禅庭は生きている
ヨミウリ・ウィークリー
2007年7月15日号
(2007年7月2日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第61回
禅庭は生きている
抜粋
一日たりとも怠らないというのは、生命そのものの中にある性質である。食べること、心臓を動かすこと、呼吸すること。たとえ一日でも怠らないからこそ、命は続いていく。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

7月 2, 2007 at 05:41 午前 | Permalink
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受信: 2007/07/03 2:51:54
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コメント
茂木さんはまことにすばらしい。以下、魅力について長文を書きたいですが、我慢して一点だけ。
茂木さんはよく小林秀雄の講演会を引用されて「本居宣長の元へきた分限者の町人は、学問は道楽よりも面白い、といっていた」とおっしゃっています。あれは宣長でなく、伊藤仁斎の元へきた人々の言説です。
茂木健一郎さん、小林秀雄さん双方とも仰ぎ見ているおじさんより。
投稿: 玉木 雅治 | 2007/08/13 22:23:46
禅と想像性って何だろうとまだまだずっと考えていまして、ちっとも思いつかなくて、結局ずっと考えてようやく、なんとなく思いつきました。
悟りとは、気づきのことかしらん?禅とは気づきの為の姿勢と方法論なのではないかしらん?
以前禅寺を訪れたときに、凄いクオリティーの日常空間だと感心しました。
お寺を訪れた人々は、先ず物音一つない静かな環境に驚き、そして、規則正しい生活、節制した食事、掃除の行き届いた空間、座禅、きっちりとしたタイムスケジュール。
つまり、ある種のクオリティーを保つことによって、何かが導かれている気がしました。禅僧達の立ち振る舞いの緊張感も見事で、これはお茶にも通じていると思いました。
そう考えると、お茶のお手前は、禅のすばらしさを知る千利休が日常で禅の効能を得る為の発明ではないかしらん?と思いました。
禅を輸出するということは、お茶の緊張感を外人さんに感じさせることにも近いなと思いました。、身体性と共に存在するのものなのだから文章では難しいと思いました。
それでも、何かクオリティーの高い心地よい緊張感を共有することが出来ているのは事実であって、それを表現したいけれども、言葉のみでは「空」になるから、「色」として、枯山水やお茶のような表現が生まれたのではないかと思いました。これらは、禅の緊張感に似た日常のクオリティーの芸術だと思うのです。
つまり、先生が言う禅における創造性ってそういうことだよなと思いました。
でもやっぱり相当大変なことですよね。常に早寝早起き、身だしなみをきっちりとして、姿勢を正し、部屋を掃除し、食べ物は粗食を心がけ、心常に平静を保つ…。先ず自らにそんなクオリティーを保つべき精神力が欲しいですw。自堕落では程遠い。
ところで、仏像が昔は極彩色だったと、昔の人も知っていて、それでも色が剥げ落ちた後の方がいいなと思って、それが「侘び寂び」の「寂び」という表現ですよね。昔の人と共感できた瞬間って、なんだか嬉しいですよねw
投稿: poti | 2007/07/05 19:28:30