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2007/06/28

やはりこのような空気を

 成田エクスプレスの中で
仕事をしていたら、
どこからかキーボードを猛スピードで
かちゃかちゃ
やる音が聞こえてきた。

あわててモーツァルトの
Exultate Jubilateを聴き
始めた。

それでも、低温の音はイヤフォンを
通して聞こえてくる。
仕事に集中して、心理的に消した。

列車を降りるときに見たら、
眼鏡をかけた、一見ギーク風の
大柄のアメリカ人だった。

 「キーボードを無意味に大きな
音を立ててがちゃがちゃ打つ」
という人は昔からボクの
苦手なタイプで、
それだけではわからないけれども、
どこか肝心なところで無神経なの
ではないかと思ってしまう。

 もっとも、そんな雑念も、
新宿の雑踏を歩き始めたらもう
消えていた。

 久しぶりのNHK放送センター。

 打ち合わせ前。

 「ばらえ亭」で大好きな
ワンタン麺を食べて帰国を一人
祝っていると、店の人が、
 「あの、この前パソコンのカバーを
忘れていませんでしたか」
と持ってきてくださった。

 うれしかった。もう3週間前の
ことである。
 出てこないので、諦めて
買った新しいカバーが、何となく
気に入らないでいた。

 「旧友」との再会で心が
ホクホクとした。

 社会情報番組の部屋に戻ってくると、
山口佐知子さんがカバーと一緒に
写真をぱちりと撮った。

 そのうち、『プロフェッショナル 仕事の流儀』
「すみきち&スタッフブログ」 
に掲載されるかもしれません。

 すみきちのメープルシロップ
クッキーと、私のラスベガス
マカダミアナッツチョコの
お土産対決。

 有吉伸人さんと、もろもろ
のことを話す。

 打ち合わせを終え、帰路の
公園近くの暗闇で、
 江村哲二さんについて
読売新聞の松本良一さんと
お話しする。

 途中、携帯電話の電池が切れて、
近くのコンビニまで買いに行った。

 「江村さんは、ボクの人生に
大切なメッセージを残してくれた
ように感じるのです」

 大抵の差異や対立は、実は
大したことではないと最近感じている。
 一見相容れないように見える
思想や考えのどちらかにとらわれて
しまうのではなくて、
常にそのさらに上から多様性と
して眺めてみたらどうだろう。

 ヘーゲルの言う弁証法とは
微妙に違う。
 アウフヘーベンするのではなく、
異なるものが対立したまま
そのままいる状態で良いのでは
ないかと思う。

熱風はどっかに消えてしまった。
日本の暑さはしっとりとしていて、
蛍はやはりこのような空気を
必要とするのだなと思う。

今週の「ヨミウリ・ウィークリー」
は蛍と江村さんのことを書いている。

6月 28, 2007 at 08:12 午前 |

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受信: 2007/06/29 19:19:11

コメント

差異や対立。俯瞰すれば、やはり大したことはありませんね。全員が同類だったら実に奇妙です。しかし地上の世界で差異や対立に出くわした時、俯瞰した際に生まれた冷静さを保持できるかどうかが問題だと思います。

地上の机でアウフヘーベンを説いたヘーゲルの論理は正しいですが、彼もまた人間である以上、一個の心情家であり、「差異や対立」に対立し憤りを感じたからこそ弁証法へと辿り着いたように思います。

ヘーゲルのケースは怒り、苛立ちといった負の心情を生産・創出という正の結果へと変えた例ですが、人間(じんかん)に生きる私たちが、瞬時に負から正への転換を図れるかは、おそらく恒久的な課題なのでしょう。

投稿: 比留間尚希 | 2007/06/30 2:08:54

宝くじを買う前、買って当たりが決まるまで、「当たりならどうしよう」「たぶん、はずれる。」と、二つの心の状態があると思います。

そこで、「株のほうが良いかも」と、思うのが、創造性の一つではないでしょうか。

投稿: tain | 2007/06/29 19:18:37

脳を30の分野に分けてそれぞれにオンとオフがあるなら
単純計算で10億通りのモードがある、
という茂木先生のお話に照らすと、
ヘーゲルの弁証法の「アウフヘーベン」というやつも、
「異なるものが対立したままそのままいる状態で良い」というのも、
例えるなら、
ある問題に対する考え方 10億通り のうちの
ひとつに過ぎない、ということなのですか?

多様性を貫く何物も存在しないということなのですか?

私は、人と関わる時、
理屈が通れば何とかなるはず、と思ってきました。
そうではないということが身にしみて解ってきたのは、
まだ最近のことです。
私にとって「言葉」は、人と人との間の”公約数”的なものでした。
でも、あらためて考えてみると、事務的な会話は別として、
まわりの人たちは、誰もそんなふうに言葉を使っていません。

一般社会の中で、生活環境も考え方も違う人々が、
お互いに、たくさんのモードを大ざっぱに合わせながら、
どういうわけか、ごく自然にコミュニケーションしています。
それに比べると、
私が日常的に自然なコミュニケーションをとれるのは、
少ないモードで対応できる、家族とだけのように思われます。

多様性の中に適応するには、どうしたらいいのですか?

でも本当は、誰も、自分の中に複数の多様性を
同時に内在させているわけでは
ないと思います。
滑らかにモードを切り替えたり、複数のモードを同時に持っている
ように見える人は、実は「合わせて一つのモード」なのだと思います。
それは、私の脳には、擬似的にしか現れてこないモードです。

想像のつかない多様性は、互いに断絶するしかないのでしょうか?
多様性は、尊重することはできても、
橋をかけることはできないものですか?

コメントが 日記から離れていくようで申し訳ありません。
蛍は、きれいな水としっとりした空気と少しの餌、
ささやかなもので生きていけるのに、あんなに綺麗ですね。


投稿: u-cat | 2007/06/29 4:55:38

6/27、成田空港駅ホームで荷物とコーヒーと開いたパソコンを落としそうになりながら、立ったまま仕事をなさっていた茂木さん。その時私はというと、シカゴで開催された医学のscientific meetingで発表し、二千年にわたり論理的な議論をむねとする文化を育ててきた欧米人のすごさを思い起こしていたところでした。

新宿に近づく頃、同じ車両に乗った成田エクスプレスのグリーン車には茂木さん、その前に座っているギーク風のアメリカ人、そして私の3人だけになりました。そして「このような空気」にあった車内で例のキーボードの音です!私もあのキーボードの音の主が気になり “まさか茂木さん?”と思い後ろを振り返ると違ったのでほっとしました。

そこでなぜか私には私自身が宮沢賢治のセロ弾きのゴーシュに思えたのでした。所属する楽団(つまり学会)からは音が合わない、と(別の言葉で言うと論理的には今一つ説明が下手と)されているけれど、ゴーシュ(私という医学研究者)は日頃から「兎さんのおばあさんも狸さんのお父さんも、そしてあんな意地悪のみみずくまでも治して」いるのです。今回の研究成果も理論的にはとても良いと自分でも思う。でも次に来る「あんばいの悪い野鼠の子」が癒されるためには、理論と人情のハーモニーも必要なのだと直感しました。

投稿: 佐々木 敬 | 2007/06/29 1:00:25

茂木さんがパソコンのカバーと再会した様に
『日本に居る茂木さん』と『日本に居る茂木さんのプログ』に
私達は再会です。

お帰りなさい

投稿: climb decoy | 2007/06/29 0:16:07

正反合、から離れてみて。
フライデー襲撃事件のとき、北野武氏に同情する、しない、のいずれかである、という排中律が形成されそうなときに、岡本太郎氏はそれを壊しました。いわく、
「北野武、って、誰?」

限りないアウフヘーベンの螺旋は、実はあまり信用を置いていません。
同じところをぐるぐると回り続ける、というモーターの原理は、SとSとは反発しあう、NとSとは惹かれ合う、けれどNはSに惹かれたために、Nにならざるを得ない、そうすると反発し、反発によってNはSになり、・・・
と、実家の近くに、かの有名なモーター工場があったので、ちょっと思い出しました。隣が墓地というのも、なかなか。

投稿: 無碍 | 2007/06/28 22:42:52

ご帰国早々、なくしたPCのカバーが見つかって…いゃ~、良かったですね…!これからもPC君ともども、大事にしてあげてくださいね。

さて…。
「大抵の差異や対立は、実は大したことではない…」。
「一見相容れないようにみえる思想や考えのどちらかにとらわれてしまうのではなくて、常にそのさらに上から多様性として眺めてみたら如何だろう…」。
「…アウフヘーベンするのではなく、異なるものが対立したまま
そのままいる状態で良いのではないかと思う」。

上に写した茂木博士の言葉を読んで、「特定の思想へのこだわり」の時代は、とっくのとうに終わったことを痛感した。そしてこういう考えかたが
少なくとも自分のような「こだわり屋」には特に必要である事を改めて思った。

博士の言うように、確かに、本当はこの地上での「大抵の差異や対立は、実は大した事ではない」のだ。

だから、この世のあらゆる差異や対立を上から大きな視点で、多様なものものとして見ることは、アンバランスな思考に取り付かれない為には、とても大切なことだと思う。

「一見相容れないように見える思想や考えの違い」にこだわって、どちらか1つの考えにとらわれてしまっては、世界を見る視野が狭まるだけで、少なくとも自分の人生上、いいことは1つもあるまい。

広い世の中には沢山の考えや思想信条があることを、常にさらに上からの視点で、多様性として眺めて見ることによって、より強く実感できるのではないか。


この土で出来た球の上では、いまだに宗派や政治的信条など、本当は「大した差がないこと」にこだわって、争いを続けている所が多い。

異なるもの同士対立したまま、「どちらが優れているか」で、互いに血を流すまで争うのではなく、寧ろそのままで地上に共存しているほうがいいじゃないか、と、これからは、思うことにしてみよう。

そして、出来得る事なら、そう思うだけではなく、行動にして訴えてもみたいものだ。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/06/28 22:24:51

もう半月経つんですね。
時間の流れって本当に速いなと思います。

複数の価値が同時にあるのって
アニミズムみたいですね。
一神教だと真実は一つみたいな
イメージがあります。

AとBとで対立していたとしても
大抵同一線上で
でも完全なる中庸が無いのも事実で
言葉って本当に連続性の分解
なんだなと思います。

さらに、AとBがロジックだとすると

AとBのロジックで事象Uの全てを
説明できるかと考えると
AだとBはありえない
BだとAはありえないになりますが、

AとBのロジックのプログラムで
事象Uを作り上げられるかどうかと
考えると
AだとAが必要で
BだとBが必要だになるから

後者が多様性というものだろうと
思うのです。

「説明する」と「作る」との不思議な違いが
何かをまだほんのりと隠しているような
気がしています。

オシラサマがゆうてらした
「もうそこに存在しているソレ」にも
繋がっている感覚です。

だからオシラサマはこの先
どういう展開をしているんだろうなと
思います。

私の場合はまだその先の
経験の風も、心染み渡る水も
特に得ていないので
唯、風待ちです。

投稿: pomutyokin | 2007/06/28 21:03:31

外の音と反対の音で、騒音を無くすノイズキャンセラー機能付き、ヘッドホンなどがありますよ。
私も、ボーズのヘッドホン持っています。便利ですよ。


クラッシクを聞く茂木さんには良いかも?

投稿: tain | 2007/06/28 17:30:41

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