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2007/05/06

東京芸術大学 美術解剖学 講義

東京芸術大学 美術解剖学 講義

2007年度第一回

茂木健一郎 
「美と文脈」を巡って
Beauty and context revisited

2007年5月7日(月) 
午後3時35分〜午後5時
東京芸術大学 上野校地 美術学部 中央棟
第3講義室(2F)

http://www.geidai.ac.jp/access/ueno.html

聴講歓迎!

5月 6, 2007 at 10:16 午前 |

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大学(書物)とは儒教の経書の一つです。南宋以降、『中庸』『論語』『孟子』と合わせて四書とされました。もともとは『礼記』の一篇であり、曾子に作られたとも秦漢の儒家によって作られたとも言われています。朱子学において自己修養から始めて多くの人を救済する政治へと段階的に発展していく儒者にとっての基本綱領が示されているとして重要視されました。その内容には「明明徳」「親民」「止於至善」の三綱領と「格物」「致知」「誠意」「正心」「修身」「斉家」「治国」「平天下」の八条目が提示されています。... [続きを読む]

受信: 2007/05/16 12:34:30

コメント

参加させていただきました
お酒までごちそうして貰ってクセになりそうです

ですが、散々飲んで迷惑をかけるだけというのも
酷い話なので、今回の講義についての意見を書かせていただきます

批評→美、もしくはその逆という話でしたがその事について
少し論点はずれますが、僕自身は表現というモノは
作者のクオリアを作品の形にして、受け手がまたクオリアに変換する
という作業で、つまり作品は受け手にクオリアを沸き起こさせるツールだと思っています

変な表現で置き換えさせて貰うと
作者がAクオリアに特別な感情を持った、それを表現して誰かに伝えたい
作者はAクオリアをファイル変換して何かのジャンルの作品に変える
(更に乱暴にmp3ファイルに変換)
それを受け取った受け手はDecodeして自らのクオリアに変換して受け止める

ただ、この場合変換装置がアナログなので
どうしても誤差が出てしまいます
その誤差の少なさが名作や普遍なのかもしれませんし
また、変換に難しいモノもあるとも考えて良いと思います

まだまだ、話はそれます
笑いの場合も同じ法則で成り立つかと思います
笑いは受け手が笑ってこそ成立するという
生もので、過酷な表現ジャンルです
面白いクオリアを伝わりやすいトークやコントや漫才にして
コメディアンは受け手に伝える
しかし、変換がうまくいかなかったら笑いは起きない
いつの時代も変わらない笑いもあるにはあるのでしょうが
それは難しく大概が時代の流行の笑いになってしまうようです

おお、酔いが抜けずに文章が歪んでいる

では、批評と美の関係ですが
コレは僕の考えでは完全に融合しているとしか言えません
作り手のクオリア
これは無意識的なもの含まれて

「あー、アレがむかつくなー」

ってただ伝えるだけでなく
動機は動機としていますが
それを何かの形にファイル化して表現
つまり、無意識も含め脳みそひっくり返して表現する作業になるので
批評的な精神と美的感覚が融合したモノを扱うこととなります

文章が歪んでいるのが書いていて分かりますし理論も整然としていません・・

ここで問題になるのは動機です
デュシャンは何故、トイレを美術館に置いたのか
僕は彼の文章などを読んだことがないの詳しくは分かりませんが
美術館にトイレを置くとみんなビビル!から
だと思います
低俗な表現です
しかし、これは低俗、または簡素な表現でしか表せないモノで

デュシャンが「ワーッ!」って思うクオリアを
便器を置く表現として提示する
受け手も「ワーッ!」って思う

しかし、受け手には多くの感じ方があって
由緒正しき云々・・な美術館にこんなものを置くなんて!!!!
もあるし
ゲゲゲ、キタネエ、やめてくれ
もあるし
意味わかんない。てか浮いてる、変だよ
等々、様々な受け取られ方があったのでしょう

ここで考えるのはデュシャンの動機(仮定)です
おそらくデュシャンは
こいつらを凹ませてやろう
くらいは思ったかもしれませんが
美術館の価値観を疑うべきだ
由緒正しきだって?芸術は金持ちのモノじゃないぞ!
等と複雑なことは考えなかったと思います

何だかしらねーけど、俺、美術館に便器置いたら「ワーッ!」って思う
何かゾクゾクするよ

って感覚だったのでしょう(仮定)
つまり結果はどうあれ、動機は文脈づけが不可能なくらい
直感要素、直感的な莫大な情報量が入っています

で、ここで諸学の問題になるのですが
芸術家の動機なんてそんなものなのです(多分)
だから、自らのレベルを上げて視野等の感覚を高めなければ
「ワーッ!」の中に様々なものが含まれないのです
ハイレベルな芸術家の「ワーッ!」は何か潜んでて
阿呆の「ワーッ!」は空っぽって事なのですが
(でもよく考えたら僕は阿呆の「ワーッ!」が大好きです)

書けば書くほどまとまりのない駄文、このへんで失礼します

投稿: 後藤 裕 | 2007/05/07 21:05:59

あぁぁ。聴きたいな。行きたいな。瞬時に動ける身が欲しいです。

投稿: 井上良子 | 2007/05/07 12:19:09

楽しみにしておりました
お邪魔させていただきます

投稿: 後藤 裕 | 2007/05/07 8:58:18

行きたいなぁ。今年の第1回美術解剖学講義!
おし! 絶対行くぞ~。
美の深淵を学び行くぞ。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/05/06 15:47:32

 今年度は「聴講歓迎!」ではないのでしょうか?
 乱入…じゃなくて、できるだけ参加させて
いただこうと思っていたのですが。

 健一郎さま、お元気ですか。
 去年の連休には旭山動物園にいらしていたんだなあ…
とか思い出しております。

 ここは今が、桜の季節です。輝く季節の到来だよ!

投稿: 龍神 | 2007/05/06 14:39:36

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