« 未だ見ぬ脳の「モード」 | トップページ | 学会 »

2007/06/22

万華鏡の様々な反映の中に

ちびまる子ちゃん役で
有名な伊藤綺夏ちゃん(9歳)を
間近で見る機会があった。

 天才子役というのはすごいもんだ
と思った。
 完全に大人を喰っている。
 もちろん、失敗することも
あるのだけれども、
 ケロリとして、動じない。

 一体どういうことだろうと
考えた。

 もともと、子どもにだって
文脈依存性のふるまいはある。
 前頭眼窩皮質などの働きを通して、
その時々の状況に合わせた形で
自らを律する。

 文脈依存のふるまいをする時、
大人はどうしても
わざとらしくなったり、自己意識が
出てしまったりする。

 それに対して、子どもは
本来的に無邪気である。
 可愛らしいが、その可愛らしさは
わざとやっているわけではなくて、
 無意識の自然の傾向として
現れてくる。
 天才子役というのは、そのような無意識の
傾向が、「演技」と一致するんだな
と思った。

 人が生きるということが喪失と
獲得の連続であるならば、
 大人になることで失われてしまう、
子どもだけが持つ輝く能力があるに
違いない。
 
 研究所で、ASSCの準備を
する。

 住吉美紀さん(すみきち)が休暇に入り、
三週間『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録がなかった。
 研究所公開や、学会準備とちょうど重なった、

住吉さん、良い時に
ヴァケーションをとってくださって
ありがとう!

 すみきちが休暇をエンジョイしている
様子は、
すみきちブログ
から読み取れる。
 
 さてさて
 野澤真一と石川哲朗の学会準備が
テンパっていて、二人と議論をしながら
こっちもうんうん考える。

 特に、石川のグラフの意味に引っかかって、
智恵熱を出しながら考え込んだ。

 無意識の引っかかりというのは不思議な
もので、「この対象には、どこかまだ
考え抜いていないなにかが潜んでいる」
という警告感として現れる。

 そうでなくて、すっきりとした
姿をしたデータもある。
 例えば、今回で言えば、
小俣圭、須藤珠水、田辺史子
のデータはすっきりしていて、
 まず大丈夫と思う。

 石川のデータは、まだなにかが
すっきりしないのだ。
 それで、うんうん考えた。

 野澤も、二条件で差異が出ないと
困り果てている。
 個人差はあるらしい。
 しかし、統計的にはすっきりした
差異が出ない。

 「これは野澤くん、今回は、
全体としては統計的に有意な差は
ないということでまとめるしか
ないね」と肩を叩きながら言った。

 帰るとき、野澤が一緒に駅まで
ついてきた。

 「あのさ、修士の時はさ、
どうしても自分の思いが先に立っちゃう
ものなんだよ。
 オレもそうだったから。
 しかし、経験科学としては、データに
基づいて、当たり前だと思える
ようなことでも、そのまま客観的に
記述するしかないだろう。
 もう、データを並べて、
どんなストーリーがつくれるか、
冷静に考える時期だよ。
 ははは、これ、オレが修士の時に
指導教官に言われていたことと
そっくりだなあ。」

 何しろいろいろな文脈を引き受けているので、
私は大変忙しい。
 なんでこんなことになっちまった
んだろうと思いながら、
 万華鏡の様々な反映の中に、
自分と、自分にとって大切なものたちの
影をずっと見続けようと魂を凝らす。

6月 22, 2007 at 06:23 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 万華鏡の様々な反映の中に:

» えんぴつを使ってみる トラックバック 鈴木正和 (すずきまさかず) ブログ日記  文学の痛みと感動 
大学内で、まだ行ったことがない場所に行ってみる。 図書館の書庫の出入り口の片隅にあるデットスペース。 そこから見える外の景色は、ここへ来て、初めて見る角度からの風景だった。 同じ敷地内であるはずなのに、そこは、初めて訪れたような光景に満ち溢れていて、新鮮な真新しさを感じた。なのに、どことなく、懐かしい気がした。 意識はそんなことにも驚きをもたらす。 閲覧室で、たった一人の学生が、誰とも会わないような片隅のスペースで、勉強しているのが、曇り硝子のようなプラスチックの衝立の向こう側に見えた。 ... [続きを読む]

受信: 2007/06/22 7:36:20

» 賞味期限 トラックバック 須磨寺ものがたり
賞味期限というと、食物を一番に思い浮かべますが、 人間にもその賞味期限があると、 面白い指摘をしている人がいます。 [続きを読む]

受信: 2007/06/22 14:40:33

» 子供の・いのせんと。 トラックバック 銀鏡反応 パンドラの函
子供の “いのせんと” は だれも憎むことは出来まい。 むしろ 子供の命の瑞々しい輝きが そこに 現われる。 …輝けるいのせんとの頃 目の前には 真っ白なカンバスが 限り無く大きく広がっていた 私達はみなそれぞれ自分の絵の具で 好き勝手に絵を描いたものだった。 一所懸命にそうして 絵を描いているうちに 広大なはずのカンバスが いつしか残り少なくなっていた そう錯覚してしまったとき いのせんとな 輝く力は 瞬く間に色あせて失せ 子供の姿を捨てると引き換えに 大人の姿にメタモ... [続きを読む]

受信: 2007/06/23 12:32:39

コメント

データについて何か言いたくてパソコンに向かったのだけど
結局皆消した

データになぞらえて実験者が正しければ人の助けになると言いたかった

言いたい事はうまく言えない物です


投稿: | 2007/06/22 20:28:13

子役の子は、伊藤さんというのですか。

 ・ 哲学者プラトンは、#1.) 「すべての学習は、楽しみとして
為されるのが最善である。 抑(おさ)えつけて学習したものに、
何一つ正しく心に根づくものはない。故に、こどもの労作は、
遊びのように為すべし。」と。
                注#1.) 百科事典より引用

 ・ 孔子は、「知っている人より好きな人の方が上達が早く、
 それより、楽しむことができる人の方が更に上達が早い。」と。

 ・ 伊藤さんは、「遊びの延長」で仕事をやっているのでは
ないでしょうか。 大人は「仕事」という「枠」で捉えがち。
 普通の多くのこども達より、ただ「楽しみ」を早く
見つけただけのこと、と私は思います。

・ こどもは、時に、「大人の行動(反応)」を「読みはかる」時が
あります。 「自信」は、時に、その人に智恵という大きな財産を
与え、「過信」は、時に不幸をもたらす。
 
  こどもは、大人の反応を読みはかり、そこから
「何かを学びとる」。 伊藤さんに限らず、
私も含めて「過信」を防ぐ方策の一つ、下記に挙げてみます。 

・ことわざに「知らざるを知らずとせよ( = 知らないことは、
知らないとしなさい。)」 #意味は、広辞宛でも引いてください。
 ソクラテスは、「無知の知 (# 無知からの出発)」を
説いています。

投稿: | 2007/06/22 20:25:07

う~ん、確かに文脈依存の振るまいをするとき、私達大人は、如何もわざとらしくなったり、自己意識が出てしまいがちなんだよなぁ…。

それで如何しても、言動がナチュラルでなくなったりして…私もシバシバそんな言動におちいることが…嗚呼、つくづく反省。OTL

仰る通り、子供って本来的に無邪気で、しかも、その無邪気さ、愛らしさがわざとらしくないので、本当に憎めないですね。

そうした無邪気さと愛らしさが、子供からは、無意識の自然の傾向として出て来るという…。

もちろん、子供は我々大人以上に「大人」をよく見ている存在…つまり“大人よりも大人”であることも、厳然たる事実なのですが!

茂木さんのいうように、子供には子供にしか出せない「輝く能力」が
あるにちがいないと思う。

彼等の時折見せる、天真爛漫な笑顔をみていると、本当に彼等は命の底から「輝いている!」と思えるからだ。

ところで、茂木さんはいまごろ、門下生の皆さんと共に、飛行機の中の人になっておられるのだろう。

無事に現地につかれますよう…そして、絶対無事故でありますよう…!


投稿: 銀鏡反応 | 2007/06/22 19:31:25

なせばなる。なるようになる。楽しい、お土産話、待ってます。

投稿: | 2007/06/22 16:34:59

茂木先生と研究所の皆様、米国学会、良い旅になることをお祈りています。
石川君、落ち着いて、良いスピーチが出来るよう頑張ってね、と伝えて下さいね~! 

投稿: | 2007/06/22 7:50:40

コメントを書く