ブナの森そのもののような
工藤光治さんは15歳の時に
マタギの見習いとなり、
以来50年間白神の
山の中を歩いてきた。
その工藤さんの案内で、斜面を
降り、流れを渡り、
桂の巨木を見にいった。
普通の山歩きと違うところは、
行く道がかすかで判然としない
点である。
「どうしてわかるのですか」
と聞くと、
「頭の中に入っています」
と工藤さん。
マタギ小屋はわき水の
近くにつくるもので、
その横でたき火をして、
採ったばかりのヒラタケ、
ミズ(うわばみ草)をいただいた。
マタギの言葉では、熊を始め、
さまざまな食べものを得ることを
「さずかる」と言う。
山の中を歩いていると、
その生態系の複雑な絡みが
次第に頭に入ってくる。
ブナの木の寿命は短い。せいぜい
200年、300年。
倒れると、それがキノコの恰好の
発生場所になる。
開いたスペースに光が差して、
新しく植物が生える。
live and let liveであると同時に、
die and let liveである世界。
ここでは、何ものの死もムダには
されない。
小屋の横の板に張り付いた
蛾の死骸からは、
白い細いキノコが伸び始めていた。
工藤さんは暖かい知性に満ちて、
忘れがたい方だった。
半世紀にわたって歩いてきた
ブナの森そのもののような。
またお目にかかりたい。
東京芸大の授業には
白洲信哉が来てくれた。
「しらふしんや」として
真面目に美について語ってくれた。
聞く者の心を動かす話であった。
ご苦労さまと、上野公園で。
気持のよい夕刻で、
「授業の後上野公園で飲む」という
発明の実践の中でも、もっとも
麗しき時間が流れた。
夏学期、あと何回できるか。
全てに終わりがあり、限りが
あるからこそ
時間という軸に展開される
生活のエコロジーは多様なものと
なる。
だからこそ、あきらめることと
希望を持つことは背中合わせ
となるのである。
6月 19, 2007 at 07:35 午前 | Permalink
トラックバック
この記事へのトラックバック一覧です: ブナの森そのもののような:
» 村上春樹と丸山健二の流れ トラックバック 鈴木正和 (すずきまさかず) ブログ日記 文学の痛みと感動
流れ、ということに思いを馳せる。身体の物理的な移動が、止まっているだけでは出会えなかった意識の流れに、出会わせてくれることもある。
移動の電車に乗る前に、少し立ち寄った小さな書店で、『思春期をめぐる冒険―心理療法と村上春樹の世界』(新潮文庫)という本を見つける。著者は、臨床心理士の岩宮恵子さん。茂木健一郎さんが解説を執筆している。
* *
クライエントの事例と、村上春樹さんの小説との関係を紐解きながら、現実の表層の言葉ではなく、現実の裏側や意識の深層にある思春期の心や家族の言葉の問題に迫ってい... [続きを読む]
受信: 2007/06/19 9:14:46
» NHKスペッシャル 「1400年続く長寿企業の秘密」 トラックバック 須磨寺ものがたり
長寿企業大国といわれる日本には、100年以上続く会社が5万社以上ある。
大半の会社は明治時代創業である。 [続きを読む]
受信: 2007/06/19 18:47:10
» 言葉で傷つけ、言葉で傷つけられるということ トラックバック 鈴木正和 (すずきまさかず) ブログ日記 文学の痛みと感動
日々教壇に立っていると、年に数えるほどのあるかないかではあるが、自分が講義中に口に出してしまった言葉が、その場の空気の中で、ちょっと良くなかったかな、と思える時がある。
それはその瞬間に、うまくなかったなというのを、自分で感じているのだが、言った本人が、その場の雰囲気を感じて、どこかで傷つけられてしまうことがある。
* * *
講義が終わった後に、どうもひっかかってしまう。
ひっかかっているというのは、学生がこちらの言葉を誤解して受け止めてはいないか、説明がうまく伝わらなかったのではないか、... [続きを読む]
受信: 2007/06/19 19:00:11
» 二つの世界 トラックバック 世界と向き合う その人物について
live and let liveであると同時に、
die and let liveである世界。
茂木健一郎 クオリア日記
昨日の流れを汲んで。
先日ブログを徘徊していたら
茂木さんが白神山地に行った時の様子が書かれていた。
当然のことのようで
実は認識し仕切れていない領域を言...... [続きを読む]
受信: 2007/06/21 12:47:53
» 美術解剖学 白洲信哉 トラックバック もぎけんPodcast
ゲスト:白洲信哉 『美を求める心』... [続きを読む]
受信: 2009/12/02 15:29:58
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
もうFさんのところで
それ以上先に すすめなくなってしまった
涙があふれてきてとまらなくなってしまっていた
そのとき その店の私が座っていた窓際のカウンターの並びには
誰もいなかった
Fさんの文章に出くわして中程まできて 江村哲二さんの面影が
でてきてもうだめだった それまでに読んだいろんなかたたちの
文章があたまんなかで 響きあっていた なみだがとめどもなく
ながれでてきた
投稿: 風のモバイラー&野村和生 from nomgroove.com | 2007/06/20 11:03:42
佇むひと あるいは視るひととしての私 >>2
クワイエット・ライフ
そこは森だった 森の中を歩いていた
見上げると 木洩れ日がだんだんと・・
すすんでゆくと ひんやりとした森の息吹が
肺のなかを満たしてゆくのが わかる
からだのなかの細胞のひとつひとつが
ヨロコンデイルノガワカル
私は「彼」の交響曲第40番 有名なト短調交響曲 第二楽章を
聴いてそのように「感じた」のだ
おそらく彼はそのとき 森を歩いていたのだ
少年の頃 父に連れられ旅をしていた道すがら
ひとりで森の中を歩いたヨロコビヲ
夢想シテイタノダ
>>
いきなり「彼」は「本質=神」を視てしまったのだ
そして 神は細部に宿る ことを
私にいまあらためて 教えてくれていた
あの暗い森ノムコウに世界がヒロガッテイルコトヲ
彼は教えてクレテイタノダ
>>
江村哲二さんが 願わくば彼の地で
幾多の楽聖やミューズたちと邂逅されんことを
2007年6月20日 東京 浅草にて
野村 和生
投稿: 風のモバイラー&野村和生 from nomgroove.com | 2007/06/20 9:50:43
白神の森では、何者の死も無駄にはならず、全て次の生の、他の生きとし生ける者達の為に活かされ、そうやって循環していくのだな…。
その中で生きるマタギの工藤さんも、森の中の全ての生き物達もそして森それ自体も、万物を貫く生命のリズムにのっかって生きて居るんだな…。
茂木さんにとって、この白神山地での体験は、生命の不思議なる循環を身を以って知る、貴重な体験に、また、なったのに相違ない。
上野での白洲信哉さんの講義、生で、聴きたかったなァ。
投稿: 銀鏡反応 | 2007/06/20 5:46:05
ブナ林。
今は新緑なのでしょうか?
目を閉じると清々しい黄緑色の臭いさえもが
甦ってきます。
茂木さんには、いったい一日は何時間あるのでしょう?
マタギの見習いと大学教授。
一日 24時間のなんと密度の濃いいこと。
それとも どこでもドアをお持ちなのか?
はたまた、分身の術が使えるのか・・・・
投稿: hi | 2007/06/20 2:18:41
あだしのに行ってきました。今はもう、風葬の気配なんぞ何もないのですが。
できれば、私のなきがらは、酸素と結合させて二酸化炭素を発生させるのでなく、種々の微生物によって分解されるのが理想、などと空想しています。まあ、種々の動物の食に供されるもよし。なんでもいいから、君たちのその環の中に入れておくれよ、と願う人類がいたっていいじゃありませんか。
あだしのには吉野家はなく、入梅したというのにいい天気でもあり、あだしののつゆをすする夢は露のごとく消え去りました。
投稿: 無碍 | 2007/06/20 1:20:33
以前、マタギ犬がデビューするまでを追う番組を
見たことがあります!
赤毛の柴犬(女の子)が、マタギ犬。
マタギ犬としての資質を見るため、広場につながれた熊に
むかっていくという審査をやっていたのですが、その子は
勇猛果敢に「わん!わん!」と熊に吠えかかる!
いよいよデビューした日には、マタギのお父さんと
先輩マタギ犬と一緒に山道をあちらこちらと移動!
デビュー当日は、熊には出会わなかったのですが、
なれない仕事に、かなり緊張を強いられていた様子。
1日が終わって「ほっ」とする時間に
マタギのお父さんの膝の上で、まるで人間の赤ん坊のように
お腹を上にしてぐっすり寝ていた姿が、とてもいじらしかった!
カメラも気にならない様子でオメメをぎゅっとつぶり
いびきをかいていました(笑)。
もう引退しているかと思うのですが、元気で幸せな
隠居生活をしていてほしいです。。。
投稿: まり | 2007/06/19 23:41:14
こんにちわ、少し「意識とはなにか」を読ましていただきました。
茂木さんの「クオリア」の意味を個人的に推察したのですが、「意識される意識」ではないだろうかと思いました。
たとえば、クイズで、「今何問目」と言う問題が出てくるときがあります。つまり、意識から離れ戻ってくる意識、一時的に意識から離れる記憶とも考えられますが。これに対して、「クオリア」と、今の所、説明していませんから、個人的推察で、「クオリア」を「意識される意識」ではないだろうかと思っております。
ところで、「マタギ」って、私自身、一種あこがれる所があります。
投稿: tain | 2007/06/19 20:46:31
今日偶然、我が家の工場に来訪した馴染みの山師さんと、白神関連の話をしました。休憩時間中だったので、ほんの少しの間でしたが内容はシビアでしたw。
以前某URLを貼った者です。
今回、青春ロック小説内の『脳神経テーマ』のさわりのページを、アドレスに貼ってみました。
冒頭文から読むのが面倒な場合は、ぜひ
見たまえ
という語句の検索からどうぞ ^ ^ 。
作品自体の出来も、大体そのページと同じ水準です。
様々な方との出会い。
魂のうるおいが常に純化されてそうで、羨ましいです ^-^ 。
投稿: 眠ってるコブシ | 2007/06/19 19:31:40
意味は違いますが自分もやっと一般生活に戻ったとこです
まだまだネットの時間もとれず
あとでみた茂木さんの日記に悔しい思いをしています
山は良いけど一歩間違えると怖い
昔あと20段で富士山の頂上と云う所で座り込んで5分休んだ
息しても空気がない
山は私が行けるとこでは無い様だ
山に拒否されてるかも
投稿: ルアー | 2007/06/19 19:25:41
山のなかに、ここから見上げる、その緑の奥に、
他界した人たちが毎日の生活を営んで暮らしている、
という思想が昔からあるのだと、台所仕事をしながら、
いつだったか、ラジオで聴きました。
悲しみを、木々が、吸い上げてくれる気がした。今日、
ブナの森のお話を拝読できて、本当によかったです。
投稿: F | 2007/06/19 12:53:41
夢。
わたしのいまの夢は、
奈義現代美術館の月の間で、だいじなひとをたくさん呼んで、time to say goobyeをうたうことです。
塩谷さんにバリトンうたってもらいたいです。
きのう、電話したら、「いまのところそういう目的では貸してないですけど・・・」と丁寧にことわられました。
でも不可能ではないとおもいます。
万が一実現したら、どうか、きてください。
投稿: おおつかようこ | 2007/06/19 7:52:27