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2007/05/10

ギャップ・ライフ

ギャップ・イヤーとは、
イギリスを中心に根付いている、
高校を卒業した後
大学入学の前に一年ほど、どこにも
所属せずに世界を放浪したり、
ボランティア活動をしたり、あるいは
働くという習慣である。

高校を卒業して就職する前に
ギャップ・イヤーをとる
場合もあるし、
仕事に就いてから、節目にとる
「キャリア・ギャップ」もある。

日本では、「履歴書に一日でも
穴が空くとまずい」とか、
「就職する時には新卒が優先」とか、
「フリーの人には家を貸さない」
などという訳のわからない前近代的
風習がある。

ボクはある種の怒りをもって、
「ギャップ・イヤー」的なものを
広めたいと思っているのである。

この話をすると、「茂木さん何を
言っているんですか、日本には、4年間
のギャップ・イヤーがあるじゃないですか」
という人がいて、周囲に爆笑が起こる。

大学4年間を遊んでいるということを
指しているのである。
しかし、所属する組織が決まっていて
ふらふらしているのは、
どこにも所属しないでふらふらする
イギリスのギャップ・イヤーとは
違う。

ギャップ・イヤーの趣意は、どこにも
所属しないで天涯孤独であるという
点にあるのである。

とは言っても、我が身を振り返っても、
日本の実態の中でギャップ・「イヤー」
をとるのは難しい。

だから、最近は、「普段と異なる文脈に
自分を置く」ギャップ・マンス、
ギャップ・ウィーク、ギャップ・デイ、
ギャップ・ミニット、それどころか
ギャップ・セカンドでも取り敢えずは
いいんじゃないかと思っている。

とにかく、「この時間は普段の
私とは違う」という隙間を創ることが
大切だと思うのである。

そんなことをつらつら考えながら
歩いていると、ふと、わが畏友
塩谷賢の顔が浮かんだ。

ご存じのように、塩谷は、東京大学の
科学史科学哲学科の大学院を修了した
後、千葉大学で一時期働いた以外は、
定職につかず、論文も書かず、
ただ学会や研究会には姿を現し、
深刻かつ鋭い発言をして、
「日本の哲学界に塩谷賢あり」
と畏れられている。

塩谷の人生を考えると、
それはひょっとしたら「ギャップ・ライフ」
なんじゃないかと気が付いた。

「ギャップ・イヤー」というと、
その両側には何か真っ当な仕事を
していて、それに挟まれた空隙という
意味を持つ。

では、生涯続く「ギャップ・ライフ」が
何か真っ当なものに挟まれているかというと、
そんなものはない。
前世や生まれ変わりなどあるはずもない。

「ギャップ・ライフ」とは、つまりは
一生空白が続くということではあるが、
しかしそれをgap lifeと言い直した
ことで、
何だか素敵な雰囲気が生まれる気がした。

そもそも、土地を考えれば、何かの
役に立っているということは、ロクな
ことじゃない。

神社の森など、世間の進展から
置いておかれたアジールの方が、
美しい自然が残っていることは
周知の通り。

そういえば、塩谷くんは何だか神社の
森のようなやつだ。
ギャップ・ライフでいいじゃないか。
ギャップ・ライフを貫くことで、
かえって瑞々しいなにかが生まれる
ということは、きっとあるんじゃ
ないかと思う。

そう考えると、何と気持が豊かになる
ことであろう。
地球の内部の方で、周囲の岩に挟まれて
動けないでいる塊よ。
何も通らず、起こらず、ただ広がっている
だけの宇宙のほとんどの真空よ。
誰にも知られず、ただ生まれ死んでいく
海の生きものよ。
君たちは、ギャップ・ライフを謳歌して
いたんだね。

それどころか、もっとも有為な人生を
送ったように見える人でも、
実はそれは一つのギャップ・ライフ
だったのだろう。

5月 10, 2007 at 07:18 午前 |

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コメント

茂木さん。
はじめまして。
私は高校生をしています。

茂木さんのことは
ちょっと前ベストハウスを見て知りました。
衝撃を受けました。

全然意識せずに
ギャップイヤーを検索かけたら
ここに辿り着きました。

私にはやりたいことが山ほどあって
それをあとちょっとで
絞りきってがつんと生きる道を
いちおう定めるなんて
地球を一周歩いてくるより
果てしないことのように感じれます。

ギャップイヤー
やってみたいですけど
今の日本では難しく感じれます。
現役合格が美しいもののように
感じている人が多いですし                    

でもそれでも地球を一周するのが
日本を一周するくらいに
縮められる気もします。

意味わかんないですね。
すみません。

あと1年ちょっとで
ギャップイヤーが日本になじむ
そんなことを
夢見ております。

投稿: mai | 2008/07/27 23:54:10

とうとう7月からギャップ・イヤーに入ります。素晴らしきかな!そのままギャップ・ライフに入ってしまったりするかもしれません…。

投稿: ほしの | 2007/05/13 0:23:25

家を借りるのに苦労するフリーの人たちのための
バーチャルな会社を「つくっちゃおうか!」と
2月の竹内薫さんとの対談で「けんちゃん」が仰ってましたね。
その後どうなったのでしょう(笑)?

6月1日の浦沢さんとの対論も、楽しみにしています。
浦沢さんは「手塚治虫の再来」と言われているのですね。
子供の頃、手塚治虫が大好きになってしまったおかげで、
当時はやっていた漫画の話題についていけなくなったことがありました。。。
あの『鉄腕アトム』を描いた人の漫画だからと
親も安心して読ませていたようなのですが、『ブッダ』も『火の鳥』も
『アドルフに告ぐ』にもドロドロのおも~いテーマが流れていて…
「こんなの読んでいて、いいのかしら、私?」
と密かに思っていました(笑)。

残念ながら6月1日は忙しいことが分かっているので…
ばたばたしながら遅れて会場に着くことになるかもしれません。。。
クヤシイ!

投稿: まり | 2007/05/12 21:25:18

おはようございます。
いつも茂木先生のことばに、沢山はげまされて思いをよせております、一読者です。こちらのHPや、TV、そのほか青山ブックセンターでのトークショーにも一度参加させていただきましたが、いろんなエピソードやお話を楽しませていただいています。
コメントは今回初めてです。

ギャップイヤーということばを、茂木先生からのコメントで初めて教えていただきましたが、概念のひとつとして知っていることでその人の人生の質というか、開放のドアが増えて幸せの方向の選択肢も増えて歩んでいけるんでは?ということがありますよね。
日本ではまだあんまり認知されていない方向性であっても、人の幸福感は沢山の種類や、手触りがあってもよいのではないだろうかと思っていたところ、茂木先生のHPを知りましたので、一般的な経歴でいうところに統一感がない自分にとって、日々ことば、プレゼントとしていただいています。
私は、今出世部屋(と自分で勝手に名づけて)に住んでいまして、
前にお住まいだった方が、茂木先生が教鞭をとられている学校で何かの研究をされ、留学をされて10年ほどお住まいのあと、ここから一駅向こうに新しいおうちをみつけられたそうでその後、私がお借りしています。
ちいさい部屋ですが、そのバランスや、ぴったりのサイズに作られている残置物をみて、多分理系の男の方だなという印象はありましたが、その後お住まいになっていたときのエピソードを聞いて納得しました。

私は幼少のときは音楽、中学生から短大がアート、その後哲学や文学に興味が進んで、社会人になってから勤めたのが電子機器メーカー、広告代理店、グッドデザインなブランド、そしていちばん最近では、薬学の研究室でのお仕事でした。
会社や職場のどれもがある程度著名なのですが、家族や会社や取り巻く状況の諸事情があったりまたその影響を受けたり、自分の力ではどうにもならないことだってあり、期間が短いということで世間的にはかなりいい加減なやつなのでは・・・?という評価を受けてしまいがちではありますが、そんなことをももろともせず茂木先生の概念からはどれも肯定的に話せることにつながり、自分をどう思うかというところが変化しました。
いつも感謝しながら読ませていただいていますが、朝起きぬけにこのようなことばを続けてお書きになるということも、とてつもなくすごいことだなと感じていますが、一晩寝かしたりなさるんですか?

大変ことば足らずですが、今後も楽しみにして読ませていただきます。

投稿: | 2007/05/11 10:59:14

「ギャップ・イヤー」「ギャップ・ライフ」が、広まったら素晴らしいですね。
私は、個性化を経験しました。
その間、生活は破壊状態。。。
そして、天涯孤独。。。
個性化というサナギから脱皮したときの、なんと素晴らしいこと!
「ギャップ・イヤー」「ギャップ・ライフ」の習慣は、必要だと思います。

投稿: sae | 2007/05/11 5:34:59

>>
仕事以外の時間は 無機的な事とか物に触れて

過ごしていたいの 虚ろに していたいのよ


後段は 私の受けのセリフと重なりますが・・

彼女は そんなことを私に さりげなく言うので

内心 その「可愛さ」を 見直してしまったのだった
(そう言うこというと本人は怒るかな)


塩谷賢 というツワモノ(失礼・・敬称略)・・

というか 正真のノマドロジスト!(こんな言葉あるのか?)

モーツアルトやカサノバ、はたまたディヴィト・ボウィに

比肩する大旅行家 いよっ 会ってみてえなアどうも

(笑)・・の話を聞いて いろんなことを想像するんだけど

そういえば ついこないだ 小説新潮掲載のインタビュー

で 井上陽水は 「何物にもならない」のが理想だと

言ってたっけ


さて いろいろ話は尽きませんが・・

>>きのうのつづき

ゆくえしれず 魂SPRITSの消息をめぐって

・・・ 深い余韻を残して 曲は 終わる

私は 朝な夕なに この曲と次のNew Kid in Town

を聴いては 涙をぬぐう毎日である  

そう いつでも好きな時にチェックアウトはできる

でも 私たちは「そこ」から逃れ出ることは

立ち去ってしまうことは できない ネヴァ!


彼らはこのホテル・カリフォルニアを アメリカに

あるいは 宿命の女ファムファタアル=魔性の女

・・に見立て 歌っているのだろうか

そこでハイクウォリティなホスピタリティを享受すればするほど

浮世はまさしく 憂き世 非現実感を増してゆく のである

であれば なおのこと 私たちは 「そこ」から けっして

逃れることは できない

そして やっかいなことに never ever love

永遠とわ の愛など この世に存在しない するわけがない

のである

♪ふたりして 夜に 漕ぎ出す けれど

 誰も 愛の国を 見たことが ない

 淋しいものは あなたの 言葉

 異国の 響きに 似て

 不思議

           高橋 真梨子 桃色吐息

BGM で リスト の ため息 が 聴こえる

南側一面のガラスを隔てた 緑滴るカフェテラスの向こうに

フェスティバル・ホールが 見える

(吉田 都さーん)

2007.5.4 Lobby Lounge GLASS UMBRELLA にて


結局のところ

逆説的に 言い換えれば

私は 「囚われ人」=プリズナー であること

を 受け入れることで つまりは その「制約」(誓約?)

を 甘受することで はじめて 魂の自由を 精神の安息を

得ることが できるのに違いない

誰よりも高く 翔ぼうとする鳥が

「空気の抵抗」「重力」を受け入れることで

より速く 高く飛翔する 「術」を 身につけるように

・・
異質なもの が 

互いに その輝きを 交換し合う 世界こそ

その響き合う ざわめきこそが かけがえなく

いとおしく うるわしい・・


私は そんな宇宙に 生きている

Across the universe!!


 

投稿: 風のモバイラー&野村和生 from nomgroove.com | 2007/05/11 3:38:42

茂木健一郎先生は、一般社会の中においても働き者で、
塩谷賢殿というお方は、一般社会の外にいても働き者
でいらっしゃると思いました。

地球の内部にある塊も、真空も、海の生きものも、
それ自身完結しているところが美しいと思いました。

組織や人々とのお付き合いの中に生きていても、
組織に属さずにギャップ・ライフを生きていても、
人間として孤立せず、でも、精神は孤独であるような人々が、
豊かでないはずがありません。

私は、組織の中で働かされているときには働き、
そうでない日はギャップ・デイとなります。
おそらく、社会的身分も 経済的事情も、
決してまともではない状況にいます。

パート勤務者でも、組織の中で活躍しながら、
組織を離れると 全く他の役割を果たす、という、
いくつかの「異なる文脈に自分を置く」生き方を
やってのける、有能な方々がいるのは知っています。
でも、私はそんな人種ではなく、
組織にいるときは自己が休み、
1人でいるときは仕事を休んでいる、
みたいなことにもなりかねません。

でも、ささやかながら、
どこにいようと自分は自分なので、
日々の作業での自分なりのこだわりとか、
心のギャップ・スペースを選択する自由とかを
守っているところだけはあるのかなあ
と思います。
クオリア日記にお邪魔するのも、
それに準じる1シーンになりつつあるようだと
感謝しております。

投稿: u-cat | 2007/05/11 2:00:51

一人旅の魅力は自分のことを誰も知らない。自分も道行く人たちの誰をも知らない。道行く人たちは自分のことを誰も見ない。まるで透明人間になったような気持ちでいられることです。「ギャップ・イヤー」素敵な制度ですね。
さて、まことにやっかいなのは「ギャップ・ライフ」です。「自分が何によって知られたいか」これは食欲・性欲に決して劣らない人間の「欲」ではないでしょうか。これは動物にはありません。NHKの「プラネット・アース」を見ていてもそんな動物は皆無でした。陸・海・空の全ての動物は、食べること、雄と戦って雌を奪うこと(子孫を残すこと)それしかしていません。なぜ人の脳だけには、自分の存在を知られたい(そうでなければ死んでしまう)ほどの欲求が準備されているのでしょうか。

投稿: ダンテス | 2007/05/10 23:07:09

イギリスでギャップ・イヤーが認められる背景にはイギリスのエリート
養成校がほとんど寄宿学校の形態をとっている(?)こととも関係があるのではないでしょうか。
寄宿学校で冬でも窓を開けっぱなしで就寝させるなど徹底して不合理な目に遭わせ、自分の中に他者への服従心を生じさせる。
その一種の解毒剤としてギャップ・イヤーが認められているということはないのでしょうか。

生きていくために人間は衣食住が必要でしょう。
必要最小限度の経済的、文化的基盤を持たない人間にとっては「ギャップ・ライフ」という主張も絵に書いた餅に過ぎないと感じられてしまうことでしょう。
私は、ギャップ・ライフという主張にもう一つクオリティ・オブ・ライフという視点も加味したいと思います。
生涯食べていけるだけの最小限度の経済的、文化的基盤を持たない人間
でも、一定期間であれば、食べていけることが多いことでしょう。
人間以外の生物にとって、天寿を全うすることは自明の理ですが、
現代において、人間は必ずしも天寿を全うする必要はないように感じられます。
余生は怨霊にでもなって生きるとしますか(微苦笑)。

投稿: naritoku | 2007/05/10 22:42:08

塩谷さんって、何だか美しい自然と、生きかたとリズムを同じうして、生きておられるんだな…。まさにギャップ・ライフ(空白人生)をまっとうされようとしている。さすがはおしら様、である。

「普段」という文脈の中に埋没していて、なかなか、それとは違う文脈の中に身を置くことがしにくい私達からして見れば、おしら様のギャップ・ライフは非常に羨ましい生き方のように思える。

しかし一般人は、そういう生き方はまるでホームレスのようだといって忌み嫌う。でも、これからはそれではいけないんじゃないか。未来を生きられないんじゃないか?

21世紀になって久しいのに、まだまだ前近代的なあらゆる概念にとりつかれがちな、極東の離れ小島の我等住民は、人生もしくは生活時間に隙間を空けることを嫌う傾向にある。言いかえれば、人生の空白を、罪悪のように考えているのだ。それで、如何しても隙間を埋めてしまう。あまりに隙間を詰めすぎて、生きる時間が汲々としたものになってしまい、息が詰まったようになってしまう。最悪の場合は自ら命を絶つこともある。


兎に角日本人は、人生の空白を怖れるあまり、それを埋めようとしすぎる。隙間…ゆとり…空白…ギャップがある事が、まるで自らを堕落させてしまうことであるかのように。そういう習慣が染み付いているこの国土世間では確かに、英国流のギャップ・イヤーを貫くことは難しい。ましてや塩谷さんのようにずっとギャップ・ライフを貫くのは我々には不可能に近い。

しかし、人生に空白があることは、人間を堕落させるどころか、人生をかえって生き生きとさせる効用を持っているのだと思う。


せめてはギャップ・イヤーとはまでは行かなくても、何時もの生活パターンと違う「文脈」の世界に、仮令ギャップ・セコンドでもいいから違う世界に隙間をつくってそこに己を投じる時間があれば、心が豊かになり、生きる気力もかえって湧くだろうし、何より多少ナリとも瑞々しいものが生まれるのだろうなァ。

世間の呪縛から自らを敢えて解放し、たった一瞬でも、違う文脈世界に自分を置く空白つきの生き方が、コレからはきっと大事なものになるだろう。

いや、人生を有為に行きようとすれば、それはギャップ・ライフにおのずからなっていくのかもしれない…。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/05/10 22:23:16

昨日聖なるものを見て書き込みたかったけれでも、当地ではフューチャリスト宣言を入手できなかったのと、元気が無くてやめにした。今日はフューチャリスト宣言も地元の本屋で買えたし、田坂広志さんのプロフェッショナル進化論の音声ファイルを聞いて少し元気が出たようだ。ウエブ2.0革命とギャップライフはバランスを取る意味でもいいのかな。北国の遅い春にようやく桜が咲き始めている。北辺の地で知的革命の成果を味わいながら次なるステップを模索している。

投稿: 福地博行 | 2007/05/10 21:11:26

塩谷賢さん。あの風貌には、とても親近感を感じるなぁ。

私もどこにも所属せず、ふらふらとした人生を送っている。
おしら様とは、知性の点でかなりの開きがあるが・・・。

人生の節目に選択をしてこなかった結果なのか、逆に選択
してきたたからなのか、自分でも定かでない。

人がこの世に生きているということは、ただそのことだけで
何がしか他者の役に立っている。 その人が有為、無為と
は無関係である。このことは疑いようが無い。

**

アジールなんて今の日本にはもうどこにも存在しません。
一人ひとりの魂の中に打ち立てるしかないんですかね。
アジール権を確立せよ、とアジる人、誰かいませんかネ。

投稿: hashimoto | 2007/05/10 17:32:46

ごはんがおいしい。なんにも入れないのに。かきまぜること、待つこと。 水とお米の関係に少しの心配りをするだけで、びっくりするぐらい変わったから。あとはいつもどうりお鍋で炊くだけなのに。感謝しています。あの番組に。  お米の文化で育った事も幸せのひとつ。田に水が張られて、空が映って、ちいさな苗のうえには天空だけが広がって夜には星座が渡ってゆく、こんなことを繰り返してお米も人も今日まで繋がってきた。ギャップイヤーの方も、ギャップライフの方も、それを目指される方も、そうでない方も、食べずには生きれない。その時の日々の生活がどなた様に支えられているか、忘れないでいる事も大切なのでしょう? 属しても属さなくても独りでは生ききれないのが「ひと」として生きることなのでしょうか?
昨日はとても暑くて、今日はひんやり、温度差に戸惑う。おからだくれぐれもご自愛くださいますよう。

投稿: 井上良子 | 2007/05/10 9:57:43

茂木先生、いろいろな意味で、学べてます。

投稿: tomoko | 2007/05/10 9:30:36

茂木さんに「ホープフル・モンスター」を教えていただいたとき、
自分が生きていてもいいのかもしれない。
しかも、ハッピーに生きられるかもしれないという気がしました。

「ギャップ・ライフ」もまた、私に勇気をくれます。

自分にとっての「聖なるもの」を持ちつつ、「ギャップ・ライフ」を
生きる、これが人生なのかもしれない、と思うと、
いわゆる「世間」の感覚と相容れない自分、
今、「日本の世の中」の谷間に落ち込んでいる自分、
これからの一歩を迷っている自分、
について、今までと違う感覚で考えられそうです。

きっと、そんな風に生きると、
現実は想像以上に厳しいのだと思いますが。
しかし、自分の感覚を偽って生きることでは、
自分が生きていることにはならないのだと思っています。

投稿: aki | 2007/05/10 9:01:22

茂木先生のギャップ・イヤーのお話はいつも勇気づけられます
僕自身、酷い人生を送っておりまして
このたび、とんでもない落とし穴にはまってしまい
めでたく1ギャップ・マンスをとることになる模様です
(もしかしたら、そのまま、それがギャップ・ライフになるのかもしれませんが)

酷い話、方々で“ニートもどき”となじられる日々も
ギャップ・イヤーと思えば随分楽になります

昔、「ニートをうらやましがるな」という過激な理論を
方々で展開したら随分痛い目に遭いまして
(ニートは痛くて哀れなヤツなのだから、憎悪の対象になるのはおかしい。みんな、日々の忙しさ等からくるストレスをぶつけているだけだ。っていうか親とかでない限り、直接迷惑は掛けていないはずじゃないのか・・みたいな)
いやはや、落語の世界の与太郎は何処へ行ったのでしょう

まぁ、でもしかし、塩谷さんのような才能と運がある人でなければ
生産性のない生き物は生きていけないので
どうにかしなければイケナイのでしょうけども・・

投稿: 後藤 裕 | 2007/05/10 8:42:55

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