ハングルでうひ山ぶみ
ヨミウリ・ウィークリー
2006年6月10日号
(2006年5月28日発売)
茂木健一郎 脳から始まる 第56回
ハングルでうひ山ぶみ
抜粋
手に負えない、歯が立たないという無力感こそが、幼い私たちにとっての成長の可能性を示していたはずである。脳は一生学び続けることができる。生涯に何回か、「これはとてもダメだ」という無力な状態から学び始めるということをしなければ、もったいない。
全文は「ヨミウリ・ウィークリー」で。
http://info.yomiuri.co.jp/mag/yw/
5月 30, 2007 at 07:00 午前 | Permalink
トラックバック
この記事へのトラックバック一覧です: ハングルでうひ山ぶみ:
» 安全性と経験 トラックバック Progress
先日、愛知県常滑市の小学校の運動場で、女子児童3人が回旋塔遊具にぶら下がっ
て遊んでいたところ、突然支柱が折れ、順番待ちしていた女子児童の左足に当た
る、という事故がありました。
この回旋塔は4月に岐阜県大垣市で起こった木製遊具事件を受けて、常滑市教育委
員会などが目視点検したそうですが、問題はなかったといいます。
ですから小学校にしてみれば思わぬ不慮の事故だったのでしょうが…この事故か
ら、私は大阪・エキスポランドのジェットコースター事故を思い出しました。
エキスポランドの場合、車輪軸を年... [続きを読む]
受信: 2007/05/31 0:39:14
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
ハングルについて思うのは、何よりその「宇宙語」のような音(おん)の響きだ。
言葉の最後に「…いむにだ」「…はむにだ」などという語がつくこの言語は、何時聞いても不思議であり、ハングル文字も不思議な宇宙文字のように見える。
しかしそこには、はねるようにダイナミックな躍動感がある。
英語と日本語のバイリンガルである茂木さんが、そのハングルを学ばれるとかや。
ハングルは、たしかに彼にとっては「手におえない、歯が立たない」ものなのかもしれない。が、それでも学ぼうとされる姿勢には、頭が下がる思いがする。
……脳は一生学び続けることができる。生涯に何回か、「これはとてもダメだ」という無力な状態から学び始めるということをしなければ、もったいない。……
私は英語すら満足に読めない。高校の授業で挫折して以来、学ぶ機会に恵まれぬうちに、英語というものに対して「これはとてもダメだ」と思うようになってしまった。
英語に対して今の私は本当に無力だ。
しかし、ここで一念奮起して、そんな無力な状態から、英語を学ぼうかと思い始めている。
投稿: 銀鏡反応 | 2007/05/30 19:16:38