縁起
昨日は久しぶりに
少しだけたっぷり眠った。
疲労がたまっていたらしい。
そういえば、最近夢を見ていなかったなあ。
以前朝日カルチャーセンターで
やった南直哉さんとの
対談を火曜日に聖心女子大学の
授業に行く時に聞き直していた。
六本木駅で乗り換える頃、
「縁起」に関する対話に
さしかかっていて、
それを聞いていてふと
悟ったことがあった。
以前から時々考えて
いる問題がある。
誰にでも、自分にとって大切な
問題、テーマがいくつか
ある。しかし、人生でそれが
できるとは必ずしも限らない。
子どもの頃蝶を追いかけて
野山をかけ回っていた私にとって、
熱帯雨林の中に一年くらい
くらしてじっくりと生態系を
観察するということはひとつの
夢であったが、
今のところ実現する気配はない。
ジョン・レノンの
『ビューティフル・ボーイ』
の中に、
Life is what happens to you while
you are busy making other plans
という歌詞がある。
いろいろなことを夢見ながら
結局は進んでいってしまう
人生。
誰でも、現実に起こっていることの
何倍もの「仮想」に包まれて移動
している。
南さんと自分の対話を聞き直して
いて、
そうか、それがつまり「縁起」
とうことだったんだと気付いた。
人はひとりで存在するわけではく、
周囲との関係性の連鎖の中にある。
その中で、なにかができることも
あるし、できないこともある。
自分がネットワークに絡みとられて、
祝福され、その中でもがく
一つの粒子であると考えれば、
できることもできないことも
一つの「縁起」なんだろう。
そんな中で、時間が経っても
かわらない志向性を抱きうる
ことは、恒常性の奇跡。
やがて
目を閉じて、自分のうちなる
霧の中に身を浸すと、
忘れかけていた不思議なものたちの
姿が見え始める。
「本来」はこの世から一度離れて
みないとわからぬ。
孤独の中には、滋味がある。
7月 13, 2007 at 07:52 午前 | Permalink
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人は1つの物事に対して、実行する前に完成度を追求して、用意周到に準備がで
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僅かの時間の隙間にも、
出会おうとして、
布団の中で、
本の頁をめくりながら、
寝入ってしまう。
夜中に電灯が付けっぱなしだったので、
疲れ切った1週間分の身体で、
多分、活字を追いながら、
知らぬ間に、眠りに入ってしまったのだ、
と思う。
人は誰もが、
自分の思い通りに、
あるいは、
思うような環境や条件の中で、
生きられる筈もなく、
それでも、少しでも
自らの志向する場所に近づこうと、
今いる場所で工夫し、
自らに向かって抵抗し、
それでも何だか、
おかしなことが多すぎ... [続きを読む]
受信: 2007/07/14 7:12:30
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[parts:eNoztDJkhAMmYzOm5OTERNOkVAsAINMD0A==]
『茂木健一郎クオリア日記』の『縁起』(2007/07/13)に次のような文があります。
やがて
目を閉じて、自分のうちなる
霧の中に身を浸すと、
忘れかけていた不思議なものたちの
姿が見え始める。
「本来」はこの世から一度離... [続きを読む]
受信: 2007/07/15 2:01:45
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コメント
こうして気まぐれに私なんかが書き込んでしまうことも、
影ながら誰かに、何かに響いているのかもしれませんね。
無用の用なんて言葉がありますけど、
我々はお陰様に気づかないことが多いのかもしれません。
今ある自分のすべてについて、自分はどれだけの自覚があるのだろう。
先生はもはや影ながら響く存在ではなく、光で響いている存在ですね。
人は決して誰かに何かを教えることはできなくて、
せいぜい何かに気づくきっかけを与えることしかできない。
人の心の世界に入って何かを強引に動かすことは、誰にもできないのだから。
フィロソファーのロゴスの種子の種まきはいつの時代も続く。
押しつけでない、さり気ない響きには愛がある。
投稿: pteron | 2007/07/14 23:50:53
ほんのちょっと
たっぷり寝れたとは
ささやかですねw
何か夢を見れたのですか?
私は母から風邪がうつって
長時間ダラダラ寝込んでいます。
悪夢ばっかり。
縁起って、
ああ、確かにそうかもなあと
思いました。
一つの仮想が一つの縁起に
なるのならば、
人の仮想も縁起になり得ますね。
ならば楽しい仮想を贈らなくちゃ。
いつかアマゾンで
一年ばかりゆったりシャカシャカ
出来るといいですねw
その頃にはジャングルでだって
ネットができて、
新種の蝶を待つ間に
脳の研究にも没頭できるし
著書も書きたい放題ですし
なんか、NHKの現地撮影班
とかに参加していそうだし
帰国したらソレ関係の冒険
講演会とか呼ばれまくりそうで
あれあれ、なんか今とたいして
かわらないような気が
してきましたw
この際、大学の休みに併せて
テレビ局に熱帯雨林取材参加を
希望してみるのも良いのでは
ないかしらん。
完全な夢の実現では無いにせよ
とりあえずの一歩が
意外や叶う環境にいるのかも
しれませんよ。
夢はいつも
叶ってからが勝負の大連鎖。
先生のクオリアが
更に広がりますように。
投稿: mogumogu | 2007/07/14 23:29:13
私は、今日もたくさんの「仮想」に包まれていたようです。
今の自分を取り囲んでいるさまざまなものが
抱いていたであろう「仮想」にも、なんだかんだと
からめとられながら過ごしていたような気もします。
「現実」と「現実」、「仮想」と「現実」がぶつかり合うのが
現実なのは、わかり易いのですが、
自分の「仮想」と他人の「仮想」が交錯するところも、
自分にとっては大切な「現実」になるものなんですね。。。
ここ2~3年、暑い日のお得意の仮想は…
「3度の食事を全部アイスクリームにしてみたい!」です。
でも、そんなコトをすると検査でまた
「たんぱく質が、足りない」と欠食児童みたいなコトを
言われてしまうので、やりません。。。
こんなのは「仮想」というより、「妄想」…(笑)?
ちゃんと『脳と仮想』を読み直さないと!!
「少しだけ」ではなく思い切りたっぷり眠って
ご自愛ください。
投稿: まり | 2007/07/14 2:37:46
初めまして、いつも拝読させていただいております。
夢見ることも、わが身に降りかかる出来事も、全部ふくめて
自分のlifeなんだなぁ、と思います。
そこで生まれる縁を感じながらいきたいです。
投稿: すくすく | 2007/07/14 0:28:55
初めまして、いつも拝読させていただいております。
夢見ることも、身に降りかかる出来事たちも、全部ふくめて
自分のLifeなんだなぁと思います。
そこで生まれる縁を感じていきたいです。
投稿: すくすく | 2007/07/14 0:26:52
現実に起こっていることの何倍もの「仮想」に包まれて動き回っている私達の生。
生きて居るうちにあれをやりたい、これをやりたい、と夢見つつも、人生の時計はどんどん進んでいってしまう。
その、どんどこと進みゆく「私が生きる時間」の中で「時間が経っても変わらない志向性」を抱きつづけるという「恒常性の奇跡」とともに、今「私」というものが、こうして生きて居るうちに「私にしか出来ないこと」とはいったい何か?ということを、只管(ひたすら)考えてみることがある。
しかしそれについて、ここで詳述するのは、きょうのエントリーの主題からはずれるので割愛させていただく。
考えて見れば、人は周囲とのつながりの連鎖がなくては、まともに生きていけない。そこにはきっと必ず「縁起」があるに違いない。
その中で一生のうちで出来得ること、一生かかっても出来得ないことというのは、如何しても現われてしまう、それも「縁起」の一つ。
周囲との関係性のネットワークの中にいて、ある時はからめとられて苦しみ、もがきながら、またあるときは歓びに震え、あるときは想定外の出来事に驚きながら、それでも人は、希望をなんとか失うまいと、懸命に人生を歩んでいく。
それが「世間で生きていく」ということなのか。
しかし時には世間を離れて、自らの心の中の霧靄(きりもや)の中に佇んで、「忘れかけていた不思議なものたち」の姿を見つめることもたまには必要なのだろう。
“君が他のことで忙しくしている間に、なにかが起こるのが人生さ”(←この訳でいいのだろうか)という『ビューティフル・ボーイ』の歌詞の1節のように、何が想定外で起こるか判らないのが人生…。
その中で私が果たせぬ夢、見果てぬ夢が沢山出て来るけれど、すべてスルーしないで、これは!と思った夢に向かって進み行くのもこれまた人生…。
とにかく、無理をしないで、自分らしく行けばいい、そして「縁起」と周囲との関係を大事にしたい、と思っている。
投稿: 銀鏡反応 | 2007/07/14 0:13:58
「縁起」を少し考えたのですが、絵画の値段、ゲームの販売数と、一例として、関係しているのではないかと推察しております。
投稿: tain | 2007/07/13 23:21:46
こういう文章、待ってました!
拝読するうち、とけていくような。
でも、しっかりとするような。
少したっぷり眠れたのですね。
よかったです。ほっとしましたよ。
投稿: F | 2007/07/13 21:05:25
フィーチャリスト宣言、拝読しました。とても面白かったです。かなりの簡略した論ですが、言論リーダーで、イデオロギーの人たち→M2と呼ばれた人たち→そして理系のリーダー、とまさか理系から現れてくるとはさすがに思いませんでした。フィーチャリスト宣言はIT書でもあるけどITだけじゃないつまり技術だけじゃない新社会に迫った対談だったと思います。語ると長いので略しますが、自分は高卒ですが独自に国際政治を研究していて世界平和の政策を考えて国連や研究機関に送ったことがあります。そういう提案や分析を英語と日本語で書いてみようかと思い始めました。バカに思われても。
ほんと、ファッションなんか書いている場合じゃなかった、笑。
投稿: 初めまして | 2007/07/13 18:53:06
芸術やコンピュータプログラムなど、「仮想から現実」、「現実から仮想」の連続性の一つと個人的に考えています。
(t+ti)(t+ti)(t+ti)・・・
ただ、上の式のように考えてみてはしていますが、問題が大きすぎて、自分でもよくわかりません。
ところで、茂木さんは、東京ジャングルにお住まいでは?(笑)
投稿: tain | 2007/07/13 9:51:32
茂木先生、
初めてコメントさせていただきます。
今回の記事、大変共感致しました。
結婚し子どもを持ち、色々と制約のある生活を送る私は、
幸せではありますが、焦燥と葛藤の日々を過ごしています。
“自分がネットワークに絡みとられて、祝福され、その中でもがく
一つの粒子であると考えれば、できることもできないことも
一つの「縁起」なんだろう。”
このフレーズ、心に響きました。
素晴らしい言葉をありがとうございました。
何だか救われた気分です。
投稿: asami | 2007/07/13 9:33:14
はじめまして!毎週「プロフェッショナル」の番組を楽しみに見続けています。茂木先生の自分自身の内部から紡ぎだしていると思われる言葉の数々、そのときどきのコメントの的確さ、質問、コメントをするときの好奇心いっぱいの目の表情、エリック・シュミットさんとの短い対談時のマシンガン英語トーク、その高度な英語運用能力、普段の番組での頭の回転の速さ、すべてに魅力を感じています。ジョニー・デップ、野村萬斎その他私にとって魅力的な人物は何人かいますが、新たに茂木先生の名前が加わりそうです。嬉しい!英語教員を目指してこの夏の教員採用試験に備え学習中の38歳男性です。今月末に国連英検A級の二次試験面接があります。現在尊敬する人、そのようになりたい人の欄に茂木健一郎先生と書かせていただこうかと思っております。いつか茂木先生とお話できる日を夢見て・・・。
投稿: 重松周二 | 2007/07/13 9:00:59