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2007/06/10

test of time

朝一番で、埼玉県立春日部高校で
講演。
文化祭の前のキックオフの会。

応援団に率いられての
校歌が、バンカラで良かった。

行き帰りの車を運転しながら、久しぶりに
カール・マリア・フォン・ウェーバーの
『魔弾の射手』を通して聴く。

ドイツの森のロマン。
聖と悪。
スタイルが洗練に向かう前の、
ぎこちなさに充ちたジング・シュピーゲル。

しかし、完成されたものよりも
むしろ惹き付けるものがある。
そして、ウェーバーの弾むような
音楽性が随所に。

フジテレビで『ベストハウス1、2、3』
の収録。

となりのYOUさんといろいろ話す。

test of timeということを考える。
「今、ここ」に生きるのが人間という
ものだが、同時に、10年後、20年後、
100年後からはどう見えているか
と考えるのがtest of timeということである。

10年前に出版した『脳とクオリア』
を文庫に収めるために、改訂作業を
進めようと思う。

「マッハの原理」や、「相互作用同時性の原理」
は今でも正しい。

10年間に変わったことは、メタ認知
の問題、主観性(主体性)の問題、
志向性、マッチング、偶有性。
改訂は、大幅なものになって
しまうかもしれない。

先週の日曜日のJapan Timesに、
Eric Prideauxが書いた私に関する記事が
2頁掲載された。
日本に住む外国の方から何通かメールを
いただいたが、とても興味深いものだった。

ボクは、子どもの時に春日部高校の
野球部の硬球を一個くすねてきて、
仲間で野球をやって怖くて
仕方がなかったことがある。

釘付けになって、ジンジンと
身体がしびれた。

自分にとっては「クラッシック」
な経験である。

幼少期の記憶のうち、test of timeを
経た一部分だけが、時々思い出される
「レパートリー」となる。

社会においても同じこと。

「今、ここ」を通り過ぎていく
さまざまなものに浮かれつつ、
100年後から見たらどうだろうと
考える。

6月 10, 2007 at 08:34 午前 |

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コメント

茂木先生、こんばんは。

小生は、先生がこの度、文化祭の前日の講演会でご講演下さった、埼玉県立春日部高等学校の応援団(応援指導部)のOBです。
ハンドルネームDanchoと申します。

小生自身もブログを立ち上げていますが、そこでは高校3年間の応援団での青春を、それこそ「アハ体験」ではないですが、思い出しながら綴ったり、趣味の将棋や競馬などや、雑感なども綴っています。

小生の母校では、文化祭前日に著名なお方を講師としてお招きし、ご講演いただくことが恒例となっております。

在学生にとっては、先生のご講演を拝聴でき、大変貴重な時間ではなかったかと思います。
ご多忙の中、母校のためにお骨折りいただき、本当にありがとうございました。

また、小生が属していた応援団に対する過分なるお褒めのお言葉、恐悦至極に存じます。

小生自身も、今後も応援団のOBの名に恥じぬよう、精進してまいります。

先生におかれましても、お身体をご自愛くださり、益々のご活躍を祈念申し上げます。

先ずは、お礼まで。

今後とも、宜しくお願い申し上げます。

投稿: Dancho | 2007/06/15 0:54:32

アルケオロジー ・・音楽と記憶
Archeologie ・・Memoire avec musique
(スペルチェックぷりーず)

いったいどなたがつくってはるのかわからしまへんけど・・

NHK ETVの朝の番組・・ぜんまいざむらい~ピタゴラスイッチを
ある種の畏敬の(笑)念をもって ときに食入るように観させて
もらってますけど

とくに にほんごあそぼ なる番組には なにかこの たんげい
すべからざるものというか sense of wonder があふれて・・
瞠目に値する内容で 僕を打ちのめすのである

いつか まあミウチノことなのでタメラワレルノハわかるけど
プロフェッショナル 仕事の流儀 に招いてあたまんなかを
披露してもらいたい それこそ 「にほんごであそぼチルドレン」
と後世で呼ばれる才気アフレル子等の一群が全国各地で出現してゆく
・・ その様なことを夢想せずには おかない 朝のヒソヤカナ
僕の生き甲斐にも似た(笑)愉しみ なのである

投稿: 風のモバイラー&野村和生 from nomgroove.com | 2007/06/11 8:45:53

100年後の時代から今の自分の行動を見ると
おそらく機械の操作に戸惑っている部分が
一番愚かしく思えるのだろうと思いたい
技術で補える物は多いから
思うだけで動くパソコン位出来ているだろう

100年すると医療福祉の現場は
病を直し他者を理解するユウトピアを実現していると思いたかったが
今その夢は捨てた

言葉を持つ人の心を汲み取り
現実化するためには
現在の頭の堅い輩と議論せねばならないようだ
自分は戦わねばならないなどとは思っていなかった

投稿: ルアー | 2007/06/10 19:31:54

>釘付けになって、ジンジンと
>身体がしびれた。

純情を絵に描いたような茂木少年が、
我が悪事を
アッケラカンとバラしちゃっている。
しかも世界の中心に向かってですよ?(笑)
こうなると、
あの日のボクってバカみたい(笑)
だけどだけど、それがまた素敵なんです。

ならば、

>「今、ここ」を感じながら
>さまざまなものに浮かれつつ

あらゆる出来事を
遠い未来から俯瞰するように
眺めていくしかない。
この考え方は、
人生に豊穣さをもたらすものと思われます。

『脳とクオリア』の大幅な改訂版、
楽しみにしています!

投稿: アラヤシキ・ツネ | 2007/06/10 17:09:51

test of timeか…。
10年、20年、100年後から、あるいはまた1000年後(←大袈裟!で済みません)からの視点から、今の世界の状態を見ることをいうのか…。

きょうのエントリーとは少し関係ないかも知れないけれど、以前どこかで聞いた言葉に、

「彼等の過去(の原因)がどうかを知りたければ、その現在(の結果)を見なさい。また彼等の未来(の結果)を知りたければ、その現在(の原因)を見なさい」

と、いうのがあった。

10年後、100年後の、自分達の未来が、如何なっているかは、現在、つまり「今、ここ」にいる自分たちの「立ち居・振る舞い」次第で違ってくるのではないか。

さて、今はいろいろな意味でカオシックであり、“チャンプルー”でもあり、そして、茂木さんが以前の日記で仰っていたように「明治維新」的でもある。

そんな今の時代を、例えば100年後から見たら如何見えるだろうと仮想してみることも、大切なことなのだと思う。

茂木博士の今のお振るまいと、ご労苦は、10年~20年後はさておき、100年後の世界から見たら、きっと正当に評価されているに違いない。

その外の、今は省みられないが、物事の真理を追究している人達の労苦も、周囲の視線の外で他者の幸せのために奉仕している人達の労苦も、少なくとも100年後には、きっと評価されていることだろう。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/06/10 14:11:21

時々思い出される幼少期の記憶、実際に体験した
ことではないのですが「ピエロの夢」を思いだします。

ある日、クラスメートがクスクス笑いながら
教室に戻ってくる。
何がおかしいのかと尋ねたら、保健室にピエロの
死体があって、それがおかしいのだと言う。
「死体なんて気持ち悪い」と思いながら
保健室に行くと、入り口横の長椅子に
笑った顔につくったまま、水玉の衣装を着たままのピエロの
死体が横たわっている。
「やっぱり、こんなの笑っちゃダメ」と思い、
皆と同じように笑うことができなかった夢。

集団に馴染めない違和感がこんなカタチで表現された
のかと今なら考えられるのですが、夢を見た小学校2年の時
既にそんなことを感じていたのか?と思うと結構根が深そうで
自分のことながらコワいです(笑)。
私の問題は「今、ここ」を通りすぎていく、さまざなものに
なかなか「浮かれ」ることができないことかもしれません。

実は、最近ちょこちょこと『生きて死ぬ私』に
描いてくださった鯨を真似て落書きをしていました。
下手なりに「この線は、私が求めている線とは違う!」
と何度も書き直し。。。(笑)
(サインしていただいた字をじっくり見ると、「けんいちろう」さんの
「ん」の字に特徴がありますね。。。)
そこで、仕事帰りに立寄った本屋でふと目に付いた
安野光雅さんの『絵の教室』を読み始めました。
木枠を使い、写実的に描ける装置を使って描いた絵と、
画家が自由に筆を走らせて描く絵。
前者は「客観的・機械的」で後者は「心を描いた・個性的」なもの。
完成されたものより、ぎこちなさに充ちたものに
惹かれるのは、人間的な心の震えが伝わってくるからなのでしょうか?
安野さんの本には「なかなかこころを描き込むことはできない
のですから、こころの安売りはしないほうがいい」ともあり、
せっかく自分の下手くそな絵を擁護できると思ったのに!と
ひとり残念がっています(笑)。
客観的、主観的というのは音楽でも絵でも演劇でも文章でも
至るところに入り込んでくる問題なんですね。。。

「タクシーで移動しながら仕事」ではなく、
ご自分で運転する余裕があって良かった♪

投稿: まり | 2007/06/10 11:50:00

生まれてから、一番目の集団生活は小児病棟でした。
賑やかなロビーが、最高の遊び場で、同じ病室の子と
外来のソファに並んで座り、雑誌とか見ておしゃべりした。
消えない記憶の一つ。めくったページに花の絵があって、
こすると香りがするらしい。まだ、とても幼く、不器用で、
力も無くて、ああ、うまくいかないなあ、とがっかりしてたら、
隣に座っていた女の人が、急に「あたしに、かしてみて」
と青白い指先で、魔法のように、香りを出してくれた。
ふわあ、と私たちに手渡してくれた、おしろいの匂い。
その人は赤いガウンを着ていた。三十年以上前になる。
いま、私は、ずいぶん長く生きてこられたと思う。

投稿: F | 2007/06/10 11:25:47

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