« 野生のうわーっとしている | トップページ | 複数のものを思い切り信じろ »

2007/06/12

騙されているとしても

朝4時に起きて、
小俣との投稿論文のrefereeのコメントを
受けてのrevisionの仕事を延々とやる。

「5号目」を超える頃、NHKのFMから
ブラームスの交響曲第一番が
流れてきた。

好きな音楽に励まされて、仕事を続ける。

やっとのこと投稿。
呆然としながら、移動する。

美術展のレビューを書く。

東京芸術大学の正門に着く一分前に
終わって、
送信した。

文藝春秋の「文學界」にいらして、
その後CREAに移った
山下奈緒子さん。

大浦食堂は雨が上がり、日が差してきた。

授業を終え、上野公園に歩きながら、
打ち合わせをする。

時間になって、日本橋宝町に
移動。
吉村栄一さんが一緒に
タクシーに乗って、
ICレコーダーで
原稿を吹き込んだ。

宝町福徳塾での講演。

小津安二郎、東京物語、制約、
身体性の話をした。

三枝成彰さんがいらしていて、
エンジン01事務局の
夏井さん、川上さんを交えて
懇談。

騙されているとしても、
心が傾く方がいいんじゃないか。
何事も、本気で信じれば良い。
そして、信じるものが
論理的に矛盾していようが、
どうであろうが、
そんなことは知ったことではない。

信じるものという「絵の具」
が自分の精神というパレットに
沢山のっているほど、人生は
豊かになる。

冷笑しているだけじゃあ、
もったいない。

6月 12, 2007 at 07:18 午前 |

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/55852/15404091

この記事へのトラックバック一覧です: 騙されているとしても:

» 遊び トラックバック Progress
茂木健一郎著『すべては脳からはじまる』の中に、次のような文章があります。 『酒や煙草をやめられないと嘆く人は多い。  一方で、「これが私のライフワークだ」と心身を捧げる姿は、立派なものの  ように思われる。  しかし、嗜好品を手放せないことと、ある目的から離れないことは、脳の感  情のシステムの共通のはたらきに支えられている。  酒や煙草が大好きだというと、いかにも低俗に思えるが、そのような欲望は、  高尚な人生の大目標と脳のはたらきを通してつながっているのである。』 昔から、遊びを仕... [続きを読む]

受信: 2007/06/13 0:11:44

» 確かにそれ自体を トラックバック 鈴木正和 (すずきまさかず) ブログ日記  文学の痛みと感動 
確かにそれ自体を、見つめることは難しい。 たとえ直接に会ったことがない人でも、その死を知らされた時に、自己に突き刺さってくるものがある。 * * * 人が創り上げた作品には、その人が取り組んでいた筈の、無数の堆積された時間が、背後に存在している。 言葉を失うということは、言葉の向こう側に存在する筈の、生きた本質の姿に辿り着けない、虚しさを感じるということ。 一つひとつが目の前にあるようで、それらの多くは、一瞬一瞬の、今現在のきらめきの中にしかなく、はかなく消えてしまうものがなんと多いことか... [続きを読む]

受信: 2007/06/13 7:02:39

» 朝のゲーム トラックバック この地球を受け継ぐ者へ † Life log
朝の通勤時間帯の新宿駅構内を歩いた方はお分かりでしょうが、あの人混み。 自分は、路線の乗り換えで、 ホームの列の端から端までの長距離を移動しなければならい。 この日本で最も込み合う新宿駅を横断するわけだ。 毎朝、個人的に戦いを繰り広げている。 このまっすぐに... [続きを読む]

受信: 2007/06/19 0:21:36

コメント

「矛盾」と聞いたら、黙っているわけにはいかないのが私無碍でございます。それは、私のブログのアドレスを見ても明らかでございましょう。
矛盾のゆえに、わたくしは前に進むことができます。もし、件の武器屋が矛と盾を販売していたならば、その品質は予告なく、限りなく、向上していくにちがいないのです。それが、昨今手垢にまみれた感のある、
各種マネジメントシステムにおける「継続的改善」というものでありましょう。
従いまして、私は、常に、私に対して、不満を抱き続けることになります。満足してしまっては、そこで首尾一貫してしまい、歩みを止めることになりますので。
オメガ矛盾などと、悠長なことは言っていられないのかもしれません。
今ここで、即座に自己矛盾しなくては。やや焦りが見られます。

投稿: 無碍 | 2007/06/14 0:02:02

2度目の投稿、お許しを。

ひとつ、言い忘れたことがある。

私という人間も、その内面に数多の矛盾を抱えて生きている。しかし、それは実はいいことなのだ。

脱「神話」的なものとナイーヴに何かを信ずることの両方出きる人でなければ、芸術家としても、また人間としてもつまらない…とおとといの講義で
茂木博士は教えてくれた。

私は人としてつまらない者になりたくないので、脱「神話」と何かを信ずる、の両方出来る人間になりたいと強く思うのだ。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/06/13 18:06:07

信じる、という言葉は不確定であることに対して用いられる言葉ですよね。
確定的であることについて「信じる」なんて言葉は要らない。

だからこそ意味があるのだと思います。(特に倫理的な問題)

それは内的な確信、信念から突き動かされる一つの決断でもあると思います。

主観を離れた客観はない。
客観は主観の多一致により設定されたもの過ぎない。
だから、誰かの主観により確信が真である、
ということは当然ありえると思います。
そもそも真理が論理規則に従わなければならない理由はあるのだろうか。

語りえぬものを語り尽くそうとするフィロソファーの心意気。
とてもナイスです。

ところで冥福を祈るという言葉。
冥界の存在を信じていない人が慣例的に用いるのに私は
強い違和感を感じてしまいます。
先生は無意識に用いたのだろう、というのは分かります。

投稿: pteron | 2007/06/13 13:20:48

「騙されているとしても、心が傾く方がいいじゃないか。何事も、本気で信じれば良い。そして、信じるものが論理的に矛盾していようが、如何であろうが、そんなことは知ったことではない。」

何という勇気の出る言葉であろうか。

何事も本気で信じていけ!未来を志向し前のめりになって生きろ!とのメッセージが上の言葉にこめられている。

昨日の美術解剖学の講義は、ここんところ元気のなかった私の中に、元気と勇気とを蘇らせてくれた。

仮令信じたものが、論理的に矛盾していようがいまいが、私は私の信ずるものを本気で信じて生きていきたい。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/06/12 20:46:05

昨日、急に、こわくなって、もうお終いだ、と声が聞こえて、
とても気持ちが重たくなって乱れました。
江村哲二様のこと、茂木様のおかげで、お写真を見て、
ホームページを読んだり、音声ファイルでお声を聴いたり私は、
音楽のことも、なにも、ちっとも知らないくせに、どうしてだか、
江村様のことが、心のなかにあって、いつか、体調がよくなったら、
遠くでも、コンサートに行きたいとほんとうに思っていました。
いつも、こんな調子なのです。いつも、いつも、私は、
後悔しても遅くて、予感がしても、どこか、ずれていて、自分でも
訳が分からなくなって、どうしようもなくなる。祖母が危篤のときも、
胸騒ぎがして激しく怒り出して、母が慌てて実家に電話すると、
その時間の頃に祖母が苦しんでいて、そんなことが幾度もあった。
でも、それは身内だから、と思っていた。今、とても苦しい。
茂木様のことも、以前、テレビで見て音楽家だと思っていました。
職業だとか関係なく、その方には、ご迷惑かもしれないけど、
見ただけで、心の中に残る人がいるのだと信じました。
長くなりました。まとまりません。ほんとうに、ごめんなさい。


投稿: | 2007/06/12 20:13:15

信じるものがたくさんあった方が人生が本当に豊かになるものでしょうか。
一神教において自分以外の「神」を崇拝するのを「神」は決して許さないそうです。


投稿: naritoku | 2007/06/12 13:29:06

騙されているとしても、
心が傾く方がいいんじゃないか。
私もそう思います。それだけ言いたくて。

投稿: 竜宮の乙姫 | 2007/06/12 9:34:51

おはようございます。

昨日の「クオリア問題」についての講義、拝聴させていただきました。

私としては、矛盾することを同時に信じるからこそ、その思想には深みが増す、と教えていただいた気がします。

騙されているかもしれない、いや騙されていると知りつつでも、私は信じたいと思います。

投稿: 治郎丸敬之 | 2007/06/12 7:41:33

コメントを書く





絵文字を挿入