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2007/06/03

一体何の因果で

母親の実家が九州だったので、
しばしば新幹線で帰った。

あの頃は、デッキに水があって、
折りたたみの紙コップが置いて
あった。

窓から一生懸命見ていると、富士山が
現れ、いつの間消えると、
浜名湖の水の広がりに包まれる。

東西を往復する回数は増えたが、
いつも仕事を抱えていて、
車窓からゆったりと眺めるという
ことがない。

日本言語聴覚学会で
講演するために、浜松まで日帰りした。
案の定ずっと目を落としている。

デッキに立った時、昔日を
想い出し、
あの頃に帰って、小さな子どもになって、
ウォータークーラーから紙のコップで
飲みたいと思った。

心から。

東京に戻る。

日比谷公園で仕事をして、日本財団ビルまで
歩く。

加藤秀樹さん、黛まどかさん、増田明美さん。

懇親の場で、黛さん、増田さんの
近くに座った。
耳よりな話というのはいつ来るかわからない。

「増田さんは、現役時代、腹筋を
3000回やっていたんですよ」
と黛さん。

「それだ」と思った。
インスピレーションは、稲妻よりも
早く走る。

「ぼくは、30キロまでは走れるんですけどね」
とプロ中のプロに言うと、
「そうなんですよ、マラソンは、30キロより
先を走れるように、足の筋肉を改造する
スポーツなのです」と増田さん。

「私が黛さんを信頼しているのは、
3000回と聞いて感動してくださった
からです。」

ぼくは一度増田明美さんに、マラソンの
走り方をきちんと教えてもらいたいと思う。

アサイという名の、真剣な表情をした
青年がいた。

いろいろとストレートな質問を
して来るので。

ぼくは、「自分であると感じるのは、
どんな文脈にも絡め取られず、不安の発作に
襲われるような時です。たとえば、
今日、日本財団に歩いてくる道すがら、
人通りのない霞ヶ関にぽつんといる時、
ぼくは一体何の因果でこの巨大な土の
かたまりの上にいるのだろうかと思う」

独りになりたければ、どこでもなれる。
ただ、目を閉じれば良い。

その時に暗闇の中から浮かび上がってくる
ものは、きっと「自分」を反映している。

ぼくは、黛さんに「なぜ、源氏物語とか、
奥の細道とか、あのような密度で言葉を
連ねることができたのでしょう」
と問いかけたが、あれは漆黒からの言葉
だったのだ。

6月 3, 2007 at 01:00 午後 |

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受信: 2007/06/04 0:05:15

コメント

子供の頃、旅行したとき、平たい紙コップを
記念にもらって帰った気がします。

コメントへのコメントをここに書かせていただいても
大丈夫でしょうか?(できるだけ短くしますので。)

naritoku様へ。
5月半ば頃、コメントの中で、フーコーの「バイオの権力」
なるものをご紹介下さり、ありがとうございました。
ネットで検索してみた程度にとどまっており、
全く把握できていなくて申し訳ないです。

新幹線が動いているという感覚を起こすのは、
加速度や、車体の微妙な揺れ、だと思うので
(私もど素人なのであやふやです)、
等速直線運動に対しては、
私たちは、クオリアを感じないのではないでしょうか?
そうだとしたら、脳には、静止か高速か、による違いは
生まれないことになるのでは?
(こういう論旨で受け取ってよかったでしょうか?)


投稿: | 2007/06/09 2:09:14

>>月の冴えた夜に


風そよぐ♪吉田 都 >> アヴァロンの女神のダンス

6月4日未明

昨日の舞台の余韻に浸っている

パトリス・ルコントの映画「タンゴ」のサントラを聴く

ルコント監督の映画の魅力はいろいろあるのだけど 音楽がいいのもそのひとつだ

「髪結いの亭主」もいいけどこの「タンゴ」もすばらしい 久しぶりに聴いてやはり「特別」である

彼があまり大きな映画の賞と無縁である(僕の知る範囲では・・)のはなぜなのか?

よくよく考えると 彼が生粋のフランス人であることにその一因が あるんだろうな・・ やっぱりな

英国人とおんなじくらい 自国の伝統と文化に誇りを持っている 仏蘭西こそが世界で一番であると

自負し その確信のもとに外交交渉もやってる と明らかにわかる つまりはそのスタンスを 特に今の

パックスアメリカーナの あるいはグローバリズムと称する「より多く効率的に」売らんかなの米国商人が

跋扈するご時世には 「敢えて」のメッセージを発信する筋金入りの歴史と伝統の国・・

なんか!話が妙な方向へ と御思いかもと でもさにあらず これって 吉田 都さん♪が

いかに素晴らしいかの!!(松っちゃん松本人志が凄いのと同様 いや優るとも劣らない) 噺(ハナシ)・・

の 「すべらない」話のための(笑)マエフリ・・「まくら」なんだけど あっお客さんお帰りなさい!用がアルナラ

今のうちですからムッシューエンマダアム!!ほんと大変なんすから・・ そういえばYMO&スネークマン・ショー

のレコード!!(当時CDはまだない)1979年あたりかな・・ 林家三平が中国人を前に小咄をするとしたら!

こんなふうじゃないの?みたいな予言的?作品があったけど それはまた別の機会に

でまあなんだったけ!?そうルコント監督の話 「彼はもう既に!私たちが評価してるのだから 敢えてなんで賞が

いるの!?ん!??わからん ナンデニッポンジンショウ二 コダワリマスカ!?ナンデ ワタシノ買ったものにテープ

ハリマスカ??ナンデ クリスマス愉しんで 和尚がTWO!にはタコアゲマスカ!?ん!??・・???」

とにかくわからないことが多いのである なぜかニッポンの アニメとかのサブカルチャーやアートなど いままた!ちょっとした

ニッポンブームであるらしい つまり ヤオヨロズナ 多神教的世界観(ほんとかよ!?)というか なんでもありのこだわらない

ゴッタ煮的・・ 宇宙をもつ吾祖国!!がいま文明の衝突(隕石衝突の前兆か・・)真っ盛りの世界から注目を浴びて

いるのだとか ・・ウソかマコトか愛か誠か>>by 梶原一騎(ひゅうまよ!たつんだじょおお!りきいしいいいいいい!!)

>>次回へつづく ぱそこんごきげんななめ nomgroove AWARD!!発表紛糾会議は踊る 吉田 都さん♪が


踊る と柔らかな そよ風が マワリヲ優しく包み込むように そんな風が 舞台にそよそよと 吹くのでした

やはり あなたは 特別!! でした。  ・・ボクハとても シアワセでした。 


投稿: | 2007/06/04 6:25:08

誰でも、眼をつぶれば、どこへ行っても真っ暗闇の中で、独りになれる。そしてそこから浮かび上がってくる「自分」を反映しているものと向き合える。それはおそらく自分の中にいる「もう独りの自分」に他なるまい。

若し失明してしまったら、完全に視力を失うことにより、いきなり漆黒のような闇のなかに放りこまれて、言い知れぬ不安を抱くに違いない。

その時、嫌でもそんな「もう独りの自分」と向き合わざるを得なくなるだろう。

無論、生まれた頃から目が見えない状態と闘っている人は、ずっとその漆黒の世界の中にいるわけで、常にそんなもう独りの自分と、対話し続けているのではないか。


茂木さんの中の「漆黒」から言葉を発した「もう独りの茂木健一郎」は“もののあはれ”や儚さといった、繊細で(ある意味切なさをも含んだ)日本的なものを愛しているのに違いない。

それがこの「クオリア日記」の文章や、他の茂木さんの書かれるエッセイや評論などを“切なく美しいもの”にしてくれているのに違いない…。

また、遠い昔日に思いをめぐらすときは、懐かしさと共にある思いが立ち上がるものだ。

“デッキに立った時、昔日を
想い出し、
あの頃に帰って、小さな子どもになって、
ウォータークーラーから紙のコップで
飲みたいと思った。

心から。”

この中には、何とも言えない“切ない哀しさ”が浮かび上がっている。

人は物理的には、子供時代に帰りたくても帰れないから、そこにもどかしさと一緒に“切ない哀しさ”を覚えるのだろう。

その時、ヒトは心の中で子供時代に帰りたいと常に切望し、涙するのに違いない。

「あのころに帰って、小さな子供になって」…という中に、その切ない“涙”が秘められているように思える。


投稿: 銀鏡反応 | 2007/06/04 0:17:07

こんばんは!

本当にお疲れ様です。

人間だから、いつもモーツァルト・モードで、と言うわけにはいきませんね~。

茂木先生は、余りに人間的な・・・。時に超人的な・・。
やっぱり天才なのかな?・・。

でも、たまには、休んで下さいね・・。

車のタイヤだって、一万キロも走ればゴムはすり減るし、
人間だって、腹筋3000回は凄いけど、それは、若いときだから
出来るけど、一生出来るわけではないし、骨がこすれて減っちゃうでしょ。そしたら後が大変。
30キロを超えると脳に快感物質が出るんですよね。でもね~、
「そんなに急いで何処へ行く~」って、昔、誰かが言っていました。

投稿: | 2007/06/04 0:02:22

お久しぶりの茂木少年。

イソガシになると
現れますね。

そういえば新幹線のお水は
「六甲のおいしい水」だと
聞ていましたが
都市伝説だったのかしらん。

私は子供の頃に
戻りたいとは思いませんが

傍からみれば
あらゆることが順調で
成功を手に入れた先生が

子供の頃に帰りたいというのは
落し物があるのですか?
今この瞬間だけですか?

子供に戻ったとしても
数十年後には同じことをしていますか?

昔は、子供に戻っても
私はきっと同じ人生を歩むと思っていましたが
今は違う人生を歩むだろうなと思っています。

だからといって、やっぱり
子供の頃に戻りたいとは思わないです。

だって、今からでも選択は
できることだからです。

実践は難しいですけれどねw

そして、何度人生やりなおしたって、
30キロ以上走れる筋肉改造だけは
しないですねーw

ともすれば、

チリョク・タイリョクとワカサを
交換しませんか?

投稿: | 2007/06/03 22:05:30

ちょっと疑問に思ったので2度目の投稿です。
物理学、相対性理論、脳科学全てにおいてド素人ですが・・・。
静止している新幹線に乗っている茂木先生と最高速度で移動している新幹線に乗っている茂木先生がいるとします。
目を閉じていれば、周囲の風景は見えないし、古典物理的にはどちらの新幹線に乗っている茂木先生も変わりがないことになるのですよね。
ですが、最高速度で移動している新幹線に乗っていれば、明らかに新幹線が動いているという感覚を茂木先生は感じますよね。
脳内にも物質的・物理的基盤があることから、物理的にも、厳密には両方の新幹線に乗っている茂木先生は条件が異なるということになるのでしょうか。
論旨がちと怪しいですねw

投稿: | 2007/06/03 21:51:49

ラインホールド・ニーバーの祈りの言葉を学びました。

変えるべきことを変える勇気を。
変えることのできないことを受け容れる冷静さを。
そして、変えるべきことと変えることができないことを
見分ける知恵を。

茂木先生のご多幸を、一心にお祈り致します。


投稿: | 2007/06/03 20:53:17

ラインホールド・ニーバーの祈りの言葉を学びました。

変えるべきことを変える勇気を。
変えることのできないことを受け容れる冷静さを。
そして、変えるべきことと変えることのできないことを
見分ける知恵を。

茂木先生のご多幸を一心に祈ります。

投稿: | 2007/06/03 20:45:33

最近とった写真です。ひまなときみたってください。http://picasaweb.google.com/yoko.ootsuka/Supectocoll

投稿: 洋子 | 2007/06/03 20:43:36

言語療法士になりたかった時期があって
仮になっていたとするならこの講演は浜松でも多分聴いていたはずで
そう考えると
今ブルータスを近所の本屋で捜しまくっている僕は存在せず
茂木さんの講演を反芻しているはずで

人生はよくわからない

何処かで僕の選ぶかもしれない人生を選んだひとがいて
その人達がこの講演を聴いたのだと思うと
馬鹿げた話だけど悔しい

時々 自分の人生がこれで正しかったのだろうかと思うけど
小さな意味では これもその一つ

投稿: | 2007/06/03 17:37:48

ああ、そうだった!
足元が、ゆらゆらしながら、
紙コップを持った手元も、ゆれながら、
やっと飲めた、ウォータークーラーの水、
ぎんぎんに冷えていて、美味しかったあ。。。
思い出すだけで、すうっと心地よさが広がる。

茂木博士、九州に講演などで来られるときは、
クオリア日記で、是非お知らせください。

投稿: | 2007/06/03 15:49:06

文章を書くにあたって出力ツールは極めて重要な要素だと私は考えています。
筆→万年筆→鉛筆→キーボードという出力ツールの進化。
マックのキーボードのタッチは「もちもちっとした感覚」だと聞くのですが、どうなのでしょうね。
キーボードを使う機会が多くなりましたが、たまには鉛筆を使う機会も
意識的に確保したいと思っています。

投稿: | 2007/06/03 15:30:59

unn,
,

投稿: | 2007/06/03 15:12:21

言語聴覚学会でどのような講演をしたのでしょうか。このところ音声の問題を考えていたが完全にデッドロック状態に陥った。どうもビギナーズラックは遠くなりにけりだ。音声をいじって聴覚をだますというイタズラをしたかったのだろうか。自分でもわからなくなってきた。

投稿: | 2007/06/03 14:20:49

こんにちは。
僕もマラソンをやっていて、フルとハーフを年に一度ずつ走ってます。
淡々と足を運ぶその姿にもやはり濃淡があると思います。

密度の多い文章と密度の多い運足は同じなんでしょうね。
要は情報量の多さなんでしょうか。
そこまでに費やしてきた時間かもしれないし、
気持ちの入れようなのかもしれません。
重心の移動や、筋肉との対話なのかもしれない。

でもそれらは突然密度の濃いものを生むわけではなくて、
やはりその人の生き様と直結しているように思えます。
価値的な情報でなければやはり濃くはならないですよね。

投稿: | 2007/06/03 13:43:48

quote:
独りになりたければ、どこでもなれる。
ただ、目を閉じれば良い。
unquote

群集の中で、目を閉じなくても妙に静かな
孤独を感じる瞬間があります。 
とても不思議なときで、雑踏が静まり返る感じ。

投稿: sakuranomori | 2007/06/03 13:27:55

茂木さんは朝の早い時間にブログをアップする事が多いのかな、と感じていたので、今日は体調でも崩されたのかと思っていました。そうでないのなら、良いのですが。文章から、今日は、やわらかい雰囲気が薄れているような、“なだれ”の後の休息のため息でしょうか、ご自愛ください。

投稿: エットーレ | 2007/06/03 13:24:10

茂木さんは朝の早い時間にブログをアップする事が多いのかな、と感じていたので、今日は体調でも崩されたのかと思っていました。そうでないのなら、良いのですが。文章から、今日は、やわらかい雰囲気が薄れているような、“なだれ”の後の休息のため息でしょうか、ご自愛ください。

投稿: エットーレ | 2007/06/03 13:23:20

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