« 他人を鏡として自分を知ること | トップページ | 自分があることを感じている時に »

2007/05/24

湖のように

ときどき、孤独な空気を漂わせている
人を見かけると、はっとする。

自分と周囲との間合いがつかない。
それでも、朝の湖のように凛と
澄んでいて、
離れていることから醸し出される
よどんだものがない。

自分と同じだなと思う。

生きるということは、つまり、
孤独であることの技術のこと
なのではないか。

スーパーはくとに乗ったら、
席の横にコンセントがあったので
ほっとした。

バッテリーをひとつしか
持って来なかったことを、
ずっと後悔していた。

日本海側から太平洋側に
抜けながら、一生懸命
柳川透くんの論文を読んで、
英語表現を含めてファイナライズ
した。

姫路、三ノ宮、大阪。
柳川くんに送ってから、
遅い朝ご飯を食べる。
カニと、様々な鳥取の名産。

大阪大学に行く時にいつも
つかう北大阪急行に乗る。

千里中央の前に、「緑地公園」駅
というものがあり、どんな
所なのだうと想いをめぐらせていたが、
ついに降りる時が来た。

今週末にあるtransmusic 2007
のリハーサル。

江村哲二さんの日記
にあるように、私は最初は緊張して
いたのだろう。

齋藤一郎さんがタクトを振り下ろし、
美しくも濃密な音が鳴り始めたとき、
「おい待てよ、こんなことが、オレに
できるわけがないだろう!」
と思った。

でも考えた。
人生、最初にやることばかりじゃ
ないか。
赤ちゃんがよちよち歩きするのと
同じだ。

丹精込めた楽譜が音に変わる。
その魔法の瞬間を、江村さんは
どんな思いで向かえたことだろう。

こんなことできるわけないだろう。
そういうことを時々やらなければ、
人生の価値がない。

江村さんのためにも、エイヤッ!

すばらしい曲です。ぜひ聞きに
きて下さい。

新幹線で東京に戻り、
もう一つのリハーサルに参加する。

さすがに疲れたのである。

昼間は暑かったろうと、
ベランダの植物たちにじょうろで
水をかけてやると、
自分の心もしっとりと濡れて
いく。

生命を液状化すると、様々な
ものに形を変える。
しみ通り、超え、定着していく。

ボクも江村さんも、そして
植物たちも、
みな孤独の空気を漂わせている
その理由は、
「水」にあるんじゃないか。

だから、湖のようにそこにあるのだろう。

5月 24, 2007 at 05:47 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 湖のように:

» ブログの効用 トラックバック すてきな事
ブログを始めたのには、いろいろきっかけがあります。 脳科学者、茂木健一郎さんのフ [続きを読む]

受信: 2007/05/24 6:08:18

» 謙虚って、何なんだろうか? トラックバック 須磨寺ものがたり
謙虚という言葉、よく耳にするし、自分でもよく口にする。 この言葉の持つ、美しさのようなものに酔ってしまいがち。 本当のところ「謙虚」って、何なんだろうか? [続きを読む]

受信: 2007/05/24 13:57:35

» 地図の話・・・ トラックバック なんでもあり! です 私の日記!! 
 昨日、学校に行くと  部屋のドアに、1枚の絵が貼ってあります。  長い丸形の中に、大きな青い長丸。  ひとりの名札マグネットがそれを押さえています。  *  瞬間、何故かそれが子宮の絵に見えました。  部屋に入って尋ねると、  そのマグネットの友人が「出かけた先」だと言うのです。  そこで遅ればせながらも、ハッと気付くわけで  それは滋賀県の地図で、青い部分は琵琶湖じゃないの!  「日本の中の琵琶湖」が、「滋賀県の中の琵琶湖」として見ると  その大きさがまた違って見える。... [続きを読む]

受信: 2007/05/24 21:44:16

コメント

湖と音楽と言う関係であることを思い出しました。
その思い出は、友人がドビッシーの「海」と言うレコードを聞かせてくれたのですが、ヘッドホーンをつけてジッとその音楽の世界に入ってもどうしても「湖」しか浮かばなかったんです。で、思ったのがこの「海」って私の知っている太平洋の海じゃないんじゃないかと・・・。そこで友人に尋ねると、友人も「別にどこの海ってことじゃないんじゃないの」と言いながらも、ジャケットを見てくれたらやはりその「海」は太平洋ではなく「地中海」でした。
太平洋に比べたらやっぱり地中海は「湖」ですよね。

大阪でのコンサートで聞いてみたかったです。。。が、、、、。ちょっと怖い気もします。

実は、先日ドビッシーのCDを頂いたので聞こうとし、音楽が流れ出した
瞬間になぜか、、トランス状態になってしまったのです。
身体全体から力が抜けて立っていられなくなたのですが、、なんとも奇妙な
ここちよい世界に入り込みましたが、あまりに不思議な感覚の世界だったので、怖くなり音楽を切りました。
・・・偶然だったのか、それとも偶然でなかったのか、、、。
確かめてみたい気もしますが、、怖いのでできません。

先生たちの音楽って、、、どんな音楽だったのでしょう。。。

先日、時間と音楽ってことである閃きがあったのですが、忘れてしまいました。。いつもことですが、閃きを直ぐに忘れてしまう。。
悔しい。
私の閃きはまるで、、、蛍のようです。

投稿: あすか | 2007/06/02 21:14:28

茂木さん、いよいよ、きょう(5月26日)本番当日ですね!

大成功をお祈りしています!

投稿: 銀鏡反応 | 2007/05/26 5:43:16

人類はまだよちよち歩きのベイビィなんだよ と微笑むダイソン教授の

視線の先にあるもの


なんだか こんな昔の広告コピーを思い出した
好きだったなあ NTTデータ通信の宇宙物理学シリーズの広告
一倉 宏さんの書くコピーをクイイルヨウニ読んでいたっけ

ホーキング博士が現れた時はびっくりしたなあ グロス博士の
超ひも理論!?ってなんじゃあ!!とか

僕の手許にNew Paradigm SPECIAL ISSUE なる講演録がある
中身はというと ニューパラダイムセッション’91
特別来日講演会 ホーキング博士、グロス博士が語る。
[ アインシュタインの夢 ]
と題された講演会の非常に刺激的なチョーヤバイドキュメント
なんだな、これがっ。

恐縮だけど ここから暫く引用させていただく

セッションⅡ[アインシュタインの一般相対論と量子力学]
講演 S.W.ホーキング

20世紀のはじめ、2つの新しい理論の登場が、空間や時間、そして現実そのものに対する私たちの考え方を、完全に変えてしまいました。
60年以上たった今も、私たちは、それらの理論の意味するものを
追求し、宇宙のすべてを説明できる統一理論にまとめあげようとしています。その2つの理論とは、一般相対性理論と、量子力学です。
一般相対性理論は、空間や時間を扱うもので宇宙にある物質やエネルギーによって、それらが大きなスケールで曲がったりゆがんだりする様子を調べます。一方、量子力学は小さなスケールのことを扱います。それによると、粒子の位置を正確に測定することは決してできません。つねに不確かさ、偶然といった要素がつきまとい、それが小さなスケールで
の物質のふるまいを根本的に変えてしまうのです。アインシュタインは
、ほとんど独力で一般相対論を築き、その上量子力学の発展にも重要な役割を果たしました。しかし、量子力学の、不確かさや偶然といった要素は、決して受け入れることができませんでした。その気持ちは、次の言葉に凝縮されています。「神はさいころを振り給わず」しかし、証拠という証拠が、神はギャンブルの常習者で、ありとあらゆる機会にさいころを投げていることを示しているのです。
この講演では、これら2つの理論の背後にある基本的な考え方と、アインシュタインがなぜ量子力学にあれほど不満だったかをお話しようと思います。また、これら2つの理論を組み合わせたときに起こると思われる注目すべき結果についても少し説明したいと思います。それによると、時間そのものには、およそ150億年前に始まりがあります。そして将来ある点で終わりになるかもしれません。しかし、別の種類の時間を使うと、宇宙には境界はありません。宇宙はつくられも、壊されもしません。ただ存在するのです。

(後略)

神はギャンブルの常習者 
宇宙には境界はありません。・・だだ存在するのです。

というところが いいではありませんか


さあ!さ いよいよ transmusic2007 との遭遇 が!!
はじまるのさベイビィ♪

投稿: 風のモバイラー&野村和生 from nomgroove.com | 2007/05/26 4:49:39

しみとおり 超え 定着していくと。 定着すると思われるお方様は「愛」の経験を積んでこられたお方なのでしょうか?

水底のようなホールなのですね。
孤独の中に豊かさを感じて 社会の中でそれを芯として 楽器になれること。そんな生き方 生かされ方・・いいな

投稿: 井上良子 | 2007/05/25 7:53:29

音声ファイル、さっき、聞かせて頂きました。
「他人の心は深い森」、(たしか)ロシアの諺を思い出しました。
若い頃は、そんな深い森が、こわかった。それも、いつかは、
何かの拍子に、こわさの、向こう側が見える日が来る。
マトリョーシカ人形みたいに、じゅうそうこうぞう。
やさしさに包まれた、こわさ。に、包まれた、やさしさ、
しまいには、なんだったのか、わからなくなってくる。

  なるようになる。
      だいじょうぶです。
         きっと、楽しい夢を見ます。


投稿: F | 2007/05/25 0:42:20

生きることは、孤独であることの技術。心に染み渡る言葉でした。

投稿: suzuki | 2007/05/24 23:08:03

作曲家が丹精こめて書き上げた楽譜が音に変わる…。その瞬間は、その楽譜を著した作曲家にとっては、まさに新しい命の誕生に似て…。

明後日は江村哲二さんとのtransmusic 2007本番の日。気鋭の脳科学者と先進の現代音楽の旗手との、美しくも理知的な、初のコラボレーション。

江村さんのブログへ飛び、リハーサル時のお写真を拝見。

オーケストラの中に、はて何処かで見たようなお姿が…。何と茂木さんが、オケに向かって詩を朗読されているらしい。

本番当日、生憎自分は諸事情ゆえに聴きに行かれない(ぐやじー!)。
本当なら大阪まで新幹線に乗ってでも聴きに行きたいのだが…。

今度東京で同じ催しがなされることがあったら、真っ先に聴きに行きたいです。

何卒、世界初というおふたりの試みが、大成功に終わりますように…。

“こんなことできるわけないだろう。
そういうことを時々やらなければ
人生の価値はない。”

人生というのは誕生から死の瞬間まで、まさに「最初にやることばかり」である。
初の入学、初の就職、初の結婚…。

その他自分が今まで試さざることや、経験なき数多の試練に出会う。
しかしそれらを、クリアし続けることに
我々の生を生きる価値があるのだろう。

「一人ぼっち」タイプには2つある。何がしか澱んだ“夜の底無し沼のような”卑屈で異様なムードを漂わせている人と、“朝の湖のような”凛と澄んだそれを漂わせている人と。

孤独で凛としたムードを漂わせている人は、内面の何処かに確固たるものを持っていて、何時も前をむいている。
その姿勢が卑屈さといった「澱んだもの」を一掃している。


我々常人は、後者のタイプに、どちらかと言うと、惹かれやすいものだ。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/05/24 22:37:23

先生は列車に乗って遠い所にゆくと
文章が独特の、落ち着いた流れになりますね。
都会の色々なものから離れるからなのかな。
心地良いリズムです。
ここ2日の日記で、やっぱ凄い人だな、
キラキラしてるなと改めて思いました。

昨日丁度、峠を乗り越えたら、その先に
湖があるんだという話をしていました。
私はよく、先生の日記と、友達と話した内容とが
シンクロしているんですよ。

その峠が仕事なのか、恐怖なのか、人生なのか、
わからないのですが、そのキラキラと輝く湖を
見てみたいから頑張ってみよう。

どれくらい自分の我を捨てて、
どれくらい素直になれたら
エイヤ!と踏み越えられるのだろう。

果たして、どんな湖なんだろう。

投稿: blue_bird | 2007/05/24 22:06:18

人生に孤独で在る時間が必要だとは 本当は思ってなどいなかった
毎日楽しく仕事して ある意味享楽的に生き
自分が幸せで豊かで在ることが
そのまま世の中の正しさに繋がっていればいいそう思っていた

気が付くと孤独な時間が無いとかたずけられない問題が
山積みされている
モラトリアムだった時間が悪かったのか
僕はとりあえず『他者に逢うための孤独』と名付けて
必要悪として孤独を行おうと思う
孤独にきちんと向き合うことはハードボイルドの昔から
男の仕事と思うけど

投稿: nobori | 2007/05/24 20:24:17

個人的かつ散文的なコメントお許し下さい。

先生が仰る、
「違う文脈に自分を置くこと」や
「ふくらましてギュッと凝縮する」ことなどが
すっかり頭から離れなくなって、しばらく経ちます。

表現は違いますが、「いつもと違う環境に身を置くこと」で
いつもと違う脳みそを使うことの大切さを、
このところずっと感じています。

初めてのことや、あり得ないと思う状況でのエイヤッ!は
心臓がはち切れそうになる反面、鳥肌が立つ程興奮します。
こういった素晴らしい経験は少なからず
自分の人生をキラキラさせてくれるような気がします。

ところが、まだそこから「ギュッ」とうまく凝縮出来ずにいる
自分に対し、焦燥感と宙ぶらりんな感覚を持っています。

また、様々な知識や経験を吸収したいと欲する一方で
自分の内側に何も入れたくないんだと思う、
頑ななまでの自分がいることにも、最近気づきました。

雑音の入って来ない、僅かに残された自分の聖域というか、
planeな思い、その場所を汚されたくないという感覚です。
誰も汚すわけではないのに。

このパラドックスな思いが、時折mind the gapと
自分に対して警鐘を鳴らすのです。

このところ、今までのノリで個人のブログを
書きつけていると“何か、違うなぁ”と思うことが増え、
打っては手を止め→とりあえず保存→数日後に破棄
ということが増えました。
書き続けてはいるものの、薄めたジュースみたいです。
濃いぃものを誰かが期待している訳ではないのですが
自身では模索中です。

濃いぃものを出せたら。
今はそのために考えながら手足を
動かしてみるしか無さそうです。

投稿: ちからいし | 2007/05/24 16:52:21

茂木さんの日記を読むといつも「人生ってそんなに悪いもんじゃないなあ〜」って感じるから不思議だ。茂木さんの疾走は周りをも巻き込み、みなに勇気をくれる。ジャンルを問わず、どこにでも出現する茂木さんの態度にぼくらは、感動し、人生の幅はより広く、なにかやってやろう!とぼくらを賛同へと導く。茂木さんありがとう。

投稿: 長尾みつる | 2007/05/24 14:17:06

昨日から夏のような暑さです。
今から、知り合いの方の写真展に出掛けます。
茂木さんの音声ファイルが聞けるので、
帰ってきてからの楽しみにします。
鳥取、行ってみたいけど、なかなか行けない!

投稿: F | 2007/05/24 11:07:04

私も、緊張してます。出演しないのに。
チケット引き換えにいったところ、結構前のほうの席らしく、
手、震えてきた。
昨晩は寝付けなかった。どうしよう!?

投稿: 平太 | 2007/05/24 8:46:05

この記事へのコメントは終了しました。