« 東京芸術大学 美術解剖学 講義 | トップページ | 『銭形平次』のテーマ »

2007/05/07

人は変わる

朝一番の仕事のために
九州入り。

博多でレイコおばさんの家に
行き、登山を趣味とする
「やまびこ会」の
五十嵐さん、中村さんとお話しした。

レイコおばさんが、ボクが大学生の
頃吉野ヶ里遺跡に一緒にいった頃の
写真を見つけて出してきた。

あのねえ。(笑)

人は変わるものである。
おお、水平方向の高度成長期よ。

写真の写真を撮った。

小倉に移動して、ヒデカズおじさんの
家にいった。

仏壇にマサミチおじさんの遺影がある。
マサミチおじさんは、喘息のために
二十歳くらいで亡くなってしまった。

絵がとてもうまくて、幾つか
両親が持っていたが、いつの間にか
どこかに行ってしまった。

ヒデカズおじさんの家に
あった、マッチ棒でつくった
とても精巧な船の模型も、
ヒデカズおじさんが家を新築する
時に処分してしまって、
それで私の母親(つまりマサミチおじさんの
姉)にずいぶん怒られていた。

マサミチおじさんがもし生きていたら
どんなことをしていたろうと、
時々想い出す。

亡くなった人は、覚えている
人が忘れない限り、この世にかすかな
存在を残し続けるのだろう。

ヒデカズおじさんの家は、
今は近くに大きな商業施設が
できてしまったが、
ボクが夏ごとに遊びにいって
いた頃は、
たんぼが広がっていて、その中に
小さな森があった。

あれは小学校に上がるか上がらない
かの頃、小倉のマサミチおじさんの家に
遊びにいっていると、
テレビでドラキュラの映画を
やっていた。
とても怖かった。

ドラキュラが出てきた
時のためにニンニクと十字架を用意しておこう
と思った。

映画が終わったら、マサミチおじさんが、
「けんちゃん、あの森の中に、ドラキュラ
がいるんだよ」と言った。
ボクはその話を本当に信じてしまって、
震え上がった。

マサミチおじさんは、その様子を
見てケタケタ笑っていた。
あの頃は元気だったのだけれども。

マサミチおじさんが生きていたら、
あの時のドラキュラの話をして
笑うんだけど。

人は変わる。街も変わる。

眠る前に、youtubeで
moon riverや、try to remember、
学生街の喫茶店のビデオを見ていたら、
切なくなりすぎたので、解毒剤として
BBCのコメディを見た。

5月 7, 2007 at 07:19 午前 |

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 人は変わる:

» 再会前 トラックバック 御林守河村家を守る会
機上から島影を見て、息をのみました。 海のうえに雪山が浮かんでいるのです。 火山特有の鋭角な稜線に、 巨大な爪でひっかいたような 深い山ひだがくっきりとしています。 その島に降り立ち、一泊して、翌日、 結城が診療所の医師として赴任した もうひとつの島へ渡... [続きを読む]

受信: 2007/05/07 10:51:02

» グーグルVS田中角栄 トラックバック 須磨寺ものがたり
気になっていた記事がありまた読み直した。 やはり、おもしろいと感じたので書くことにした。 [続きを読む]

受信: 2007/05/07 16:01:39

» 一瞬にして変わる トラックバック この地球を受け継ぐ者へ † Life log
一週間前を機に体調がいい。 慢性的な肩凝りとか、体のなんとない重さも消えたようだし、 呼吸も静かに落ち着いていて、心も静かにドシっと落ち着いている。 落ち着かない心、感情的な心境もなく、 静かに冷静でおおらかな心理状況を自分で感じられている。... [続きを読む]

受信: 2007/06/03 8:27:27

コメント

中学生の頃、「吸血鬼ってエライなー」と思ったことがありました。
人間だったら十字架を手に持っていても、
ロザリオを束にして首から下げていても、
悪いことをしようと思えばできてしまうのに、
あのヒト(?)たちは十字架を見ただけで
あんなに怖がってしまう。
ちょっと逆説的だけれども、なんて信心深いヒトたちなのだろう!と。
(あの頃から既に、どうでもいいことを考えるのが得意だった。。。)

もし森にドラキュラがいたとしても
他にたくさんいたであろう美女をほったらかして
わざわざ「けんちゃん」の血を吸いにくるとは
思えないのですが…チュパカブラならともかく(笑)!
いや、狙われそうなほど可愛らしかったのでしょうね♪

などという失礼な冗談(ごめんなさい!)は、さておき
亡くなってしまった人たち、とくにお葬式に行けなかった場合には
今でもあの街、あの家で以前と変わりなく
静かに暮らしているような錯覚を起こし、
つい心の中で生きている人を想うように話しかけてしまったりします。。。

解毒剤はBRUTUS 2/1号86頁右下「かんぱーい!」の
今の「けんちゃん」写真です。
ビールを前にホントにいい笑顔ですね!

投稿: まり | 2007/05/08 23:36:00

  いいお話ですね ほっ とします ♪
  か〜け〜て〜 も~つれた謎をとく♪

投稿: tomo | 2007/05/08 11:55:47

茂木先生

●ご無沙汰しております.2月の講義「感性・こころ・倫理」では,数多くのことを教えて頂き,誠にありがとうございました.

●私は4年前まで「小倉」のとなり街の「戸畑」に21年間住んでおりました.先月,「若松」の友人と食事をしましたが,北九州の街もここ数年間でずいぶん変わりましたね.H・ベルクソンの「万物流転」を思いだしました.

●実は私も「喘息」もちでして,大学5回生のとき発作が原因で体重が65キロまで,減少したことがありました.当時は大学の講義も受けられず,とうとうTAの仕事も休職(夜間の大学に通っていたので,昼間は他大学で働いておりました)する始末でしたね.

●現在も発作で年に何回か寝込みますが,それ以外は元気なので不思議と食がススミます.私は先生以上に水平方向の高度成長期にあるようで,わずかながら垂直方向にも成長しています.(笑)

●今でも身長が伸びていることを「大牟田」の教え子に教えてやろうと思いメールすると「ハァ?,先生の足裏にも脂肪がついたんやなかと?」と,いつもの筑後弁で返信されてきました….

投稿: 増崎武次 | 2007/05/07 23:14:04

1年前の自分の日記を読み返して、何も変わっていないのに愕然とすることがしばしばあります。1年前の自分の日記を読み返して、そのあまりの変化に愕然とした記憶はほとんどありません。諸行無常を高校の古典で習っていた頃はこの言葉の響きが何か虚しいことのように響いていましたが、これは宇宙の摂理だったのですね。
ユーミンの有名な曲で「人ごみに流されて変わってゆく私をあなたはときどき遠くでしかって」というフレーズがありますが、これは本来は「人ごみに流されて変わってゆく私をあなたはときどき遠くでほめてね」と歌うのが正解なのかもしれませんね。

投稿: ダンテス | 2007/05/07 23:08:17

すみません。明日、朝一の仕事って何ですか?もし、一般市民も聴けたらと、、。

投稿: ジャッピー | 2007/05/07 22:20:07

↑先ほど書いたコメントの続きです。連続投稿になることをお許し下さい。

人は変わる。思い出は形を変えて残る。亡き人の姿と生きた痕跡は残された者が死によりて忘却しない限り、永遠に霞のようにとどまり続ける。

愛らしい顔をした写真の青年も、今や気鋭の脳科学者、すっかりと時の人となって、忙しい日々を送られている。

そして私は、気がついたらしがないブロガーとして、この日記にコメントし続けている。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/05/07 22:05:26

いやぁ、茂木先生の大学生時代のお写真ですか、髪も短髪な、なかなかの好青年ですねぇ(今もそうであられますが、失礼)。

“亡くなった人は、覚えている人が忘れない限り、この世にかすかな存在を残し続けるのだろう。”

事故や病で亡くなられた人々を、その遺族や友人達が忘れるはずがない。忘れないからこそ、かすかながらも彼等の生きた軌跡は存在し続ける。

自分のアタマの中には、かつて元気に活動していて、その後、急死した近所の若い青年の存在が、いまでもかすかに「息づいて」いる。

彼は非常に元気だったが、亡くなる2年前、胃潰瘍にかかり胃の全てを摘出した。その時に彼が家に来たので顔を見たが、手術前はもう少しふっくらしていたその彼が、ホホがややこけていて、見るからにひどく痩せていた。

私はその時、嗚呼彼は近いうちに死ぬな、と如何言う訳か直感したのを覚えている。

直感した通り、2年後に彼は倒れ、いきなり帰らぬ人となった。それ以来、自分のアタマの中に彼が今でもかすかに存在し続けている。

彼の遺族や親戚は、彼を生涯忘れることはない。だから永遠にかすかな存在として彼はこの世にい続けるのだ。

若し彼が今日まで生きていたら、如何言う話をしていただろうか。

2年前の尼崎の電車の脱線事故で死んだ若者たちも、かすかな存在としていつづけているはず。そうしてその存在は、遺された親たちの生きる支えの大きなひとつになっているのだ。しかしやはり、切ない思いは残るのだろう。

学生街の喫茶店やmoon riberとかは、亡くなられた“マサミチおじさん”との思い出の曲だったのだろう。

亡くなった人の思い出が絡む曲は、聴くと誰でも切なくなるんですよね…。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/05/07 21:56:12

まあ、大学生の頃のお写真、なかなかステキ!
でも別人みたい。清々しい感じですよ。
今も勿論ステキだけれど。

20才でなくなったマサミチおじさん、茂木先生の心のファイルに
懐かしい記憶として残っていくのでしょうね。思い出してくれて
きっと喜んでいると思います。

所で昨夜BSテレビで、アクターズ・スタジオ・インタビューをやっていて、イギリス俳優のヒュー・グラントでしたが、彼のジョークが可笑しくて可笑しくて、何度も大笑いしてしまいました。

いつもコメディ映画に出ているのですが、知っているでしょう?
如何に自分を笑いものにするか、常に考えているんだろうな~と。
イギリス人って皆そう言った傾向があるのですか?

投稿: tachimoto | 2007/05/07 21:41:01

いつかの日記に

ボクは、ある時から、「全てを対称に
したい」というのが自分の
切ない衝動なのだと
気がついた。

と書いておられましたよね。
Tシャツに大学の時
すでに 対称性に安息があったの?と思ってしまう。

ニーチェを読み解いていた青年とは思えない
清々しさだけど 
きっとこの時 頭の中は、
吉野ヶ里の古代人に思いを馳せて
色んなことが渦巻き
グワングワンとされていたのでしょうね。

投稿: hi | 2007/05/07 20:11:30

えー
絶対今の方が好みなんですけど(笑

投稿: aha!taiken | 2007/05/07 16:14:16

健先生、昨日はお会いすることができて
とても嬉しかったです(^▽^*)!!
乱舞磯研メンバー皆、大感激です。
たくさんのサインをおねだりしてしまって
ゴメンナサイ(>_<;

私は、「みどりの釣りは花火のような釣り」
という愛くるしい!?お言葉を頂戴しました。
言葉と絵を照らし合わせて、
私なりのイメージを湧かせて楽しんでいます。

健先生の心ある絵は、私の心にも
ほんわか心地よいぬくもりを与えてくれます。
人との出会いって素晴らしい☆

お忙しいとは思いますが。。。
ぜひムーちゃん率いる乱舞磯研メンバーとで
釣りを楽しめる日がくることを
心待ちにしています。

本当にありがとうございました。
心より感謝致します。

お尋ねしたいことはたくさんあったけど
緊張のあまり(=_=;石のように
なってました。私。。。
もうちょっと坂道ゴロゴロ転がる石に
なって冒険してみなくちゃ!!

投稿: みどり | 2007/05/07 13:56:34

あの森の中にドラキュラがいるんだよ・・。震える為にも、森って大切ですよね。なんとなく身近な異界って、私たちに必要かも。
生き物としての真実の上に、気分が敏感に感染して行くのだとして、茂木さんが今の容姿と共に現存されるのでしょう?人と会ったときの空気とか、話される間合いとかの中に生き物としてのコミニケーションの本質はあって、人から何かを学ぶ姿勢もここにあるような気持ち・・。ネットを通してキカイの向こうに何が潜んでるのか朧に見えないと知識だけに留まってしまうかのも。アウシュビッツの線路だって創造力がない限りあの広大な長さは測れないかも。創造力がチカラを帯びるのは、人からの感染能力かもしれないなって。オモウ。
湧き出た若葉の刻々と移ってゆく色ように、人もあるべき姿に変わっていければいいな。日々大切に生ききることなのかな。茂木さんのようにね。

投稿: 井上良子 | 2007/05/07 12:12:15

拝読して、朝から涙が出てきました。
たとえ、受け止め方は変わっても、
とても大切なのは、ちっとも変わらない。
ずっと、ずっと。
ここのところ、ぼんやりしすぎていた。
しっかりしなければ、しっかり、しっかり。

投稿: F | 2007/05/07 8:57:11

コメントを書く