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2007/07/14

どかんと座れば

木曜日のプロフェッショナル
の収録は、「アイガモ農法」
を実践されている
古野隆男さんだった。

アイガモたちは
水田に放たれるとずっと動き回って、
仕事をしている。
その様子を見ていて、
人間もそうでいいんだと思った。

朝からクワックワッと
動き回る。

待ったなしの急ぎの仕事
(と言っても、複数あるのだけれども)
も終わらせ、研究所へ。

ゼミ。

田谷文彦クンが、実に
面白い記憶に関する論文を
紹介してくれた。

電通の佐々木厚さんの紹介の仕事で、
高崎へ。
「脳とブランド」について
熱弁。

ボクは思った。
こうやって忙しく動き回っている
けれども、「私」はいつも
「今、ここ」にいるだけじゃ
ないか。

コペルニクス的転換で
地球の方が動いていることに
なったが、
現象学的還元の下では、
「私」ではなく、
やはり地球の方が動いている。

「私」の自我は、常に
「今、ここ」にどっしりと
腰を据えている。

世界の方が動き、私の中に
さまざまな痕跡を残していく。

インターネットの上で
起こっている情報のリンケージや
圧縮は、有史以来、
ずっと昔からそれぞれの脳の人の
中で起きていたのである。

以前見た
武者小路実篤の絵に、達磨を
描いて、
「どかんと坐れば動かない」
というものがあった。

私も、いったんどかんと座れば、
テコでも何でも動かないゾ!

7月 14, 2007 at 07:11 午前 |

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コメント

>田谷文彦クンが、実に
面白い記憶に関する論文を
紹介してくれた。

面白い!? 茂木さま、要約だけでも、教えてくだされぇーー(_ _)。

投稿: tain | 2007/07/15 5:21:30

>私も、いったんどかんと座れば、
テコでも何でも動かないゾ!

茂木さん達磨、かっこいい!
キャラクターグッズになったら
お守りに買います(笑)

投稿: 新屋敷 恒 | 2007/07/15 2:32:31

子供の頃、日付け変更線を超えて反対側に行くと
一日前、昨日に戻れると思っていた

其れを繰り返すと3日前にでも4日前にでも戻れると思っていた

今思えば自分が子供だった頃の幼い発想よりも
過去に戻って自分が何がしたかったのかに興味がある

‘移動‘に対しての発想だが
移動で日付け変更線を超えると
自分が生きている日時が昨日か今日か混乱しそうでややこしそうだ

投稿: climb decoy | 2007/07/14 19:43:12

こんにちは。

先日、音声ファイル
(東大の講義とその前日の)を聞かせて頂き
本当に感謝の気持ちです。ありがとうございました。

とても、刺激的で、先ほど、もう一度東大の一時限目を聞きました。
生きることに大切な、学ぶことに大切なエッセンスが
多く含まれ、考えるとことの楽しさが、
お話の中にふんだんに盛り込まれて
今という時代の、過去の先人から学びつつも
ネットワーク社会の今日の中にあっては、
多くの人たちとの関わりで、遇有性に満ちた
世界で、新しい発見が生まれるのだと
理解しました。

茂木先生の言葉には、画用紙に絵の具が染みこむように
説得力があって、それは何故だろうと不思議に思います。

化学は専門的には勉強したことは無いのですが、
(熱エネルギーについては少し勉強しました)
昔、カール・セーガンの「コスモス」を観てから
宇宙とか化学に関心が高くなったことを思い出します。

最近、先生お勧めの「ご冗談でしょう、ファインマンさん」を
読み始めました。とても面白いです。
この音声ファイルを聴いて、ダーウィンの「種の起源」は
是非読まなければ、という気持ちになりました。
今は、スローテンポながらも学ぶ楽しさを
私の脳は喜んでいるみたいです~。

投稿: tachimoto | 2007/07/14 17:00:13

九州に台風上陸、各地の被害が少ないようにと
天を拝むしかありません。
雨に気をとられて、今朝9時半頃にpcを見て、
チョウのはねのひみつ、あわててテレビつけました。

投稿: F | 2007/07/14 16:17:34

>世界の方が動き、私の中にさまざまな痕跡を残していく。
・・・たいていは、みな「私」が動いて、世界は動かないと思いがちだ。
私たち人類は、みんなそれぞれ—ある人はゆったりと、またある人は茂木さんのようにいそいそと—この土塊の球の上で動いて生きているけれど、考えてみりゃそれぞれの「私」は、みんなそれぞれの「今、ここ」(の、境地)にずっといてるものだ。

むしろ動いているのは、本当は、地球という、太陽のまわりをほぼ365日周期で回っているこの土球なのだと、私も思う次第です。

おっしゃる通り、今の時代、ウェブ上に出回っている様々な情報のリンケージやら圧縮やらなんて、人類の発生からの歴史を見通してみるなら、文明開闢以来、ずっとそれぞれの人の頭の中でホコホコ発生していた訳で、当然のように、何も最近から始まったことではないものなのだ・・・。

インターネットなど陰も形もない頃から、人は情報のリンケージや圧縮をやってきているのだ。古くは口承伝達に始まって、文書記録や印刷の誕生など、実にさまざまなことをやってきている。

世界が動いているならば、私たちはわざわざアタフタと動くことなく、常に「今、ここ」なる大地に「自我」の根をどっしりとおろして、風の流れ、鳥の歌声、そして世界の状況に触れ、彼らをして各々の「痕跡」を刻印させしめればよい。

常に「自我」を「今、ここ」に据えている人ほど、いざという逆境の時に、強くいられる人はいない。

茂木博士は、何時、どこへいっても、「今、ここ」という「大地」に根をはってどっしりと構えている「大樹」のようにみえる。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/07/14 13:41:06

モーツァルトのような曲を考えるとき、怒りの感情では、考えられない。気持ちを楽にして、頭の中で曲をめぐらさなけれえば、考えられない、と、思った事がある。

つまり、求める答えに合わし、自分の感情を変えなければならないと思ったのです。


アインシュタインの相対性理論は、宇宙の中心は観察系つまり自分のココがであると、証明したので。

茂木さんも、「どかんと座って」、何かが見えてくると良いですね。(笑)

投稿: tain | 2007/07/14 8:22:58

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