2007/06/30
ボクらの時代
茂木健一郎 × 白洲信哉 × 千宗屋
フジテレビ ボクらの時代
茂木健一郎 × 白洲信哉 × 千宗屋
堕落した日本の文化、その未来について語り合いたい」
という脳科学者・茂木健一郎の想いによって声を掛け
られ、集った千宗屋、白洲信哉。
武者小路千家にて
千宗屋が茶を点て、白州信哉の茶碗、掛け軸を披露
してもらいながら、優雅にかつ鋭く日本文化につい
て語る。

2007年7月1日(日)朝7:00〜7:30
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/jidai/
6月 30, 2007 at 12:03 午後 | Permalink
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微笑んでいるのだと思います
6月 30, 2007 at 10:29 午前 | Permalink
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オオバタンの一日机
NHK西口で有吉伸人さんと
別れ、タクシーを拾おうとしたが
雨でつからまらず、
何となくふらふらと
NHK出版の方に歩いていって
しまった。
この「判断ミス」の結果として、
私は
飛んで火にいる夏の虫。
大場旦に会って
しまった。
うぁあ。
たんたんたん、○○○が大好き、おおばたん〜
(ドラエモンのテーマのメロディーで)
に会ってしまった。
大場旦さんは、
『心を生みだす脳のシステム』
『脳内現象』
を一緒につくった戦友であり、
NHKブックスが誇る
名物編集者である。
心から尊敬、敬愛申し上げており、
出会ったことにモンダイはないはず
なのだが、
いかんせん私は原稿を書いて
いないのである。
案の定、私は3階の編集部に
拉致され、
「茂木さん、スケジュールを決めましょう」
とスゴまれてしまった。
しかし、私は、そこで、オオバタンの
思わぬ弱点を目撃することになる。
それはつまり、オオバタンの机である。
再びうわあ。
あ〜
今までいろいろな机を見てきましたが、
これはあまりにも凄まじいのでは
ないでしょうか。
書類がうずたかく積まれ、あまつさえ
「崩壊」し、なだれ現象を起こし、
こんなところで仕事ができるとは
とても思えない、
という惨状を呈しているのでアール。
ところが、
オオバタンは、「落ち着くなあ」
とばかり自分の机に座ってすましている。
「ここで仕事ができるんですか」
と聞くと、涼しい顔で
「あっ、仕事は他の机でやりますから」
と答えた。

わっはっはっは。わがはいは大場旦であ〜る。

いやあ。ここに座っていると、落ち着くなあ(大場旦談)。
オオバタンと雨の中を歩いて、
しばらく立ち話をした。
外に出ると、不思議なことに、
オオバタンの気配が悄然としてくる。
「どうしたんですか、大場さん」
「いやあ、今日、編集部内の
引っ越しなんですよ」
「えっ、じゃあ、あの机・・・」
「そうなんです。今晩中に片付けなければ
ならないのです。」
光秀の三日天下。
オオバタンの一日机。
たけきものもつひにはほろびぬ。
そんな諸行無常の机とは思わなかった。
早晩伝説と化すであろう「オオバタン机」
の最後を見ることができたのは、
僥倖であった。
合掌。
朝日カルチャーセンターの後の
飲み会に、幻冬舎の大島加奈子さんも
来た。
電通の佐々木厚さんも交え、
その他の参会者とともに静かに
語らっていると、何やら
邪悪な気配がする。
振り返ってみると、やはり、
筑摩書房の増田健史だった。
たけちゃんマンセブンは、
ビールをかけつけ二杯飲み干し、
「だいたい茂木さんはさあ」
と例の調子で絡み始めた。
ボクはそれで、いつもの
憲法問題とか、日本の人文系学者の
話とか、そういった「凶器攻撃」
を繰り出すタイミングを逸してしまって、
ただ単に、「たけちゃんの顔は
○○に似ているでしょ、ねっ、そうでしょ」
と周囲に力なく同意を求めるしか
なかったのである。
「ボクはね、反省したよ。」
「やるよ。もっと仕掛けるよ。」
「やったるで」
ボクの決意表明を、増田健史は
ビールアタマでどれくらいちゃんと
聞いていたのだろう。
編集者の織りなすエコロジカル・システム
内には、いろいろな種がいる。
大島さんのように常識をわきまえた
人もいれば、
オオバタンのような妖怪系、
増田健史のようなゲバルト系もいる。
しかし、そうじゃないと森が
枯れてしまうんだな。うん。
私は一人先に帰った。
途中で増田健史に電話すると、
「今一人でタクシーを待っている
んですよ。ひどいんですよ、みんな。
トイレに行って帰ってきたら
消えていたんですよ!」
と訴えてくる。
「無鉄砲」な若者としての
人生の半ばをすぎて、気が付くと
誰もいない森の中にいた増田健史であった。
6月 30, 2007 at 09:17 午前 | Permalink
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2007/06/29
脳と創造性 第4回
2007年6月29日(本日)
「脳と創造性」第4回
朝日カルチャーセンター新宿
18:30〜20:30
http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0704koza/A0301.html#
次週
2007年7月6日(金)
からは、
「脳と演劇」(全4回)が始まります。
第2回には、劇作家・演出家の平田オリザさんを
お迎えして対談いたします。
http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0707koza/A0301_html/A030101.html
6月 29, 2007 at 08:01 午前 | Permalink
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「祈り」と「祈り」
6月 29, 2007 at 07:56 午前 | Permalink
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2007/06/28
やはりこのような空気を
成田エクスプレスの中で
仕事をしていたら、
どこからかキーボードを猛スピードで
かちゃかちゃ
やる音が聞こえてきた。
あわててモーツァルトの
Exultate Jubilateを聴き
始めた。
それでも、低温の音はイヤフォンを
通して聞こえてくる。
仕事に集中して、心理的に消した。
列車を降りるときに見たら、
眼鏡をかけた、一見ギーク風の
大柄のアメリカ人だった。
「キーボードを無意味に大きな
音を立ててがちゃがちゃ打つ」
という人は昔からボクの
苦手なタイプで、
それだけではわからないけれども、
どこか肝心なところで無神経なの
ではないかと思ってしまう。
もっとも、そんな雑念も、
新宿の雑踏を歩き始めたらもう
消えていた。
久しぶりのNHK放送センター。
打ち合わせ前。
「ばらえ亭」で大好きな
ワンタン麺を食べて帰国を一人
祝っていると、店の人が、
「あの、この前パソコンのカバーを
忘れていませんでしたか」
と持ってきてくださった。
うれしかった。もう3週間前の
ことである。
出てこないので、諦めて
買った新しいカバーが、何となく
気に入らないでいた。
「旧友」との再会で心が
ホクホクとした。
社会情報番組の部屋に戻ってくると、
山口佐知子さんがカバーと一緒に
写真をぱちりと撮った。
そのうち、『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の「すみきち&スタッフブログ」
に掲載されるかもしれません。
すみきちのメープルシロップ
クッキーと、私のラスベガス
マカダミアナッツチョコの
お土産対決。
有吉伸人さんと、もろもろ
のことを話す。
打ち合わせを終え、帰路の
公園近くの暗闇で、
江村哲二さんについて
読売新聞の松本良一さんと
お話しする。
途中、携帯電話の電池が切れて、
近くのコンビニまで買いに行った。
「江村さんは、ボクの人生に
大切なメッセージを残してくれた
ように感じるのです」
大抵の差異や対立は、実は
大したことではないと最近感じている。
一見相容れないように見える
思想や考えのどちらかにとらわれて
しまうのではなくて、
常にそのさらに上から多様性と
して眺めてみたらどうだろう。
ヘーゲルの言う弁証法とは
微妙に違う。
アウフヘーベンするのではなく、
異なるものが対立したまま
そのままいる状態で良いのでは
ないかと思う。
熱風はどっかに消えてしまった。
日本の暑さはしっとりとしていて、
蛍はやはりこのような空気を
必要とするのだなと思う。
今週の「ヨミウリ・ウィークリー」
は蛍と江村さんのことを書いている。
6月 28, 2007 at 08:12 午前 | Permalink
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2007/06/27
移動中
ただ今サンフランシスコ
ラスベガス空港で、ヘンな朝食プレートを
注文して平らげた後で
歩いて行ったら
バーガーキングがあって
くやしかった。
フォッピング・バーガー
が食べたかった。
東京に着いたら、NHKの打ち合わせに
直行。
梅雨だろうか。
ベガスの後で少々のお湿りは
歓迎である。
6月 27, 2007 at 03:12 午前 | Permalink
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2007/06/26
修羅場
私が初めて海外の国際学会に行ったのは、
博士3年の時。
ノーベル賞を受けたアンドリュー・ハックスレー
さんの記念会議である。
アメリカのニューイングランド地方で
開かれた。
時代が違うと言えばそうだが、
私の研究室の学生は修士の時から
国際会議に行く。
修士2年で国際会議で発表ということを
ポリシーにしているので、
皆当たり前のように出かけていく。
修士2年の石川哲朗と、博士1年の
箆伊智充が発表する日だったが、
肝を冷やした。
以前から、「早めにパワーポイントを
作るように!」
「講演では何とか喋れても、質疑応答が
難関だぞ。相手の言っている
ことを聞き取れるかどうかわからないぞ」
などと脅かしていた。
二人ともやっていることは
やっているのだが、準備が遅れ気味に
なった。
前日になっても、できていない。
それで、私は、「明日君たちの
発表は午後からだから、午前に
会って、最終的に固めよう」
と言って別れた。
箆伊の研究は、主体性が視聴覚の
時間順序判断にどのような影響を
与えるかというもの。
石川の研究は、両眼視野闘争と
隠し図形の一発学習を関連させて、
初期視覚と高次視覚の間の
相互作用を統一的に議論しようと
いうもの。
内容は面白いのだけれども、
準備ができていないんじゃ仕方がない。
当日になって会って見ると、
まだ形になっていない。
会場の片隅で、二人の間を
行ったり来たりして、
スライドを作って行った。
途中、私には珍しく、
「おい、早くしないと間に合わないぞ!」
と大声を出してしまった。
後で、小俣圭や田辺史子に、
「茂木さんがあんなにテンパって
いるのを久しぶりに見ました」
と言われたが、それも仕方がなかった。
まともなパワーポイントなしで
30分も英語で喋るというのは、
いわば、下着をつけずに
人前に出るようなものである。
そんな恥をかかせたくないし、
私たちの研究室のreputationにも
かかわる。
だから必死だった。
データを取捨選択し、フレージングを
考え、ロジックを通した。
時間がどんどん経って行く。
田谷文彦と星野英一が
気を利かせてハンバーガーを
買ってきてくれる。
小俣圭と田辺史子も、テイクアウトの
チャイニーズを買ってきてくれる。
それを口の中に投げ込みながら、
作業を続けた。
二人とも英語での口頭発表は初めて
なので、できるだけ細部まで
文章でパワポに書いておく。
「ステップ数」の多い作業。
一時間前になった時、
もう間に合わないかもしれない、
と思った。
行ったりきたり、行ったりきたり。
トイレにもダッシュで行って
戻ってきた。
石川のスライドができたのは、
何と発表開始の5分前だった。
その場に及んで、
石川が、「茂木さん、このグラフ、
英語だとなんて説明すればいいんで
しょう」
と聞いてきた時には目の前が真っ暗に
なる思いだった。
そんなことを、今更言っている暇は
ない。
「とにかく落ち着いてやりなさい!」
とだけ言って、後は石川に託した。
本番。
座長が石川を紹介して、返礼で
「サンキュー、ミスターチェアマン」
という時の声は震えていたが、
すぐに立て直して、
途中からは見違えるほど堂々としていた。
箆伊も、いつものポーカーフェイスで
ひょうひょうとこなした。
二人の発表が無事終わったとき、
思わず「うわあ」と座り込みたく
なるほどの安堵感を覚えた。
一番長かった午後が終わった。
ホテル・ベネツィアン内の
バーで、サミュエル・アダムスを
飲んで乾杯。
小俣圭と立ち話をした。
小俣が、「ボクは生物のゆらぎに
興味がある」と言って研究室見学に
来た時から、歳月が経った。
小俣はずいぶん立派になった。
言うことも分別がついた。
学生たちは成長している。
石川と箆伊もきっと
今回の修羅場から何かを
つかんだろう。
夕暮れ時になっても
相変わらず
ヘアドライヤーのような
ラスベガスの空気。
今日で
終わりだと思うと
名残惜しかった。
今はこちらの時間で
午前5時40分。
もう少ししたら、空港に向かう。
6月 26, 2007 at 09:43 午後 | Permalink
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プロフェッショナル 仕事の流儀 多和田悟
プロフェッショナル 仕事の流儀 アンコール
イヌは人生のパートナー
〜盲導犬訓練士・多和田悟〜〜
多和田悟さんは「犬語」を話す。そして、犬
との付き合い方の秘儀は、「ほめる」タイミング
にある。
多和田さんの「ほめて育てる」方法論は、
人が人に向かい合う時にもとても参考
になるはずだ。

NHK総合
2007年6月26日(火)22:00〜22:44
http://www.nhk.or.jp/professional/
6月 26, 2007 at 12:22 午前 | Permalink
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蛍のこと
ヨミウリ・ウィークリー
2007年7月8日号
(2006年6月25日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第60回
蛍のこと
抜粋
評論家の小林秀雄が哲学者アンリ・ベルクソンを論じて未完に終わった『感想』の冒頭に、印象的な一節がある。終戦後、母を亡くした小林さんは、ろうそくを買おうと自宅近くの谷を歩いていて、一匹の蛍を見る。その瞬間、「ああ、お母さんは蛍になっている」と直覚するのである。
蛍を見て故人を想うということも、この発光性の昆虫について日本人が蓄積してきた文化的伝統のなせるわざと言えるだろう。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

6月 26, 2007 at 12:09 午前 | Permalink
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2007/06/25
太陽を追いかけていけば
どんな場所に来ても、二日目のお昼過ぎ
くらいからは慣れてきて、「日常」
の気配がしてくる。
ラスベガス・ストリップに沿って
走るモノレールのチケットを買い、
Northboundの列車に乗る。
「monoはラテン語で「一つ」、
railは、そのつまり、railという意味です」
「ラスベガスは1940年から、10年ごと
に人口が二倍になってきました。この
率で行くと、****年には人口が1000億人
になります・・・もっとモノレールが
必要ですね」
などというジョークか何かわからない
アナウンスにも慣れてきた。
車窓から見えるプールの青。
横たわる人々の群れ。
この風景が日常になるという
ことは、一体どんな感じなのだろうか?
レストランのウェイターは、
サンフランシスコから来た人だった。
「暑いね」
「いや、そうでも。慣れればこんな
ものですよ。逆に、サンフランシスコに
行くと、寒いと感じてしまう。」
「どれくらいいるの?」
「もう13年になりますよ」
「じゃあ、ここが好きなんだ」
「もちろん」
通りを歩いていても、建物の中に
入ればすぐにスロットマシーンの
群れが迎えるような、そんな街。
私たちのグループの発表が
数件集中。
石川哲朗が、明日の発表の
ためにパワポを作っていて、
それを修正する。
HaggardのLaboratoryから
来た二人と話したり、
須藤珠水がGopnikに話を
聞いてもらったりする。
夕刻。
ラスベガス開催らしく、
「マジック・オブ・コンシャスネス」
というセッション。
本物のマジシャンが来て、
騙されるとは認知的にはどのようなことか
というような議論をする。
ちょうど夕暮れの街を
歩く。
この地は
ほとんど雨が降らず、
一年分の降水量が日本の一日分
なのだそうである。
うれしいことは、
上から細かい霧のようなシャワーが
降っている場所を見つけること。
これがなによりのコントラスト。
一瞬の清涼感。
砂漠の街には、独自の
風流があるのだと知る。
夕飯は、ベニスの運河を
再現したベネツィアンでとった。
自動販売機で、
スターバックスの缶コーヒーを
見つけた。
アメリカで缶コーヒーを
見るのは初めてである。
4ドルもする。
サンマルコ広場を摸した
室内空間の天上には青空が
広がる。
田辺史子が「雲が動いているんじゃ
ないか」と言って、
星野英一が「そんなはずないよ」
とたしなめた。
野澤真一が、酔っぱらえば
酔っぱらうほど面白くなった。
天上の光はさわやかに、
それでいて控えめに青空と
私たちを照らし出す。
「ここは時間が経たないの?」
とウェイトレスに聞く。
「いつも午後4時なのです」
と彼女が言う。
太陽を追いかけていけば、
地球のどこかではずっと夕方の
はずだと子どもの頃から
思っていた。
その魔法の場所は、ラスベガスにあった。
6月 25, 2007 at 11:42 午後 | Permalink
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2007/06/24
カジノ資本主義の逃げ足
学会会場のホテルまでは
モノレールで行った。
座ると、隣りに荷物を置いて
いたのはスチュワート・ハメロフだった。
最初の登壇者のダニエル・デネットの
話の中に、neural pidginsという
考え方が出てきたのが面白いと思い、
質問して座った。
そうしたら、ハメロフが
「知っているかい、小脳は
***の時にも活性化するんだよ」
と言って、来年のツーソンでの
会議のパンフレットを見せた。
カリフォルニア工科大学の土屋くんや、
台湾の先生、
Maximと話す。
小俣圭が、「意識の問題を正面から解こう
というよりも、トンチ問題のようなことを
やっている人が多い」
というような趣旨のことを言って、
なかなか鋭いやつだなと
感心する。
デネットが、講演中、access consciousness
の概念を批判して、「accessって、一体
何がaccessするというのか」と言ったのは、
Cartesian theatreを否定してmultiple
drafts modelを提唱した人の発言として
納得できる。
問題は、あたかも何かがaccessしている
かのようなillusionが生じるという
点にあるのであって、
そもそも原理的にillusionと
実在は区別できない。同じことである。
ロジャー・ペンローズと
マイクロチューブルの議論を
してきたハメロフに、以前よりも
ずっとシンパシーを感じるのは、
問題が解けないことに対する
いらだちが、シンプルで
鋭敏だという印象を
受けるからだろう。
夜、ブルータスの鈴木芳雄さんが
avexの担当の方を通して
席を取ってくださった
Blue manを見る。
http://en.wikipedia.org/wiki/Blue_Man_Group
http://www.blueman.com/
ロックミュージックと、現代アート、
そして批評、観客参加、奇想天外、
リズム、融合、リアルとイリュージョン。
大変イノベーティヴな舞台で、面白かった。
2007年の12月に日本に来るそうである。
学生とご飯を食べて、ラスベガス・ストリップを
ホテルに戻りながら考えた。
今私はアメリカという文明を浴びている。
それにしても時間がない。なぜ、アメリカ
にまで来て、こんなにやることに
追われているのか。
正気の沙汰ではない。
むむむ。マイッタ。
マジでゆっくりしたいよ。
星野英一がまた伝説を作った。
300ドル儲けて、あっという間に
すった。
もともとはあぶく銭とは言いながら、
その大金を
「する」ところを、田辺史子、
石川哲朗、須藤珠水、小俣圭
と一緒に見ていたが、
「おい、星野、あれれ。あちゃー」
と誠にあっけなく、
カジノ資本主義の逃げ足の
速さを垣間見た。
とにかくボクは仕事をします。
みなさん、お元気で。
6月 24, 2007 at 10:17 午後 | Permalink
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2007/06/23
氷入りのコーラ
ラスベガスに向かう飛行機で、
着陸寸前に目を覚ますと、
後ろの女の子三人がうるさい。
着陸すると拍手をする。
誰も他にはやらない。
They always used to do this...
などと言っている。
機内アナウンスで、your final destination
という言葉が出ると、
一番大きな声の女の子が
Hell!
と叫んだ。
確かに、人生の最後のdestinationは
HellかHeavenなんだろう。
後ろの三人がどっちかは知らない。
ラスベガスにはツーソンの学会の
際に二度ほど来たことがあるが、
それは4月のことだった。
6月下旬、夏至の頃の
ラスベガスはもっと暑いだろうと
思っていたら、やっぱりそうで、
まるでドライヤーを吹きかけられている
ような気がする。
ホテルのアイス・マシーンが
必需品に感じられる。
会議が本格的に始まるのは
今日からだが、いろいろな
仕事を持ち込んでいるので
おちおちスロットマシーンも
していられない。
仕事をしているんだったら、
東京もラスベガスも同じことだと
思う。
アメリカ人は楽しむことだけは
かなりの才能があるんじゃないか。
デイヴィッド・カッパーフィールドとか、
ブルーマンとか、
セリーヌ・ディオンとか、
ショウビズは楽しそうである。
こちとら楽しむというよりは
猛然と仕事をするモード。
熱風と猛烈さの競争をしていても
まあ仕方がないのであるが。
「氷入りのコーラ」
をすでに一年分は飲んだ。
6月 23, 2007 at 11:02 午後 | Permalink
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「言葉が終わるところから、音楽が始まる」
6月 23, 2007 at 04:59 午前 | Permalink
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そんな気の利いたことは
着陸するとすぐ、
となりの人がブラックベリーの
スイッチを入れて
メールをチェックしていた。
文化の差はこういうところに
現れるのだなあ、と思いながら、
ぼんやり眺めていた。
サンフランシスコ空港で乗り継ぎ中。
SANKAKU SUHI & NOODLEという
店があって、
Sushi Deluxe 13ドル50
アサヒスーパードライ 4ドル25
を買ってカフェテリアのテーブルで
これを書いている。
いつものようにt-mobileで
ネットに入っている。
アメリカの人たちの身体の
動かし方は、日本の人たちの
それとは微妙に違っていて、
セキュリティの人たちの身のこなしを
見ているだけで面白い。
15歳の時、カナダに向かう時に
初めてロスアンジェルスに降りた
時、そのような「身体の音楽」
の差異に大いに感応したことを
思い出した。
カリフォルニア・ロールの
アボカドを使うという大発明の
おかげで、
寿司の宇宙が広がった。
広がった宇宙の中で、
身体の音楽が響いている。
飛行機の中は結局眠ってしまって、
朝ご飯もいつの間にか
みんな終わっていて、
だけどアメリカ系の航空会社だから、
「お目覚めですか」とかそんな
気の利いたことは言ってくれなくて。
だからサンフランシスコで
アボカドを食べた。
もうすぐラスベガス行きの
飛行機が出る。
6月 23, 2007 at 04:51 午前 | Permalink
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2007/06/22
学会
本日夕刻から、
日本時間6月27日(水)夕刻まで
米国Las Vegasに
行われる学会に出席するため、
留守にいたします。
この間、メール等は読める
予定です。
6月 22, 2007 at 06:34 午前 | Permalink
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万華鏡の様々な反映の中に
ちびまる子ちゃん役で
有名な伊藤綺夏ちゃん(9歳)を
間近で見る機会があった。
天才子役というのはすごいもんだ
と思った。
完全に大人を喰っている。
もちろん、失敗することも
あるのだけれども、
ケロリとして、動じない。
一体どういうことだろうと
考えた。
もともと、子どもにだって
文脈依存性のふるまいはある。
前頭眼窩皮質などの働きを通して、
その時々の状況に合わせた形で
自らを律する。
文脈依存のふるまいをする時、
大人はどうしても
わざとらしくなったり、自己意識が
出てしまったりする。
それに対して、子どもは
本来的に無邪気である。
可愛らしいが、その可愛らしさは
わざとやっているわけではなくて、
無意識の自然の傾向として
現れてくる。
天才子役というのは、そのような無意識の
傾向が、「演技」と一致するんだな
と思った。
人が生きるということが喪失と
獲得の連続であるならば、
大人になることで失われてしまう、
子どもだけが持つ輝く能力があるに
違いない。
研究所で、ASSCの準備を
する。
住吉美紀さん(すみきち)が休暇に入り、
三週間『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録がなかった。
研究所公開や、学会準備とちょうど重なった、
住吉さん、良い時に
ヴァケーションをとってくださって
ありがとう!
すみきちが休暇をエンジョイしている
様子は、
すみきちブログ
から読み取れる。
さてさて
野澤真一と石川哲朗の学会準備が
テンパっていて、二人と議論をしながら
こっちもうんうん考える。
特に、石川のグラフの意味に引っかかって、
智恵熱を出しながら考え込んだ。
無意識の引っかかりというのは不思議な
もので、「この対象には、どこかまだ
考え抜いていないなにかが潜んでいる」
という警告感として現れる。
そうでなくて、すっきりとした
姿をしたデータもある。
例えば、今回で言えば、
小俣圭、須藤珠水、田辺史子
のデータはすっきりしていて、
まず大丈夫と思う。
石川のデータは、まだなにかが
すっきりしないのだ。
それで、うんうん考えた。
野澤も、二条件で差異が出ないと
困り果てている。
個人差はあるらしい。
しかし、統計的にはすっきりした
差異が出ない。
「これは野澤くん、今回は、
全体としては統計的に有意な差は
ないということでまとめるしか
ないね」と肩を叩きながら言った。
帰るとき、野澤が一緒に駅まで
ついてきた。
「あのさ、修士の時はさ、
どうしても自分の思いが先に立っちゃう
ものなんだよ。
オレもそうだったから。
しかし、経験科学としては、データに
基づいて、当たり前だと思える
ようなことでも、そのまま客観的に
記述するしかないだろう。
もう、データを並べて、
どんなストーリーがつくれるか、
冷静に考える時期だよ。
ははは、これ、オレが修士の時に
指導教官に言われていたことと
そっくりだなあ。」
何しろいろいろな文脈を引き受けているので、
私は大変忙しい。
なんでこんなことになっちまった
んだろうと思いながら、
万華鏡の様々な反映の中に、
自分と、自分にとって大切なものたちの
影をずっと見続けようと魂を凝らす。
6月 22, 2007 at 06:23 午前 | Permalink
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2007/06/21
未だ見ぬ脳の「モード」
ヨミウリ・ウィークリー
2006年7月1日号
(2006年6月18日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第59回
未だ見ぬ脳の「モード」
抜粋
脳についての講演会などで、必ずと言ってよいほどきかれる質問の一つに、「脳の10%しか使っていないというのは本当ですか」というものがある。
結論から言えば、これは全くの俗説である。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

6月 21, 2007 at 06:48 午前 | Permalink
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無根拠なるがゆえに
京都、相国寺の有馬頼底管長に
お目にかかる。
相国寺は京都五山の一つであり、
金閣寺、銀閣寺を境外塔頭として
持つ。
先日、三十幅と釈迦三尊像が
120年ぶりに一堂に会した
伊藤若冲の『動植綵絵』は、
もともとは相国寺所蔵で、明治維新の
時に皇室に献上されたものである。
有馬管長の来歴は日本経済新聞に
連載され、その後単行本化された
「私の履歴書」に詳しい。
8歳で寺に修業に入り、母親の
死に目にも会えなかった。
有馬家はもともとは九州の久留米藩
で、競馬の「有馬記念」は
日本中央競馬会理事長であった有馬頼寧さん
に因む。
銀閣の中で有馬さんと座禅をした。
前の池に映る木々が美しい。
時々鯉がはねる。
「たくさん子が泳いでいますよ。
ほら、池の中央にかたまっているでしょう。
端にいるとあぶない、とわかっているんで
しょうか」と有馬老師。
銀閣の周囲の庭は、いつも掃除が
行き届いている。
「禅宗では、一掃除二信心と言います。
一日掃除をしないと、取り戻すのに二日
かかる。二日しなければ、四日かかる。
毎日休まずに励むことが大切なのです。」
席を移して、お話を続ける。
禅宗の思想の神髄は「無」にあるが、
しかしその「無」は「有」に通じるのだと
有馬老師。
「無」であることは「全てを持つ」ことと
同じであると。
人間の脳の神経細胞は常に自発的に
活動していて、
もし活動に空隙があると、それを
埋めようとする。
つまり、脳の生理的機構において、
「無」は確かに「有」に通じる。
創造性とは、「無」から「有」への
跳躍である。
日本のインテリが外国に出かけていくと、
必ずと言ってよいほど、
「君の思想と、禅の哲学との関係は何か」
と聞かれる。
そのように見られることを、
オリエンタリズムだ、特別扱いだと
反発する心性がある。
しかし、冷静客観的に考えて見れば、
日本の文化風土の中で、禅的思考が
もっとも高度で商品価値があるものの
一つであることは疑いない。
いかに禅的なるものを「抹香臭く」ない、
普遍的な価値へと結びつけるか。
これは一つの大きな課題である。
禅は、「本来無一物」であるとし、
全ては「無」であるとしながら、
一方で現世のあり方、生命のあり方を
肯定し続ける。
いわゆる西洋的なニヒリズムとは異なる。
無根拠なるがゆえに生きることを
信じ切る。
その生命哲学の中に、禅の可能性があるの
ではないか。
有馬老師の下を辞す。
俗世間に還っていく。
芯がどっしりとすれば、風が吹いても
大丈夫である。
6月 21, 2007 at 06:33 午前 | Permalink
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2007/06/20
探り当てた
研究所にいる時は、ほとんど
自分の時間はない。
特に、今週は金曜からみんなで出かける
アメリカでの学会の準備があって、
学生たちが入れ替わり立ち替わり
議論に来る。
しかし、実質的なことをいろいろ
話し合ったり考えたりする
という意味では、貴重な時間
である。
聖心女子大学の授業の後、
Switchでみうらじゅんさんに
お目にかかって話す。
永遠のティーンエージャーの
ような人だった。
研究所到着。
少し遅い時間帯だったが、皆で「チェゴヤ」
に向かう。
「お昼いく人」
と声をかけたら、ヘライも立ち上がって、
柳川が「あれ」と言った。
どうやら、ヘライは二回目のお昼だった
らしい。
石川は初めての国際学会なのに、
口頭発表になって気合いが入っている。
ラスベガスではきっとホテルで必死になって
練習することだろう。
人前で英語で30分喋るというのは
きっとイシカワ君を大きく成長させる
機会になるに相違ない。
横浜市立大学の高野さんが見学に
いらっしゃる。
関根やヘライ、柳川を交えて話す。
暗闇の中を品川駅に向かって歩いて
ほっとした。
静寂が魂にしみわたる。
ゆったりと、深く、考えていく。
一つ原稿を書いて、
名古屋で送り、そのあと
うとうととしていたらもう着いた。
京都駅はもう人通りもまばらで、
知らない場所のようだった。
暗くて静かな場所に移動したの
ではなく、探り当てた
ような気がして、不思議
であった。
6月 20, 2007 at 06:05 午前 | Permalink
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2007/06/19
プロフェッショナル 仕事の流儀 佐藤陽一
プロフェッショナル 仕事の流儀 第55回
熟成の向こうに、極上がある
〜ソムリエ・佐藤陽一〜
ソムリエ日本一になるまでの苦闘の日々。
佐藤さんが世界大会に挑戦する模様は、
見る者の感動を呼ぶ。

NHK総合
2007年6月19日(火)22:00〜22:44
http://www.nhk.or.jp/professional/
6月 19, 2007 at 07:48 午前 | Permalink
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白洲信哉 東京芸術大学講義
Lecture Records
白洲信哉
『美を求める心』
2007年6月18日
東京芸術大学 美術中央棟 第三講義室
音声ファイル(MP3, 79.1 MB, 86分)

6月 19, 2007 at 07:44 午前 | Permalink
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ブナの森そのもののような
工藤光治さんは15歳の時に
マタギの見習いとなり、
以来50年間白神の
山の中を歩いてきた。
その工藤さんの案内で、斜面を
降り、流れを渡り、
桂の巨木を見にいった。
普通の山歩きと違うところは、
行く道がかすかで判然としない
点である。
「どうしてわかるのですか」
と聞くと、
「頭の中に入っています」
と工藤さん。
マタギ小屋はわき水の
近くにつくるもので、
その横でたき火をして、
採ったばかりのヒラタケ、
ミズ(うわばみ草)をいただいた。
マタギの言葉では、熊を始め、
さまざまな食べものを得ることを
「さずかる」と言う。
山の中を歩いていると、
その生態系の複雑な絡みが
次第に頭に入ってくる。
ブナの木の寿命は短い。せいぜい
200年、300年。
倒れると、それがキノコの恰好の
発生場所になる。
開いたスペースに光が差して、
新しく植物が生える。
live and let liveであると同時に、
die and let liveである世界。
ここでは、何ものの死もムダには
されない。
小屋の横の板に張り付いた
蛾の死骸からは、
白い細いキノコが伸び始めていた。
工藤さんは暖かい知性に満ちて、
忘れがたい方だった。
半世紀にわたって歩いてきた
ブナの森そのもののような。
またお目にかかりたい。
東京芸大の授業には
白洲信哉が来てくれた。
「しらふしんや」として
真面目に美について語ってくれた。
聞く者の心を動かす話であった。
ご苦労さまと、上野公園で。
気持のよい夕刻で、
「授業の後上野公園で飲む」という
発明の実践の中でも、もっとも
麗しき時間が流れた。
夏学期、あと何回できるか。
全てに終わりがあり、限りが
あるからこそ
時間という軸に展開される
生活のエコロジーは多様なものと
なる。
だからこそ、あきらめることと
希望を持つことは背中合わせ
となるのである。
6月 19, 2007 at 07:35 午前 | Permalink
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2007/06/18
マタギ
「和楽」の取材で、白神山地に入る。
マタギ小屋に一泊。
山の男の流儀を学ぶ。
森の吐息を呼吸する。
電波が届く下界に降りてきた。
しかし何だかまだ
妙な感じである。
これから東京に戻り、芸大に
向かう。
急ぎの仕事などもあり。
6月 18, 2007 at 09:51 午前 | Permalink
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2007/06/17
少し私も佇みたく
土曜日。
日経サイエンスで、国立情報研究所の
新井紀子さんと対談。
新井さんは、不思議な人だった。
「最初は法学部に行ったんですよ。」
「私と重なるところがありますね。」
「それから、数学が好きになった
んです。」
「むむむ?」
「イリノイ大学に6年間行きました。
数理論理学をやっていたのです。」
「それは、つまり法学部を卒業
してから?」
「日本に帰ってから、法学部を卒業
しました。」
「どういうことですか?」
「日本人には論理が欠けている
ように思うのです。」
「御意。」
「高校に授業に行くと、ワレワレハ
ウチュウジンダと言います。」
「誰がですか? ひょっとして新井さん?」
「ええ。」
といささか脚色が入っているが、
編集部の糸屋さんを笑わせる会話が
続いたのである。
詳しくは、日経サイエンスに掲載
される記事を見てください。
新橋の第一ホテルへ。Domaniの
萬代悦子さんと、伊勢神宮や斎場御獄の
話など。
少し時間が開いたので、「ボクは
そういえば街の中にいて時間があるという
人生から随分遠ざかっていたのだなあ。」
と思いながら、「かつや」という
店に入ったら、店員がみな中国の人だった。
かつどんを食べながら、店の中のひとたちを
いろいろと観察した。
きっと、向こうは向こうでも
こちらを観察を
しているのだろう。
確かに、私はかつどんを食べる時
七味唐辛子をかけるのです。
先日PCのインナーケースをなくして
しまったので、家電店に行く。
一週間くらいそのまま。
思えば、そんな短い
時間もなかったのだった。
購入し、ふらふらと携帯電話を見ていたら
店員が話しかけてきた。
「何かお探しですか」
「あっ、いや、その、電池を。」
「電池は、ここにはないのです。ドコモショップに
行かないとないのです。」
「はあ、そうですか」
「前回の機種交換から、時間が経っているの
ですか」
「いや、その」
と言って逃げた。
電池が使っているうちにメモリー効果で
ダメになってくるというのは経験的事実である。
量販店にはバッテリーをおかず、
ドコモショップというところに行かないと
買えないようにしているのは、
どう考えても機種交換をとっととしろという
陰謀のように思えてならない。
しかし、この地球温暖化のご時世に、
そんなことをしていていいのかと思う。
実に久しぶりに少し街を歩いて
(と言っても30分くらいだが)
なんだか、シャバに帰ってきた
人のような気がした。
シャバの空気は、なんだかしみじみと
暖かいよ。
日本テレビ。『世界一受けたい授業』
の収録。
ボクは浴衣を着た。
本格的な着付けで、トイレに行けないので、
収録前に「コーヒーを出しましょうか」
と言われて、「いいですいいです」
と断った。
終わって、仕事をしながら帰る。
なんだか呆然とする。
もっとシャバにいたいと思う。
駆り立てられるように何かを
しているばかりじゃなくて、
かつどんやドコモショップや
SL広場に佇むサラリーマンの
群れのような、
そんなシャバの中に少し私も佇みたく。
今日は原節子さんの誕生日である。
6月 17, 2007 at 07:08 午前 | Permalink
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2007/06/16
『意識とはなにか』11刷
茂木健一郎
『意識とはなにか』
(ちくま新書)
は、増刷(11刷、累計47000部)
となりました。
ご愛読に感謝いたします。
amazon

盟友編集者
増田健史からのメール
さて早速ながら、お蔭さまで、茂木さん&増田の第一作である
ちくま新書『意識とはなにか』の重版が決まりました。
いつもながら心底うれしくて堪りません。
茂木さん、ほんとうにありがとうございます。
この本が、いずれ“心脳問題”の最良の入門書としての定評を
確立することを信じるです。
ボクも信じて、これからも『意識とはなにか』
を「育てて」いきたい。
6月 16, 2007 at 10:55 午前 | Permalink
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小山さんのこと
6月 16, 2007 at 10:37 午前 | Permalink
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東京芸術大学講義 白洲信哉
東京芸術大学 美術解剖学講義
2007年度第5回
白洲信哉
「美を求める心」
2007年6月18日(月)
午後3時35分〜午後5時
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)
http://www.geidai.ac.jp/access/ueno.html
6月 16, 2007 at 08:25 午前 | Permalink
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たたずまいというものは
晴れ上がった。
暑くなる。
江村哲二さんの告別式。
昨日に引き続いて、私は友人代表で
弔辞を捧げた。
最後のお別れの時に、江村さんの
近くに、私が昨日書いた
「弔辞」の封筒が見えた。
江村さんの男の子と女の子が
パパへの作文を読んだ。
お父さん、遊んでくれて
ありがとう
楽しい時間をありがとう。
泣き声が聞こえる。
呆然とするしかない。
「地平線のクオリア」
そして
「可能無限への頌詩」が
流れる。
蓋が閉められ、
クラクションが長く流されて、
江村さんは行ってしまった。
新幹線に乗って
東京に戻る。
品川でラーメンを食べる。
日常の中に投げ込まれる。
いろいろなスケジュールが
詰まる。
六本木ヒルズのJ-waveで
竹内薫と話す。
半蔵門のTokyo FMで
秋元康さんと話す。
芝公園スタジオで
「R30」のサロン。
カメラが回り始める前に、
国分太一さんと落語の映画の
話をした。
スタジオの前でジャニーズの出
待ちをしている女の子たちが
現実のものとは思えない。
さすがに空腹となり、
焼き肉弁当とビールをコンビニエンス
ストアで買う。
樹木はものを言わないけれども、
中ではさまざまな生理作用が進行している。
何も言わなくてもいいんだと思う。
わかる時はわかるし、
伝わる人には伝わる。
たたずまいというものは、
そんな感化作用を持つんじゃないか。
世間が遠く感じられる時。
そのような精神状態の中には
魂への祝福もまたあることを
はっきりと悟る。
6月 16, 2007 at 08:21 午前 | Permalink
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2007/06/15
竹内薫と
¥わが盟友竹内薫のホストしている
J-wave Jam the Worldに、私が本日
ゲストとしてうかがい、二人で話します。
皆さん、聞いてください。
http://www.j-wave.co.jp/original/jamtheworld/
6月 15, 2007 at 07:58 午前 | Permalink
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一つ多いので
来週末から
出かける国際会議。
その準備で、活気のある
緊張感が漂う。
ずっと研究所で学生たちと
議論した。
田辺史子が体調が悪いというので、
元気を出せよと、
箆伊智充と東急ストアに歩いて
花を買ってきた。
ガチャガチャをやって、
関根崇泰に、「音の4コマまんが」
をあげた。
夕刻、電通の佐々木厚さんが
来た。
着替えて、田谷文彦と三人で
品川駅に向かい、それから
一駅の新幹線をデッキに立って
過ごした。
雨が強く降っていて、新横浜の
駅のタクシー乗り場までの道は
わかりにくかった。
お通夜というものに出るのは
いつ以来だろう。
会場に座ると、何だか妙な
気分で、
正面に飾られた写真の人はあかあかと
笑っている。
江村哲二さんの子どもはまだ小さくて、
小学生。
男の子と女の子が
元気に動き回っていた。
本当は元気なはずないよね。
でも、子どもは、元気でいること
以外に、他にどんな存在の仕方が
あるというのだろう。
弔辞を捧げた。
ボクは、立ち上がって、江村さんの
奥さんに挨拶し、二人の子どもに、
「がんばってね」と声をかけて、
それから江村さんに言葉を捧げた。
献花の列に、白洲信哉が来ているのが
見えた。
大阪で、コンサートの後に打ち上げを
していた時、
酔っぱらって白洲に電話をしたのである。
白洲と江村哲二さんは短い時間だけど
話して、
「今度会いましょう」と意気投合して
いたのだけれども。
新潮社の池田雅延さんもいらした。
池田さんは、大阪のコンサートの
時も来てくださったのである。
会場の横で、関係者で集まった。
筑摩書房の伊藤笑子さんにとって、
『音楽を「考える」』が編集者
人生の一つの記念であって
くれればと思う。
福音館書店の高松夕佳さんは、
「母の友」に江村さんのエッセイの
連載を立ち上げたばかりだった。
原稿は締めきり日にきちんと
来たという。
「そういう人でしたよ。」
とサントリー音楽財団の佐々木亮さん。
コンサートにもいらした
朝日カルチャーセンターの常連、
榊原淑子さんは少し遅れて献花にきて、
目を赤くして私たちのところに来た。
時間の流れる音がさらさらとして、
江村哲二さんと対面した。
目を閉じた江村さんは
ずいぶんほっそりとしてしまって、
もう遠い世界への歩みを始めた
ようであったが、
それでも、間違いなく、
江村さんであった。
何人かでタクシーで移動する。
フロントガラスを打つ雨が
水滴と化してふしぎな模様と
なり、それが動き回るのを
見る。
ああ、こいつらは生きているじゃ
ないか!
みずみずしく、そこに息づいている
じゃないか。
ボクは水滴が生命を宿している
ことを、その瞬間に疑わなかった。
テーブルにつくと、佐々木厚
さんが江村さんの写真を
いくつか出した。
4つ並べて、みんなの方に
江村さんが向かい合った。
佐々木さんは細かい気遣いが
できる人で、いつも飲み物などを
そつなく注文する。
生ビールが一つ多いので、
あれ、と思ったら、
全員に行き渡ったあと、
佐々木さんがそれをつかんで、
江村さんの写真の前に置いた。
「江村さんの分のビールも
あるのは当然でしょう」
と佐々木さん。
黄金色の液体は、語り合っている
間ずっとそこに息づき、
私たちの意識の端の方に
そっとあったように思う。
会が終了するにあたり、
私たちはワイングラスの中に
少しずつ受けて飲み、
「故人」と呼ばれる存在になった
その人を偲んだ。
6月 15, 2007 at 07:48 午前 | Permalink
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2007/06/14
一体何が精神にさざ波を
生きものには、「今、ここ」から
先しか自由が与えられていない。
過去の時間は、どうしても動かす
ことはできない。
脳の記憶のシステムにとっては、
「過去を正確にとどめておく」
こと自体に価値があるのではない。
「今、ここ」からの先の時間を
よりよく生きるために、
記憶は編集され、書き換えられ、
整理・統合されるのである。
だから、過去を振り返って
ばかりいても仕方がない。
「今、ここ」から先に
起こることに、前のめりで向かいあう
べきだ。
とは言いながら、人間にとって、
過去のことがどうしても
心の中に残ることがある。
江村哲二さんの『可能無限への頌詩』
の録音を聞きながら移動した。
自分がリサイトしていることも
あって、
なんとなく、聴き返してみる気持に
なれなかった。
それが、絶対の別れに直面して、
聞かなければならない気持になった。
今思えば、鬼気迫る。
精神が鳴動し、震える。
そして、愛の慈しみがある。
残滓を抱きながら、タクシーに
乗って仕事を始めた。
不思議なことが起こった。
ラジオからかすかに、
『可能無限』が聞こえてくる。
そんなはずがない、と耳を
そばだてる。
リュックの中を確認する。
音楽は、いつの間にか消えていた。
『食彩浪漫』のテクスト
撮影をする。
仮想の中にしかなかった味わいが
現れる。
タクシーに乗る。
また、音楽が聞こえてくる。
アタマがおかしくなったのかなあ
と思う。
単に小さな音でラジオを
かけるタクシーに
続けて乗り合わせただけの
ことかもしれないが。
羽生善治さんの
朝日オープン将棋選手権の
就位式でお祝いを述べる。
米長邦雄さんに久しぶりに
おめにかかる。
急ぎすずかけ台へ。
大学院の説明会。
石川、野澤と、ASSCの
発表内容を詰める。
芸大の植田工(P植田)と
ゆうなちゃんが来る。
ゆうなちゃんは、P植田のPは
何なのかと聞かれて困るそうだ。
最近、私のブログではPとは
書いていなかったのだが。
あっちへいったり、こっちへ
行ったり。
驚きに満ち、失望に満ちた
私たちの生を使って、
神様は何をしようとされて
いるのか。
ビッグ・バンに先立つインフレーション期
に沢山のbaby universeを誕生させ、
そのうちの一つに私たちを
住まわせている神様は。
小林秀雄の『無常といふ事』の
一節を思い出す。
生きている人間などというものは、
どうも仕方のない代物だな。
何を考えているのやら、何を
言い出すのやら、仕出かすの
やら、自分の事にせよ他人事に
せよ、解った例しがあったのか。
鑑賞にも観察にも堪えない。其処に
行くと死んでしまった人間という
ものは大したものだ。何故、ああ
はっきりとしっかりとして来るん
だろう。まさに人間の形をしているよ。
してみると、生きている人間とは、
人間になりつつある一種の動物かな。
動物でも、何をしでかすかわからなくても、
やはり生きているうちがはなであるように、
この死すべき者には思われる。
はっきりとした人間の形をした
ものたちが住まうアポロンの神殿では、
一体何が精神にさざ波を立てている
のだろう。
今日も、また、南風が吹いている。
6月 14, 2007 at 09:23 午前 | Permalink
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2007/06/13
江村哲二 × 茂木健一郎 対談
江村哲二 × 茂木健一郎 対談
『可能無限への頌詩』世界初演
コンサート(Transmusic 2007)にて
大阪 いずみホール
2007年5月26日
音声ファイル(MP3, 36.5 MB, 39分)

コンサートの後のお祝いのパーティで江村哲二さんと。
6月 13, 2007 at 07:12 午前 | Permalink
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想い出
サントリー音楽財団の佐々木亮さんから
お知らせを受けたのは月曜の夜で、
あまりのことに呆然となった。
入院されたとは聞いていたが、
まさかそれほど重い病気とは知らなかった。
ご家族はご存じだったのだろうが、
私たち関係者は誰も知らなかった。
「あの方は、そういう人なんですよ」
と佐々木亮さんは言う。
「初演を成功させることだけを祈って、
黙っていたんでしょう」
『可能無限への頌詩』
コンサートが終わって、大阪の街を
皆で歩いていた時、ボクは江村さんの
肩を抱いて、
「江村さん、今度は東京で凱旋公演ですよ。
その後は、ロンドンでやりましょう。
ウィグモア・ホールがいいんじゃないかな」
などと言っていたのだけけれども。
江村さんは、あの時、
「そうですよ、茂木さん!」
と応えてくださっていたのだが、
ご自身の病気のことは、知って
いらしたのだろう。
さかのぼって、
昨年の12月4日、
渋谷で江村さんと打ち合わせをして、
その後芸大で授業をしていただいた日。
「実は昨日母が亡くなりまして」
と江村さんから聞いて、本当に驚いた。
12月5日の私の日記と、
今年の4月26日の江村さんの日記に、
その時のことが書いてある。
お母さんが亡くなり、そしてご本人も
あまりにも若すぎる死。
何も言葉がない。
江村さんは、「オペラが書きたい」
と言っていたのだった。
ボクが台本を書いて、
江村さんがそれに詩をつけて、
歴史に残る作品をつくろう!
と夢見ていたのだった。
『音楽を「考える」』の続編も出そう、
今度は上級者編だ、思い切りとばすゾ!
と意気投合していたのだが。
大阪の夜をともに歩きながら、
江村さんはどんな気持ちだったのだろう。
「あの時、かの人は既に知っていたのだ!」
と思うと、振り返ってよみがえる
想い出が、全く違った意味をもってくる。
つひに行く道とはかねて聞きしかど
昨日今日とは思はざりしを
(伊勢物語)
6月 13, 2007 at 06:53 午前 | Permalink
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2007/06/12
江村哲二さんに捧ぐ
江村哲二さんの突然の訃報に接し、
思いもかけぬ知らせに驚き、
あふれる思いが胸を突きます。
あまりにも早すぎる死に、
今は言葉もありません。
ここに、生前の魂の交流を思い起こし、
故人に深く感謝するとともに、
心からのご冥福をお祈りいたします。
茂木健一郎
6月 12, 2007 at 05:53 午後 | Permalink
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プロフェッショナル 仕事の流儀 菊池恭二
プロフェッショナル 仕事の流儀 第54回
菊池さんは「巨きな」人だった。体つき
だけではない。精神の構えや、すべてが巨きい。
「奈落の底を見た」という最悪の事故。
そこから立ち上がってきたからこそ、
宮大工の世界で名棟梁として慕われる
ようになってきたのだろう。

NHK総合
2007年6月12日(火)22:00〜22:44
http://www.nhk.or.jp/professional/
6月 12, 2007 at 07:55 午前 | Permalink
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東京工業大学 知能システム科学専攻 専攻説明会
東京工業大学 知能システム科学専攻 専攻説明会
2007年6月13日 東京工業大学 すずかけ台キャンパス
茂木研究室では、今年の入試において
若干名の学生を受け入れる予定です。
当日、私自身がポスターにて説明を行います。
http://www.dis.titech.ac.jp/briefing/briefing_2007.htm
6月 12, 2007 at 07:54 午前 | Permalink
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制約を引き受けるために
Lecture Records
茂木健一郎
『制約を引き受けるために』
ー東京、小津安二郎、身体、音楽ー
2007年6月11日
宝町福徳塾(東京、日本橋)
音声ファイル(MP3, 71 MB, 77分)
6月 12, 2007 at 07:44 午前 | Permalink
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複数のものを思い切り信じろ
Lecture Records
茂木健一郎
東京芸術大学美術解剖学講義
『複数のものを思い切り信じろ』
2007年6月11日
東京芸術大学上野キャンパス
音声ファイル(MP3, 69.2 MB, 75分)
6月 12, 2007 at 07:41 午前 | Permalink
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騙されているとしても
朝4時に起きて、
小俣との投稿論文のrefereeのコメントを
受けてのrevisionの仕事を延々とやる。
「5号目」を超える頃、NHKのFMから
ブラームスの交響曲第一番が
流れてきた。
好きな音楽に励まされて、仕事を続ける。
やっとのこと投稿。
呆然としながら、移動する。
美術展のレビューを書く。
東京芸術大学の正門に着く一分前に
終わって、
送信した。
文藝春秋の「文學界」にいらして、
その後CREAに移った
山下奈緒子さん。
大浦食堂は雨が上がり、日が差してきた。
授業を終え、上野公園に歩きながら、
打ち合わせをする。
時間になって、日本橋宝町に
移動。
吉村栄一さんが一緒に
タクシーに乗って、
ICレコーダーで
原稿を吹き込んだ。
宝町福徳塾での講演。
小津安二郎、東京物語、制約、
身体性の話をした。
三枝成彰さんがいらしていて、
エンジン01事務局の
夏井さん、川上さんを交えて
懇談。
騙されているとしても、
心が傾く方がいいんじゃないか。
何事も、本気で信じれば良い。
そして、信じるものが
論理的に矛盾していようが、
どうであろうが、
そんなことは知ったことではない。
信じるものという「絵の具」
が自分の精神というパレットに
沢山のっているほど、人生は
豊かになる。
冷笑しているだけじゃあ、
もったいない。
6月 12, 2007 at 07:18 午前 | Permalink
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2007/06/11
野生のうわーっとしている
Japan Timesのインタビューの
中で、私は明治以来の日本の知識人は
「輸入」ばかりして来たから、
そろそろ「輸出」をした方が良い、
ということを話した。
興味深いことに、日本に住む外国人の
方は、この点に反応していて、
「そんなことはない、これとこれとこれは
翻訳されている。私の知り合いで、毎月の
ように国際学会に行っている人がいる」
などと指摘してくれた。
視点の違いはどこからくるのだろう、
と考えているうちに気が付いた。
日本語ネイティヴとしては、
英語として流通していないものが
膨大にあることを知っている。
ところが、英語圏がベースになっている
人たちは、英語になっているものが
これだけあるんだから、流通している
じゃないかという印象を持って
しまうのだろう。
たとえ、100万のうち10点しか
流通していないとしても、
その10点をもって、流通していると
考える。
なるほど、英語圏からはそのように
見えるのかもしれない。
同じことは全ての言語圏について
言えるのだろう。
たとえば、インドネシア文学
が日本にいくつ翻訳されているか
知らないが、これとこれとこれが
出ているのだから流通していると
日本語圏の人は考えるのかもしれない。
インドネシアを母国語とする
人たちの感触は当然違うだろう。
毎月学会に行っている、とか、
そういうのを「輸出」とは
言わないという感覚を、
どうしたら
わかってもらえるのか。
このような行き違い自体が実に
興味深く、
やはり異なる文化の間で引き裂かれる
経験は必要だと思う。
東京工業大学で教鞭をとる
モートン教授からは、
ご自身が編集した小林秀雄の
伝記を教えていただいた。
さっそく注文したが、Asian Studiesと
ある。
小林秀雄がAsian Studiesとラベルされる
ところに違和感があるが、
その違和感から出発して考えるべき
ことがあるのだろう。
ひさしぶりにまとまった距離を
走った。
公園の中のビオトープに、
アメンボの小さいのがうわーっと
かたまっている。
ミジンコや、メダカもいる。
生命は、本来、秩序とは遠い
ところにある。
野生のうわーっとしている
様子を眺めて、時々思い出すのが良い。
ジャングルに行きたいなと思う。
インスピレーションというものは、
生きる糧であるはずである。
6月 11, 2007 at 04:56 午前 | Permalink
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2007/06/10
絵画・作文コンクール 『夢見る脳科学』
6月 10, 2007 at 02:01 午後 | Permalink
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クオリア理論
東京芸術大学 美術解剖学 講義
2007年度第4回
茂木健一郎
「クオリア理論」
Theory of Qualia
2007年6月11日(月)
午後3時35分〜午後5時
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)
http://www.geidai.ac.jp/access/ueno.html
6月 10, 2007 at 08:58 午前 | Permalink
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野球の魅力
ヨミウリ・ウィークリー
2006年6月24日号
(2006年6月11日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第58回
野球の魅力
抜粋
子どもの頃と違うのは、何時も手の中にはビールが握られていることである。タイミングを見計らってビールを注文するのは、野球観戦の大きな魅力の一つ。友人に、「東京ドームというのはボクにとっては巨大なビヤホールなんだよ」と冗談で言ったことがある。しかし、もちろん、野球観戦の魅力がビールだけにあるはずがない。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

6月 10, 2007 at 08:51 午前 | Permalink
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test of time
朝一番で、埼玉県立春日部高校で
講演。
文化祭の前のキックオフの会。
応援団に率いられての
校歌が、バンカラで良かった。
行き帰りの車を運転しながら、久しぶりに
カール・マリア・フォン・ウェーバーの
『魔弾の射手』を通して聴く。
ドイツの森のロマン。
聖と悪。
スタイルが洗練に向かう前の、
ぎこちなさに充ちたジング・シュピーゲル。
しかし、完成されたものよりも
むしろ惹き付けるものがある。
そして、ウェーバーの弾むような
音楽性が随所に。
フジテレビで『ベストハウス1、2、3』
の収録。
となりのYOUさんといろいろ話す。
test of timeということを考える。
「今、ここ」に生きるのが人間という
ものだが、同時に、10年後、20年後、
100年後からはどう見えているか
と考えるのがtest of timeということである。
10年前に出版した『脳とクオリア』
を文庫に収めるために、改訂作業を
進めようと思う。
「マッハの原理」や、「相互作用同時性の原理」
は今でも正しい。
10年間に変わったことは、メタ認知
の問題、主観性(主体性)の問題、
志向性、マッチング、偶有性。
改訂は、大幅なものになって
しまうかもしれない。
先週の日曜日のJapan Timesに、
Eric Prideauxが書いた私に関する記事が
2頁掲載された。
日本に住む外国の方から何通かメールを
いただいたが、とても興味深いものだった。
ボクは、子どもの時に春日部高校の
野球部の硬球を一個くすねてきて、
仲間で野球をやって怖くて
仕方がなかったことがある。
釘付けになって、ジンジンと
身体がしびれた。
自分にとっては「クラッシック」
な経験である。
幼少期の記憶のうち、test of timeを
経た一部分だけが、時々思い出される
「レパートリー」となる。
社会においても同じこと。
「今、ここ」を通り過ぎていく
さまざまなものに浮かれつつ、
100年後から見たらどうだろうと
考える。
6月 10, 2007 at 08:34 午前 | Permalink
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2007/06/09
世界一受けたい授業
6月 9, 2007 at 07:07 午前 | Permalink
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びゅんびゅんとハチドリが
公開が始まる時間前に研究所に入る。
あまりにも多くの人が並びすぎて
しまったため、
予定より早く開いた。
説明をし始めて、すぐに、見なれた
人影が。
池上高志だった。
「あれ、お前、こんなに早く来たのかよ!」
池上は、柳川透のところに行って、
立ち話をしていた。
その様子をちらちら見ながら
喋り続ける。
お客さんが途絶えない。
柳川は、池上にたっぷりいじめて
もらって、満足そうだった。
お昼。
みんなで「あさり」に定食をとりに
いった。
研究所への帰り道、
タリーズ・コーヒーで
テイクアウトして、
柳川と小俣圭とぶらぶら歩いていると、
まるでそれが日常であるように
錯覚した。
太陽が照っていて、
心地よいくらいの熱さで、
身体は疲労していて、
しかし、充ちていて。
仲間意識があり。
「こんなスケジュールで毎日
働いているような気がしてくるな。」
「茂木さんは、いつもいろいろ飛び回っている
から、二日同じ所にいるだけで、
そんな感慨が浮かんでくるんですよ」
と小俣。
午後のセッションが始まる。
ずっと話し続けて、
気付いたら再び4時間以上が
経過していた。
レセプションには大変な数の人が
来て、
いろいろな人と話した。
五反田で打ち上げ。
お疲れさま。
ジャングルの中を、
びゅんびゅんとハチドリが
飛び交う。
大事なのは、思考の集中と密度である。
色とりどりの思念がぎゅっと
詰まっているような、
そんな時間の流れだった。
6月 9, 2007 at 07:03 午前 | Permalink
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2007/06/08
始まりとしての『フューチャリスト宣言』
刊行記念特別対談
梅田望夫・茂木健一郎
「始まりとしての『フューチャリスト宣言』」
(最終ページに動画あり)
http://www.chikumashobo.co.jp/special/futurist/talk/
6月 8, 2007 at 08:12 午前 | Permalink
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程度を間違えなければ
研究所公開初日。
午前3時間、午後4時間立ったままずっと
説明していた。
ナンダカ分からないけどなにかが
脳から放出された。
ドーパミンやβエンドルフィンも
入っていたことだろう。
お昼休み、研究室のメンバーと
「とりあえずお疲れ〜」
とチェゴヤに行き、
「午後もある。スタミナをつけなければ」
とご飯を食べた。
「おい、小俣、このメニューは
お肉がついているのか?」
「ついてますよ」
「そうか。わからないで頼むと、
肉がない時もあるからなあ」
「ここは焼き肉の店ですよ」
関根崇泰が、真っ赤ないかにも
辛そうなスープを飲んでいて、
田辺史子が時々横から
スプーンを出して味見している。
「辛そうだなあ、でも、うまそうだなあ」
と思いながら、
hairshirtというものを連想した。
昔のキリスト教徒は身体に絶えざる
苦痛を与えて悔恨を示すために
羊の皮、毛でできたごわごわの
肌触りの悪いシャツを着たそうである。
hairshirtは、程度を間違えなければ
脳にむしろ快感を最終的には
与えるものではないかと思われる。
トウガラシはその系統である。
午後の時間はチェゴヤのご飯が
支えてくれた。
終わりの時間になっても、まだ喋って
いて、気付くと30分もオーバーしていた。
「あさり」に向かう。
研究室メンバー、研究所の面々と
生ビールを飲んで話しているうちに、
愉快な気分になってきた。
今日は公開2日目で、再び
ロング、ロング、セッション。
6月 8, 2007 at 08:07 午前 | Permalink
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2007/06/07
その人の「音楽」
ぼうっと座っていたら、途中の
駅で勢いのある人がとなりに来た。
腰掛けながら「あれ、茂木さん」
という。
ボクはびっくりして顔を
上げると、保坂和志さんだった。
「偶然ですねえ」
「セレンディピティです。今朝、ちょうど
保坂さんと小島信夫さんの対談を
携帯音楽プレーヤーに入れて
聴こうと思っていたところだったんです。
どちらに行かれるのですか?」
それにしても、何という奇遇
であろう。
沢山列車がある中で、
数多の座席がある中で、
たまたま保坂さんが隣りに座ったのだ。
ボクがその線に乗ることなど、
滅多にないというのに。
降りる駅まで、話がはずんだ。
ボクは、最近、その人の「音楽」
のようなものに関心がある。
保坂さんの音楽を聴いた。
ぎゅんぎゅんとバネが利いた
組み合わせ棒がうなりながら
回るような、
そんな力動的な音楽だった。
「次の長編小説は?」
「今年の末くらいまでに書き始められれば
と思っているのです。」
降りる駅が来た。
ばね棒をぴゅんぴゅん当て合う
ラリーをしていたような、
そんな気持がした。
保坂さんの音楽が少し残っている
ような心持ちのまま、ボクはこれからの
ことを考え始めた。
6月 7, 2007 at 07:44 午前 | Permalink
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2007/06/06
『脳と仮想』(新潮文庫版)増刷
茂木健一郎 『脳と仮想』(新潮文庫版)
は増刷(4刷、累計50000部)
となりました。
私にとって特別な意味を持つ本で、
多くの方に手にとっていただいて
うれしく思います。
ご愛読に感謝いたします。

6月 6, 2007 at 07:48 午前 | Permalink
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あのバッターはボクにとって
聖心女子大学の授業を終え、
ソニー本社へ。
ソニーコンピュータサイエンス研究所の
Open House 2007。
ほぼ二年に一回、研究内容についての
シンポジウムを行い、
その後研究所を公開して研究内容に
ついてプレゼンテーションをする。
フランク・ニールセンさん、
暦本純一さん、
北野宏明さん、
高安秀樹さん、
そして私の順番に話した。
所長の所眞理雄さんが
パネル・ディスカッションの時に
乱入してきた。
他人の話をただ聞いているという
だけだど、脳への負荷が
低いので、ノートにいっぱい書き付けた。
聴いている講演内容に関係のあることも、
関係のないこともある。
ノートにいっぱい書き付けるのは好きだ。
ノートブック・コンピュータの
キーボードとい入力装置は、普段は
習慣として使っているが、
一度「手描き」の自由さに目覚めて
しまうと、
わあ、今まで何をしていたのだろうと
思う。
しかし、手描きにはいかんせん
検索性や、複製性、送信性などが
ない。
現代のネットワーク志向の社会では、
どうしても手描きは分が悪くなる。
しかし、世間で常識、自明と
考えられていることのすぐ横に、
いかに困難な問題が潜んでいることだろう。
regularとrandomという問題も同じである。
この峻別は、客観的に決まることではなく、
文脈に依存することである。
その文脈を含めたダイナミクスをいかに
書き下すかが様々な問題に関連する。
しかし、それはそう簡単にshort statementで
言い尽くせることではない。
あるバッターが、代打の一打席に向かって、
いろいろ準備をする。
素振りをしたり、鏡の前でフォームを
チェックしたり、
「その時」に向かって次第に
自分を高めていく。
本当にそんな場面を見たのだと
思っていたら、目覚めてしばらく
経つと、やっぱり夢だったらしい。
ユニフォームの色も、バットを
持った肉体の存在感も、
「この一打席」に向かって自分を
高めていくその気迫も、
手に取るように感じられて、
ボクはそのバッターに本当に出会った
ような気がしていた。
ネットワーク志向の話ではないが、
あのバッターはボクにとって何だったのか、
河合隼雄さんによると夢は盲点を
表しているそうだが、
どんな思いもかけぬことを徴表しているのか、
何だかソーダ水のような後味がする。
6月 6, 2007 at 07:42 午前 | Permalink
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2007/06/05
プロフェッショナル 仕事の流儀 吉岡徳仁
プロフェッショナル 仕事の流儀 第53回
暗中模索、未来創造
〜デザイナー・吉岡徳仁〜〜
吉岡さんのつくる椅子は、本当に革新的である。
とりわけ、「ハニーポップ」には一目見て
魅せられ、その構造を知って唸った。

NHK総合
2007年6月5日(火)22:00〜22:44
http://www.nhk.or.jp/professional/
6月 5, 2007 at 06:50 午前 | Permalink
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官能と知性の関係について
今週はイレギュラーで、
月曜日に『プロフェッショナル 仕事の流儀』
の収録があった。
ゲストはソムリエの佐藤陽一さん。
世界大会にチャレンジする、
三番目のVTRが感動的であった。
今週は、ソニーコンピュータサイエンス研究所
の研究所公開。
今日はシンポジウムがある。
私はPredicting and making the future
というタイトルで話す。
ここのところ、
考えたいことは、浮世離れした難解な
ことばかりで、一方身体は浮き世の
中で勝手な運動をしている。
身体はここにあって、魂はここには
ないという気がする。
何よりも大事なのは「自由」であろう。
いつの間にか現代人はずいぶん堅苦しい
考え方をしていないか。
いや、それは、マチガイのないところ
だろう。
昔、こんな文章を書いたことがある。
哲学は良くも悪くも社会の実態から離れた机上の空論だというのは、わかりやすいようで間違った考え方だ。哲学は、大多数の人々には無縁の存在だというのも間違っている。何故ならば、哲学の最先端で問題になり、哲学者たちの苦闘を経て一応の解決を見たような問題が、何年か経つと「当り前」の一般常識になるからだ。しかも、そのような一般常識が、人々が日常生活を生きていく上でのかけがえのない知恵となる。
「哲学とファッションショー」(『生きて死ぬ私』)
必要なのは、勇気。
しかし、その思考運動も、つまりは
分子ダイナミクスのはずで、
果たして「自由意志」はあるのか
ないのか。
その決着はついていない。
自由意志があろうがなかろうが、
佐藤陽一さんのお店MaxiVinで
飲んだシャンパーニュはおいしかった。
佐藤さん「現地で樽から出して
飲むシャンパーニュは最高なのです。
まるで、自分の身体全体に泡が
まわって溶けていくような。」
ヨーロッパの文化は、ワインの高貴な
姿を幻として追い求めてこそなのであろう。
何を飲むかで人は変わる。
官能と知性の関係について
考察したのは、ヘルマン・ヘッセだった。
6月 5, 2007 at 06:45 午前 | Permalink
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2007/06/04
斎藤環 × 茂木健一郎
斎藤環 × 茂木健一郎 往復書簡
「脳は心を記述できるのか」
第一信 (斎藤環さんによる)
http://sofusha.moe-nifty.com/series_02
6月 4, 2007 at 09:18 午前 | Permalink
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東京芸術大学 美術解剖学 日程
2007年6月4日(月) 休講
2007年6月11日(月) 茂木によるレクチャー
2007年6月18日(月) ゲストによるレクチャー(予定)
6月 4, 2007 at 08:37 午前 | Permalink
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オーケストラ初出演
ヨミウリ・ウィークリー
2006年6月4日号
(2006年6月17日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第57回
オーケストラ初出演
抜粋
リハーサルの時に、『可能無限への頌詩』のスコアを眺めながら、私は懸命にタイミングを頭にたたき込んでいった。
「チェロが呼吸をするようにシャカシャカ、シャカシャカと弾いたら、私の番」「ハープがポロロンと鳴ったら、朗唱を始める」「ヴァイオリンの音階が上がっていって、一番高いところで音をのばしたら、声を出す」
こんなに脳を酷使したのは、受験勉強以来かもしれない。本番で失敗したら江村さんに申し訳ないと、私も必死だった。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/

6月 4, 2007 at 07:20 午前 | Permalink
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多様性のことである
「雑草ガーデニング」と言っても、
意識的にやっているわけではない。
鉢植えを買ってきてベランダに置いて
あったら、自然に雑草が生えてきて
それを放置しているだけ
のことである。
しかし、それが心地よい。
どうしてこいつらはここに
来たのか、これからどのように
発展して行くのかと眺めているのが
楽しい。
イギリスにいるとき、家の庭の芝生を
きちんとしなければならなかった。
そうしないと、隣近所に
怒られた。
仕方がないから、時折、
紐のようなものが高速で回転して
草を刈るマシーンを使ったが、
本当はそのままにしてどんな草が
生えてくるか見たかった。
日曜日。仕事に出る。
合間、代々木公園でしばらく
雑草を見た。
寝転がると、実にいろいろな
草がある。名前がわからないものや、
お馴染みのもの。
小さなカマキリがいる。
これくらいの時はアブラムシ
などを食べているらしい。
秋に向けて、食べた量だけ
大きくなっていく。
エコロジーとは、多様性のことである。
たくさんの種類の生きものが、
肩を寄せ合って生きている。
それがいかに複雑で豊かなダイナミクスを
もたらすか。
どんな小さな土の広がりでも良いから、
そこに生えている草を見れば、それだけで
わかる。
世の中には観察すべきものが
沢山あって、それらについて
思いを巡らせているだけで
心楽しくなる。
アイルランドのジョージ・バークリーは、
「存在することは認識
されることである」(esse est percipi)
というテーゼを残した。
代々木公園の中の名も知られぬ雑草
たちは、
ボクが5分くらいそれを眺める
までの間、人知れずそこにあったが、
本当は「神」によってずっとずっと
認識され続けていたのかもしれぬ。
6月 4, 2007 at 07:15 午前 | Permalink
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2007/06/03
一体何の因果で
母親の実家が九州だったので、
しばしば新幹線で帰った。
あの頃は、デッキに水があって、
折りたたみの紙コップが置いて
あった。
窓から一生懸命見ていると、富士山が
現れ、いつの間消えると、
浜名湖の水の広がりに包まれる。
東西を往復する回数は増えたが、
いつも仕事を抱えていて、
車窓からゆったりと眺めるという
ことがない。
日本言語聴覚学会で
講演するために、浜松まで日帰りした。
案の定ずっと目を落としている。
デッキに立った時、昔日を
想い出し、
あの頃に帰って、小さな子どもになって、
ウォータークーラーから紙のコップで
飲みたいと思った。
心から。
東京に戻る。
日比谷公園で仕事をして、日本財団ビルまで
歩く。
加藤秀樹さん、黛まどかさん、増田明美さん。
懇親の場で、黛さん、増田さんの
近くに座った。
耳よりな話というのはいつ来るかわからない。
「増田さんは、現役時代、腹筋を
3000回やっていたんですよ」
と黛さん。
「それだ」と思った。
インスピレーションは、稲妻よりも
早く走る。
「ぼくは、30キロまでは走れるんですけどね」
とプロ中のプロに言うと、
「そうなんですよ、マラソンは、30キロより
先を走れるように、足の筋肉を改造する
スポーツなのです」と増田さん。
「私が黛さんを信頼しているのは、
3000回と聞いて感動してくださった
からです。」
ぼくは一度増田明美さんに、マラソンの
走り方をきちんと教えてもらいたいと思う。
アサイという名の、真剣な表情をした
青年がいた。
いろいろとストレートな質問を
して来るので。
ぼくは、「自分であると感じるのは、
どんな文脈にも絡め取られず、不安の発作に
襲われるような時です。たとえば、
今日、日本財団に歩いてくる道すがら、
人通りのない霞ヶ関にぽつんといる時、
ぼくは一体何の因果でこの巨大な土の
かたまりの上にいるのだろうかと思う」
独りになりたければ、どこでもなれる。
ただ、目を閉じれば良い。
その時に暗闇の中から浮かび上がってくる
ものは、きっと「自分」を反映している。
ぼくは、黛さんに「なぜ、源氏物語とか、
奥の細道とか、あのような密度で言葉を
連ねることができたのでしょう」
と問いかけたが、あれは漆黒からの言葉
だったのだ。
6月 3, 2007 at 01:00 午後 | Permalink
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2007/06/02
なだれ。
本当に時間が崩壊していた。
できるはずもなく、それでいて、
とにかく前に進むしか仕方がなく。
なだれ!
研究所で打ち合わせ。
ポスターチェック。
研究打ち合わせ。
移動しながら仕事。
北野たけしさん。
移動しながら仕事。
着いて仕事。
やっと終わる。
ぎりぎりに駆け込む。
浦沢直樹さんと2時間、
はーとふるトーク。
なだれ!
必要な本が手に入らなかった。
ごめんなさい、と電話して、
バイク便を手配していただく。
なだれ。
なんとか一日が過ぎた。
いや、過ぎていないのか。
途中で、予定していないやっかいな
仕事が二つ入ったこともあって、
流されながら姿勢を懸命に
変えていった。
小林秀雄さんが、源氏物語に
ついての講演の中で、
二つの「もののあはれ」の
間で板挟みになって死んで
しまう女のことを
書いている。
オレも下手をすればつらい。
いろいろな仕事の間で、
行きつ戻りつ、
しかし絶対に手放すまいと
握りしめているかすかな光を
放っているものがある。
ぐりぐりと動き、動かされて
いても、それだけはいつも意識の
端のほうにある。
もちろん今も。
6月 2, 2007 at 07:42 午前 | Permalink
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2007/06/01
(本日)対談 マンガの神さまはどこにいる
対談 マンガの神さまはどこにいる
浦沢直樹 × 茂木健一郎
朝日カルチャーセンター
2007年6月1日(金)18:30〜20:30
「手塚治虫の再来」と言われる浦沢さんとの
スリリングな対論です。
http://www.acc-web.co.jp/sinjyuku/0704koza/A0102_html/A010201.html
6月 1, 2007 at 05:47 午前 | Permalink
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ブルータス 大松本論
ブルータスの村岡俊也さんに画像をお送り
いただきました。
Brutus No. 618
2007年6月1日発売
大松本論
いったい、松本人志とは何者なのか?
茂木健一郎×松本人志対談 「絶叫する脳」全発言の記録。
http://www.brutusonline.com/brutus/issue/


6月 1, 2007 at 05:46 午前 | Permalink
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人生が消えていくような
完全にスケジュールが崩壊!
やるべきことと、時間との
釣り合いがとれない。
集中して仕事を始めると、
時間の流れが消え、不可思議な
情報情動空間の中に入る。
その分、人生が消えていくような
不思議な錯覚にとらわれる。
思えば、人生とは、現実との
引っかかり、抵抗、摩擦、
おもわぬ躓きのことではないか。
現実に再浮上するために、
ボクは仮想空間の中にしばし
漂う。
6月 1, 2007 at 05:33 午前 | Permalink
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