クジラやクラーケン
先日の東京芸術大学美術解剖学
の授業のあと、上野公園で
いつものように飲んでいると、
植田工がやってきた。
植田は、油絵科の学部の頃から
授業に出入りし、
布施英利さんの研究室に入り、
修士号をとるまで、
4年間ずっと授業やそのあとの
懇談などにおいて中心的な
役割を担ってきた。
初期のころ、「あるモノ」ばかり
描いているので「P植田」と
呼ばれていたうえだたくみくん。
私の芸大の授業は、つねに
P植田とともにあった。
うえだくんは、
修士論文を終え、無事ある企業に
就職し、4月から立派に社会人を
している。
その植田が、いつものようにニコニコ
ずんずんやってきて、
ボクと布施さんに、ほら、と包み紙を
突き出した。
なんだろうと思って開けて見ると、
Y’sのネクタイである。
真っ黒でスタイリッシュなやつである。
これにはボクは感激した。
社会人になって、お世話になった
お礼をするということなのだろう。
初月給、いろいろものいりだろうに、
植田くんありがとう。
さっそく布施さんと並んでネクタイを
した。
人は変わる。変わらざるを得ない。
それは時に寂しいことであるが、仕方がない。
そのふんぎりをつけるために、
儀式がある。
東京芸大という池をひょろひょろ泳いで
いた植田工が、大海に出た。
植田工くん、これからもどんどん
変わっていって、クジラやクラーケンになって、ボクや布施さんを
大いにびっくりさせてください。
ボク自身は、大学に学部4年+2年(学士入学)
+5年(修士、博士課程)の計11年いた。
ずいぶん親には迷惑をかけたから、
博士号を取得したその日、
授与式があったその足で「花ぶさ」
に行って両親とご飯を食べた。
ハカセとしての最初のご飯で
お礼をした。
もう随分遠い昔のように感じる。
人間というものは変わっていくものだが、
自分の中のアイデアもまたそうでは
ないかと思う。
あたためているアイデア、希望、
そいつらをどんどん進化させてやりたい。
生物において、「世代交代」
というものが、死ぬ個体にとっては
つらいことだけれども、進化のために
仕方のない儀式であるように、
自らの内なるイデーの進化においても
きっと儀式は必要である。
「小さなモンスター」を爆発的に
発展させるためには、
一体何が必要なのだろう。
ボクの人生は一回限りだが、
その中で、イデーたちは何回も
死に絶え、再生し、進化していく。
5月 13, 2007 at 08:29 午前 | Permalink
トラックバック
この記事へのトラックバック一覧です: クジラやクラーケン:
» どんでん返しが待っている トラックバック セレンディピティ 〜まだ見ぬ君へ〜
夜遅くに仕事から帰って、
更に遅くまで酒を飲む。
日常化した睡眠不足に拍車がかかる。
生きるということは、
睡眠との戦いである。
短いと不健康かもしれないが、
そんなこと気にしては活きれない。
職場ではさまざまな問題が日常化し、
会社にはそれぞれの悩み....... [続きを読む]
受信: 2007/05/13 9:34:18
» コラボレーションに感謝! トラックバック 須磨寺ものがたり
昨日5月12日は「神戸まつり」のメインフェスティバル「おまつりパレード」
や「サンバストリート」が神戸市役所前のフラワーロードであった。
残念ながら私は現場にはいけず、TV観戦。
好天に恵まれ、93万人を超える人たちが、訪れたという。... [続きを読む]
受信: 2007/05/13 15:15:19
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
聖なる蛙は井戸の中に居ながらにして天下を知ることが出来るようです。
タイトすぎる文脈は皮肉に聞こえてしまうのでしょうか。
投稿: naritoku | 2007/05/15 13:42:48
芸大の授業でおみかけする植田さんは、
ふわりとした雰囲気をお持ちでした。
ちょっと番外篇ふうの聴講者にも
さりげなく気を配ってくださるような。
植田さん、
潜在する大きな力を
これからも広げていってくださいね。
茂木先生も布施先生も、素敵にお似合いです。
投稿: kei | 2007/05/13 23:53:38
「小さなモンスター」を爆発的に発展させる方法を茂木さんはすでにお分かりになっているのですね。私にはそのように読めます。
大発明が生まれるきっかけに「実験の失敗」という例が少なくないという事実ではないでしょうか。
投稿: ダンテス | 2007/05/13 23:11:38
今日はNHKスペシャルで夕張市を見てとても悲しい。元気を出したくてこのブログに来ました。昨夜は狂ったようにライブハウスで演奏を聞いた後カラオケを歌ったのに不思議だ。何かをやらねばならないという直感はあるのに、それが見えてこない苛立ち。でも発酵するのには時間がかかるのだろう。最近は短い寿命の遺伝子が強かったら残り時間は少ないという気分と、でも待たねばならないという気持ちとグチャグチャで不思議です。イデーが出てきたらいいですね。
投稿: 福地博行 | 2007/05/13 22:07:37
変わっても変わらない大切な根っこ、残しておくのが生き抜くこつだと思う。
いま、「あるモノ」描いちゃったら、おこられるP植田さん。
描いても良かったのが、今はおこられる、(おこられますよね?)
この価値観の差の中で
生きていくコツをつかむのが、なによりの快感になると思います。
海って世間でも社会でもあるけど、時に自分自身だとも思います。
時に静かに、時にダイナミックに、悠々といろんな海を
泳いでくださいまし。
P植田さま。茂木さんは、いま、どの辺の海を泳いでいらっしゃいますか?
私は、まだ泳ぎの練習生で、そこいらの子供プールでばたばたしてます。
投稿: 平太 | 2007/05/13 15:34:08
おお!先日の例の講義後の飲み会に、あの植田さんがいらしたんですか!しかも、粋なプレゼントまで用意されて…。
そのプレゼント、ワイズのクロネクタイをされた、布施英利さんとのツーショット。
お二人とも、トテモ良い感じです。
このツーショットはさしずめ「レオナ―ル・フジタ(藤田嗣治)とカルチェラタンの風来坊の記念写真」…といった風に見えます。
閑話休題。
“生物において、「世代交代」というものが死ぬ個体にとってはつらいことだけれども、進化のために仕方のない儀式であるように、自らの内なるイデーの進化においても、きっと儀式は必要である”。
人は変わる。肉体的にも精神的にも、どんどん変わっていく。成長のたびに変化する。儀式というものを伴いつつ。
人が変わる方向性は千差万別だ。
茂木さんのように前向きにドンドンと(思想の「世代交代」も含めて)変わっていく人もいれば、後むきに変わっていく人もいる。
ともかく、人が変われば世も変わっていく。世界はそういう風に出来ている。
特に昨今はインターネットの登場の御蔭で、世界の変わるスピードが劇的に速くなったといわれている。それにつれ人の意識も常識も「世代交代」しつつある。
その一方で、ウィスキーやみその熟成のようにゆっくりとした速度で変わっていく世界もある。いずれにしても「変わる」ということについては両者は同じだ。
だから「変化を恐れる」ということは、本当は生命原理、生命法則に反しているんじゃないか。
大事なのは「自分にどんな変化がおとずれようと、怖れず受け入れ、前向きに進化する」ということなのかもしれない。
投稿: 銀鏡反応 | 2007/05/13 12:39:54
茂木先生へ、「プロフェッショナル」観るようにしてます。音楽が、菅さんですしね。やっぱり、私的に、先生達の魅力は、「末は、博士か大臣か?」の言葉、にて、「ハカセ」な事ですね。東大卒に社長が、多い事と、知的興奮や知によって、財を得る事。不毛は、悲しいです。
投稿: tomoko | 2007/05/13 9:58:43
わ~、それは、それは、嬉しいプレゼントでしたね!
それにしても、布施さんは似合っているけれど、茂木先生は
ネクタイは慣れていないからか、似合わないですね~!
ゴメンナサイ!
でも、ともっても素敵な生徒さんですね!
投稿: tachimoto | 2007/05/13 9:36:02