« 江村哲二 × 茂木健一郎 対談 | トップページ | 一つ多いので »

2007/06/14

一体何が精神にさざ波を

生きものには、「今、ここ」から
先しか自由が与えられていない。

過去の時間は、どうしても動かす
ことはできない。

脳の記憶のシステムにとっては、
「過去を正確にとどめておく」
こと自体に価値があるのではない。
「今、ここ」からの先の時間を
よりよく生きるために、
記憶は編集され、書き換えられ、
整理・統合されるのである。

だから、過去を振り返って
ばかりいても仕方がない。
「今、ここ」から先に
起こることに、前のめりで向かいあう
べきだ。

とは言いながら、人間にとって、
過去のことがどうしても
心の中に残ることがある。

江村哲二さんの『可能無限への頌詩』
の録音を聞きながら移動した。

自分がリサイトしていることも
あって、
なんとなく、聴き返してみる気持に
なれなかった。

それが、絶対の別れに直面して、
聞かなければならない気持になった。

今思えば、鬼気迫る。
精神が鳴動し、震える。
そして、愛の慈しみがある。

残滓を抱きながら、タクシーに
乗って仕事を始めた。

不思議なことが起こった。

ラジオからかすかに、
『可能無限』が聞こえてくる。

そんなはずがない、と耳を
そばだてる。

リュックの中を確認する。

音楽は、いつの間にか消えていた。

『食彩浪漫』のテクスト
撮影をする。
仮想の中にしかなかった味わいが
現れる。

タクシーに乗る。
また、音楽が聞こえてくる。

アタマがおかしくなったのかなあ
と思う。
単に小さな音でラジオを
かけるタクシーに
続けて乗り合わせただけの
ことかもしれないが。

羽生善治さんの
朝日オープン将棋選手権の
就位式でお祝いを述べる。
米長邦雄さんに久しぶりに
おめにかかる。

急ぎすずかけ台へ。
大学院の説明会。

石川、野澤と、ASSCの
発表内容を詰める。

芸大の植田工(P植田)と
ゆうなちゃんが来る。

ゆうなちゃんは、P植田のPは
何なのかと聞かれて困るそうだ。
最近、私のブログではPとは
書いていなかったのだが。

あっちへいったり、こっちへ
行ったり。
驚きに満ち、失望に満ちた
私たちの生を使って、
神様は何をしようとされて
いるのか。

ビッグ・バンに先立つインフレーション期
に沢山のbaby universeを誕生させ、
そのうちの一つに私たちを
住まわせている神様は。

小林秀雄の『無常といふ事』の
一節を思い出す。

生きている人間などというものは、
どうも仕方のない代物だな。
何を考えているのやら、何を
言い出すのやら、仕出かすの
やら、自分の事にせよ他人事に
せよ、解った例しがあったのか。
鑑賞にも観察にも堪えない。其処に
行くと死んでしまった人間という
ものは大したものだ。何故、ああ
はっきりとしっかりとして来るん
だろう。まさに人間の形をしているよ。
してみると、生きている人間とは、
人間になりつつある一種の動物かな。

動物でも、何をしでかすかわからなくても、
やはり生きているうちがはなであるように、
この死すべき者には思われる。

はっきりとした人間の形をした
ものたちが住まうアポロンの神殿では、
一体何が精神にさざ波を立てている
のだろう。

今日も、また、南風が吹いている。

6月 14, 2007 at 09:23 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 一体何が精神にさざ波を:

» モーツアルトは演歌を作れない、、、 トラックバック フセン王子のBLOG
「感動する脳」茂木健一郎さん、、、そりゃそうですよね、創造性を強化するにはいろんなことを体験しておかないと、、、クリエーターで名を上げた人はきっと軽率なくらいなんでもやったと思います、、、「おやの血をひく〜ぅ、きょおーだいぃーよりも〜♪」「あーた、王子...... [続きを読む]

受信: 2007/06/14 12:00:00

» 何故か薄らいでゆく トラックバック 須磨寺ものがたり
昨日の午後のこと、 二人の子供が店先で立っていた。 [続きを読む]

受信: 2007/06/14 12:54:13

» 小林秀雄 『美を求める心』 トラックバック Maya Gallery ( Art Illustration )
ちょうど今ぐらいの季節でした。 私が今よりもっと自分のことがわからないでいる中、 いろいろな悩みが重なっていたのもあったのか、 好きなはずの絵が描けないということがありました。 そして、まだ慣れない大学で何かを探そうとしていた入学直後の春、 高校時代の恩師から一通の手紙が届きました。 そこには精一杯の助言とともに、次の一文が書かれていました。 「詩人は、自分の悲しみを言葉で誇張して見せるのでもなければ、飾り立てて見せるのでもない。一輪の花に美しい姿がある様に、放って置けば消えて了う、取るに足ら... [続きを読む]

受信: 2007/06/14 22:23:21

» その点を、時には強さでもって・・・ トラックバック なんでもあり! です 私の日記!! 
夕方、知人のお通夜に。 斎場は、遠くの山が雨にかすんで見えるところで 屋外灯のオレンジ色がはかなげに見えました。 そういえば、江村哲二さんのお通夜も今夜だったはず… せめて、私が書かせて頂いた関連記事を、江村さんへと捧げます。 1/19「作曲家の熱き想い…」 3/20「リリーとインテクステリアと3D立体パズル」 5/27「立花のごとく美しく」 * 数日後に開催するあるイベントの資料作り。 ホッチキス留めをしている ひとりの友人の「留め方」に目を奪われました。 私も... [続きを読む]

受信: 2007/06/15 5:25:12

» 夏至間近・・・の梅雨晴れ トラックバック Little Tree
ところどころに、薄水色の明るい空が覗いています。 午前中は「傾聴ボランティア講座の卒業生」の方々のグループ活動についての お知らせ作成について、ボランティアセンターのスタッフさんと打ち合わせをして その後、ゆっくりと「夢十夜」を声に出して読んでおりました。... [続きを読む]

受信: 2008/06/11 4:57:52

コメント

 人が最後にやりきろうとすることは何なのだろうかと思うと、そんな最後の一員に選ばれるのは、嬉しくもあり、せつなくもありますね。どうにもならないいたたまれなさに拍車がかかるような。
 前を見る理想論は大切ですが、それを越える感情に動かされるのならば、きっと、まだまだ大切なことが過去を振り返る中にもきっとあるのだろうなと思うのです。だからたっぷり思い出や悲しみに浸ってしまっても良いと思うのです。
 無駄なことの中に自分が好きなものが沢山あるのかなとも思います。
 人の死にそれほど出会ったことはありませんが、同年代の人が去ってゆく度に色々なことがジワリジワリと心に迫ってきます。
 やっておきたいことと、やり残したことは違うのかもしれませんが、死ぬために思い残し無く生きるのではなく、生きるために生きたいなと感じるようになりました。
 神様の存在はよくわかりませんが、生きる世界をつくってくれたけれども、地面の上でしっかり立つことまで支えてくれないことは確かなので、この地面の上の立つことを因果や不思議さを感じると共に、素晴らしいなと常に思えたら、もっと生を美しく享受できるのかしらん。
 頭がおかしくなって音楽が聞こえるのならば、頭がおかしくなる事のなかにも、素敵なことはあるのだなと思えます。その音楽に耳を傾けることは、もう会えない人への手向けになるような気もします。
 人の死は、悲しくて、さみしくて、いたたまれなくて、本当にどうしたらいいのかわからなくって、ただつらいですが、それでも日常の時間はただ流れてゆくだけで、急のことで本当に色々と大変だったろうと思います。おつかれさまでした。どうか元気を出してください。

投稿: lee | 2007/06/15 13:53:55

江村哲二先生の近しい者でもない私が、ここでこのようなことを
書くのは不相応と分かっているのですが、私の今日の死生観を、
コメントとさせて下さい(すごく変かも知れませんが)。
身近で現実的な永久の惜別に、まだ直面したことのない
私なりに、考えようと努力しました。

                                 
それは
天空なのか 深海なのか
分からないが
見えない世界へ 命が
関係性の 無数の糸を引きちぎるように 遠ざかる

糸を引き寄せれば 会いに来てくれ
声を聞かせあい 心を見つけあった
命が 姿を見せない

心や 言葉や 涙や 音が 現れる

生きている人間には 心や身体があるから
心を感じ 言葉を綴り 涙をこぼし 音を聴く

そこは
天空なのか 深海なのか
分からないが
見えない世界に
命も 同じではなかろうか

心になる前の心
言葉になる前の言葉
涙になる前の涙
音になる前の音を 響かせて
希望になる前の希望が
たおやかに
                                

投稿: u-cat | 2007/06/15 1:52:27

生の世界は、有限であるが故の連続性・不完全性を持ち、
生を超越して死んでしまった人間は、無限であるが故の固定性・完全性が見えてくるという事を小林秀雄先生はおっしゃっているのでしょうか。

有限の世界に無限をあらわしていくことが、
人間の生きている意味と思います。

可能無限というコトバが心に響きます。

投稿: 古谷伸 | 2007/06/15 1:12:08

何度読んでも意味が分からなかった小林秀雄の『無常といふ事』の一節。今初めてわかったような気がした。
茂木さんの『あっちへいったり、こっちへ行ったり。驚きに満ち、失望に満ちた私たちの生を使って、神様は何をしようとされているのか。』・・・表からみれば神様の使いのようだが,ひとつめくれば神にためされ放浪している日々。生きてることはこんなことでしょうか。

生きている江村さんを存じ上げないでいたことが心残りです。
願わくば何としても彼の聴いた感性を知りたいし、彼の感じた音を知りたい。
どう奏でるべきか、そのメッセージを伝えられる方たちがいるうちにぜひ彼の音楽を再演してください。

日頃、精神活動の乏しい私がそう感じました。

投稿: aurorapiano | 2007/06/15 0:19:59

先ほど梅田望夫さんのブログを初めて拝読させていただきました。これは誤解して欲しくないのですが、茂木さんのブログと比較すると太陽と月、陽と陰の関係にあるようで、その偉大なる二人の陽と陰の対談「フューチャリスト宣言」をただ今、興奮状態で読ませていただいております。
茂木さんはここまで有名になってもまだどこかで「自分は人によって輝かせてもらっている(月)、そしてこれからもそうする」とお考えなのではないでしょうか。
でも、それが茂木さんの魅力なのですよね。いやはや脳って難しい。

投稿: ダンテス | 2007/06/14 23:02:31

ラジオから聴こえてきたのは、気のせいでも、もちろん幻聴でもなくて、江村さんから茂木さんへの感謝のメッセージではないでしょうか?絶対そうだと私は確信します。

小林秀雄さんの言葉を読んで、(特に前半の部分ですが)茂木さんはそんなつもりはないにしろ、最近のCafeでの出来事を見透かされた気がしました。

いつもありがとうございます。

投稿: 菫 | 2007/06/14 23:00:00

音楽が聞こえること私も時々あります。
でも、ドクターはそれを「幻聴」として片付けていますが、
私はどうしても「幻聴」と言う言葉とピッタリしなくて、
その現象を感じ続けていたのですが、時には、風の音が
音楽に変わったり、目をとじていたら脳の中で音楽が流れたりして。
それで思ったのです。今まで聞いてきた音楽の記憶で音楽が作られて
いるのではないか、、、と。
今日の日記にある、

>脳の記憶のシステムにとっては、
「過去を正確にとどめておく」
こと自体に価値があるのではない。
「今、ここ」からの先の時間を
よりよく生きるために、
記憶は編集され、書き換えられ、
整理・統合されるのである。

と書かれていますが、このシステム音楽にも当てはめること
できるはずだと思えたのですが、、、、。


補足 
「聞こえる」の種類の中には、脳の中で聞こえる、脳の中で外と同じように鮮明に聞こえる 脳の外から聞こえる と言う複数の聞こえ方があります。
私が聞こえる音楽は殆どが「脳の中で聞こえる」の類です。

投稿: あすか | 2007/06/14 21:29:03

不思議なこともあるものですね…タクシーのラヂオから、何と微かに「可能無限への頌詩」のメロディが流れてきた、とは…。

きっと江村さんの死を悼むことで生まれた、茂木さんの精神のさざなみが、その不思議な体験をさせてくれたのだろう。

万物は常に流転し、いっときの停滞もない。その中で人は、まさに小林秀雄の言うように「人間になりつつある一種の動物」として、「今、ここ」を「生きて居るうちが華よ」といわんばかりにバタバタと、しかし、懸命に生きているのだ…。

人間の「形」をした亡骸になる前に、大宇宙はこの土塊の球に他の生き物と共存しながら生きる、私達人間独り独りに、驚きと失望、そして希望を抱かせながら、「苦労」や「苦難」そして「死」という試練を与え、「人間になりつつある動物」たる状態のうちに、外面内面ともに、「人間の形をしているはっきりしっかりしたもの」になる時が来るまで、成長させてくれるのではないか。

…よくはわからないが、おそらくはそうなのではないか、という気がする。(生意気な推測で、ごめんなさい)

兎に角、人と人との出会いは、一期一会と人はいう。

仮令、何時、「人間の形をしたはっきりしっかりしたもの」になる日が来てもいいように、自分も一期一会の出会いを大切にしたい。そして、限られた生を粗末に生きないで、大切に生きていきたい、と思う。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/06/14 19:38:16

〝不思議なこと〟
‥江村哲二さんの
粋なお計らいなんでしょうかね♪

投稿: namahage | 2007/06/14 18:00:02

江村さんの残念な急死に関連して少し書かせてください。合掌。

少しばかり関係しているので、最先端の抗がん薬について調べることが少なくない。Aの機序で効果なしの人には、ここを攻めれば可能性があるのでBを試す、というような誠にドライな論理が貫かれている。そして、最新研究薬はある人には著効をたしかに示す。しかし,その癌に対する有効性が統計学的に検証されない限りそのクスリは市販に至らない。

このようなやり方は宝石をどぶに捨てる可能性があるが、だれも説得力のある対案を示さ(せ)ない。有効性を示す数少ない患者は見捨てられる。

忘れてはならないのは、現時点で最善のテーラーメイド治療を受けようとすれば、とてつもなく金が要るということだ。すなわち、癌での生存時間はサイエンス以外が関与する部分がかなり多いということを忘れてはならない。例えば皆保険でないアメリカでは、医療の対費用効果の研究が隆盛の一方で、保険適用がないために生存時間を短縮させている人々が多い。

投稿: fructose | 2007/06/14 17:31:37

Pは「パン」ですよね。

先生、皆様、とてもショックですが元気を出しましょう。

江村さんは、我々を悲観させ、闇に閉じ込めようとされたのでは決してない。

投稿: Icons | 2007/06/14 13:27:33

茂木さん、大丈夫ですか。
何も、お役に立てず、心苦しく思います。
コンサートの音声ファイル、拝聴。
大阪でのコンサートに行きたかった。
お二人が話しておられるお声に、
涙があふれてきます。

投稿: F | 2007/06/14 10:28:04

コメントを書く