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2007/06/11

野生のうわーっとしている

Japan Timesのインタビューの
中で、私は明治以来の日本の知識人は
「輸入」ばかりして来たから、
そろそろ「輸出」をした方が良い、
ということを話した。

興味深いことに、日本に住む外国人の
方は、この点に反応していて、
「そんなことはない、これとこれとこれは
翻訳されている。私の知り合いで、毎月の
ように国際学会に行っている人がいる」
などと指摘してくれた。

視点の違いはどこからくるのだろう、
と考えているうちに気が付いた。

日本語ネイティヴとしては、
英語として流通していないものが
膨大にあることを知っている。
ところが、英語圏がベースになっている
人たちは、英語になっているものが
これだけあるんだから、流通している
じゃないかという印象を持って
しまうのだろう。

たとえ、100万のうち10点しか
流通していないとしても、
その10点をもって、流通していると
考える。
なるほど、英語圏からはそのように
見えるのかもしれない。

同じことは全ての言語圏について
言えるのだろう。
たとえば、インドネシア文学
が日本にいくつ翻訳されているか
知らないが、これとこれとこれが
出ているのだから流通していると
日本語圏の人は考えるのかもしれない。
インドネシアを母国語とする
人たちの感触は当然違うだろう。

毎月学会に行っている、とか、
そういうのを「輸出」とは
言わないという感覚を、
どうしたら
わかってもらえるのか。

このような行き違い自体が実に
興味深く、
やはり異なる文化の間で引き裂かれる
経験は必要だと思う。

東京工業大学で教鞭をとる
モートン教授からは、
ご自身が編集した小林秀雄の
伝記を教えていただいた。

さっそく注文したが、Asian Studiesと
ある。
小林秀雄がAsian Studiesとラベルされる
ところに違和感があるが、
その違和感から出発して考えるべき
ことがあるのだろう。

ひさしぶりにまとまった距離を
走った。

公園の中のビオトープに、
アメンボの小さいのがうわーっと
かたまっている。
ミジンコや、メダカもいる。

生命は、本来、秩序とは遠い
ところにある。

野生のうわーっとしている
様子を眺めて、時々思い出すのが良い。

ジャングルに行きたいなと思う。

インスピレーションというものは、
生きる糧であるはずである。

6月 11, 2007 at 04:56 午前 |

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受信: 2007/06/12 7:31:07

コメント

異なる文化圏の間で「引き裂かれる」思いをする、というのは、
例えば、この東端の島国の文化圏だけにとっぷり浸かっているだけの
状態では、なかなか体験できない。

むしろ、互いに異なる文化圏の間を行ったり来たりしていると、
そういう思いをするようになる。

個人間でもそれは同じかもしれない。

自分とは生活のバックボーンが異なる相手と話していて、お互いに共感しにくい、何か噛み合わないな? と思う時は、
互いの間で「引き裂かれている」ということなのに違いない。

異なるもの同士で味わう違和感から、自分はどう積極的に出発していくか。
あるいは出発しないのか。

そこに本当に、互いを理解するための重要な「キモ」が
隔されているのではないか。

路地やビオトープには、秩序とは程遠い、
剥き出しの生命の、曲線的で多彩な、
豊穣のカオスが広がっている。

その中に瑞々しくも激しい命の響きを垣間見ることが
直線的な「文明」に毎日囲まれて暮らす私達「文明人」にとって、
どんなにか「癒し」となることだろう。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/06/12 4:43:18

根は同じと思うので、書くと。

原爆は日本に投下された。
アメリカは戦後、白人国家を爆撃したことがない。
前の仕事場のドイツ人は「優秀なほど残酷」と平気で言ってのけた。
N響はヨーロッパで、「上手になった」、と言われる。
誰でも知っているような日本の医学関係の大家は、国際学会の講演後のQ&Aを、まるで子供のように恐れていた現場を知っている。

・・・人という、ステレオタイプは過去のものと思いたいが、英語・キリスト教の負の側面と我々との軋轢は近年増加しているのではないか。

タカトシの「欧米かあ」ギャグは、ある種タイムリーで複雑な背景を背負っている(考えすぎ!?)。

投稿: fructose | 2007/06/12 2:19:21

今日の美術解剖学の授業で茂木さんは辛そうだと発言しました。東京藝術大学絵画科M2の大竹です。
突然の失礼な発言で申し訳なかったなと思いメールさせていただきました。
オルセー美術館のゴッホの部屋でゴッホの絵を見た時、研ぎ澄まされた孤独な感覚が直接心の奥に伝わって涙が出たことがあります。
特にゴッホが好きなわけではないので感激したというよりは、その時フランスを1ヶ月一人で歩いていた事とも重なり孤独な感覚が伝染したのだと自分なりには理解しています。
今日は何かをなくしたり犠牲にしてでも前のめりで走り続ける孤独感や答えのないライフワークが重なってそんな発言になったのだと思いますが、ネガティブな気持ちがこもっていたわけではありません。
同調共鳴してしまうほど、茂木さんの言葉は私たちの感受性に直接語りかけられているのだと思います。ゴールドベルクの休憩時間に茂木さんが感じてしまった様に、今日の私は茂木さんの何かをことだまを通して感じてしまったのです。
純粋に藝術を志しながら絵で食べていく事を本気で信じ、その為なら何をしてもいいと思って生きています。今日の講義は、ライフワークにおいて根本的で、何かをやり遂げたいと思っている人達にとって勇気づけられる内容でした。
美術においても人でも、振れ幅がとても重要だと思います。アウフヘーベンの話をしましたが、相反する二つのものを同じく深く考えられてこそジンテーゼが導き出せるのではと思っています。しかし同時に絵はただそこにあるもので(脱コンセプチュアルアート)自分の考えが支配できないくらいの作品が本当の意味で作品と言えると思います。
脳を行き交う思考を文章や言葉にする事が苦手で伝えきれない歯がゆい気持ちですが、長々とすみません。
解剖学特講の授業は毎回楽しく興味深いです。
今日3年越しに勇気を出して発言したのに失言でした。。
公園デビューはいつになるのか・・・

投稿: hiroko otake | 2007/06/11 23:08:38

マンガは、やっと流通するようになってきたようです。
アメコミ、ベーデー、アジアマンガの輸入不足。
慢心があるやも知れず!ですね。

投稿: 長谷邦夫 | 2007/06/11 22:53:04

子供の頃滑り台の下の水溜りにオタマジャクシがいて
兄の友達が取って帰った

今思えば何故そんな所にと思う

自然は時々とんでもない事をして
何時でも必ず勝とうと狙っている様に見える

滑り台の下のオタマジャクシは自然の勝ちだったのか?
秩序より遠く離れた水溜りには自然の知恵が潜んでいると思う

投稿: ルアー | 2007/06/11 20:22:09

日本の知識人の輸出の事。

すでに輸出されているかどうかの見解のずれはさて置き。

今や、日本のスーパー知識人の一部あるいは多くは 体ごと、
その能(脳)を輸出してしまっているような気がします。

茂木先生のような日本在住の方は、じゃあどうすればいいか?
ご自身で、英語などのメジャー言語で、メッセージを書きなぐり、
しゃべりまくるしかないのではないでしょうか?
 ITの力も総動員で。
 
翻訳などしている時間はない世の中のスピード感ですもの。

でも、くれぐれも、猟犬コッカスパニエルがウサギを追いかけるのに
夢中で、自分の心臓が破裂するのに気がつかない。。。。
なんて状態には なって下さいますな。!

投稿: sakuranomori | 2007/06/11 19:36:09

掲示板、荒らしてしまってごめんなさい。
かなりやばかったですが、くすりで調節しながら、なんとかやっていけそうです。
もぎさんの掲示板があったからなんとか生き延びれたようなものです。
ほんとにありがとうございます。

投稿: おおつかようこ | 2007/06/11 19:03:32

こんにちは

「うわーっとしている」って面白いですね。
ちと角度は違いますが、
僕も圧倒的な自然って大好きです。
昨日の風呂場をひっくり返したような雨も爽快でした。

電車が止まろうが、
床上浸水しようがおかまいなしです。
容赦無し。

電車が止まってあたふたしている人々と、
ナイルが氾濫して逃げ惑う人たち。
自然から見ると何一つ変わらない。

澄んだ空気にうつる富士山や、
夏の巨大な入道雲。
その圧倒的な存在感は心に息苦しいほどの開放感を与えてくれます。

投稿: hayashi | 2007/06/11 13:38:01

がっかりする、という孤独。
なんで分かってくれないんだろう、
もっと気持ちが分かると思ったのに。
思春期の頃、なんでもない挨拶が
上手に出来なくなった。
親が帰宅しても、素直に「おかえり」と
言えなくなった。心の中では、いつも、
おかえりなさい、と呟いて背を向けた。
親だから通じている、と勝手に思ってた。
そんなことないのにね。
ある日、父が激怒した。
仕事で疲れて帰ってきたのに、
お前は、ろくに何も言わないのか、
私はとても悲しくなって大声で泣いた。
「ごめんなさい」とも言えなかった。
そのとき、私も一人ぼっちだった。
でも、幼い頃、じゃれていたときより、
距離のあった頃のほうが強く残っている。

投稿: F | 2007/06/11 10:46:26

言語ー日本語が一番難しい事実。

投稿: tomoko | 2007/06/11 10:45:54

はじめて書き込みさせて頂きます。

違和感という所、響きました。

自分の置いている場所のメトロノームにぴったり合わせながら、言葉や音符を発したモノが、人を安心させる場面によく遭遇します。

しかし、それは、ほかの場所の人間にとって窮屈だったり、自由じゃないと感じたりします。違和感を感じる瞬間です。

違和感を感じる時、私は、おなかの真ん中あたりが、ぐりぐりっとなります。あと、首のあたりが、熱くなります。
皆さんは、どんな症状(笑)??

違和感は、いつも私に、「頑固に生きろ」と命じてきました。
捨てたモノ、やってきた物・・・

今朝は、かまきりの赤ちゃん発見です。

洗濯物の合間をさくさくさくっとよぎっては、かまを研いでいました。

かっこよすぎでした。

投稿: 野坂 美紀 | 2007/06/11 10:38:40

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