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2007/08/22

confusion

帝国ホテル。

総料理長の田中健一郎さんに、
ハッシュド・ビーフの
作り方を伝授していただく。

キッチンは広く、
道具はどれもずしりと
重かった。

田中さんは何でもないように
ナイフでにんにくを押しつぶすが、
それができない。

ポイントは赤ワインを煮詰める
ところ。

同じ材料を使って同じように
やったはずなのに、
田中さんの方がおいしかった。

赤ワインの煮詰め方が
足りなかったらしい。
まさに、「ツメが甘い」。

田中総料理長にズッコケ
料理人が学ぶ様子は、
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の仕事術スペシャルと
して10月に放送される予定です。

お楽しみに。

住吉美紀アナウンサー(すみきち)
によるレポートはこちら。
http://www.nhk.or.jp/professional-blog/100/4374.html#more

新横浜プリンスホテル。

来年の「東京のオペラの森」
はチャイコフスキーの
『エフゲニー・オネーギン』。
指揮は小澤征爾さん。

オペラの魅力、東京でオペラの文化を
育てることの意味についてお話した。

同ホテル内での
日私小連外国語部会。

外国語習得についてお話しし、
続いて先生方と議論する。

呼んでくださったのは、
カリタス小学校の
麻田美晴先生。

トムさんが、
「大切なのは子どもたちに
confusionを与えて、そこから
立ち上がる機会を与えることでは
ないか」と発言。

そうだろうと思う。

言葉が変わるということは、
世界に向き合うパラダイムが
変わるということ。
当然confusionはあるし、
その期間人はサナギになる。

九州創発塾2007のために、
大分に移動。

朝、ホテルの露天風呂で
クモが巣を張っているのを
見ながら、
confusionについて考える。

外国語部会に参加された
先生の一人は、ご家族で
イギリスに行かれた。

お子さんは、最初は慣れない言葉に
混乱していたが、8ヶ月経った
時に突然猛然と話し始めたそうである。

その8ヶ月に当たることが、
人生でいかに大切なことか。

confusionの一つや二つない
人生など、つまらないと思う。

理路整然とした明確な行為主義は、
時にconfusion欠乏症候群の現れに
過ぎない。

諸君、大いに迷い、悩み、躓き給え。
ぼくもそうするから。

8月 22, 2007 at 09:20 午前 |

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» 5次元という世界 トラックバック なんでもあり! です 私の日記!! 
このカテゴリーを使うのは久し振りだ。 最近は、記事のほとんどを「日記」カテゴリーに入れてきたから なんだか急にこのカテゴリーを引っ張りだしたくなった。 * 昨日、「次元」に関わる記事を書きながら リサ・ランドール博士の東大での講演のことを考えていた。 5次元は、視点をおろしていくと 人間関係そのもののように感じる。 一人の人間は3次元的な存在。 (私は、このことを何年か前に触れて書いている) その向こうに「ある」他者という世界、「他者の心」という世界。 ここに5次元空間の考えを... [続きを読む]

受信: 2007/08/23 6:01:55

コメント

茂木先生のブログ、いつも楽しみに読んでいます。

>confusionの一つや二つない
>人生など、つまらないと思う。

わたしもそう思います!Confusionに直面した時の
自分の隠れたエネルギーは自分の糧になり、また
同じように悩む人に「優しさ」や「共感」として与える
事もできます。

外国人として日本に住む私はConfusionが常に近くに
いるような気がします。そして、それはとてもラッキーな事
だと思います。

投稿: mihwa | 2007/08/31 15:55:24

X十にして惑わず!!
なんて、大概の諺には賛成するけれど、
これにはドーーにも納得できない。

もう少しで不惑に到達しようかという私!
人生に一つや二つどころか、
未だに、full of comfusion.でございます。
大人になってもなっても、時々さなぎ状態に浸って、
脱皮したあとは、再び新しいものに心ときめかせる事が
できるようにしたいものです。

投稿: sakuranomori | 2007/08/24 1:40:39

これまでとは違う、まったく新しい世界/環境に立ち向かう時、人はとまどい、なやみ、迷う。
(かくいう私も、いつも悩んで迷って躓いてばっかりだ!)

しかしそれでいいのだ。
「諸君、大いに迷い、悩み、躓き給え。ぼくもそうするから。」
茂木博士、よくぞ仰ってくださった。

明確過ぎる行為主義は、confusion(困惑、迷い)がないから一見よさそうに見えるが、実はそれはつまらないことなんだなぁ。

茂木さんの言うように、confusionの一つや二つはないと、人生はつまらないものだ。

困惑、混乱、迷いは人生にとって、きっと不可欠な通過儀礼なのだ。
それを乗り越えるところに、人としての成長があるに違いない。

悩んで迷って躓く=“煩悩”の先に、新しい人生のステージが待っていると確信していこう。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/08/23 22:26:50

confusionする場面というのは、どういうときなんでしょう。

・新しい仕事、ヒト、環境に立ち向かうとき
・こなせないほどの大量の仕事や難しい問題
・今までのやり方や考え方を変えざるを得ないとき
・外国人と話すとき(知らない言語に触れる)
・違う世代と話すとき

こうやって考えてみると、既存の考え方ややり方に変化や
刺激があった場合に混乱することがわかります。

こういう「壁」にぶつかったときは、
①逃げる②立ち向かう③待つという対処が考えられますが、
時として、③待つ(若しくは慣れる)という対処も必要なのかと
思います。これは、少し歳を重ねた知恵かもしれません。
「壁」が出てきたということは、逆に考えると「次へのステップ」が見えてきたとも考えられますね。つい苦しくて逃げてしまいますが・・・
ここをなんとか、迷って、悩んでとおりぬけることがヒトを鍛えます。

人生、理屈どおりにいかないことの方がおおいですよね。
こういう場合に、confusionの過程は貴重だという考え方があれば
なんとか乗り切っていけるかも知れません。

そうですね。
茂木博士のおっしゃるとおり、しっかり迷い、悩み、躓きます。
この過程が貴重なのですから・・・

投稿: ふわく | 2007/08/23 6:04:48

茂木さんの日記、毎日楽しみに読んでます。

confusion、
わかんなかったから辞書で調べたよ。
私もそうする!

投稿: いも虫くん | 2007/08/22 12:33:36

>理路整然とした明確な行為主義は、
>時にconfusion欠乏症候群の現れに
>過ぎない。
というところにうなずきました。でも、現代社会は「理路整然とした行為」を求め、それを前提に動いているので、困ってしまいます。

投稿: CUSCUS | 2007/08/22 12:25:30

私には1歳半になる娘がいます.保育園に通っていますが,新しい言葉や歌を覚えて帰ってきます.その使っている言葉の意味などはあまり理解していないかもしれませんが.保育園に通って違う家庭の子供たち,年齢の異なる子供たちや保育士さんの歌う歌や使う言葉に毎日接触することは,confuseの連続なのかもしれません.習うより慣れろとよく言われますが,娘を見ているとまさにその通りだと感じます.

投稿: kumekita | 2007/08/22 12:21:09

成功体験は自信をつけるうえでも大切なことだけれど、それ以上に失敗しそこであれこれ考えるということは成長に欠かせませんね。

慣れ親しんだ環境から一歩踏み出し、新しいことに挑戦することを厭わず生きていきたいもの。

ところで、カレーもハッシュド・ビーフも固形ルーで手軽に済ませてしまう私。                            鳥ガラを煮詰めたスープにコクがあるように、ひと手間もふた手間もかけた料理は全く違った味わいとなるでしょう。
人生にも手間隙かけてっと。。。

投稿: 高橋純子 | 2007/08/22 10:55:02

BASICやC++等など、新しくプログラミング言語を創造的に活用できるようになるのが、一般的に、六ヶ月ぐらい、かかる説があります。その間は、そのプログラミング言語を習得した人から見れば、凡ミスや、無駄なコード含んでいる等がよくあります。


>諸君、大いに迷い、悩み、躓き給え。
ぼくもそうするから。


よし!! サナギになろう!!(笑)

投稿: tain&片上泰助 | 2007/08/22 10:49:37

困ったとき、くるしいとき、
あの人だったら、どうするかな、
なんていうだろう、と、
いろんな人のことを思い出す。
そうしているうち、自分に
ちょうど ぴったりあてはまる
考え方が出来上がる。
ちょっと反省もあり、の
お料理みたいに。。。

投稿: F | 2007/08/22 10:30:55

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