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2007/07/31

脳の中の人生 12刷

『脳の中の人生』増刷

中公新書ラクレ
『脳の中の人生』は増刷(12刷、累計65000部)
が決定いたしました。
ご愛読に感謝いたします。


7月 31, 2007 at 12:20 午後 | | コメント (1) | トラックバック (0)

プロフェッショナル 仕事の流儀 第13巻

プロフェッショナル 仕事の流儀 第13巻
NHK出版

村松謙一さんの熱いハート。
浦沢直樹さんの「半眼に入る」創造法
石井裕さんの未踏の荒野をいく決意。

amazon 

7月 31, 2007 at 08:21 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

プロフェッショナル 仕事の流儀 職人たちの流儀スペシャル

プロフェッショナル 職人たちの流儀スペシャル

〜花火師・野村陽一、宮大工・菊池恭二、左官・挾土秀平、庭師・北山安夫〜

どのゲストも、強烈な印象が残っています。
一つの道を究めようとする人の
言葉もまた研ぎ澄まされるのは、
どうしてなのでしょう。
ずしんと響いて、心の一番芯まで
入り込み、
忘れがたい感触を残します。

NHK総合
2007年7月31日(火)22:00〜22:44

http://www.nhk.or.jp/professional/

7月 31, 2007 at 07:26 午前 | | コメント (1) | トラックバック (1)

トランペットの少年

ヨミウリ・ウィークリー
2007年8月12日号
(2007年7月30日発売)

茂木健一郎 脳から始まる 第65回

トランペットの少年

抜粋

 子どもというのは基本的には素直なもので、親を始め、周囲の大人の言うことにストレートに影響される。だからこそ、大人たちの責任は重大で、よくよく考えなければならない。
 鳥類の一部には、生まれてすぐに見た動くものを「親」だと思いこむ「刷り込み」と呼ばれる性質がある。人間の場合、さすがにそこまでは単純ではないものの、親の言うことは「そんなものか」と思ってしまうし、生まれ育った環境は「それが世界」だと考えてしまう。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/


7月 31, 2007 at 07:21 午前 | | コメント (0) | トラックバック (1)

発作的に作ったスペシャル料理

スケジュールが完全に崩壊していて、
やってもやっても仕事が
終わらない。

ソニーコンピュータサイエンス研究所に
にて、ガス協会の方々からインタビュー
を受ける。
ガス協会の冊子に掲載される予定。

集英社の雑誌『Marisol』のインタビューのため
キャスターの安藤優子さんがいらっしゃる。
脳の話など。

安藤さんに、キャスターとして
どのように働いているかという
話を聞く。

同時に複数のところを見て、聞き、
喋りながら残りの時間を考える。
すさまじいまでの集中をするという。

「残り3秒とか、7秒とか、
考えながら喋ります。たとえば13秒
というと、短いように思われるかも
しれませんが、実際には随分沢山の
ことを喋れるのですよ。」

生放送中は極度の集中で、
特に大きなニュースが飛び込んで
来た時などは心身が臨戦態勢に
なるという。

「ある司会者の方が、ニュースキャスターを
一度やってしまうと、その快感はとてつも
なく強いもので、他のどんな仕事をしていても
物足りなく感じてしまうと言っていました」
と安藤さん。

タイミングが大事で、極度の集中の中
感じ、判断し、動作していくところは
音楽家に似ているように思った。

安定感と、パッション。
安藤さんから伝わってきたもの。


研究所入り口にて。
左から、安藤優子さん、茂木健一郎、
研究所総務の北森裕見子さん、川島由美子さん。

NHK『食彩浪満』の収録。
白金台のフレンチ・レストラン
Restaurant Quintessenceにて。

シェフの岸田周三さん、
アナウンサーの上田早苗さんとともに、
料理をつくり、味わい、会話する。

岸田さんがつくった料理は、
サプライズに満ちていて
しかも完成度が高い。

なるほど、素材が組み合わさる
だけでなく、渾然一体となって
一つのものになる、しかし
混ざり合ってしまうことはない、
そんな気配を漂わせるのが
本当の料理なのだと瞠目した。

上田さんの進行ぶりはさすがで、
心から愉しかった。

もっと時間があったら、料理を
して楽しむのにナ。

私が発作的に作ったスペシャル料理が
どんなものであったか、
9月上旬(予定)の放送をお楽しみに。

「意識の流れ」の中で、さまざまな
世界の諸相が私の心の中を流れていく。

世界の中にある存在論的な多様性と、
私の中にある認識論的な多様性と。

後者が前者に追いつこうと
クオリアや無意識の想念やらを
充実させてきたのが、
人間の進化の歴史であった。

そのような意味でも、心脳問題は
認知プロセスの進化の問題と切り離す
ことができない。

7月 31, 2007 at 07:16 午前 | | コメント (7) | トラックバック (3)

2007/07/30

科学という文化

Lecture Records
茂木健一郎 『科学という文化』

ソニー教育財団 講演会
千葉市 海外職業訓練協会(OVTA)

講演、質疑応答

音声ファイル(MP3, 81.8MB, 90分)

7月 30, 2007 at 06:07 午前 | | コメント (6) | トラックバック (6)

やがてうっそうとした

以前から、私は、
「クリエーターは言い訳をしては
いけない」と言い続けてきた。

 芸大の授業でも、学生たちに
そう言ってきた。

 作品として顕れるものが
全てで、
 「本当はこうだったんだ」
とか、
 「こういう意味なんです」
などと説明してはいけない。

 日曜日。
 雷とともに激しい雨が降り、
それが上がったのをサインに
近くの公園の森を走った。
 さすがに斜面はぬかるみで、
行くと自分がイノシシになった
ような気がした。

 走り終えて歩いている時に、
「あっ、そうか」
と思った。

 野生動物は、言いわけができない。
 出くわした時に、
 「オレはこういうやつだから」
 「実はこういうわけなんだ」
などと説明することはできない。

 お互いの気配、見えるもの、
聞こえるもの、
 触るものが全てである。

 言い訳をしないで生きるという
ことは、つまり野生動物に
なることである。

 千葉市の海外職業訓練協会(OVTA)
に開かれているソニー教育財団の
「リーダー養成セミナー」
でお話させていただく。

ソニー科学教育研究会
の各支部から推薦された地域のリーダーと
なる40代前半の先生方が中心と
なった会。

 日本人の中で、科学的思考
というものが何か、わかっている
人の割合はせいぜい1%くらいなの
ではないか。

 だから、先生方は「宣教師」
のようなものなのです。
 そのように申し上げた。

 夜、六本木ミッドタウンの
「玄治店濱田屋」にて、岩宮恵子さん、
新潮社の鈴木力さん、寺島哲也さん、
古浦郁さんと懇談。

 岩宮さんの『思春期をめぐる冒険ーー
心理療法と村上春樹の世界』(新潮文庫)
に解説を書かせていただいたのを
機会にお誘いいただいた。

 北本壮さんが待ちかまえていて、
その場でゲラの体裁の確認をした。

 鈴木さん、寺島さんは村上春樹
さんの担当編集者である。

 岩宮さんは、先に亡くなられた
河合隼雄さんのお弟子さんであり、
 さまざまな大切な想い出をうかがった。

 私の中での河合さんの想い出は
年経た大木のように息づいている。
 お話をうかがううちに、
その大木の周囲に潜んでいた
木々が暗がりから姿を現し、
やがてうっそうとした森の
気配に包まれる。

 そんな思いがした。

7月 30, 2007 at 06:02 午前 | | コメント (7) | トラックバック (4)

2007/07/29

ボクがもし地球だったら

箱根における、NHK社会情報番組部
『プロフェッショナル 仕事の流儀』チームの
合宿。

昔から、映画などでは小津安二郎監督の
撮影チームを「小津組」などと言ったり
するわけであるが、
私たちはいわば「有吉組」。
しかし、

「歓迎 有吉組ご一行様」

などとホテルの至るところに
書かれていると、映画などの映像方面では
ない「別の方面」のヒトタチだと
思ってしまう向きもあるかも
しれない。

遅れて到着した時の光景。
河瀬さん、有吉さん、赤上さんが
宴席で声を張り上げて歌っている。
NHKの近くの楽器店で買ったという
一万二千円のギター。

ギター一つでこんなに楽しめるなんて!
「数字を持つ男」河瀬デスクも、
本領発揮である。


伝統正しき宴席ソング。
左から赤上亮ディレクター、有吉伸人チーフプロデューサー、河瀬大作デスク。

すみきちブログ(July 28, 2007)にあるように、 
住吉美紀さんはパワー全開で、
鯛が威勢良くピチピチピチ! と跳ねる
ように、別の生きモノのようであった。

その気合いの入り方は、皆でカラオケを
歌っている時のこのスナップの「眼力」
に明らかであろう。


住吉美紀さんの眼力(拡大部分)

 明けた朝、温泉から出て戻る道すがら、
前夜に有吉伸人さんと熱く語り合った
ことを思い出した。

 それで、自分たちのやろうとしている
ことの意味がふと降りてきた。

 今まで、テレビではできないと
言われてきたことを目指すこと。

 数字だけではない。
 新しい文法、精神の感触、
つまりはフロンティアを開拓すること。

 ああ、それは、勇気と希望を
与えるヴィジョンである。

 すみきちの眼力を「守護神」として、
これからも有吉組は奮闘しますゾ。

 都内に移動。

 東京大学理学部物理学科は
私のふるさと。
 建物の近くを歩いていると
昔の匂いがする。
 懐かしい。

 小柴昌俊先生のノーベル賞受賞を記念して
作られた小柴ホールにて、
 Lisa Randallさんの講演会。


小柴ホールで講演するLisa Randallさん

 Lisaさんは、女性として初めてハーバード大学
の理論物理学の教授になった人で、
 専門は超ひも理論、超膜理論。

 この宇宙には、「4次元」時空以外に
もう1次元の余剰次元が存在し、
 その中での超膜理論のダイナミクスから、
重力などの力が生じ、
 重力が自然界の他の力に比べて
弱いという「階層性問題」などが
解決できるという理論的仕事で
有名になった。

 その著書Warped Passagesは、
全米でベストセラーになり、
 翻訳書『ワープする宇宙』がNHK出版から
発売中である。
 今日の讀賣新聞には、私が書いた
『ワープする宇宙』の書評が掲載されている。

 LisaさんのLectureの後に、
私との対談があった。

 とても率直で、気さくな方で、
対話を心から楽しんだ。

 印象的だったのは、
「理論物理学者になるには何が
必要か」と聞いたのに対して、
 「dedication」(献身)だと思う
とLisaさんが答えたこと。

 「どれくらい献身的だったのですか?」
と聞くと、
 「一番集中していた時の私には、誰も
会いたいとは思わなかったでしょう」
との答えが返ってきた。

 当日の模様は、8月25日(予定)
のNHKBS『未来への伝言』
で放送される予定。

 最後は、みんなで
スタンディング・オベーションして
Lisaさんに感謝。

 科学することの最高のエキサイトメントと
インスピレーションに満ちた時間だった。

 NHKの堅達さんを始めとする関係者、
『ワープする宇宙』を監訳された
東大の向山信治先生と、学生さんたち、
私の研究室から、石川哲朗、柳川透、
箆伊智充、それに電通の佐々木厚さんが
Lisa Randallさんを囲む。

 黒澤明監督ゆかりのしゃぶしゃぶのお店、
「黒澤」。


Lisa Randallさんと。永田町の「黒澤」にて。

 学生たちがLisaさんといろいろ議論している
のを見ながら、
「ああ、長い一週間だったなあ」
と呆然と振り返る。

 ボクがもし地球だったら、
くるくるくるくると回り続けても、
 太陽さえしっかり見据えていれば、
きっと疲れないはずだ。
 
 ボクの太陽は、生命哲学のど真ん中に
きっとある。

7月 29, 2007 at 09:02 午前 | | コメント (6) | トラックバック (5)

2007/07/28

何かがどこかに

眠いねむいと思いながら
朝早く起きて、東京駅へ。

乗る前にぎりぎりまで
仕事をして、終了、送信。

PHPの横田紀彦さん、丹所千佳
さんと西へ。

眠って睡眠不足を解消
しようとも思ったけれども、
考えてみると急ぎの
仕事がある。

バタバタやり始めて、
名古屋駅到着一分前に
終了、送信した。

トヨタ自動車株式会社の
元町工場へ。

ここは、完成車体の組み立てを
している。

想像していたよりも、ずっと
明るくて、カラフルな工場内。

さまざまな車種が混ざって
ラインを流れてくる
「混流生産」。

ボディがくると、それに必要な
部品が合流してくる
SPS(Set Parts System)を
採用している。

何か必要があって呼び出しをかけたり、
ボディやパーツの到着を知らせる
時に音楽が鳴る。

軽やかで、心を和ませる
ものが多く、そのことも、
やわらかで明るい印象を工場に
与えていた。

続いて、エンジンを生産している
上郷工場へ。

不良品を出さないために
積み上げられる膨大な工夫に
感銘を受けた。

トヨタにおける
「創造性の文化」が印象に残る。

「創意くふう」を皆がする。
A4一枚の紙に書いて、提出する。
金賞や銀賞、その他の賞が与えられる。

創造を、一部の才能に恵まれた人の
独占物とするのではなく、どんな人も
全てかかわる事とする。

「短歌」や「俳句」など、誰でも
参加できる短型詩を発達させた
日本の文化的特質をバックグラウンド
として、トヨタの「創造性の文化」
が花開いた。

工場内でいろいろと説明して
いただいているときに
愉しく思ったこと。

独自の言葉が発達していて、
それらがまるで標準語であるように
使われている。

「アンドン」、「カンバン」、「にんべんの自働化」、「ポカよけ」、「カイゼン」、「見え
る化」・・・。

 「トヨタ生産方式」を象徴する
きら星のごとき言葉が、私たち
ヴィジターに対しても特に説明
がつくことなく飛び出す。

 トヨタという組織内で流通している
言葉が、そこにいる人の血となり、肉となり、
まさに空気のように呼吸しているので
なければ、
 あれほど自然に言葉が出てくることは
ないだろうと思った。

 「トヨタ」という、実に濃い文化。
それが今世界一の自動車生産に結実
しようとしている。

 小田原へ。
 箱根湯元の富士屋ホテルにて、
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
班の合宿。

 遅れて宴会場を探していると、
「有吉組」という看板があったので
そこだとわかった。

 住吉美紀さんがキューティーハニーを
歌っているのを見ながら、
有吉伸人さんと「やりますよ」と
熱く語る。

 「数字を持つ男」河瀬大作も
気合いの表情。

 みんなで大いに語り、飲んだ。

 朝お風呂に入っていると、
水面から反射した光がゆらゆらと
映えて、
 何かがどこかに着地したような
気がした。

7月 28, 2007 at 08:25 午前 | | コメント (8) | トラックバック (3)

2007/07/27

科学大好き土よう塾

科学大好き土よう塾

特集土よう塾クイズ・生物

2007年7月28日(土)
09:15〜10:00
NHK教育

http://tv.yahoo.co.jp/bin/search?id=86251956&area=tokyo

http://www.nhk.or.jp/daisuki/schedule.html

7月 27, 2007 at 05:50 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

もう忘れてしまいました

仕事が遅れてしまっている
みなさま、ごめんなさい。
 ボクは一生懸命やっているのです。
 しかし、時が十全に全てを満たす
ことを許さないのです。

 朝、大切な用件のために、
銀行に行った。
 そこから、原稿を書きながら
NHK出版に向かった。

 大場旦に約束していたからである。

 オオバタンの前で、原稿を
必死で書いた。
 意識の本質にまつわることを。


オオバタンがくれたスターバックスに励まされて。

 オオバタンの机は、以前と様子が
変わっていた。
全然違う場所に移るのかと思っていたら、
同じ場所だった。

 本人は、前に比べたらすごくキレイに
なったと言っていたけれども、
どうでしょう、皆さん。
 そんなにキレイになったかなあ。


机がキレイになったろう、と自慢するオオバタン。

 西口玄関に向かってオオバタンと歩いた。
 さようなら、オオバタン。また会う日まで。
 ボクはがんばるよ。
 と、その時は思っていた。

 『プロフェッショナル』の収録。
 ゲストは、助産師の神谷さん。
 いやあ、考えさせられたなあ。

 自称「数字を持っている男」河瀬大作
デスクと打ち上げをする。

 河瀬さんが、「この後編集アップなんだけどね」
とやる気を見せていると、
 その勢いに引き寄せられるように、
次々と人がきた。

 日経BPのwebpageの『プロフェッショナル』
に関する記事を書いて下さっている
 渡辺和博さん。

 昼間会ったばかりのオオバタン。

 その上、なんと、東京に新たに
オープンする外資系ホテルの
壁を仕上げたばかりの挟土秀平
さんが来た。
 
 挟土さんは、
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の8回目のゲストである。
 ボクと住吉美紀さんが、「スタジオ収録で
あんなに笑った記憶がない」という
くらい。
 人を笑わせる、素敵な人だった。

 有吉伸人チーフプロデューサーは、
「挟土さん、タレント事務所に紹介しましょうか」
と言っていたくらいである。

 挟土さんが来て、ボクは
笑った。
 いろいろなことを忘れて、
「今、ここ」を楽しんだ。


左から、挟土秀平さん、デスクの山本タカさん、オオバタン

 いやあ、諸君、どんなに忙しくても、
気の置けない人たちとの談笑の時間。
 これは必要だと思うよ。

 生命力というのは、実にそのような
時に育まれるんじゃないかな。
 
 朝早く起きて、睡眠不足でも、
がんばろうと思う。
 
 オオバタンが、「茂木さん、仕事を
しましょうね」とスゴんだことも、
もう忘れてしまいました。

7月 27, 2007 at 05:44 午前 | | コメント (9) | トラックバック (2)

2007/07/26

When closed doors set us free

When closed doors set us free.

シンガポールの新聞Straights Timesに、
Janice Tayさんが
When closed doors set us free
という記事を書き、この中で
私の英文ブログ
The Qualia Journalの隈研吾さんに
関するエントリー(Creative Concessions)
を引用し、URLも
ご紹介くださいました。

Creative Consessions(The Qualia Journal) 

When closed doors set us free (pdf file) 

7月 26, 2007 at 09:13 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

星空とモーツァルト・モード

星空とモーツァルトの音楽の共演

開催中!

東京・お台場 メディアージュにて。

http://www.sonyexplorascience.jp/mozartmode/

7月 26, 2007 at 07:58 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

ぼくのなつやすみ3

ぼくのなつやすみ3
スペシャル対談

茂木健一郎 × 綾部和

http://www.jp.playstation.com/scej/title/bokunatsu3/taidan02.html#

7月 26, 2007 at 07:55 午前 | | コメント (1) | トラックバック (4)

純粋な黄金のような

ボクだって、朝はゆっくり眠って
いたいけれども、早く起きなければ
ならない時は仕方がない。

 できれば、ほぼ90分周期の
自然な睡眠サイクルの中で
目覚めたいが、
どうしても必要な時には目覚ましもかける。

 ネスカフェの方々たちとの
ニューロマーケティングに関する議論の
ために、新神戸へ。
 電通の佐々木厚さんもご一緒。

 新幹線の中で、ボクは額に
シワを寄せて真剣な表情で仕事を
していたのだ。

 何しろ、やるべきことの山は
崩しても崩しても減らない。
 全くマイッタものだ、
これじゃあ、シシュポスの神話だよ。
 ああ。

 三ノ宮近くの会場で、ネスレの
方々と有意義な議論を持った。
 
 神は細部に宿る。

 幻冬舎の大島加奈子さんが
著者との打ち合わせのために
たまたま神戸に来ているということで、
佐々木さんが呼んでご飯を食べた。

 「茂木さん、タイメシに行きましょう」
というから、ボクは「そうか、今日は
エスニックか」と思ったが、
 本当は「鯛飯」だった。
 
 仮想のあては外れたが、美味しかった。
諸君、神戸は瀬戸内海なのであるゾ。
 せちうちには、鯛がふさわしいでは
ないか。
 しかし、よく考えてみると、
海はタイ王国にもつながっている
のである。

 帰りの新幹線の中で、うとうとと
眠ってしまう前、
 佐々木さん、大島さんと話した。

 その中で、なぜ、小学校の
時の「好き」という感情は
あれほどまでに純粋なのか、
という話になった。

 大島さんは、小学校の時、四年間
好きな人がいて、
 いつもお風呂の中で相合い傘を
描いていたそうである。

 そんな話をしていて、
ボクは思った。

 それはつまり、子どもの時は
みんな純粋な黄金のような
精神のパワーを持っている
からじゃないかなあ。

 小学校の頃には、皆純粋に
輝いているから、それだけ
好きだという力も強くなるん
じゃないか。
 自分も相手も。

 黄金の輝きをもった
精神が、中学、高校と行くに
つれて、次第にくすんでいく。

 大事な質問は、
「今までの人生の流れ、
現在のしがらみ、自分の資質、
そのようなことを全てとっぱらって
考えるとしたら、あなたの夢は
何ですか?(何だったのですか?)」
ということではないかと思う。

 先日、JRに乗っていたら
都心でミンミンゼミが聞こえて
びっくりした。

 地下の数年間があるから
あれだけ懸命に鳴くのだろうか。

7月 26, 2007 at 07:40 午前 | | コメント (7) | トラックバック (2)

2007/07/25

自発性の玉

聖心女子大学の広尾側の
門から上る階段に、
いつもの猫はいなくなっていた。

そこは日が当たって暖かい
ところなのだが、
むしろ涼を求める気分に
なったのだろう。

試験。
終わった人から
解答用紙を置いて部屋を
出て行く。

三百数十名が二つの部屋に
分かれて受けた。

電通の佐々木厚さんを交えて
ミーティング。

渋谷のNHK西口玄関まで
歩く途中で、小池耕自さんに
出くわす。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の初期、私と小池さん、それに
河瀬大作デスクが「極悪三兄弟」
を名乗っていたことがあったの
だった。

小池さんは、その後、
『クローズアップ現代』に
移られた。

イガグリ頭の僧侶的
印象の迫力は変わらない。

保江邦夫さんに
久しぶりにお目にかかる。

保江さんは、イギリスから
本物の
戦闘機の中古を輸入しようと
したらしい。

「オヤジが戦闘機乗りだった
んでね」
と涼しい顔で言う保江さん。

税関で止められ、廃棄処分の憂き目に。

交渉したところ、機体の一部は
入れられるということで、
岡山の実家の敷地にある。

グーグル・アースで確認できる
とのこと。

朝日新聞社の高橋真理子さんを
ご紹介いただく。

保江さんに、「君は変わらないなあ。
考え方も。感じ方も」
と言われる。

はてそうかしらん。随分沢山の
水が橋の下を流れたはずなのだけれども。

人間の内なるある種のものは、
決して育つのではなく
摩耗するだけではないかと思う。

どんな子どもも、生まれた落ちた
時に光り輝く自発性の玉のようなものを
持っている。
それが次第に摩耗していって
しまう。

大切にその玉を抱いていたい。

夜、『プロフェッショナル』の
アイガモたちを見る。

数ヶ月だけ水田を泳ぐその
生の最初に、カモたちは
光り輝く玉を一つひとつくわえて
いるように見えた。

(ココログのメンテナンスのため、
日記公開が遅れました)

7月 25, 2007 at 03:06 午後 | | コメント (12) | トラックバック (1)

2007/07/24

プロフェッショナル 仕事の流儀 古野隆雄

プロフェッショナル 仕事の流儀 第59回

失敗の数だけ、人生は楽しい
〜農家・古野隆雄〜

農業は気が付くと
時代の最先端にある。
自然という複雑な対象の中にある
豊かな可能性をいかに育むか。
古野さんが可愛いアイガモとともに
模索する答えから目が離せない。

NHK総合
2007年7月24日(火)22:00〜22:44

http://www.nhk.or.jp/professional/

Nikkei BP online 記事
楽天的に「失敗」できる人
〜農家・古野隆雄

7月 24, 2007 at 07:39 午前 | | コメント (1) | トラックバック (4)

太く大きく

 朝一番で、土井利忠さんと
研究所で議論する。
 飛鳥新社から、土井さんが
出版する本について。

 議論しているうちに、ある
ことに気付く。
 それは、過去何回も経過してきた
論点であったが、気付いてみれば、
「それ以外に議論すべき点はない」
というほど、
意識の本質に迫る観点だった。

 マッハの原理や、チューリングマシン
といった関連する概念とも
深く関わる。

 「そうか、この問題を解けば、
zombie問題にも答えられるのか」
 あまりにも当たり前過ぎて、
かえって不思議に思えた。

 先週ザルツブルクに出張したので、
その分『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録が月曜日にもある。

 NHKの101スタジオの近くの
控え室に入ってすぐ、
 さっきインスピレーションが
襲った意識の問題についての洞察を
ノートに記した。
 忘れないように書いた。
 いつものペンではなく、
 太く大きく
 マジックインクで記した。

 もっとも、問題の所在がフォーカス
されても、それをどのように解くのか
という道筋は見えない。

 最近の朝は風に吹かれながら
ベランダで、というのが定着
して、ふわふわふわふわ
気持ちいい。

 風さえ吹いていれば、
世界は気持ちが良い。

7月 24, 2007 at 07:32 午前 | | コメント (4) | トラックバック (6)

2007/07/23

穏やかな作用

新潮社の塩澤則浩さんから
メールをいただき、
Engineの鈴木正文編集長が
「スピードは脳が求めるんだ!」
と言っているから、
スーパーカーと一緒に
写真に収まって欲しいと
ご依頼いただいた。

日曜日の朝、
目黒近くのスタジオに出かけた。

現場に、とても不思議な恰好を
したヒトがいた。
半ズボンで、上はポロシャツに
ネクタイをして、
プラダのバッグを持っている。

まるでアニメに出てくる
キャラクターのような
方。
ちょっと、『千と千尋の神隠し』
の「かまじい」にも似ている。

服を選んでいる時や、
撮影中、
「うーん、ジャケットよりコートの
方がいいかなあ」
「車を愛している、っていう
感じで寄り掛かりましょうか」
「うん、学者らしくなってきた」
などとスルドイひと言を飛ばすので、
ボクはてっきりこのヒトは
アートディレクターとか
そういうヒトに違いない、
と思いこんだ。

撮影が終わり、では、机に
座ってお話を、
とおもむろに取りだした
名刺を拝見してびっくりした。

そのプラダのかまじいのヒトこそ、
他ならぬ鈴木正文編集長だった
のである。

Engineの前はNavi編集長を
つとめた伝説のヒト。

話しているうちに、どんどん
内容はハイブロウな方向に行き、
心脳問題とか、現象学とか、
メディア論などが飛び出す。
「あのう、これでいいんでしょうか」
と時々不安げにうかがうと、
「これでいいのです!」
と力強く断言する鈴木編集長であった。

リアリティが変容するような
不思議な体験をした気がして、
「いやあ、世の中にはいろいろな
ことがあるものだ」
という感慨を抱きながら、
等々力の村井正誠記念美術館へ。

隈研吾さん設計の美しい空間で、
隈さんと対談をする。

宝島社の田畑博文さんの
発案。

館長の村井伊津子さんのご厚意で、
場所を提供していただいた。

隈さんと、「負ける建築」とは
どういうことか、
人間の欲望のあり方を
どのように方向付けて
いくべきか、
生命の本質とは何か
などの点について、
ディープな話をゆったりとする。

対談を終えると、隈さんは
「いやあ」と手を挙げて
さっそうと帰っていった。
ナイト・フライトで
パリに向かうとのこと。

村井伊津子さんには、
とてもおいしいランチを
ご馳走になった。
絶品だった鶏レバーのパテ。

レシピをいただいた。
今度作ってみようと思う。
ありがとうございました。

庭にある二つのビオトープに
メダカが泳ぎ、
トンボが舞い、
自然の様子を見ていることが
実に穏やかな作用を心理に
もたらすことを
改めて実感した。

村井さんに、等々力渓谷まで
送っていただく。

「ゴルフ橋」というのは、
昔はゴルフ場があったから
なんですよ。

鬱蒼と茂った森の気配に、
過ぎ去りし時の不可視な
姿が、少し手元に
引き寄せられた気がした
日曜の夕刻。


対談を企画した宝島社の田畑博文さん


隈さんと。ビオトープの庭を眺めながら。

7月 23, 2007 at 08:04 午前 | | コメント (5) | トラックバック (3)

2007/07/22

アイガモ農法に学ぶ

ヨミウリ・ウィークリー

2007年8月5日号

(2007年7月23日発売)

茂木健一郎 脳から始まる 第64回

アイガモ農法に学ぶ

抜粋

 子どもの頃、家の近所を歩いていると、時々干からびたミミズを見つけた。
なぜそんなところに出てきてしまったのか。人間とは遠く離れた小さな生命でも、不憫に感じた。
 しかし、よく観察すると、必ずしも悲しむべき光景ではないとわかった。ミミズの死骸には、しばしば、アリが群がっている。ご馳走を巣に運ぶ列ができている。一匹のミミズが死ぬことによって、沢山のアリが生きることができる。ミミズの死はちゃんと役に立っているのである。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/


7月 22, 2007 at 09:18 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

情報倫理

金曜日の夜。
どうも疲れていたらしく、
9時間くらいは眠った。

一度起きたのだけれども、
それから眠って、「時差スイッチ」
が入ってしまったらしい。

フジテレビで
『ベストハウス1、2、3』
の収録。

NHKで『プロフェッショナル 仕事の
流儀』の打ち合わせ。

須藤ユーリさんが
干したマンゴを「ほい」と
くれる。

現在フィリピンに取材中で、
一時帰国したユーリさん。

「マンゴ」の複数形は、
「男は行く」というスペルに
なることに初めて気付いた。

男ユーリ、ひとりフィリピンを行くのである。

竹内薫が、7月22日の日記で、amazonに載った自著の書評について嘆いている。

日本のネット文化において「匿名性」
が強いことについては、様々な
歴史的要因があるのだろう。

個人が言挙げしにくい文化風土、
俳句や短歌などの「雅号」、
巨大匿名掲示板の隆盛。

インターネットというと、
世界共通のように思うが、
文化は国によって大分違う。

ハンドル名などを用いて実名を
用いないというのは、日本に顕著な
現象であることは知っておいて
良いと思う。

アメリカのアマゾンでは、ブックレビューを
本名で書いていることを示す
Real Nameというサービスがあり、
その割合は多い。

韓国のSNSでは、実名が基本で、
SNSの中に親戚が全員いる、
という状態になっていると
東大の水越伸さんに聞いた。

欧米の著名人に会って、メールアドレスを
交換すると、何のひねりもない
実名であることが多い。

テレビのプロデューサーに聞いた
話だが、番組への意見を募集する時に、
本名、郵便番号、メールアドレスなどの
最低限の「属性」を書き込むことを条件に
すると、クオリティが格段に上がる
のだという。

「何よりも、文章自体がまともになる
んですよ」
とそのプロデューサーは言った。

個人名を明らかにして書けば、
それはその人の個人的な意見になる。

ところが、匿名で何かを書くと、
あたかもそれが社会の「空気」である
かのような錯覚が生じる。

ネットは世界を結んでいるにも
かかわらず、日本語圏は事実上
閉じているから、自分たちの
特殊性に気付かずに済ませてしまって
いることが随分多いのではないかと
思う。

インターネットというメディアは、
日本人にとって、自らの姿を
映す鏡になっている。

「匿名で書かれた意見は、無視して
かまわない」

極言すれば、そんな情報倫理を日本人も
少し持ったらどうかと思う。

7月 22, 2007 at 09:00 午前 | | コメント (17) | トラックバック (11)

2007/07/21

電車が来るまで

金曜日。

空港から家に直行し、
荷物を置き、シャワーを
浴びて、仕事にでかける。

文芸春秋の大川繁樹さんに
お目にかかる。

大川さんは、文學界の編集部に
14年いらした。
ここ数年は編集長として
辣腕を振るい、
私も「脳の中の文学」
(単行本『クオリア降臨』)
の連載の際にとてもお世話になった。

今年の春、長年いらした
文學界編集部を後にして、
書籍の方に移られた。

この度、
松岡正剛さんと私の対談本を
ご担当下さることになり、
本当にありがたく思っている。

大川さんとは、「持調子」
が合うとでも言うのか、
仕事を抜きにしてもいろいろ
意気投合することがある。

大川さんはクラッシック音楽に
造詣が深く、ボクは演奏会場から
足が遠ざかっているので、
いろいろ教えていただいた。

日本のオーケストラは、
随分レベルが上がっているのだと言う。

ワグネリアンでありながら、
ボクが一度も行くことができない
でいるバイロイト音楽祭。

大川さんは、二十年くらい前に
出かけてシノーポリ指揮で
『パルジファル』を聴いた。

チケットを持っていなくて、
Ich suhe Karteとプラカードを
持っていたら、
合唱団にいた日本人の女の人が、
かわいそうに思ったのか、
チケットをくれたのだという。

それが現在の奥さんならば
話ができすぎているけれども、
残念ながらそうではなかった。

大川さんは、ホテルも予約して
いなくて、音楽祭の時期のバイロイトが
予約なしでホテルがあるはずもなく、
駅で、シュトゥットガルト行きの
電車が来るまで6時間待っていた
のだという。

「いやあ、今思い出すと良い想い出ですよ」
と大川さん。

そんなことを言う大川さんが、ボクは好きだ。

7月 21, 2007 at 03:37 午後 | | コメント (2) | トラックバック (2)

河合隼雄先生のこと

河合隼雄先生のご逝去の報に接し
たことは、私にとって深い悲しみ
となりました。

河合さんのこぼれるような笑顔に
接して、親しくお話させて
いただいたことは、私の人生の
何よりの宝物です。

河合さんの京都のクリニックを訪ね、
箱庭を作り、分析して
いただいたこと。

朝日カルチャーセンターの対談で、
「中心を外さないこと」の大切さを
教えていただいたこと。

タクシーの運転手が、お客さんが
河合さんと知らないままに、
いつの間にか人生の打ち明け話を
始めてしまい、
気が付くと全然違う場所に
着いていたということが
何回もあったという、その
不思議な魅力に満ちたお人柄。

相づちの打ち方や、何気ない言葉の
返し方の中に、深みを持った
叡智が感じられました。

もっとお話させていただきたい、
教えを受けたいと願っても、
それを果たすことができません。

ここに、生前のご厚情を偲んで
心からご冥福をお祈りいたします。

茂木健一郎

河合隼雄先生。京都市内のクリニックにて。
2006年2月4日。

7月 21, 2007 at 11:59 午前 | | コメント (12) | トラックバック (4)

2007/07/20

The trumpet boy in Salzburg

The trumpet boy in Salzburg

The Qualia Journal

19th July 2007

http://qualiajournal.blogspot.com/ 

7月 20, 2007 at 09:03 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

帰国

ウィーンの空港で
シャーロックホームズ・シリーズの
Valley of fear
を買って読んでいたら
眠ってしまって
朝ご飯は逃した。

成田はザルツブルクより
涼しい気がする。
何しろ、三十数度あったから。

眠っている間は、
James Joyceの
Dublinersの朗読が
耳から流れていたはず。

最近audio bookが好きに
なった。
Dublinersでは、
青年が飲み物をおごって
もらうシーンがお気に入り。

7月 20, 2007 at 09:00 午前 | | コメント (6) | トラックバック (3)

2007/07/19

The origin of non-locality in consciousness

Lecture Records

Ken Mogi
The origin of non-locality in consciousness

Quantum Consciousness conference.
18th July 2007
University of Salzburg, Austria

Lecture followed by questions and answers.

音声ファイル(MP3, 27.2MB, 30分)


Department of Natural Sciences, University of Salzburg.

7月 19, 2007 at 02:18 午後 | | コメント (3) | トラックバック (0)

永遠の学生

ホテルから大学への道は世界遺産にも
指定されている旧市街を通る。

本当に楽しみで、しかし
二日だけである。

そう、もうあっという間に終わってしまった。

ミラベル公園を通る。
美しい。

ヨーロッパの庭園は幾何学
に基づいており、
日本庭園とは異なるプラトン的
領域を刺激される。

会場に着き、Jim Laukesを
見ると、何やら見覚えのある
Tシャツを着ている。

「あれ、それ!」

ボクが数年前につくった
「Qualia」のTシャツをJim Laukes
が着ていてくれた。

Einsteinを組み合わせた画像は、
qualia-manifesto.comのトップページに
掲示していたもの。
復活させようかしら。

自分自身のトークは、
The origin of non-locality in consciousness
という題。
質疑応答が楽しかった。

二日間たっぷり量子力学と意識の
関係について考えた。
いろいろ議論もした。

魂の洗濯をして、戻る。

ボクは学部を出た後学士入学して、
博士課程に行ったから、計11年
大学生をしていた。

カナダのホストファミリーの
Vernaが呆れて、
Ken、あなたはeternal studentを
やるつもりかと言った。

もしそれだったら、お金持ちの
女の人と結婚しなさい、
そうすれば、一生勉強できるよ、
とVernaは言った。

お金持ちうんぬんはともかく、
「永遠の学生」というのは
そんなに悪くないと最近思う。

脳の学習はオープンエンドで、
学ぶことが沢山あるということは、
小学生でも、年経た研究者でも
変わりがない。

研究も、創造も、広義の学習の中に
含まれるとボクは思う。

外国の大学のカフェテリアで
ランチをとりながら
話をするというのは独特の
楽しさがあるが、
それも今日で終わり。

ヘルムート、フランシスと
喋りながら「最後の昼食」を摂った。

自分の発表が終わり、
それが一日の最後のセッションでもあった。
田森佳秀、院生のトミタくんと
旧市街にぶらぶらと歩いた。

カフェトマゼリでビールをのむ。
しかし、この二人といると、
「ザルツブルクで優雅な時間を」
というのとは違う雰囲気になるのである。

トミタくんが首に下げているタオルには、
「北國新聞」と染めてあった。

近くで子どもがトランペットを
吹いていて、時々音を外す。
近くに、ステージパパのような
風体の男の人が立っていて、
観客が小銭を落とすと肯いていた。

その様子を見ていて、ボクは
モーツァルトを思い出してしまった。

ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトは
まさにこの街で育ち、
そして6歳の時からヨーロッパ中を
旅して演奏した。

それは、「こんなに小さな子が
立派に演奏する」という多分に
「見せ物」的な要素を含んだ
興行であり、実際、モーツァルトは
大きくなって「見せ物」としての
価値がなくなるにつれて苦労した。

モーツァルトの生涯の前半は、
子どもの見せ物から本物の音楽家への
変貌をいかに人々に判らせるかという
苦闘であった。

そんなことをぼんやりと想いながら、
ボクが本当に大好きなトマゼリの
空気を味わった。

田森のたっての希望で
ものすごく辛くしてもらった
インド料理を食べ、
ザルザッハ川のほとりで風に
当たる。

苦労なんて買ってでもすべきだなあ。

一生上り続ける。

一介の「永遠の学生」
でいいんじゃないかと思う。

7月 19, 2007 at 02:03 午後 | | コメント (8) | トラックバック (3)

電子メール

ザルツブルクに来てから私が
お送りしたメールの一部が
届かないという現象が生じている
模様です。

「茂木からメールが来るはずなのに
来ていない」
という方、上の点ご留意
くださいますよう。

茂木健一郎

7月 19, 2007 at 12:46 午後 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/07/18

ひとさし指でツンツン

ザルツブルク大学で、
学会会場を見渡していると、
あれ、見なれた顔がある。

わが畏友、田森佳秀である!

出発前、あまりにも忙しかったので
会議参加者の名簿をろくに
見ていなかったし、
普段ならば連絡を取り合うのが
しばらくご無沙汰だったので、
田森も来ているとは夢にも
知らなかった。

田森がいるとわかった瞬間から、
なんだか顔がにやにやしてしまって、
シリアスな気分が少し吹っ飛んだ。

田森佳秀と言えば、
数学に異常な才能がある男。

ある時薔薇の折り紙は何回折るんだ
と聞いたら、
山手線の中で突然黙り込んでしまって、
何駅か行った後で、
「84回」
と答えた。

あまりにも面白いエピソードが
多く、「田森佳秀半生を語る」
というCDをつくりたいくらいだ。

パーティーで、ホストのグスタフ・
バーンロイダーと田森佳秀の
ツーショットを撮影。

田森は、なぜか普通の人ならば巻き込まれない
ようなトラブルに遭遇するという
類い希なる才能を持っている。

「最近はなかったのか?」
と聞いていると、案の定、
面白い話が飛び出した。

乗り換えをした
フランクフルト空港でのこと。

以下は田森クンによる、何が起こったかの
証言。

「オレ、身体検査の時は、ベルトも
全部外すんだよ」
「ベルトで鳴ることもあるから、念のために
外すんだ」
「そうしたら、係官が、『それも外せ』
とか言うんだ」
「何もない、と言ったんだけれども、『そこに
何かあるだろう』とか言うんだ」
「それから、係官は、オレのお腹を、棒の
ようなものでつついたんだ。」
「こいつ何するんだ、と思っていたら、
手を持ち替えて、今度はひとさし指で
つつくんだ」
「おなかをひとさし指でつついてから、
そいつは、『これは違う』っていった。」
「『これは違う』って言って、やっと
納得した」

「不意打ちだったから、腹筋に力を
入れる余裕がなかった」
「いやあ、まさに気にしていたんだよ。
機内食、今回は食べないつもりでいたん
だけれども、眠っていて、ふと目が
覚めたら目の前にボン! と置かれていたんで、
ついつい食べてしまったんだよ。」
「普通さ、メタル・ディテクターに
引っかかってから調べるじゃん。そうじゃ
なくて、ゲートを通る前に、オレの
腹を見て、『ものを
ここに置いていけ』という感じで、
言いやがったんだ。」
「オレはちゃんと主張したよ。
ゼア・イズ・ナッシングって。」
「それでも、あいつは納得しなかったんだ。」
「ゼア・イズ・ナッシングが悪かったのかな。
何か隠していると思ったのかな。」
「ぴたりとした、緑のTシャツだったから
いけなかったのかな。」
「機内食を腹に入れて、座っているうちに
段差ができたんだ。」
「いやだなあ、と飛行機の中で思っていたんだ。」
「すごく気にはしていたんだけどね。
これはいかんなあ、と思って。」
「背の高い、マジメそうなドイツ人の係官
だった。」
「なんか、あのマジメさがイヤだな」

ボクは田森の話を聞きながら
大笑いしてしまって、
あまりの爆笑の発作に
もう死ぬかと思った。

一緒にいて一部始終を目撃した
とみたクンの話も参考になった。

面白い
話を聞いて、幸せになりました。
田森佳秀クン、ありがとうございました。


お腹をツンツンされた田森佳秀クン

7月 18, 2007 at 04:04 午後 | | コメント (12) | トラックバック (2)

量子力学と意識の関係

ボクは、量子力学と意識の関係が
それほどストレートフォワード
であると思っているわけではない。

ペンローズとハメロフの、
マイクロチューブルにおける
量子計算のモデルについては一貫して
批判的だったし、
シュレディンガーの猫や、
ウィグナーの友人と意識の問題を
結びつける議論は足りないと
思っている。

何よりも、「スケールのギャップ」
の問題がある。
ミラーニューロンに象徴される
認知神経科学の「システム論的転回」
で明らかになったように、
意識の現象学的な諸相は明らかに
神経細胞のシステムレベルの
属性に依存する。

量子力学に基づく議論は、
悪い意味で還元論的なのだ。

それでも、今回ザルツブルクに
来ようと思った理由は、conventional
なやり方だけではムリだとつくづく
思ったからである。

意識に非局所性があることは
間違いない。
それと量子力学の非局所性は
関係があるのか?
波動関数の収縮との関係は?
このあたりの問題を、じっくり
考えてみたいと思った。

ザルツブルク大学の自然科学
キャンパスに向かう道は美しい。


Freisaalwegに入ると、そこは緑野で、
ホーヘンザルツブルク城や、
ウンタースベルクが見え、
心が安らぐのだ。

セッションの合間、Jim Laukesと
話した。

アリゾナのCenter for Consciousness
Studiesの創設者であるAlwyn Scottは、
意識の問題を解くには100年単位の
時間が必要だと常々話して
いたという。

「問題なのは、誰も、全体像を
見渡して、一つのシステムをつくろうと
していないことだ」
とJimは言う。

量子力学のアプローチをとっても、
部分にとらわれて全体を見ていない。
逆に言えば、全体を見ることは
困難なことである。

やはり、意識の現象学的様相、
neural correlatesについて現在
得られている知見を総合的に
見渡してsynthesisする、
ダーウィン的なアプローチが
必要なのだと思う。

7月 18, 2007 at 04:00 午後 | | コメント (5) | トラックバック (1)

2007/07/17

プロフェッショナル 仕事の流儀 田中健一郎

プロフェッショナル 仕事の流儀 第58回

名門の味は、気持ちでつくる

〜ホテル総料理長・田中健一郎〜

田中さんは、100ー1=0だという。
ハードルを高く設定し、それをクリアする
ために全力を尽くす。
東京ホテル戦争の勝者は、外資系
だとは限らない。
日本には日本のサービスのスタンダードが
ある。
それを磨けば、新しい世界標準を示す
ことができるかもしれない。
かつて、日本の懐石料理がヌーベル・
キュジーヌに通じたように。
田中さんの生き方に、スランプでも負けない
根源的な強さを見た。

NHK総合
2007年7月17日(火)22:00〜22:44

http://www.nhk.or.jp/professional/

Nikkei BP online 記事
「スランプ」を積極的にとらえる 〜ホテル総料理長 田中健一郎〜

7月 17, 2007 at 11:53 午前 | | コメント (5) | トラックバック (5)

文脈をはるかに超えて

ザルツブルク大学には、友人
グスタフ・バーンロイダーが
いて、
何回か訪れた。

3週間ほど滞在したことも
ある。

ザルザッハ川から旧市街に歩いて
いくと、もうそれだけで心が
満たされる。

飛行機の中で一つ仕事を
終え、ホテルに入ってもう一つ
仕事を完成させてから歩き始めた。

午後8時を過ぎても、まだ
明るい。
ミラベル庭園の手前の道で
川沿いに出た。

ホーヘンザルツブルク城を見ると、
ああ、来たなと思う。

いかに文脈の限定を超えるか。
そんなことばかり考えている。
いかに、広い文脈で仕事をするか。
あるいは、もともとは限定された
文脈での仕事であっても、
それを超えて行くか。

ホテルのロビーにあったDie Weltには、
リヒャルト・ワグナーのひ孫、
ウォルフガング・ワグナーの
娘のカタリーナ・ワグナーの記事が載っていた。

カタリーナは27歳。
ヴィーラント・ワグナーとともに
戦後のバイロイト様式をつくった
ヴォルフガング・ワグナーは
今年の8月の誕生日が来ると88歳。

ヴォルフガングの後継者として、
カタリーナは有力候補視されており、
今年のバイロイトで
『ニュルンベルクのマイスタージンガー』
を演出することでデビューするのだという。

一面に「偉大な名前、大きな演出」
という見出しが出て、写真付きの
一頁のインタビューが出るのは、
ドイツ語文化圏という文脈ならではの文脈。
バイロイト王朝の後継者争いは、
大ニュースである。

日本ならば、さしずめ、歌舞伎役者の
襲名のようなもの。

それぞれの文脈の中で育まれたものが、
どれくらい人類文化にインパクトを
与えるかということは、
文脈の限定をどう超えるかという
ことにつながる。

新潮社からこのほど発売される
講演の中で、小林秀雄さんが
言及している、
ゴッホが自分という個性を
乗り越えるための凄まじい格闘。

日本の文化が日本の文化である
限り、人類の普遍への貢献は
限られたものになる。

脳科学もまた同じこと。
リヒャルト・ワグナーその人は、
文脈をはるかに超えていった。

モーツァルトの生家のすぐ近くにある
Zipfer Bierhaus
が私のザルツブルクでのお気に入り。

片隅のテーブルに座って、Zipferを
飲み、Wiener Schnitzelを注文する。

まだまだ生まれたばかりのような気がする。
文脈に浸り、しかし文脈から自由になり。
そのような精神運動のやっかいさと
喜びについて考えた。

ビールの味が日本よりも濃い。ほろ苦く
そしてやがて甘い。

7月 17, 2007 at 11:34 午前 | | コメント (9) | トラックバック (6)

2007/07/16

ウィーン

成田で飛行機に乗る少し前に、
揺れた。

新潟で大きな地震。

機上、
ずっと仕事をしていたら、
MacBookが熱暴走と
思われる不具合。

ウィーンで乗り換え中。

冷めたらしく
やっとシステムが立ち上がる。

様々なことの根底が
揺らいだようで、ドキドキする。

仕事の必要上、三遊亭円朝の
『真景累ヶ淵』
を読む。

この人はやはり天才だった。

ウィーンに飛行機が到着した時、
オーストリア人二人が、
「何だい、これは! 東京より暑いじゃないか!
と驚いていた。

まだ明るい。
あと少しで、ザルツブルクへの飛行機。

7月 16, 2007 at 11:08 午後 | | コメント (4) | トラックバック (0)

モーツァルトを生きる

先日東京ブックフェアーの
際にお目にかかった
グーグルのブックサーチ
担当のアダム・スミス氏は、
「グーグルは、そこにユーザーを
長い時間とどめておこうとするのでは
なく、むしろどんどん
いろいろな他の所にいって欲しい、
通過点のような場所になりたいと
思っているし、実際そうなっている」
という意味のことを言われていた。

サーチ結果をクリックして、
「他の場所」に向かう。
そのようなスイッチボードの
役割をグーグルは果たしていると。

インターネット自体の、現実に
対する役割も、そのようなもので
良いのかと思う。
インターネット自体にとどまる
ことが目的なのではなくて、
現実に存在する人間だとか、
本だとか、場所だとか、音楽だとか、
そのようなものへとリンクする。

そして、運動をうながす。

子どもの頃、プロ野球を見に行き、
試合終了とともに選手たちが
さっさと引き上げるのが
不思議だった。
特に、負けた時は早かった。

もう少し球場にいて、
「名残を惜しむ」ような
ことがあっても良いではないかと
思っていたが、
今では、あれがプロの倫理、感覚
というものだということがわかる。

ベストを尽くすべき時間は試合中であって、
終わってしまえばそこに彼らがやるべき
仕事はない。

現代人とインターネットの関係を
考えていて、あの光景が思い出された。

Bunkamuraのバックステージに
入るのは初めてだった。
十分に大きいが、本格的な演出つきの
オペラをやるには狭い。

「だから、演目によっては、
トラックを横付けして、幕が
終わる度に全部搬出したりして
いたのです。」
と聞き、なるほどと思う。

東京フィルハーモニー交響楽団
のモーツァルト『イドメネオ』
の公演で、プレトークをする。

演奏会形式。
チョン・ミュンフンさんが
チェンバロを弾きながら指揮を
する。
モーツァルト当時のやり方。

『イドメネオ』には、国家や、
神といった大文字の概念が
出てくる。
それらのものが、登場人物
一人ひとりの生に直接かかわって
くるところは近代以降とは
違う。

モーツァルトの素晴らしいところは、
小文字も大文字も含む視座を
持っているところ。
大文字だからと言って、厚かったり、
不可視だったり、粗暴だったりは
しない。
スケール不変な透明感の中に、
美しい旋律を描く。

モーツァルトを
感じるだけでなく、モーツァルトを生きる
ためにはどうすれば良いかという
ことを考える。

チョン・ミュンフンさんを始め、
ステージ上の人たちは、
今、この瞬間、モーツァルトを生きている。

演奏会が終わり、街の雑踏を歩いていると、
モーツァルトは次第に遠くなっていった。

感覚するだけではダメで、
運動して初めて世界観のバランスは
とれる。
とにかくもう、
ボクは手足を動かしたいんだなあ。

脳髄を目一杯動かして、思考運動の
中に身を投じるのがウレシイんだよ。

夜明けに鳴くカラスの声を
数えてみたら、
カアカアカアと
3回鳴く時と、
カアカアカアカア(4回)、
カアカアカアカアカア(5回)、
カアカアカアカアカアカア(6回)
とバリエーションあり。

はて、彼らは数えながらやっているのかしらん。

私も一つ、数えながらやって
みようかな。

7月 16, 2007 at 05:53 午前 | | コメント (9) | トラックバック (5)

2007/07/15

Salzburg

2007年7月16日(月)午前から
2007年7月20日(金)午前まで、
Quantum Mind 2007 Salzburg
に参加するため日本を離れます。

この間、メールは読める予定です。

http://www.sbg.ac.at/brain2007/

Abstract of my presentation, " The origin of non-locality in consciousness",
is available at the Origin of Consciousness blog.

http://origin-of-consciousness.blogspot.com/ 

7月 15, 2007 at 08:00 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

リサ・ランドール来日講演会

2007年7月28日(土)
東京大学 小柴ホール

第1部(2時〜)
リサ・ランドール講演会

第2部(4時30分〜)
対談
リサ・ランドール × 茂木健一郎

http://www.s.u-tokyo.ac.jp/jimu/pages/0624/index.html 

7月 15, 2007 at 07:41 午前 | | コメント (1) | トラックバック (4)

イドメネオ(本日)

チョン・ミュンフン指揮

東京フィルハーモニー交響楽団

モーツァルト 

『イドメネオ』(演奏会形式)

渋谷 Bunkamura
2007年7月15日(日)15:00〜

プレトーク 茂木健一郎
14:20〜14:40

http://www.tpo.or.jp/japanese/concert/0707.html

7月 15, 2007 at 07:32 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

歴史の暗がりから本を引き出す。

ヨミウリ・ウィークリー

2007年7月29日号

(2007年7月14日発売)

茂木健一郎 脳から始まる 第63回

歴史の暗がりから本を引き出す。

抜粋

 英国のケンブリッジ大学に留学していた頃、カレッジの建物から少し歩いた所にある大学図書館に通った。
 書架のある巨大な建物の中に入ると、ぷーんと紙の匂いがした。目当ての本をアルファベットと数字の分類番号で探し出した。分厚い本を手にすると、開いているテーブルに座った。窓の外には、イギリスの初夏の明るい風景が広がっている。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/


7月 15, 2007 at 07:25 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

「今、ここ」の物理的空間に

最近インターネットに関する
感覚が変わってきた。

確かに大きな進歩だが、
似たようなネットワークは、
この物理的空間の中で、ずっと
以前から存在しているように
思う。

ネット上のシンボリックな情報の
凝縮に相当するような
関数は確かにない。

しかし、よりゆったりと、しかし
深く広く浸透する関係性は、
物理空間の中にもともとあるの
であって、
それは身の回りの本や、紙や、
生きものたちの間に
明らかである。

関係性に対するアウェアネスを
ネットに「丸投げ」してしまっては
ならぬ。

「ネット・アスリート」として凝縮
された情報空間を疾走するのは
現代人の「必修種目」であるが、
ネットに想像力を奪われてはならない。

「科学大好き土よう塾」の収録。

マジックのナポレオンズの二人が
ゲスト。
例の頭にボックスをかぶせて
ぐるぐる回るマジックを生で
初めて見た。

スペシャルということで、クイズ
形式。
リン、マイホ、ナオキの子どもたち
三人も楽しそうであった。

中山エミリさんの瞬発力には
相変わらず感心する。

塾長の室山哲也さんが、パネルの前に
思わず出てきて解説してしまう
その「身体性」は存在感があった。

ネットが人々の生活を
変えるとしたら、
「今、ここ」の物理的空間に
最終的には何らかの変化が
起こらなければならない。

ネット・アスリートとして
ウェブ上で大量の情報を収集し、
凝縮し、再び返すことを繰り返して
いるうちに、
自分自身の哲学が変化していかなければ
ならない。

インターネットが本格化して10年。
そろそろ、その人格涵養、現実変容に
おける真価が問われ始めている
時期なのだろう。

ネットが生み出した新しい現実が、
人々が携帯電話やパソコンに
ずっと向かっている光景だった、
ということで良いはずがない。

7月 15, 2007 at 07:22 午前 | | コメント (7) | トラックバック (5)

2007/07/14

チョウのはねのひみつ

チョウのはねのひみつ

科学大好き土よう塾

2007年7月14日(土)
午前9時15分〜9時59分
NHK教育

http://tv.yahoo.co.jp/bin/search?id=84957125&area=tokyo 

http://www.nhk.or.jp/daisuki/ 

私が子どもの頃につくった蝶の標本が
登場します。

7月 14, 2007 at 07:31 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

仕事=遊び

仕事=遊び

プロフェッショナル日記
 
2007年7月14日

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/professional/

7月 14, 2007 at 07:25 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

どかんと座れば

木曜日のプロフェッショナル
の収録は、「アイガモ農法」
を実践されている
古野隆男さんだった。

アイガモたちは
水田に放たれるとずっと動き回って、
仕事をしている。
その様子を見ていて、
人間もそうでいいんだと思った。

朝からクワックワッと
動き回る。

待ったなしの急ぎの仕事
(と言っても、複数あるのだけれども)
も終わらせ、研究所へ。

ゼミ。

田谷文彦クンが、実に
面白い記憶に関する論文を
紹介してくれた。

電通の佐々木厚さんの紹介の仕事で、
高崎へ。
「脳とブランド」について
熱弁。

ボクは思った。
こうやって忙しく動き回っている
けれども、「私」はいつも
「今、ここ」にいるだけじゃ
ないか。

コペルニクス的転換で
地球の方が動いていることに
なったが、
現象学的還元の下では、
「私」ではなく、
やはり地球の方が動いている。

「私」の自我は、常に
「今、ここ」にどっしりと
腰を据えている。

世界の方が動き、私の中に
さまざまな痕跡を残していく。

インターネットの上で
起こっている情報のリンケージや
圧縮は、有史以来、
ずっと昔からそれぞれの脳の人の
中で起きていたのである。

以前見た
武者小路実篤の絵に、達磨を
描いて、
「どかんと坐れば動かない」
というものがあった。

私も、いったんどかんと座れば、
テコでも何でも動かないゾ!

7月 14, 2007 at 07:11 午前 | | コメント (7) | トラックバック (3)

2007/07/13

縁起

昨日は久しぶりに
少しだけたっぷり眠った。

疲労がたまっていたらしい。

そういえば、最近夢を見ていなかったなあ。

以前朝日カルチャーセンターで
やった南直哉さんとの
対談を火曜日に聖心女子大学の
授業に行く時に聞き直していた。

六本木駅で乗り換える頃、
「縁起」に関する対話に
さしかかっていて、
それを聞いていてふと
悟ったことがあった。

以前から時々考えて
いる問題がある。

誰にでも、自分にとって大切な
問題、テーマがいくつか
ある。しかし、人生でそれが
できるとは必ずしも限らない。

子どもの頃蝶を追いかけて
野山をかけ回っていた私にとって、
熱帯雨林の中に一年くらい
くらしてじっくりと生態系を
観察するということはひとつの
夢であったが、
今のところ実現する気配はない。

ジョン・レノンの
『ビューティフル・ボーイ』
の中に、

Life is what happens to you while
you are busy making other plans

という歌詞がある。

いろいろなことを夢見ながら
結局は進んでいってしまう
人生。

誰でも、現実に起こっていることの
何倍もの「仮想」に包まれて移動
している。

南さんと自分の対話を聞き直して
いて、
そうか、それがつまり「縁起」
とうことだったんだと気付いた。

人はひとりで存在するわけではく、
周囲との関係性の連鎖の中にある。

その中で、なにかができることも
あるし、できないこともある。
自分がネットワークに絡みとられて、
祝福され、その中でもがく
一つの粒子であると考えれば、
できることもできないことも
一つの「縁起」なんだろう。

そんな中で、時間が経っても
かわらない志向性を抱きうる
ことは、恒常性の奇跡。

やがて
目を閉じて、自分のうちなる
霧の中に身を浸すと、
忘れかけていた不思議なものたちの
姿が見え始める。

「本来」はこの世から一度離れて
みないとわからぬ。
孤独の中には、滋味がある。

7月 13, 2007 at 07:52 午前 | | コメント (12) | トラックバック (6)

2007/07/12

森の朝

朝一番で、田辺史子の
博士論文中間発表。
「陳述記憶の動的な編集メカニズム」
と題して。

すずかけ台には中央に木が
繁っているエリアがあり、
まるで森の朝を歩いているよう。

とても早い時間だったのにも
かかわらず、研究室の
メンバーのうち、石川哲朗、
高川華瑠奈、加藤未希が
聴講に来てくれた。

仲間が見守ってくれている
というのは何よりの励みになるなり。

田辺は無事見事に中間発表を
終えた。
審査委員の先生方、ありがとうございました!
新幹線に乗る。
一心不乱に仕事をしていると、
「もぎさ〜ん!」
と声をかけてくる人がいる。
見上げると、
セーラ・マリ・カミングスさんだった。

姫路に行くのだという。

大阪大学工学研究科
知能・機能創成工学専攻での
集中講義。

「偶有性」について、
エンジニアリング的視点から。
「身体性」の問題に
ついて議論した。

浅田研究室の中野吏
くんが積極的に議論して、
なかなか良い味を出している。

浅田さんの研究室に行き、
CB2(シービースクェア)を
見せていただく。

空気アクチュエーターを
使ったことによって、
中枢的コントロールを
及ぼすコンピュータと、
身体の間に興味深い相互作用が
いくつか生まれた。
ファカルティ・クラブで、
浅田稔さん、石黒浩さんと
歓談。

おもしろい話がいろいろ出た。

景色が良い。次第に夕景の
中で闇が濃くなっていく。

お酒を飲みながら知的に刺激の
ある話をするのが一番魂にとって
楽しいことなり。

われはembodied soulとして
今日もまたこの地上を行く。

7月 12, 2007 at 07:47 午前 | | コメント (5) | トラックバック (4)

2007年7月10日の写真

2007年7月10日の写真


打ち合わせをする岩井ディレクター(右)と
河瀬デスク(左)


池田さん(左)と松家さん(右)


金さん(左)と池田さん(右)



三重編集長。


トロフィーを考えたのは金さんです。


『ひらめき脳』10万部突破!

7月 12, 2007 at 07:18 午前 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2007/07/11

ヒット記念

聖心女子大学今期最後の授業。

終了後、何人かの学生が
写真を一緒に撮ろうというので、
なんだか卒業式のような雰囲気になった。

門から入って上る階段にいつも
眠っている猫をなでるのも、
あと試験の時一回だけである。

『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせ。
カルガモを使った稲作。

福岡放送局から
岩井ディレクターが参画して、
コメントを読む。

打ち合わせ終了後、
みんなで一食でごはん。
最近「タンパク質」
を摂ることを命題として
いる住吉美紀さんもしっかりと
したご飯。

しかし、私は時間がなかったので
もりそばだけでおしまい。

これだけだと思うと、そばの
おいしさが身にしみたよ、諸君。

みずほ総合研究所主催の講演会。
講演90分と、パーティーでの
名刺交換60分ずっと喋って
のどがガラッパチに。

読売新聞。
読書委員会に立ち寄って、
本を物色する。

大手町から銀座まで歩く。
たそがれの街を行き交う人々は
どこか寂しげで、しかし
しっとりとした良い顔をしていて。

ぼくの魂も、ひさしぶりに
ゆったりとした癒しを感じたなあ。
いやあ、諸君、夕暮れの街
というものは、実に良いものだヨ。

銀座の松屋裏にある「はち巻岡田」
にて、
新潮社の『ひらめき脳』10万部
突破「戦勝会」

新潮新書の三重博一編集長、
「考える人」「芸術慎重」編集長の
松家仁之さん。
ご存じ小林秀雄を始めとする文壇の
生き字引、池田雅延さん。
ホッピー大王、金寿煥さん。
ニヒルなあごひげ、北本壮さん。

私の敬愛する素晴らしい方々が
いらして、話の花が咲いたよ。
きれいな花。

「はち巻岡田」は
学生時代噂をきいて
憧れていたが、
「大人になってから来る」
ものだと思っていた。

果たして私は大人になったの
かしらん。

金さんが、記念の
トロフィーをくれた。
「こんなのは初めて見ましたよ」
とみんな言う。

てっぺんにバッターがいるのは、
「ヒット記念」ということらしい。

池田さんと車中さまざまなお話を
しながら帰った。

7月 11, 2007 at 10:49 午前 | | コメント (6) | トラックバック (0)

メモ

聖心今期最後の授業。
NHK打ち合わせ。
講演会。
読売新聞。
新潮社「ひらめき脳」10万部
突破「戦勝会」
銀座 はち巻岡田にて。

7月 11, 2007 at 08:39 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/07/10

プロフェッショナル 仕事の流儀 美濃邉惠一

プロフェッショナル 仕事の流儀 美濃邉惠一

プロフェッショナル 仕事の流儀 第57回

人事を尽くして、鬼になる
〜鬼師・美濃邉惠一〜

美濃邉さんとお話して、ボクは、「鬼」
が大好きになった。
「鬼」は笑っているのだと美濃邉さんは言う。
何だろうと皆が近づいてくるような、
そんな気配があるから魔除けになる
のだという。
鬼瓦の伝統を受け継ぐことは、そのまま、
模索し、創造することであった。

NHK総合
2007年7月10日(木)22:00〜22:44

http://www.nhk.or.jp/professional/

「見る」学習と「なぞる」学習

7月 10, 2007 at 06:14 午前 | | コメント (5) | トラックバック (5)

スローで行きますから

完全に寝不足!
 今週は実にちとスケジュールが
きつい。
 やることがあり過ぎる。
 ボクは、どうなってしまうのだろう、
諸君!

 尾崎豊についての
取材。 
 研究所。

 尾崎について普通に語れば良いのだと
思っていたら、
 ちと違っていた。

 演出は、佐藤輝さん。

 尾崎豊の映像を、デビュー以来
ずっと撮影されてきた
方である。

 いきなり
 「茂木さん、それで、途中で
オザキの歌をうたってしまったり
しましょうか」
などと言われた。
 
 ムムム。なんだか様子が変だぞ。

 カメラマンもびっくりしていた。
 ボクが喋っている間、
 カメラをぶるんぶるん
振ってしまえとか佐藤さんが
言っている。

 「あのう、フレームアウトしても
大丈夫なのでしょうか」
とボクがおずおずと聞くと、
佐藤さんは、平然と、
 「ああ、その場合、音声は生かして、
映像はスローで行きますから、大丈夫
ですよ」
と言っている。

 「十五の夜」を朗読した。
カメラが斜め上、至近距離から
ボクをねらっている。
 ついに歌わされてしまった。

 「彼は真面目な人でした」
と佐藤さん。

 「ツアーなどでも、いつもノートに
歌詞を書き付けているのです。」
 「プロモーション・ビデオの撮影でも、
何度撮り直しさせられても、文句一つ
言わずやっていました」

 初めて経験した音楽的
撮影のメソドロジー。

 とにかく
 びっくりした。
 そして、感動した。

 尾崎豊と時間をともにしてきた
佐藤輝さん。
 不思議で忘れがたい空気を運んできた。


佐藤輝さんと。


撮影中。


いやあ、まいったまいった。

(Photos by Tomio Takizawa)

7月 10, 2007 at 06:11 午前 | | コメント (9) | トラックバック (2)

2007/07/09

ラスベガスで「学んだ」大人になるためのノウハウ

ヨミウリ・ウィークリー
2007年7月22日号
(2007年7月9日発売)
茂木健一郎  脳から始まる 第62回

ラスベガスで「学んだ」大人になるためのノウハウ

抜粋

 ラスベガスとくれば、何と言ってもギャンブル。1931年にギャンブルが合法化されて以来、ギャンブルを含めたエンタティンメントに観光客が惹き付けられる形で街が発展してきた。
 とりわけ、「ラスベガス・ストリップ」と呼ばれる数キロメートルに渡る通り沿いには、エジプトのピラミッドを始め、パリのエッフェル塔、ニューヨークの超高層ビル、ベニスの運河、さらには時折「噴火する」火山までをも摸した様々な巨大ホテルが立ち並ぶ。全米のすぐれた景観を持つ道路を米国連邦運輸省が選ぶ「オール・アメリカン・ロード」の一つとして選定されている魅力的な通りである。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/


7月 9, 2007 at 06:12 午前 | | コメント (1) | トラックバック (0)

チョウトンボになってひらひらと

チョウトンボというトンボがいる。
 
棲息地にいくと群れ飛んでいるらしいが、
私は生涯で三回しか見たことがない。

一回目は、生まれ育った土地の
自宅の近くの神社の森だった。
沼があり、その近くの木の梢を
飛んでいた。

図鑑でしか見たことがなかったが、
一目で「チョウトンボだ!」と
わかった。
他のトンボ類とは飛び方が
明らかに違っていた。
ひらひらと、
空気の中でダンスを
舞うように飛んでいた。

小学生の時だった。

ネットを持ってはいたが、
とても届くような高さではなかった。
飛び方の優雅さと、
その飛行する空間の高さが、
まるで天女のような印象を
与えた。

二度目は、十年ほど前、
近江八幡に行った時のこと。
小高い山に登ったら、その頂上
にチョウトンボがいた。

やはり、手の届かないような
高い空を、
ひらひらと美しく舞っていた。

山を下りても、
しばらくその姿が脳裏を離れなかった。

そして三度目は、
つい二週間ほど前。

いつも走る近くの公園の
木の梢を、
チョウトンボがひらひらと
舞っていた。

「あっ、チョウトンボだ!」
と思わず立ち止まった。

空にシルエットが浮かぶ。
見上げる私を風が包んだ。

何時も前触れなしに
現れて消える不思議な存在。

それから森を走る度に、
目撃した場所で立ち止まって
梢に目を凝らすが、もう出会わない。

どうやら、チョウトンボは
忘れた頃に私の人生に姿を
現すらしい。

一回目と二回目の間には
20年。
二回目と三回目の間には
10年の歳月が流れた。

今度チョウトンボが目の前に
現れる時には、
私の人生はどうなっていることだろう。

不思議な場所を占めている。

日曜日の夕刻。
椎名誠さん、小泉武夫さんと
鼎談。

たき火について。

たき火の炎は一瞬たりとも
同じであることはなく、
まるで生きもののよう。

脳の中の神経細胞の活動も、
たき火の動きに似ている。

椎名さんはたき火のプロである。
シベリアでたき火をした時の
お話が面白かった。

マイナス50度。
燃やしても、暖かくならないのだと
いう。

「手を炎から三センチくらいに
近づけないとあたたかさを感じない
のですよ。
 それでわかったのですが、たき火で
あたたかいのは、あれは空気が
あたたまるんですねえ。
 いやあ、せっかくのたき火なのに、
一向にあたたまらなかったから、
 あんなに情けないことはありません
でしたよ。」

 小泉武夫さんとお目にかかるのは
初めてだった。
 とても気さくな、素敵な
人だった。

 心の動きの表し方が
とてもストレートで、
周囲の人の気持ちをなごませる。

 日本経済新聞夕刊で長年連載を
持たれている。

 日本酒をコピリンコ、コピリンコ。

 独特の「小泉擬態語」の起源を
うかがった。
 なるほど。
 先生、納得いたしました!

 椎名さん、小泉さんと語り合って、
 何だか、こう、心がふわっと
開かれたような、
 そんな気持がしたなあ。

 ボクもここは一つチョウトンボになって
ひらひらと梢を飛んでみようかしら。


椎名誠さん、小泉武夫さんと。(photo by Tomio Takizawa)

7月 9, 2007 at 06:08 午前 | | コメント (11) | トラックバック (5)

2007/07/08

The brightest searchlight

The brightest searchlight.

The Qualia Journal

8th July 2007

http://qualiajournal.blogspot.com/ 

7月 8, 2007 at 11:59 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

『偶有性の自然誌』

Lecture Records

茂木健一郎 『偶有性の自然誌』
Natural history of contingency

東京大学駒場キャンパス 
2007年7月4日

音声ファイル(1時間目)(MP3, 70.1MB, 76分)

音声ファイル(2時間目)(MP3, 81.5MB, 88分)

7月 8, 2007 at 11:16 午前 | | コメント (9) | トラックバック (18)

脳から見た同時代

Lecture Records
茂木健一郎
『脳から見た同時代』

神奈川大学 生涯学習エクステンション講座
2007年7月7日
横浜みなとみらい

音声ファイル(MP3, 86.8MB, 95分)

7月 8, 2007 at 11:04 午前 | | コメント (3) | トラックバック (4)

ヘトヘトに疲れちまって

横浜のみなとみらいへ。

神奈川大学 生涯学習エクステンション講座
の連続講演会
時代を知る―同時代を生きること―
で、「脳から見た同時代」という題で
話す。

一時間前についてふらふらと。
ドックヤードがあり、石積みの
内壁が見える。

その風景を見ていて、
「出会い」ということを
テーマで話そうかと思った。

カレーライスを食べて建物に
入ったら案外ぎりぎりの
時間だった。

フジテレビに移動。
「ベストハウス1、2、3」
の収録。

お笑いの芸人たちの
言葉の空中戦が心地よい。

移動しながら仕事をした。

ハードな一週間だったため、
かなりの疲労が蓄積されていて、
それをムリしてアップに
しているから、
ついつい睡魔が襲う。
 
子どもの頃の夏休みのように、
その時々の状況に没頭して、
ヘトヘトに疲れちまって、
それで石のように眠る。
大人になってもそれでいいんじゃ
ないかと思う。

研究室のSociety for Neuroscienceの
abstractの査読結果が帰ってきて、
何人かがslide presentationになった。

11月の本番まで、学生たちには全力で
研究をして、見事なプレゼンテーションを
できるよう、
がんばってもらいたい。

何もずっと研究のことを考えていろ
というのではない。
あり得ないほどの集中をする
時間帯を持って欲しいのである。

オレは「偶有性の自然誌」とクオリアを
結びつけるべく集中する。

7月 8, 2007 at 07:52 午前 | | コメント (7) | トラックバック (4)

2007/07/07

一瞬たりともとどまることのない

朝一番で「美」に関する
ミーティング。

2時間、集中して美の生物学的意味、
社会心理的構造、
そして実証への道筋を考えた。

「ぼくのなつやすみ」
シリーズをつくってきた
綾部和さんにお目にかかって
話す。

最新作は、プレイステーション3用の
『ぼくのなつやすみ3』
北国篇- 小さなボクの大草原。

綾部さんのふるさとである
北海道の羊蹄山付近が
モデルとなっている。

「ぼくのなつやすみ」は、夏休みに
親戚の家に預けられた少年が
昆虫採集をしたり、魚とりを
したりして次第に自分の世界を広げて
いくというストーリー。

昭和40年生まれの綾部さん。
あの頃の少年の夏休みの
なつかしさが美しく表現されて
いて、シリーズでミリオンを
超えるセールスを記録している。


綾部さんは、少年時代、どちらかと
言えば家にいて一人で絵を描いて
いたりしたので、
友だちと野外で思い切り遊ぶという
ような夏休みを経験している
わけではないのだという。

自分が経験したことの記憶を
ノスタルジーを持って描くという
のではなく、むしろ経験しなかった
ことの「欠落感」が創造の鍵に
なるということは、しばしば見られる
現象である。

宮崎駿さんも、自分の作品は理想的な
子ども時代を過ごせなかったことと
関係していると言われていた。
 
今まで、「ぼくのなつやすみ」
は日本の「典型的な夏」、
たとえば関東近辺の夏を描いている
という世界観だったが、
今回は北海道を舞台に選んだ。

植生や昆虫も日本の典型とは
違う。
しかし、「ぼくのなつやすみ」
は実は北海道の夏を惜しむ感覚が
背景になっているのだという。

「ぼくも、最初につくっている時に、
これほど切ない感じになるとは
思わなかったのです。北海道の
夏は、休みの終わりが近づくと
もう秋の気配で、そのはかなさが
シリーズのトーンを決めたのかも
しれません。」
と綾部さん。

いい話を聞いた想いがした。

綾部和さんと。

ゼミ。
野澤真一が、大脳基底核、視床、
皮質のループについて、サーベイを
した結果を報告し、「こんな研究を
したい」と「青年の主張」をする。

野澤クンの目指している方向は
正しいと思います。
しかし、いろいろな困難があると
思うので、そこは一つぜひ
がんばってくださいね。
応援するゾ。

関根崇泰がついに論文を書き始めた
らしい。

修士一年の戸嶋真弓さんは、
実は大学で英語を教えているという
レッキとした大学の先生である
という不思議な人で、
茂木研究室の英語戦略の重責を
担っている。

「英語ゼミ」で実に高度な
話をしているのを、「横耳」で聞いていた。

朝日カルチャーセンター。

Natureに掲載された
パーソナリティーの進化に関する論文。
Life history theoryにおいて、
将来のresourceに対する期待が
変化するに従って、
hawk and dove gameや
predator gameにおける
risk taking behaviourが
変わってくるというもの。

市川猿之助が狐忠信、板東玉三郎が
静御前を演じた『義経千本桜』
を見る。
1992年の収録。

私が心から愛する猿之助の「四の切」。

忠信になって、一生懸命に語ったり、
舞ったり、回ったりしているのを
見ていて、
過ぎし日が偲ばれ、
一瞬たりともとどまることの
ない時というものを思った。

グーグル・ブック・サーチの
プロダクト・マネッジメント・
ディレクターのアダム・スミス
氏にお目にかかる。

アメリカで先行している
本の一部を検索表示するサービスは、
今まで知られず、売れなかった本が
「動く」きっかけになっていると
言う。

深き胎動を感じる。

山に登れば、遠く
広く見渡すことができる。

グーグルは文明における造山運動
である。

ちょっと忙しすぎた。
ヘトヘトになった。

眠って起きたら
なおった。

木々は相変わらず葉をさざめかせている。

7月 7, 2007 at 09:27 午前 | | コメント (12) | トラックバック (7)

2007/07/06

誰でもピカソ

誰でもピカソ

テレビ東京系 

2007年7月6日 22時15分〜23時9分

http://www.tv-tokyo.co.jp/pikaso/

7月 6, 2007 at 06:48 午前 | | コメント (4) | トラックバック (3)

脳と演劇

朝日カルチャーセンター
脳と演劇 第一回

2007年7月6日(金)18:30〜20:30
朝日カルチャーセンター新宿

http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0707koza/A0301_html/A030101.html

7月 6, 2007 at 06:46 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

不在こそが力に

ボクは走るけれども、
筋トレ系はどうも苦手である。

 マシーンなんて単純作業で
つまらないし、
普通にやる腹筋や腕立て伏せも
あまり面白くない。

 ずっと、走るのは
野外だから楽しいのは当たり前だと
思っていたが、
 それだけでなく、習慣の
問題かもしれないと思い始めた。
 
 世の中には筋トレが好きな人も
いる。
 歌人の
 穂村弘さんは学生時代
筋トレにはまっていたという。

 きっと、ドーパミン放出の
強化学習の一回りができて
しまえば、筋トレが好きになれる
のだろう。

 ボクはまだその一回りが
訪れていない。

 そんなことをぼんやりと
考えていたら、小学校2年生の時の
ある出来事を思い出した。
 
 放課後、校庭の一周200メートルの
トラックを走っていて、
 ボクだけ下校時刻までしつこく
回り続けて、確か五十何周か
したのだった。

 バカみたいだったが、あれで
「走ること」にはまったのかもしれない。

 キンコンカンコーンと鐘が
なった時に、「ああ気持が
良かった」と思った。
 あの瞬間にはまったのかもしれない。

 先に『殯の森』(もがりのもり)
でカンヌ映画祭グランプリを
受けた映画監督の河瀬直美さんに
お目にかかる。

 河瀬さんは奈良の寺で
新作の撮影に入っていた。

 撮影現場には、
 長谷川京子さんと村上淳さんが
いた。
 長谷川京子さんは
『プロフェッショナル 仕事の流儀』
を見て下さっているということ。

 河瀬さんは、生活している
中で、自分の中にある様々な
動きに耳を傾けていれば、
 そこに様々な波乱や激動が
あるのだという意味のことを
言われた。

 今日は調子が悪くても、
化粧をして人に会わなくては
ならない。
 そのような文明の趨勢とは
別の「生きるベクトル」が
あるのだと。

 『殯の森』で、
森の中に分け入っていく
しげきさんを追う真千子が、
異界へと入っていく力を持つ
のは、
 大切な人を亡くしたからである。

 不在こそが力になることが
あるのだろう。
 
 京都駅には祇園まつりの
音楽がすでになり始めていた。

7月 6, 2007 at 06:44 午前 | | コメント (8) | トラックバック (2)

2007/07/05

リフティングというのは

コンピュータのトラブルで、
手間取った。

やっと復旧。

昨日、池上高志と話して
いた時のことを思い出す。

「お前、最近忙しいの?」
「ああ、今日は大変だったよな。
なあ、佐藤。」
「そうですね」
「どうしたの?」
「授業で使っているスターリング・エンジンが
動かなくなったんだよ。365日動いて
いて、今日に限って急に動かなくなったん
だぜ。」
「氷で動くんじゃないんですか」
「オレは液体窒素が手に入るからな。
地下に行くと、一杯50円だから」

池上もボクも、トラブルでマイッタ。

機械というものはいったんトラブルと
際限なく時間を食うものなり。

サッカー日本代表元監督の
岡田武史さんに、日経サイエンス編集部
でお目にかかる。

岡田さんはとてもいきいきとした
方だった。

やんちゃであり、気合いが入っていて、
思慮深く、周囲にキラキラとした
空気を漂わせる。

一緒にいて元気をいただいた。

「リフティングというのは、何回で
もできるものなのですか?」
「ああ、できますよ、千回でも二千回でも」
「えっ、そうなんですか」
「要するに自転車に乗るようなもので、
プロだったら、集中さえしていれば
何回でもできますよ」

そうだったのか!
また、私のアタマの中に妄想
が一つ生まれた。

駒場の授業。
今後10年くらいでやっていく
「偶有性の自然誌」の構想を
述べる。

終了後、池上の研究室に行く。
池上自慢のファインマン直筆の
ダイアグラムを拝む。


わが友 池上高志


池上愛蔵 ファインマン直筆ダイアグラム

ファカルティ・クラブで談笑。
茂木研究室からは、柳川透、
石川哲朗、加藤未希、関根崇泰が
出席。

久しぶりにタカシと話して、
とてもうれしかった。

やはり友とゆっくり語り合う
時間がなければ、人生なんて
ずいぶんツマラナイ。

7月 5, 2007 at 11:47 午前 | | コメント (6) | トラックバック (5)

2007/07/04

サナギになる勇気

サナギになる勇気

プロフェッショナル日記

2007年7月4日

http://kenmogi.cocolog-nifty.com/professional/

7月 4, 2007 at 06:54 午前 | | コメント (2) | トラックバック (0)

流れていったもの

聖心女子大学の授業。
身体性の問題をあつかった。

NHKで共済組合の機関誌の
取材。

プロフェッショナルの
収録。

帝国ホテル 総料理長の
田中健一郎さん。

朝近くの公園を走る。

森の中をさっと駆け抜けていって
開けたところに出て
空を見上げるとツバメが飛んでいる。

颯爽としていて、すばやく、
広い。

ツバメの目の中では、
周囲の風景が猛スピードで
流れている。

やがて眠りに着くとき、
出会ったもの
流れていったものを
思い出すのだろうか。

7月 4, 2007 at 06:26 午前 | | コメント (9) | トラックバック (2)

2007/07/03

東大駒場 認知科学講義

茂木健一郎 認知科学講義

「偶有性の自然誌」
The natural history of contingency

2007年7月4日(水)
13:00〜14:30、14:40〜16:10
東京大学駒場キャンパス15号館104号室

7月 3, 2007 at 06:49 午前 | | コメント (2) | トラックバック (2)

プロフェッショナル 仕事の流儀 幕内雅敏

プロフェッショナル 仕事の流儀 第56回

 困難な仕事であるほど、それを乗り越えた
時の喜びは大きい。過酷な手術の現場を
「日常」だと断言する幕内さんの仕事=人生に
対する態度に感銘を受けた。

NHK総合
2007年7月3日(木)22:00〜22:44

http://www.nhk.or.jp/professional/

7月 3, 2007 at 06:42 午前 | | コメント (10) | トラックバック (4)

グライダー

Hakuhodo Desginの永井一史さんに
お目にかかってお話しする。

 永井さんとお話するのは、武者小路千家
の官休庵における茶会以来。

 さまざまに話が羽ばたいた中で、
「選択」の話が面白かった。

 現代人は毎日多くの選択を
重ねて生きている。
 ある年代以上の人が、コンピュータを
うまく扱えないのは、コンピュータという
機会がセットアップからインターネット上の
サーフィンまで、膨大な「選択」
を迫られる機械だからである。
 どのような選択をするかが、その
人柄を表すし、脳の機能を決定する。
 現代は、クリエィティヴという
ことが大事な時代だが、
 その一つの表れがこの膨大な
「選択」機会に現れている

という話をしたら、永井さんが、すかさず

 アートディレクターは、まさに、
毎日膨大な選択をしていますからね

と応えて、なるほど、と思った。

 どのようなコンセプトにするか。
俳優は誰を使うか。撮影は誰で、
メディアは何か。
 印刷媒体だったら、この文字の
フォントはいくつにするか。
 一ミリ右にずらすか。
 色合いをどうするか。
 どの写真にするか。

 沢山のミクロな選択の積み重ねで
広告というものはできあがっていく。

 自分の人生がどれくらいの
豊かな選択機会に恵まれているか、
それを時折振り返ってみると良い。

 『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の打ち合わせ。
 新しくデスクに加わった
柴田周平さんの「初デスク仕事」
 担当ディレクターは、
宮崎駿さんの取材で鬼気迫る仕事を
見せた荒川格さん。


柴田周平デスク(左)、荒川格ディレクター(右)

 打ち合わせというのは何を
するのかと言えば、
 番組で使うVTRを見ながら、
このゲストにはこのような質問を
しようとか、このようなテーマに
フォーカスしようとか、
あるいはこういう段取りにしよう
などということを考えるのである。

いろいろと話し合っているうちに、
住吉美紀さんが、「考えるすみきち」
になった。


考えるすみきち

一方、
有吉伸人さんの考える姿勢は、
ちょっと身体が傾ぐのが
サインである。

さてさて、今週は完全に仕事の
スケジュールが「破綻」していて、
本当は日記を書いている場合では
ないのかもしれないのだけれども、
日記というものは
一つの「息継ぎ」であって、
やはり欠かせないものである。

ですので、「日記を書いているん
だったら、こっちの仕事をしろ」
と念じている関係者の皆様、
ご理解をいただきたい。

ライフゲームの
「グライダー」(ライフゲームに
おける「光速」で動くパターン)
のように、手足をしゃかしゃか
動かしていますゾ。

  *
***
 *

7月 3, 2007 at 06:38 午前 | | コメント (7) | トラックバック (5)

2007/07/02

禅庭は生きている

ヨミウリ・ウィークリー

2007年7月15日号

(2007年7月2日発売)

茂木健一郎  脳から始まる 第61回

禅庭は生きている

抜粋

 一日たりとも怠らないというのは、生命そのものの中にある性質である。食べること、心臓を動かすこと、呼吸すること。たとえ一日でも怠らないからこそ、命は続いていく。

全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。

http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/


7月 2, 2007 at 05:41 午前 | | コメント (2) | トラックバック (1)

本日の講義

本日の東京芸大の授業はありません。

7月 2, 2007 at 05:37 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

エイ!

神さまから誘われて、
四国の石鎚に日帰りした。

「神さま」というのは、NHKエデュケーショナル
で今『にっぽん 心の仏像』という
番組を作っている
神 央(じん あきら)さんの
ことである。

http://www.nhk.or.jp/butsuzou/

松山空港で、落ち合い、車で
西条市に向かう。

「あのう、やっぱり、子どもの頃から
神さまとかナントカ言われました」
「それはそうですね」
「仏という名字の人に会ったことが
ありますか」
「まだないです。」
「そもそも神というのは不思議な名字ですね」
「諏訪大社関係なのです。」
「ほう」
「諏訪大社に、昔稚児の生き神を祀る
風習があったんです。うちはその家系らしい
です。」
「なるほど」
「なかなかすさまじい風習で、厳冬期、
生き神となった稚児は穴の中に二ヶ月
籠もって、豊作を祈願などした
ようです。」
「ううむ」
 
ロープウエーの乗り場で、制作の
大澤未来さん、カメラの高橋愼二さん、
音声の平戸さん、照明の大沼静さんと
落ち合う。

奥の院で、蔵王権現三体が
毎年7月1日から7月10日まで
「ご開帳」される。

その「ご開帳」を見に来たのである。

ロープウェーで上る。



(左から)高橋さん、神さん、平戸さん


(左から)大沼さん、大澤さん

ボクは、蔵王権現は、吉野の金峯山寺
のものを見て以来、好きになった。

神さんと芸大の授業の後の上野公園の
飲み会で初めてお目にかかった時、蔵王権現に
小学生の時の自分を重ね合わせるの
だと話した。

ドリフのコントが好きで、ジョークばかり
言っていて、はね回っていた小学生
時代。

あの頃のパワーを一生持ち続けたいな
70、80のじじいになっても、
「もっと落ち着いた方がいいよ」
「君には成熟という言葉は似合わないね」
などとバカにされるような人生を
送りたい。

そんなことを話したら、
他にもっとマジメな仏像の話を
したのに、
神さんが「それいいですね、
ドリフで行きましょう。蔵王権現で
決定です」
と言って、石槌に行くことになったのだ。

さて、蔵王権現のご開帳。
私の想像を全く超えたものだった。

事前知識がなかっただけに、
全くのサプライズ。
本当に驚いた。

「ご開帳をお願いします」
と座って頭を下げると、
「はい、ご開帳!」
という声をして、
蔵王権現三体が、
踊りながら奥から出てきた。

高さ30センチほどの
お姿。

代々そのような役割をしてきた
という人たちによって、
蔵王権現が手渡しで
前に出てきて、
身体が宙を舞いながら、
「エイ!」
という気合いの声をともに、
拝んでいる私の頭や
身体に押しつけられた。

「エイ!」
「エイ!」
「エイ!」

遠くから尊いお姿を拝すると
いうのではない。
蔵王権現そのものが生命をもって、
私の身体の回りを舞うのである。

舞っているから、そのお姿を
しかと見ることができない。
しかし、だからこそ、仮想
が現実を補って、
生き生きと動き出す。

しかも、自分の身体と
直に接触する。
その瞬間、なにかが起きる。

私のご開帳が終わった後、
尾道からの家族連れがきて、
ご開帳を受けていた。

なるほど、これが本当かも
しれないと思う。
蔵王権現の由来やその性格を
考えれば、なおさらである。

このような風習は尊い。
ぜひ長く続いてほしい。

そして、日本にこんな信仰のかたちが
あることを、もっと多くの人が
知ることができたらと思う。

佐々木善教さんをはじめとする
奥の院の関係者の方々、
ありがとうございました。

蔵王権現は忿怒の相だが、
あれは自分の至らなさに
怒っているのだという。

自己批評の精神の守り神として
なるほどふさわしい。
ボクが蔵王権現を好きになった
理由がわかった。

行きも帰りも飛行機は寝た。

その気になれば、いくらでも
眠れる気がする。

時は経っていく。

とにかく暴れることである。

その気になれば、山岳信仰の
清澄なる空気を
都会に持ち込むさえも
きっとできる。

「今、ここ」と「彼方」
は別の世界ではないのだ。

7月 2, 2007 at 05:36 午前 | | コメント (8) | トラックバック (4)

2007/07/01

純粋で、強烈で、黄金だった

その時々の文脈に応じた
最大の負荷をかけ、
 今までは乗り切れなかったような
壁を超える。

 結局、そうすることが
人生における最大のヨロコビにつながる。

 そのためには、文脈に没入
することが大事である。
 他のことは考えない。
 「今、ここ」の文脈の中で、自分が
まだ登っていない高みを目指す。

 そして、後悔しない。

 
 「ドイツ箱」と呼ばれる標本箱の入った
ストライプの袋を
かかえて打ち合わせ室に入っていくと、
室山哲也さんや植木豊さん、兼子将敏さんが
「噂をすれば」
「茂木さんピザ屋さんみたいですね」
と声を上げた。

 「科学大好き土よう塾」の収録。
 「チョウの羽のふしぎ」
ということで、
 私が子どもの頃に集めた本の
標本を持参したのである。
 
 「これは何という蝶ですか」
 「日本の国蝶、オオムラサキです。」
 「いつ採ったものですか」
 「昭和45年、って書いてあるから、
ボクが小学校2年生の時ですねえ」
 「ううむ。標本そのものもそうですが、
そのエピソード自体がカンドー的ですねえ」
などなど、会話が弾んだ。

 昆虫分類学が専門の先生がつくった
立派な標本に混じって、小学生の私が
つくった懐かしくも拙い標本が
スタジオにセットされた。


「科学大好き土よう塾」の台の上の私の標本箱

土よう塾の収録は、最初の「ひらめきエジソン」
のコーナーはゲストは出ないので
余裕がある。

カメラ・リハーサルの時に、
室山哲也塾長、中山エミリさん、
そして三人の子どもたち
(凜ちゃん、舞帆ちゃん、尚樹くん)、
子どもたちに演技指導をしている
内海邦一さんの写真を
ぱちりと撮った。


福井茂人さんとスタジオで立ち話。
福井さんはいろいろスルドイ
質問をしてくるので気が抜けない。

本番も無事終わり、
自分の標本箱を胸に抱えた時、
さまざまなことがフラッシュバックした。

幸福の一つのかたちが
少年時代にある、ということは
よく言われる。

確かに、一つの蝶を追いかけ、
竿を握りしめて森の中に立っていた
あの静寂は忘れがたい。
純粋で、強烈で、黄金だったあの頃。

時を経た今、まさにあの時と
同じような
時間の流れを、「今、ここ」の大人の
文脈の中に招き寄せたいと
思い、
そうすると決意する。

そのためにどうするかという
ことを、今日の日記の最初に書いた。

7月 1, 2007 at 04:47 午前 | | コメント (11) | トラックバック (3)