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2007/05/23

自己隠蔽文

Lecture Records

茂木健一郎
東京芸術大学美術解剖学講義
『自己隠蔽文 理論と実作』

2007年5月7日
東京芸術大学上野キャンパス

「理論」 音声ファイル(MP3, 10.5MB, 11分)

「実作」 音声ファイル(MP3, 56.0MB, 101分)

5月 23, 2007 at 10:13 午後 |

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 ◆一体、光母子殺害事件で差し戻し審初公判が24日、広島高裁であったが、弁護団の「傷害致死」の殺意がなかったとの主張を最大限、聴く耳を持って受け入れようとしても、その理由があまりにも、飛躍、説得力がなく、一歩、二歩も譲って、仮に僕を「死刑廃止論者」の立場... [続きを読む]

受信: 2007/05/25 12:05:54

コメント

授業面白いですw

東京物語の、あのシーンを
私は「それを言うのは親のエゴじゃ」の方に目が
向きましたが

先生は「しがない町医者」のセリフの方に
目が向くんだな、
へー、と思っていたのですが

その視点から美しさを見出して、
実践するという授業の流れに、
なるほど、面白い!と思いました。

だって、「親のエゴじゃ」からでは
私は何の実践も出来ないからです。

そっか、
「親のエゴを求めてはならない」という視点は
「しがない町医者と思うこと」を隠すから
こそ、というわけであって、

「哲学的」な回答ではあっても
「美の表現」への実践にはならないってことか。

文脈(国語)についてではなくて、
美の分解という視点なんだな

そっか、そっか、
あー、そうかー

と、
勝手に思うてみましたw

何言ってるんだ、いまさら
と思うと思いますが
私はひとりで、また、すごいなーと
感心しておりましたw

みんなソレは当たり前のように
わかっていることなのかしらん。
私はいつもオロカを晒しているのかしらん。
基準が理解できないので、迷いますが
ま、いいかw

私の自己隠匿文ですか?
知ってらっさると思うのでパスです。
書き読み共にセンスないっす。

はー、
直接表現したーいw

芸大の生徒さん達はやっぱりセンスいいですね。
たとえライトな隠匿文だとしても
光に溢れている優しい表現が好きです。

投稿: kerokero | 2007/05/28 20:26:24

未だに「理論」ファイルしか聞けない時間のやりくりが下手な亀のあすかです。

とても面白かったです。10分の間に私もポエム風に書いてみました。
書いたものはある体験をしていた数年の時期に絞って書いたつもりでしたが・・・。

笑ってしまいました。あちこちに自分の今までの思い出とか、体験とか、
思想とか・・・たった数年の間の出来事が、自分の人生の縮図になっていることにビックリしました。

でも、もしかしたら、今の瞬間と言うものも人生の縮図からできているのかな~。
なんて、ふと思いました。

投稿: あすか | 2007/05/25 20:36:13

面白い洞察でした。隠そうとして隠れるものはたわいもないことで。
隠そうとしても、しなくても、どうしようもなく、やむにままれず、表出されてしまうもの・・。それがほんとの隠蔽なのかな?

投稿: 井上良子 | 2007/05/24 17:30:48

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