司英子さんによると「満員御礼」
だそうです)

8月 3, 2007 at 08:39 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

思い切り突っ張って

このところ、人間の内なる
「植物的なもの」
が気になっている。

きっかけになったのは、NHK
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
のスタジオで、調教師の
藤澤和雄さんのお話を
うかがったことだった。

藤澤さんの調教のやり方は、
馬の自主性に任せる
「馬なり調教」。
それ以上やらせると、目前の一勝は
つかむことができるかもしれないが、
馬の中で何かが「消耗」してしまう。
そう藤澤さんは言われた。

なるほど、と思った。
人間でも、受験勉強などで
すり減ってしまう人がいる。

「情熱」というのは動物的
というよりは植物的な
状態であり、
その種火をちろちろと燃やし続けなければ
ならないのだろう。

森の中を走っていて、
梢を見上げると、
木々が葉っぱを懸命にのばしている。

太陽の光が当たらないところに
葉を茂らせる植物はいない。
みな、日を受けようと一生懸命に
伸びて、突っ張っている。

人間もおそらく同じこと
なのだろうと思う。

私にとって、君にとって、太陽の光とは
何だろうか。

それが見きわめられたら、
思い切り突っ張って
手を掲げてみたまえ。

さあ!

8月 3, 2007 at 08:34 午前 | | コメント (8) | トラックバック (4)

東京人 特集 三遊亭圓朝

東京人 2007年9月号

特集 三遊亭圓朝

茂木健一郎  圓朝のこころ“仮想”世界

http://www.toshishuppan.co.jp/tokyojin.html  


8月 3, 2007 at 08:22 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

家庭画報 有馬頼底×茂木健一郎 対談

有馬頼底×茂木健一郎 対談

家庭画報 2007年9月号

http://www.kateigaho.com/ 


8月 3, 2007 at 08:19 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

2007/08/02

子どもと青年

やってもやっても仕事が終わらない
んだから、サテお立ち会い、
開き直ってデンと座る。

特に、終わった、と思って
気を抜いている時に
「この仕事を忘れている」
と連絡がくるのがダメージが
大きい。

朝からアタマが走り回った。

こうなりゃヤケである。

午前中、早稲田大学国際教養学部
での授業。
脳について。

内田亮子先生にご挨拶。

英語で喋るのは好きである。
なんというかこの、気分がぱーっと
広がっていくねえ。

このままズーンと行きたいねえ。

イスラエルと韓国からの留学生との
対話が面白かった。
英語と言っても、イギリス人や
アメリカ人だけのものではありませんゾ。
英語を通して、世界のよくわからない
場所にいるよくわからない人たちと
通じ合うのがネットワーク的ヨロコビという
ものである。

東京工業大学へ。
知能システム科学専攻の大学院入試。
口頭試問の試験官をつとめる。

仕事をしながら戻る。
途中で、送信して、
「今、田園都市線の中で仕事をして
います。電車が混んできたら、
一時中断しなければならないかもしれません。
あしからず。
それでも、夜までには送れると思います」
とメッセージ。

涙のメッセージ。

三越本店入り口の水槽の前で
座って必死になって仕上げる。
メールを送る。
ハイ、仕事よ、「とりあえずは」
サヨウナラ。

室町砂場へ。

新潮社の池田雅延さんが、
小林秀雄さんのCD
『ゴッホについて,正宗白鳥の精神』 
の発売を記念して、そして先に
亡くなった江村哲二さんのコンサートにいらした
方の縁をつないで、ということで
会を主催してくださった。

白洲明子、白洲信哉、白洲千代子の
白洲家の方々。

電通の佐々木厚さん、筑摩書房の伊藤笑子さん、
福音館書店の高松夕佳さん、宝島社の田畑博文さん、
高島屋の榊原淑子さん。


色男そろい踏み。左から新潮社の池田雅延さん、
電通の佐々木厚さん、白洲信哉さん。

池田さんが、小林秀雄さんの
講演について想い出を語ってくださる。

小林先生は、それほど数百回、千回と
数え切れないくらいの講演をされた
けれども、今回収められた
『正宗白鳥の精神』は、
まさに最後の講演である。

小林先生は、気に入らない
テーマなどの時には、「この本は
良くないです」などと言って
帰ってきてしまうこともあるくらい
の率直な方で、たいてい30分くらい
しか喋らない。

それで、正宗さんの時も、主催者側は
30分だろうとそのように
予定していたら、40分、50分と
延びて白熱した名演となった。

池田さんの言葉で甦る古のこと。

そうして、そうだ、皆で江村哲二さんのことを
想い出したのだった。

二次会のマンダリンオリエンタルの
バーで、白洲明子さんから池田
さんが大ぶりの勾玉を受け取って、
私たちに披露した。

これは「お天気勾玉」といって、
ゴルフに行くなど、
今日は晴れてほしいというような
時に、小林先生がいつも
背広のポケットなどに
入れておいたものなのです。

自分の手にとって、佐々木厚さんに
撮影していただく。

勾玉に惹かれるように、
reverieに入る。
子どもというものは、天真爛漫な
ものだ。知らなくてもかまわず
動き回る。

一方、青年は焦燥に駆られている。
「今、ここ」では満足できぬ。
不定形な魂に駆り立てられて、
ぶにょんぶにょんと動き、
目は血走り、
嵐の中に何かを求めている。

子どもと青年と。
そのどちらもないと、生きることは
甲斐がないな。

夢見る青年に欠けていることは
とにかく身体を動かしてみる
ことであり、
子どもに欠けているのは可能無限への
感性であろう。

子どもと青年を掛け合わせてしまえば良い。

池田雅延さんに、小林秀雄さんの
貴重なお話をうかがいながら還る。

8月 2, 2007 at 09:18 午前 | | コメント (9) | トラックバック (3)

2007/08/01

ブランドと脳

Lecture Records

茂木健一郎 『ブランドと脳』

丸の内ブランドフォーラム 

2007年7月31日

講演1時間、 質疑応答1時間

音声ファイル(MP3, 110.5MB, 120分)

8月 1, 2007 at 07:54 午前 | | コメント (6) | トラックバック (5)

周辺視野

「できるだけ広い文脈を
引き受ける」
最近そんなことばかりを考えている。

単一の文脈の中で何かを
するのではなく、
できるだけ広い視野を持つ。

複数の文脈を引き受けるという
のとも違う。
視覚的アウェアネスにおいて、
さまざまなものが見えている
ように、
「周辺視野」を大切にする。

「今、ここ」にあるものの
まわりに、かすかにぼんやりと
見えている何か。
そのようなperipheral visionに
あるものを常に心にとどめておきたい。

ソニーコンピュータサイエンス研究所
にて、電通の佐々木厚さんらと
ニューロマーケティングの研究についての
ブレインストーミング。

お昼は五反田の韓国料理店「チェゴヤ」で。

午後、研究所のミーティング。

下の写真で、手前左からフランク・ニールセンさん、
所眞理雄さん、高安秀樹さん、暦本純一さん
後ろは茂木健一郎、佐々木貴宏さん、夏目 哲さん、北野宏明さん。

夕刻、丸の内ブランドフォーラムで講演させて
いただく。
ブランド論の第一人者、片平秀貴先生に
お目にかかる。

セッション終了後、
ゲラを持ってきた幻冬舎の大島加奈子さん、
電通の佐々木厚さんと遅めの夕食。

天ぷらを食べる。

わが畏友塩谷賢が、時間論の哲学を考えて
悩んでいて、「もうダメだ」
と思い、
京都でうまい天ぷらを食べたら
治ったという話を思い出す。


電通の佐々木厚さんと、幻冬舎の大島加奈子さん。

過去は定まったものではない。
すでになされたことも、
結ぶことでより広い
文脈につなげることが
できる。

過去を定まったこととして置き去りに
するのではなく、
慈しみ育むことが大切である。

8月 1, 2007 at 06:53 午前 | | コメント (12) | トラックバック (0)