ボクたちのくさりがま
わっせわっせと大手町に
行く途中で、約束の日を間違えて
いたことに気が付いた。
呆然として、日経サイエンス編集部の
糸屋さんに「へへ、間違えて
しまったんですよ」と連絡して、
笑いで少しは元を取ろうとしたら、留守だった。
仕方がないから、物事を
考えながら久しぶりに本屋に行った。
OAZOの中にある丸善。
ここのところネット書店ばかり使って
いたが、久しぶりに物理や数学、そのとなりの
生物の売り場に行って、
リアルな本が圧倒的な並列性で囲む
臨場感に圧倒された。
ボクは、ネットは取り敢えず
グーグル、ユーチューブのような
データベースで良いのではないかと
考えている。
中途半端なヴァーチャルリアリティは
役に立たない。
Second Lifeのようなものは、
一時期のcuriosity valueで終わるのでは
ないかと予想する。
私たちは立派な身体性を持っている
のであって、
むしろ欠けているのは圧倒的な
データベースと、相互リンクに基づく
情報の「圧縮」である。
インターネットには、取り敢えずそれを
担当してもらう。
当分はそこが主戦場ではないか。
身体性は本当のリアルに求めれば良い。
大宅映子さんにお目にかかる。
中心にすっくりと芯が通っている。
甲野善紀さんとお話する。
甲野さんの提唱されている、
身体の筋肉を並列的、総合的に
駆使する武術についていろいろ
考えているうちに、ああそうかと
気付いた。
脳と身体を二項対立的に
考え勝ちだが、むろん脳も
また身体であり物質である。
それが自然法則に従うシステムである
以上、脳髄とても自由ではなく、
そもそも自由意志があるのかという
問題に直面する。
脳の中にも当然「身体性」はある。
それは、私たちの精神のembodimentである。
甲野さんの言われる、単一の筋肉を
マシーン的に鍛えるのではなく、
同時並列的に柔軟に用いて、
その結果神業的な仕業をするということは、
脳にも当然ある。
総合的知性とは、つまり、
脳という身体を同時並列的かつ柔軟に使い
こなす、その身体運動のことを
指すのであろう。
そう気付いてみれば、何だ
そんなことかと思う。
脳と身体を二項対立的に語る
議論が、一見わかりやすいようでいて
実はうさんくさいものであった理由が
ここにある。
甲野先生と床の間で記念撮影。
夜の会合。
桑原茂一さんがとても元気で瞠目した。
くさりがまを振り回し、槌で壁を壊し、
えいやえいや、
「そりゃあやるしかないでしょう」
「そこを突破でしょう」
「ターゲットは決まりましたね」
などと、頼もしいお言葉の数々。
モイチさんの気合いは、ボクの今の
気分と呼応する。
ものわかりのいいことばかり
言ってもいられない気がする。
ざけるんじゃねえよ。
もうこうなったら、ブンブンだぞ!
金沢の田森佳秀があまりの仕事の
忙しさに元気がないというので、
今度励ましに行きたいなあと思う。
ボクたちのくさりがまよ、
天まで届け!
5月 17, 2007 at 08:44 午前 | Permalink
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» ネットやWEB2,0について考えてみる トラックバック 後藤ゆたか WEB2.0に挑戦(仮
更新をこまめにしなければイケナイとしても 一日数回の更新はクレイジーだ 俺にそん [続きを読む]
受信: 2007/05/17 9:49:14
» 心と脳、そして身体 トラックバック おやじのぼやき
茂木健一郎 クオリア日記: ボクたちのくさりがま茂木さんの解釈は面白いし、上手な表現だと思う。このブログからの引用である。
甲野善紀さんとお話する。
甲野さんの提唱されている、
身体の筋肉を並列的、総合的に
駆使する武術についていろいろ
考えているう....... [続きを読む]
受信: 2007/05/17 20:05:24
» 表と裏…オモテとウラ トラックバック なんでもあり! です 私の日記!!
ところで、土居健郎氏は精神科の臨床家であり 一般向けに、と書かれたのが 「甘えの構造」であり、「表と裏」である。
昨日の「甘えの構造」についで、今夜は「表と裏」について 少しばかり(簡単な紹介程度に)書いてみようと思う。
*
この本は、「甘えの構造」を下敷きに、 「表と裏」「建前と本音」の観点から現象を捉え、 社会の中の人間、秘密の意義(心と秘密など)について 書かれている本である。
まず字面の点でいうと、本書の中で彼は 「表と裏」と漢字を使っていない。 そこで... [続きを読む]
受信: 2007/05/17 23:49:02
» 松坂とワーグナーの共通点 トラックバック Progress
松坂大輔は、、「東陽フェニックス」という少年軟式野球団に入団した小学校3年
生当時、コントロールが悪く、エースにはなれなかったそうです…。
ただ、強肩と打撃センスは光るものがあったようで、遊撃のポジションについて
いました。
またワーグナーは中高等学校に入るとき、希望する6学年に入るのにも成績が足り
なかったために、やむをえず5学年から入学となった過去があります。
彼は音楽以外とにかく勉強嫌いだったんですね…。
ところがみなさんもご存知のとおり、松坂大輔は投手として総年俸6年で5,200万... [続きを読む]
受信: 2007/05/18 5:42:30
» セカンドライフは流行らないと思う トラックバック torahouseノート
米国やら欧州では流行っているそうだが、 日本でセカンドライフが流行るというのを、ミクシィ(mixi)が流行っているレベルで捉えるとすると、 流行らないと思う。 大手企業側は、早く飛びつきすぎだと思う。 日産自動車、ブックオフ、 mixiまでが進出したのには驚いた。 そ..... [続きを読む]
受信: 2007/05/24 16:41:51
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コメント
おに~のパンツはいいパンツ♪つよいぞ~つよいぞ~♪
この歌がふっと思い起こされます。お写真の茂木けんいちろうさん。
無邪気で、屈託のない、憎めない赤鬼さんに見えました。
逆立った御髪は雷をも発生させる、パワーが常に放出されているからですね。きっと。
投稿: 平太 | 2007/05/19 14:17:32
すこし話がずれますが・・・
茂木先生はネットゲームを実際にやったことがおありでしょうか。
いくつかのネットゲームには聖剣「エクスカリバー」が登場します。
エクスカリバーは
①知名度が高く、響きがかっこよい
②見た目が良い
③性能が良い(ネットゲームにおけるLVUPの効率が良い)
④希少性がある
ため、ゲーム内でも効高価で取引され、いわゆるRMT相場でも下手をすれば10万円以上の値段が付いたりするようです。
このゲーム内でのエクスカリバーに対する消費は記号消費でもなければ
クオリア消費でもなくポストカルデジアン消費でもないような気がします。
記号消費では世間が価値を認めているか否かが大切ですよね。
世間とは参照グループのことです。
ネットゲームという匿名性に支配された閉じられた世間でのみ価値を認められる聖剣エクスカリバー。
ネットゲームは今後どういう方向に進んでいくのでしょうか。
投稿: naritoku | 2007/05/18 21:01:59
おはようございます。
先生の優しさがレベルUPしているようなw
もしや先生は甲田先生のご指導を受けた
のですか?いいなー。
白いTシャツが新鮮ですね。
モサモサがラブリ~♪
私は仕事しながら、竹内まりや中森明菜
中島みゆきを連続で聞いてブルーになりました。
自分の心を自分で弄ぶ
不幸恋愛快楽中毒に聞こえる。
同じモテアソビでもウタダの歌詞は
レベルが高いですね。
流石恋愛戦士のサラダ。
前頭葉がカッカしちゃいますけれど。
社内iTuneは視聴天国。
以前先生がワーグナーのアカデミズムの
話をされましたが、
ポルノグラフティーの「アゲハ蝶」の歌詞が
ニーベルングの指環を思い出させるんですよ。
何故「盾」や「火の粉」なんだろうと思って
いたのですが、どうやらワルキューレの
ことみたいです。
「世の果てでは空と海が交じる」もそうかも、
と思っています。
この曲の歌詞が、私のここ数ヶ月の気分と
呼応するのでチャンスがあったら
是非聞いてみてくださいね!
今日はいいお天気ですね。
素晴らしき音楽のような一日に
なりますように。
投稿: asaborake | 2007/05/18 5:43:13
あなただけ こんばんわ
灼けたトタン屋根(失礼・・)じゃない ご主人の命令で言いますけど
「幸せの黄色いHONDA BEAT」の下の猫です 楽しそうな酒盛り!?
おいらも喉がなるにゃん・・なんてくだらない事いってると
あのひとの下駄が ヌンチャクが くさりがまが 飛んできそうなので
早いこと 言っときます あの 言いにくいけど たまには
流石 僕のこと案外気い使ってんのかなああ見えてもなんてことが
最近・・。僕・・だなんてついアラタマッチャッテ おいらの
ねぐらのBEAT に旦那さん♪(あっヨイショっと 月の家円鏡さん
お元気かな?)日よけの屋根こしらえてくれてさ うれしいじゃねえか
どうも 本田宗一郎さんと前のオーナーさんに敬意を表してだよ
バカヤロウなんて 照れてたね そおいうとこ憎みきれねエンだよ
にゃああ♪ あっあ痛て!!痛てててててててっつ!!
なにしやがんでい!!ひとが というかこの猫のなかの猫といわれてる
このおいらが褒めてるのによおお このごくつぶしのひまつぶしの
ひつまぶしの 嗚呼腹減ったぞなんか喰わせろこの二階の厄介
ヤロウにゃろめっ!!ニャロメの旦那に言いつけるぞ!!
おいらのくさりがまも天までドドクニャ嗚呼♪
5月18日 夜更けの
幸せの黄色いHONDA BEAT の下の猫 より
投稿: 風のモバイラー&野村和生 from nomgroove.com | 2007/05/18 3:21:24
まさに私も今日OAZOの中にある丸善に行きました。お会いできなく残念です。そこのすぐ近くに、10人ほどしか入れないフォーの専門店があります。立ち食いそば感覚ですぐに食べられ、しかもとても美味しいフォーですので、今度ぜひご賞味ください。
さて、「Second Life」私はこのクオリア日記でいつか話題にするだろうな、その時に茂木さんが良く評価したら茂木さんから離れようと思っていました。なのでほっとしました。私は一時期のcuriosity valueで終わるのではないかとは予想しておらず、もう少し悲観的で、それこそ「first Life」になってしまう人たちが多く出てくるのではないかと危惧しています。
人(脳)は腰痛や胃痛にもたやすく影響されますが、「Second Life」には腰痛や胃痛もなく、雨に濡れる冷たさもなく、風が頬を撫でる感覚もなく、無い無いづくしですが、「それがなにか問題あるの??」という人たちが多く出てくるようで、とても心配です。
投稿: ダンテス | 2007/05/17 21:08:49
そもそも、脳と体を2つに分けるという議論なんて、どこかナンセンスだし、第一、不自然だ。
脳と身体は一体だ、と見たほうがむしろ自然で、何より実際、自分達の姿を見れば、頭部と身体が一つになっているではないか。
所詮、脳もまた身体の一部であり、物質である以上「同時並列的かつ柔軟に使いこなす」ことにより総合的知性を身につけていくことが大切なのだろう。そしてそれは、必ずしもネットにつながってやるというものではない筈だ。
ネットに張りついて情報を集めて閲覧するばかりでは、やはり総合的知性という「身体運動」はできにくいかもしれない。
現実世界の本屋に沢山並んでいる様々なジャンルの本を読んだり、また、リアル世界のいろいろな「本物」に触れることで、脳を柔らかく弾力に満ちたものにできる。
それをすることが「総合的知性」という「脳の身体運動」をすることなのだろう…。
ネットは取り敢えず、グーグルとユーチューブのようなデータベースで良いという、茂木さんの意見に大賛成。セカンドライフなんて、よけいな仮想世界はいらない。ネット世界にアクセスするのと現実の世界を行ったり来たりすれば、それで十分、御の字だ。
この世の莫大な情報とデータベースの集積および圧縮はネットにほぼ任せておいて“本物の知性”を磨くのはリアル世界で堂々とやればよい。
天に向かって勢い良く、ブンブン!とくさりがまをふりまわしながら!
投稿: 銀鏡反応 | 2007/05/17 19:36:59
大学4年の果汁1%以上と申します。
今日の記事は笑わさせて頂きました。「ざけるんじゃねえよ。もうこうなったらブンブンだぞ!」がとても心に響きました。
『脳の中にも当然「身体性」はある。それは、私たちの精神のembodimentである。』と言うのは、立派な脳の身体性は仮想ではない私たちの精神という名の物質であると言う事でしょうか。
いつになったら私たちは自分の存在を認めることが出来るんでしょうかね。また「自分」なき自分を理解できるようになるんでしょうかね。
もしかすると一番大切なのは科学や宗教などを認めることよりも、バーチャルであるはずの「脳の身体性」をバーチャルでないと認めることなのかもしれません。
投稿: 果汁1%以上 | 2007/05/17 10:00:17
くさりがま、って実在するんですね
というか戦えるんですね
でも、どうやって刀の侍に勝てるのか想像も付きません
変な形ですし
投稿: 後藤 裕 | 2007/05/17 8:55:22