ジャンケンポーとばかり
鈴木健が研究所に来て、
ゼミで最近の活動を話してくれた。
鈴木健は、東京大学の池上高志研究室の
元学生で、
今はサルガッソという
会社をつくっている。
ボクは、鈴木健が紹介したnotaというものを
さっそく試してみた。
おもしろい。
http://nota.jp/trial/designer/?20070519090156
みんなも登録してやってみるとよろし。
これは、誰でも人の描いたものに
編集を加えられるので(wikiみたいなやつ)
ボクは最初にクジラを描いたのですが、
時間とともに他のものになって
いってしまうことであろう。
鈴木健は、picsyの頃から、
何かをずっと夢見ていて、しかし
貨幣というアプローチだけでは、
そのなにかがおそらく実現できないでいて、
最近のSNSとか、リコメンデーションとか、
関係性をインテリジェントに
扱う必要のある問題領域が出現して、
初めて何やらカチリと硬いものに
着地しつつあるように思う。
髪の毛が長かった。
「一年切っていないんですよ」
と鈴木健は言った。
ナニクソ、チクチョウという
気持はボクにもあるよ。
指揮の齊藤一郎さん、ハープの
篠﨑和子さんを交えて、江村哲二さんと
transmusic 2007の打ち合わせをした。
江村哲二さんと齋藤一郎さん
食事に向かう時に、
鉄道の橋の上にたくさんの人が
並んでいた。
サントリー音楽財団の
佐々木 亮さんは事情通である。
「あれは何ですか」
「ドーナツです。ずっとああやって
並んでいるのです。」
ボクは江村さんに言った。
「ボクだったら、列を作っているのを
見た瞬間にくるりと回転して方向を変えるぞ」
「私もそうです。」
「ボクの周りに、列に並ぶのが好きな人はいない」
「そうだそうだ」
「それくらいだったら、他の所にいった方が
ましだ」
「まったくまったく」
それから江村哲二さんは、今の日本には、
行列をつくるのが好きな人が増えているん
じゃないか、私たちは絶滅危惧種なのでは
ないかと言った。
肯いた私たちに、新宿の風は肩すかしをくらわせた。
電通の佐々木厚さんもいらして、
筑摩書房の増田健史、大場旦という
最凶編集コンビが登場した
あたりから、どうも座の雲行きはアヤシクなり、
ボクはまたしても増田健史と憲法問題
を論じてしまったのである。
ボクと増田健史とお酒を一緒に投げ込んでおくと、
色っぽい方向には全くいかないで、
ジャンケンポーとばかり
額にしわを寄せ、口角泡を飛ばして
憲法問題をギロンしてしまう。
全く、どうしてそうなるんだろう。
大場旦は、「増田さん、
もうこうなったら、飲み直しましょう」
などと言いながら、
ひゅーんとUターンしてきて、
「茂木さんはですねえ」
などとまたもやギロンを吹っかけるの
だった。
時間はさかのぼる。
新潮社の北本壮さんが韓国で出版された
『脳と仮想』を送ってきてくださった。
なんだかボクの本らしいが、
no to kasoというのと、茂木健一郎というのと、
Kenichiro Mogiというのと、1000というのと、
Qualiaと書いてある以外には全く読めない。
呆然として、しばらくハングル文字
について読み物をしてみたが、やっぱり
わからない。
途方にくれるというのは爽やかなもの
である。
私はいろいろと途方にくれ、
えいもう勝手にしろ、と思う。
きっと、大切なこと以外はどうでも
いいのだろう。
ただ、その「大切なこと」がなかなか
見えないから、人間はあっちでうろうろ、
こっちでへろへろしているのであろう。
やっぱりボクらは志をともにしている
のであって、
仲間たちとの絆だけが、人生を支えてくれる。
5月 19, 2007 at 09:45 午前 | Permalink
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( ‘Θ‘)ψ 養老先生のあとはこの人の本が売れそうねw
↓茂木さんのブログ
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--- 「甘えの構造」より---
『甘えるということは、母子分離の事実を
心理的に否定しようとするもので
甘えの心理が優勢であるという事は、
その陰に分離についての葛藤と不安が
隠されていると推理できる。』
----------------
つまり、このことは
アタッチメント(愛着)の話とも繋がってくるのである。
では、子どものアタッチメントを
どうやって調べるかというと、
相手が子どもである... [続きを読む]
受信: 2007/05/19 21:30:17
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『行動学入門』(三島由紀夫)の“学校のおわり”の章の中で、彼はこう記してい
ます。
本当の卒業とは、「学校時代の私は頭がヘンだったんだ」と気がつくことです。
確かに今の日本の教育は、社会の人々の間に構造化された不平等を助長しています。
実際、隠れたカリキュラムを通して、人間の価値観や行動様式などに注意を喚起
して、人間としてのあり方を枠付けしているところがあります。
そしてそのような中で、学校は、幼稚園から受け継がれる文化遺産をどれだけ自
分のものにしたかで選別し、学校を卒業するときに、... [続きを読む]
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コメント
い、今ちょっと前にやっと気付きました。。。
「憲法」と「ケンポー」に!
だじゃれだったんですね!!
油断していました。。。(笑)
投稿: まり | 2007/05/20 23:16:31
行列を作ると言う事は。。
日本人のブランド好きと繋がる気がします。
それは、単に品物だけではなく、何事においても自分独自の判断をしない、とりあえず隣の人が良いと言う物を良いと思ってしまう。という事と繋がる気がします。 unique である事を尊重したいなーーーー。
と思う人が絶滅危惧種でないことを祈る!!
投稿: sakuranomori | 2007/05/20 23:15:41
新宿のあのドーナツ店は一号店です。お客さんはどんな味なのだろうという好奇心から並ぶのでしょう。<私は並びませんが>並ぶ事は苦じゃないのですよ。「食べてみたーい」という好奇心はアリのままです。
投稿: 蒼い月 | 2007/05/20 18:17:52
私とモギタンとの共通点は、行列に並ぶことは恥ずかしいこと、と思っているところ。
多分・・ですが・・・。一寝入りして、こんな時間に目が覚めて書きました。
投稿: tachimoto | 2007/05/20 2:21:53
先日、行列ドーナツ店の「オリジナル・グレーズド」
を2個も食べました。
私も行列は大嫌い(並んで待っているだけの体力やこらえ性が
ないともいう)なのですが、人が並んで買ってきてくれたものは
ありがたくいただいています(笑)。
「自分のために並ぶ」ということは、まず無いけれども
「これを、お土産にもっていったら喜んでくれる!」
と思ったら並んでしまうかもしれません。
「並ぶ」ことによって、ありがたそうな付加価値もつけられるし…
いや、「人のために並んでいる自分」に酔っているだけ
ということになりかねないのですが。。。
最「凶」編集コンビの方々など安心してギロンできる
仲間に恵まれて幸せですね。
でも茂木さんと議論や口論をする人は、よほど覚悟しておかないと
生半可なことでは瞬殺されてしまいそうです!
私の場合、口ゲンカになった人と「目を合わせない、
口もきかない」という陰湿な手口で(結果的にそうなっただけで
わざとそんな手を使ったワケではなかった)
勝ってしまったことが過去にあるのですが(笑)、
茂木さんが相手では、それも通用しなさそうですね。
無視しきれずに、つい口車(?)に乗ってしまいそうです。
クオリア日記でも時折みせる、カワイイお茶目な一面を
見せられたら泣く子も「けんちゃん」には勝てません。。。
耳栓も用意しておかないとー!!
私がいい気になって「けんちゃん」呼ばわりできるのも
茂木さんが皆に対していい意味でのスキを
つくってくださっているからですね。
投稿: まり | 2007/05/19 23:19:38
先の私のコメントで言い忘れたことが…。
私は本当に好きな事物なら、行列してでも参加したり、手に入れたりしようとするが、それ以外なら蜿々たる行列を見るだけで、踵を返してしまう。
だから、実は半分、「絶滅危惧種」なのです。
投稿: 銀鏡反応 | 2007/05/19 21:55:06
来週土曜日は、サントリー音楽財団「トランスミュージック」、
大阪ですね。当日、聴きにいけたらよいのに、願いかなわず・・・。
皆々様、最高の佳き時間となりますよう、祈っております。
午前中に、nota、初めて参加。楽しい。。。元気になれた。。
幼稚園で、何畳分かの大きな白い紙を広げて、自由に好きなように
描いてごらん、とやっているうち最後には、形を塗りつぶしてしまい、
ただ、色紙になった、というのを、以前テレビ番組で見ました。
企画した人が、あれれ、と内心困ったような顔をしていたけど。
(でも、それはそれで、と思う。)
投稿: F | 2007/05/19 21:48:09
桑田佳祐 のROCK AND ROLL HERO を久しぶりに聴く
(このあいだ 圭祐と やっちゃって 失礼しました Mr.Childrenの
桜井さんも名前 間違いじゃなかったっけ?かさねてお詫びします)
・・なんでも勢いにまかせて書いちゃだめなのよな
それにしても 彼にとってのROCK AND ROLL HERO へのオマージュ
というコンセプト・アルバムだから?なの でもこのテンション
は尋常ではない 突き抜けたボーカリゼイションが炸裂しまくって
息を呑む まったくこの時期の桑田佳祐は 孤独の太陽 といい
鬼気迫るものがある なにか武モノノフ士 が憑依した状態
というか 歌う特権的悦びにあふれて いるのだ
で 最近の関心事:
桑田佳祐はいつ「桑田佳祐」になったのか
筒井康隆はいつ あの「筒井康隆」になったのか
茂木先生はいつ 「茂木健一郎」になりしか
そう たとえば ドストエフスキイ が「地下室の手記」での
「呪詛」 を経ることであの 誰もが知っている「ドストエフスキイ」
となった ようにである
投稿: 風のモバイラー&野村和生 from nomgroove.com | 2007/05/19 21:42:34
モーリス・メーテルリンクの「青い鳥」の童話が好きである。例え話としては、もうあまりにも使い尽くされ、手垢ベタベタな例えだが、それだけその話が真実を表している証拠ではないかと考える。
それならば「大切なこと」を探すのには、自分の周りだけに意識を集中すればショートカットできてよいではないかということも言えるかもしれないが、ここが人生の妙なるところ。さんざんあっちでうろうろ、こっちでへろへろしないことには、自分の近くの青い鳥が見えてこないから人生なかなかうまくいかない。
青い鳥は脳の何処にいるのでしょうか?それが見つかるプロセスは脳のどのような電気信号の旅なのでしょうか?近くにいたということは、電気信号の発信元のすぐ近くということでしょうか?場所的には近くとも、大いなる遠回りをしないとそこに着けないということでしょうか?
投稿: ダンテス | 2007/05/19 21:17:01
しつこくてすみません、しつこいのはなんか遺伝っていうかなんというかけきょくのところわたしの責任能力のnasaなんですけれども
はじりんや谷さんとかじゃせがわさんとかとかとかとかきりがないけど
カラオケいきたいー
投稿: 洋子 | 2007/05/19 16:46:01
茂木先生の憲法問題に特化した書籍はまだ出てないですよね。
憲法に関する書籍は売れ行きはどうなのでしょうね。
日常生活をおくる上では憲法はそこまで役に立たないでしょう。
興味を持つ人も限られてくるのではないでしょうか。
ネットゲームの話をもうすこしすると
おそらくどのネットゲームでも「茂木健一郎」という名前は既に使われていると思います。
「私が本人だ!」といくらネットゲーム運営会社に抗議しても無駄でしょう。
仮に新たにサービスを始めるネットゲームにすばやく登録し、「茂木健一郎」というキャラ名で最新の脳科学に関する説を紹介しても「ニセモノ」扱いされてしまうでしょう。
リアルの世界で同姓同名はありえる話ですが、ネットゲームの一つのサーバーではありえないですよね。
投稿: naritoku | 2007/05/19 16:43:35
クオリアを聖化しようとしているように、聖化するということは俗をきりすてようとしているような、そんなような誤解されているようにわたしにはみえるので、なまえを更新するていうのは、いかがなもんでしょう。
投稿: 洋子 | 2007/05/19 16:40:29
ミリカンの油滴、 海底熱水口、 クオリア、 言語ゲーム、 ホワイトホールの存在、 水素、 スケルトン、 正気と狂気 などの概念が矛盾なくうまく 意識と 志向性と 視床下部とか本能とか
野生と 理性が 拮抗 葛藤して (ベスト)な共生関係にもっていける というただ、ただ、気がします。 ただのイメイジでしかありません。わたしは勉強不足の精神病のこどももいない主婦(ヒモ)だしそれにようやく誇りをもてるようになりつつあるので
とにかく、わたしが茂木さんに願うことは、また、しおたにさんとかけんちゃんとかとからおけいきたいくらいのとこです
投稿: 洋子 | 2007/05/19 16:26:58
あ~ははは!
楽しく参加しました。notaちゃん。にぎやかで、明るい雰囲気になってますね!
私は朝、描いたおかめは、さっきみたら虚無僧だか、ゾウだか、潜水士だかになってました!
transu music行きます。
どんな時間になるか、今からどきどき緊張してきました!楽しみです!
投稿: 平太 | 2007/05/19 14:06:46
実は自分も、行列というやつが非常に苦手だ。
今年の四月ごろのある土曜日、半ドンの仕事を終えて、久々に東京タワーの展望台へ上ってみようと思って現地に来たら、これがまぁ「超」のつくほど蜿々たる行列・・・。
絶句。
結局展望台は諦め、ほかのアトラクションを見物し、1階の売店でパロディーTシャツ(例:缶コーヒー”BOSS”のパロディーで“BOZU"というロゴが書いてあるもの、など)や歴代総理の似顔絵湯のみなどの俗にいう「おもしろグッズ」を物色しただけで、タワーを後にした思い出がある。
展望台に上って、天空高く舞い上がった気分に浸りたかったのだが、なにせあの行列が・・・。如何やら、私も「絶滅危惧種」のようだ・・・。
「脳と仮想」ハングル版! 出たのですね。外国語版が、ついに。
タイトルは文字数からして「脳と仮想」とハングルで書いてある、というのだけはわかる。あとは何を書いているのか、わからない。
ハングルはなんだか異星の言葉のように思える。耳にした時に立ち上がるクオリアは、
平板な中にも、すこしひきずっている。
表紙も原語版と違い、
デザイン的に何ともゆるい感じがする。
でもハングル版が出た、ということは、茂木さんの「思想」が
いよいよ、世界へと広がり始めたということを感じずにはいられない。次こそ英語版が出ればいいな。
「大切なこと」は「どうでもいいこと」の奥に、我々にはなかなか見えぬ形で見事に隠蔽されている。だから“あっちでうろうろ、こっちでへろへろ”するはめになるのだろうね。
まぁでも、うろうろ、へろへろしつつも、必死こいてなんとか懸命に生きていれば、
「大切なこと」は私たちの前に、その“姿”を表してくれるんだろうなぁ。
人間、如何に生きるか、という信念さえ忘れなければ。
投稿: 銀鏡反応 | 2007/05/19 13:20:50