『音楽を「考える」』増刷
5月 10, 2007 at 07:31 午前 | Permalink
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» 脳科学者の放言 トラックバック 音楽、ときどき哲学
厄介な仕事が一段落、あくびが出てきた。
脳科学者と作曲家の対談集:『音楽を「考える」』(茂木健一郎/江村哲二、ちくまプリマー新書、2007)という本は、全体として非常に面白い。
私自身が音楽のプロ(レタリア!)であるとともに、脳科学を含む理科系の領域にも興味があるし、文科系の文芸や哲学にも親しんできたからだろう。
ただ私の嫌いなJ・ケージが出てくるので、そこはサッと読み飛ばす。
それと一面的な発言が随所にあって「ウン?」と思う。先に書いたフジコ・ヘミングなどがその一... [続きを読む]
受信: 2007/05/14 19:22:06
» モーツァルトはスゴかった? トラックバック 音楽、ときどき哲学
さて、茂木センセは言う。何かを世に問うて名を成した人は皆、「聴く」という態度を持っている気がするんです。一方で、一流まで届かない人は、それができない。K465のこういう音も、モーツァルトが作ったものを聴いて初めて外から入ってくる。自分の内側に、触発される何かがあるとまだ気づいてないわけです。(茂木健一郎/江村哲二『音楽を「考える」』ちくまプリマー新書、p. 34.) K465とはモーツァルトの弦楽四重奏曲で通称「不協和音」と呼ばれているもので、曲初の部分の雰囲気が、当時としては不気味な響きと雰囲気... [続きを読む]
受信: 2007/05/14 22:57:08
» モーツァルトの「すみれ」を聴きながら・・・ トラックバック 音楽、ときどき哲学
いつものようにNHK・FMを流しながらPCの前に座ってキーボードを叩いている。今日はいつになく時間が取れそうだから、少々長くなるかもしれない。
モーツァルトの「すみれ」。短い歌曲だが、この曲の完成度にはなかなか到達できない。
昔、ゲーテの同じ歌詞にメロディーをつけたのを同僚に歌ってもらったことがある。歌手にとってもモーツァルトのこの曲には快感を感じるという。「やはり天才だったんだ」と引き下がるほかなかった。
(BGMがシューマンの「女の愛と生涯」に変わった・・・)
... [続きを読む]
受信: 2007/05/15 21:50:18
» フジコ・ヘミングは演歌調? トラックバック 音楽、ときどき哲学
ってなことが書いてあって笑ってしまった。『音楽を「考える」』(茂木健一郎/江村哲二、ちくまプリマー新書、2007、p. 106-107.)
「クラシックは『ブーム』たり得るか?」という一節だ。作曲家の江村氏は次のように言う。フジコ・ヘミングのピアノというのは、ショパンを弾いてもリストを弾いても、メロディがガシッと大きくあって、そこに和音がペタッとくっついているような、特殊な弾き方をしています。クラシック音楽の原則としては、作曲学的にもメロディと和声とが渾然一体となるものとされていますから、... [続きを読む]
受信: 2007/05/15 23:15:01
» トラックバック失礼いたします。m(_ _)m トラックバック 音楽人のための音楽業界攻略法!
初めまして、いつも楽しく拝見させていただいてます!^^
実はこの度、
『音楽人のための音楽業界攻略法!』
というサイトを立ち上げましたので
トラックバックをさせて頂きました。m(_ _)m
手前味噌で大変恐縮ですが
非常に有益な情報をご提供できると思っておりますので
ぜひ訪問いただければと思います。
万が一不要な場合はお手数ですが削除ください。
これからも応援させていただきます!^^
大変失礼致しました。m(_ _)m
... [続きを読む]
受信: 2007/05/25 0:02:23
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コメント
エピソードが豊富で楽しめました。
一方、新書での対談とは言え、江村さん=今を生きる作曲家、の判りやすくて専門的な(そういうのはどの分野でも不可能と知りつつも)意見を期待していた者にとっては不満足な本でした。
楽曲解説本の分析は無味乾燥やし、ブーレーズの『徒弟の覚え書き』レベルは私のような素人にはキツイし、お二人にはその中間レベルの続編を期待したいなあ。
時代と音楽という意味で、私にとって忘れがたいのはペンデレツキの『ヒロシマの犠牲者に捧げる哀歌』でした。40年ほど前にラジオで初めて聴き、その後まもなく、黒のベタ塗りの帯で書かれた「楽譜」を見て、背筋が寒くなった。40年前といえば、原爆投下からまだ20年しか経っていなかった。
投稿: fructose | 2007/05/11 23:00:45