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2007/05/11

聖なるふるまい

私の敬愛する小津安二郎監督の
『東京物語』の中に、尾道
から出てきた父親が、飲み屋で、
友人に向かって愚痴をこぼすシーンがある。

カウンターに座り、東野英治郎演ずる
旧友に対し、
「うちの息子も、東京に出てくるまでは
もうちっと何とかなっていると
思っていましたが、それがあんた、
こまい町医者でさあ」
と吐き捨てる。

その前に、東野英治郎が、
「うちの息子は、部長部長と言って
いるが、本当はしがない係長でさあ。
それじゃああんまりみっともない
もんだから、人様には、部長部長と
言っているんだけれども」
と言っているのを受けてのこと。

心優しい父親が、旧友に自分の
子どもについて謙遜してみせた
ということはあるにせよ、
それまで柔和でにこにこ笑っている
笠智衆ばかりを見てきた
観客はショックを受ける。

 このシーンの後、笠智衆は、ふたたび
にこにこ笑っているだけの柔和な父親
になる。
 尾道に帰った母が急死し、
お葬式の後の酒席で、子どもたちが
「形見をくれ」だの、
「もう帰る」だの、勝手なことばかり
言っても、「そうか、もう帰るか」
とおだやかに言うだけである。

 神の眼、監督の眼、観客の眼を
持たぬ息子、娘たちは、穏やかな
父親の内面に「こまい町医者でさあ」
というような鋭い批評があるなどとは
夢にも思わず、永久の別れを
告げるのだろう。

 いくら忙しいといってもギャップ・
ハーフ・アワーくらいは必要だと、
 NHKに向かう時、時間はかかるが
明治神宮の森を歩き、つらつらと
考えた。

 自分のうちに浮かぶ様々な
想念のうち、何を外に出すか。
 これは、プライバシー
(自己に関する情報の管理)
に関する権利であると同時に、
聖なるふるまいでもある。

 神様はみんなお見通しだ。
自分も、さまざまなことを感じ、
知っている。
しかし、そのうち、ごく一部だけ、
世間にはわかりゃあいい。

 森の中を案内人を先頭に歩く一団がいた。
 
 たった30分の違いに過ぎない。
 それを惜しんで、タクシーで仕事を
しながら移動するようじゃあ、ボクの
人生はきっとおしまいになる。

 もし明治神宮の中を歩かなかったら、
笠智衆のことをこの文脈、このタイミング
で想い出さなかったろう。

5月 11, 2007 at 06:13 午前 |

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受信: 2007/11/18 23:54:13

コメント

「東京物語」私も大好きな作品です。
昭和28年といえば、三世帯同居は当たり前の時代です。
その当時に「東京物語」ができているというのは、未来の問題を先読みしたのでしょうか。
尾道は医師会の方々が在宅介護について、一生懸命取り組んでおられ、「尾道方式」という最後まで尊厳を持って生活することを手助けするという素晴らしい介護の方式があります。
「なぜ東京物語が尾道だったのか?」と考えた時、何かの縁を感じます。
我家は、撮影時にお手伝いをさせていただいたということで、原節子さんや香川京子さんの撮影の合間の写真があるのですよ。
とても貴重だそうです。
文才がなくてすみません。
意をおくみ取り下さい。

投稿: 武田敬子 | 2009/07/10 16:38:23

本日「第44回全国小学校道徳研究大会埼玉大会」でのご講演
http://school.city.koshigaya.saitama.jp/shironoue-e/saisyuu-annai.html
たいへん有意義な時間となりました。

最後の質問タイムで、特別支援教育の観点から、
「空気が読めない」と言われる子たちへの指導についての質問に、
茂木さんがキム・ピークさんとお会いになり感じられたという
関係性の欲求について、ご教示を戴くことができたことが嬉しかったです。
「人とつながりたい」というそこの一点を、自分も信じて
人と人とがコミュニケーションを取ることの難しさを感じながら、
これからも、そこに面白さを見つけて行ければと思います。
また、子供たちと一緒に身体を動かし、生の体験を積み重ねて
教材を見つけて行かねばです。

また直接お話を伺える機会を来る日を楽しみにしております。

ps
小津安二郎監督の「東京物語」の名場面も視聴せねば!
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2007/05/post_edd7.html

投稿: 塚田直樹@群馬 | 2008/10/18 1:26:19

OUT IN OUT >>「CORNER の脱出速度」をめぐって

PART Ⅰ 夢のあとさき

もし かりに僕が20世紀後半に出現したロック・ミュージック、ロッ

クカルチャーのレクチャーを若い世代の人たちにするとしても・・

ないけど・・ あるとしたらのハナシナンダヨ ちょっと うるさいよ

そこのお客さん お酒だいぶはいってるね 出ってて 出っててよ!!

・・噺の腰を折るのが得意なお方というのは 

どの世界にもいるようで


>> でまあなんだな するとしてだよ

1969年に起きたことを ことさら 強調したりはしない

だろうと思う

重要な年 であったことに違いないけど もう終わってしまった

ことなんだし いくらとっびきりの夢でも いつかは終わる

むしろ 僕らにとっては 

ジョン・レノンが JOHN LENNON を70年にファーストソロ

アルバムとして発表したことのほうが 

Don't beleave in (the) Beatles・・

と 歌ったことのほうが より リアルであるし

さらに ジョンが「育児休暇」をとり 復帰し

ダブルファンタジー というアルバムで

no longer riding on the merry-goround !!

と歌った ことのほうが 少なくとも 僕には とても

意味深いことに思えるんだよね  

いま においては

だからさ やっぱり・・ 

それは いまあああ 

なんだよ

>> つづく

 

投稿: 風のモバイラー&野村和生 from nomgroove.com | 2007/05/12 9:21:17

茂木先生の日常の中で、まさに実体験の<凝縮>と<移動>が起こっ
たのですね…。

”創造”はもしかしたらそうした<凝縮>と<移動>の連鎖の中で生
まれるものなのかもしれませんね。

投稿: コロン | 2007/05/12 5:13:15

普段ニコニコと温厚そうな老人がフトもらす、長男への不満。

小津作品のなかには、淡々としたなかに、深刻な何かが隠されている。

この「東京物語」は、終戦後8年たってから作られた作品だと知った。その中に隠蔽された何かとは…それはあの戦争にかかわる人々の深い悲しみだったのかもしれない。笠智衆ふんする父親の次男は、既にあの戦争で亡くなっている。

小津はそれをおおっぴらに出すことをせず、さりげなく隠蔽し、画面の中にそれとなくにじませているのだ…。

ネット若しくはリアルの世界で、自分の全てをさらけ出すのは、ある意味その人がつまらない人間だという事を意味する。何でもかんでも開けっぴろげに自分のプライベートを喋るのは、恥ずかしいことだ。

自分の全てを剥き出しにするのではなく、ホンの一部だけ、世間に見せればいい。後は隠蔽しておけばよい。それが「聖なるふるまい」。

世間に自分を全て知ってもらう必要などないのだ。あのねぇみなさん、わたしって、こんなんですよ~、なんて、見せびらかすのは、恥ずかしい。

太陽が、星が、森羅万象が全て、お見通しだから。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/05/12 1:03:50

私は「忙中閑あり」という言葉がとても好きです。今までの経験からも忙中閑ありの時にとても幸福感、充実感を感じてきました。ですので昨日の話題の「ギャップ・イヤー」は素敵な制度だと考えますが、「ギャップ・ライフ」は私は遠慮したいです。
茂木さんは今「忙中忙中忙中閑あり」というところなのでしょうか?
そういえば、ふと思うのですが、みのもんたさんという人はいったいどういう構造になっているのでしょう。不思議です。何故ああいう仕事の方法論が実践できるのでしょう。ひまな主婦層相手に低俗な話ばかりをメディアに流しているようにも見えますが、私は彼が彼自身、突き抜けた先を見てみたい、ためしてみたいを思っているように見え、テレビ局の枠を外すことができれば「プロフェッショナル」にぜひ出演していただきたい一人です。

投稿: ダンテス | 2007/05/11 21:30:58

神様がみんな全てお見通しだと思う事は
辛いようでもあり 反面安心出来る事でもある

ギャプハーフアワーのウォーキングの間なら
僕も心を空白にして他者の行動を
冷静に見る事が出来るかも知れない

見たからと言って冷静に行動出来る訳では無いが
そう在ろうとする僕の姿は確実に存在する
思考から行動へのフィルターを考えねばと思った

投稿: nobori | 2007/05/11 21:28:30

自己決定権は幻想であるという説がありますが、プライバシー権(自己に関する情報をコントロールする権利)も日本ではまだ幻想なのではないのでしょうか。

特に田舎はひどいです。
隠そうが隠すまいが、
「○○の父親と△△の母親が不倫している。」
「○○の父親が山で首を吊ったらしい。」
そんな負の情報まで全部筒抜けです。
田舎の人はみんな知っていても共同体のルールに従っている限りあえて触れない。
それを田舎の人は人情と考えているような気がします。
自己に関する情報をコントロールする権利等といってもコントロールしようがないのだから、どうしようもありません。
最初から「弱味」を握られているのです。

欧米には安息日があります。
カトリック圏で神父に向き合い、アメリカで精神分析医に向き合うのも
世間で演じることを強制される自己から、本来の自己に回帰する行為なのかもしれません。
イギリスでこれに相当するものは何なのでしょうね。

投稿: naritoku | 2007/05/11 19:59:52

『東京物語』に私が初めて感動したのは、40過ぎでした。若い時から、「教養」として何度か見ていたが、はっきり言って退屈で、何も訴えなかった。
茂木さんご指摘のシーンは笠さんの強がりの場面と解釈している。本心ではないことを回りの友人に合わせて言ってしまう、不器用な父親。

一人で見るDVDでいつも涙するのは、笠さんがつぶやく終末の海辺のシーンです
「・・・が亡くなってからは、日が長ごうなっていかん。・・・もっと優しくしてやればよかった。・・・」
人生のいとおしさと惜別を表現するのに、これ以上の場面を知りません。

投稿: fructose | 2007/05/11 11:48:28

毎日拝見しています。短い文章の中に深い意味がこめられているようで、誤読をしているのかもしませんが、茂木さんの気分のようなものは伝わってきていると実感します。昨日のギャップ・ライフ 
についてもコメントを書こうとして、雑用にとりまぎれてしまいました。「どこにも属さない」ってそれは大変なことです。50近くで私は経験いたしましたが、そこから抜け出るにはかなりのエネルギーが必要でした。

投稿: 竜宮の乙姫 | 2007/05/11 9:13:23

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