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2007/05/08

批評はいつ美になるのか

Lecture Records

茂木健一郎
東京芸術大学美術解剖学講義
『批評はいつ美になるのか』
2007年5月7日
東京芸術大学上野キャンパス

音声ファイル(MP3, 71.2MB, 77分)

5月 8, 2007 at 07:56 午前 |

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コメント

もし秀吉にとっての千利休のような人物が
私のこれからの人生に現れてしまったらどうしよう!
などとワクワクして無責任な妄想の世界で
楽しんでしまいました(笑)。

「自分の個性と格闘したゴッホ」に若冲の白雀の姿を
思い出したりもしました。

もう覚えていないほど昔に『華やかな手』というタイトルの
小説だかエッセイだかの本を見たことがある
気がするのですが、読んでいないため内容は全くわかりません。。。
気になって仕方がないのでこれから、検索してみます!
秀吉も華やかな手の持ち主だったのですね。

投稿: まり | 2007/05/22 23:10:32

たいへん面白かったです。
日常で批評を美とするためには、じゃ、どうすんねん?!

きちんとする。今思い浮かぶのはきちんとする、です。
どんな状況でも自分はきちんとする。です。

さじ加減ほどよく、きちんとするです。

投稿: 平太 | 2007/05/21 9:37:00

 茂木さんのレディメイドの石ころ、とても素敵ですね。

 大貫妙子さんの深夜ラジオ(j-wave)を時々聴いています。
j-waveのHPより。5/3放送分、を思い出していました。
「どう歌ったらより良く表現できるのかを追及しているけど、これはトレーニングではなく、経験とか生き方が上乗せされるものなんだなということを最近実感しています。」
実際の放送では、「カラオケみたいに歌の練習だけしていて、歌がうまくなる訳ではない」と言った様なことを仰っていました。
 「批評性」を、目に見える形、絶対的な美の形で表現した千利休はすごくかっこいい。それを行動に移す勇気も含めて。
観客として、美を感じる感受性を持つのも、知性やセンスが必要でしょうが、artistは観客の何倍もそれらを敏感に感じ取り、深く追求していかないといけないのかもしれないと感じました。講義の続きが楽しみです。

投稿: muro | 2007/05/11 23:25:09

講義すんごいおもしろかったです(笑
無駄な心配性。
むしろ最近の子はおとなしいような。

美を作らない批評は意味が無いかあ。
共に戦うコンセプトでいいですね(笑

千利休は何が凄いって、
結果的に、美を与えて、
秀吉を引き上げているところ。

秀吉の素晴らしさは、
金箔の部屋を恥じざるを得ないような
その凄さに気づいてしまえる感性を
いつのまにか得てしまっていたこと。

骨董の話は本当によかったと思います。
あれは本当に粋。
一番お気に入りの松山のMP3講演。

ただ、今日、質疑応答を聞いていて思ったことは

先生の話は、色々な経験を得ていたり、
自分の作品や他人の作品に向かい合っているときに、
その自分自信を分解し、次に展開する場合に
役立つことであって、

自分自身を持て余した経験の無い、
今の時点で十分に絶対的な物が得られるという人には
未消化に終わるだろうなと思いました。

物凄くお洒落な人はお洒落を知っていると言わないし、
物凄く絵の上手い人は、絵を知っているとは言わないし、

自分の目指す、まだ届かないその先を
直ぐに見つけてしまう人は、
いつも自分に流れこんできてしまうものを見据えながら
どうすれば届くかについて研ぎ澄ましている。

それがゴッホの自分自身を殺すことかもしれないし、
ダビンチのあらゆるアカデミズムだったのかもしれないし。

何かへの物凄い渇望が結果として、
美のみならず、色々な表現に通じるのだろうなと
なんとなく思っています。

ヨーロッパいくと、
学生がよくデモっていたりします。
それだけリアリズムの世界に揺さぶられて心をバラバラにされていて
そんな何かへの渇望が手を動かさざるを得なくしているのかなとも思います。

というか、先生は、
学生にはホント優しいんですねー。
超キャパシティー。へぇー。
合宿の時も学生の前では仕事開かなかったって
おっしゃってましたもんねー。
ふーん。

セミオゼキ教授も美術について書いているんですねー
以前読んだ博士の文章もあからさまにロマンチストだったので
気になりますん(笑

投稿: bu- | 2007/05/10 23:22:20

ようやく、今日音声ファイルを聞くことが出来ました。
数日、音が出ないのでアレおかしいな~と思っていたのですが、
やっと、その理由に気がつくことが出来ました。
茂木先生のお気に入りの音楽が先にファイルに入っていました。
今までPCで音楽を聴いたことがなかったので、得した感じです。
ありがとうございました。

講義のお話も大変勉強になりました。
美と文脈について色々と考えるヒントになりました。ありがとうございました。

投稿: tachimoto | 2007/05/10 21:19:29

松本人史さんの話とか秀吉の指が六本あった話とかは理解できたし
面白かったです。
しかしレベルの低い私にとっては難しい話が多く、
三割程度しかわかんなかったんですが、
途中で飽きることなく最後まで聞けました。
それだけの牽引力があったのだと思います。

投稿: ザビィ | 2007/05/10 11:51:07

ついに仕事タスクレス三人日分です。
むしろ何も怖くなくなってきました
週末飲みにゆきまーすw

MP3ありがとうございます。

ですが、最初のモンドリアン事件をチラリと聞いて
怖くなって直ぐやめてしまいました。
だって、いやなこと沢山思い出してしまうので。

「先生」って職業は大変そうですね。

私も仕事上、美大出身者の
新人を世話することが多々あるのですが
芸術分野出身ではない為に
反抗される経験がたーっぷりあるからです。

今日こそはmp3を頑張って聞いてみます。
来月は聴講にゆけるかなー

ここ数日は忙しさのあまり感想を書きながら
眠ってしまったり(むう・・・)、
年下の友だちに緊急で相談とヒーリングが必要で、
なのに、私が忙しいから控えてたといわれ(ううっ)、
遊びに忙しい華やかな友だちに、時間を合わせて
くれないのは、私よりも仕事が大切なの?的に
責められたり(じ、自由だ。)

なんだか、今は、大切にしたいことが
はれれ、あららと、わあわあですが、
聖なるものの話が今度出来たらなあと思いました。

母親は幾つになっても子供には
世界で一番美しい存在だと思います。
(喧嘩してるけど)そう思える自分は幸せで
何の社会的客観性が必要なのですかね?w

わからない人とわかちあえないのは
その違いはむしろ「誇り」。
いずれ彼らも、「ああ」、と思えれば
「その時が来た」だけ。

彼らにその幸せがあらんことを。

その内容が共通する必要もなく
その「何か」を感じる精神の旅こそが
大切なのだと思います。
とりあえず私はそう思っています。

というわけで、それを言いたかったので
今日は朝食作りの代わりに携帯をポチポチ。

でも、おなかすきましたーw

事件は過ぎたら、あとは、自分の中で如何に
消化するかだけ。
もう今は事件後。
渦中では無い幸せ。

今日一日先生が
今日の新しい幸せな空気を吸えますように。

投稿: hiruhasiratuki | 2007/05/09 10:34:25

はじめまして。
昨日の茂木先生の講義、楽しかったです。
先生と学生さんのやりとりに、温かいものが感じられました。

私はいま、美術館と博物館の両方でボランティアをしています。
たいていの人は「えっ?分野が違うんじゃない?」と驚きます。
どちらも専門的知識は持っていませんが、
来館する子どもたちに学ぶ楽しさを感じてもらいたい。
学校での受身な勉強ではなく、
自ら発見し、学んでいく楽しさを味わってもらいたい。
そのきっかけ作りのお手伝いができたら、と思っています。

40を目の前にして、初めて大学生になったとき
色々なことを、知れば知るほどわからなくなってきました。
そして、もっともっと色々なことを知りたいと
卒業した今でも思います。
色々なことを知ることは
「教養」を身につけることではありません。
自分の「哲学」を持つことです。
その哲学をどう表現するのか、
そうゆうことだと思います。

私には、
この手で作品を創れるほどの技術がありません。
でも、
岡倉天心の『茶の本』にある「芸術鑑賞」の章に
書かれているような
そんな鑑賞者になりたいと思っています。

次回の講義も楽しみにしております。

投稿: 詩恵 | 2007/05/08 23:18:45

この音声ファイルを聞きながらメモノートを読み直したくなり、高橋巌著「ディオニュソスの美学」の第3章シュタイナーの美学Ⅰを読んで書きとめた「美的とは無の中で生産的な生命のエネルギーと出会うことなのです。」「そのためには自分の限界を見つめることが大事です。」という一節を何度も反芻した。

投稿: 福地博行 | 2007/05/08 20:31:09

昨日の美術解剖学講義、本当にお疲れ様でした。

批評と美の間の多には深い、しかし、そこを超えないと本当に美しいものは生み出せない、本物の美は、必ず何かが隠蔽されている…というお話が、自分のなかに特に深い印象を残しました。

久しぶりの講義後の飲み会、楽しゅう御座いました。

投稿: 銀鏡反応 | 2007/05/08 19:18:45

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