自分があることを感じている時に
ある重要な会議で話す。
1200名あまりの参加者の
うち、900名が日本人、300名が
外国人。
同時通訳が入る会場の雰囲気は、
独特のものがある。
リハーサルや、セッションの
合間に、いろいろな人と話す。
異なる文化から来た人からは、
思わぬ発言が飛び出すことが
ある。
そのズレ、不意打ちが
心地よい。
先日のDaniel Pink氏との
対論の中で、会場にいた在日
外国人から、偶有性という視点から、
日本の社会にある様々な「儀式」
には、秩序をもたらすという
作用があるのではないかという
発言があった。
茶道や武道、その他の儀礼の
内部にいる人には思いつかないことだし、
「何もわかっていない」との反発も
あるだろうが、
しかしその意外感こそが価値
なのではないか。
あたたかい海で泳いでいたら、
不意に冷たい水に出会う。
その瞬間がキモチいい。
研究所に戻り、
学生たちと議論。
ボクは研究所にいる時は、ほとんど
自分の部屋にいない。
みんなが通るパブリック・スペースで
仕事をしていて、
声がかかるとぱっと仕事を
やめて話をする。
柳川透、小俣圭、須藤珠水、
田辺史子と議論した。
特に、田辺とは、タスクの設定に
ついていろいろ話す。
途中で田谷も加わる。
夜、渋谷で宇川直宏さんの
新作を見て、それから宇川さんと
お話する。
ひとしきり終わった後で、渋谷の
壁画の前でヘンなポーズをとって
宇川さんと写真を撮った。
うおー。
妙なヒトタチが夜の街に現れた。
一日を振り返って。
自分があることを感じている時に、
その事実を認め、受け入れることが「自由」の
もっとも大事な要素である。
日本の社会を見ていて、
ボクが今一番気にしているし、
危惧しているのは、
結局そのことなのではないかと思う。
自分が感じていることにさえ
気付かなくなってしまっては、
芸術も人生も死んでしまう。
Honesty is the best policyというのは、
他人に対してではなく
自分に向けられている。
5月 25, 2007 at 06:50 午前 | Permalink
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» 萎える トラックバック 須磨寺ものがたり
一つの事を、継続していくうえで、
いろんな道のりをへて現在を迎える。
同じ方向を向いて、進んでいるつもりが、
ひとり空回りする。 [続きを読む]
受信: 2007/05/25 13:55:49
» スカートをクルリと回して・・・ トラックバック なんでもあり! です 私の日記!!
こちらは、朝から雨の一日でした。
キャンパスの中を、グルリと一周するように公道が走っています。
一部水はけの悪い箇所があり、今日のように雨量の多い日には
道路の端からセンターライン近くまで水浸しになります。
*
ちょうど水はけの悪い水溜りあたりの歩道を歩いていたら
後から着た1台の車が猛スピードで走りぬけていきました。
上から降る雨に気をとられていた私は
歩道より少し下にある道路から
車が通り過ぎるのと同時にものすごい水はねを浴びて、
右側全身がずぶ濡れになってしまいました... [続きを読む]
受信: 2007/05/25 22:49:56
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コメント
きょう いずみホール ご成功を祈っています 新しいものの発芽の予感!
関西なのにその空気に触れに行く事が出来ないのが残念です。
紫式部の石山寺でわたしの内の湖の水も意識して過ごしてみます。
自分が感じていることを意識にあげていけるといいな。昨日の雨が澱みを流し、
今日は良いお天気・・・
投稿: 井上良子 | 2007/05/26 6:57:15
孤独であることの技術。希望。
投稿: suzuki | 2007/05/25 23:22:21
ある特定の文化圏の中にすっぽりと入っていては、まったく思いつかなかったことを、異なる文化圏にいる人が気付いて意見すると、きまってだいたい、
「あんた、うちらについて、何も分かってないじゃん!」
と反発する人と
「あ!そーいう視点からの見方もあるんですかぁー。なるほどねぇ!」
と、その意外性を認める人の両方がいる。
そうした「不意打ち」には、ある文化圏という「ヌルマ湯」の中に浸かりこんでいては気がつかなかった、その文化圏の“面白い”“ユニークな”事実の一面がある。
だから、そういう外側の異質な他者からの「気付き」を認め、受け入れることは、長年築いた「文化」「ナショナリズム」の中に深く潜りがちな、アジアの東端の、小さな島に住まう我々にとっては特に大切であり、欠かせないことなのではないか。
異文化の住人たちの意外な意見は、我々の文化圏を相対化する作用があるのではないか。その相対化を素直に受け入れると、いきなり冷たい風を浴びた時のようにきゅんと引き締まった気になるが、後で感心することが多い。
一方、今、この島の社会は茂木さんのいう
「自分がある事を感じている時に、その事実を認め、受け入れること」
が出来なくなってきているのではないか。
いや、自分が感じた「ある事」の事実に「気付かぬ振り」をして「逃げて」いる間に、それを受容する「感性」が麻痺してしまっているのではないか。
あるいは、自分が感じたその物事の真実に気づいてはいるが、あるがままに受け入れるのが恐ろしいのではないだろうか。
そんなことでは、いつまで経っても真の自由は自己の中に獲得できないのではないか。茂木さんが気にする問題点はそこにあると思う。
自分が感じているある事実に対し、それを正直に認め、謙虚に向き合い受け入れなければ、我々の生も、藝術も、文化も、ひいては国土世間すらも、やがて綻び、滅んでいく筈だ。
そうならない為にも、私達一人一人が
“Honesty is the best policy”「正直は最上の信条」(こんな訳でいいのだろうか?)を己の自戒のための、座右の銘とすべきだろう。
自分の中に冷たい風をいれて、きゅんと引き締めていきたいものだ。
投稿: 銀鏡反応 | 2007/05/25 21:38:18
快である事を感じている時と不快である事を感じている時とでは
生き物は不快な事から逃げるのを先に求めるとは思う
自分の何かを守るために戦う事も基本的には同様だとは思う
だから、快を享受出来るのは戦いも不快も無くなってから
と言うのは少々言葉がオーバーだが
そういう気分になる事がある
いつかゆっくりケーキの苺を食べる様に
とってあるはずの何かを引っ張りだせれば
幸せなのかも知れない
勿論それは引っ張りだせる気持ちの方であるのだが
投稿: nobori | 2007/05/25 21:08:26
The night is young.
夜は若く、彼も若かった
夜の空気は甘かったが、彼のこころは苦かった・・
ウィリアム・アイリッシュの「幻の女」は確かこんな風な書き出しから
はじまる
季節は新緑の5月 街は夕暮れとともに 昼間の強い日差しから
解き放たれ 幾ばくかの安堵感とともに夜の訪れを待つ密やかな戯れの
トワイライトtime のとば口に在りながら 期待感と憂愁とのアワイで
旅人たちの仕度の時を待つ ベルボーイやドアマンのように
所在なさそうにたたずんでいた
いっぽう 彼は 自らのある「計画」を胸に 気付かれるはずのない
こころの内を気付かれまいとでも言い聞かせるように あへて無表情な
風情を周囲に発散させながら そして若い人特有の挑発的な不遜な光を
そのまなざしにたたへながら 凪いだような目抜通りを歩き出して
いた
彼の名は・・ 僕は「彼」がラスコーリニコフその人と重なってしかた
がないのであるけれど・・
この五月から六月の上旬あたり、とくに日が傾きかける頃から夜更けに
かけてが 僕にとってのBest Season なんだよね
この季節になると無性に聴きたくなるのが BOSA NOVA
どんなものでもwelcome デスガ 強いて言うなら
スタン・ゲッツとジョアン・ジルベルトのコラボレーションが生んだ
傑作 GETZ&GERUBERT(スペルチェック・プリーズ♪)や
パット・メセニー・グループ のAre You Going With Me の
入っている OFFRAMP などがよいですね
この時期 世界の生きとし生けるものすべてが その営みの息吹を
なんの疑いもなく・・もちろん ふりまきながら 「感じている」
>>アルベール・カミュが語った 「世界の優しい 無関心」を
投稿: 風のモバイラー&野村和生 from nomgroove.com | 2007/05/25 19:23:41
「自分の感情に正直でありたい。」
これは非常に大切でそしてシンプルな原則だと思います。
しかし、自分の感情が「割れている」ということに私はしばしば気づかされます。
「好きであると同時に嫌い、嫌いであると同時に好き。」
マザー・テレサは「愛の反対は無関心」といったそうですが、
入力条件のほんのちょっとした違いで全く正反対の感情に突然変化することもあるのでしょう。
それなら、同時に相反する二つの感情を抱いても不思議ではありません。
西田哲学は浅い理解しかしていませんが、「絶対矛盾自己同一」には
相反する2つの感情の感情を統合するという意味はないのでしょうか。
投稿: naritoku | 2007/05/25 12:09:35
自分が生きていく中で避けて通れないものを、通っている時、それを
「自覚すること」が、そもそも儀式だと思う。
自覚して、自分を見失わないようにするために、形として儀式があるならやっぱり美しいと思う。
そこを通過できたら、その先にこそ心の中に自由の空間が広がると思う。
投稿: 平太 | 2007/05/25 12:05:04
学生時代、とても苦手だった製図の授業で、
なんとか仕上げて、先生に提出すると、
「ああ少しずつ、ずれているね。ここも、こっちも。
うーむ、ずれていないところがないね。これで、よく、
図形が出来上がったね。定規を、ずらしながら線を引いたね。
ぼくだって、こんなに器用なまねは、むずかしいよ」と、
おだやかに、ほめてくださいました。
仕事をしても、ずれてますね、と、必ず一度は言われる。
あまりにも、ずれて、相手が会議室の床に倒れたこともある。
投稿: F | 2007/05/25 11:09:22
魂の自由を手に入れるには、
感じていることをそのまま
素直に受け入れることができる
しなやかな態度が必要だと思いますので、
たとえどんなに傷ついてもいいから、
自分自身に対して、
いつも心を開いていたいと思っています。
さて、明日は、待ちに待ったいずみホールコンサート。
楽しみにしています。
好評を博して、毎年恒例になると思います(笑)
投稿: 新屋敷 恒 | 2007/05/25 10:38:31
けんちゃんが、もぎさんがオーツカヨーコみたいなもんをなんかにしようといってたんですけど、(ていうかですね)うちのパソコンもでんわもとけいもやられちゃってるみたいで、時間がちぐはぐになってしまってるみたいで世間の動向がまったくわかんないです。これ、ほんとうに。パソコンが重過ぎるのかなぁ。。。
みこ みたいなもんになるとすれば、ゴンタ君(のっぽさん)のきぐるみ きて ならぜひ。。。。
そんで、おかやまにある奈義現代美術館にも機会があったらきてくださいな
投稿: 洋子 | 2007/05/25 7:27:27