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2007/06/05

官能と知性の関係について

今週はイレギュラーで、
月曜日に『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録があった。

ゲストはソムリエの佐藤陽一さん。

世界大会にチャレンジする、
三番目のVTRが感動的であった。

今週は、ソニーコンピュータサイエンス研究所
の研究所公開。
今日はシンポジウムがある。
私はPredicting and making the future
というタイトルで話す。

ここのところ、
考えたいことは、浮世離れした難解な
ことばかりで、一方身体は浮き世の
中で勝手な運動をしている。

身体はここにあって、魂はここには
ないという気がする。

何よりも大事なのは「自由」であろう。
いつの間にか現代人はずいぶん堅苦しい
考え方をしていないか。
いや、それは、マチガイのないところ
だろう。
昔、こんな文章を書いたことがある。

哲学は良くも悪くも社会の実態から離れた机上の空論だというのは、わかりやすいようで間違った考え方だ。哲学は、大多数の人々には無縁の存在だというのも間違っている。何故ならば、哲学の最先端で問題になり、哲学者たちの苦闘を経て一応の解決を見たような問題が、何年か経つと「当り前」の一般常識になるからだ。しかも、そのような一般常識が、人々が日常生活を生きていく上でのかけがえのない知恵となる。

「哲学とファッションショー」(『生きて死ぬ私』)

必要なのは、勇気。
しかし、その思考運動も、つまりは
分子ダイナミクスのはずで、
果たして「自由意志」はあるのか
ないのか。
その決着はついていない。

自由意志があろうがなかろうが、
佐藤陽一さんのお店MaxiVinで
飲んだシャンパーニュはおいしかった。

佐藤さん「現地で樽から出して
飲むシャンパーニュは最高なのです。
まるで、自分の身体全体に泡が
まわって溶けていくような。」

ヨーロッパの文化は、ワインの高貴な
姿を幻として追い求めてこそなのであろう。

何を飲むかで人は変わる。
官能と知性の関係について
考察したのは、ヘルマン・ヘッセだった。

6月 5, 2007 at 06:45 午前 |

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受信: 2007/06/05 15:39:44

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精神に自由はあるのか、それとも何モノかに操られているのか これは答えのない問いで [続きを読む]

受信: 2007/06/05 17:14:20

コメント

茂木先生はワイン樽のような体型の女性が好みなのですか?

投稿: naritoku | 2007/06/06 22:35:43

>>奇妙な世界 プリンシプルと理想、あるいは夢 

たとえば 日本と英国ではその言葉遣いに もうほんと 
決定的落差!!があるわけです

きみの言うのは理想だ とか それはあくまで原則で・・とか
じゃあきくけどさ 道を見失わず踏み外さずに旅するために あるいは海図も無い船海に出て 目指すべき方向を誤らないための ひときわ明るく私たちを照らしてくれる一等星のような「理想」や「希望」もないまま やってけるのか
もつのか・・

私にとって principleとは守らねばならない原理原則なのです
かのマーガレット・サッチャーが語った言葉

やはり 筋金入りの保守とはなんであるか・・を英国はいつも身をもって指し示す だから ある意味 若者にとって「いきやすい社会」なのかもしれない
ビートルズやストーンズ ポール・スミス(・・見ているだけでもシアワセだなあ)を生んだ 紳士の国の 面目躍如たるゆえん である

ていくんふぉ ぐらんてっど ワールド・・(所与の)自明の世界
を後生大事に抱えて 「地球に繋がれっぱなしの」 黒船来航や神風の吹くのを ただ待つのみの無策な ムサイ(笑)江戸を「明け渡した」無粋な・・トホホな
(編集部注:以下割愛 あまりにも長いので!) 


投稿: 風のモバイラー&野村和生 from nomgroove.com | 2007/06/06 3:19:30

実はよくわからないのですが、斉藤先生のクオリアの価値という部分の捉え方は、もっと後で高度な意識的な判断基準の価値という段階のことを、クオリアという言い方でしか捉えられないほどの複雑な情報量を脳が捕まえる原初の脳の認識(その全体情報の方が圧倒的に大きくて言葉で捉えられるのはほんの少し洗わせられているだけで、芸術などは言葉よりもそのクオリアという言い方の莫大な複雑で素朴で絡み合っているので情報そのものが感じられるのだと思います)というクオリアというのとをごっちゃにして自分で問題を作って自分で批判しているように感じますがどうでしょうか。
茂木先生のこれからの往復書簡楽しみにしています。

投稿: 上野恩 | 2007/06/05 22:25:34

ヘッセが子供だった頃、茂木さんと同じように
蝶に、抗しがたく惹きつけられていたことを
ふと、思いだしました。

>官能と知性の関係について
>考察したのは、ヘルマン・ヘッセだった。

不屈の精神で、両極的な対立を克服しつつ
魂の解放ヘ向かっていったヘッセにとって
官能と知性の関係を考えることは、
とても大切なことだったと思います。

投稿: 新屋敷 恒 | 2007/06/05 21:43:16

哲学と一般の生活 繋がっている竜の頭と尻尾でしょうか
自分はどこに居たいのか やはり目になりたい

投稿: ルアー | 2007/06/05 20:03:28

ややもすると、自分も現代的な、ひどく堅苦しい考えかたにガチャコーン!と、アタマを絡めとられているかもしれない。

そんな“ガチガチ思考”では心が息苦しくなるだけだ。

仰る通り、現代人はガチガチ思考に取りつかれている。

「自由意志」の問題はさておき、精神をしなやかに、またかろやかに保つには、最初からそんな“ガチガチ”にとらわれない浮き世(憂き世)離れした自由闊達な思考が如何しても要る、のではないか。

そうすれば、世知辛い憂き世もなんとか生きられる…かも。

この日、茂木博士が味わわれたシャンパーニュのクオリアは、きっと博士の五体をかろやかに廻って、泡といっしょに博士の心と身体にたまった疲れを融かして、博士を心底癒したのにちがいない。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/06/05 19:39:53

茂木健一郎先生へ
おめでとうが毎日要って悦ばしいことと存じます。
そこで、
つまらないものですがご賞味下さい。
oishiso- na kao no sennsei desu,
ohitotu do-zo,
 
http://sakebunka.sub.jp/column/world4/


オヤスミナサイ

乾杯の
茂木健一郎先生

投稿: to-ziro | 2007/06/05 19:16:49

昨晩、夢の中で茂木博士のお姿が、はっきりと見えた。
そして美紀様のお姿も。ゲストの方も?・・・・・
テレビをつけたまま、いつのまにか眠っていた。
真夜中の再放送で目が覚めたのだ。夢ではない。
このように、いつも誤解ばかりで人生を過ごしている。
ならば、美しい誤解をしながら生きていきたい。
人の悪口を言うより、ほめて生きていきたい。
ねぼけながら、堅く心に誓ったのだった!

投稿: F | 2007/06/05 12:29:54

お蚕さんのように、自ら絹糸を吐き、繭玉にこもって神秘的な変化をするように、茂木さんも自らの絹糸でつくる繭玉に魂だけこめて、
その身体で持ち歩ければいいのか?
と思いました。

投稿: 平太 | 2007/06/05 11:14:50

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